katsuまるはだかぁ 芸術家への道

モザイクアート一直線のkatsuの日記

健さん教室とサンシャイン60展望台設置

2024-04-19 01:22:37 | モザイクタイル教室
今日は午後から健さん教室で、夜サンシャイン60展望台に、リュウグウノツカイを展示の為の設置。それまではカツオノエボシの追い込み・・・。何とかお教室前に張り終わったのね。

そんなこんなのお教室は、いつものように割と淡々と進んで、特に変わった事も無かったんで、広げる話は無いんだけれど、一応お話はしている話なんだけれど、この作品の凄さって話ね。

まぁ大作を作っている人は、大なり小なり一人で考えてやる場面があるのね。そもそも最初は、切り方の所作的な話で、脇を締めるとか、ニッパーの握り方、刃の入れ方・・・なんて諸注意をして

ある程度それが安定したら、技術論になったりする。そもそもちゃんと切れない状況で、あれこれ言っても出来ない事だらけなんでね。でもそれが出来るなら、こんな事は?じゃこんな事は?って

感じになる。そこでそのやり取りがいつしかスムーズになって来ると、考えさせる質問になって来るのね。例えば毛並みなんて事になると、手足の体の毛並みの方向が一緒なんて事がある?

良く見てどっち向き?とか、縦長と横長、色は一緒でも、切ったパーツを張る時、自分のモチーフの部位に合うのはどっち?みたいに、ちょっとした事を考えて貰えるように・・・ね。

こんな事が感じるって部分で、感性って話なのね。つまり五感の話ね。例えばこれが音楽なら、歌詞が切ない言葉だったりした時に、ダンダンダーンってタッチで弾くのと、タンタンターンって

弾くのでは、切なさの優しさが変わって来る。でもここを乗り切ろう・・・って力強くしたニュアンスの取り方もあれば、ここは悲しみや切なさの強調とする考え方で、力強く弾く事で、でも・・

って次の場面へ持って行くなんて考え方もあったり、当然バラードが王道なら・・・じゃ逆も真なりって事で、ロックのリズムで激しさで感情を表したり・・・考え方で同じ題材も変わるのね。

作り手って言うのは、キチンとちゃんと弾く、切る、磨く、彫る、描く・・・こうした道具を巧みに使いこなすって技術を身に付けると同時に、こうした構想って考える事で、見る側を操作する

事も出来たりするものなのね。いかにそう感じて貰うか?ってね。それは反復で得た技術とは全く違うもので、作曲が出来れば、作詞が出来るか?とか、シュートが上手いからって守りが上手いか?

とか、頭が良いからってくくりで、記号や単語の暗記する能力と、作文のように自分の意見を構成する能力が一緒か?となると、全く違うものなのね。ただユーミンのようにどちらも出来るとか、

大谷さんのようにどちらも出来るって例外はどの分野にもいるんだけれど、ただそれとて、例外って言うのを見せると、それを真似する側としては、チャレンジしやすくなるものなのね。

勿論、完成度がそこまで行けるかどうか?は判らないけれど、道を切り開く人達よりは割と簡単なスタートは切れるのね。ただ全ては良い事と悪い事は背中合わせで、先人は切り開く事で、

人と違う事をして行くのだから、その分野が成熟していれば、王道から外れて見えるから、邪道扱いを受けるだろうし、何か変わっている・・・って表現をされたりもする。逆にそこに乗ると、

王道の道は既に認められている以上、そこには比較対象の人達がごまんといるだろうから、優れている人とそうで無い人って比較されたりもする。まぁどちらも目指せば大変なのは一緒なのね。

ただどちらに耐えられる自分がいるか?ってだけで。後は味覚に好き嫌いがある俺が言う事では無いけれど、食わず嫌いってものがある。食べたら美味しかった・・・ってね。

つまり考える、構想って部分にたどり着いた人達は、是非オリジナルの大作を1つで良いからチャレンジをすると、達成感なんて事を味わえたりすると思うのね。勿論、何かを真似るって大作でも

良いのね。それは技術の大作であって、あれこれ技術の集合体って見せる作品になる。どちらも凄いもの・・・と表現としては一緒に扱われやすいが、意味は大きく違うのね。ただ健さんの場合でも、

バックの色1つ変えただけでも、青空なら、さっ行くぞー俺について来いって後ろ姿にも見えるし、グレーを暗めに使えば、チャーの闘牛士の歌詞のように、アリスのチャンピオンのように、

それでも最後の日に向かう背中にも見えるかも知れないし、一筋の光みたいなものがあれば、何か上を目指している最中にも見えるかも知れないし、同じモチーフでも大きく変えられると思うのね。

そんな風に見せるにはどうすれば見えるか?って探して行くものなのね。構想って言う考える事って言うものは、別に作品だけに使うものでも無くて、自分自身と向き合う事にも繋がるもので、

脳を使うってこんな事を意味すると思うのね。そもそも気付くって言うものが、きっかけになるものなのね。思い込まずにね。ただこれにも例外はあって、気付くって言う事も当たり前になると、

もうそこに刺激は無くなって来るのね。慣れてしまうから、当たり前になる。例えば、ちゃんと、キチンと切れないから、反復する事で慣れる。慣れるからおどおどしなくて、安定感が生まれる。

例えばそれを月に1回の5年で到達したとする。その時にオリジナルを始めようとしたら、切るのは5年、でも構想力は初めて・・・って1年になる。作曲は5年、作詞は1年みたいにね。

でもそこを受け入れると、慣れていない分、また1年生な気分になる。刺激って言うのは慣れちゃ行けないのね。常にフグ毒みたいにピリピリってしている感じなのね。なった事は無いけど・・・

でも強すぎると死んじゃうし、安全安心なら毒っぽいもの全て辞めれば良い。要するにチャレンジするって言うのは、新しい毒と向き合うみたいな感覚なのね。つまりベテランって事になると、

自ら毒っぽい事をしないと、刺激にはならず・・・それは大作とは限らないのね。常日頃やっていない事が刺激なのだから。つまり大作を乗り切った人の刺激は、お手軽な事になるだろうし、

お手軽な事ばかりでも飽きるから、一世一代の大作に向き合うなんて事が刺激だろうし・・・いずれにせよ、健さんのこの作品は自分の名刺になる作品で、かつてのウォンバッドを軽く超える、

自分書き換え作品なのね。それを俺が余り口出しせずに完成する事で、1人でここまでやった作品になる訳で・・・他の分野では真似る事が多いのなら、ここでは考えて進むって自由って事が、

考える事、不自由を楽しむスタイルになっているはずなんだけれど・・・とね。ちょっと複雑ではあるんだけれどね。とは言え、文字にすると小難しくなるんだけれど、実際はシュールに面白い

時間なんだけれどね。そんなこんな後は、小雨の中、リュウグウノツカイを積み込み、サンシャイン60へ・・・業者用のエレベーターに乗ったんだけれど、一度に運べなくて2回乗ったのね。

9時過ぎに。エレベーターに乗るのは別に珍しくは無いけれど、短い時間に60階を行ったり来たり・・・って。これが仕事の人もいるのかぁ・・・って、そうだよなぁ高層階に住んでいれば、

当たり前なんだろうが・・・中々俺には無い事だから、これもまた刺激なのね。でもこれだって、2日間を経験すると、すぐに慣れてしまうのね。人の刺激なんて単純なものなんてあっさりなのね。

でもこれが難しくて簡単では無ければ、すぐにへこたれる・・・勝手な生き物なのね。でも、こんな事1つでも、考える、想像するって事が出来るのね。それをわざわざ意識しなくても、仕事柄、

勝手に脳が考えてしまうのね。でもこれが日常になれば普通になるし、普通って言うのは安定になるし、刺激って言うのは非日常にある訳で・・・これもバランスなんだけれどね。

まっ簡単に言えば、日常を東京でサラリーマンだとする。毎日通勤で混んでいて、夜遅く帰宅って感じなのを、非日常って言うのなら、1年に1回のスキーだとする。そりゃ365日分の1なら、

待ってました・・・もはや七夕のような待ち方になるから大きな刺激。ただスキーの場合、普通に考えたら、雪ありきの話なんで、行けたとしてもシーズンが冬のみになる。当然回数も限られる。

これをサーフィンに置き換えると、湘南や太東みたいなサーフィンの場所へ数時間しか掛からない。これなら毎週行ける事になる。これを大きく超えるなら、刺激としてはそこに住むって、

事になれば、今すぐ大きい刺激になるし、でも日常にいつかなってしまうのね。って例は、少ないだろうから、大抵は毎週って位だろうね。これだって、ずっと続けられればかなり少数派で、

月に1、2回って言うのなら、アトリエに来る生徒さん位の話だから、普通にいる事になる。でもそれを何十年も続けているとなると、一体どんな腕になっているのだろうか?って話になる。

当たり前の理屈なのね。ただ趣味で終わるのも良しなんだけれど、趣味を実益にするって考え方もあったりする。それを先生になるとか、作品を売るって作家になるとか、今どきなら色々とある。

ただそれも色々とある・・・って言っている時点で、ある・・・って言うのだから、ある時点で普通なのね。そこを無い・・・無いと思うって言う方向に行かないと、個性なんて事にはならないのね。

だって、隣にあるようなものが個性な訳無いでしょ?もっと変わらないと・・・。それを生徒と先生とか、普通は・・・とか、折角なんでそんな常識を叩き壊したいと思っているのね。

予定調和ってのが気持ち悪いから。今プロと思っている、プロで生計を立てている・・・当たり前の事を全てぶっ壊したい・・・ってね。こんな話がちょいちょい8月まで続くのね・・・。8月まで。

そこまでにターニングポイントが来るはず・・・ただそれがどれかは俺にも判らないんだけど、俺のクインシー・ジョーンズは見つかった気がするのね・・・。だから期日は8月まで。

こうして予言のように言葉にしないと言霊が置きないから・・・まぁこの展示もその導火線の1つになるはずなんだけれどね。サンシャイン60に展示・・・中々無いと思うのね。


そしてアトリエに戻ってカツオノエボシの目地仕上げ。

後はペンキ塗り。これもまた展示作品。本来は水族館の方が似合うんだけれどね・・・でも、そこは受け入れて貰えるお客さんがいる場所。でも展望台に来る人が好きだとは限らないモチーフ。

予定調和では無いのね・・・だから俺のコンサートでは無く、色んな催し物の中の1つに過ぎない。だからフェスみたいなもん。いかに見て貰えるか・・・になるし、ワークショップも、

そりゃ水族館でやるのとは大違いなのね。しかも入場規制もあるらしいから。いつもいつも準備が整えば、期待と不安な気持ちで当日を待つだけなんだけれどね・・・。勿論次の手を考えてね。

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