仕事も捗り明日には納められるのでチョイとポタなどを
気分転換ですからね←ミスの無い仕事をする為の
今日は我が町で、このほど環境省の「平成の名水百選」に認定された「清左衛門地獄池」を紹介しましょうかね。
ご存知のように(知らない人は知らないと思うが)我が町は富士フィルムの企業城下町です。
何を隠そう
何も隠してはいませんが・・。自分はこの町の非公認の親善大使ぐらいのつもりですので宜しくね
市内の狩野(かの)という地区にあり我家からノンビリポタでも20分ぐらいという距離です←俺も知らなかったよ~
これが 清左衛門地獄池だ 1・・2・・3・・

池の中央には厳島神社弁財天が張り出しています
昔、清左衛門という人が農民の為に良い水を探していて馬諸共この湧水の中に落ち亡くなったという伝説が残っています。
池の中に厳島神社、すぐ隣に弁財寺を建立し清左衛門を祀ったという事です
箱根外輪山からの伏流水が湧き出たもので、一日の湧水量は13000トンの軟水で主に工業用水に使用されている。
この水源に着目した富士フィルムが昭和9年に工場を建設し現在も第二取水場として利用しています。
正面から見た厳島神社 1・・2・・3・・

自転車が写ってるのが分かりますか?
弁財寺横の四阿(あずまや)から 丘を見ると 1・・2・・3・・

上からも水が流れて出てきて池に注いでいるようです。見えるかな~
近くの方で、まだ知らない方は後学の為に一度見にこられては如何かな
ノンビリするのも良いですよ。
場所の説明を分かり易い道順で:大雄山線の関本駅前の道を最乗寺(道了尊)へ向かうと程なく大雄橋が現れる。
大雄橋の信号を左折し一つ目の信号(ここまで700mぐらい)を道成りに200mぐらい直進します。すると右側に
「かどや酒店」と火の見櫓があリ、その間の道(車でもO・K)へ右折し200mぐらいで池への看板が見えます。
坂を上る直前です。右折し200mぐらいで池に到着。チャリでも殆んどフラットなので大丈夫ですよ~ん
さて、ここまででは距離が短すぎるので脚を伸ばし運動公園方面に向かうことにします
道沿いには小さな神社、寺がありますが祠や社が僅かに残るのが大半なのですが前から気になっていた寺が。
そこが ここだ 1・・2・・3・・

道路より一段高いところに建っている珠明寺(しゅめいじ)というお寺。本堂の屋根がかすかに見えます。
上っていくと本堂の横に古びた鐘楼が・・最近、あまり見かけなくなってきた感じが。
これが 鐘楼だ 1・・2・・3・・

関東管領上杉家の上杉憲実(のりざね)一族と縁のある建立約600年ぐらいの古刹。
憲実は室町中期の武将で関東管領を務め足利学校、金沢文庫を復興させた事で知られています
良い勉強になるでしょう
大田道灌(江戸城を造った←室町時代だからアノ江戸城じゃないからね間違えないで)も上杉家に仕えていたな確か。
話は脱線しますが、あの道灌の逸話「七重、八重 花は咲けども 山吹の 実の一つだに なきぞ悲しき」今でも憶えていますよ
高校の時に習いましたね。あの頃は俺も文学少年だったな~
今はこんなになっちゃったけど
少年(少女)時代と変っていないと思う人も
全く変ってしまった人も
ポチッと宜しくネ
↓



今日は我が町で、このほど環境省の「平成の名水百選」に認定された「清左衛門地獄池」を紹介しましょうかね。
ご存知のように(知らない人は知らないと思うが)我が町は富士フィルムの企業城下町です。
何を隠そう


市内の狩野(かの)という地区にあり我家からノンビリポタでも20分ぐらいという距離です←俺も知らなかったよ~

これが 清左衛門地獄池だ 1・・2・・3・・

池の中央には厳島神社弁財天が張り出しています
昔、清左衛門という人が農民の為に良い水を探していて馬諸共この湧水の中に落ち亡くなったという伝説が残っています。
池の中に厳島神社、すぐ隣に弁財寺を建立し清左衛門を祀ったという事です

箱根外輪山からの伏流水が湧き出たもので、一日の湧水量は13000トンの軟水で主に工業用水に使用されている。
この水源に着目した富士フィルムが昭和9年に工場を建設し現在も第二取水場として利用しています。
正面から見た厳島神社 1・・2・・3・・

自転車が写ってるのが分かりますか?
弁財寺横の四阿(あずまや)から 丘を見ると 1・・2・・3・・

上からも水が流れて出てきて池に注いでいるようです。見えるかな~

近くの方で、まだ知らない方は後学の為に一度見にこられては如何かな

場所の説明を分かり易い道順で:大雄山線の関本駅前の道を最乗寺(道了尊)へ向かうと程なく大雄橋が現れる。
大雄橋の信号を左折し一つ目の信号(ここまで700mぐらい)を道成りに200mぐらい直進します。すると右側に
「かどや酒店」と火の見櫓があリ、その間の道(車でもO・K)へ右折し200mぐらいで池への看板が見えます。
坂を上る直前です。右折し200mぐらいで池に到着。チャリでも殆んどフラットなので大丈夫ですよ~ん

さて、ここまででは距離が短すぎるので脚を伸ばし運動公園方面に向かうことにします

道沿いには小さな神社、寺がありますが祠や社が僅かに残るのが大半なのですが前から気になっていた寺が。
そこが ここだ 1・・2・・3・・

道路より一段高いところに建っている珠明寺(しゅめいじ)というお寺。本堂の屋根がかすかに見えます。
上っていくと本堂の横に古びた鐘楼が・・最近、あまり見かけなくなってきた感じが。
これが 鐘楼だ 1・・2・・3・・

関東管領上杉家の上杉憲実(のりざね)一族と縁のある建立約600年ぐらいの古刹。
憲実は室町中期の武将で関東管領を務め足利学校、金沢文庫を復興させた事で知られています


大田道灌(江戸城を造った←室町時代だからアノ江戸城じゃないからね間違えないで)も上杉家に仕えていたな確か。
話は脱線しますが、あの道灌の逸話「七重、八重 花は咲けども 山吹の 実の一つだに なきぞ悲しき」今でも憶えていますよ

高校の時に習いましたね。あの頃は俺も文学少年だったな~


少年(少女)時代と変っていないと思う人も
全く変ってしまった人も
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