今日はキウイとピエロの壁画。合流前にアトリエで材料を積んで・・・ってスタートだったんだけど、一之江駅あたりでまさかの・・・
かるがも親子の横断待ち・・・中々無いわぁ〜。ってな、のどかなスタートだったのね。そんなこんなでキウイを乗せて実家に向かうと、仁科さんがいて・・・クーラー工事。
ただ色々あって、クーラー無しの制作になったのね・・・暑かったのね。そんな中、材料を取りに行くと仁科さんの車に、知らない人が乗り込んで来て・・・さぁ行こうかって・・・。
どうやら認知症の人だったらしく、結局仁科さんが交番まで連れて行く事になったのね。まぁ仕事はと言うと、かぐやが参加して、キウイも・・・確かに昔、二人共に制作を手伝った経験はある。
しかし、今回は意味が大きく違う事を理解している人は少ないのね。そうね、例えば蛸の椅子。
これだって、2人は手伝える腕はあるのね。ただ大きく違うのは、タイルのカタログって言うのは、建築の為のものであり、タイル全般って程のもんでは無いから、モザイクの部分を取り上げる
事は少ないのね。しかも大抵は壁画となると、数十メートル級なんで、公共事業や一般的では無い扱いの場所にあるものなのね。それは考え方として、大きいと切らなくて済む。
つまり文字にすると、切らずにここは張れる・・・ただ張っててぶつかるから、切らないと・・・って考え方が普通なのね。つまり考え方は建築のタイル屋さんの考え方なのね。
でもウチの生徒さん達に、この考え方の作品を見せたときの反応は?って言うと、子供でもこれ切って無いじゃん・・・って反応になる。そうなのね、これは当たり前の話で常識が非常識なのね。
そもそも一般的なモザイクは、大きいから切らずに張れる。ではみんなが作りたいのは、何十センチ?・・・ほらね。当たり前なのね、切らずに作れるはずが無い。勿論、並べるだけって言う、
ドットアートってスタイルもあるが、それにするには、まず絵をドットアートの絵にする為に、パソコンでその絵を作らないとならない。つまりいきなりモザイクは出来ないのね。
それが常に言っている古典落語と新作落語の違いみたいなもん。物の考え方なのね。ただ難しいのは、単純な話なのに、ちょっと複雑に感じるのね・・・この話。このドットアートは、最初に
その絵をプログラミング的に、ドットアートに作る人の力がいるのね。まず考えるからスタートになる。まっ日本の学校スタイルね。入りだけが難しい。そこだけクリアーになれば、後は小学生
でも良いのね。縦の1番と横の一番の位置は白・・・みたいに書いてるから指示通りに置けば良い。つまり考える人は最初の一人。このスタイルが楽団スタイル。図面だレシピだ楽譜だってね。
それを俺の生徒さんは、最初は下絵を描かないで拡大コピーから始めれば、最初の一人目の自分は楽をした事になる。つまり演奏のみとなったのね。ここが大事で、そうね一見前者と同じ・・・
ただ大きく違うのは、指示が無いのね。だって最初の1人目が考えてくれたもの・・・では無くて、楽をした分、何も考えずにスタートになっているのだから・・・。つまり最初に悩んで、
後は誰でも良い・・・ってものと、最初は悩まずに、その都度悩むって話ね。ただ前者の場合、誰でも良いのね・・・最初の1人目の考える人以外は。でも後者は、誰でも一緒では無いのね。
そうね、簡単に言えば、落語は落語家なら誰でも出来る。もっと言えば、寿限無。基礎中の基礎なら、何もベテランがやる必要は無いが、入りたてのヘッポコでも出来るもので比較したとする。
内容は一緒なのに、大きく違う話になる。それはアップアップで言葉を覚えた者と、キチンと内容を把握した者の違い。勿論人前で演じる回数も、場慣れって言う大きな違いがある。
こうしてキチンと何が違うか?を理解した上でやれば、何も知らずに演じるのと差があって当然なのね。音楽もそう。ただ音符通りに歌えました。声量があるとか、こぶしがまわったとか、
テクニックなんてもんがあったりもする。でもその雰囲気とか、その人の持つ声なんて言うのは、音が出ただけで、あっ、あの人だ・・・って思わせるものがあったりする。それが個性。
つまり残念だが、建築の考え方のモザイクはただの能率効率の生産性だけのものだから、大きいだけなのね。つまり大きさに飲まれなければ誰でも出来る。これが事実。所がここの生徒さん。
勿論、誰でもでは無くて、大作を作った人・・・この人達は、拡大コピーで始めたら、古典落語でスタートした・・・オリジナルの絵でスタートしたら、考えてからスタートした新作落語。
こんな違いがあるのだが、能率効率の生産性のドットアートとは比較にならないのね。だから上手く見えて当たり前なのね。しかもキチンとそれを証明するものがある。それが価格表。
商売のカタログには、ドットアートの何倍もの値段が表示されている。つまりフルカットはモザイクの内容としては高価であるって事。ただそのカタログのフルカットって本当にフルか?となると
労作展の子供達よりもカットはしていないのね。だからプロって人に見劣りする訳が無いのね。当たり前の事実。それを踏まえて、大作を完成させたら、それが今の自分のMAX作品となる。
つまり証拠。その人の実力の。ただここで気が付かないとならないのは、古典でも新作でもどちらにしても考えて切った・・・。この経験値が、いつかそれを本当の意味で発揮出来る事になる。
それがタイトルにある芸術家への道・・・俺は商業モザイクがしたいのでは無いのね。建築のカタログに載りたい訳でも無いのね。そしてもしそこにたどり着ける道なら、それもやる・・・
ただそれだけ。でももしその道へ歩んでいるとしたら・・・常に先生katsuにも進歩があるのだから、その先生に習った大作を作った事になる。つまりもし芸術家となれたのなら、芸術家に、
教わっていた生徒さんになり、芸術家にマンツーマンで教わっていた事になる。ただのモザイク先生では無くてね・・・さて一体何処まで行けるんだろうか?って含みを持たせて、現在の事実。
キウイも以前手伝った経験・・・何を?確か芸術の会社からの依頼だったんだけど・・・ただ今回のピエロは商業モザイク扱いになる・・・これがね・・・そんな扱いかなぁ・・・
まぁミュシャにしても、パッケージの絵から芸術家になったんだから、俺もそんな所からかな・・・ただこのピエロの壁画、中々侮れないし、ここがキーワードになるはずなのね。
それをキウイまで来た・・・次は誰?商業モザイクならみんなで作るなんてのは当たり前だが、芸術となると、中々無いと思うんだけどね・・・後は俺の立ち位置だけかぁ・・・。
ハッキリさせないとなぁ・・・そう言うものを制作しているって意識で、楽しもうこの2ヶ月。って思うのね。んで、ここで一緒にやるって言うのは、別に先生と制作するって訳じゃ無いのね。
勿論、実力差はみんなマチマチ。料理だってそう。駆け出しなら、皮むきしたって、一緒に作っている事になる。でもキウイくらいになると、本来は自由にやらせたいのね。ここ任せたよと。
ただ1日半では、練習も踏まえた上となると、じゃ様子見でバック・・・となれば、その後に引き継ぐ人と差が分かりづらい場所が良いのね。同じ人がやったように・・・ってね。
これがそこを終わらせるって時間を持っているのなら、キャラを1つ渡しても良い腕は持っている訳で・・・。ただ今は参加した・・・これが大事。ここに参加した実績はこの後の展開に大きな
爪痕になる。正式な評価になった時にね。簡単な話、映画のエンドロール・・・文字がデカくて一人って人はメインキャラで、役割も重要になり、その他大勢となると、文字は小さく、エキストラ
扱いにも見える。その違いを踏まえて、メインキャラはその人にしか出来ない演技の爪痕を残すべきで、エキストラ的なら、爪痕残そうとされると、次の人は引き継がないとならないから、迷惑に
なる。個性が必要な場合と、一切要らない場合。役目が各々違う訳で。メインキャラは、その人の個性や、考え方の違いで、みんな一緒の仕上がりになるとは限らない。正解って統一性は無いのね。素敵に見えたらそれが正解。だから自由で、だから難しいのね。
いずれにしても、目に触れる場所に設置される・・・それが興味があろうが無かろうが、目に入る事になる・・・後は仕上げて評価を待てば良いだけ。そこまで行けば、果報は寝てまて。
かるがも親子の横断待ち・・・中々無いわぁ〜。ってな、のどかなスタートだったのね。そんなこんなでキウイを乗せて実家に向かうと、仁科さんがいて・・・クーラー工事。
ただ色々あって、クーラー無しの制作になったのね・・・暑かったのね。そんな中、材料を取りに行くと仁科さんの車に、知らない人が乗り込んで来て・・・さぁ行こうかって・・・。
どうやら認知症の人だったらしく、結局仁科さんが交番まで連れて行く事になったのね。まぁ仕事はと言うと、かぐやが参加して、キウイも・・・確かに昔、二人共に制作を手伝った経験はある。
しかし、今回は意味が大きく違う事を理解している人は少ないのね。そうね、例えば蛸の椅子。
これだって、2人は手伝える腕はあるのね。ただ大きく違うのは、タイルのカタログって言うのは、建築の為のものであり、タイル全般って程のもんでは無いから、モザイクの部分を取り上げる
事は少ないのね。しかも大抵は壁画となると、数十メートル級なんで、公共事業や一般的では無い扱いの場所にあるものなのね。それは考え方として、大きいと切らなくて済む。
つまり文字にすると、切らずにここは張れる・・・ただ張っててぶつかるから、切らないと・・・って考え方が普通なのね。つまり考え方は建築のタイル屋さんの考え方なのね。
でもウチの生徒さん達に、この考え方の作品を見せたときの反応は?って言うと、子供でもこれ切って無いじゃん・・・って反応になる。そうなのね、これは当たり前の話で常識が非常識なのね。
そもそも一般的なモザイクは、大きいから切らずに張れる。ではみんなが作りたいのは、何十センチ?・・・ほらね。当たり前なのね、切らずに作れるはずが無い。勿論、並べるだけって言う、
ドットアートってスタイルもあるが、それにするには、まず絵をドットアートの絵にする為に、パソコンでその絵を作らないとならない。つまりいきなりモザイクは出来ないのね。
それが常に言っている古典落語と新作落語の違いみたいなもん。物の考え方なのね。ただ難しいのは、単純な話なのに、ちょっと複雑に感じるのね・・・この話。このドットアートは、最初に
その絵をプログラミング的に、ドットアートに作る人の力がいるのね。まず考えるからスタートになる。まっ日本の学校スタイルね。入りだけが難しい。そこだけクリアーになれば、後は小学生
でも良いのね。縦の1番と横の一番の位置は白・・・みたいに書いてるから指示通りに置けば良い。つまり考える人は最初の一人。このスタイルが楽団スタイル。図面だレシピだ楽譜だってね。
それを俺の生徒さんは、最初は下絵を描かないで拡大コピーから始めれば、最初の一人目の自分は楽をした事になる。つまり演奏のみとなったのね。ここが大事で、そうね一見前者と同じ・・・
ただ大きく違うのは、指示が無いのね。だって最初の1人目が考えてくれたもの・・・では無くて、楽をした分、何も考えずにスタートになっているのだから・・・。つまり最初に悩んで、
後は誰でも良い・・・ってものと、最初は悩まずに、その都度悩むって話ね。ただ前者の場合、誰でも良いのね・・・最初の1人目の考える人以外は。でも後者は、誰でも一緒では無いのね。
そうね、簡単に言えば、落語は落語家なら誰でも出来る。もっと言えば、寿限無。基礎中の基礎なら、何もベテランがやる必要は無いが、入りたてのヘッポコでも出来るもので比較したとする。
内容は一緒なのに、大きく違う話になる。それはアップアップで言葉を覚えた者と、キチンと内容を把握した者の違い。勿論人前で演じる回数も、場慣れって言う大きな違いがある。
こうしてキチンと何が違うか?を理解した上でやれば、何も知らずに演じるのと差があって当然なのね。音楽もそう。ただ音符通りに歌えました。声量があるとか、こぶしがまわったとか、
テクニックなんてもんがあったりもする。でもその雰囲気とか、その人の持つ声なんて言うのは、音が出ただけで、あっ、あの人だ・・・って思わせるものがあったりする。それが個性。
つまり残念だが、建築の考え方のモザイクはただの能率効率の生産性だけのものだから、大きいだけなのね。つまり大きさに飲まれなければ誰でも出来る。これが事実。所がここの生徒さん。
勿論、誰でもでは無くて、大作を作った人・・・この人達は、拡大コピーで始めたら、古典落語でスタートした・・・オリジナルの絵でスタートしたら、考えてからスタートした新作落語。
こんな違いがあるのだが、能率効率の生産性のドットアートとは比較にならないのね。だから上手く見えて当たり前なのね。しかもキチンとそれを証明するものがある。それが価格表。
商売のカタログには、ドットアートの何倍もの値段が表示されている。つまりフルカットはモザイクの内容としては高価であるって事。ただそのカタログのフルカットって本当にフルか?となると
労作展の子供達よりもカットはしていないのね。だからプロって人に見劣りする訳が無いのね。当たり前の事実。それを踏まえて、大作を完成させたら、それが今の自分のMAX作品となる。
つまり証拠。その人の実力の。ただここで気が付かないとならないのは、古典でも新作でもどちらにしても考えて切った・・・。この経験値が、いつかそれを本当の意味で発揮出来る事になる。
それがタイトルにある芸術家への道・・・俺は商業モザイクがしたいのでは無いのね。建築のカタログに載りたい訳でも無いのね。そしてもしそこにたどり着ける道なら、それもやる・・・
ただそれだけ。でももしその道へ歩んでいるとしたら・・・常に先生katsuにも進歩があるのだから、その先生に習った大作を作った事になる。つまりもし芸術家となれたのなら、芸術家に、
教わっていた生徒さんになり、芸術家にマンツーマンで教わっていた事になる。ただのモザイク先生では無くてね・・・さて一体何処まで行けるんだろうか?って含みを持たせて、現在の事実。
キウイも以前手伝った経験・・・何を?確か芸術の会社からの依頼だったんだけど・・・ただ今回のピエロは商業モザイク扱いになる・・・これがね・・・そんな扱いかなぁ・・・
まぁミュシャにしても、パッケージの絵から芸術家になったんだから、俺もそんな所からかな・・・ただこのピエロの壁画、中々侮れないし、ここがキーワードになるはずなのね。
それをキウイまで来た・・・次は誰?商業モザイクならみんなで作るなんてのは当たり前だが、芸術となると、中々無いと思うんだけどね・・・後は俺の立ち位置だけかぁ・・・。
ハッキリさせないとなぁ・・・そう言うものを制作しているって意識で、楽しもうこの2ヶ月。って思うのね。んで、ここで一緒にやるって言うのは、別に先生と制作するって訳じゃ無いのね。
勿論、実力差はみんなマチマチ。料理だってそう。駆け出しなら、皮むきしたって、一緒に作っている事になる。でもキウイくらいになると、本来は自由にやらせたいのね。ここ任せたよと。
ただ1日半では、練習も踏まえた上となると、じゃ様子見でバック・・・となれば、その後に引き継ぐ人と差が分かりづらい場所が良いのね。同じ人がやったように・・・ってね。
これがそこを終わらせるって時間を持っているのなら、キャラを1つ渡しても良い腕は持っている訳で・・・。ただ今は参加した・・・これが大事。ここに参加した実績はこの後の展開に大きな
爪痕になる。正式な評価になった時にね。簡単な話、映画のエンドロール・・・文字がデカくて一人って人はメインキャラで、役割も重要になり、その他大勢となると、文字は小さく、エキストラ
扱いにも見える。その違いを踏まえて、メインキャラはその人にしか出来ない演技の爪痕を残すべきで、エキストラ的なら、爪痕残そうとされると、次の人は引き継がないとならないから、迷惑に
なる。個性が必要な場合と、一切要らない場合。役目が各々違う訳で。メインキャラは、その人の個性や、考え方の違いで、みんな一緒の仕上がりになるとは限らない。正解って統一性は無いのね。素敵に見えたらそれが正解。だから自由で、だから難しいのね。
いずれにしても、目に触れる場所に設置される・・・それが興味があろうが無かろうが、目に入る事になる・・・後は仕上げて評価を待てば良いだけ。そこまで行けば、果報は寝てまて。