katsuまるはだかぁ 芸術家への道

モザイクアート一直線のkatsuの日記

弟子のさくらが来て・・・

2025-01-04 01:24:39 | 休み?

今日は午後から弟子のさくらが新年の挨拶に・・・。それまで看板をやって。そんなこんなでさくらと合流して、初詣って事で・・・

亀戸天神へ。まっ昨日の帝釈天は駆け足の参拝と言うより、お土産の草団子の方が大事だった感ありだったから、キチンと・・・って感じがあるでしょ?

ただね、昨日も言った通りに、ここまで自力でやって来て、最後の最後に神頼みで売れたんじゃ最悪な訳よ。だって神様があいつが売れたの俺の力じゃん。

って高い所から言うんでしょ?そんなの嫌なのね。ほらこんなに並んでいるから、今待っている間、弟子のさくらと話を出来るのね・・・。だからさぁ、

俺、何お願いするぅ?・・・昨日駆け足で、家族の健康って言っちゃったし・・・さくらに幸れ・・・って言っとくか?って言うと、自分の分は自分で

・・・って言うし、じゃここにいるみんなが幸せに・・・とでもお願いして、徳でも積むかぁ・・・参ったなぁ、神様に褒められちゃうんじゃないの?俺。

なんて馬鹿話していると、段々近くなって・・・まっ一応、俺以外のお願いをして・・・そんなこんなで順路通りに行くと、お守りやおみくじがあって・・・

さくらがおみくじ引くって言うから、じゃ1つ乗って置くかっ・・・って俺もやったのね。すると大吉って・・・だから、俺は凶でも良いのね。だったら、

自力で巻き返すから。何か徳を積むつもりが、お礼されちゃった感じじゃん。でさくらは?って聞くと、中吉って半端なのね。ただかいてる事が、これって

俺が言っている事ばっかじゃん・・・小難しい節回しで言ってるだけで、俺の言葉の方が判りやすいじゃん・・・しかも中吉って。なんて苦笑いしていると、

今度はリベンジとばかりに、誕生日の占いみたいなのを引くと・・・もはや笑いしか起きないのね。だってそれも毎回言っている事ばっかなのね。お手上げ

状態で言う事無し・・・もはや笑うわ。そりゃそうだろ。だってこの世で俺はお袋とさくらしか見た事無いのね・・・浸け置き洗いしても落ちない頑固って。

高島暦見なくても良かったじゃんてな話。やっぱ弟子を良く見てるんじゃ無いの?・・・俺。すると、今度はたこ焼き買うって言うのね。帰って一緒にって。

ただこれが中々ありそうな話で、たこ焼きにタコが入って無かったのね。まぁさくら踏んだり蹴ったりの巻。それで最後に船橋屋でくず餅買って・・・。

大家さんに渡して、そんなこんなの話をすると、あぁたこ焼きは一個飛ばしは普通だけど・・・って。流石昔やってた事があるのね。そもそも時々しか来ない

場所なんて一個飛ばしは普通で、定期的な所でやっちゃうと、バレたら来てくんないじゃん・・・って。まぁそうだね・・・って話。ただ見せタコが大きく切ってあって・・・。

でもね、今タコはマグロ並に高いのに、そりゃ無理だわ。ただそんな話もこうして笑えればいつか思い出になる。こう言う他愛も無い事が楽しいもんなのね。

まっそんな中、プチッとさくらがモザイクをしてたけど、そりゃおまけみたいなもんだから、ノーカウント。


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親父を連れて田舎へ・・・

2025-01-02 23:30:47 | 休み?

今日は親父を連れて親戚周りから。何しろ親父は自分で完結出来る事は無くなったんで、俺が連れて行かないと、行けなくなった・・・そんな状況。

そんな事もあり、しかも唯一、親父の姉さんが生きている間に会わせてやりたい・・・って思って・・・何故なら去年までいた叔父さんは亡くなった事があれば、その思いは強く・・・。

ただ行けば当然1日掛かり・・・。こんなシチュエーションでは誰でも覚悟はしやすいのね。90歳を越える人達が今後会える確立を考えれば・・・。

そして向こうから来てくれる確立とこっちが行く確立を考えれば、俺が行けなくなったら・・・それが最後になる。だから今回は本人達以上に俺の思いは

大きい。何故なら今年で売れなかった人生とは決別するからである。だからその日が来るまでがタイムリミット・・・何もかもが最後と思っているのね。

全てはモザイクに関わらない事は出来ない・・・そんな覚悟。勿論今までも恐らくそうして来たから、ほぼ葬式の付き合いに等しかった。モザイクを

始めてからはね。ただ急な話だから、お土産なんて用意していない。普通こんな時に、奥さんでもいれば、きっと気の利いたものが準備されるんだろうが、

そうなると一番の必殺技は帝釈天で草団子しか無いのね。何故なら通り道で東京のお土産で、左程お金も掛からない。90歳の人が買ったって事なら、十分の

ものだったりする。手ぶらじゃ無いしね。そこでまず帝釈天に行くのだが、今までなら初詣がてら・・・なんて事もあったが、車で待ってるって言うのね。

あぁそこまで疲れちゃうのかぁ・・・じゃ言ってくるわって事で、独り買いに行くのだけど、ここまで来て草団子だけ買うってのもね・・・だから参拝したのね。

独り・・・でもさ、この期に及んで俺は頼む事が無いのね。俺は自分の手で掴みたいから例え神様にもお願いしたくないのね。だから、みんなご無事で、

お願いします・・・っていつも通り。そんなこんなでまずは父の姉さんがいる野田へ着き裏から覗くと、大きな部屋で独りポツンとテレビを見ていたのね。あぁかつ・・・。

父がとても玄関を回って、きちんと家へ・・・なんて出来るはずも無く、お勝手口からこんにちは・・・ね。当然まずは仏壇に・・・となるが、ここで考える。

今までは独りじゃ無いし、それでも火を付けてお線香をあげても良いものか?危なくは無いのか?近々で付けた者はいるか?匂いを感じたりしたのね。

だけど今回は独りになって初めての正月。判らない時は聞くしか無いから、おばちゃん、付けても大丈夫?あぁ勿論って・・・親父よりも3つ上だけど、

もう何もかも達者でね、どっちが年寄りか判らないのね。そんなこんなで、後は2人で話していれば良い・・・ただ当然、かつはどうなの?ってフリが来る。

ここが一番難しいのね。例えばタイル屋の時に同じ質問なら、忙しいのか?暇なのか?この程度なのね。広がらないのね左程。それがちょっと大きめなのを

やっている・・・とか、誰か知っている名前の会社の仕事とか、有名な人に関わったりした仕事とか、まぁその程度ね。ただ今の俺の場合、持ち時間なのね。

例えば、最近どう?・・・こんな質問をして来る人がいたとする。じゃその人は一体今俺に何分話させるつもりなの?・・・何分で帰るつもりなの?になるのね。

だから持ち時間は数分なら、死なないように綱渡りですよ。これでおしまいにするのね。これでお互い苦笑いで済む。それが久しぶりぃぃ、どうですか?

こんな場合、どう?とどうですか?何も変わらないじゃん・・・って人は、違和感を感じないから、そのままで良いんだけれど、どう?って言うのは、かなり

親しく思われているか?さもなくば相手の方が上と感じているマウント感がある言い方で、どうですか?って言うのは、相手が年上だとしたら、親しき中にも

・・・感があるし、聞こうって礼儀すら感じる丁寧さがある。そんな人には、何分くらいお時間ありますか?って聞く。何故なら誤解されないようにね。

何しろ23年間を何分で話すの?って事になるから・・・この人は一体いつのkatsuで止まっているの?って事になると、更新しないとならず・・・。

だからそこまで知っているのか?を尋ねてから、それから・・・となるのね。ただ今回は、恐らく最後となるだろうし、人が少なくなったり、独りになった事もあるし・・・

この質問にいつものような更新では済まない・・・例え親戚とは言いつつ、こっちも覚悟なセリフで伝えないとならない・・・おばさん、今年からおばさんの知っているかつは辞めるよ・・・。

今までは肩で風切るような生き方の親父を見ていたから、そう言う生き方は嫌だって思って来た。お前は根性が無いって言われて来たし、だから親父が

努力と根性なら、俺はテクニックとセンスで生きるって小6の時から断言してたりした・・・ただ同じタイル屋になってしまってからは、何一つ勝てた気持ちは

無いのね。ただ歯向かったり、あがいたりしただけでね。そんな感じだから、職人ぽくは無いし、タンカも切らないし、言われると引くし・・・って生き方

だから、ある意味舐められたりしていただろうね。ただこれからは、うっせーな、黙ってボール回せや。こう言うストライカーや営業のような精神で・・

引っ込み思案に見えたり、臆病に見えたり、穏やかとか良い人なんてのは、おしまい。血の入れ替えで透析な気分。俺を上っ面で見て来た人や都合良く思っていた人は大きく変わるように見えるのね。

勿論、老婆心と言う名の持ち主のような人もね・・・見守るのでは無く、自分の意見を押し付けるような人にはね・・・別人に見えるかもね。

自分が変わると人が変わる。そのままの自分でいれば、それを好きな人達がそこにいる。でもその人は何故そこにいるの?って、それは自分がその人達に都合が良いからなのね。それでは進歩は無いのね。その群れはお金があろうが、

無かろうが平等に順番に死んで滅びるから。じゃむやみに増やすか?となると、そこには考え方の違う人達も現れる。少数の時は仲良く出来ても、その考え方

が浸透しない。良くある事なのね。今の話は自分が下の存在だった・・・そんな場合ね。今度はあるじ的な存在の場合。父や母、お兄さん、お姉さん、先輩

上司、社長、取引先・・・何でも良い。そう言う人になると、自分を下に置いた時とは状況はガラッと変わるのね。責任の重みが違う。人の上に立つ人って

言うのは、その群れの長になる。その人が素晴らしければ、その群れは守られるが、良くなり過ぎれば妬まれる。仲間同士順位を争えば、本能寺の変も起こる。

田舎侍や素浪人も武士であったとしても、誰も認めていないが、腐っても鯛と言うのなら、そのはずでもね・・・それほどでは無い。こうした話は戦国時代だけで無く、日常にあるのに気が付かないものでね・・・。

気づこうとしないって言うのも、武器ではあるけれどね。こんな事を言うと、何様だお前は・・・なんて言う人もいるし、興味を持って聞いてくれる人も

いる。ただここは俺のブログで、見るも良し、見ないも良しなら、自由に表現すると、昔は楽だったのね。そもそも個性なんて要らなかったから。

考え方としては、あるもの勝ちで、無いやつは卑下しろってスタイルだったのね。だってまず天下の大谷さんが同じ野球選手なんだから憧れるの辞める事。

って言わないと、憧れちゃうのね。だって絶対届かないんだからって・・・。それじゃ絶対届く訳無いじゃん。例えガウディでも、気持ち良く、下に見ないと。

って話を戻して、例えば子供の頃に、ランドセル。色なんか選べなかったし、親も何も考えずお金の都合だけで済んだのね。でも今なら個性が大事って言う。

もはやランドセルはファッションになった。赤と黒の時代は、本皮か合皮か?って話で大人は高級だから皮で、子供は軽いから合皮なんて違いはあっても、

根本的にはお金持ちも貧乏人も平等に見えた。制服もそう。同じものなら差は靴しか無く、一見すればこれもまた平等に見えた。しかしながら、大人に

なると、やれ学校名、学力、運動能力、美術、音楽・・・と比較され、更にファッションがダサいとか、車のナンバーが足立だとか、建築は3Kとか・・・

勿論、サラリーマン側には、そっちに行っても悩みは付きないんだろうが、絶対数普通側にいるから、明らかに異質では無くなる群れの中での生活になる。

それが性同一障害のように、もし職人って言うスタイルに合っていなかったとしたら?良く20年も続いたものだ・・・と自分ながら関心する。所がそんな

気持ちのままでも、そのままでいたら、今頃43年のキャリアのタイル屋だったのね・・・だから衰退した老人タイル屋だったんだろうね。出がらしのね。

しかも下手になる。だって老眼じゃん。1mm、2mmの世界なのにね。若い時はそう言ってたはずだよっ・・・じゃ元々頑張っていただけの俺には無理だな。

だからそうそうと足を洗って良かった・・・けどね、けど。生まれて初めて本気は出したものの、モザイクなんて商売が身の回りに認知されていないのね。

つまり開拓者みたいになっちゃったのね。だからただの貧乏人。お慈悲で生きる虚無僧とか、素浪人なのね。ただ大谷さんはドジャースに入って野球をして

いるんだけど、俺はドジャースって団体が作りたいのね。モザイクの名門って事にね。立川流の落語みたいな団体にね。だから何処かに入りたいんじゃ無いのね。

だから独りじゃ無理なのね。ジブリを作りたいんだから。だから宮崎駿にならないと・・・ってな話。だからただ楽しいってだけでは、きっと済まなくなる・・・きっとね。

そんな重みがやって来る・・・そしてそうなれば、もうここには来られない。来られないと言う事は、この人達が会えるのは、それまでの間・・・。

そして俺の都合。そう考えれば、それが今日かも知れない・・・となれば、重みは大きい。だからこそ、昨日、今日の独りでは無い俺は先輩として、

いかにしっかりしているか・・・おばさんは鉄人なんだから・・・勝手に逝かないで、みんなが良いって言うまで頑張ってね・・・ただ俺は絶対良いって言わないけどね・・・ってこっそり言って来たのね。

人に思いを告げるって難しいのね。やれコンプラだって言うと、じゃ何かい?頑張れって言ったら、頑張っている人に対して・・・って言うし、叱咤激励って

この世から無くすって事なんだね。でもそれならそれも良いのね。世の中って上手く出来ていて、そっちを強く押す側にいれば、押されて流されて、そっちの

方が生きやすいし、合わせれば楽になれる。ただもしそう思っていないのに、その群れにいればストレスになる。抜けると孤独になり、いるとストレス。

じゃどうするぅ?ただそんだけ。何とも判りやすい。そして強制的な学校や会社の群れは自分で入って置いて、合わなかった・・・って辞めりゃ済む。

合わなきゃ自分が作りゃ良いじゃん・・・ってだけ。それを合うまで探すなら、何回も結婚と離婚を繰り返せばその内、当たるんじゃね?って話。

それだって、続けるって継続な話で、続けるんだって凄い大変だろうし、合うまで・・・なんて、何処まで続けられる?ってなもん。何でも一緒なのね。

その時に、水が合わない・・・なんて言葉があって、合わなきゃ死ぬのね。でも環境に馴染めると、いつのどの水にも適合すると長生きになる。

人間もそうかもね。同じ家に同じ習慣で、同じ毎日なら慣れる。慣れるのを良しとするのか?退屈なのか?その人の性格にも寄るが、俺は外見、外観は一切

変わらずに、血の入れ替えなのね。キーパーからストライカーに。いよいよニューkatsu発進の年が始まったのね・・・みたいな話をしたんだけれど・・・

いずれにしても、普通って言うのは、みんなと一緒の人数の多い側の事であり、そこの社会の論理で生きる事であり、そこに馴染めない側、つまり天の邪鬼

的なアウトローやジプシーみたいな側に、活路を求めた場合、自分でその社会を作る群れ形成から始まる事になる・・・普通はそれが家族ってものになる。

そうね、ちょっと前の俺はオスライオンの戦いに敗れ、群れから外れたライオンみたいだったから、仲間と餌を共有するなんて事も無く、ジャッカルの

食べ残しでも食べて生きていたんだろうね。ただ生き延びた・・・そうしてでも。ワンチャンを待つ為に。そして戦わず、横取りもせず、ただひたすら・・・

徹底的に知恵を付けて・・・牙と爪をいつかの時の為に磨き・・・普通はライオンはライオンの群れを作る。ただジャングル大帝では、レオは2世。

じゃ世襲じゃん。大いなる父の血を継いだエリートの話だから、あぁにはなれないが、普通なら餌になる動物達と共存する。それなら出来るかもね・・・

要するに考え方として、普通側は普通だから伝統や格式を重んじる側になり、その力が大きければ保守となる。所がそんなの関係ねーって側は、下品で

格式も伝統も言葉使いも身なりも・・・何もかも自由。何にも決まっていないのだから。それを無視して行くも良し。ただそっちの群れには馬鹿にされたり

するものなのね。ただそこにハングリー精神なる気持ちを持てる者であるのなら、無名の駄馬であっても、勝てば官軍となる。下剋上的発想。

これは普通側にいたんでは出来ないのね。下衆わの側に居ないとね。だからどっちにもなれない者は、上手く立ち回れるなら良いが、そうで無ければ居場所

はない。ただそれだけ。こんな話を落語のように話さないと、詰まんない話になるでしょ?・・・まぁ少しは話すのも上手くなったと思うんだけど・・・。

そんなこんなで次は本家。茨城の家へ。ここは親父が住んでいた所。勿論家は新しくなっちゃっているけどね。そこには一回り上のいとこの姉さんがいる。

その人は親父に世話になったと思っているらしく、とても父に優しい。ただここの旦那さんが少し前に病気になった・・・って介護用ベッドがあって・・・

えっ・・・じゃトイレに行ったの?独りで・・・と思っていたら、

友達に誘われて、ハンター・・・猟に行っちゃったんだって。ただやっぱり足はちょっと引きずっているみたいで・・・でもそれじゃ、鳥逃げちゃうじゃんって

言うと、大丈夫なんだよ、今の空気銃ってのは、200m先を覗けるんだからって・・・。足音なんか聞こえないよって。へぇーそうなんだって、しばらくして

帰って来たおじさんが銃を見せてくれたのね。生銃じゃん。すげー。そんなこんなで帰りに親父に、鳥持ってく?って言われて、まだ羽むしってないけど・・

って。ただ親父もそんなのひるまないし、持ってく・・・って。そんな訳で、普通ならこれでおしまいになるんだけれど、野田にいとこ夫婦がやって来るって。

って事でまた戻る事になり・・・そうね、きっと誰も何も感じないだろうし、きっと忘れちゃっているだろうな・・・この集まりを見た時に、その場所・・・

その仏様の前の席は、先々代の叔父さんの一番偉い人が座る席で、そこには俺のいとこの旦那が座っていたのね。流石だな・・・キチンと一番偉い席に、

ここの主が座っている。当然さっきとは俺の座る位置は変わる訳で。当然一番下座の流しが近い場所。ここしか無いのね。身の丈身の程をわきまえるのなら。

群れの中のモノに手は付けない。それは御館様のものであり、平等では無い。動物の群れでも当たり前の事。ただ親父は主にも負けない姉さんの弟。

これは老人だし、群れの中に置いて貰うべき。それなら、俺は下々の者として、お茶を頂けば何も頂かなかった事にはならない。最低限は手を付けた。

さっきもおかきに手を付けたし・・・。俺はあくまで親父をみんなに合わせに来ただけのしもべであり、対等では無い。きちんと分家の末端のお勤めはした。

まぁきっと判らないと思うんだけど・・・恐らく戦国時代の秀吉くらいの事なら、読めるわな・・・ただ待つ訳無かろうと・・・。草履を温めるなんて普通。

だってこの恵まれた環境でも、そうして生きているのだから。今の時代でも、へっぽこ力士なら、最初から鍋に箸など入れられないはず。そもそも修行とは

そう言うものだから・・・。それが悔しかったらハングリー精神で見返すべきで・・・人と同じでは、その人達の上にはなれない。その場はやり過ごして

平和だとしても・・・。大人になったら誰も何も教えてくれないからね・・・しかも、大人になってからなんて、そうそう心を打ち明けられるなんて無い。

ただ大変ねーとか、頑張ってーって口先三寸みたいなセリフも定型文だし。それでいて自分に合った人と付き合うなんて言い出したら・・・?

それが傲慢とは思わないかなぁ?って思ったりして・・・。ほら堂々巡りになる。俺はここにわざとこうして残したのね。俺はそうして来たってね。

それでこれから変わる・・・ってね。でも本当に変わるのは、俺では無くて俺の周りなんだけれどね・・・まっどう変わって行くのか?それは言わなくても、

きっと伝わって行くと思うのね・・・。そのうちにね・・・。そんなこんなでも、言い訳無用でアトリエに・・・。居場所なんだから。遊んだら仕事。

ちょっとだけでもやらないと・・・亀が休んだらうさぎに追い付かないからね。

 

 

 

 

 


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新年スタートなのに・・・

2025-01-02 23:21:52 | 休み?

新年のスタートって日に、gooのサーバーの不具合なんて事で、ブログを入れる事が出来ず・・・遅ればせながら、今年もよろしくお願い致しますって事で。

まずは前の晩、そこそこな時間まで仕事をしてて、朝はゆっくり目で実家に行くと・・・俺を待っていたらしく、何も朝から食べていないとの事。

慌てて、お雑煮作って、プチッとおせちを出して・・・・正月1日目のご飯をお待たせするなんて事からスタートとなる。まぁそれでも何とかかんとか、

何となくだけど、正月っぽい雰囲気だけは作って・・・お勤めを終えてからプチッと看板・・・あんまり進まないけれど、全休ってしないようにするのも、

俺には大事な事で・・・呑気に休むのは明日だから・・・。


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そして今年も大晦日

2025-01-01 07:40:09 | 休み?

そして今日は大晦日。昨日粗方総括しちゃった気もするが、まぁそれはそれとして・・・今日は朝、ご近所の親子3代のママのトトロの作品の時計周りの

コーキングやビス止めなんかをやってお届けからスタート。そんな後は実家への買い出しをしたり、そのついでにキウイに恒例になった焼豚を届けてから、

アトリエでプチッと看板を進めて・・・ちょっと野暮用をして、またプチッと看板をやると、あっと言う間に夕方・・・そんな訳で実家に行って年越し蕎麦の準備。

一緒に食べてから、調子が悪いって言う妹の家にも焼豚を届けその足でさくらにも持って行ったのね。こんな平和な大晦日ってこの23年間のモザイク人生に

あっただろうか?・・・まぁだからこそ、絶対やっとかなきゃになるんだけれどね。出来た事がいつか出来なくなる・・・そんな日がいつか必ず来る。

だからこそ、いつかこれが思い出に変わる日が来るから、当たり前の些細な事が一番楽しかった事になるはずだから・・・。俺はいつか、いつか・・・って

売れない芸人や、二軍の選手、地下アイドル・・・こんな気持ちで23年だったかなぁ〜随分と経っちゃったのね。浦島太郎な気分なのね。携わった人達は、

子供が成長して働き出す・・・なんて事があったりって言うと、えらく簡単に終わっちゃうが、弟子のさくらなら、子供が生まれた時からの付き合い。

お祝い事が何度もあって、師匠と言いつつ何も出来ず・・・甘んじる事ばかりだった。そうやって何年も繰り返すと、母の初心者のさくらでも、段々と

お母さんになって行くもんで・・・続けるって言うのはそう言うもんなんだなって実感した。そうやって人の親になるって言うのは、その人に自分の時間を

割く事になる訳で・・・。月並みだが大人になるって言うのは、年齢では無く、そうした当たり前のような事を繰り返してベテランになる。

そう言う事を弟子や常連から、俺は学ばせて貰ったと思っているのね。ただそれが良い事なら、それを見ると言う事は、感受性なんて豊かだと、あぁ俺には

そんな事無く人生を終えるのかぁ・・・って何回も何回も携わり、もっと言えば応援してくれる人と仲良くすれば、人の何倍も感情移入する事になる。

そしてその度に、世話になる事はあっても、何一つお返しが出来ない俺・・・って言う気持ちになるものでね・・・貧しいって言うのは、日々の生活に困る

だけで無く、普通の人達が出来る事が何一つ出来ない・・・不甲斐ない気持ちと生活費に追われる事になるのね。それを確定申告の時に、あれだけやって

このザマかっ・・・ってダメ押しになるのが1年の総括で、たった独り生きるお金をも、人の何倍もやっても稼げないのかぁ・・・と絶望すら感じた。

趣味も持たず、贅沢もせず、ただタイルだけ買って・・・その上、何も知らない人に、好きな事やって暮らせるなんて良いですね・・・って言われ続ける。

心の中では、どこが・・・って気持ちと、悔しさいっぱいでも、まともに答えると、嫌いにならないように努力しているだけが精一杯です・・・になってた。

最初の頃は20年やってたタイル屋の貯蓄は、数年で無くなり、家賃の滞納なんて当たり前のように起こる。携帯は止められ、ご飯もままならない事も何度もあった。

そんな中、世話になっていた人達の前夜の飲み会のおつまみが、食事の代わりだった事も多々ある中、良くその当時の常連さんがお弁当なんかを持って来てくれた。

何度も助けて貰ったりした。作品を作ってもすっぽかされて逃げられたり、何とも因果な仕事だわっ・・・なんて思ったりもした。ただそれすらも慣れる。

そうした気持ちでやって来た事が、心も成長すると、全ては俺が悪いで済むのね。売れない俺が悪い。売れるとこんな事は全て無くなる。普通にタイル屋で

終わっているなら、こんな事は起きなかった。ただモザイクを選んだのだから、売れれば神になり、売れなきゃゴミとなり、死して屍拾う者なし。

芸事で生きるとは?そう言う事だと実感した。何処に楽しさなんて安い言葉がある?・・・生きるって言うのは死と背中合わせなもので、楽しいって言うのは、

生きる前提の上の贅沢なのね。それをそのほんのわずかな事に携わる事になった・・・それが介護。って言っても、ほんのわずか。子供なら出来ない事が

出来た喜びを共有出来るが、大人はどんどんと出来なくなる事が増える。行動範囲も狭まるから、楽しみなんて言うものは限られる。ある意味、俺が俺の

存在だけが楽しみになる・・・この俺で?何とも親ってもんは馬鹿だなって思うのね。普通に立派に暮らしているのなら、自慢の子でも良いけれどね・・・。

ただそれでも何もやらないより、両親が話しをして笑ったりする。だからまた来るね・・・と日々を過ごせる。ただ1日数時間俺の時間はそんな人達の時間になった。

普通はそれを辛くなったり悲しくなると思うのね。でも俺は何もして来なかった。そして今、そんな事なら俺にでも出来る。そしてそれで楽しいと思わせる

事が出来るのなら・・・それを見て良かったな・・・親父もお袋も、そして俺も・・・って思うのね。みんな苦笑いでも笑えているのだから。それが生きているって証拠になる。

貧乏作家の家族の楽しみって言うのは、こんなささやかな事だったりする。ただそれじゃ救いが少ない。だから、俺売れるから、長生きして待っててね・・

だったりする。それがわずかな希望になる。楽しみになる。それは普通で生きていたら、絶対に出来ない事なのね。俺はその人生に身を置いただけ。ただ

親になるって言うのは、そんな時間を過ごした人達が大人になる時間なんだろうね。それが無い俺は、今から介護で大人風味になるんだろうね・・・。

こうやって振り返ると、楽しみは何処にあるんですか?なんて質問されたりもするのね。だから世界遺産をみんなで作るんだよ・・・誰も出来ない事をね。

そもそも振り返った所で何も変わらない。しかしながら、こうやって昨日の事のように振り返れるのは、毎年振り返っていたから。そんな繰り返しで今日も

また1年が終わろうとしている。でも大きく違う事は、人にして貰うだけの1日では無く、人に返せる1日になった・・・ただそれだけ。そして大事なのは、

こんな事が出来なくなる日が来るから・・・そう売れるって言うのは、そう言う事になる。別に何か確信的な事がある訳じゃ無いのね。ただ売れる要素は

入って来た。ターニングポイントとでも言うと、これから始まるピエロの壁画の3つは初めて大通りに面していて、しかも地元である事。そして裏路地の個人

宅では無く、その店舗に入らなくても目に入る事。そしてこの世にモザイクの壁画の店舗なんてそうそう無いと言う事・・・やっと紅白に出られる心境。

そしてそれをあっちこっちで見る事になる。そもそも以前、金魚の作品を作り地元の金魚屋さんにプレゼントをして飾って貰った事があったのね。それがきっかけで、金魚の雑誌に取り上げられた事があった。

そして更に江戸川区の金魚のイベントに呼ばれたりもした。でもそれもいつしか消えて行ったのね。良いでしょ?ドラマチック的には・・・。だって消える

んだもの。忘れ去られる・・・俺はずっと続けているけどね。じゃピエロの壁画の1000円カットの店が何個も・・・って何が起こるんだろう?そして作った人

は誰だろう?・・・そうね、貧乏人の当時の俺がプレゼントする作品なんて、コースター的なもんだから、絵を上手に描く人達と比べたら幼稚な作品に見える

だろうね。それでも金魚の吉田さんだけは、レジの横にずっと飾ってくれていたのね。ただそれで俺の本当の実力を知って頂けただろうか?・・・それを今度は

壁画として何メートルもの大きさで作れるのだから、好みはあれど迫力が違うし、金魚屋さんは金魚の好きな人だけが集まる場所だけど、床屋さんは違う。

見たくても見たくなくても、外の壁画・・・中からも攻めないとね。チラシも貼らせて貰えるだろうし・・・そんな中、大家さんの知り合いが、篠崎店で作品を見たって。

地味に見つかっている。ただそれは店舗の中・・・でっかい花火を打たないとね・・・地元に。そして知られる頃に、今度は制作途中の金魚の看板なんて

言うものもある・・・あの時、コースターしか知らなかった金魚好きが、その壁画を知る事にも繋がる・・・ただ設置はさいたまの愛好家さんの自宅だけどね。

来年はいよいよ裏街道から表舞台に立てる・・・これからは全ての巻き返し。人生の伏線の回収が始まるのね。そりゃ休みなんて無くても良いわ。いつも

そうだったし・・・って今日はおしまい・・・なんて言ってたら普通になっちゃうでしょ?だから、さくらの家からアトリエ直行。当然遊んだんだから、やらなきゃね・・・。

人と同じでは、人と同じか?それ以下の結果しか生まれないしね。非優秀側だから、普通の人のように紅白見たり、初詣に家族で行ったりは無い。

だから良くも悪くも、アトリエだけが俺の居場所になる。ここが俺の基地なんだから・・・ここが一番落ち着くし、ここが一番辛い場所だったりする。

でもね、辛い事があるから、それを越えた時、ちょっぴり良い事があったら、凄く嬉しかったりする。楽しい事をまたより楽しい、そしてまた楽しい・・・

って望めば、とても強欲な普通が待っていると思うのね。だから俺はモザイクがやれて、ご飯が食べられて、関わった人達が笑っていたら、それで楽しい。

とてもシンプルである。ただそこで満足するつもりは一切無いから、売れてモザイクが本当に好きです・・・って言えるまで続けないとならないし、辞めて

しまっては、俺が俺の価値を捨てるようなものだし、何しろ恩返しは俺が売れた姿を見せる事・・・まぁ勿論、そんなもんじゃ満足してくれない人もいるだろうけどね・・・。

ただもう貧乏や、やさぐれた気持ちや、ハングリー精神と言った、貧しく切ない状況からは脱出して、これからは天下取りだけを見る。いよいよ人生のアディショナルタイムに入った・・・さぁ俺にボールをよこせっ。以上が大晦日の

決意表明でした・・・それでは現場からは以上でーす。

 


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