katsuまるはだかぁ 芸術家への道

モザイクアート一直線のkatsuの日記

ゆづ教室

2017-09-04 06:28:07 | モザイク教室
今日はゆづ教室。その前に先日の小キウイのペンキ塗り間違えの塗り直しから・・・・スタート。天気も良いし、あっと言う間に乾いて問題無く終わって・・・そんなこんなでハロウィンの下地作りの為の下絵写しをしていると、ゆづがやって来たのね・・・。

何しろ最終日なんで、目地の支度もしてあるし・・・すると、えっ・・・何で張り終わっていないの?何で・・・余りのヤバイ展開にどうすんの?・・・・って感じだったが、来週の日曜日ダメですか?・・・って話になり、ホッとする事になる・・・。

そもそも今日目地をして完成って決めたのは、ゆづなんで、こっちはその予定の話をしていただけで、時間が増えるのならそれはそれで別に構わないのだけれど・・・それならそれで、今日の今日じゃなくて、事前に言ってくれないと、不意打ちな感じでしょ?

そんな話をしながら、何と無くカレンダーを見つつ・・・・あっ、来週の午前中はお客さんの打ち合わせだった・・・って事で戻り次第連絡をする・・・って事になって・・・危なくダブルブッキングになるとこだったのね・・・

そんなこんなでスタートとなったんだけれど、画像は中心部の鍋敷き程度の大きさなんだけれど、既に下絵は描き込んであったんだけれど、何しろこんなデザインが描き込んであっても、時間さえあれば別に構わないが、もう時間は無い・・・。

ただ、本人としてはどうしても・・・って気持ちが強いようなので、じゃひとまずやるだけやってみ・・・ただ途中で時間を見て判断するから・・・って事になったのね。大体、そもそもが鍋敷きサイズの大きさなら、一般的なお教室なら3時間程度で目地まで終わる

はずなのね・・・それがこんなデザインをやれば一体どの位の時間が掛かるか?なんて、判るはずも無く・・・しかもどれだけのグレードに納得をするのか?なんて本人にしか判らないのだから・・・。すると尖ったような繰り返しの1ブロックが終わった頃の時間から

恐らく18時間から20時間弱かな?・・・と振んだが、結局半分の8.9時間で終わったのね。まずは余りに繊細だったんで、鉛筆を渡したが、普通は使わないで進めるのね。理由は簡単でしるしを付けた所で、その通り切れないと、神経質に取り締まる人ならやり直すし、

やり直して出来たのならそれでも良いが、納得出来なかったとしたら?何度も繰り返す事になるし、何度やっても切れる保証は何処にも無い。それは腕の未熟さの露呈になったり、もっと言えば切れないパーツに挑んでいたりもする。

それでは単に材料の無駄使いだし、ダメージにもなるし、終わらない焦りにもなる。がしかし、逆にゆづくらい切れるのなら、これだけピタリと合わせたいのなら、逆も真なり・・・納得したパーツを切るには、線を引くべき・・・と考えたから。

しかしながら、それでも切れるパーツと無理なパーツがあるから、そこは切って見極めて、何度も繰り返さない事・・・としながら、進めた分、早くなった事と、そもそもが切る技術が俺の思っていた以上に上手くなってた・・って事でもあったと思うのね。

それと、終わらせようとする気持ち・・・もし一人でやっていたとしたら?上手く行かなかった場合、手は止まったりもするだろうが、そこはそれ程深追いするパーツじゃないな・・・とか、要するに悩ませない・・・考えさせない・・・何しろ進ませる。

って部分で追い込みを掛けたって事であって、特に何もしていないと言えば、何もしていないし、やったと言えばやったかな?って話・・・。それは相手がどう感じたか?であって、眼に見える事だけなら、ずっと話をし続けていただけ・・・・。

そんな中、ようやく考えてしまう部分が終了したのね・・・後は残務処理みたいな部分のみ。同じ事を繰り返すような場所は、時間が解決するだけなので、来週までに意地で終わらせて来てね・・・って事で終了となったんだけれど・・・。

そんな中、キウイが作品を取りに来てくれて・・・ゆづの作品を見て絶句。もう凄いとしか言えない・・・って。ここの常連のキウイの判断が凄いの一言って言うのだから、終わりさえすれば、何も言う事は無いし、単なる中学生の宿題レベルの話では無い。

そんな恐ろしくもある威嚇な作品になっている・・・。要するに、何でもそうだけれど、例えば卓球の張本君や、将棋の藤井君のように、恐ろしいレベルの子供の人達がいる。その人達はきっと恐ろしいレベルになる位だから、恐ろしい時間を練習していると

思うのね・・・時には涙を流すような苦しみの中ね・・・。簡単な話で凄い人達って言うのは、それだけ真摯に向き合っていると思うのね。それが受験勉強だったり、クラブ活動だったり、単なるお弁当じゃなくて、キャラ弁だったり、勿論味付けにこだわったり、仕事のひと手間だったり・・・そのこだわりが尋常じゃ無い・・・そんな場合の話だと思うのね。

しかも、それが幼ければ幼いほど、子供なのに・・・と思ってしまうから。もしその考えの通りに話を進めたのなら、大人なのに・・・となった時、それだけの努力を惜しんでいないだろうか?になってしまうのね。おかしくないかな?それって。

違うのね。それを言うのなら、子供の時から・・・なのね。つまりそんな幼い時から努力を惜しまないのかぁ?だとするのなら、それを継続をして行くとするのなら・・・どうなっちゃうんだろう・・・って話で、普通はそこまでのこだわりと努力はしないから

普通は普通であって、凄い人達って言うのは凄い事を普通にやっていた・・・子供の頃からずっと・・・って話。しかもやらされているだけなら、途中で辞めるだろうけれど、負けたくない・・・とか、達成する目標を持っていたりもする訳で・・・。

ただね、これでもこだわりの集団の中では普通の考えだったりする。つまりエリートってくくりは、そんな人達が普通なのだから、プロの選手を目指したりすれば、特に今言った事は誰でもやっているだろうから、ある意味当たり前だったりする。

勿論、別にプロの選手なんて職業なんて話にしなくても、受験なんて話でも同じで、そこにも勝ち負けはある。当然勝ち残る為の努力なり時間なりを費やしているはずなのね・・・ただね、本当に残酷なのはそんな生ぬるい話じゃないのね・・・。

必死でやった同士がぶつかって、勝ち負けが付いて、勝った人は負けた人よりも努力をしたから・・・って理屈なら、時間なの?って話になるが、問題はそんな話じゃなくて、本当に凄い人って言うのは、努力をした・・・では無く普通に続けているだけなのね

・・・それが当たり前ってね。こんなにやっているのに・・・では無くて、歯磨きのように・・・つまりゆづが泣きながらの努力でこれを作ったのなら、良く頑張ったね・・・なんて言葉が似合うと思うのだけれど、そうじゃ無くて普通にやっていたと思うのね・・・恐ろしい時間を使ってね・・・しかも泣く様な必死では無く、普通に・・・見ていないけれど、きっと。

しかも、中学生で宿題で、別にプロになりたい訳でも無いのに・・・って言う凄さに驚く訳で。恐らくモザイクのプロを名乗っている人が見ても震えるような凄さに見えると思うのね・・・それは労作展後にアップするけれど・・・。

こんな腕を持っていても、モザイクのプロにはならないだろうし・・・ただ逆にお勧めはしないけれどね。要するにこの仕事がきちんとした地位を持っているのなら、それはそれで良いが、まだ未成熟な分野であると思うから・・・。

それよりも少なくとも細かい事をする技術や、根気、美としてのこだわり・・・こんな事が優れているのだから、美が大事な職業なんて良いと思うのね・・・設計士とか、美容師とか、シェフとか・・・オリジナルでやっていけるようなね・・・。

ただそれはあくまで腕だけの話で、集客やら接客の技術とは別物。仕事となると、また違う事が必要になったりするのね・・。いずれにせよ、そんな話に膨らむくらい、凄いと思わせるのだから、まだ終わってはいないけれど見事な作品である。


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