katsuまるはだかぁ 芸術家への道

モザイクアート一直線のkatsuの日記

かぐやが帰る。そしてこの数日を振り返ると・・・

2009-03-25 07:43:05 | 世界遺産をみんなでつくろ!
本来、今回のかぐやの目的は、リソ-教育での教室の参加とこの作品の完成。
それがいつの間にか、あっという間に色々な事になって、色褪せて行った・・・・

終わってしまうとすべては過去。次の為の準備が翌日から初められるとは・・・

いつもなら、教室が終わりお疲れ様・・・じゃあ・・・また・・・なんて事が多くて
また何かあるまで・・・そんな事のくり返しだった。

今回は久しぶりに仕事の後の、日高氏と3人での食事でも次へ次への話が出来て、
具体的になっているのでは無いが、決定してから後手を踏むのではなく、準備、用意は

しなくてはならない・・・と相談出来るのはとても充実感のある時間だった。

作品依頼あり、ネット販売していた作品も売れ、次回作もすでに手を付けていて、
テ-ブルの話が持ち上がり・・・

そんなものを同じ気持ちを抱えてかぐやは帰った。キウイやタピオカ、けんちゃんママ
にまでアトリエでかぐやの作品を見てもらった。

中々、見ては頂けない状況の中、数少ない時間の中でこうして生で観てもらえたのは
かぐやに取っても良い出来事だったと思う。

作品とは?自己表現。そうで無いのなら、無人島で作っていても面白いはずである。
だから人に観て貰ってなんぼ。しかしながら、人に観て貰うって言うのは、

評価される・・・が付きまとう。人間関係とも繋がって来る。
体裁をつくろい評価してもらっても、何の進歩も無い。しかし、本音で評価してもらっても、聞き入れないようじゃ頑固に意固地。

しかし、もっと残酷なのは、評価している人がやった事の無い人だったり、自分よりも
実力が無い人だったりする事がある。

その時に、平気でいられる強い気持ちが大事だし、そんな評価の中にも、素直な感想って
ものがある。それを拾い集めて自分の作品の向上に役立てる・・・のくり返し。

だから、かぐやくらいになってくると俺からの評価では無くて、みんなの評価が必要に
なって来る。そう言った点でも、キウイやタピオカの経験者であったり、

けんちゃんママのように観た事ある・・・子供が習ったから・・・と言う眼を持った人、
俺の親父のように下タイル職人、そして一番俺の側で俺の作品を観ていた角嶋の親父、

そんな色々な人の感想を聞けた事はかぐやの財産になったと思う。

そんな中で、色々な事を抱えながら、しばらく振りに目地をやった。
しばらく振りにかぐやが作品を作るのを目にした。WBCをワンセグで観ながら。

それも空港に送る時間が来て、かぐやにワンセグ持たせて送る道中に優勝が決まった。
羽田の降り口の前のトンネルの中で・・・

一番良いシ-ン観られなかった・・・ってかぐやが言ってたけれど、ラジオに切り替えたから、臨場感だけは伝わった。

そして、これも思い出になるんだよ。あぁ観られなかったってね。
その話をまた何処かでする事が出来る・・・それがね。

あの時、あぁだったって言える人を探すんだよ・・・それがきっと仲間だよ・・と。
そんな話を最後にして空港を去った。

またいつもと同じ、日常に戻るのだけれどかぐやも感じたろうが、いつもと違う見送りに
なった事だろう・・・いつもと違う何か?そう感じる・・・何かをね。

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