明治維新以後の日本はいつも戦争をしていました。明治政府は欧米に並ぶ世界の一等国になることを目標にしていたのではないでしょうか。当時の欧米強国のようになりたいと願っているのですから、モデル国と同じように、隙あらば植民地権益を手に入れ、拡げようとしていました。
世界を主導する強国は昭和戦前まで、欧米白人諸国でした。日本は躍起になって背伸びして、白人強国に割りこんでいきました。結果は、亡国の大敗でした。私は自分が生まれ育った母国の歴史を折に触れて鏡にしています。
たとえば現今の習近平中国を、かつての日本に置き換えて見ています。
第一次世界大戦(1914~1918)を経験した諸国は、1920年1月20日、国際連盟を創設しました。世界史上初の国際平和機構です。創設当初の常任理事国はイギリス、フランス、イタリア、日本の4か国でした。
日本は世界史上初の国際平和機構において、最初の常任理事国4か国の一員でありました。誇りとして記憶しておくべき日本史の1ページであります。にもかかわらず、日本軍による満州全土占領、満州国建国を容認せずという国際連盟44か国中42カ国の決議を不服として、1933年に国際連盟を脱退。1920年の輝きは早くも地に墜ちたのです。
1933年(昭和 8年)2月24日、満州問題に関する国際連盟派遣リットン調査団の報告書採択が国際連盟総会に付議されました。44か国中、賛成42、反対1(日本)、棄権1(シャム)という結果でリットン報告書採択、満州国承認案は否決。国際連盟総会は満州国の成立を認めず、満州国領域が中国領土であることを認めました。
日本全権松岡洋右はこれに抗議して退場しました。国際連盟脱退により日本は唯我独尊、国際的な孤立の道を歩むことになりました。
1931年満州事変・満州(中国東北部)全土占領、1932年満州国建国、1933年国際連盟脱退とつづく日本の歴史は、1941年12月8日対米開戦、1945年夏の敗戦に至る軍国日本滅亡への歴史の起点として胸に刻んでおきたい。
いま日本は、昭和戦前に一瀉千里に戦争への道を駆けた自国の歴史を顧みて、中国を同じ道に駆り立てるようなことをしてはならない、わが国を争いの道に追いやってはならない、と私は思うのです。
アメリカと一緒になって中国を敵視してはいけない。同じアジアの隣国として敬意と理解を示して、良い関係を模索しなければ悪い結果になりそうに思います。
戦争を避けたい、友好的でありたい。同じ考えをいただき心強く思います。敵愾心をあおる人の声の方が喧しく、それにあおられて増幅する人の声も喧しいです。