川本ちょっとメモ

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ビリョクだけどムリョクじゃない! ‥‥の出所は長崎「高校生平和大使」の合言葉

2014-08-24 11:06:27 | Weblog


※平成24年10月10日 「高校生平和大使」への外務大臣感謝状授与式の開催



ビリョクだけどムリョクじゃない! 微力だけど、せいいっぱい、声を上げましょう。

恥ずかしいことですが、今年の「長崎市長平和宣言」を読んで初めて、このことばを知りました。感動しました。私のような民衆、庶民、市民、町民にとって、これほど励みになることばはありません。しかも、著名人のことばではなく、長崎の高校生が発したことばと言うじゃありませんか!

新聞で元世界銀行副総裁・西水恵美子さんのコラムを読んだついでに、初めて西水さんのフェイスブックを訪ねました。西水さんのフェイスブックのカバー写真というところには、色紙1枚の写真が掲載されていました。その色紙には、「微力だが無力ではない」と墨書されてありました。

これに限らず、このことばは今では幅広く流布していて、多くの人々がこのことばを支えにしながら、さまざまな社会活動にいそしんでいます。

すでに、「高校生平和大使―ビリョクだけどムリョクじゃない!」という本が2007年、長崎新聞社から出版されています。

この出版の数年前、2001年に始まった核廃絶署名活動のさ中に、「ビリョクだけどムリョクじゃない!」という合言葉が生まれ、育っていったもののようです。そして今では、このことばは多くの人々の共有財産になりました。

この本が目についたのか、2008年長崎市長「平和宣言」では――。

長崎では、高齢の被爆者が心とからだの痛みにたえながら自らの体験を語り、若い世代は「微力だけど無力じゃない」を合言葉に、核兵器廃絶の署名を国連に届ける活動を続け、市民は平和案内人として被爆の跡地に立ち、その実相を伝えています。医療関係者は、生涯続く被爆者の健康問題に真摯に対応しています。(長崎市長)


また、今年2014年長崎市長「平和宣言」では――。

高校生たちが国連に届けた核兵器廃絶を求める署名の数は、すでに100万人を超えました。その高校生たちの合言葉「ビリョクだけどムリョクじゃない」は、一人ひとりの人々の集まりである市民社会こそがもっとも大きな力の源泉だ、ということを私たちに思い起こさせてくれます。(長崎市長)


長崎市の「長崎平和宣言」というホームページの「用語解説」10のことばの中に、『ビリョクだけどムリョクじゃない』も収録されていて、次のように述べています。 (注) …2018.1.9.に長崎市ホームページを確認したところ、用語解説10が
           用語解説9になっています。この名言は削除されたようです。

この言葉は高校生平和大使が平和活動を行う上での合言葉となっています。高校生平和大使は1998年(平成10年)5月のインド及びパキスタンによる核実験を契機に長崎の声を国連に届けるために派遣されました。1998年以降、毎年国連に派遣されており、2001年(平成13年)からは高校生が集めた核兵器廃絶を求める署名を国連欧州本部(ジュネーブ)に提出しています。




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「集団的自衛権行使容認の閣議決定に抗議し、その撤回を求める憲法研究者の声明」全文

2014-08-13 23:27:53 | Weblog


2014年8月4日、東京・市ヶ谷の私学会館で、集団的自衛権行使容認の閣議決定を批判する憲法研究者の声明を発表する記者会見があり広く報道されました。この記者会見の司会を務めた清水雅彦日本体育大学教授のブログから、資料を残す意味で、声明全文と呼びかけ人・賛同人を転載します。

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 集団的自衛権行使容認の閣議決定に抗議し、
 その撤回を求める憲法研究者の声明


安倍晋三内閣は、7月1日、多くの国民の反対の声を押し切って、集団的自衛権の行使を容認する憲法解釈変更の閣議決定を強行した。これは、「集団的自衛権の行使は憲法違反」という60年以上にわたって積み重ねられてきた政府解釈を、国会での審議にもかけずに、また国民的議論にも付さずに、一内閣の判断で覆してしまう暴挙であり、断じて容認できない。

閣議決定は、従来の政府憲法解釈からの変更部分について次のように述べている。

「我が国に対する武力攻撃が発生した場合のみならず、我が国と密接な関係にある他国に対する武力攻撃が発生し、これにより我が国の存立が脅かされ、国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険がある場合において、これを排除し、我が国の存立を全うし、国民を守るために他に適当な手段がないときに、必要最小限度の実力を行使することは、従来の政府見解の基本的な論理に基づく自衛のための措置として、憲法上許されると考えるべきであると判断するに至った」。

しかし、この新解釈では、どのような「他国に対する武力攻撃」の場合に、いかなる方法で「これを排除し」、それがどのような意味で「我が国の存立を全う」することになるのか、またその際の我が国による実力の行使がどの程度であれば「必要最小限度」となるのか、全く明らかでない。その点では、次のように述べた1981年6月2日の稲葉誠一衆議院議員の質問主意書に対する政府の答弁書から完全に矛盾するものである。

「憲法9条の下において許容されている自衛権の行使は、我が国を防衛するため必要最小限度の範囲にとどまるべきものであると解しており、集団的自衛権を行使することは、その範囲を超えるものであって、憲法上許されない」。

結局、今回の閣議決定は、どのように言い繕ってみても、日本が武力攻撃されていないのに他国の紛争に参加して武力行使に踏み切るという点においては、従来の政府見解から明白に逸脱するものである。

また、閣議決定は、公明党に配慮してか集団安全保障措置への武力行使を含めた参加についてはふれていないが、国連決議にもとづく軍事行動も、「憲法9条の下で許容される自衛の措置」の条件を満たせば可能であることは否定されていない。

加えて、米軍などとの軍事協力の強化は、閣議決定の中で、「我が国の防衛に資する活動に現に従事する米軍部隊」に対する攻撃の際の、自衛隊による「武器等防護」名目の武器使用や、国連安保理決議に基づく他国の軍隊の武力行使への自衛隊の支援という形で画策されている。

以上の点をふまえれば、今回の閣議決定は、海外で武力行使はしないという従来の自衛隊からの決定的変貌であり、「戦争をしない、そのために軍隊をもたない」と定め、徹底した平和外交の推進を政府に求めている憲法9条の根本的変質にほかならない。

私たち憲法研究者は、こうした憲法9条とそれに基づく戦後の平和・安全保障政策の完全なる転換ないし逸脱を意味する今回の閣議決定に対して、断固として抗議するとともに、その速やかな撤回を強く求めるものである。

さらに、政府は、この閣議決定を踏まえて、自衛隊法、周辺事態法、武力攻撃事態法、PKO協力法などの法律「改正」による国内法の整備を画策している。このことは、今回の問題が、7月1日の閣議決定で終了したのではなく、その始まりであり、長く続くことを意味している。私たち憲法研究者は、今後提案されてくるであろう、関連諸法律の「改正」や新法の制定の動きに対して、今回の閣議決定を断固として認めないという立場から、これらを厳しく検討し、時宜に応じて見解を表明することを宣するものである。

                2014年7月18日

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<呼びかけ人>
青井未帆(学習院大学教授) *飯島滋明(名古屋学院大学准教授) 石村修(専修大学教授) 稲正樹(国際基督教大学教授) 井端正幸(沖縄国際大学教授) 植野妙実子(中央大学教授) 浦田一郎(明治大学教授) 大久保史郎(立命館大学教授) 大津浩(成城大学教授) 奥平康弘(憲法研究者) *小沢隆一(東京慈恵会医科大学教授) 上脇博之(神戸学院大学教授) 小林武(沖縄大学客員教授) 小松浩(立命館大学教授) 小山剛(慶応大学法学部教授) *清水雅彦(日本体育大学教授) 杉原泰雄(一橋大学名誉教授) 隅野隆徳(専修大学名誉教授) 芹沢斉(青山学院大学教授) *徳永貴志(和光大学准教授) *永山茂樹(東海大学教授) 西原博史(早稲田大学教授) 水島朝穂(早稲田大学教授) 本秀紀(名古屋大学教授) 森英樹(名古屋大学名誉教授) 山内敏弘(一橋大学名誉教授) 渡辺治(一橋大学名誉教授) 和田進(神戸大学名誉教授)

以上28名/*は事務局


<賛同人>
愛敬浩二(名古屋大学教授) 青木宏治(関東学院大学法科大学院教授) 青野篤(大分大学経済学部准教授) 穐山守夫(明治大学兼任講師) 浅川千尋(天理大学教授) 浅野宜之(大阪大谷大学教授) 麻生多聞(鳴門教育大学准教授) 足立英郎(大阪電気通信大学教授) 新井信之(香川大学教授) 井口秀作(愛媛大学教授) 石川多加子(金沢大学准教授) 石川裕一郎(聖学院大学) 石埼学(龍谷大学法科大学院教授) 石塚迅(山梨大学准教授) 井田洋子(長崎大学教授) 市川正人(立命館大学教授) 伊藤雅康(札幌学院大学法学部教授) 猪股弘貴(明治大学教授) 今関源成(早稲田大学教授) 岩本一郎(北星学園大学教授) 植木淳(北九州市立大学) 上田勝美(龍谷大学名誉教授) 植松健一(立命館大学教授) 植村勝慶(國學院大學教授) 右崎正博(獨協大学教授) 浦田賢治(早稲田大学名誉教授) 榎澤幸広(名古屋学院大学講師) 江藤英樹(明治大学准教授) 榎透(専修大学准教授) 榎本弘行(東京農工大学専任講師) 江原勝行(岩手大学准教授) 大隈義和(京都女子大学教授) 大河内美紀(名古屋大学教授) 大田肇(津山工業高等専門学校教授) 太田裕之(同志社大学法学部准教授) 大野友也(鹿児島大学准教授) 大藤紀子(獨協大学教授) 岡田健一郎(高知大学教員) 岡田信弘(北海道大学法学研究科教授) 岡本篤尚(神戸学院大学教授) 奥野恒久(龍谷大学政策学部教授) 小栗実(鹿児島大学法科大学院教員) 押久保倫夫(東海大学教授) 加藤一彦(東京経済大学教授) 金子勝(立正大学名誉教授) 彼谷環(富山国際大学准教授) 河合正雄(弘前大学講師) 河上暁弘(広島市立大学広島平和研究所准教授) 川畑博昭(愛知県立大学准教授) 菊地洋(岩手大学准教授) 北川善英(横浜国立大学名誉教授)  木下智史(関西大学教授) 君島東彦(立命館大学教授) 清末愛砂(室蘭工業大学准教授)清田雄治(愛知教育大学教授) 久保田穣(東京農工大学名誉教授) 倉田原志(立命館大学教授) 倉持孝司(南山大学) 小竹聡(拓殖大学教授) 後藤光男(早稲田大学教授) 木幡洋子(愛知県立大学名誉教授) 小原清信(久留米大学教授) 小林直三(高知短期大学教授)  近藤敦(名城大学教授) 今野健一(山形大学人文学部教授) 齊藤一久(東京学芸大学准教授) 斉藤小百合(恵泉女学園大学教員) 阪口正二郎(一橋大学) 笹川紀勝(国際基督教大学名誉教授) 笹沼弘志(静岡大学教授) 佐藤潤一(大阪産業大学教養部教授) 佐藤信行(中央大学法科大学院教授) 澤野義一(大阪経済法科大学教授) 菅原真(名古屋市立大学准教授) 鈴木眞澄(龍谷大学教授) 高佐智美(青山学院大学教授) 高橋利安(広島修道大学教授) 高橋洋(愛知学院大学大学院法務研究科教授) 竹内俊子(広島修道大学教授) 武永淳(滋賀大学) 竹森正孝(岐阜市立女子短期大学) 田島泰彦(上智大学教授) 多田一路(立命館大学教授) 只野雅人(一橋大学教授) 塚田哲之(神戸学院大学教授) 寺川史朗(龍谷大学教授) 内藤光博(専修大学法学部教授) 長岡徹(関西学院大学法学部教授) 中川律(埼玉大学准教授) 中島宏(山形大学准教授) 中島茂樹(立命館大学教授) 永田秀樹(関西学院大学教授) 中富公一(岡山大学教授) 長峯信彦(愛知大学法学部教授) 西嶋法友(久留米大学教授) 成澤孝人(信州大学教授) 成嶋隆(獨協大学教授) 西土彰一郎(成城大学教授) 丹羽徹(大阪経済法科大学教授) 根森健(新潟大学教授) 野中俊彦(法政大学名誉教授) 口晶子(龍谷大学准教授) 樋口陽一(憲法学者) 廣田全男(横浜市立大学教授) 深瀬忠一(北海道大学名誉教授) 福岡英明(國學院大學教授) 福嶋敏明(神戸学院大学准教授) 藤野美都子(福島県立医科大学教員) 前原清隆(日本福祉大学教授) 松井幸夫(関西学院大学教授) 松田浩(成城大学教授) 松原幸恵(山口大学准教授) 三宅裕一郎(三重短期大学教授) 宮地基(明治学院大学法学部教授) 三輪隆(元埼玉大学教員) 村田尚紀(関西大学教授) 元山健(龍谷大学名誉教授) 諸根貞夫(龍谷大学教授) 山崎英壽(都留文科大学非常勤講師) 柳井健一(関西学院大学教授) 結城洋一郎(小樽商科大学名誉教授) 横尾日出雄(中京大学教授) 横田力(都留文科大学教授) 吉田栄司(関西大学教授) 若尾典子(佛教大学) 脇田吉隆(神戸学院大学准教授) 渡辺賢(大阪市立大学大学院法学研究科教授) 渡邊弘(活水女子大学准教授) 渡辺洋(神戸学院大学教授)

以上129名(2014年8月4日10時00分現在)


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7月1日閣議決定が集団的自衛権「合憲」の根拠とした1972年政府見解が、逆に憲法違反を証明

2014-08-07 14:32:54 | Weblog



<1972年政府見解結論と真逆の解釈を押しつけ>

集団的自衛権に関する2014.7.1.内閣閣議決定では、「自衛の措置」に力点を置いているのは明らかです。「自衛の措置」という文言である限り「個別的自衛権」も「集団的自衛権」も包括した「自衛権」を意味することになります。自公両党並びに安倍政権は、「限定的集団的自衛権」という定義を新設して、憲法9条の従来政府解釈の枠内であると、私たち国民に押しつけています。

閣議決定では、限定的集団的自衛権容認という拡大解釈が、憲法9条に関する従来の政府見解との論理的整合性の枠内に収まるとして、「昭和47年10月14日参議院決算委員会宛て政府提出資料」をその根拠として明示しています。これが、いわゆる「1972年政府見解」です。下に、閣議決定のその部分を抜粋表示します。

    ◇    ◇    ◇

<2014.7.1.閣議決定から>

これが(※注/わが国の存立を全うするために必要な「自衛の措置」)、憲法第9条の下で例外的に許容される「武力の行使」について、従来から政府が一貫して表明してきた見解の根幹、いわば基本的な論理であり、昭和47年10月14日に参議院決算委員会に対し政府から提出された資料「集団的自衛権と憲法との関係」に明確に示されているところである。

       ----------------------------------------

しかし、この1972年政府見解は、「自衛の措置」すなわち自衛権を認めるものですが、集団的自衛権の行使は憲法において禁止されている、と明言している文書です。

国立国会図書館調査及び立法考査局発行「レファレンス 2011.11」という論集に、『憲法第9条と集団的自衛権 ―国会答弁から集団的自衛権解釈の変遷を見る―(政治議会課憲法室・鈴木尊紘)」という記事が掲載されています。ここでは1972年政府見解について、「憲法のレベルではそれを実際に行使することはできないことを明示した」、「この答弁は、1981 年の明確な政府公式見解につながっていく」としています。

このうち、上記「1972年政府見解」に関わる部分だけ、下に転載します。

    ◇    ◇    ◇

<憲法第9条と集団的自衛権 ―関係部分抜粋― >

そして、1972 年から田中角栄政権となる。この時期において重要なのは、第 69 回国会に提出された決算委員会資料である。当該資料は、次のように説明している。

「政府は、従来から一貫して、我が国は国際法上いわゆる集団的自衛権を有しているとしても、国権の発動としてこれを行使することは、憲法の容認する自衛の措置の限界をこえるものであって許されないとの立場に立っている。(中略)我が憲法の下で、武力行使を行うことが許されるのは、我が国に対する急迫、不正の侵害に対処する場合に限られるのであって、他国に加えられた武力攻撃を阻止することをその内容とする集団的自衛権の行使は、憲法上許されない」(第 69 回国会参議院決算委員会提出資料 昭和 47 年 10 月 14 日)。

この資料は、安保条約前文の集団的自衛権規定と集団的自衛権の政府解釈の関係に関する質疑(同年9月14日)に対して、政府が提出した資料である(20)。

この資料のポイントは、第 1 に、政府が集団的自衛権は国際法上我が国も有するが、憲法のレベルではそれを実際に行使することはできないことを明示したこと、第 2 に、集団的自衛権を「海外派遣」だけでなく、包括的かつ一般的な武力行使の態様であると捉えていること、第 3 に、集団的自衛権を保有はするがその行使は禁止されるという後の政府見解の嚆矢となる表現を用いていることである。この答弁は、1981 年の明確な政府公式見解につながっていくものである。

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閣議決定文書に言う「昭和47年10月14日参議院決算委員会宛て政府提出資料」が、いわゆる1972年政府見解です。閣議決定はこれをもって、憲法9条について従来の政府解釈の枠内である根拠として挙証しました。しかしこの1972年政府見解は、文末の結語において、集団的自衛権を認めない、としている文書です。ご覧ください。

    ◇    ◇    ◇

昭和47年(1972年)10月14日参議院決算委員会提出資料
  (集団的自衛権と憲法との関係に関する政府資料)

国際法上、国家は、いわゆる集団的自衛権、すなわち、自国と密接な関係にある外国に対する武力攻撃を、自国が直接攻撃されていないにもかかわらず、実力をもって阻止することが正当化されるという地位を有しているものとされており、国際連合憲章第51条、日本国との平和条約第 5条(C)、日本国とアメリカ合衆国との間の相互協力及び安全保障条約前文並びに日本国とソヴィエト社会主義共和国連邦との共同宣言 3第 2段の規定は、この国際法の原則を宣明したものと思われる。

そして、わが国が、国際法上右の集団的自衛権を有していることは、主権国家である以上、当然といわなければならない。

ところで、政府は、従来から一貰して、わが国は国際法上いわゆる集団的自衛権を有しているとしても、国権の発動としてこれを行使することは、憲法の容認する自衛の措置の限界をこえるものであって許されないとの立場に立っているが、これは次のような考え方に基くものである。

憲法は、第9条において、同条にいわゆる戦争を放棄し、いわゆる戦力の保持を禁止しているが、前文において「全世界の国民が……平和のうちに生存する権利を有する」ことを確認し、また、第13条において「生命・自由及び幸福追求に対する国民の権利については、……国政の上で、最大の尊重を必要とする」旨を定めていることから、わが国がみずからの存立を全うし国民が平和のうちに生存することまでも放棄していないことは明らかであって、自国の平和と安全を維持しその存立を全うするために必要な自衛の措置をとることを禁じているとはとうてい解されない。

しかしながら、だからといって、平和主義をその基本原則とする憲法が、右にいう自衛のための措置を無制限に認めているとは解されないのであって、それは、あくまでも外国の武力攻撃によって国民の生命、自由及び幸福追求の擁利が根底からくつがえされるという急迫、不正の事態に対処し、国民のこれらの擁利を守るための止むを得ない措置として、はじめて容認されるものであるから、その措置は、右の事態を排除するためとられるべき必要最小限度の範囲にとどまるべきものである。

そうだとすれば、わが憲法の下で武カ行使を行うことが許されるのは、①わが国に対する急迫、不正の侵害に対処する場合に限られるのであって、 ②したがって、他国に加えられた武力攻撃を阻止することをその内容とするいわゆる集団的自衛権の行使は、憲法上許されないといわざるを得ない。

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上記政府見解は結末で、①「わが国に対する急迫、不正の侵害に対処する場合に限られる」から、②「集団的自衛権の行使は、憲法上許されない」としています。これが政府見解の結論なんです。

しかし、7月1日内閣閣議決定ではこの結論を無視或いは隠して、「限定容認」という偽装をまとったうえで、集団的自衛権行使容認を決めています。終末部をもう一度読み返してください。「集団的自衛権の行使は、憲法上許されない」としています。閣議決定の中で合憲性の根拠として例示した政府見解が、7月1日閣議決定が憲法違反であることを証明しています。

本稿では前稿と同じように、閣議決定を「憲法違反」という観点から見ています。私は安全保障政策の評価より以上に、国家最高指導者主導のもと、政府による「憲法違反」という行為の重大性を最重要視しています。憲法は基本的人権や生存権、信教・思想・表現・学問の自由など、たいへん重要な思想を表現しているものであり、あらゆる国法の基礎であり、国の統治の源です。一内閣の好みに合わせて、時の政治権力によって簡単に、国の統治の源である憲法解釈の変更が行われるなら、それは法治の乱れを呼び、国の乱れにつながり、地方自治の乱れへと蔓延していくでしょう。

安全保障政策の改変を企図してきた安倍首相は、最終的には憲法9条を改変しようとしています。その手段としてまず、改憲要件を定める憲法96条の改変にとりかかる前宣伝を2013夏参院選前にしていました。しかし参院選勝利の後は、閣議決定による憲法9条の実質的変更を企て、この暴挙を実現しました。これからも自民党憲法草案の実現に向けて、安倍首相はまい進していくでしょう。

2012年末の安倍政権成立以後の短年月、武器輸出3原則の緩和、特定秘密保護法の新設、このたびの憲法9条解釈改変閣議決定と、先行き不安な政策ばかり急激に推進されています。第2次大戦後の日本において安倍政権は最も危険な政権です。

安倍内閣退陣の機運を盛り上げていきましょう。与党であれ野党であれ、安倍首相と同じ考えの人、同じ路線の人を選挙で落としましょう。自民党の代替え、「日本維新の会」や石原慎太郎「次世代の党」にも投票しないようにしましょう。



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素直に見て憲法違反! 2014年7月1日閣議決定 集団的自衛権について

2014-08-04 11:10:37 | Weblog



前稿を改稿して入れ替えます。

2014年7月1日閣議決定全文のうち、「3 憲法第9条の下で許容される自衛の措置」を下に記載して、私の注釈を入れます。


国の存立を全うし、国民を守るための切れ目
のない安全保障法制の整備について

3 憲法第9条の下で許容される自衛の措置


<閣議決定本文>
(1)我が国を取り巻く安全保障環境の変化に対応し、いかなる事態においても国民の命と平和な暮らしを守り抜くためには、これまでの憲法解釈のままでは必ずしも十分な対応ができないおそれがあることから、いかなる解釈が適切か検討してきた。その際、① 政府の憲法解釈には論理的整合性と法的安定性が求められる。② したがって、従来の政府見解における憲法第9条の解釈の基本的な論理の枠内で、国民の命と平和な暮らしを守り抜くための論理的な帰結を導く必要がある。

<注釈>
① → 政府による憲法解釈の二要件(論理的整合性、法的安定性)を確認。
② → 憲法9条解釈の従来政府解釈の論理的枠内を守る。
①+② → これを素直に考えれば、「従来からの政府解釈を変えない」となる。


<閣議決定本文>
(2)憲法第9条はその文言からすると、国際関係における「武力の行使」を一切禁じているように見えるが、憲法前文で確認している「国民の平和的生存権」や憲法第13条が「生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利」は国政の上で最大の尊重を必要とする旨定めている趣旨を踏まえて考えると、憲法第9条が、我が国が自国の平和と安全を維持し、その ③存立を全うするために必要な自衛の措置を採ることを禁じているとは到底解されない。一方、この自衛の措置は、あくまで外国の武力攻撃によって国民の生命、自由及び幸福追求の ④権利が根底から覆されるという ⑤急迫、不正の事態に対処し、国民のこれらの権利を守るためのやむを得ない措置として初めて容認されるものであり、そのための ⑥必要最小限度の「武力の行使」は許容される。 ⑦これが、憲法第9条の下で例外的に許容される「武力の行使」について、従来から政府が一貫して表明してきた見解の根幹、いわば基本的な論理であり、 ⑧昭和47年10月14日に参議院決算委員会に対し政府から提出された資料「集団的自衛権と憲法との関係」に明確に示されているところである。
 ⑨この基本的な論理は、憲法第9条の下では今後とも維持されなければならない。

<注釈>
⑥ → 自衛権行使の容認を意味する。
③④⑤ → 自衛権行使を認める場合の要件である。
③ → ここで問題なのは、「自衛の措置」という文言である。自衛の措置とは、自衛権の行使のこと。従来からの政府見解では、自衛権の意義は、個別的自衛権と集団的自衛権の二つに分けられている。したがって自衛の措置とは、ここでは個別的と集団的とを包摂した自衛権の概念を意味する。
⑦ → 「自衛の措置=自衛権の行使」容認が、従来からの政府見解の根幹=基本的論理である。
⑧ → 閣議決定そのものが指定した憲法解釈の判断基準となる文書。「昭和47年10月14日参議院決算委員会宛て政府提出資料」は、「1972年政府見解」とも呼ばれる。⑦の政府憲法解釈の見解の根幹、基本的な論理は、「1972年政府見解」において明確に示されている。
今次閣議決定が「1972年政府見解」の枠組み内に収まる憲法解釈変更であると主張していることは、すなわち憲法第96条による改憲手続きの対象にはならないという主張である。
⑨ → 「1972年政府見解」に示されている憲法9条解釈の基本的論理は、今後とも維持する。


<閣議決定本文>
(3)これまで政府は、この基本的な論理の下、「武力の行使」が許容されるのは、我が国に対する武力攻撃が発生した場合に限られると考えてきた。しかし、冒頭で述べたように、パワーバランスの変化や技術革新の急速な進展、大量破壊兵器などの脅威等により我が国を取り巻く安全保障環境が根本的に変容し、変化し続けている状況を踏まえれば、今後他国に対して発生する武力攻撃であったとしても、その目的、規模、態様等によっては、我が国の存立を脅かすことも現実に起こり得る。

 我が国としては、紛争が生じた場合にはこれを平和的に解決するために最大限の外交努力を尽くすとともに、これまでの憲法解釈に基づいて整備されてきた既存の国内法令による対応や当該憲法解釈の枠内で可能な法整備などあらゆる必要な対応を採ることは当然であるが、それでもなお我が国の存立を全うし、国民を守るために万全を期す必要がある。

 こうした問題意識の下に、現在の安全保障環境に照らして慎重に検討した結果、我が国に対する武力攻撃が発生した場合のみならず、⑩我が国と密接な関係にある他国に対する武力攻撃が発生し、これにより我が国の存立が脅かされ、国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険がある場合において、これを排除し、我が国の存立を全うし、国民を守るために他に適当な手段がないときに、⑪必要最小限度の実力を行使することは、従来の政府見解の基本的な論理に基づく自衛のための措置として、憲法上許容されると考えるべきであると判断するに至った。

<注釈>
⑩ → 「他国に対する武力攻撃」と「我が国の存立が脅かされる」状態が、並立して発起するという事態。
⑪ → ⑩の事態に際してする自衛権の行使は、憲法上許容される。すなわち、憲法第9条に関する従来政府解釈の基本的論理の枠内である、と閣議決定は主張する。
→ 「他国に対する武力攻撃」が「自衛の措置」の対象になるということは、「集団的自衛権の行使」である。
→ しかし、従来の政府解釈では集団的自衛権の行使を否定していて、これが長く定着してきた政府解釈になっている。

→ 上記(1)の項では、「政府の憲法解釈には論理的整合性と法的安定性が求められる」と記述している。論理的整合性と法的安定性に適合するのは長く定着してきた政府解釈、すなわち「集団的自衛権の行使不可」である。
→ 上記(2)の項では、「憲法第9条の下で例外的に許容される『武力の行使』について、従来から政府が一貫して表明してきた見解の根幹、いわば基本的な論理」の挙証として、「昭和47年10月14日参議院決算委員会宛て政府提出資料」、いわゆる「1972年政府見解」を提示している。この見解では文末の結語文章で、次のように結論している。

「したがって、他国に加えられた武力攻撃を阻止することをその内容とするいわゆる集団的自衛権の行使は、憲法上許されないと言わざるを得ない。」 (「1972年政府見解」文末の結論)

→ 閣議決定では、「1972年政府見解」のうち、自衛権を認める「自衛の措置」という文言だけをクローズアップして、憲法9条の従来見解通りと強弁しているのだろうか? しかし、「1972年政府見解」の結論は「集団的自衛権否定」である。閣議決定に従来政府解釈との論理的整合性は、無い。

→ (2)の項、他国防衛について、政府と自公両党は「我が国の存立が脅かされ、国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険がある場合において」という制約を加えたから、集団的自衛権の行使は限定的であると胸を張っている。そして閣議決定に言う限定的集団的自衛権を、自公・政府は「従来政府解釈の論理的枠内」であり、憲法96条改憲手続きの対象にならないとしている。けれども「1972年政府見解」の結語は、修飾語や条件なしの「集団的自衛権否定」なのである。

→ (3)の項「他国防衛」は、閣議決定が(2)の項で提示した憲法解釈の判定基準に照らすと、(1)の項に言う従来政府解釈との論理的整合性、法的安定性ともに無い。

→ 一政権によるこのように重大な憲法解釈の変更は「憲法違反」であり、この閣議決定は無効であると、全国の弁護士会が指摘しているところである。自公両党並びに安倍内閣の横暴に過ぎる政治権力乱用である。「他国防衛をするための自国自衛権」がどういう事態を言うのか、自公・政府の説明は、まだ無い。


<閣議決定本文>
 (4)我が国による「武力の行使」が国際法を遵守して行われることは当然であるが、国際法上の根拠と憲法解釈は区別して理解する必要がある。 ⑫ 憲法上許容される上記の「武力の行使」は、国際法上は、集団的自衛権が根拠となる場合がある。⑬ この「武力の行使」には、他国に対する武力攻撃が発生した場合を契機とするものが含まれるが、 ⑭ 憲法上は、あくまでも我が国の存立を全うし、国民を守るため、すなわち、我が国を防衛するためのやむを得ない自衛の措置として初めて許容されるものである。

<注釈>
⑫ → ⑫は無用の文章である。国際法とか国際的とかのイメージを付加して、本質をあいまいにし、読む人の頭をややこしくする修飾文にすぎない。
⑬ → 「他国防衛」のことである。他国防衛は集団的自衛権の範疇に属する。
⑭ → 「他国防衛」が「自衛の措置」として認められる場合にのみ許容されると言う。その例として安倍首相は「日本人を保護している米軍艦が攻撃されるのを自衛艦は守らないのか」と言い、北側公明党副代表は「日本を守る米イージス艦を日本のイージス艦が守らなくてよいのか」と言った。極めて情緒的な例示で、事実を正しく表現しているとは言い難い。これについては別稿で書きます。


<閣議決定本文>
 (5)また、憲法上「武力の行使」が許容されるとしても、それが国民の命と平和な暮らしを守るためのものである以上、民主的統制の確保が求められることは当然である。政府としては、我が国ではなく他国に対して武力攻撃が発生した場合に、憲法上許容される「武力の行使」を行うために自衛隊に出動を命ずるに際しては、現行法令に規定する防衛出動に関する手続と同様、原則として事前に国会の承認を求めることを法案に明記することとする。

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※本稿では、閣議決定を「憲法違反」という観点から見ています。私は安全保障政策の評価より以上に、国家最高指導者主導のもと、政府による「憲法違反」という行為の重大性を最重要視しています。憲法は基本的人権や生存権、信教・思想・表現・学問の自由など、たいへん重要な思想を表現しているものであり、あらゆる国法の基礎であり、国の統治の源です。一内閣の好みに合わせて、時の政治権力によって簡単に、国の統治の源である憲法解釈の変更が行われるなら、それは法治の乱れを呼び、国の乱れにつながり、地方自治の乱れへと蔓延していくでしょう。

安全保障政策の改変を企図してきた安倍首相は、最終的には憲法9条を改変しようとしています。その手段としてまず、改憲要件を定める憲法96条の改変にとりかかる前宣伝を2013夏参院選前にしていました。しかし参院選勝利の後は、閣議決定による憲法9条の実質的変更を企て、この暴挙を実現しました。これからも自民党憲法草案の実現に向けて、安倍首相はまい進していくでしょう。

2012年末の安倍政権成立以後の短年月、武器輸出3原則の緩和、特定秘密保護法の新設、このたびの憲法9条解釈改変閣議決定と、先行き不安な政策ばかり急激に推進されています。第2次大戦後の日本において安倍政権は最も危険な政権です。

安倍内閣退陣の機運を盛り上げていきましょう。与党であれ野党であれ、安倍首相と同じ考えの人、同じ路線の人を選挙で落としましょう。憲法9条改変で自民党に同調する「日本維新の会」や石原慎太郎「次世代の党」にも投票しないようにしましょう。


※次回は「1972年見解」を掲載します。読んでいただければ、どなたでも、文末の結語が「集団的自衛権の全否定」を意味するとおわかりになります。

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