盗をやってのけた。スターリンはロシア革命活動家中、第1級のテロ
リストであった。
亡命チェチェン人殺害相次ぐ 欧州各地
ロシア・チェチェン当局関与か 毎日新聞 2021/6/27
ロシア南部のチェチェン共和国からの亡命者らが欧州各地で殺害される事件が近年相次いでいる。
犠牲者はチェチェン共和国のカディロフ首長やプーチン露大統領を批判してきた人物らで、チェチェンやロシアの当局の犯行への関与を疑う声が上がっている。【ロンドン服部正法】
●チェチェン人亡命者らが死傷した近年の主な事件
複数の英メディアなどによると、2019~20年に欧州各地で3人が殺害され、1人が殺されそうになった。
▽ロシアからの独立を目指すチェチェン独立派勢力の元司令官が独ベルリ
ンで射殺(2019年8月)
▽チェチェンの反体制派ブロガーが仏リールで刺殺(2020年1月)
▽別の反体制派ブロガーがスウェーデンのイエブレで襲撃(2020年2月)
▽さらに別の反体制派ブロガーがオーストリアのウィーンで射殺(2020年
7月) ――された。
他にも2017年10月、ウクライナのキエフ郊外で、ロシア側からプーチン氏の暗殺を企てたとして非難されていたチェチェン人とその妻が襲撃され、夫が負傷し妻が死亡する事件があった。
英誌「ザ・ウイーク」は2003~2015年に、少なくとも8人のチェチェン人がトルコで殺害されたと報じている。
ベルリンでの射殺事件では、容疑者として逮捕された男がロシアのパスポートでドイツに入国していたことが判明。
独検察はロシアあるいはチェチェンの当局が関与した証拠があると指摘した。独外務省は在独ロシア大使館の2外交官を追放している。
英紙タイムズによると、仏リールの事件で仏検察はリーダー格の容疑者をロシア人と見ている。
ウィーンの事件ではチェチェンから来た2容疑者が逮捕された。
チェチェン共和国はソ連末期の1991年に独立を宣言した。
ソ連の後継国となったロシアが1994年にチェチェンを攻撃して第1次チェチェン紛争が勃発。
1996年の停戦合意後、1999年に第2次紛争が始まると、ロシア軍は独立派を鎮圧し、2009年に紛争終結を宣言した。 2度の紛争で20万人以上が死亡したとも指摘される。
この間、独立派武装勢力はモスクワ劇場占拠事件(2002年)や北オセチア共和国での学校占拠事件(2004年)などを起こした。
プーチン氏の支持を受けた親露派のカディロフ氏は2007年に実権を掌握。反対派への弾圧や人権侵害が国際社会から批判されている。
一連のチェチェン人殺害・殺害未遂事件について、ロシアの情報機関や犯罪組織に詳しい英王立防衛安全保障研究所(RUSI)のマーク・ガレオッティ上級アソシエートフェローは毎日新聞の取材に対し、次の3つが混在していると指摘する。
(1)露情報機関によるとみられるケース
(2)カディロフ氏の配下が行ったとみられるケース
(3)ロシア、チェチェン両当局の共同作戦の可能性があるケース
ガレオッティ氏は「ロシア主導の作戦の場合、標的は露政府と敵対関係にある人物か、北カフカスにおけるイスラム過激派に関与を深めている人物」と推定。一方、カディロフ氏については「個人的な敵や、彼の怒りを招いた者などを標的にしている」と分析した。
ロシア政府は暗殺などの企てや工作について関与を否定しており、カディロフ氏も一連の事件について関与を否定している。