katsuまるはだかぁ 芸術家への道

モザイクアート一直線のkatsuの日記

今日は丸々金魚の壁画

2023-10-14 07:52:45 | モザイク作家
今日は丸々金魚の壁画。まぁ良く見て貰わないと何処?なんて思われてしまうかも知れないが、モザイクってこんなもんしか進まないのね。そんな訳で大した話も無いんだけど、今をときめく

YOASOBIのデビュー前のエピソードだったり、いきものががりだったり、何でも良いんだけど、売れて華やかな話はきらびやかで目に付きやすいのね。だって60の俺でも知る事になるのだから。

ただそんな人達も必ず売れていなかった時期はあったりする。勿論、実力が無かったら売れはしない。そこは当たり前なんだけれど、必ずそこから引き上げてくれる人との出会いがあるのね。

まぁ当たり前なんだけれど、例えば今売れている、今安定しているって人や会社は、心配いらないから・・・と思う人達が集まっているのなら、何も変える必要を感じないし、そのまま継続すれば

良いって思う人達の数が多ければ多いほど、それが普通の考え方になる。所が今、このままの状況ではやっていけない・・・とか、もっと上へ・・・って野心や向上心、下剋上を狙う奴らは、

一発逆転を狙っている訳で・・・。ただそっちの人は、ストリートだったりすると、何度も何度もそこで演奏する事で知名度を上げて行く・・・って地味な事を繰り返す一方で、SNSなんて今風の

宣伝の仕方で、自分を上に引き上げてくれる人物と出会うんだけれど、例えば、秋元康さんやつんくさんにアイドルになりたい人が出会うって確率はどの位?なんて考えると、その前に予選的な

ものを通過して、最終段階あたりで出会うとしたら、その間にライバルって言う人達と出会う事になるのね。それが俺の子供の頃にはSNSは無いから、ポプコンやスター誕生的なものに応募して

デビューをする・・・なんて事になると、指1本で歌ってみた、踊ってみた、描いてみたって投稿出来る世の中って言うのは便利になったし、誰にでも権利が発生しやい状況になった。

モザイクも同じで、昔はホームページだったり、リンクを張って・・・とか、勿論、アナログ的にイベント参加なんてのもあったり、肩書きを作るように、元何々なんて言うのを入れたり・・・

それがSNSでみんなが発信するようになって、あの頃よりも色んな人の目に触れるようになったと思うのね。そうね、そうして考えると当初の俺の考え方はかなり普及して来たと思うのね。

俺は20年建築のタイル屋をして、タイルが建築材なら持ち家の無い人には一切必要の無いものになり、発展的な事は無い。しかも新建材は次々に出来る。タイルの需要も少なくなる。

それなら、その持ち家じゃ無い人達にも使って貰うには・・・って発想が、タイルは装飾品であるって考え方になり、建築を辞めたのね。四角いタイルからの脱却って感じに・・・ね。

ただ当初は洋書の写真を見つつやってたから、ドットアートって切らないスタイルが多かったのね。ただそうなるとどうしても、作品が大きくなり、しかも写真では、平面のモザイクが多かった

んで、何か違うもの・・・って考えて、立体にしていたのね。所が立体にすればするほど、作品は大きくなり、借りていたアトリエは畳4枚程度の場所だから、あっという間に手狭になった。

そこでこのままでは置き切れない・・・と思って、作品を小さくするには・・・って切り刻み始めたのね。そんなのがこうなったきっかけ。そうしたモザイクをまた20年続けていると、

先日のつっちーってタイル屋さんだったり、山周セラミックの社長さんがいらした時の反応は、モザイクをやっているつっちーには、凄い・・・と言われ、山周さんには、ウチのタイルだけれど、

こんなに細かくなっては、ウチのタイルじゃ無いみたいで・・・って反応になる。とても判り易い良い反応なのね。つまりモザイクをやっている人は、技術がしっかり判るから、凄いって。

しかも、更に凄いのは、彼の目。俺が37の頃作った龍の立体を見て、今の俺はkatsuさんのここなんでしょ・・・。って。凄い目を持っているし、相手を素直に認める素直さって言うのは、

受け入れる体制がある・・・って言う事だから、益々こちら側にやって来ると思われる人だったりする。そうかと思えば、上手いとは思って貰っているものの、商売としては、成立しそうにない・・

って評価の山周さん。これもとても正直な意見で、俺もそう思うから恐縮した訳で。ただどちらにも凄いだ、上手いだみたいな表現をされたけど、じゃ話半分程度に聞いて、下手とは言われなかった。

ってくらいにして置くと、ではその腕を何処にどう知って貰うか?となると、ついつい人目に触れようと考えてしまうのね。そうすると、普通は・・・ってこの普通はを使おうとしてしまうのね。

それじゃ普通の出会いしか無いのね。だってそこはそこのファンが集まる場所だから。例えばマルシェに出たとする。そうなると机1つに置けるものになる。そもそも普通のモザイクをドットで

見せたとしたら、置き切れない大きさになる。それでは成立しないから、当然小物になる。所が小物を切り刻んでしまったら、当然細かくするのだから、手間が大きく掛かる。それでは小物の価格

にならない。所がランタンのような大きいタイルを切らずにそのまま張ると、大間のマグロみたいなもんだから、誰が捌いても上手いのね。つまり誰が作っても同じように見えるんだけど、

誰が見ても素敵に見えるのね。そもそもの形が素敵だから。そこと比較された場合、値段も見栄えも勝てるはずは無いのね。そもそもマルシェで何万もしていたら、素敵と思われていても、購入

して貰う確率は・・となる。要するに俺は何処向きでも無いのね。変わり過ぎていて・・・ただ、そのイベントが特殊な意味合いだった場合・・・しながわ水族館の深海生物イベントだったり、

久松小の卒業記念だったり、大野荘のお風呂、仙台の保育園、モンゴルの施設・・・明らかに変わった話。つまり変わった事をしたい場所や人と出会わないとならないのだから、言い方は悪いが

変わった事をしたい人探しになる。ただね、これが厄介でね、普通な場所に来ている人の友達が変わっている人なんて場合も、ちょくちょくあるのね。低い確率でね。だから来た話は大体何でも受ける。

ただそれは常に受け身・・・それでは点は入りづらい。それがディフェンダーの考え方だったが、フォワードの考え方・・・攻撃は最大の防御って事もある。そうね、まだ俺の立ち位置が挑戦者で

泥臭くやらなきゃならず、時事ネタ的なら宝塚じゃなく松竹だからなぁ・・・。俺は。まぁそこにも所属はしていないけれど。ただその泥臭いやり方・・・グエルさんもいないし、ただ誰かがやっている事では無く、

誰もやっていない方法・・・俺にしか出来ない事・・・それが俺らしい。それじゃ無いと、タイル屋を辞めてやっている価値が見い出せないしね。色んなものが目に入って来る中、どれが俺らしい

参考例なのか?・・・って考えたりする。さて後2ヶ月ちょい・・・どう爪痕残しの1歩手前の手を打つか・・・人生の変わる1手を打ちたいものである。

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