katsuまるはだかぁ 芸術家への道

モザイクアート一直線のkatsuの日記

今年最後の教室は体験教室

2024-12-31 07:35:30 | 体験教室

今年最後の教室は二人組の体験教室。まぁ和気あいあいな感じに楽しく終わったのね。体験はそれが一番なのね。

ある意味、ウチではとても珍しい事なのかも知れないけれど、楽しいだけで終わって行くスタイルって言うのは、例えばライブとかランドみたいな所に行く

・・・そんなイメージなのね。そうね、もし楽しめない事があるとしたら?席が遠いとか、隣がやかましいとか、前の人の背が高いとかがライブで、ランドなら、混んでいたとか、乗れなかった。

こんな場合ね。これらは全て相手から提供して貰うものだと思うのね。あっ、映画なんかも一緒。これが、野球とか釣り、そして教室となると、ちょっと

ニュアンスが変わるのね。例えば練習せずに結果が最初から出るか?となると、人数がいないから・・・と言われれば、腕に無関係にライトで8番なんて事で、

試合に出られたりする。釣りでも、その季節の旬なもので大量にいる・・・ハゼやキスなんてもんなら、同行しても釣れる確立は高い。これと同等に体験は

誰でも結果がこうして出る。これは最初の一回的なものだからなのね。これを続ける・・・となると、例え草野球だとしても、もしエラーや三振ばかりだと

自分のメンタルが強ければ、それでも続けられるが、何か流石にこれでは・・・となれば、辞めるか続けるにしても、練習しなきゃ・・・となる。

釣りにしても、ベテランでも毎回釣れないようなヒラメだったり、イシダイやシーバスなら、きっとそうは簡単には釣れないし、道具や餌もお手軽では無くなる。

それと同じで体験なら何も要らないです・・・お気楽にどうぞとなるが、続ける・・・となると、一体どうしたい?ってここ。学校みたいに進級した証で、

何年生としたり、免状や免許、何かを獲得するって言うスタイルもあるが、ウチには無い。それがグループ展なんて言うのも無い。無い無い尽くしなのね。

ただ唯一あるとしたら・・・一生残る一点物の作り方。その人の本気の作品って言うのは、得意だったりするし、教えられる。そしてその技術を活かす場所

・・・それがみんなで残す一生ものの作品。こんな理想が俺にはある。そんな腕前を発表する・・・単なるイベントではかなく消えて行くものでは無く、

一生永遠に・・・ただ、こう言うとハードルが高く聞こえたりするものだけど、全てのプロは最初は素人なのね。ただエリートなら最初から目指すのね。

子供の頃から。でもね、じゃエリートはみんな理想になった?なるわけ無いじゃん。だってポッキリ心が折れるんだもん。心技体の心。師がいるって言うのは

そう言うもんなのね。流石に俺はまだまだその域には達していないが、普通にタイル屋をやっていて、弟子を持って育てた・・・その位の人はいっぱいいる。

俺も何十年前にそんな事もあった。でもそれって普通に職人になれたって人の話なのね。でも同じ俺なのに、モザイクのkatsu先生としての生徒さんや弟子は、

何処に出しても、ぶっちぎりに凄い、恐ろしく上手い、こんな事を言われても、有難うございます・・・とは言うものの、それが普通なのね。だって、そう

なるように教えているし、そうなれるように支えているし、そして何より続けてくれるから。だったら結果は後から付いて来るのね。それを途中で辞めたり、

諦めたりすれば、手に入らないのは当たり前なのね。俺はエリートじゃ無いから、エリート先生じゃ無いのね。美大卒じゃ無いからね。ただじゃ無い利点が

ある。誰よりもそうじゃ無い人の気持ちが判るから。だから美大卒じゃ無い人達の気持ちが良く判るし、出来ない人の気持ちや折れる心が理解出来る。

だから技術もさることながら、楽しいが一番では無くて、ちょっと困る、中々困る、凄く困る、最高な難易度、そして・・・って困る事、つまりそれが考える・・・って事になるのね。

いかに自分の気持ちを表現出来るか?であって、習った技術だけで続けられるか?となると、何年が何十年と同じ事の繰り返し、果てしない・・・と向き合えるか?になる。

こんな事は教室に限らず、理解出来れば、それは自分の人生にも役立つ。俺には子供も奥さんもいないが、普通は素人から始まる。もしかしたらペットも

飼った事が無いのに、他人と暮らしたり、子供が出来たりする。全て素人。子育ても素人、他人と暮らすのも素人。もっと言えば、付き合う段階だって素人。

その時にそこに向き合う事になるんだけれど、体験夫婦とか、体験子育てって無いから、いきなり本番からスタートする事になる。勿論、上手く行くはずが無い。きっとね・・・。

ここは無いって言い切らないで置くね。いもしないのに上目線みたいだからね。それが2人目だったりすると、子育て2人目、バツイチ2回目。こうなると

良くも悪くもベテランになる。是正もあるし、慣れもある。もっとより良くなるかも知れないし、そんなの大丈夫・・・なんて手慣れたりするかも知れない。

でもやがて歳を取り、定年を迎え老後みたいな時期に、介護なんてまた体験もしていない事がやって来たりもする。これは子供がいまいが、奥さんがいまいが

全く関係なくやって来る。人生ってのは、あれこれいきなりやって来るからね。だから備えあれば憂いなし・・・って言って、お金を貯めたりするのね。

そう準備。じゃ心は?・・・当然でしょ?無いはず無いもの。でも子供のいる、家族があるって人達は、自分の好きにだけ生きて無かったのね。だから、

自分だけの時間で生きていなかった。だからそれが欠けた時、大きくダメージを受ける事になるし、もう自分だけの時間です・・・って言われてもね。

でもこれがいつものフォワードの性格なのか?ディフェンダーの性格なのか?で、全く変わるのね。フォワードならこれから好きにやる・・・って前向きだが、

これからどうしよう・・・って後ろ向きに不安だらけになる。体験なら楽しめるが、大作は・・・ってなもん。簡単な話ね。だって作品は自分自身なんだから。

こうして子供を育てた夫婦は、時間を取られる、割くって言う事を知っている事になり、でも介護は初めて。子育ての延長な気持ちかも知れないし、今までとは違うものなのかも知れない。

って事になるのと、俺のようにここで携わらないと、俺何して来た?ただ自分の時間だけ生きただけじゃん・・・。って事になると、流石にね・・・。

そうなるといずれにしても、何しろやってもやらなくても、後悔は絶対するなら、やって後悔しとこう・・・って事になるのね。

ただここがちょっと普通じゃ無いのは、欲なのね・・・俺は世界遺産のように残すって事以外、あんまり興味が無いのね・・・だから、自分の時間を簡単に使える。

しかも介護・・・新しい。新鮮。手慣れない。全てがウイルス・・・向き合って練習。必ずみんなここを通るのだから。吸収してワクチン作らないと・・・

先人って先生って・・・失敗して得た事の伝達って考え方の俺と、エリートなら、成功例を伝える考え方。こうした違いだろうね・・・。それと実験。

別に介護を習った訳じゃ無いけれど、自分の考えた事を試して見る・・・どんな反応するか?簡単にはボケさせねーよ・・・簡単には死なせねーよ。ってね。

ボケた人が、昔の記憶は鮮明なのに、今を忘れちゃう仕組み・・・俺は先生だから、何でも試して見たいのね・・・親が俺に教えたのなら、今度は俺が教える番になっただけ・・・。

いずれにしても、考えるってのは、別に創作だけに使わなくても良いのね。生きるって事にも使えるから。目に見える事だけに執着すれば、母のように見えなくなれば、絶望になる。

でもそれを楽しむ事は出来なくても、それを抱えて何とか前向きに生きられる手助けも、俺の役目。トラベラスナースでは、医者は病を見て、看護師は人を

見るって・・・。作家も先生もやるって言うのは、どっちもやるって事。出来るかどうか?は、やらないとね・・・ただそんなもん学校では教わらない。

だから考える知恵を付ける。知識なんて後からでも何とかなる。それが今の俺の考え・・・勿論、人だから変わるかも知れないが。しかしね、毎年この時期は懺悔な気持ちや惨めな気持ちでいっぱいだったのね。

そりゃ、結果の出ない人生を何十年もやりゃ、誰だって挫けるんだけれど、何とか騙し騙しやってても、みんなが休む大型連休は、否が応でも自分と向き合う

事になる。まっ孤独って奴ね。しかも結果が出ないって事は貧しい訳だ。そりゃ切なかろう・・・って話。それをこんな事をのたまっているんだから、変わったもんだ。

もう今年は・・・なんてくだらない事に向き合っている暇は無い。全ては明日の未来の為の捨て石。ブルーロックではスーパーエゴイストを目指せって。

覚醒ってのは、その位しないと・・・。うっせーなっ、良いから俺にボールを回せっ・・・これがフォワードのエゴらしい。そしてそれが作家ってもん。

先生katsuでは無い、作家katsuな部分・・・。何も変わらないのなら、変えられないのなら、自分が変わるしか無い・・・月並みだけど。ただ変わり方。

その人にあった変わり方。ってもんがある。いずれにしても、みんなの成長は先生katsuが出がらしになって行くようなもん。100点先生が削られて行くんだからね。

だからこそ、教えた分を補充しないと、教えられる事が少なくなる。上手くなった人の師であるって言うのは、中々厳しいのね。

しかも、100点先生じゃ無かったら?俺何点の先生で何点削られたの?ってな事になるわけで・・・。おっかねー。ちょ~びびりなのね。

でもそれが作家katsuなら、誰にも負けねーよ・・・例え俺にも。なーんてね。


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ウチの犬の杏さん教室

2024-12-30 02:58:07 | モザイクタイル教室

今日はウチの犬の杏さん教室から。そうね、もうただネモフィラを作るってだけなら、困る事は無い・・・って感じなのね。そうなると、大事になるのは、

これからのバックになるのね。この意味が一番判るのは棟梁なのね。例えば犬は写真があって、それを細部に渡って真似をしてここまで似せた。そして次は

ネモフィラとなり、最初は写真を同じように真似ていたが、段々と繰り返しで慣れると、もう見なくても作れるようになって来たのね。そんなこんなでこれから

バックになるんだけれど、何をどう真似る?・・・って同じ事を繰り返すのか?それとも・・・?ってなった時に、算数が数学になるような難しさと、いきなり

英語なんて日本語しか習って無かったのに・・・では、大きく戸惑うのね。そうした戸惑いの違いはあっても、似たようなもので難しくなるって言うのと、

全く知らなかった・・・って言うのでは意味が違うし、更に言えば、この違いに付いてどう思いますか?って質問は、自分なりの考え方であり、習った日本語

で答えられるのだから、誰にでも答えられるはずなのね。ただ、それがありきたりな誰もが使うような単語と文法では、ある意味全く意味をなさないのね。

例えば、肉だろうが、魚だろうが、ケーキだろうが何を食べても美味しいかまずい、そして普通・・・何かのアンケートか?って事になるし、ここでキチンと

答えられないと、そこに情緒なんて入って来ると、母の料理と奥さんの料理の違いだったり、子供が作ってくれた・・・なんて違いをどんな気持ち?って質問に

なったら、もはや算数は数学になるから、難しくて答えられなくなる。そもそも自己表現に大事なのは、そこそこの腕前って反復で身に付けたら、考える事

になるのね。ただ、ただ漠然と考えても答えは出ないのね。その時に、例えば上の方に空いたスペースがあるから・・・同じ色で・・・って感じに色で答えるって言うのは、誰でも答えられるのね。

それを段々薄くするなんて言うのは、醤油じゃ無くて減塩って言ってるようなもんで、誰でも考えられる事って言うのは、それじゃ比較対象があったら、腕の

良い人にはいくらやっても差は埋まらない。音楽もそうで、楽譜通り弾くって言うのも難しいけれど、出来ないのは未熟だからなのね。だから反復すれば、

ある程度、出来るようになるのね。ただ楽譜通り弾けるからって、曲が作れるとは限らないのね。漫才もそう。上手く台本通りに演じられるからと言っても

台本を書けるとは限らないのね。つまりその人その人の考え方1つで、大きく変わる部分で、それこそが個性になるんだけれど、上手くなったのは技術であり、

想像力、洞察力、観察力って言うクリエーターの力って言うのも、技術なのね。まぁ悪意を持って言えば、秋元康さんが素敵な可愛い歌詞を書けても、

全然本人が可愛い訳じゃ無いのね。じゃ歌っている可愛いアイドルが、可愛い歌詞を書けるか?って言う事になると、そうとは限らないのね。

話を戻して、つまりこの位の腕になったら、もう考える・・・って力が欲しくなるし、情緒なんて事になると、この動かないモザイクをどうやって動いている

ように見せられるか?みたいな感じ・・・この感じって言うのが考える事なのね。そもそももうこの犬はいない・・・だからこのまま終わると素敵な遺影。

それをもっと何か広げられるのか?となった時に・・・こうした考えるって言う事の初歩的な事が、例えば生きるって言う言葉に、楽しく生きるって楽しいを

付けて見たり、素敵に生きるとか、まっとうに生きるとか、全力で生きるとか、何かをプラスした時に大きく違う感じがしないか?って感じられるか?なのね。

たった数文字の違いでニュアンスは大きく変わるのね。例えば、生きるってたった3文字の場合、とてもシンプルで、この場合は、病気を抱えたような人が

最後に放った言葉・・・ってくらいに重みがあるとしたら、楽しく生きるって付けると、そんな人が言うと、残りの人生みたいな気持ちになるし、子供でも

育て終わったような人なら、自分達の余暇みたいな感じになるし、それが老夫婦が寄り添った写真なんて事になれば、何も無くても楽しく感じられるのなら

余分なものは要らなくなり、楽しく生きると言うよりも、楽しく生きたに感じる。そんなニュアンスを感じられれば、生きるは現在進行系だから、今楽しい

ってアイテムを入れ込む事で、過去を振り返った時に、あぁこんな事も合ったなぁ・・・って大体の歳すらも伺えたりもする。それを素敵に生きるって事になると、

例えば楽しい事だけを盛り込む事が素敵か?・・・辛い事は無かったか?みたいな事になると、砂糖を沢山入れると甘いだろうが、塩を入れる事で甘くするって

考え方もあるはず。それをまっとうに生きる・・・みたいになると、若干グレていた者が更生して行く姿だったり、カジュアルな服では無く、フォーマルな服の

ような感じがするだろうし、全力で生きるって言うと、若者っぽく感じるし、言葉の持つ意味合いと、第三者との感じ方の差が少ないと共有が出来るのね。

そうした時に、自分の思い描くものはどれか?って言うのが大事で、それを腕だけに頼ると、真似る事は上手くなっても、オリジナルには程遠いのね。

しかも打撃が良くなればなるほど、守備と比較した時に、同じ人物とは思えない程の差に見えるのね。何事もバランスがあるのね。このやり取りが棟梁は

かなり上達したと思うのね。それを俳句の先生のくじらなら、17文字で情緒を出せるのだから、その能力は凄いのね。しかしながら、モザイクで表現となると、

その力は見劣りする。まぁそう言う事ね。その基礎が良く言うシンプルなんて事になるんだけれど、冒頭の生きると、楽しく生きるでは、楽しくを付けた分

余分な事を入れた分だけ、じゃ何が楽しいの?って言う事を答えないとならなくなるのね。そもそも言葉で言えない事は、自分自身がまとまっていない証拠。

だからご飯を食べてからデザートって感じで、生きるを表現出来たら、楽しくを足す・・・みたいな足し算的考え方がシンプルで、棟梁のように足し算が得意

になったら、次は引き算。本当に必要なものは何か?・・・みたいに、考えるバリエーションって事になるのね。こんな事を普通の日常の会話でやる練習。

そうすると、細かいニュアンスを伝えやすくなるのね・・・お互いに。そんなこんなで杏さんも今年最後隣、明日の体験で今年もおしまいとなったのね。

そんな後は、実家の正月の準備をして・・・プチッと看板。


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プチ掃除と大家さんと現場と・・・

2024-12-28 23:39:48 | モザイク作家

今日は朝からプチっと掃除と片付け・・・明日、明後日と教室が入っていて、流石に何とかしないと・・・って感じだったんで。そんな中、KYタイルさんの

所に行って絵馬を持ってご挨拶。本来、白蛇の作品を頼まれているんだけれど、何しろ今、こんな状況で・・・一体何人お待たせしているんだろうか?・・・

判ってはいるものの、世に出て行くには・・・そんな話である。ただ、普通に依頼されているってお客さんでは無く、材料を頂いたりしているんで・・・

しかも年男だから、何としても白蛇の絵馬くらいは持って行かないと・・・って事でご挨拶をしてアトリエに戻ると、大家さんが現場見に行けるよって。

そんな訳で、南篠崎店を見て貰ったのね。看板の設置についてやら、雨除けの名前を消しつつ、一番安く済む方法って事で・・・アイデアを貰ったのね。

ただそこにもタイルを張る事になる・・・って事だと、また追加かぁ・・・とは言え、この3店舗は俺のターニングポイントの始まりになるだろうし・・・。

仕方無いかぁ・・・って事で、そんな後は、父の野暮用を済ませて・・・最後は看板作成。まっ地味に進んでいる。


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ヘビの絵馬と南篠崎カットTBの看板スタート

2024-12-28 03:16:56 | モザイク作家

今日はまずヘビの絵馬の目地入れと紐付けをして完成させて、昨日の提案の連絡をするとオーナーから電話があって・・・進めて下さいとの事。って事で、

スタートとなったんだけれど、聞かなくてもかなり強行なオープンになるだろう・・・って言うのは、簡単に想像が付いたのね。そうなると、当然リフォームも早々と始まるはず。

ただとは言え、常識で言うなら、恐らく年明け七草までは職人は動かない。つまりその前に看板だけは間に合わせないとならない。だからもういちいち反応

を待っている時間は無いのね。それを打ち合わせをして好みを聞いて・・・なんてしていたら、今度は外装の吹付けなど始まってしまったら?もはや看板無し

でのスタートになる。そもそもクルクル看板だけで始めようとしていたのだから、何も無しよりはマシだろうし・・・つまり要するに俺に年末年始なんて

無しって事。まっ予定通りなのね。まぁそうと決まれば、何しろ進めるだけなんだけれど、お任せとなれば、先日却下になったロゴは使えるし、こっちの

都合になるから、もう材料を気にする事は無くなる。ただもう材料屋さんは休みになっているはず・・・だから手持ちの材料だけで何とかする事になる。

それをもし好みとするのなら、先日が最終の注文だったのね・・・だから全ては予定通り。それでは改めて説明すると、

この店舗の雨除けの上に看板が付き、このシャッターの中の壁にピエロの看板が付く。この時に歩行者には上の看板は反対側に行かないと見えない。

しかしここはバス通り。つまりバスからは今度は下のピエロの看板は見えない。つまりどちらにも看板は必要になる。だから元の店舗の主人はこの雨除け

に店舗名を入れたと思うのね。ただこれは何屋であるか?って話で、寒いからコート、食べるから箸、拭くからタオル・・・こんな感じね。つまり最低限。

それをお洒落なコートとか、可愛いコートって言うと、見栄えが変わるし、汗が熱を持ち吸収され保温なんて事になると、機能性が重視されたり・・・。

それを俺がやる・・・って事になると、いかに人と違うか?となると、ペットを犬、猫、鳥・・・って言う常識から逸脱して、オオアリクイ、ペリカン、カモノハシ・・・

こんな風になるのね。それをギリギリ何処まで大丈夫?・・・その時に、オーナーの趣味趣向が、ピエロだった・・・じゃそれで。そこが決まれば、一体何が

好みか?探しからしなくて良い分、時間短縮になる。話は戻って、要するに安いって値段で来るのなら、クルクルポールと値段の表示さえあれば、店名すら

要らないだろうね。しかし、興味が湧くとか、何ここ・・・って言う目立つとか、評判とか、噂、口コミって言う場合、理解しづらい方が話の種になる。

例えば、あそこに1000円カットの店が出来た・・・へぇー。おしまい。って言うのと、何あのピエロ・・・これは近寄って見たくなる。もし子供でもいたら

露天の綿あめチックにね。もしかすると、一度は入って見たくなるかも知れないし、1000円なら・・・つまり看板の威力もあった事になる。もっと言えば、

一度入って、写真撮っても良いですか?なんて言われれば、他の人に話すきっかけにもなる。そうなると、1000円カットの店がある・・・とは意味が違う。

ここまでは俺が手掛けるのなら普通。問題は雨除けで見えなくなる・・・バスに乗っている人達。例えば一体もし見えていたとしたら?何個先のバス停から

来て貰えるのだろうか?・・・なのね。でも仮にピエロが見えていたとしたら?そこに来るのは、恐らく子供のいるお母さんや、子供が興味を持ってしまった、

お母さんだったりすると思うのね。これでは限定される。それをバスから見える看板はちょっとお洒落に見えたとして、バスの速度で通りすがったとして、

毎日眺めたら、あれ何だろう?・・・って思う人は、通勤や通学の女の人になる。つまり本来興味が無かった人達の興味を沸かせられたとしたら?一体、

何個先のバス停なら寄って見たくなる・・・って話。それを自転車で、何かのついでに見てみたい・・・って確認させられたとしたら?十分に宣伝になった。

何故なら、そっちの看板はお洒落に見えたのに、来て見たらピエロ・・・何ここ・・・これで十分なのね。仮に来なくても、お母さんじゃ無い人が知った事に

なるのだから。それをもし家族に話したとしたら?・・・お母さんじゃ無い人に知って貰った事になる。まっ簡単に言えば、かつホイホイみたいに、寄せるって

言うのが俺の仕事。ただこの場合、男の人向けでは無くなるんだけれど、ピエロって題材は俺の選択では無いし、もっと言えば1000円であるって表示で、

そこは大丈夫だと思うのね。そんな中、注文していた高圧洗浄機が来たのね。流石に3つも続けてリフォームとなると、必要だし・・・もっと言えば、蛇口が

ある場所ならセット出来るが、買ったのはバケツから吸い上げる事が出来るタイプのものなんで、普通に水が汲めれば、店舗に大きく迷惑は掛からない。

そんな理由から。そんな後、妹と合流して両親の用事・・・それを済ませて、またアトリエに戻り、看板開始。

どうしても縁取りだけは終わらせたかったのね。ここをやればぶつけたり、引っ掛けたりする事が無くなるから、安心出来るけど、中途半端になると、一晩

乾かせるのと、二晩にまたぐのでは、ぶつける確立が上がっちゃうからね。そこは無理しても・・・。そんなこんなでいつも通り年末年始は無くなった。

 


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カットTB京葉店の下絵とヘビの絵馬・・・

2024-12-26 23:07:56 | モザイク作家

今日はまずカットTBの京葉店の下絵を描いた後、画像を送って反応を伺うと、返って来たのが、自宅のピエロに統一して下さい・・・だったのね。

ただそれはあのサイズで良い感じになったもので、しかもあそこは四角かったけれど、何しろ自由なスペースじゃ無いし、その場所その場所に意味がある・・

京葉店は上にそこそこの幅はあるものの、左右のバランスが悪く、南篠崎店は看板が無いし、京葉店に雰囲気は似ているものの、何しろ小さいのね。

そして大杉店は自宅に似ていて四角いスペースで広いんだけど、予算的にそこまでは出来ないんで、ピエロだけでバックは作れない・・・って色々あって、

そんな中、南篠崎店の話が二転三転して・・・雨除けが付いているんだけれど、それを利用しようとすると、そこに名前が入っていて・・・。

それごと外すって事だったので、足場が要らない付近の話だったのね。その場合は、通行人に向けて・・・設定だったのね。所が雨除けを取らないって事に

したらしく、そうなると通行人には見えても、バスのような高めの車では、全く隠れて見えなくなるのね・・・そこであれこれと話した結果、上の方に

デザインを縮小して付ける事で終わったものの、その後、かぐやと相談の中、無理しても上に看板、下には予定通りに・・・って言うのが、結論となり、

900x400mmくらいだったかな・・・この程度でも作った方が良いって事で、明日また画像を送る為に、こんな感じ・・・って雰囲気を伝える為のもの。

ここにもコンセプト的なものがあって、例えば下のピエロの看板は、通行人目線でアピールするのだけれど、そもそも1000円カットであるって事で来るお客

さんは、リーズナブルだから・・・って理由なのね。だから値段の安さでの口コミとなるんだけれど、来た人はピエロがあろうが無かろうが値段なのね。

所がたまたま見つけたピエロな店って事になると、1000円なら子供でも連れて来ようかな?ってな感じで、インスタのネタとでも画像に収めるかも知れない。

ただこの辺までは普通な話で、この上の看板は完全にバスの乗客狙いなのね。例えば偶然見たとする。でもそこで降りない限り、もっと先のバス停って事に

なるのね。それでもし気になったら・・・って事を、ピエロだと自分には関係ない・・・って場合、気にもとめないがもし、多少お洒落に感じてくれたら?

ちょっと覗いて見ようかな?って・・・思ってくれたりして、わざわざひとバス停以上離れている所から来たとする。でもお洒落な看板と思ったのに、何だぁ

1000円カットかぁ・・・って仮に下のピエロでギャップを感じてくれても、確認して認識をされた時点で口コミへ一歩近づくのね。つまり話の種にして

くれるような話題性はある。本来ならそうした上下の看板と壁画で寄せたとして、中もモザイクだらけだとしたら・・・そりゃ一回は1000円払って見たい

・・・って思う人はいると思うし・・・いずれにしても、厳しくはなるが、大きな展開のきっかけにはなると踏んでいるのね。そんなこんな後に、ヘビの絵馬。

ちょっと数か所持って行かないと・・・って場所があって・・・。急きょ

鏡餅かと思いきや、実は白蛇の上にみかん・・・ってちょっとクスッって狙い。まずまずな感じになったと思うんだけど・・・。


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さくら教室と1000円理容店のカットTBの店舗の下絵

2024-12-26 07:14:30 | モザイクタイル教室

今日は午後からさくら教室・・・って事で、それまで昨日の1000円カットの理容店、カットTBの下絵の是正から。まぁテーマが、南篠崎店以外は、看板では

無くて、壁画の方向で、しかも他の店舗は理容店である・・・って根付いているって事で、理容店色を全面に出す事すら考えなくて良いって事・・・。

それと、店舗事に特徴やスペースが違うんで、そこも考慮に入れないとならず・・・ピエロの壁画の時とは違って、大きな四角のスペースでは無く、

トリッキーな形であったり、歩行者の目線なのか?車の目線なのか?場所に寄って大きく違ったりして・・・。そんな事も踏まえて1つ目は大杉店から。

ここは幹線道路の環七って所を曲がった通りなんだけれど、正面にスカイツリーが見えて開けた通りで、多分職人さんがホームセンターに行く時に通るとか、

その先に学校もあったりはするのね。そんな事も考慮に入れて、割と低めの高さに設定して・・・それとここは入口右側に大きなスペースがあるんだけれど

・・・流石に他の2店舗が全面となると、予算的にも厳しいんで、ここは抑えめにバック無しの予定で、ピエロのみのデザイン。お次は南篠崎店。

ここは一番トリッキーなスペースで、昔からのバス通り。しかも看板が無い新店舗なんで唯一看板の文字入り。ただ他の店舗と比較すると、一番狭い場所。

って事で、アピール的にも全面って事にしたのね。そして最後は京葉店。今の所、悩んでいる最中で・・・2パターン。1つは

顔面アップで呼び込み・・・ここは京葉道路って都心に向かう広い道路で、片側2車線なんだけれど、真ん中に柵があって反対車線からは上しか見えないのね。

だから上にインパクトを持たせる為のデザインで・・・ただ呼び込みの手を本来は逆の左にして、ハサミを逆にして右利きにしたいのだけど、スペースの関係

で、こうするしか無かったのね。それともう1つが、

南篠崎パターンで、左の大きい部分に寄せた感じね。これはまだ検討中。そんなこんなでさくら教室。

まぁバックのひし形を地味ぃぃに進めていたのね。って言うか、さくらは弟子なんで最後にご挨拶って事と、お飾りを持って来てくれたのね。毎年有難う。

って話なんだけれど、さくらとも、この店舗の壁画の話をしたんだけれど、何しろ今度の場合、一般家庭では無く店舗。人を集める場所であり、俺には珍しい

幹線道路のような人目に付く場所である事。その場合、店舗を利用していない人にも見られるし、噂にもなりやすい。しかも張り始めるとネット張りなんで

一夜にして張り上がる・・・インパクトとしてもかなりのアピールになる。そりゃこんなもんが、いきなり出て来たら、目にしない人は、いきなりゾウが

表れても目が行かないようなもんで、見たくなくても目が行くのね。それが地元に3つも出来るのだから、そりゃおったまげ〜ってな話なのね。こんな店舗は

何処にも無いからね・・・そうね、かのナイチンゲールは・・・って始まる、トラベルナース的に言えば、かのガウディさんも最初はカーサ何がしって、

最初は賃貸物件から始まったらしいのね。それはパトロンのグエルさんのお力沿いであって、多分だけど・・・あのさぁ、ウチにガウディってのがいるんだけど、お宅のリフォームやらせてくんない?

って、グエルさんの力で営業したんだろうね。すると、そんな金無いけど、リフォーム代で良いのなら、やれば・・・ってな感じ。しかもゴシック様式の中に

あの奇妙な建物になるのだから、そりゃ一気に評判になる。しかもオーナーは自分が住む訳じゃ無いし、部屋が満室なら何も問題が無い・・・。

それが満室になれば、噂を聞き付け評判になる。だってそんな変わったものガウディにしか出来ないのだから・・・まぁ当たり前の話。つまり要約、その路線に当てはまる仕事が来た・・・そんな話。

さて果たしてそうなるのでしょうか?俺・・・あははは。ただやっぱBTSみたいに最初は何だありゃ・・・って、小馬鹿にされるくらいじゃ無いとね・・・。

恐らく最初は、これを見た一般の人が馴染みの工務店に相談に行くんだろうね・・・そしてそこで、そんなのは・・・って否定されるはず。ただその中に

ネットで探し当てる人もいたりして・・・つまり俺の仕事は既存のルートでは無くて、裏街道なんで必殺仕事人みたいなスタートになるはずなのね。

知る人ぞ知る・・・ってね。ただ何事も最初になるってのは、何をどうって言う相場とかが判らないと・・・って言い出すのね。ただそれって普通は?って話。

何処にも無いって言うのが、オーダーメイドなのね。注文されてのスタートだから、1点ものなのね。しかも価値なんか認められたら当然適正価格なんてもんが設定されるのだから、今より遥かに高く貰えるようになる。

何でもそうなのに、株だって見知らぬ株なら、大した額じゃ無いし、無名選手ならその辺にいくらでも転がっているのね。ただ人気が出れば破格な金額なんて、何処の世界にでもあるのね。

そもそも江戸川区なんて、俺の親父が買った頃は、陸の孤島とか、それ何処とか、最寄りの小岩駅までバスに乗っても1時間近く掛かったような場所だから、

その当時の親父には大変でも、恐ろしく安かっただろうね・・・。ただ今じゃそんなに安く無いし。だから俺もいつまでも下積みしている訳には行かないんで・・・いつまでも駆け出しや、修行、下積みをしている場合じゃ無いのね。

グエル公園までの道のりに、そんなに掛かったら死んじゃうからね。みんなで世界遺産作ろうって思ってるんだからね・・・その前に俺が少しでも知名度を

上げて、そのきっかけになるナウシカの仕事をしないとね・・・ただ巨匠までの道のりの仕事が手に入った・・・と思ってね。これを見てまた馬鹿にしたり、

そんなの無理だし、61歳にもなって夢見て・・・まともに仕事しろとか、良いよなぁ好きな事やって・・・って。好き放題言われたけれど、いよいよそれとも

お別れ出来るきっかけの仕事を頂いたのね。しかし、そんな事を言った人達なんてなーんもしてくれないから。それと逆に心配して老婆心。ものの取りよう

だったりもするのね。日本語って難しいし、でも面白いのね・・・

信じる者は救われるって言うし、触らぬ神に祟りなし。一石二鳥に二兎追う者は一兎も得ず・・・必ず肯定文と否定文があるのね。どっちが正解?・・・

さっ、俺の株は俺がアップさせないとならないし、今の底値の株、一体何処まで上げられるか?・・・俺も俺が楽しみなのね・・・。折角、来年に向けて、

色んな話が来ているのだから、そこへもまた上乗せ出来る肩書き実績を作らないとね・・・・学歴が無い分、これが出来るって証拠が一番判りやすいから。


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カットTBの打ち合わせ・・・

2024-12-24 22:13:46 | モザイク作家

今日は両親の病院だの野暮用の中、ピエロの壁画のオーナーさんの新店舗のカットTBって言う1000円カットの理容店の打ち合わせ・・・。

先日よりもTBの文字を大きめにして・・・そんなこんなで持って行くと、反応が良く無い・・・そうかぁ、そうだったのね。もう理由は簡単で言葉を選ばず

だったら・・・目立てば良いだけで、看板が欲しい訳じゃ無い・・・つまり作家katsuの好きに・・・って言われているようなもんだったって話。

かぐやも聞いてて、だから最初からそうじゃ無いか・・・って言ってたじゃ無いですか?って言ってたけれど、それはフォワード的考え方だから、そりゃ当たればナイスゴールになる。

ただそれは当たらなかった時は、単なる押し付けになる。しかもある意味強引過ぎる押し付けであり、もっと言えば、信用されているからお任せになる。

つまりそれを却下にするって言うのは、完成度が高ければ高いほど難しくなる。けれど看板であれば、大きく外している事にはならない。何故ならここは

新店舗であり、まだ看板が無い。当然誰かしらに頼む事になるのだから、看板代が浮く事になるはず・・・ただこの丸は既に看板がある店なのね。ただ、

文字しか描いていないのだから、大きく手間を掛けた訳では無いし、それでこうしてオーナーの考えを引き出せたのだから、差し違えする手間としては、

そこまで時間は掛かっていないんで、まぁ何より・・・って所だし、更に言えばピエロ・・・ってお題も頂いたし、それならこっちもそれだけで十分アイデアは

浮かんだし・・・とは言え、今度は好きにやれるとなると、何も規制が無くなっちゃった・・・って事になると、もう自分でも止められない暴走するよなぁ

って感じがするし、とは言えそんな作品を見て見たいような気持ちもあるし・・ただね、やり過ぎると生活出来なくなっちゃうし・・・。果さて。

そんな中、かぐやの営業が功を奏して・・・とある水族館さんとお話が出来る事になったのね。また新しい事が出来るかも・・・これもまた新鮮なのね。

しかしこうして来年の仕事が決まって来ると、鬼が笑うって言うが、笑いたきゃ笑えってなもん。


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1000円カットTBの看板

2024-12-24 01:54:33 | 商業モザイク

今日はピエロの壁画の1000円カットのオーナーさんの店舗、カットTBの大杉店の看板の文字から・・・フォントとか大きさ、バランスとか・・・。

まぁこんな感じって所まで来たんで、オーナーさんに見て貰えないかな?と連絡入れると明日なら・・・って事で、一応タイルの注文やらする手配もあるんで、

カタログを引っ張り出して・・・何しろ厄介なのは、まず赤のタイルって言うのがかなり限定されるって事・・・そんなにあれこれって種類が無いのね。

それと白なら簡単でも、その赤に合った青も欲しくなる。これが3つ揃ってくるくるポール色になるのだからね。そんな準備もしたんで、今度は下地・・・

更にカチオンってタイルオンタイルをする為の材料を塗り・・・まぁ大体の準備は終わったんで、見せられる所までは来たのね。まっまずはシンプルで・・・


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親子3代のご近所さんと寅さん教室

2024-12-23 07:08:44 | モザイクタイル教室

今日はまず親子3代のご近所さんから。まぁご存知な人もいるだろうけど、これが小学4年生の作品なんだから、恐ろしいくらい凄いのね。あえて上手いって

言わずに凄いとするのは、例えば慶応の労作展の場合、宿題って言う強制なのね。だからやらなきゃ行けない・・・って事になる。勿論、その強制力があるにせよ、

数百時間をやり切る事はこれも凄いんだけど、まずその子達よりも幼い。これは子供枠の特典がある。10歳で・・・って話だから。その上、習い事として

やっている。そこも例えば、世の中にはピアノだの野球、塾・・・いくらだってそんな子はいるのね。でもモザイクって何人いるんだろうか?きっととても特殊

な分野で中々いないだろうね。勿論体験程度の数時間やった・・・って子は、星の数くらいいるだろうけれどね。でもこれだけの作品を作っている子は?

となると、それは限られる。しかもこれが彼女の遊びな作品。

ハマグリが完成したのね。これで4時間・・・やった事の無い人には、この凄さは伝わらないだろうけれど、習っている人ならこの凄さは簡単に判るのね。

しかも大人であればあるほど判るはず。更にぺきぺきであるとは言え、大人と同じ材料で同じ道具で・・・となると、全てが対等って事になる。

そりゃ益々大人は追い込まれる気持ちになる。しかも月に1回の3時間だけで・・・本来なら飽きちゃった・・・って事になっても不思議じゃ無いのに。

それがここまで続けられる裏付けは、ライバルがお母さんであり、ママである事で一緒にやっている事だと思うのね・・・こんな環境は俺には作れない。

エリートみたいな育て方なのね・・・歌舞伎に近い環境だもの。俺は先生としてそんな珍しい事に携わらせて頂いている訳で・・・まだ道半ばではあるけど

ここまで来た・・・そんな報告。一年の総括って感じにね。そのライバルの

彼女のお婆ちゃん、俺はお母さんと呼んでいるんだけど、最初の頃とは全く違って、そこはクラッシュで・・・とか、そこはなるべく統一で・・・って言う

だけで、ここまで切れるようになっている。そして彼女もお母さんもこれから、髪の毛や腰みのの短冊のパーツを永遠に切り続ける事になるんだけど、

二人共期待出来るようになっているのね。そしてママは・・・

立体で更に1cmタイル・・・ステップアップし始めたのね。もう1cmを切るのだから数ミリのパーツを繰り返さないとならない・・・とても果てしない。

ただその一歩目としては、素晴らしいスタートだと思うのね。経験値は少ない段階で、このグレードの目・・・ほぉーやるぅ・・・って期待大。

正直、老婆心としては難しく無い?大丈夫?って思ったんだけど、全く心配が要らない滑り出しにはお見事です・・・しか無いのね。勿論、この先このままで

行けるかどうか?道中厳しい事もあるけれど、そもそもこのグレードが初日・・・これ以下にならないこの先って考えると、完成に大きく夢がある。

そんな初日に、これ何処に飾ろうかな?って言うから、じゃ江戸川区の区民展にでも出しましょう・・・って言ったのね。何せこれはオリジナル・・・

しかも落ちぶれたとは言え、金魚の町である。しかもモザイク・・・誰一人被る作品は無い。きっとこのままのグレードで終わるのなら・・・そりゃ面白い

展開が待っているはずなのね。にしても、3人が着実に実力を付けているのね。そんな後は、寅さん教室。

そうね、寅さんの場合は、気持ちの立て直しからかな・・・今は。そもそも趣味の場合、気持ちとお金の余裕が無いと、中々成立しないもの。ただ働いているのなら、

月に1回の習い事の金額って、高校生のお小遣いよりも少ないだろうから、そこが厳しいならそもそも論外であるから、そうなるとほぼ気持ちの問題なのね。

勿論、他の趣味へ行くとか、同じ趣味でも先生を変えるとか、色々あると思うのね。でもどちらであっても、お金の問題では無いのね。となると、気持ちって

何?・・・まぁ簡単な話で、例えばカルチャー教室みたいな場所だとする。普通は2時間位。そこで数回で完結するものをやっている・・・こんな感じね。

昔はカルチャー教室って言うのは、ステイタスとして通っている・・・ってだけで、ハイカラさん扱いだったのね。あら素敵ぃぃって感じにね。ただそれも、

多種多様な分野を色々見れるから、あれもこれも手を出す事になり、お手軽感もあって、雨後の筍のように乱立すると、新鮮味を失い、ハイカラでは無く普通

になってしまったのね。しかも棟梁のように器用な人は完全に物足りない。そりゃ当たり前なのね。そもそも体験教室やカルチャー教室は、やって見た・・

って感じの初心者向けであり、出来ない人を作らない弱者救済の為の施設で、学校みたいな場所で、みんな同じものを作るって所なのね。つまり物足りないって

人は、もっと上を目指すから、ネットで先生を探す・・・って事になるのね。ただこうして説明すると、興味の無い人は、そうなんだぁーって感情移入が

出来ないから、もっと判りやすくすると、不動産屋さんとか、楽天みたいに、中間マージンを取る場所って言うのは、自分で探すの面倒でしょ?ここ見て・・

ってサービスが売りなのね。つまりカルチャーも探す手間を省く人の為のもので、比較対象がしやすいって場所なのね。この場合、何か無いかなぁーって、

感じの人には向いているけれど、美術品を探しているなんて時は、向いていないし、もし塾のように、目的意識が高く、目指しているって人向きか?となると、

物足りなさが出るのは当然な話なのね。つまり意識の高さや、ネットの閲覧に長けている人は、ピンポイントで探したり出来るのね。情報は探せばいくらでも出て来る時代だから。

その時にネットの上位にいれば、発見される確立が高く、低ければどんなに素晴らしいものを扱っていようが、見つかる確立は少ないのね。まぁ簡単言えば

誰もが探せない徳川埋蔵金なら、探すのに手間もお金も掛かる。しかしながら、当たれば前代未聞となる。でも単なる小銭なら、自動販売機付近を見て

回れば、高確率で何らかの小銭は落ちていたりするし、江戸川の花火大会の翌日の河原なら、間違い無く落ちていると思うのね。もっと簡単なら、空き缶や段ボールの回収前に回る・・・もはや泥棒だけどね。

あくまで比喩なんだけど、こうした違いって事が判ると、自分が行きたい場所はこんな所・・・って事になるんだけれど、余りに漠然だと何かやりたい・・・

ってな事になるから、探し疲れなんて本末転倒になったりするのね。本気であればあるほどね。所が同じ探していても、今やっている事があって、何か無いかなーなら、

それが余裕となるから、探し疲れる事無く、まっ良いかぁ・・・今日は。ってな具合に先延ばし出来るのね。これが明日食べるお金が無い・・・って言うなら、さっきの比喩のどれ?って話で、選択を間違えると死が待っているのね。

明日のお金が無いのに、徳川埋蔵金探しじゃねぇ・・・。これがプロジェクト・・・ってやるのならテレビ番組になるけどね。いすれにしても、迷った時に

考えるって言うのは手遅れなのね。だって迷っいている時点で余裕なんて無いじゃん。つまり迷う一歩前に用意しないと・・・自分はどんな時に困る傾向にあるか?

みたいに、元気な時に考えて置く。だって元気って余裕があるのだから。なのに大抵の場合、元気100倍オロナミンC的に、元気いっぱい全力で楽しんじゃう。

そしたら燃え尽きちゃうよね・・・だから体力はヘトヘト、お金も使って、楽しみが終わってしまうから、テンションが下がる。下がって気持ち・・・気。

気が滅入っちゃったりしてから、これからどうしよう・・・こんなんで良いアイデア出る?まず無理だろうね。だから元気・・・気が元通りの時は、まともな

状態だから、この時に考えて置く。この時にイケイケドンドンのフォワード的な性格なら、そんなの関係ねぇーって、何も考えずに進んで下さい。

そっちの人は、楽しみ優先だから、心配ご無用で、きっと楽しい、悲しいの大波な人生を繰り返すだろうから、また良い時が来るよ、頑張ってぇーって、

周りの人に励まされれば、そうだねーって乗り切れる。がしかし、くよくよして、卑下して、落ち込み・・・ディフェンダー的な性格の場合、何をしても、

上手く行かない・・・って大抵は、元気じゃ無い時に考えようとするのね。でも、じゃそんな人はどんな時が元気で、どんな事になる?ってな話なのね。

それが傾向と対策の話。そもそも根本的に変えられないと、この先の人生は老いて行くし、待っていても良い事は何も起こらないのね。悪い事は起きるけど。

まぁ簡単な話で、そもそもくよくよする側のディフェンダーは、成功よりも失敗に敏感なのね。例えば営業なんてフォワードは、大抵要らねぇーよって、吐き捨てられる時間が多い。

そこでくよくよしても始まらないから、そんなの関係ねぇーって、次々って進むと、数打ちゃ当たる方式で、挫けない性格なのね。だから成功の確立が高くなる。

所がもしディフェンダーの性格で、くよくよくよくよしていたら、何回目の要らねぇーよで挫けるんだろうか?しかも会社に帰って針のむしろ・・・。

もう終わったな・・・になるのは、目に見えている。逆にそのディフェンダーで、経理・・・つまり他人と会話するでは無く、淡々とこなす仕事だとしたら?

もしかしたら、毎日のコツコツだけなら、得点になるかも知れないが、フォワードだと、一発逆転の考え方だから、今日の失敗を取り返すどころか、大きく

明日の逆転は無く、その失敗を取り戻す事は出来ないだろうし、こんな仕事・・なんて思った瞬間、舐めているからもっと大きな失敗をする・・・。

適材適所なんてそんなもん。つまり自分をキチンと知る事が出来るのなら、今置かれている状況は?環境は?そして心、気は?って簡単に理解は出来る。

ただキチンと確立を上げて客観視出来ないと、過信したり、卑下したりする事で、自己判断を間違えるのね。まぁザックリで言うなら、余裕があれば、

中、長期を考えて、自分投資になるだろうし、余裕が無ければ、今の生活を守るだけになる。ただその投資にしても、人の成功であって、自分に当てはめた時、

正しい選択かどうか?の判断を気・・・元気である気の時に判断するのと、追い込まれてするのでは、もう言うまでも無いのね。まっ今の寅さんの教室は、

こんな話が一番かもね・・・目に見えず、体にも触れずに、心の中を覗き、痛い所に向き合う・・・身の回りの無責任な頑張ってね・・・なんて何の足しにも

ならない事に、気が付いてしまった今、大事なのは自分の改革みたいな話で、透析のように血の入れ替えするつもりじゃ無いと、変えられないし、このまま

老いるにはまだ若過ぎるのね。そのままでは果てしないのね・・・時間が長すぎて。楽しみを求めている人は楽しい場所はいくらでもあるし、いくらでも

ご紹介出来るのね。ただ本当に困っている場合・・・それはきっと俺の出番なのかも・・・って思うのね。そんな場合、楽しいだけじゃ済まないから。

例えば悪意を持って、朝ドラで、栄養士のなりたての小娘が、一流シェフにカロリーが高いと指摘する。やる気を認めて貰って任されると、予算、カロリー、

美味しさはクリアーするも、昼休み内に提供する事の出来ない人が続出。まぁ当たり前なのね・・・趣味じゃ無いんだから、仕事ってのは生きるって事なのね。

その自覚が無いから、一番大事な事が欠けている・・・こんな気持ちでいたら、一体誰がどんな責任を負うのだろうか?食べられなかった人は、空腹で

仕事に行き、本来全部の人に食べて貰えたら、そんな事は無くなり、こっちは収入はアップし、責任者として自分の仲間に支払える・・・。自覚の無さと責任感の無さ・・・

まぁ若いから未熟って言葉で良いだろうが。つまり若く無いのなら、未熟では済まされない・・・この文章だけで、今日のお教室の総括にもなるが。

こちらとしても、お金を頂いている以上、楽しかった・・・って気楽な言葉で済ませられるのは体験だけで、リピーターさんともなると、結果が問われる。

これを寅さんが読んでいたとするのなら・・・何かの足しになるかも知れないけれど・・・お馴染みの、けれどね。けど、即効性があるのは、kameyaさんの

人達だったり、もしかして来年の労作展のお母さんだったり、本気で取り組むイベントや事業だったりする責任者の人なら、遊びでやっている訳じゃ無い。

って気は伝わるかもね・・・でも反面、ちぃーとも楽しそうじゃ無くて、まっぴらごめん・・・って思われるかも知れないけれど・・・けれど、あははは。

そんな後は床屋さんの看板・・・

ありきたりだなぁ・・・って思うのか?これがモザイク看板だよって思うのか?邪道で行くのは京葉店だから・・・王道で行こうかなぁ・・・って感じ。

今の所・・・

 


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今年最後のkameyaさん教室

2024-12-22 03:14:56 | 出張教室

今日は今年最後のkameyaさん教室。まずはラパンさんから。本当に1年も休んでいた・・・って思えないくらい、スイスイと切っているんで、それなら・・・

と、もう少しグレード上げに行こう・・・って事で、ちょっとしたアドバイスとして、良く使う手は、タイルを切るんじゃ無くて、両手を使って花びらを表現

して見て・・・。って言うのがあるのね。そもそも切るって技術の話でしょ?つまりニッパーで切るって技術じゃ無くて、言葉で表現して・・・とか、両手を

使って表現して・・・って言う事なら、棟梁もりょうさんも一緒って事になるのね。平等って事にね。これなら子供でも、全くモザイクをやった事の無い人も

一緒ね。ただそれを聞いた事の無い人は、ポカーンとしちゃうだろうけれどね。でもキチンと根拠はあって、両手で表現して・・・とは、こんな感じかな?

ってダンスでは無いが、両手を使って花ビラに見せようと考える事であって、棟梁の技術を封印させる狙いになる。口で表現となると、手を使えないように

なるから、体を使わせないとなると、表現は俳句のように巧みな言葉を使って相手に想像させるテクニックが必要になるのね。これもまた考える事になる。

つまり両者どちらも考える・・・って事であって、フィーリングやニュアンスなんて前に考える前に、まず観察をしてどうなっているか?の特徴を考える。

その時に花びらはこう・・・って考えたようでも、戸惑いながら、何だか良く判らない・・・ってやると、おっかなびっくりとか、恥ずかしいとか、色んな

思惑の中、やっては見るものの、たどたどしくなる。実はそんな気持ちで切っているって表れなのね。だってそんな気持ちで、切っているって事でしょ?

ただ良い事と悪い事は背中合わせで、ラパンさんは1年のブランクでも切れている・・・ここなのね。普通なら休んでいた分、たどたどしくなっても良いでしょ?

なのに切れるのは何故?そもそも本人も最初は、しばらく振りだから・・・って予防的に警戒さえしている気分だったのにね。つまり平気な理由があるのね。

つまりそもそも休んでいようがいまいが、タイルを切るって事に躊躇が無く、そもそも会得していた事は、ラパンさんの中ではハードルが低かった・・・。

そう言う事になる。つまり例えば、2年生で1年休んでいたとしても、本当は休む前から、3年生の実力だったとしたら、休んでいても変わらないって事になるでしょ?

つまりみんなと一緒の指導をしても、気持ちだけの問題であって、ついて来られる実力がある・・・って事なのね。だから今、アトリエに独りで来たりょうさんに言っているような事を指導する事が可能って事・・・。

それがニッパーを使わずに考える事だったり、良く見て思い込まずに・・・つまりそれが、洞察力、観察力、想像力を使ってから切る習慣付けになるのね。

手慣れをしない・・・って事。ついつい切れる人は、切る技術に頼って、いきなりタイルを切るのね。意識せずに切る。ロボットでも花びらでもタイルを切る

のは一緒・・・ってね。違う違う、ロボットはカクカク、花びらはグネーとか、ヒラヒラとか、最低でも柔らかい・・・って意識が無いと。その時点で、

カクカクさせているのね。根本的にタイルは□で固くて、カクカクしているものを切っただけでは当たり前に、更にカクカクさせているのね。それを意識

出来るようになると、だからそのカクカクを直して・・・これ。直すって言うのは、切ったパーツを整えるとか、くびれさせるとか、バチンって1回で切れる

パーツでは無くて、バがパに変わって、バチン、パチン、パチン、カリカリ・・・って言う、何度かいじらないと、繊細なパーツにはならないもんなのね。

つまり進むって事は、バチンで終わっている可能性があるって事。つまりこの意識を持つ事で、進む事よりも美しさの追求に時間を割く練習になる。

それは進級を意識した指導になるのね。ただ自宅でもやる・・・って言っていたから、ここで進まなくても、家でいくらかやるのなら、質も量も上げられる。

まぁ本当にやるのなら、月に1回が、自宅で復習・・・つまり倍になる事になるのだから、質を上げても量は減らないって事になるのね。期待値は上がるのね。

当然、この指導を一番生々しく聞いているのはりょうさん。

何を言っているのか?が判るだろうし、耳に入れば、もし意識が薄ければ、あっ・・・って思い出すだろうし、もし意識してやっているのなら、判ってます

・・・って進めているだろうし。まぁ子供の頃に、お母さんがハンカチとティッシュ持ったぁ・・・って言われて、判ってるぅ〜ってあんなやり取りになる。

やってます・・・っていちいち言葉にはしなくても、心の中でやり取りが出来るし、もっと言えば棟梁なら、言われてるぅ、言われてるぅって大昔に言われた事

を思い出す事になるのね。つまりそれが初心を忘れずに繋がるのだから、意識はもっと高い事になる。今の棟梁なら、その花びらは風をどっちから受けて、

その花はどんな意味を持つのか?だからこの色なんだ・・・そう見えますか?って高度な質問をして来るだろうし・・・。

ラパンさんが来て、良い意味でピリッとしたスパイシーな時間になったと思うのね。まぁそれも時間が経てば慣れてしまうだろうけれどね。でも良い刺激にはなると思うのね。お陰様でここも中々のツワモノ揃いである。

そんなこんなでアトリエに戻ってからは、ちょっとした野暮用の後は、看板の構想・・・どんな事をしようか?・・・まず何処から様子を見るか?・・・

今が一番悩み所なのね。


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