katsuまるはだかぁ 芸術家への道

モザイクアート一直線のkatsuの日記

ちょっとした事なんだけどね・・・

2021-02-27 03:15:51 | モザイク作家

訳があってしばらく制作の話から離れる事にして、しかもコロナでお教室もまばらとなると、正直ネタとして入れられる事は、何かしらあった事から感じた事などを膨らませるなんて事しか無く、それも大した話が無かったりする。

でも今日はあるのね・・・それがこんな事から始まったのね。katsuちゃんお客さん・・・って大家さんが呼ぶのね。だから慌てて降りて行くと、頭を下げて挨拶されるんだけれど・・・どう見ても職人さんなのね。

ただ今はマスクで半分見えないでしょ。でもそれでって訳じゃ無くて、もう全く見覚えが無いのね。ただそれがよくよく聞くと、すーさんに関係がある人・・

どうやらタイル屋さんなのね。しかも名前を聞くと地元の方らしく、狭い世界だから、何と無く聞いた名前だし、恐らく実家の方に近いかな?・・・って知らないながら、ある程度は判ったりもする。それで要件はって言うと・・・。

お客さんからモザイク壁画の話が出たんだけれど、自分では出来ないんで、出来る人を探していたらしく、そんな時に以前すーさんから話を聞いていたので、思い出してくれたらしいのね。しかしながら、面識も無いし、でも・・・って。

そんな中、その話をお付き合いのある問屋さんに話すと、そう言えばモザイクの看板あそこにありましたよね?みたいな話を問屋さんがしていたって言うのね。ちなみにその問屋さん、昔お付き合いがあった所ではあったけれど、20年以上前の

話で、知っている人がいるかどうか?・・・こんな話なんだけれどね、普通は正式に仕事が来ないと、単なる御茶飲み話にしか思わないのね。でもね、こんな知名度の無い分野って言うのは、毎日が布教活動みたいなもんで、選挙にしても

回収車でも、焼き芋屋さんでも、大きな音を出しても違和感の無い事が、俺では許されない感じがするのね。何をしているかが一瞬で判断出来る事と、はぁ?何それ・・・ってな場合では、説明が必要になるのね。

つまり今回のように、仮に仕事が来なかった場合でも、まずモザイクの話が出て、俺の所にいらして、今までの作品の写真や、アトリエ内の作品も見た事で、一体どんなものが作れる人なのか?を知って貰った事。

宣伝カーで出向いたんじゃ無くて、向こうから。しかも俺のいない所で俺の話が出る。これこそ口コミなのね。そうね、布教活動ってのはこんな事の繰返しで、いかに知って貰うか?なんだけれど、焼き芋屋さんは食べたくてお客さんがそこに

やって来る移動店舗であって、固定している店舗ではひたすら待つしか無い訳で。こう説明すると判って貰えるだろうか?何しろ知らない所で話題になるってのは凄い事なのね。しかもね、俺はモザイク歴20年近くになるのね・・・。

その前は同じく20年タイル職人。これでもわずかながら職人さんと交流もあったのね。でも今まで付き合って来た人達から、仕事らしき事に発展したか?となると、ほぼ0に近いと思うのね。つまりそんな営業もして貰えないし、ご興味も

薄かったんだろうね。それがカサブランカの作品では、現役タイル屋さんの事務所の壁の依頼だったり、今回の話のように、やれるかどうか?の確認程度なのかも知れないが、名刺も渡したし、写真の本もお貸しした。

これでお客さんや大工さん、もしかすると他にも見せて貰えるかも知れないし・・・。俺と接点が無い人に宣伝して頂ける事になる。百聞は一見に如かず。俺では会えなかった人に宣伝して貰える訳なのね。

これで判るのは、昔からの顔見知りでは仲良くしていただけの関係で、今、こうして訪ねて来たり、仕事をくれたりする人達は仕事として見てくれている人達であって、内容が大きく違って来る。勿論それにも理由はあって、ここも良い事と

悪い事は背中合わせで、古い付き合いの人はタイル屋の頃から知っている人達で、つまりタイル屋を辞めたkatsuみたいな感覚であって、単に変わりもん・・・でも頑張って・・・って感じの付き合いだったから、以前仕事で付き合っていた過去の人扱いになり、今の自分の仕事に関係あるとは認識されなかったと思うのね。

だから良い事は昔馴染みだからであって、良くはしてくれるが、悪い事は単なる昔馴染み。そんな判断だから、人に話される時も、何か変わった事やっている奴がいるんだよ・・・って話されていると思うのね。

でも今いらっしゃる建築関係の人って、自分の仕事にも関係があるって認識で、自分が出来ない事をしていると判断され、もっと言えば凄いのを作っている・・・って思って下さる人。だからその人が第三者に話される時に、どう話して

下さるのか?想像は付く。しかもどうしても・・・って気持ちがあるから写真を貸して頂けませんか?って事になったりする。そうね、この時点で、百聞は一見に如かずになるのね。つまり大袈裟に言えば、見せるだけで相手に判断させられる。

説明要らずで。その上、見て来たけど凄かった・・・なんて言ってくれるから、後押しになったりもする。話が決まる時はこんな理由からなのね。当然必然なのね。所がこれが良い事なら、悪い事は、凄かった・・・が後押しじゃ無くて、ダメ押しになり、こんな凄いの高いよね・・・そんなに予算無いよってな事になる。

いつも良い事と悪い事は背中合わせなのね。ただね、大きな誤解があって、確かに凄いものは安いはずは無いのね。ただね、残念なんだけれど、今の状況は俺ごとき扱いが支流だからねぇ・・・そんな人達には安い扱いになる。

ただ逆に凄い扱い過ぎると、相手に威圧感を生むからね・・・そこは適度に。そうね、そもそも今は何をやってもタイル屋さん以上に儲かるなんて事は一切無いのね。つまり建築を頼むようなお客さんなら誰でも手に入れられるだろう。

ただ問題は心意気みたいな事が多めでやっているから、なるべく安く・・・ばかりを言われると、気持ちは下がる。けれど、お金を払えばお客だろ的に何でも要求されると、正直イラッともするし、やりたくない気持ちにもなる。

ただやらないと前には進めないし、じゃやれば良いんだろっ・・・って気持ちでは、その程度の作品になる。じゃその上を行かないとな・・・になると、いつかその日が来た時に、意地張ってやりました・・・って言える位やらないとって。

ただそんなに意地を張れば、生活なんて出来なくなる位、追い込まれる・・・まっ負のループって言うのはこんな事。ただけそれを何度もやると、その繰り返しは痛みに強くなったし、勉強にもなった。そして作品数も増えた。

その作品の数、そして質、それを今沢山見せられるのも、その機会を下さった過去の人達のお陰で、今見せられる人達への信用に繋がっている訳で、単なる修業だったと思えば、仕方の無い20年だったと思えば良いのね。

簡単な話で、俺じゃ無くても良いタイル屋さんの頃は、同じ20年でも、タイル屋さんって元々あった職業の上で、生活させて貰ったから、4年の修業で職人と名乗らせて貰った16年を過ごさせて貰った。たった4年の修業ならその程度で十分。

それなら20年修業したモザイクは、この後、何と名乗って、どんな事が待っているのか?・・・ブログの見出しでは無いが、芸術家への道・・・美大も出ていなくて、タイル屋ごときが芸術家扱いされたいと願う道なんて、馬鹿しか無理。

でもね、当たり前の道じゃ無いから険しいし、人とは違う訳で・・・開拓ってのはそんなもんなんだろうね・・・。そうね、マー君が帰って来たから例えると、現役メジャーリーガーなら、子供達に夢を諦めないで・・・とか、叶うだとか、

言えるだろうし、聞いている側も素直に目指せる。それは成功しているからこその話なら、何年やっても結果の出ないプロは同じ事が言えるだろうか?・・・少なくとも俺の立ち位置では、そんな事は言えないし、タイル屋やりながらにすれば

・・・・って事になるだろね。ただ、そう言う俺は、辞めて目指しているのに。ただね、きついのね・・・それなのにお勧め出来無いでしょ・・・だから、やっぱり結果出さないと・・・。結果を残した人にしか言えないセリフだから。

ただね、たわいも無い事だったけれど、1つ前に進んだ気はするのね・・・でもね、20年も掛かるのね・・・そんな身近だった人に伝わるのが・・・左甚五郎みたいになっちゃうよ・・・今の時代に生きているのに・・・。

でも、素直に嬉しかった・・・仕事になるならないはともかく、また知られた・・・って言うより、必要としてくれる人が知ってくれた・・・って言うのが正解かな。


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