※毎日新聞2014年05月27日大阪夕刊、作家・高村 薫さんのインタビュー記事を転載いたします。
「本当にこんなバカなこと、やる気なんですかねえ」
「解釈改憲の先にあるもの」について高村薫さん(61)に聞きたくて、大阪府吹田市の自宅にお邪魔した。だが高村さんは首をかしげ「本当に」と何度もつぶやく。「先にあるもの」どころか、手前の「集団的自衛権の必要性」からして「まったく理解ができません。それにそもそも、憲法って解釈するものなのでしょうかねえ」と、逆に問いを投げかけるのだ。
「今の日本って妄想だらけだと思うんです。妄想があらゆるところを覆っている……」。2時間弱の取材で「妄想」を24回も発した。
1997年にスタートした「この国はどこへ行こうとしているのか」シリーズ。その初回、グリコ・森永事件をモチーフに日本の企業社会の闇をえぐり出した小説「レディ・ジョーカー」の出版を前に登場してもらった。
この時、高村さんはバブル崩壊の影響とグローバリズムにさらされる日本社会について「これから『悪い時代』になっていく」と予見した。その後も「『悪い時代』が現実感を伴ってきた」(2006年)、「将来のことを考えるのがこんなにつらい時代が来るとは思わなかった」(12年)と、年を経るごとに重く、厳しい言葉で時代を評した。その高村さんから「妄想」という言葉が飛び出すのは初めてだ。
「集団的自衛権の問題一つとっても今の時代、世界のどこに世界一の軍事大国・米国を攻撃する国があるんですか。その米国を日本が守る? そんな事態が本当に起こると思っているのか。すべて安倍(晋三)さんたちの妄想としか思えません。しかも憲法は時代を超えて私たちの思考の基礎になるもの。その時々の人が解釈するものを憲法とは呼びません。解釈改憲こそ妄想の最たるものです」。困ったことに、その「妄想」が現実になろうとしている。
解釈改憲を急ぐのは尖閣問題で緊張する中国の存在が一つの理由らしい。「でも考えてみてください。中国との関係悪化にしても、もともとは日本の尖閣国有化に端を発したものです。それに安倍さんの靖国参拝が火を付けた。なのに『中国の出方は脅威だ』という空気の中で解釈改憲しようとしている。本来、日本の外交努力で解決できる問題のはずでこれも妄想です」
なぜ「妄想」がまかり通るようになったのか。そう問いかけると「最近、日本の経常収支の黒字が1兆円を切ったというニュースがあった。これは実に大変なことです」と意外な方向から切り返してきた。
12日に財務省が公表した13年度の日本の経常収支の黒字が、比較可能な85年度以降で初めて1兆円を下回り、7899億円になった。つい数年前まで10兆円以上あったにもかかわらず、だ。「すでに日本は貿易収支が赤字です。日本が国際的にどれだけもうけたかを示す経常収支ですらいよいよ赤字に陥る時代が近い。日本が右肩下がりの時代に入ったことが如実に示された」
経済が元気な時は、人々は未来や社会に希望を抱ける。でも右肩下がりの時代はどうか。高齢化が進み、企業も生産拠点を海外に移す。年金も仕事も不安だ。10年、20年後、自分が食べていけるかも見通せず、余裕がない。
「仮に安倍さんが『妄想』を並べ立てても、国が元気な時なら余裕があるから『妄想』だと気付くし、指摘もするし反対もする。今はみんな自分のことで手いっぱい。『妄想』と気付かないし、気付いても『まあいいや、アベノミクスで経済が良くなるなら』。そもそもみんな社会の先行きに関心がなくなった。安倍政権の言葉や政策に中身がないとうすうす分かっていても批判せず、良い方向に持っていく努力をしなくなった」
第一次大戦後、莫大(ばくだい)な賠償金にあえぐドイツの民衆がナチスの掲げる「妄想」に吸い寄せられ、戦前の日本が「大東亜共栄圏」という「妄想」に酔って無謀な戦争になだれ込んだ歴史と、今の日本を重ね合わせるのは大げさに過ぎるだろうか。
高村さんは視線を落とし「最悪の想定ですが、集団的自衛権が必要という妄想から覚める劇薬はある」という。
集団的自衛権行使が認められれば、米国の戦争に日本がコミットする機会が必ず来る。そうなれば自衛隊員に戦死者が出る。あるいは自衛隊員が他国の兵士らを殺害する。戦後初の事態に多くの日本人から拒否反応が出るだろう。「ここでやっと妄想から覚める。集団的自衛権で得たものは何もない、戦死者を生んだだけだ、と」。苦しそうに表情をゆがめた。
これ以外に「妄想」から覚める方法はないのか。高村さんは「日本社会に今一番必要なのはパブリック、つまり『公の心』です」と繰り返す。
普通、公共心とは「自分よりも社会の利益を優先する心」と解される。高村さんのいう「公の心」はもっと広い。「愛国心」とも違うし、例えばごみのポイ捨てをしないといった公共のエチケットとも違う。「民主主義を支える、当たり前のルール」に対する心がけや思いだ。例えば少数派の権利が守られているか、きちんと法的な手続きが順守されているか、他人の権利を侵害していないか、などに気を配る目線のことだ。
「その見方に立てば民衆だけでなく、今の政治にも『公の心』が全く欠けています。公人である安倍首相が率先して『自分の公約だから』と個人の情念で靖国神社に参拝する。『憲法は解釈で変えてはならない』のは高校生でも分かるのに、自分の妄想に従って変えようとする。解釈改憲の先には、いよいよ『公の心』が消えた荒廃した社会が広がっているのではないか」
高村さんは「この国」シリーズで「このままではこの国はつぶれる。だから政治を変えるしかない。そのためには選挙に行くしかない」と繰り返してきた。しかし「公の心」が社会から失われれば、それこそ政治への関心も薄れ、投票する有権者はますます減るのではないか。
「少なくとも、私は憲法を解釈で変えてもいい、と考える首相を頂くことに有権者はもっと恥じるべきだと思うのですが、違いますか」。淡々と語り続けていた声が高くなった。「結局、一人一人が社会を作っているのだ、という認識を取り戻す努力をすることに尽きる。だからやはり選挙には行く。社会で起きていることを注視する。そして子どもじゃないんだから、いくら自分のことだけで余裕がないといっても、『妄想』は『妄想』だと見抜く知恵を磨く。社会と自分の未来を守るには、これしかありません」
特効薬はない。地味で遠回りのようでも、社会の一員としての義務を果たすことが「妄想」を克服する一番の近道のようだ。
◎たかむら・かおる
1953年大阪市生まれ。93年「マークスの山」で直木賞。著書に「太陽を曳く馬」「冷血」など。全国の地方紙などに「21世紀の空海」を連載中。