今日は中学生と久しぶりのさくら教室。ではまず中学生。この子は中1で5人目の最後に来たのね。お母さんから念入りに賞狙いとかじゃ無くて・・・って言われたのね。ただ、どの子も中1で
取ろうって感じは無いのだけれど、早めの始動だったり、掛ける時間が多く、大体150〜200時間なんてのが普通だったりするから、自ずとそう言うレベルになっちゃったりするのね。
それが連続受賞なんて事になると、今度は欲も出て欲しくなる・・・って事になり、2つ取ると当然ね・・って話だけれど、彼の場合は、時間的にも難しいし、目標は50時間位が目安になるのね。
そうなると、いかに自分のやりたいモチーフが、それ相応のモザイクになるか?って事になるのね。それで最初はアトリエで張り、自宅でパーツ切りって感じにして、まず切る事に慣れる。
それで大体次に来るまでに何時間やったか?で、量と質を見て宿題を増やしたりもする。そんな繰り返しをして、いよいよ自宅でも張って貰う・・・そんな日だったのね。ここからは今までとは、
違って、いくらか厳しくもなるのね。そんな中、今日もパーツを切って来たんだけれど、前回のパーツと言い、今回も楽しい・・・って質では無く、とても素晴らしい仕上がりだったのね。
ただそのパーツをアトリエで張った・・・俺がいて・・・の話。それを次回から独りで張る・・・となると、いかに独りで質を落とさずにキープ出来るか?なのね。これが職人の話となると・・・
職人の見習い中は、小僧(こぞう)って呼ぶんだけれど、字はこれかなぁ?それは3年間修行している間に使われるのね。まっ千と千尋の時の、お前の名前はセンだ・・・ってあれね。
芸能人なら鞄持ちだったり、付き人なんてあの人達みたいなもん。その間に、職人から、あぁするこぅする・・・と指示されて、最初は道具の名前や使い方、そして雑用みたいな事をするのね。
ただ、生意気な連中だから、俺もコテ持ってタイル張りたい・・・って、思うわけよ。勿論、俺も小学生から親父の手伝いしていたから、タイル屋ってどんな事をするか?や道具の名前くらいは、
何も困らないし、どんな工程かも知っていたのね。つまり生意気度が半端無いんだろうね。相手にしてはね・・・ただ、逆に言えば便利なはずなんだけれどね。ただそれがムカつく人もいるのね。
タイル屋のせがれなんだから、そんなの出来るだろっ・・・って感じな人もいたし、逆にそんなやり方教えてない・・・なんて言う人もいたり、勿論、中には優しい人もわずかにいたけれどね。
そんな中で3年揉まれると、郷に入っては郷に従う・・・まぁ水に馴染むって言うと、仲間の群れとして認められて来る・・・そうすると、教えて貰える事が増えて行く・・・世の中の仕組み。
長くなっちゃったなぁ・・・元に戻って、こんな時間は習得して仕事にするって流れであり、関係性を作るやり方になる。当然付いて来れずに辞める奴を何人も見たのね。でも俺は先生であり、
しかもこの作品だけの付き合いかも知れないんだけれど、ずっと続くかも知れないし、普通の人達と違って趣味でも無いし、純粋なお教室では無くて、労作展対策って事だから、制作日誌や時間、
クラブ活動やら、色んな配慮が必要なのね。そうすると、さっきの職人と小僧の関係のような3年をコンパクトに築かないとならないし、でもそんな重みは要らないし、時間を掛けるなら、掛けた
ように見えないと報われないし、でも短くても最善な仕上がりにしないとならないだろうし、それを短い時間で信頼関係を作り、独りでやる勇気も付けないとならないし、勇気ややる気だけで、
質が向上する訳でも無いのね。要するに独りでやっていても、不安にならないように、まるでそこに俺がいるような・・・困る前に使える事を、キーワードで俺を頭の中に存在を残すのね。
勿論、残せれば残れば、役に立つし、質も落とさずに済む。しかしながら、面倒だな・・・あの先生ぃぃとか、やっぱ自分の家は快適だなぁ・・・って、アトリエよりもご満悦って感じだと、
無意識に楽を選ぶものなのね。そう言う人は、家に帰った瞬間、俺を絶縁するから、タイルは切れても、何をどうするんだっけ?ってな事になるのね。そりゃお小言のような呪文を忘れたか?
聞いていないからなのね。タイルに何にも関係無い、詰まらない世間話って認識だから。でもこれが、かなり浸透していると、詰まらない世間話の中にとてもインパクトのあるワードが入っている
から、あっ・・・そう言ってたって、困った時に思い出すのね。そもそもありきたりな説明なんてもんで頭に残るなら、みんな学校の授業で出来るようになるはずなのね。あははは。
出来る訳無いじゃん。だって押し付けられたように、ハンで押したように、同じ言葉で理解しないとならないのだから。だから洗脳しないとならないのね・・・このワードで脳に残るように・・・
ってね。それがサッカーかも知れないし、料理かも知れない。野球かも知れないし、オリンピックかも知れないし、漫画かも知れない・・・でも、なるほど・・・って感じてくれれば、先生なんて
きっかけに過ぎないのね。しかも動作、行動なんて目に見えるものは、反復練習でそこそこ上手くなる。つまり小僧も3年間毎日やり続ければ、技術はそこそこ身に付くのね。ただ、ただなのね。
それはそこに職人がいるからなのね。保険であり安心だからなのね。間違っても聞けるから。でもね、その安心が質を落とさない心の支えなのね。でも必ず、トラブルが起こるものなのね。
現場は生き物だから、常に一定じゃ無いのね。何が起こるか判らないのね。つまり予定調和なら、何処でやっても同じなのね。でもね、サッカーするのに何処でも一緒なら、ホームとアウエィって
言わないでしょ?つまり全く違うのね。それをアトリエがホームと思う人なら、自宅はアウエィになるから、味方がいない・・・と思うだろうし、こうるさい、訳の判らない音楽に、むさ苦しい
アトリエに、お小言な俺みたいな三重苦の中・・・みたいに思っていたのなら、何と快適な自宅って思うだろうから、のびのび出来るのね。無意識にね。ではこの差は?となると、自宅で俺が出て
来る人は、アトリエと同じだけ進み、質は落ちないのね。だって俺がいようがいまいが、そこにいるのだから。でものびのびした人は、一切俺が出て来ない。だから悩んだ時に俺はいない・・・
しかも、先に進みたいから、まっ良いか・・・って進める。当然質は落ちる。質を落とすとやる気が出ない・・・だからやればやるほど結果が悪くなる。でも仮に短い間隔で予約が入っていれば、
リカバリーは少なくて済むけれど、時間が開けば、容赦無く進めば、失敗は多くなるし、立ち止まれば、何も出来ない時間と焦りが生まれる。8月中旬って言うのはそんな時期。
ただこの子中々やるのね。期待値が高い。心配は質じゃなくこだわり。楽々進める子じゃ無さそうだから・・・そっちが心配なのね。まっ、ただ可愛い子には旅させないと・・・次回次第。
そんなこんなでさくら教室。って言うより安否確認。セラスタが久しぶりの大事な一手になるのは、充分判った上での予約だろうから、一応事情説明。勿論、ブログで読み取っているだろうから、
大体想像は付いているだろうし、そうなった時の心の準備は、ビビリながらも判っているだろうし・・・こっちも合っていなかった時間を更新すれば、今のさくらって状況が新しくなる。
さっきの話と同じなのね。人は根本的には変わらないのね。つまりその性格の元で、日常が変化して行く。しかも家族分。倍の倍更に倍とね。そこに女性の場合、母性なんてもんがあって、
人の為に自分の時間を費やす・・・なんてものが働くと、それを出来る人は、失うと物足りなくなるだろうし、我が道を行く人なら、自分の時間を持て余すような事は起きないはずなのね。
たださくらの場合、子供がまだ学生さんだから、大きな心配はお金になる。そこが心配無いとすれば、次は、次は・・・と心配事ってのは、次々にあって・・・勿論、その分に見合っていないが、
人が増えれば、その分の楽しさが増えたりもする。ただ普通はそれを色んな形で乗り切ったり、乗り切れなくなったり・・・になるんだけれど、常に例外ってものはあって・・・。
その例外になろうとしている俺は、今までは渦巻きくらいの表現で済んだから、巻き込まれても何にも無かったと思うのね。ただ渦巻きが竜巻になったり、観測史上最大級って言う予報があったり
しても、来ない事もあるが、きっとさくらも同じ認識なら、そんな予報を奴もしているのだろう。
そして後少し。
取ろうって感じは無いのだけれど、早めの始動だったり、掛ける時間が多く、大体150〜200時間なんてのが普通だったりするから、自ずとそう言うレベルになっちゃったりするのね。
それが連続受賞なんて事になると、今度は欲も出て欲しくなる・・・って事になり、2つ取ると当然ね・・って話だけれど、彼の場合は、時間的にも難しいし、目標は50時間位が目安になるのね。
そうなると、いかに自分のやりたいモチーフが、それ相応のモザイクになるか?って事になるのね。それで最初はアトリエで張り、自宅でパーツ切りって感じにして、まず切る事に慣れる。
それで大体次に来るまでに何時間やったか?で、量と質を見て宿題を増やしたりもする。そんな繰り返しをして、いよいよ自宅でも張って貰う・・・そんな日だったのね。ここからは今までとは、
違って、いくらか厳しくもなるのね。そんな中、今日もパーツを切って来たんだけれど、前回のパーツと言い、今回も楽しい・・・って質では無く、とても素晴らしい仕上がりだったのね。
ただそのパーツをアトリエで張った・・・俺がいて・・・の話。それを次回から独りで張る・・・となると、いかに独りで質を落とさずにキープ出来るか?なのね。これが職人の話となると・・・
職人の見習い中は、小僧(こぞう)って呼ぶんだけれど、字はこれかなぁ?それは3年間修行している間に使われるのね。まっ千と千尋の時の、お前の名前はセンだ・・・ってあれね。
芸能人なら鞄持ちだったり、付き人なんてあの人達みたいなもん。その間に、職人から、あぁするこぅする・・・と指示されて、最初は道具の名前や使い方、そして雑用みたいな事をするのね。
ただ、生意気な連中だから、俺もコテ持ってタイル張りたい・・・って、思うわけよ。勿論、俺も小学生から親父の手伝いしていたから、タイル屋ってどんな事をするか?や道具の名前くらいは、
何も困らないし、どんな工程かも知っていたのね。つまり生意気度が半端無いんだろうね。相手にしてはね・・・ただ、逆に言えば便利なはずなんだけれどね。ただそれがムカつく人もいるのね。
タイル屋のせがれなんだから、そんなの出来るだろっ・・・って感じな人もいたし、逆にそんなやり方教えてない・・・なんて言う人もいたり、勿論、中には優しい人もわずかにいたけれどね。
そんな中で3年揉まれると、郷に入っては郷に従う・・・まぁ水に馴染むって言うと、仲間の群れとして認められて来る・・・そうすると、教えて貰える事が増えて行く・・・世の中の仕組み。
長くなっちゃったなぁ・・・元に戻って、こんな時間は習得して仕事にするって流れであり、関係性を作るやり方になる。当然付いて来れずに辞める奴を何人も見たのね。でも俺は先生であり、
しかもこの作品だけの付き合いかも知れないんだけれど、ずっと続くかも知れないし、普通の人達と違って趣味でも無いし、純粋なお教室では無くて、労作展対策って事だから、制作日誌や時間、
クラブ活動やら、色んな配慮が必要なのね。そうすると、さっきの職人と小僧の関係のような3年をコンパクトに築かないとならないし、でもそんな重みは要らないし、時間を掛けるなら、掛けた
ように見えないと報われないし、でも短くても最善な仕上がりにしないとならないだろうし、それを短い時間で信頼関係を作り、独りでやる勇気も付けないとならないし、勇気ややる気だけで、
質が向上する訳でも無いのね。要するに独りでやっていても、不安にならないように、まるでそこに俺がいるような・・・困る前に使える事を、キーワードで俺を頭の中に存在を残すのね。
勿論、残せれば残れば、役に立つし、質も落とさずに済む。しかしながら、面倒だな・・・あの先生ぃぃとか、やっぱ自分の家は快適だなぁ・・・って、アトリエよりもご満悦って感じだと、
無意識に楽を選ぶものなのね。そう言う人は、家に帰った瞬間、俺を絶縁するから、タイルは切れても、何をどうするんだっけ?ってな事になるのね。そりゃお小言のような呪文を忘れたか?
聞いていないからなのね。タイルに何にも関係無い、詰まらない世間話って認識だから。でもこれが、かなり浸透していると、詰まらない世間話の中にとてもインパクトのあるワードが入っている
から、あっ・・・そう言ってたって、困った時に思い出すのね。そもそもありきたりな説明なんてもんで頭に残るなら、みんな学校の授業で出来るようになるはずなのね。あははは。
出来る訳無いじゃん。だって押し付けられたように、ハンで押したように、同じ言葉で理解しないとならないのだから。だから洗脳しないとならないのね・・・このワードで脳に残るように・・・
ってね。それがサッカーかも知れないし、料理かも知れない。野球かも知れないし、オリンピックかも知れないし、漫画かも知れない・・・でも、なるほど・・・って感じてくれれば、先生なんて
きっかけに過ぎないのね。しかも動作、行動なんて目に見えるものは、反復練習でそこそこ上手くなる。つまり小僧も3年間毎日やり続ければ、技術はそこそこ身に付くのね。ただ、ただなのね。
それはそこに職人がいるからなのね。保険であり安心だからなのね。間違っても聞けるから。でもね、その安心が質を落とさない心の支えなのね。でも必ず、トラブルが起こるものなのね。
現場は生き物だから、常に一定じゃ無いのね。何が起こるか判らないのね。つまり予定調和なら、何処でやっても同じなのね。でもね、サッカーするのに何処でも一緒なら、ホームとアウエィって
言わないでしょ?つまり全く違うのね。それをアトリエがホームと思う人なら、自宅はアウエィになるから、味方がいない・・・と思うだろうし、こうるさい、訳の判らない音楽に、むさ苦しい
アトリエに、お小言な俺みたいな三重苦の中・・・みたいに思っていたのなら、何と快適な自宅って思うだろうから、のびのび出来るのね。無意識にね。ではこの差は?となると、自宅で俺が出て
来る人は、アトリエと同じだけ進み、質は落ちないのね。だって俺がいようがいまいが、そこにいるのだから。でものびのびした人は、一切俺が出て来ない。だから悩んだ時に俺はいない・・・
しかも、先に進みたいから、まっ良いか・・・って進める。当然質は落ちる。質を落とすとやる気が出ない・・・だからやればやるほど結果が悪くなる。でも仮に短い間隔で予約が入っていれば、
リカバリーは少なくて済むけれど、時間が開けば、容赦無く進めば、失敗は多くなるし、立ち止まれば、何も出来ない時間と焦りが生まれる。8月中旬って言うのはそんな時期。
ただこの子中々やるのね。期待値が高い。心配は質じゃなくこだわり。楽々進める子じゃ無さそうだから・・・そっちが心配なのね。まっ、ただ可愛い子には旅させないと・・・次回次第。
そんなこんなでさくら教室。って言うより安否確認。セラスタが久しぶりの大事な一手になるのは、充分判った上での予約だろうから、一応事情説明。勿論、ブログで読み取っているだろうから、
大体想像は付いているだろうし、そうなった時の心の準備は、ビビリながらも判っているだろうし・・・こっちも合っていなかった時間を更新すれば、今のさくらって状況が新しくなる。
さっきの話と同じなのね。人は根本的には変わらないのね。つまりその性格の元で、日常が変化して行く。しかも家族分。倍の倍更に倍とね。そこに女性の場合、母性なんてもんがあって、
人の為に自分の時間を費やす・・・なんてものが働くと、それを出来る人は、失うと物足りなくなるだろうし、我が道を行く人なら、自分の時間を持て余すような事は起きないはずなのね。
たださくらの場合、子供がまだ学生さんだから、大きな心配はお金になる。そこが心配無いとすれば、次は、次は・・・と心配事ってのは、次々にあって・・・勿論、その分に見合っていないが、
人が増えれば、その分の楽しさが増えたりもする。ただ普通はそれを色んな形で乗り切ったり、乗り切れなくなったり・・・になるんだけれど、常に例外ってものはあって・・・。
その例外になろうとしている俺は、今までは渦巻きくらいの表現で済んだから、巻き込まれても何にも無かったと思うのね。ただ渦巻きが竜巻になったり、観測史上最大級って言う予報があったり
しても、来ない事もあるが、きっとさくらも同じ認識なら、そんな予報を奴もしているのだろう。
そして後少し。