katsuまるはだかぁ 芸術家への道

モザイクアート一直線のkatsuの日記

中学生教室2組とマイトさんの・・・

2024-08-12 00:28:04 | 労作展
今日は中学生教室が2組・・・って言っても、労作展なんだけれど。それではまず、3年目の子から・・・そうね、3年目の子が3人いるんだけれど、3人ともに2年連続受賞しているのね。

そんな中で、一番出遅れていたんで、若干心配していたんだけれど、今日見た瞬間、安心ゾーンに入ったね・・・って感じだったのね。何だろうね、老婆心って言うのは・・・。

しっかり宿題部分が終わっているだけじゃ無くて、質もまずまずで・・・そうなると、今度は欲が出て来たりもするもので・・・後何回来られる?なんて話になったりして・・・。

良くある話で、例えば満足とは言えないが、まずまずだと言えるラインって言う落とし所って言うものがあるとすると、一体何点くらいなのか?って話になると、3回連続で受賞なんて事になると、

例えばそれを85点だとする。この辺くらいだと、自分も見た人達も不満でも無く、もう一息って感じも無く、老婆心としても、まっ・・・って雰囲気が出ると思うのね。それが時事ネタとしたら、

オリンピックなら、銅メダル・・・メダルがあるのと、無いのでは、あるって言うのはとても大事で・・・ただ本人は金を狙っていたとするのなら、銀でも決勝まで行ったのだから、悔しさは

あったとしても、勝負は紙一重となる。ただ銅の場合、何の為に・・・ってモチベーションになりがちで、それを踏み止まるのは、自分の為では無く、応援してくれた人達の為にも・・・って、

金を狙っていたモチベーションとは違う気持ちで乗り切らないとならないのね。だから非常に厳しくなるものだと思うのね。こんな気持ちを踏まえて、85点の比喩は、銅あたりまでは来た・・・

そんな感じ。このグレードまで来れば、受賞してもおかしくないだろう・・・ってあくまで目安ね。何しろ俺が審査する訳じゃ無いから・・・。ただニュアンスとしてね。その時に、後何時間

この子は持ち時間があるの?って事になると、残り時間次第で、もうひとランク上の話をする事は出来る。要するにそこが良く言う遊び心なんて比喩になる。例えば、音楽で楽譜通りを必死で、

演奏しているような場合には、その余裕は無いが、上手い人ならそこに少しだけアレンジしたようなフレーズを入れたりする事が出来るだろうし、食事の最後のコーヒーにラテアートなんて事が、

お誕生日おめでとう・・・なんて入っていたりしたら?情緒なんてもんはそんな話なのね。彼の場合、モチーフに1年生の時に使ったものが入っていて、余裕があるのなら・・・って話をすると、

察しが良いから、伏線の回収って言うのを理解していて・・・って事ですよね?って判っている。後はそれをやる時間が作れるか?作れないか?出来れば、間違いの無い金狙いになるはず・・・

何しろこの子の制作日誌は安心だから。しかもしっかり書いてあるってレベルでは無く、中学生って身の丈の中での情緒がしっかり感じられて、読み応えのあるものだったのね。だから、今までと

同じ時間で書いてあったなら・・・3年って言う進化の中での文章能力は上がっているはずだし、そこにこの作品を乗っけるのなら、大いに審査する先生にプレッシャーを掛けられるのね。

ただのやる気で乗り切るのでは無く、きちんと訴える・・・ってね。いずれにしても、この先は本人次第で、やれるならやれば良いし、無理する必要も無い。そんな後は、1年生。

この子は最後に来た子で、しかも1年生・・・モチーフは決まって、方向性としても、持っている時間の中で、出来た事を楽しもう・・・って言う事になっているから、周りのリアンションとしては

えっ?これ作ったの・・・上手いじゃん・・・こんな感じね。これがさっきの子では、おーみたいな、やっぱりなぁ・・・みたいな凄くて当たり前で、流石に2年連続だもんなぁ・・・みたいな、

リアクションにならないと行けないのが、受賞者のプレッシャーなのね。だからこの子は、全くそうでは無くて、出来たじゃん・・・良かったねって言うのが落とし所だから、指導が全く違う。


所が、宿題のパーツが、このグレード・・・こらこら本気じゃん。これは受賞しようとするグレードじゃん。確かに良く出来たに越した事は無いのね。でもこれだけの質を問うのなら、当然、

時間も掛かる。しかも何度も切り直しをしただろうし、むしろ良くここまでやったね・・・って話なんだけれど、このままのグレードをやり続けると、全く時間は足らないし、終わらなくなる。

ただきっと夢中に頑張っただけだから、無意識なんだろうね・・・でもこんなにやらなくて良いとは言えないし、言った所でこのスタイルは変えられない。となると、自宅のグレードは上がる。

でも進まない・・・って事は、アトリエで質を下げる事になる訳で・・・ただこれは言葉のあやで、要するにフルカットでは無く、ドットアートを教えないとならない・・・って事なのね。

切らなくて良い、張るだけ・・・これをアトリエで教えて、既に教えているカット部分は自宅で・・・ちょっともどかしい気持ちになるが、終わってなんぼなのね。どんなに質が良くても、

終わっていなければ出せない。これが時間制限のある作り方なのね。さてこの話を前フリに使う話としては、先日のマイトさんの話・・・今月末に出来れば・・・って一体後何時間出来るの?

って話になるから、昨日も夜中まで待った。今日も連絡が来たが、明日以降の話になった。つまりまた数時間無駄になる・・・こんな待った無しの話で、決まったらすぐ終わらせて・・・の話。

ここまで伝わらないのなら・・・と、流れたら捨てれば良いって気持ちで始めた。

せわしい気持ちや、慌ただしい気持ちで作ったものが、俺が作ったと言われては、その程度かぁ・・・なんて言われてもね。物作りは残酷でオリンピックとは違うのね。記憶なんて曖昧な

ものはすぐに忘れる。しかし物は残る。壊さない限り。汚点は一生そこに生き恥をさらし続ける事になるのね。しかも、これはこんな時間の無い中での制作です・・・なんて制作日誌など無い。

ただそこにあるものを見て、あーだの、こーだのって言われるのね。その癖、売れれば、そんなエピソードがあったんだぁ・・・なんて回想してくれると、感動したとか安い反応をされる。

まぁそんなもん。ならば、ゆずのように、売れていない時から、栄光の架橋を歌い続けるしか無いのね・・・へっぽこ扱いされている時から・・・その日の為にね。それを続けて、その日が来たら

その観衆の前での栄光の架橋の威力は計り知れない・・・ただそれだけ。普通なのね。当たり前。それなのに、その程度だから・・・とか、時間が無いからとか、そんなの言い訳なのね。

プロは結果が全て。努力なんてどーでも良いから、結果が全て。結果からしか判断されない。って訳で、成立してからでは遅いんで、余裕を作る為にも見切り発車となり、不成立なら捨てりゃ良い

し、成立なら、一歩前進している訳で・・・一体誰が一番本気なのか?って言う話であって、恐ろしい程の知名度が無いのが原因だから、もう慣れた。しかしながら、そんな中、また問い合わせが

あって・・・もしそっちがどんどんと話が進んだ時、どっちを先に?ってなると、どうなるんだろうか?・・・になる。そんな中、大家さんがやって来て、事情を説明すると・・・そりゃ、やる気

や熱意が優先されるし、今世の中はお盆だから・・・休みにそれだけ準備している人なんて、そうそういないのに、先延ばしって・・・って見解。ただ流石に大家さんなのは、・・と言うのに、

かっちゃんは、まだやる気を残していて、それでも終われる判断をしているんでしょ?って・・・俺なら今の時点で断るけれど・・・って。そうね、ただそれでも決まれば待った無しなのが建築。

それじゃ余裕は作るしか無い・・・だからこの判断になった。何しろどっちも建築の話だから・・・急ぎになるんだろうしね。出来るうちはやれる。しかし、きっと出来なくなる・・・

だから、今出来るのなら、その日が来るまでの間なんだから、出来るだけの時間は費やす。ただそれだけであって、己であって己で無し、人であって人でなし・・・なのね。

つまづいて転んでたら、置いてかれんだ・・・とスキマスイッチの全力少年で言っている。置いて行かれる・・・と老いて枯れるって意味だろうし、水戸黄門の歌のラストでは、何かを求めて

生きようよ・・・とあるが、意気揚々とも思える。捉え方1つで意味が変わるし・・・どう解釈するも、受け手側の問題であって、問題定義だけは、作り手サイドの権利なのね。


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