katsuまるはだかぁ 芸術家への道

モザイクアート一直線のkatsuの日記

さくら教室とピエロの張り終わりと下地の続き

2025-02-28 01:01:42 | モザイクタイル教室

今日は午後からさくら教室。ただその前に蕨の下地の続きから。

全部切り抜いて、ペーパー掛けをしていたら、妹から連絡があり実家で合流して区役所へ・・・。まぁじいさんばあさんの用事。そんなこんなでお教室・・・

なんだけれど、まぁさくらが来ると、色々やる事が多いのね。まっほぼ買い物なんだけれどね。そんなこんなで、まずは一粒で良いから動物。

さるのほっぺのみ。まっこれならやるだろうな・・・って話で、その後雛人形。何しろ、初節句の人にプレゼント・・・って事で、そりゃ大急ぎになる。

じゃアシストすっか・・・って話。そんなこんなで、何とか張り終わったのね。そんなこんな中、ピエロ完成。

そうね、麻布小の壁画と違って、内容がゆるい分、可愛いのね。何せ麻布はテーマの中に戦争ワードがあるんだから、それだけでもきつい話なのね。

それがピエロと動物の理髪店なんて、何処にも無いし、蕨のワークショップにしても、寿司のモザイクなんて、ちょっと馬鹿馬鹿しい感じでしょ?

こう言うのは、ただただ楽しいとか、面白いの追求だから良いのね。たださくらの雛人形のような場合、何しろ報われない作品なのね。それは可愛いから。

例えば凄い作品って言うのは、大きい・・・って言うのは、迫力って言葉に繋がり見る人をビックリさせたりしたり、細かいって言うのは、繊細って言う言葉に

なり、これもまた凄い・・・になる。これが綺麗なんて表現になると、その人の好みにあった事で、素敵とかに変化するが、可愛く小さいって作品は、ただ

可愛いだけになる。そもそも技術が判るのなら評価が正しくなるから、小さかろうが間違えない判断になる。でも普通は見た目で判断なのだから、可愛い

評価は加点が無いのね。これが自分のものならそれで良いのね。それは報われようが報われまいが、腕の向上だけの為なら納得が行くのね。所がこれが人へ

プレゼントとなると、技術は判らず、手間の掛かった時間も判らず、ただ有難うの言葉と可愛いぃぃってだけ・・・まさかこれをプレゼントで作っているとは

・・・。目を穴を開けるとか、桜の花びらに切り込みを入れるとか、最悪なのバックのひし形・・・こんなキチンとした形のバックをやれば、適当に出来ない分、この作品で楽な部分が無いのね。つまり何ら大作と変わらない時間・・

それが大作ならもっと評価が高く見えるのに・・・しかも完成を早めないと、間に合わないし、時期外れになっちゃうのね・・・だからアシストして、

終わらせたのね。ただ時間も時間だったから、張り終わっただけ・・・後は俺が目地をしてアトリエから発送って事で・・・。


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蕨市立歴史民族資料館の寿司モザイクの下地

2025-02-27 00:22:18 | ワークショップ

車のエンジンが掛かると、今日は何の日って教えてくれるのね・・・そしたら、2月26日、225事件の日って・・・。何だかピッタリな日だな・・・って。

そうそう、昨日思い違いしていたんだけれど、グルー氏の親しい人は犬飼首相では無くて、斎藤実内大臣だったのね。前の日に一緒にいて、夜泊まればって

誘いを断って帰宅して殺害されたらしく、犬飼首相の暗殺の日に帰国中だったらしいのね・・・いずれにしても、とても日本にゆかりがあり、戦争回避に

尽力を尽くしてくれた方なのね。そんな時に打ち合わせだったのかぁ・・・ってな感じで出勤。何しろまずは、蕨の下地彫りから。

1人3つなんで20人x3個で合計60個。結果としては40個だったのね。それと平行にさいたまのコープみらい用のサンプルを作り、最後はピエロ。

山周セラミックさんから注文のタイルが夜届いたんで・・・少しだけ。明日彫り終わるし、ピエロも張り終わると思うのね。そんな中、かぐやと昨日の

打ち合わせの報告をしつつ、美術の先生の下絵を見て、雪解け・・・って。確かに折れも気になってたのね。それに拍車を掛けたのが、子供達のグルー氏に

対しての感想をまとめたものを読むと、ほとんどが戦争ってワードが入っているのね。つまりこのテーマに戦争って言うものが匂わないと、安い仕上がりになるのね。ただ綺麗な壁画では・・・。ただそれ自体を変更しないで済むような

アイデアなり、是正が無いか?となった時、良いアイデアを思い付いたのね。白は雪では無く、原爆のキノコ雲の白にすれば、何も絵は変えずに内容だけを

変えれば、その中に桜が咲く事になる。これならグルー氏の思い描いた景色になる。そんな方向性が決まった時に、山周セラミックさんに仮に・・・と、

今回の壁画の見積もりを聞くと、チップ、リップルで単純に200万程度って。そこにラフとは言え下絵と施工、そして指導料なんだから、まっ3分の1って所。

かなりヤバい数字なのね・・・ただこれは絶対に誰にも出来ないようにしないと・・・きっとターニングポイントになるはずだから・・・。

って横道に反れるが、BTSがどんな感じで売れたか?・・・そもそも売れなかった時期はラップで尖った歌を歌っていたのね。それがきっかけとなる歌は、

今までとは打って変わって、甘いバラードって言ったかな?だとしたら、戦争を意味していた俺の下絵には、レンガタイルが欠けたようになっていたのね。

それは戦争で破壊されたようにも見えるし、イタリア、ベネチアの建物の壁が剥がれ落ちたようにも見えて、お洒落にも見えたはずなのね。ただそれを却下して雪解け・・・となったようだが、全体に淡い仕上がりにしようとしている。

ある意味、そのままで行けば、甘い壁画になるんじゃ無いのかな?・・・そしたら、いつもの俺のラップのやさぐれ感が、ゆるく見えるんだろうし、受け入れ

やすいのかもね・・・まっ、それとタイルは桜しか買えそうも無いんで、そこは相談かな・・・。


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麻布小学校へ

2025-02-26 06:51:34 | 打ち合わせ

今日は3時過ぎに麻布小学校へ打ち合わせとなってて・・・そんな中、かぐやが仕事らしく・・・そっかぁ・・・そりゃ中々だなって朝、学校の先生が、1時半

になりませんか?の連絡が来て・・・そりゃ益々だなって追い込まれる形となった。以前、打ち合わせで叩き台として使って貰う下絵を提出した時に、

テーマについて、子供達を含め、他人の俺より知らない・・・って状況ではいかがなものか?とタンカを切ったのね。それは単なる小学校の150周年の壁画なら

楽しいねーって作れば良いが、駐日米国大使ジョセフ・グルー氏の桜をモチーフに・・・って話だったのね。この方の功績は調べれば調べるほどに、日本人

として知らないなんて恥と言っても良いくらいの人なのね。日米開戦時に引き上げる際に、この桜が咲く時に平和になる・・・って植えた桜らしいのね。

その桜が枯れそうになった孫の木って言ったかな・・・グルー氏はその戦争を止めようと母国に帰っても引き止めようとしたり、天皇の地位保障やら、

結局叶わない事はあったものの、その当時の日本に取って偉大なる功績であるとは思うものの、そんな桜を何も知らず、ただ人のお金を使い、和気あいあい

で、楽しもう・・・なんて片棒は担ぎたくない。しかもモザイクを一度もやった事が無いのに、体験程度の時間で。勿論、腕の未熟は仕方無い事だが、学校で

知識程度の事すら、関わっている先生すら教えないって・・・いかがなものか?って話をしたら、今回学校として生徒さんとグルー氏を調べ発表の場を作った

らしいのね。やっと場が温まったって感じ。ただ常に良い事と悪い事は背中合わせで、良い事は場が温まった。誰もグルー氏を知らない者は居なくなった。

ただやる気に火が付いた事は良いが、色んな事を知って、色んな意見を交わすと、当然あぁしたい、こうしたいって気持ちになる。とても良い事なのね。

でも実際の予算は決まっているし、子供達の制作時間も決まっている。仮に伸ばせば伸ばすほど、こちらが関わる時間が増える。時間内に出来なかった事は、

当然祭の後始末のように、こちらがやる事になる。もう既にこの内容は初期の段階で無理な事は判っていたが、この内容・・・やるのならしっかりと思い、

大きさを何倍もに広げた。それが限界値を越えていたにも関わらず、モチーフを大幅に変えられると、そのタイルっていくら掛かるの?って事になる。

例えば中華で・・・って決めて、予算や料理を考えていたら、やっぱりフランス料理って・・・人数は変わらないし、桜だけは変えてないからって言われても、

・・・って。もしかしたら、とても言いにくい事を言わないとならない日になる。そんな日に相談相手のかぐやは不在、もう少し考えたいのに、予定より

2時間も早い・・・1時なんてあっと言う間じゃん・・・ん・・・ってなスタート。当然遅刻なんてあり得ないから、近所まで行って1時間前にボーとしてた。

あれこれは出来るだけ考えた。今はまな板の鯉。もうジタバタしても無駄であろう・・・と。そんなこんなで校長室に案内されると、5年生の担任、美術の先生

校長先生と数人が集まって来て・・・その中に代表の3人の子ども達が入って来ると、何か怒られるみたい・・・って。そうなのね、校長室なんて格式高いとこ

って中々入れる場所じゃ無いし、中華そばと中華料理屋では、緊張感が変わるし・・・何しろ金額だって違うしね。さてこれでみんな揃ったって事で、

色んな話になるが、イメージをするのに、壁画ってどのくらい?とか、背丈、除幕式って何人で紐を引く?とか、何しろ質問をありったけぶつけたのね。

きっと変なお爺さんだったろうね。先日の高洲のサークルで、それで無くても結構作務衣姿が変わっているのに、足を怪我して松葉杖なら怪我って判るけど、

杖になると、何か山崎努さんのような、偏屈そうな雰囲気出しちゃっているみたい・・・って。変わり者を一層引き立たせちゃっているって・・・。それは

大家さん家族にも言われたのね・・・怪しい人って。それなのに質問は超真面目な事ばかり。何しろ彼らの時間だって1時間が良いとこ・・・しかも彼らの話

はアンケートを見れば、判ってもこっちはこの一瞬がアピールタイム。ただグルー氏を知った上の話になるから、説明する必要は無くなったから、話は進む。

そんな中、チラッと子供達と先生が目を合わせたのを見て・・・あぁ時間かぁって思ったら、1時間あっという間に終わっていたのね。まぁこの子達を子供

では無く、一緒にやる人達と思うと、指導している訳じゃ無いし、先生でも無いし、仲間感覚と言えど61歳の新参者・・・よろしくって気持ちと、やろーぜ

って熱意だけは伝えないと・・・。これについてはまずまず伝え切った。そんな所だろうが、問題は大人。ここは予算の確認や、正式な依頼として書類を

頂かないとならないし、何よりもどのデザインにしても、出来るかどうか?の判断は俺にして貰わないとね。最後の責任は俺になるのだから。ただ言い方一つ

で世の中って言うのは、簡単にひるがえるものなのね。病院でわらにもすがるように頭を下げ、この学校に行きたいとお願いをし、神頼みをしてんだか、

神社も仏閣も作法も知らずにお願いし、結果が自分の思い通りにならなきゃ、チェッって吐き捨てる。こんな事が世間様だったりする。だからもし本気で

話をした時に、もう既にグルー氏の事で、迷惑とは思わないが、余計な事をして時間を使って色々調べて、こんな事がしたい・・・ともし決定事項のように、

思っていたとしたら、それは、それは、と否定しないとならないかも知れない。それは予算や時間、難易度・・・それを踏まえての事なんだが・・・。

それを場合に寄っては、それならもう良いです・・・なんて事も有り得る。つまりこの仕事を本気で取り組む為に伝える事が裏目に出る事は十分考えられる。

だから朝、覚悟して出掛けたのね。打ち合わせの後、美術の先生と壁面の前で、一緒にイメージして・・・ここにそれが出来るとして、桜の木はどれくらい

・・・文字は?・・・正直、先生の絵は淡くて綺麗・・・でも、ガリッっとか、ザラッとしたものが無いのね。この壁画は戦争の話無しでは伝わらない。

除幕式のイメージをして見て・・・ここに来客が来て、幕を引いた瞬間、わーって言わせるイメージが浮かぶ?・・・ただ綺麗なだけの絵は駄目なのね。

ただね、陸前高田もそう。一本杉や倒壊した建物を残す事が正しいのか?片付けて綺麗に整備する事が正しいのか?日光東照宮も建設時に戻す事が正しいのか?

壊れ掛けた時に復元するのか?どっちも同じ金額相当掛かるんだけど・・・ただ俺は今回、先生が作詞作曲、俺は編曲と総指揮的な役目です。今この話は、

この下絵、そうした気持ちで描きましたか?・・・俺の気持ちの下絵に技術では無く、気持ちで負けてませんか?そしてこれでみんなに伝わりますか?・・・

要するに変更したいんでは無くて、覚悟を試しただけなのね・・・じゃ下絵は任せます。となるが、下絵を任せると言う事は、原寸大の紙に描き、それを

分割してみんなに配布して作る事を意味する。打ち合わせではなるべく早いスタート・・・となっていたが、先生が描くって確認をすると、4月は厳しいかと

・・・って。でしょー、実際やるって責任を負うって事なのね。俺は今回助っ人なんで、みんながメインなんだよ・・・後始末はやるから・・・だから出来る事は自分達でやる事。そんなこんなで、麻布小学校の壁画を受けた。

完成は11月予定。と言う訳で、生徒さんや弟子には、参加して頂きたいと思ってます・・・よろしくお願いします。


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リピーターさんと寅さん教室

2025-02-25 07:13:02 | モザイクタイル教室

今日はリピーターさんと寅さん教室の2本。まずはリピーターさんから。前回、張り終わっていたんで、事前に外枠のペンキを塗って仕上げていたんで、今日は

目地入れして完成したのね。これで35cm。そこそこ大きい作品だが、良くカットし続けたのね。以前ぺきぺきで犬を作った事があるが、今回の作品を経て、

新作の相談となったんだが、模様の繰り返しが気に入ったようなのね。例えば、模様と言うと幾何学模様とか、モスクとか、モロッコとかイメージする

ワードが出たりする。しかし、パッチワークなんて言うワードだって、模様の繰り返しってくくりなら仲間になる。良く新作の構想なんて事が苦手って言う人が

いて、この方も考えるのが好きじゃない・・・って。そうね、それなら数学みたいに考えるでは無く、算数くらいで考える事で済むようにアシストになる。

そもそも構想をする時に、そう言った苦手な人は何をどう考えようとするんだろうか?って言うと、完成した作品を思い描こうとするのね。いきなり・・・。

まず人に伝える時は、少し悪意が入る説明の方が身に沁みるのね。何故なら、人は都合の良い方を選ぼうとするし、自分に有利な解釈をしようとするし、

気が変わるし、方向転換をしようとする。これを防ぐには比喩としての例えを、フォーマルとカジュアルとでは全く違うし・・・と例えるのと、泥棒と警官

とでは全く違うしと例えても、巨人と阪神とでも、右翼と左翼とでも何でも良いのね。反対側にある・・・って例えだから。だからまず気紛れ、気が変わるに

しても、こんなに変わると趣旨が変わるから、それは禁止って言う覚悟が一歩目。これがいちばん大事な事なのね。ではここでどちらかに身を置く。

これが基本になる。その時に話を戻して、出て来たこの方のワードをまとめると、考えたくない、模様が好き、これだけ切れる、水色が好きそう・・・

って事になると、一度使ったデザインを繰り返せる模様は、この方に合っているし、簡単なのは、この作品を20cmの所から始めたり、コースター辺りの模様から始めたり、その丸の大きさを変えたものを何個も繰り返すのね。

大小さまざまな丸。それを壁に張り壁画にする。そうすれば溜まった時に張れば良いし、心変わりするなら辞めれば良いし、でもひたすら考えずに切り、

その日の気分の大きさを作れば良い。そうすれば何も考えずに進められる。では次は模様。わざと仲間にパッチワークを入れたが、そもそもここに違和感を

感じる人もいると思うのね。モスクやモロッコの中にパッチ・・・模様と言うくくりなら、何の問題も無いはずなのに・・・これが気付きの一歩目。

要するに違和感を感じた人は、数学に算数を混ぜたような気持ちになるのね。何かフォーマル側にカジュアルが入って来たような、格式が高い側くらいに、

高い位置側と考えると、パッチを低く感じるし、逆にパッチ側に立てば、気取ってて・・・って事になる。相交えない感じがするのね。こんな事を踏まえて

どっち側になるか?を決める時に、厄介なのは自分で決めるのに、反対を選んでしまった場合・・・まぁ大抵思い込みとかなんだけれどね。こっち・・・って。

何しろそもそもが考えるのが苦手。でも自分の事なのね。そこで確認をするのね。まぁファイナルアンサー?ってね。それは、一番最初にここに来た時に、

パンダ好きなんで、いつか上手くなってパンダが作りたい・・・って。そして犬もリアルに作った経緯。それは全く今は興味が無いですか?なのね。そこでもし

間髪入れずに、ハイって言うならパッチは捨てて。その時点で格式重視。余計な遊びは禁止。ひたすら繰り返す事、以上。後は好みの模様探しのみ。

所が丸より四角が好き・・・って言うのね。こうなるとパッチが外せなくなる。丸だからパッチを外したのに、四角だとまたパッチが削れない・・・

ん・・・じゃ、リアル気味のパンダを入れて、模様の繰り返しのパッチ風味。なんてやり取りが後半の話だったのね。ようやく方向性が決まったのね。

そんな後は寅さん教室。と言ってもカットTBの動物。

寅さんはカバね。これをやりつつ、さっきと同じような話になったのね。まぁ要するに構想って言うのは、自分自身を振り返り、何をどう考えて作るか?って

話だから、その考え方が身に付くと、それはこれから生きる・・・って話でも同じなのね。ここも伝える為の悪意で話せば、所詮趣味ごときの自分と向き合えないのに、これからの人生と向き合う・・・って。

練習も無しで、いきなり本番を迎えるの?それならそんなに結果を望まなくても良いじゃん。なるようにしかならないのだから・・・ケセラセラとでも。

でももし、所詮趣味では無くて、例え趣味でも・・・と取り組む姿勢を持つと、自分と向き合う練習をしているのだから、いつか自分の人生なんて言うのは、一番の構想しないとならない部分になるのね。しかも逃げ道無しでね。

寅さんは旦那さんを亡くし、1人の人生になった。でもそれを言ったら俺もずっと1人。確かに痛みのある内は骨折と同じで、支えが必要になる。だからかばう事になる。

じゃそれをいつまで続ければ良い?・・・そしていつまで気を使いかばわれ続けなければならない?そしてそうしてお互い楽しい?って話なのね。それを優しい人が

本当に優しくて、厳しい人は本当に厳しいのか?・・・常に自分の都合良くなるのは、相手が気遣ってくれるからであり、気遣ってくれるのは、相手もそう思ってくれているからの成立。でもそれがもし、可哀想だから、気の毒だから・・

と気遣っていたとしたら?・・・それって、自分が上の前提で、気遣ってくれているバランスであって、もし相手を上回る何か?を手にした時でも、同じ気持ちで続けられれば、本当にそう言う人だろうが、可哀想な人が可哀想でない人に

見えなくなったら不成立になったとしたら、可哀想だったらそうしてくれていた人だった事になる。つまりその人と仲良くし続けるのなら、一生可哀想な人

でいないと成立しない事になる。でも叱咤激励とは、激励もあるが叱咤もあるって事。今どきのコンプライアンス的に言うのなら、叱咤激励はご法度らしいが。

頑張っている人に頑張ってって言っては行けない、しっかりしろーって言っても駄目、じゃ安心安全プログラム通りに、定型文を心を入れて読めば良いのね。

本当に伝わるのかなー。ただ伝わるのならそれでも良いのね。それならロボット量産型スタイルだから、普通って言う人間製造なのね。ただもし自分らしい

生き方なんて、自分らしいオリジナルなんて考えているのなら、定型文、予定調和、コンプライアンス、どーでも良いのね。ただまず自分を知らないと。

例えば相方やツレが居なくなった。それが大きい存在と言うのなら、その人が100点なら今自分の人生はマイナス100になった。もしこのまま何の種も撒かずに過ごせば、歳を取るって事は老いる事だから、今出来ている事すら出来なく

なる可能性が高くなる。つまり亡くした、無くした、無くしたとマイナスを生きなければならないのね。しかも身の回りの人に家族があり、孫が出来、楽しく見えれば、見えるほど、その人と付き合わなければならなくなるのね。

そんな気分では、もはや不幸自慢しか出来なくなる。それで楽しい?仲良く出来るかな?いつかみんな1人になるのね。ただそれが自分の思っていた理想よりも

早いお別れが来てしまったのね。でもそれでも生きないとならないのね。その気力が無い人は死しか無いのだから。でもそうで無い側を選ぶのなら、不幸の

まま生きられる?そりゃ無理だね。そんなに気は張り続けられないから。そんな人が楽しい人生にしたい・・・って。そりゃ思い違いしてんのね。良く考える事なのね。

そもそもその言葉自体、ナンセンスに矛盾なのだから。こんな矛盾を目指せば、すぐに落ち込んで当たり前なのね。何故なら生きると、楽しいは正反対に

ある言葉だから。楽しいって何?・・・笑うとか、趣味とか、娯楽、旅行、音楽、体験・・・気持ちがスッキリ楽になるような事だと思うのね。

しかしながら、生きるって何?そりゃラクなんて人、あんまり見た事が無いのね。勿論、貧乏作家の廻りではそんな裕福な人はいないよ・・・って言うかも

知れないが、お客さんは貧乏とは限らないのね。でも普通に大人ならラクな人は何処にもいないのね。それがお母さんなら、毎日の家族の支度・・・

自炊をするようになって、益々大変さが判るし、世話をする喜びもあるが、生意気な事を言われる事だってあるし、ご近所付き合いだってある。勿論働けば

有能か無能か?で給料も変わるし、出世って言うランクも地位も変わる。みんな生きるって大変で辛いものなのね。つまり楽しく生きるって文章は日本語として

合っているような気がするだけで、全く間違っていたとしたらどうする?って話。勿論、それで楽しくなるのなら、信じる者は救われるだろうから、毎日

そう唱えてくれれば良いじゃないのかな。でももしそうじゃ無いな・・・って思う人が何かのきっかけにしてくれれば良い話で、つまり何を一番に置くか?

なのね。例えば間違えて一番楽しく、二番が生きるってすると、楽しければ成立するが、楽しくないと生きられない。でももし生きるを一番にしたら、何としても生きないとならなくなる。だって生き続けないと、楽しいの2番に会えない

から。つまり権利が無くなるのね。だって生きられないんだから。でもきっとここを切り抜ければ・・・って思えたのなら、そこに光はあるかも知れない。

でも楽しいを一番に置けば、ご飯を食べても、テレビを見ても、花を見ても、楽しくない・・・って思ったら、ご飯を食べて生きられる権利があっても、生きる

気力が無い。ここも気。つまり心技体で言うなら、心が折れている状況では、技も体も崩れるのは目に見えている。今、寅さんに大事なのは、今こそ気。

無くしたものが大きければ、1円ずつ取り戻さないと、でもそんな大金無理となる。勿論すげ替えるのなら、男の穴は男って考え方も良いし、お金で娯楽って

言うのも持っているのなら、それも良い。がしかし、もし該当するものが無いのなら、継続しているものが力となるだけ・・・。降って湧く訳無いじゃん。

今の俺には楽しさを伝える技量は無いが、生きる気力を元に戻すだけなら、それは誰よりも自信がある。だってそんなの自分が経験した事だから・・・

楽しいってのは娯楽、気楽、ラク・・・日々の生活に追われ、厳しい日常であればあるほど、効き目が即効性がある。つまり疲れなら湿布。でもそれが生活

・・・湿布しても楽しくない。だからそんな人は映画とか、美味しい料理とか、つまり五感の刺激。欲を満たすって事になる。ただ強欲だと、足らないのねー。何しても・・。

でも無欲だと、無気力な感じで、瀬戸内寂聴さんかーぃみたいになる。ただ人って欲があるから、食べて生きるだけじゃ満足しないし、何かをして気が滅入った事が晴れたとしても、また生きていると辛い事ばかり・・・。だからまた、

何かで埋める。でもその刺激も慣れると効き目が薄くなるから、趣味のお引越しぃぃってな事になる。ただ普通は日常の忙しさにかまけていれば、特に何も

しなくて良いのね。だって日常は常にやって来るから。家族がハプニングや楽しみを連れて来るから。そして伝統の催し物もあるし・・・お宮参りから葬式まで。

でも独りになると、それもみんな他人事。そして思い出に変わるのね。どうする?・・・ってだけなのね。だから、老後の種を撒く。老後に花が咲くように。

ただそれだけ・・・種を撒かなきゃ花など咲くかいな。しかも撒いたらしっかり面倒見ないと、世話って言うのを欠かせないのね。それは人も同じ。

生徒さんが枯れないように・・・でも冬はきっといつか終わる。だから春が来るまで備え方の指導。凍えて死んでは元も子もない。今持っているアイテムで

冬を乗り切るアイデアを考えないとね。俺はドラえもんじゃ無いから、アイテムは出せないけれど、知恵だけは負けずにある。・・・かもね。

信じる者は救われるのか?触らぬ神に祟りなしなのか?は、その人が決める事だからね。

 

 


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杏さん教室とあれこれ・・・

2025-02-24 03:44:54 | モザイクタイル教室

今日は杏さん教室なんだけれど、カットTBの動物キリンの続き。結果から言うと、張るのは順調だったが、時間的に難しくなりアシスト付きで何とか終了。

やはり昨日の健さんと言い、時間と量のバランスが悪かったのね。完全に俺のミスだったのね。きっと3回位の量だったんだろうな・・・。ただまた1人、

終わったのね。きっと完成が楽しみだろうね・・・みんな揃うと圧巻だろうしね。そんな後は父の用事を終えた後、ホームセンターに木を買いに行き・・・

足らずのタイルを持って棟梁の所へ・・・すると、やってる、やってる。しかもりょうさんも・・・。順調で、後からりょうさん完成の知らせが・・・。ただ

棟梁はちょっと残しになったらしい。やはり体付きの人は3回なんだろうな。

その後、蕨の出張教室の下地作り・・・まずは写して・・・プチッとピエロ。

何かちょっと後半あれこれ・・・って感じでバタバタしたが、それなのに久し振りに連休ダメージ・・・って感じになったのね。それは昔良くなった孤独感

とか、何となく・・・ってちょっと寂しいとか・・・ほんの少しだけね。昔はもっと貧しかった事もあり、連休と知らずにバスとすれ違うと、国旗が付いてて

連休だと気付かされ、そんな意識を持つと、例えば成人式だったり、七五三だったり・・・って家族の行事なんて事だったりすれば、自分には無いもので、

何か自分だけ無いな・・・なんて気持ちになると、貧しい上に更にダメージになる。ただあの頃よりも貧しさは無いし、仮に連休に行事なんて事を上乗せしても

慣れもあるし、正直そんなにダメージになるとは思っていなかったが、何となく程度に・・・へぇまだそんな気分になるんだーって。でもそれも良いかなって。

例えば、そのプチッと嫉妬、ねたみ、欲望とか、孤独感って、満足感まで程遠い気になるし、ハングリー精神的には、じゃそうならないようにやれよ・・・

的に、発奮材料になるし、良いじゃん・・・って取れば、プラスになる。ただ、何でそう思ったんだろう・・・ってそっちが気になるのね。一体、俺は

何でそんな気持ちになったんだろう・・・特に羨ましい気持ちになるような祝日でも無いし、ゴールデン・ウィーク的な大型連休で浮かれ気分の雰囲気も

無かったし・・・単なる3連休なのに。しかも自分も孤独とは無縁なお陰様でお教室も入っているし・・・人と接して話す機会があるのだから、孤独感とは

違いそうなのね。ただ大体想像付くんだけれど、本当にそれで合っているのかな・・・。まっ、それがもし合っているならそれも経験の1つになるんだろうが。いずれにしても、何をどうして立て直そうか・・・って話。単なる気分なら

黙々と何も考えずに下地でも彫れば、時間は過ぎるだけで、完成する安堵感や、満足感は得られる。これはいくらかプラスの気持ちになる。もしそれが

先生としての気持ちなら、先生katsuとしては立て直しのきっかけになるし、ピエロにしても、もう単純に赤を入れるだけであり、簡単に時間が解決する。

そうなると、また新しいピエロの緊張感となるし、取り付けなんかをすれば、今度は期待感なんてもんもあり、新鮮な気持ちや緊張感なんてもんも手に入る。

どう考えても、のんびりする気は無いし、気持ちが切れる状況では無いし、特に支払いに追われるような事も無く・・・そう言う点では余計な心配で気持ちを削られるような事も無い。作家katsuとしても困る事が無い。

そうなると、自分の問題なら、後は人間katsuとしてになる。人としてなら、そう言う家族とか、子供とか、そう言う自分に無い行事などのダメージになるが

特に思い当たるフシは無い。そうなると自分では無く、人から受けたものを自分に当てはめて、何か自分がしてあげられない・・・もどかしさや無力感と言った、孤独とは逆の関わった分のダメージとなる。それを他人事だから・・・と

流せる性格ならまだしも、感受性が豊かと言うのは、他人事では無く、一旦それを自分に落とす事で、自分の事とする・・・癖があるのね。勿論、それは考えるだけで、解決出来る事では無いのね。ただ引きずる時間の問題。

果てさて・・・俺の気分、単なる緊張だけなら、取り越し苦労とか、老婆心なだけなんだが・・・。

 


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kameyaさんと健さん教室

2025-02-23 06:30:28 | モザイクタイル教室

今日はまずkameyaさんの出張教室。ではまずラパンさんから。そうね、まずこれを見た時にどう感じるか?・・・それは音楽を目指さなくても、サザンを聴いてどう思う?みたいな話とか、料理を作らなくても、このラーメンどう?って

感覚の話ね。だから誰でも感じるって権利があるのね。その時に単なる好みで答える癖が付いていて、そのまま押し通すような人の場合なら、そのままで

どうぞ・・・なのね。ただお教室として習う場合なら、もう所作として駄目なのね。だって好きか嫌いか、趣味か趣味じゃ無いか?だけなら、馬鹿か利口か、

下手か上手いか、綺麗か汚いか、・・・って言うだけの表現しか出来ないって言っているようなものなのね。つまり自分の好みで、好きじゃないと表現すら

出来ない・・・いくら長く習い続けても・・・これではただ技術のみを習うだけなんで、絶対にある一定線までしか伸びしろが無いのね。やる前から見えているのね。

しかも、更に心技体となると、続ければ続ける程、大きく差が出るのね。だって習うのは技術だけで、全部自分の好みで自分が決める以上、受け入れる姿勢の

許容範囲を恐ろしく狭くする・・・そう言う考え方である。って言う姿勢である・・・って言われているようなものなのね。つまり岩石のような頑固な人、

それで技術だけ教えて・・・お金は払うから、一ヶ月に一回数時間だけやるから・・・これで何回やると上手くなる?って話なのね。所がラパンさんは、

カルチャーから始まった人なのね。だから、月に1回でも結構やっている人になるし、もっと前から他でモザイクを習った事のあるとなると、モザイク歴は

もっと長くなる。そう考えた時に、この始まったばかりの大作をどう感じる?と見た時、出来る出来ないだけなら、出来たら凄いだろうなぁ・・・位は、子供

でも感じるのね。じゃ何で凄いと思えるか?それは額として俺が作った下地のポイントがオリジナルとして立派に見えるからなのね。だってまだタイルはそんなに張られていないのに、凄く見えるはずが無いし、習っているなら切ったパーツ

を見て、技術を理解出来ても、やった事が無ければそんな事判るはずは無いのね。つまり今は俺の下地ポイントで上手く見えるのなら、これから自分の

モザイクでポイントを稼ぎ、いつか張り終わった時に、凄いよね・・・このリース・・・下地も・・って、俺の下地を上回る事が出来れば、より凄い作品に

変化させる、見た人にそう表現して貰えるようにすれば良いのね。って話になるのね。じゃどうしたらそう見えるのか?と掘り下げて行けば、出来るかどうか

は別にして、方法論を考える事が出来る。そう考える事に繋がる。では具体的にどうするか?・・・

この落書きは花の一部のパーツの解説に使ったんだけれど、全て同じパーツの説明なんだけれど、一番下だけロボットっぽく見えないかな?これが感じる

一歩目なのね。では何故そう見えるのか?それは直線だから。要するに花を作るに当たって、柔らかいラインが必要なのに、カチンってタイルを切れば、硬い

タイルをカチン・・・では真っ直ぐにしか切れない。つまり直線だけで柔らかい線を出すなんて事になる・・・まず不可能だね。それを切ったって言うかな?

それが始めたばからなら、良いけれどキャリアを積めば積むほど、上手くは見えないのね。何故なら算数のままで、数学にならないから。簡単のままのキャリアになるから。ピアノを習って何十年、咲いたぁ〜咲いたぁ〜って、単音を

弾けますぅって言われてもね・・・つまりそのまま続けるのなら、オリジナルの作曲をするのなら、いつか校歌くらい作れるかもね。ありゃ軍歌とか、行進曲だから、タンタンタンタンだから。それをタタ、タンとか、タッタタンとか、

この変化のリズムを刻まないとならないから、タイミングを問われるし、それをダンスとするのなら、いちにっさん、にぃにぃさんみたいになると、ワルツ

になるし、いち・・・いちにっさん、にー・・・にぃにぃにっさん。ってダンスなら、切れの良い動きになる。それをタンタンタンタンなら、行進。

ただ小学生も行進だが、軍隊も行進。質が違うのはやる気とキレ。こうやって自分はどうする?・・・これが意識。どうしたい?学校もそう。何処でも良い・・・もはや馬鹿でーす。って言っているようなもの。やる気を感じ無い。

頑張りますー・・・これもほぼ同じ。頑張らなくて良い。続けられればその内に上手くなるから・・・そして続けながら意識を変える。意識が変われば行動

が変わるから。簡単な話なのね。ただこの意識を変える事が、先生として難しいのね。何故なら人は簡単には変わらないし、簡単にも心変わりするから。

気紛れなんてのもある。気だね・・・。ここも。って理屈は判っても、俺は瀬戸内寂聴さんじゃ無いからね・・・ただそう見える人もいるんだけどね。あはは

では心は別にして、テクニックって簡単な説明ね。カチンではドーってピアノの鍵盤を叩いて音がしたとか、ザクッとじゃがいもを切った・・・こんな感じ。

それを優しくとか、悲しくとか、楽しくとか、意識して・・・って言っても、わかんなーいって人は、考えてないのね。でも、優しく背中を踏んで・・・も、

親の仇で踏んで・・・でも一緒な感性なら、いちいち踏み方教えないと判らない?違うよね、自分ならこんな感じ・・・って想像するでしょ?それそれ。

それで弾く、それで切る・・・ただそれだけ。その意識があれば、カチンでは真っすぐにしか切れないから、形がゴツゴツする。だからユルっと見せるには

どうしたら良いのか?って意識になる。その意識で切ろうとするが、技術が無いから切れない・・・そう意識が整えば、その気持ちで技術が無いのなら、それはこうするんだよ・・・に繋がるが、そんなの関係ねーって心持ちなのに、

いくら技術を教えても、面倒臭いな・・・って思っているでしょ?って話。きっとラパンさんは今日、本気で花を作ろうとしていたのね。曲げようと・・・

そんな人は、確実に花を作ろうとするのね。ただ色を選んでタイルを切ろうとはしない。花びらを作ろうとする。そんな意識に変わる。そんな中、棟梁はカットTBの動物のキツネ。

本当なら棟梁の腕を持ってしたら、その技術で徹底的にフサフサを作りたいと思うのね。でももしそうしたら?あぁ隣のりょうさんに思い切り差を付けて、我ここにあり・・・では無いのね。例えば、この作品に関してどう思うか?

それを頑張ろうとか、一生懸命とか、参加する心構えとして日本語としては合っているのね。でもそれ本当に?・・・なのね。まぁ他でならそれで良いけど、

俺の所ではそんなの要らないのね。まずはやるって参加を決めたのなら、終わらせる・・・って覚悟ね。つまり質の前第一は終る事。大体の時間内に。

つまりいつもの自分の作品とは全く違うのね。では何がそんなに違うのか?それが棟梁がいつものように、いくらでも時間を掛け、テクニックを屈指し、タイルもあれこれ使い、徹底的に切ったのなら、他の人達と比較した時、どう写る?

そりゃ隣に作る人はプレッシャー掛かるだろうね。だからかぐやは下部にしたのね。しかも隣が居ないように全部ってね。この場合、下部全部かぐやだから

比較する為には全体を見渡す程、離れないとならない。つまりバス通りの二車線分離れる事になると、繊細さまでは見られない。つまり比較出来ないのね。

しかし隣では、横だから目に入る。比較しやすい。でもみんなで作るって一歩目の段階なのね。だから全力で一生懸命で上手さの追求なんて自分の作品で

やるべきなのね。この作品は約束を守る・・・ただそれだけ。それはなるべく切らないで、目地幅を統一して、画像を良く見て・・・そして2回分くらいで。

でもね、棟梁のきつねは結構大きいのね。でも同じ教室2回分くらいで・・・って事にすると、キャリアの未熟な人へのハンデになるでしょ?それが練習。

しかもりょうさんが隣にしてあるから、きっと一緒にやるだろうね・・・。

ちなみにりょうさんはラクダね。まぁここまで来れば楽だね。あははは。要するに切る事や技術がある棟梁には、大きくて切らないモチーフのキツネで、みんなと同じ時間でりょうさんの面倒も見つつ・・・ってハードルが

プレッシャーになるのね。ただそれも踏まえてトップにしたはずだったのに、まさかのインフルで、最後に始めるのは予定外だったのね。まぁそれでもこれを見れば、心配無し・・・後は任せたよとなる。では戻って健さん教室。

と言っても、アライグマね。結果としては、今日は7時間・・・結構掛かっちゃったのね。これは健さんのせいでは無く、俺の見積もりが甘かったのね。

ある意味、明日の杏さんのキリンも同じ事が起きる可能性が高くなったとも言えるが、何しろ目標としてある程度の時間で完成させる・・・であって、

無理やり終わらせる事が望ましい訳では無いから、終わらなそうならアシストはする。まぁとは言え、また1人完成したのね。何かこうして次々終わると、

取り付けがとても楽しみになって来たのね・・・ちょっとワクワクもする。ただ逆に、これがターニングポイントの作品なのかぁ・・・となると、ホントかよ

・・・って気持ちもあるのも確かなのね。確かにもっと自信のある作品はあるだろうから・・・。ただね、ただ、世の中に見つかる作品としては丁度良いって

話なんだろうから・・・。ひとまず今日はおしまい。

 


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カットTB大杉店のピエロ

2025-02-22 00:09:52 | モザイク作家

今日はカットTB大杉店のピエロ。まぁそこそこ順調に進んでいると思うのね。ただ下絵の時は抜けている部分が緑だったんだけど、実際タイルを置いて見ると、何か地味なのね・・・

そこで在庫確認をすると、その中にカタログには無い色があって・・・山周さんに確認のメールを打って・・・返答待ちになる。何かみかん色でね・・・

とても可愛い感じだったのね。もし無かったら、オレンジって事になるだろうけど・・・このピエロは小さいからインパクトを考えて、艶のあるチップって、

タイルにしているのね。いつもはマットの照りが無いリップルってタイルなんだけれど・・・ね。まっここまで来れば、タイルが手に入れば、1日って所に

・・・って感じになったと思うのね。そうなると、いよいよ京葉店って事になるんだけれど、改めて寸法を確認すると、南篠崎店とほぼ同じ面積で・・・

何か思い込んでいたが、京葉店が一番大きいと思っていたのね。それで随分と気持ちが楽になった気もするし、だからと言って気を抜く気も無いし・・・。

下絵的には、バックは結構シンプルだったから、もう少し派手にしても・・・と思ったが、南篠崎と対して変わらない・・・となると、そんなにスペースが無い

感じがして来て・・・まっ実際、ピエロを描いて見ないと、判らないのね。ただこのピエロの仕事が折り返した感じがして来たのね。後、京葉店とオーナーの

自宅の玄関床が残っているんだけれど・・・。


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リピーターさん教室とカットTB大杉店のピエロ

2025-02-21 07:15:19 | モザイクタイル教室

今日は午後からとんかつのリピーターさん教室。って事で午前中は、実家でカットTB大杉店のピエロ制作・・・の前に、かぐやが忘れたゾウの尻尾。

これで下部は張り終わったし、ブタも終わっているし、段々と完成が見えて来ているのね。もう南篠崎店で手を出す部分は無いんで、大杉店のピエロ・・・

そうね、小さいながらも中々インパクトはあるし、考え方としては、新しい店舗の南篠崎店は全体に壁画としてやるって事で、賑やかしの意味がある。

知って貰う意味でもね。それは全体にやる・・・って感じになるから、トレーナーのお腹にプリントしてある絵って考えると、凄いインパクトになる。

それが大杉店のように認知されているって事と、全体にはやれる部分は多いが、何しろ予算的に考えたりすると、ここはワンポイント的な、Tシャツに傘とか

蝶とかみたいな刺繍がちょこっとしてある・・・みたいに見せる考え方。つまり大きく見せたピエロの壁画を見た人が見つけてくれた場合、あれここも?

みたいな感じになると予定通りだし、小さいから可愛いぃぃ・・・これ何?って感じに、ここが1000円カットと知っていたとしても、行く事も無く、興味が

無かった人が、あれ何?・・・とか、誰かと話してくれれば、それで十分口コミとして話題になる。そう考えると、幹線道路の京葉店は、南篠崎店と同じ位、

やる事になるが、ここは目立つ場所だから、あれこれ小さくわんさかよりも、でっかくドーンとピエロにして、根本的にこれ何?にしたいのね。まぁ効果と

して考えるに、AUやあいおい損保のように、最初耳にした時、えっ?何・・って思ったのね。まんまと俺の脳は、それを考えた人にはめられたのね。

要するに当たり前の普通な名前では、脳は反応しないものなのね。それは予定調和として、耳にしても、何の会社だか、何をしてくれるものなのか?

自分に関係するのか?簡単に脳が判断出来ると、脳は興味を示さない。勿論、予定調和も良い事と悪い事は背中合わせで、って事は、それを探している人には

簡単に見つける事が出来るんだけれど、反面興味が無い人には、それは要らない・・・って簡単に判断されちゃうのね。ただ新しい会社として立ち上げる時

に、最初から判っていると判断される考え方と、それって何?って興味を沸かせる・・・洗脳チックにって言う考え方は、興味があろうが無かろうが、反応

させる・・・って仕組みだから考え方次第。しかもきっと知られた後は、名前よりもピエロの店的に認知されるだろうし・・・今後江戸川区で違うピエロが付いている店を作っても、理髪店・・・って言わせられれば大成功だろう。

そんなこんなのリピーターさん教室と言っても壁画教室。これが中々大変だったのは、前回顔を終えたのね。だから体残しだったのね。所が中々進まない。

話していてすぐに判ったのは、30分くらいで終わると思ってた・・・って。それはそうなるわな・・・なのね。一番やっちゃ行けない事、それはナメちゃったのね。

顔のが確かに難しいのね。何しろ表情が出る。そもそも人間なんてやれ二重だの、整形だの、美顔美白、ほうれい線・・・美に関してナーバスな生き物。

そう考えれば美人に作りたい・・・そんな意識を高く持ち、やりたい・・・ってモチベーションと、緊張感を持って進んだから、良い意味で余裕は無かった

のね。その慣れを持って、自分の判断で後は体だけ・・・簡単じゃん、だから30分くらいだろう・・・って余裕って思ったのに、3時間掛かれば予定とは大きく違う事になる。それは急に追い詰められた気分になる。

それがいつも言う気の問題。もし顔が思い通りに終わっても、体の方が量が多いし・・・って顔の時と同じ気持ち、気で取り組めたら何も起きなかった。

けれど、顔が一番難しい、後はバック・・・的に、気を抜いてしまったのね。こうなると、気持ちを立て直さないと、人は崩れるともろいものなのね。ただ良く最後まで頑張ったと思うのね。

もし時間が来て終わらなかったら、残りは俺がやります・・・って言うと、何とか自分で最後までやりたい・・・って。まぁ簡単に言えば、2回以上は掛けては駄目なもの。

つまり6時間程度って事ね。例えばこれを最後の人が終わるまで大丈夫って言えば、いくらでも時間が掛けられる。でも仮にそれで今、安心しても、それは今の

安心であって、本当に最後の1人になる・・・って言うのは、そりゃ緊張感としては厳しいものになる。それが最初から厳しいものである。でもやりたい。

なんて意気込みで始まったなら、それ程でも無いかも知れないが、普通はやってみたい・・・くらいの気持ちで始まったのなら、そんな感じの時間で終わらないと、追い込まれると、何でこんなのやるって言っちゃったんだろう・・・。

って気持ちになったりするものなのね。もうその後向きな気持ちになったら、気として終わるはずも無く、当初のやってみたい気持ちとは、掛け離れる。

もう何も見なくてもいつもの結果は出ない。病は気からとは、良く言ったものである。人って言うのは、気ってもので簡単に左右されるし、ノリ的なものなら、ノリ的な時間で終わらないと、簡単に崩れるのね。

それと結果が出ないとやった事も間違ってた・・・って後悔さえする。例えば、受験とか受かれば報われて、落ちると意味が無くなると考える。全く

安易な話で、もしそれだけ頑張った気持ち、気があるなら、今度はそれを次の目標に向かってその気の時間を使えば、次は報われる可能性が生まれるだけ。

ただ生きている時間をその繰り返しで使えば良いだけなのに。ある意味、諦めてくれると、続けた人の確率が上がるだけで、ある意味助かるぅぅって考え方

でもある。何でも一緒で取り組む時に、その覚悟と気持ちを持つ。ここから始められると、折れる事無く進めるのに、ノリやその時の気分なんて安易にスタートすると、簡単に続けられなくなるのは当たり前なのね。

ただ卓球の愛ちゃんじゃ無いが、目指す・・・なんて意気込みの人は少ないものなのね。普通は段々とそんな気分になるものなのね。何となく・・・。

だからこれも何となく・・・で良いのね。単なる経験値を付けさせたいだけだから。人に見られる・・・しかも作品展みたいに会期中のみなら片付ける。

でもこの作品は店が無くなるまで・・・が会期なのね。本来はそんな重みがあるものなのね・・・だって俺の仕事なんだから。でもそれでも有志としての生徒さんを参加させる意味は経験値なのね。人に見られる作品って言うものの。

その経験を何度も踏んで貰うと、人に見られる作品とは?こう言う事なのか・・・って事が理解して来る。しかも仕事には工期、納期がある。

それはみんなの都合では無くて、俺の都合なのね・・・自分の教室の予約とは違って、自分の都合では無くて作品の都合に合わせる事になるのね・・・。

しかもお金払ってやる事?って思えば、やりたくないだろうし・・・それも十分判った上での参加で無いと、この経験が花咲く事は無いだろうし・・・。

いずれにせよ、これは本番では無く、まだ練習だから、出来栄えよりも、時間内に終わる事と、正解探しよりも、不正解探し。それは駄目だけはしない・・

どれが良いなんて自分勝手にするのは、自分の作品でやれば良いのね。その正解探しは自分の作品で。これは自分だけ目立つ事では無くて、誰がどれをやったのか?が判らないように溶け込む。いかにみんなに馴染むかなのね。

みんなで作るとはそう言う事なのね。それを何度か繰り返して慣れた頃に、思い切り自分を出せる、しかも時間内に・・・になるのね。今はその前段階。

そんな事からすれば、とんかつさんが立て直したのは何より。良く最後まで終わったのね。これでまた1人完成したのね。

 


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高洲のサークルとカットTB大杉店のピエロ

2025-02-20 01:09:44 | 高州のサークル

今日は高洲のサークル。のりちゃんが顔を出して帰っちゃった事もあり、今日は4人。ではまずキョンキョンから。コロでバックのクラッシュ入れ。

まっコツは、いびつ角形なんて言葉で理解して欲しいのは、まず角張る感じなんで、丸とか禁止で、大きさの大小のメリハリ。そして張る時に、大きいスペースに小さいパーツを入れる事を意識して、小さいスペースになるべく大きい

パーツを入れる意識を持つ事なのね。まぁキョンキョン上手くなっていて、悩んではいるものの、良い感じに仕上がっているのね。お次はタピオカ。

後一息って所まで来たのね。後1回で張り終わると思うのね。そしてキウイ。

久し振りのリースなんだけれど、リボンをレースな感じで・・・。って言うから、やはりリースの基本は抜け感。だから、模様を入れたら、間にピンクや

緑を入れる事で抜け感が出ると思うのね。ただ当然パーツの繰り返しになるんだけれどね。最後はお母さん。

これが80歳の作品かっ・・・って、言う事無いでしょ?もうこのグレードでキープをして終われば、完璧な作品になると思うのね。まぁしかしグレードが高い

グループだ事・・・。そんなこんなでアトリエに戻ってカットTB大杉店のピエロ。

ほぼ色の派手なのは、実家なんで明日行く事にして・・・今日は移動時間が勿体無いんで、アトリエにある色で・・・・。良い感じに可愛いのね。

まっ特に悩む事は無いはずなんだけど・・・。


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カットTB大杉店のピエロ

2025-02-18 23:39:29 | モザイク作家

今日はアトリエでカットTBの大杉店のピエロ。昨日縁取りのパーツを全部張ってしまったんで、カットしつつ張るとなると、中々進まないもので・・・。

それでも何とか縁取りも全部終えて、やっと中身に入れたのね。そんな中、明日は高洲のサークルなんだけれど、頼まれているタイルがみんな違うので、用意

が大変なのね。そんなこんなで準備を終えてから、もうちょっと・・・って事で、まっ縁取りが終わってラッキーだったと思えば、中身に入った事で、

まずまずと考えるべきだろうな。まぁただ大杉店はこれだけなんで、縁取りが終われば、後はすんなり行くと思うのね。そうなると、次は一番大きな京葉店。

ここは思い切り攻めるべきだろうなぁ・・・って思うのね。本来作家って自己主張の塊とか、フォワードとか、営業とか良い意味で積極的、悪く言えば図々しく、何しろ今どきの空気を読むなんて事よりも、主張を優先。

こんな生き物だと思うのね。ただそれを俺の場合、お客さんの意向に沿った・・って事になるのね。それも仕方無いんだけれど、お任せされるって言う

スタイルでは無いから、自由に・・・って機会は少ないのね。所が今回はピエロってお題なら、何でもどうぞ・・・なんで、好きにして良い。それはひとえに

店舗であり、お互いに目立ちたい・・・だから両者共に攻められる。斬新な切り口で良いし、そうね例えばペットってお題で考えると、普通なら

犬、猫、鳥、金魚にヘビ、ヤモリにメダカ、カメ・・・ってこんなもんが良く出て来るものなら、ダチョウ、ラクダ、ゾウ、キリン・・・って事だと、

えっ?・・・って事になるのね。仮にそれおかしいじゃん・・・ってなったとしても、要するに考え方であって、普通じゃ無いよね?となれば、後は擦り寄せ。

一体何処らへんの生き物がギリギリか?・・・これが今までの俺のスタイル。だから守り重視になる。本来作家は積極的に攻めると言うのなら、積極的に守る・・・って全く逆の選択になる。

それを何処で折り合いを付けるか?となると、メインは決まっているのだから、バックなのね・・・例えば花を頼まれて、そこに大きく個性って出せるか?

となると、中々難しいし、ウチの犬とか猫も同じく、似ているかどうか?になる。つまりそれ以外のバックで個性って事になりがちなのに、今回はピエロで

あれば何をしても問題が無い、ほぼ丸投げ状態なんで常にお任せなのね。完全オリジナルなのね。ただ漫画チックで、リアルでは無いのね。それは常に言ってる、

リアルは凄いに繋がっても、可愛いは、どうしてもそれより満足感が削がれる。勿論、ただ見るだけなら、どちらでも良いが、お客さんとして・・・と考えると、そりゃそうだろうな・・・と想像付くでしょ。

だからガウディにリフォームさせたオーナーさんは凄いのね。あんな見た事無い建物にお金を支払ったんだから・・・。結果として入居者が絶たないって、

事になったから、認められる事になるんだけれどね。そうね、それも考え方とスタイルで大きく変わるんだけれど、例えば高校や大学にこのピエロの壁画に

お金が出せるか?となると、まず無理だろうね。でも幼稚園や保育園、動物園ならどうだろうか?・・・とか、宇多田さんのAutomaticを聴いて、校歌を作って貰いたいか?となると、ぼくはくまを聴いて頼む方が順当だろうし・・・

勿論、売れている人に頼めば、断られる可能性も高いし、当然ギャラも高いだろうし、売れていなければ頼みやすいし、断られる可能性は低いし、ギャラも

安く済むだろうね。ただ関わった人が納得するか?って話になるだろうけれどね。売れている人はその前に、誰もが認知していて、売れていないとそれ誰?

となる。達郎さんにしても、売れていない時に取り直ししたい・・・と言うと、スタジオいくら掛かると思ってんだ・・・そんなの売れなきゃ無理って、

言われたエピソードがあったり、ユーミンなら、デビュー曲から、松任谷さんや細野晴臣さんなんて、日本を代表するミュージャンで始まるのだから、

期待感の違いが見られるのね。エリートと叩き上げって常に格差があるもので、それとて今の達郎さんなら好きなだけ取り直しが出来るだろうし・・・

それもどれにも必ず、ターニングポイントがあるのね。何しろ知って貰えないと始まらない。そうね、例えば競馬の駆け引きみたいに人生にもあって・・・

最初に飛び出し逃げ切ろうとするスタイル、先行逃げ切りなんてもんがあれば、後から最後に追い込んで来るスタイル。俺は完全に後者になる。

これは食事でもそう。好きなもんから食べるのか?それを最後に食べるのか?最初に食べれば、お腹が空いているし、大好きなんだから最高に旨いと考えるのか?

悪意を持てば、後はそれより不味くなるものを食べ続けるって事になる。って考え方もあるし、最後に食べるのなら、最後に最高ってなるけれど、満腹に近い

状況で本当に美味しいのか?って考え方もある。別にどちらが正しいか?では無くて、その人のスタイルに合っているかどうか?なのね。ただそれとて、全て

完食を前提の話で、エリート的に考えるのなら、残せば良いだけね。完食前提ってそもそも貧乏なら、残す前提の考え方は無いのね。当然、生き方も同じ。

楽しく・・・って言うのなら、ラクをすれば良いのね。歩くよりタクシー。ただ、歩きはタダだけど、タクシーはお金が掛かる。まっ大抵はお金で解決。

そんな考え方もある。全てが優先順位なのね。ラクして早くならタクシー。タクシーはお金が掛かる。正反対なら早く出発して歩く。それはタダ。

そんな極端は嫌なら、自転車。ただこれも初期投資が必要になり、賃貸的に庶民は持ち家じゃ無くて経費がタダのバス。全部生きるってこんな仕組み。

シュートして花形のフォワード、ソロのある、サックス、ペット、ピアノにバイオリン・・・逆にキーパー、ユーフォニアム、チューバ・・・。

ホームランにバント。みんな同じ仲間だけれど、いないと困るんだけど、目立つ事からは掛け離れているって人がいる。まぁそう言う点では、完全に保守だったのね・・・俺。

ただ去年から徐々に本気の血の入れ替えなんで、フォワードの考え方にしているのね・・・そんな気持ちで京葉店のバックって感じなのね。ド派手に行きたいのね・・・。一切余計な事は抜きで・・・。

 


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