katsuまるはだかぁ 芸術家への道

モザイクアート一直線のkatsuの日記

カサブランカのモザイクのバック

2021-02-19 08:29:13 | モザイク作家

今日もカサブランカのモザイクのバック。しかしやってもやっても果てしない感じではある。こんな時に思うのは、練習で出来ない事は本番でも出来ない・・・なんて良くスポーツなんかに出て来るセリフがあって、その練習量を増やす事で、

ここまでやって来たんだから・・・と自分を説得する材料とする、ある意味精神論的な考え方があって、確かに身に着ける行為って言うのは、大抵反復練習で体に覚え込ませるって事に繋がったりする。これもまた、痴ほう症のような症状でも、

物覚えが衰えても、その反復練習は覚えていたりして・・・そう言う事にも繋がったりする。まぁそれは良いとして、冒頭のやってもやっても果てしない・・・って表現は、明らかに参った・・・って気持ちの方向にあるって事になる。

そんな気持ちの時は、気持ちが負けると委縮したりして、その時点で、いつものパフォーマンスになりづらくなる。こんな場合、スポーツならリラックス・・・なんてコーチから、ファンから声を掛けられそうだが、気持ちが萎縮すると、その声

が自信の回復に繋がる性格と、逆に期待に応えないとと一層委縮する性格とに分かれる。前者はそれをきっかけに気持ちを持ち直せれば、結果に繋がるが、後者は泥沼になる可能性を秘めている。どちらかと言うと後者側と自分自身は思うが、

思うのなら、それをリカバリー出来る何か?が無いと、見つかった者は立て直せても、見つからなかった者では、立て直すきっかけを見つけられなかった事になるから、結果を悪化させる事になる。最近つくづく思うのは、年老いた両親の行動。

一応お陰様で無事に何とか生きているのだけど、当然高齢だから、薬も飲んでいるし、あっちこっち衰退している。所が話す機会が多くなると、今まで知らなかった事が多くなり、更に毎月のデイ・サービスの人達との交流もあり、普通は?

なんて考える事もある。まぁ単純な話で、健康の時は薬はいらない。けれど病気になれば、必要になる。足腰が弱れば、杖が必要になるし、若かったら杖の存在すら忘れるだろう。更に眼が悪くなれば眼鏡・・・こうした何か足りなくなったものを補う事が必要になる。

ただそれは、全てこうなったから・・・と症状に応じたサポート品の事を始めて使ったりする側も固有名詞で呼べるほど、知っていたりする。だから何処に行けば良いとか、買いにも簡単に行ける。単純な事なのね。

所が気分とか気持ちの立て直しって何処に行くの?とか、何をするの?とかになると、人それぞれって便利な言葉で曖昧にして、大抵は時間で忘れて行くって事になる。所がその忘れて行くって行為が人よりも遅いって症状があるらしいのね。

昔、心療内科へみんなに進められて行かされた時に、お医者さんにそう言われた事があるから。つまりそうであるのなら、杖や眼鏡のようなそんなもんが必要になる。ただね、眼に見える事は簡単なんだけれど、眼に見えない事は難しい。

こんな事を踏まえて、まず果てしなさで終わりが見えて来ない・・・これはマラソンの折り返しが見えない感じの比喩に感じるのね。そうなると、半分も行って無い・・・って言う判断に自分の気持ちがなっているって事になる。

けれど、恐らく実際は半分位にはなって来ていると思うのだけど、まだ気持ちが認められないのだろう。そこも長年の事で、半分以上にならないと、そんな気分にはならない事も良く知っているのね。つまり簡単に言えば、3枚目が終わる頃、

折り返し気分になる。けれど実際はもっと終わっている。その気分は半分なのに、実際はもっとやっている。その気分のままなら、油断する事無く、後半のスピードが増したように見えるのは、そんな理由からだと思うのね。

だから、3枚目が終われば、この果てしなさから抜けられる、しかも欲を言えば後2日で・・・こんな欲を出せば、当然無理をしようとする。その無理をやったのに・・・って結果がその分付いて来ないと判断すると、増々追い込まれる。

まぁ負のループって言うのはこんな事の繰返しになる。これを今までは花や葉っぱの少ない分、流れのラインを考えないとならない事が多かった。でも後半はその流れが少ない・・・だからペースは上がるはず・・・と言い聞かせているんだけれど・・・。

 


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カサブランカのモザイクのバック

2021-02-19 08:29:13 | モザイク作家

今日もカサブランカのモザイクのバック。しかしやってもやっても果てしない感じではある。こんな時に思うのは、練習で出来ない事は本番でも出来ない・・・なんて良くスポーツなんかに出て来るセリフがあって、その練習量を増やす事で、

ここまでやって来たんだから・・・と自分を説得する材料とする、ある意味精神論的な考え方があって、確かに身に着ける行為って言うのは、大抵反復練習で体に覚え込ませるって事に繋がったりする。これもまた、痴ほう症のような症状でも、

物覚えが衰えても、その反復練習は覚えていたりして・・・そう言う事にも繋がったりする。まぁそれは良いとして、冒頭のやってもやっても果てしない・・・って表現は、明らかに参った・・・って気持ちの方向にあるって事になる。

そんな気持ちの時は、気持ちが負けると委縮したりして、その時点で、いつものパフォーマンスになりづらくなる。こんな場合、スポーツならリラックス・・・なんてコーチから、ファンから声を掛けられそうだが、気持ちが萎縮すると、その声

が自信の回復に繋がる性格と、逆に期待に応えないとと一層委縮する性格とに分かれる。前者はそれをきっかけに気持ちを持ち直せれば、結果に繋がるが、後者は泥沼になる可能性を秘めている。どちらかと言うと後者側と自分自身は思うが、

思うのなら、それをリカバリー出来る何か?が無いと、見つかった者は立て直せても、見つからなかった者では、立て直すきっかけを見つけられなかった事になるから、結果を悪化させる事になる。最近つくづく思うのは、年老いた両親の行動。

一応お陰様で無事に何とか生きているのだけど、当然高齢だから、薬も飲んでいるし、あっちこっち衰退している。所が話す機会が多くなると、今まで知らなかった事が多くなり、更に毎月のデイ・サービスの人達との交流もあり、普通は?

なんて考える事もある。まぁ単純な話で、健康の時は薬はいらない。けれど病気になれば、必要になる。足腰が弱れば、杖が必要になるし、若かったら杖の存在すら忘れるだろう。更に眼が悪くなれば眼鏡・・・こうした何か足りなくなったものを補う事が必要になる。

ただそれは、全てこうなったから・・・と症状に応じたサポート品の事を始めて使ったりする側も固有名詞で呼べるほど、知っていたりする。だから何処に行けば良いとか、買いにも簡単に行ける。単純な事なのね。

所が気分とか気持ちの立て直しって何処に行くの?とか、何をするの?とかになると、人それぞれって便利な言葉で曖昧にして、大抵は時間で忘れて行くって事になる。所がその忘れて行くって行為が人よりも遅いって症状があるらしいのね。

昔、心療内科へみんなに進められて行かされた時に、お医者さんにそう言われた事があるから。つまりそうであるのなら、杖や眼鏡のようなそんなもんが必要になる。ただね、眼に見える事は簡単なんだけれど、眼に見えない事は難しい。

こんな事を踏まえて、まず果てしなさで終わりが見えて来ない・・・これはマラソンの折り返しが見えない感じの比喩に感じるのね。そうなると、半分も行って無い・・・って言う判断に自分の気持ちがなっているって事になる。

けれど、恐らく実際は半分位にはなって来ていると思うのだけど、まだ気持ちが認められないのだろう。そこも長年の事で、半分以上にならないと、そんな気分にはならない事も良く知っているのね。つまり簡単に言えば、3枚目が終わる頃、

折り返し気分になる。けれど実際はもっと終わっている。その気分は半分なのに、実際はもっとやっている。その気分のままなら、油断する事無く、後半のスピードが増したように見えるのは、そんな理由からだと思うのね。

だから、3枚目が終われば、この果てしなさから抜けられる、しかも欲を言えば後2日で・・・こんな欲を出せば、当然無理をしようとする。その無理をやったのに・・・って結果がその分付いて来ないと判断すると、増々追い込まれる。

まぁ負のループって言うのはこんな事の繰返しになる。これを今までは花や葉っぱの少ない分、流れのラインを考えないとならない事が多かった。でも後半はその流れが少ない・・・だからペースは上がるはず・・・と言い聞かせているんだけれど・・・。

 


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