川本ちょっとメモ

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<ホセ・ムヒカ> 世界一貧しい大統領と呼ばれた男 ムヒカさんの幸福論 (朝日新聞インタビュー記事)

2016-08-24 15:20:51 | Weblog


2016年4月、ホセ・ムヒカさんが来日されました。世界にはこのような政治家もいるのかと、多くの日本人が深く感銘を受けました。

2016年3月31日の朝日新聞インタビュー記事を転載します。ホセ・ムヒカさんの後半生に学んで日本のホセ・ムヒカがつづいてほしいなあ、と思います。

そうとは言え、刑務所暮らし以前、前半生のゲリラ・テロ活動を容認するわけにはまいりません。厳に否定いたします。ホセ・ムヒカさん自身も、「刑務所が原点ですか」という問いに、「そうだ」と答えています。

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【世界一貧しい大統領と呼ばれた男 ムヒカさんの幸福論】


―― 朝日新聞デジタル 2016年3月31日21時16分 ――


 質素な暮らしぶりから、「世界で一番貧しい大統領」として注目を集めた南米ウルグアイのホセ・ムヒカ前大統領が、近く出版社などの招きで初来日する。「清貧の思想」を地でいく農園暮らしの根っこには、いったい何があるのか。いまも上院議員として、国民から熱い支持を受ける政治家の自宅を訪ね、その原点を聞いた。

     ◇

 首都モンテビデオから車で30分。畑のわきの小さな平屋で、ムヒカ氏は上院議員の妻と2人で暮らす。愛車は1987年製の昔懐かしいフォルクスワーゲン。自ら家事をし、畑も耕す。秋を感じる南半球の3月。トレパン姿で出てきたムヒカ氏が、庭のベンチに腰を下ろした。


大統領公邸に住まなかった理由

 ――とても静かですね。

 「いいところだろう。この国は自然豊かで、とても美しい。特にこんな小さな村は年寄りが暮らすには、もってこいなんだ」

 ――大統領公邸には結局、引っ越さなかったそうですね。

 「当たり前だよ。私はもともと農民の心を持って生まれた。自然が大好きなんだ。4階建ての豪邸で30人からの使用人に囲まれて暮らすなんて、まっぴらだ」

 ――アラブの富豪が、あなたの愛車に100万ドル払うと購入を申し出た噂を聞きました。

 「本当の話だ。息子が珍しい車を集めていると言っていたな。もちろん断ったさ。あの車は友人たちからもらった大事な贈り物だ。贈り物は売り物じゃないんだよ」

 ――「世界で一番貧しい」という称号をどう思いますか。

 「みんな誤解しているね。私が思う『貧しい人』とは、限りない欲を持ち、いくらあっても満足しない人のことだ。でも私は少しのモノで満足して生きている。質素なだけで、貧しくはない」

 「モノを買うとき、人はカネで買っているように思うだろう。でも違うんだ。そのカネを稼ぐために働いた、人生という時間で買っているんだよ。生きていくには働かないといけない。でも働くだけの人生でもいけない。ちゃんと生きることが大切なんだ。たくさん買い物をした引き換えに、人生の残り時間がなくなってしまっては元も子もないだろう。簡素に生きていれば人は自由なんだよ」

 ――幸せだと感じるのは、どんなときですか。

 「自分の人生の時間を使って、自分が好きなこと、やりたいことをしているときさ。いまは冬に向けて、ビニールハウスにトマトの植え替え作業をしているときかな。それに幸せとは、隣の人のことをよく知り、地元の人々とよく話し合うこと。会話に時間をかけることだとも思う」

 ――大都会の生活では難しいですね。

 「人間が犯した間違いの一つが、巨大都市をつくりあげてしまったことだ。人間的な暮らしには、まったく向いていない。人が生きるうえでは、都市は小さいほうがいいんだよ。そもそも通勤に毎日3時間も4時間も無駄に使うなんて、馬鹿げている」

 ――でも、東京で私たちはそうやって暮らしているのです。

 「効率や成長一辺倒の西洋文明とは違った別の文化、別の暮らしが日本にはあったはずだろう。それを突然、全部忘れてしまったような印象が私にはある」

 ――2012年にブラジルの国連会議(リオ+20)でした演説は、日本で絵本になりました。

 「このまま大量消費と資源の浪費を続け、自然を攻撃していては地球がもたない、生き方から変えていこう、と言いたかったんだ。簡素な生き方は、日本人にも響くんだと思う。子どものころ、近所に日本からの農業移民がたくさんいてね。みんな勤勉で、わずかな持ち物でも満ち足りて暮らしていた。いまの日本人も同じかどうかは知らないが」

     ◇

 60~70年代、ムヒカ氏は都市ゲリラ「トゥパマロス」のメンバーとなり、武装闘争に携わった。投獄4回、脱獄2回。銃撃戦で6発撃たれ、重傷を負ったこともある。


獄中に14年、うち10年は独房に

 ――軍事政権下、長く投獄されていたそうですね。

 「平等な社会を夢見て、私はゲリラになった。でも捕まって、14年近く収監されたんだ。うち10年ほどは軍の独房だった。長く本も読ませてもらえなかった。厳しく、つらい歳月だったよ」

 「独房で眠る夜、マット1枚があるだけで私は満ち足りた。質素に生きていけるようになったのは、あの経験からだ。孤独で、何もないなかで抵抗し、生き延びた。『人はより良い世界をつくることができる』という希望がなかったら、いまの私はないね」

 ――刑務所が原点ですか。

 「そうだ。人は苦しみや敗北からこそ多くを学ぶ。以前は見えなかったことが見えるようになるから。人生のあらゆる場面で言えることだが、大事なのは失敗に学び再び歩み始めることだ」

 ――独房で何が見えました?

 「生きることの奇跡だ。人は独りでは生きていけない。恋人や家族、友人と過ごす時間こそが、生きるということなんだ。人生で最大の懲罰が、孤独なんだよ」

 「もう一つ、ファナチシズム(熱狂)は危ないということだ。左であれ右であれ宗教であれ、狂信は必ず、異質なものへの憎しみを生む。憎しみのうえに、善きものは決して築けない。異なるものにも寛容であって初めて、人は幸せに生きることができるんだ」

             ◇

 民政復帰とともに85年に釈放されたムヒカ氏は、ゲリラ仲間と政治団体を創設。89年にいまの与党、左派連合「拡大戦線」に加わった。下院、上院議員をへて昨年まで5年間、大統領を務めた。


「お前は王子様かというような政治家が」

 ――有権者はあなたに何を期待したのでしょう。

 「自分たちの代表を大統領に、と思ったのだろう。特に貧しい層やつつましい中間層がそうだ。特権層には好かれなかったが」

 「貴族社会や封建社会に抗議し、生まれによる違いをなくした制度が民主主義だった。その原点は、私たち人間は基本的に平等だ、という理念だったはずだ。ところが、いまの世界を見回してごらん。まるで王様のように振る舞う大統領や、お前は王子様かという政治家がたくさんいる。王宮の時代に逆戻りしたかのようだ」

 「私たち政治家は、世の中の大半の国民と同じ程度の暮らしを送るべきなんだ。一部特権層のような暮らしをし、自らの利益のために政治を動かし始めたら、人々は政治への信頼を失ってしまう」

 「それに最近の政治家は退屈な人間が多くて、いつも経済のことばかり話している。これでは信頼を失うはずだ。人生には、もっとほかに大切なことがいろいろあるんだから。たとえば、街角で1人の女性に恋してしまうことに経済が何の関係がある?」

 ――実際、既成政治への不信から米国ではトランプ旋風が起きています。代議制民主主義が機能していないとも言われます。

 「いまは文明の移行期なんだ。昔の仕組みはうまく回らず、来たるべきものはまだ熟していない。だから不満が生まれる。ただ、批判ができるのもそこに自由があるからだろう。民主主義は欠陥だらけだが、これまで人が考えたなかではいい仕組みだよ」

 「それに時がたてば、きっと新しい仕組みが生まれると思う。デジタル技術が新しい政治参加への扉を開くかもしれないし」

 「ドイツやスイスでも政治に不満を持つ多くの若者に出会った。市場主義に流される人生は嫌だという、たっぷり教育を受けた世代だった。米国でも、大学にはトランプ氏とは正反対の開放的で寛容な多くの学生がいる。いま希望を感じるのは彼らだね。貧乏人の意地ではなく、知性で世界を変えていこうという若者たちだ」

     ◇

 かつてウルグアイは「南米のスイス」と呼ばれ、福祉国家を目指して中間層も比較的厚かった。民政移管後は格差が拡大。2001年のアルゼンチン経済危機の余波も受けて不満が高まり、ムヒカ氏らの左派政権誕生につながったとされる。ムヒカ氏の退任前の支持率は65%に達した。


国家に何でも指図されてはいけない

 ――かつて収監されていた刑務所が、きれいなショッピングモールになっていますね。

 「私も行ってみたんだが、まったく驚いたよ。まさにグローバル化の象徴だ。でも、人って馬鹿だよね。簡単に宣伝に支配されて。奥さん、このクリームをつけたらシワが消えますよだなんて、うそっぱちに決まっているのに。そんなものに大枚を払うんだから」

 ――格差が広がったのは?

 「次々と規制を撤廃した新自由主義経済のせいだ。市場経済は放っておくと富をますます集中させる。格差など社会に生まれた問題を解決するには、政治が介入する。公正な社会を目指す。それが政治の役割というものだ。国家には社会の強者から富を受け取り、弱者に再分配する義務がある」

 「れんがみたいに、みんな同じがいいと言っているわけではないよ。懸命に働いて努力した人が、ほうびを手にするのは当然だ。ただ、いまはどうかね。働いてもいないような1人のために、大勢が汗水たらしている世の中じゃないか。これは気に入らない。富の集積にも限度がある」

 「怖いのは、グローバル化が進み、世界に残酷な競争が広がっていることだ。すべてを市場とビジネスが決めて、政治の知恵が及ばない。まるで頭脳のない怪物のようなものだ。これは、まずい」

 「いま中南米が抱えている最大の戦略的リスクは、いい関係を保つべき欧州諸国がテロなど自らの問題で手いっぱいになる一方で、中国が日に日に存在感を増していることだ。一国に深入りしすぎると我々が危うい。もっと関係を広げていきたいんだ」

 ――ご自身を政治的にどう定義しますか。

 「できる限り平等な社会を求めてきたから左派だろう。ただ、心の底ではアナキスト(無政府主義者)でもある。実は私は、国家をあまり信用していないんだ」

 ――えっ、大統領だったのに?

 「もちろん国家は必要だよ。だけど、危ない。あらゆるところに官僚が手を突っ込んでくるから。彼らは失うものが何もない。リスクも冒さない。なのに、いつも決定権を握っている。だから国民は、国家というパパに何でも指図されていてはいけない。自治の力を身につけていかないと」

 ――主張の異なる多くの勢力を与党にまとめるのは大変でしょう。

 「急進左派から社会主義者、中道左派まで大小30ほどの派閥を抱えている。意見が対立し、少数派に理があることもある。でも十分に話し合った末に多数決で出した結論には、みんな従うんだ。それが民主主義の流儀というものだろう。我々にはすでに45年の歴史の積み上げがある。選挙対策の野合なんかじゃないよ」


スアレス選手を迎えに行った理由

 ――余談なんですが、14年のサッカー・ワールドカップ(W杯)ブラジル大会の試合中、相手選手にかみついたとしてウルグアイ代表のスアレス選手が国際サッカー連盟(FIFA)から厳罰処分を受け、先に帰国したとき、大統領だったあなたは空港まで迎えに行かれたそうですね。あれは、なぜですか。

 「彼はとても貧しい地区の出で、とても複雑な人生を送ってきた若者なんだ。あんなことになって心が折れそうになっていた。君は愛され、認められているんだと言って、支えてあげる必要があると思ったんだ」

 「確かにプレー中のあの行為はまずかったし、出場停止などの制裁を受けることについて異存はない。でも、チームメートから切り離し、まるで犯罪人のようにスタジアムやホテルから追い出したのは、とんでもない間違いだ」

 ――スアレス選手の反応は?

 「うれしそうだったよ。あいつは普段はとても気高い若者なんだが、頭よりもつい足首でモノを考えるところがある」

 ――日本で何をしたいですか。

 「日本のいまを、よく知りたいんだ。世界がこの先どうなるのか、いま日本で起きていることのなかに未来を知る手がかりがあるように思う。経済も技術も大きな発展をとげた働き者の国だ。結局、皆さんは幸せになれたのですか、と問うてみたいな」 (聞き手・萩一晶)

     ◇

 Jose Mujica 1935年生まれ。左翼ゲリラ、農牧水産相をへて2010~15年に大統領。12年の国連会議での演説は、日本では絵本「世界でいちばん貧しい大統領のスピーチ」(汐文社)として刊行された。3月には地元記者の密着ルポ「ホセ・ムヒカ 世界でいちばん貧しい大統領」(角川文庫)も出版された。

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<むのたけじさん101歳> 1942年「ジャワ軍政要綱」と報道機関の自主規制と高市総務大臣

2016-08-22 11:24:10 | Weblog


 むのたけじさんがお亡くなりになりました。2016年1月20日、岩手県西和賀町の銀河ホールでの講演記録を朝日新聞のニュース記事から転載いたします。

   ◇   ◇   ◇


 「報道の自由」の問題でいろいろな人がいろいろな意見を述べているけれど、私もどうしても言っておかなければならないと思って体験談を話します。

 太平洋戦争が1941年12月に始まりましたね。それからまもなく、私は従軍のために日本を発ち、翌年3月1日にジャワに上陸した。途中で立ち寄った台湾で、日本軍が作った「ジャワ軍政要綱」という一冊の本を見ました。入手方法は秘密ですが、日本がジャワをどのように統治するかというタイムスケジュールが細かく書かれていた。私がいたそれから半年間、ほぼその通りに事態は進んだ。

 その要綱の奥付に「昭和15年5月印刷」の文字があった。ジャワ上陸より2年近く、太平洋戦争開戦より約1年半も前だったんです。つまり、国民が知らないうちに戦争は準備されていたということです。 (※ジャワ島……インドネシア共和国)

 もしもこの事実を開戦前に知って報道したら、国民は大騒ぎをして戦争はしなかったかも知れない。そうなれば何百万人も死なせる悲劇を止めることができた。その代わりに新聞社は潰され、報道関係者は全員、国家に対する反逆者として銃殺されたでしょう。

 国民を守った報道が国家からは大罪人とされる矛盾です。そこをどう捉えればいいのか。それが根本の問題でしょう。

 高市早苗総務相の「公平な放送」がされない場合は、電波を止めるという発言を聞いてそう思ったのです。公平とは何か。要綱を書くことは偏った報道になるのか。それをだれが決めるのか。

 報道は、国家のためにあるわけではなく、生きている人間のためにあるんです。つまり、国民の知る権利に応え、真実はこうだぞと伝えるわけだ。

 公平か否かを判断するのは、それを読んだり見たりした国民です。ひどい報道があったら抗議をすればよい。総務大臣が決めることじゃないんだ。そんなのは言論弾圧なんだ。

 報道機関は、自分たちの後ろに国民がいることをもう一度認識することです。戦時中はそのことを忘れておったな。いい新聞を作り、いい放送をすれば国民は応援してくれる。それを忘れて萎縮していた。

 戦争中、憲兵隊などが直接報道機関に来て、目に見えるような圧迫を加えたわけではないんです。報道機関自らが検閲部門を作り、ちょっとした軍部の動きをみて自己規制したんだ。

 今のニュースキャスター交代騒動を見ていて、私はそんなことを思い出した。報道機関側がここで屈しては国民への裏切りになります。

 「国境なき記者団」による報道の自由度ランキングが、安倍政権になってから世界61位まで下がった。誠に恥ずかしいことで、憂うべきことです。報道機関の踏ん張りどころです。

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老夫婦の後ろ姿 県立病院の外来待合にて

2016-08-04 23:25:45 | Weblog


きょうの午前は県立病院で定期検診でした。4年前の4月に膀胱がんの手術をしました。きょうは膀胱鏡(内視鏡)検査で無事に済みました。私の腫瘍は幸いにも表皮性の一つだけできれいに切除できました。浸潤も転移もなく、今も健康体で生活しています。

泌尿器科外来で待っているときのことでした。診察室から出てきた老夫婦が目に留まりました。患者の大方が中高年以上の人たちですから、夫婦であろうが女性であろうが男性であろうが、ぼんやりとした待ち時間の前を通り過ぎていくだけで、記憶に残るようなことはありません。

それなのにきょうは、なにげなく診察室の方へ視線が流れたとき、その老夫婦の後ろ姿が目に留まりました。垣間見えた横顔から、老夫婦の年の頃は九十近くだろうと思います。いえ、それは遠慮と言いうもの。本当のところは九十過ぎかなと思いました。主人は私とほぼ同じくらいの背丈に見えますから175cmくらいでしょうか。戦前生まれにしては背が高く鼻筋の通ったひとでした。奥さんは150cmそこそこで、海水浴場でよく見かける男物のつばの小さいストローハットをかぶっていました。服装は二人揃えではないものの、ベージュ系のズボンの上に、より薄いベージュ系色の半袖シャツの裾を出していました。質素なふだん着姿です。

二人とも、腰をわずかに前かがみした姿でエレベーターのある方向に向かい、ゆっくりゆっくり、一歩一歩、おぼつかない足取りで歩いて行きます。

私はぼんやりと後姿を見ていました。主人が先に、すぐ後ろを奥さんが行きます。すると、奥さんが主人の後ろにすうっと身を寄せて、無言のまま何かを払い落とすようなしぐさですばやく、前を行く主人の半袖シャツの裾を直しました。

主人は診察室で椅子に腰かけて医者先生に向い、それから腰を曲げたまま立ちあがって、その動作がゆっくりゆっくりなので、そして歩くのもゆっくりゆっくりなので、シャツの裾が上に向ってしわになったままでした。ズボンのベルト付近のどこかで引っかかっていたのでしょうか。ぼんやり見やりながら、そんなことを思いました。

主人は振り返りもしないで、何も感じていないようなありさまで、ゆっくりゆっくり前へ行きます。奥さんも主人のシャツの裾を直したことなどなかったかのように、主人の後ろについてゆっくりゆっくり歩みます。

私が老夫婦の後ろ姿をぼんやり見ていたのは、病院廊下のわずか10数メートルほどの間でした。二人は始めに一度、横顔を見せたときに何か言葉を交わしただけで、そのあと私が見ている間、無言でした。なにげない県立病院の外来待合の風景ですが、老夫婦の静かな後ろ姿に胸の琴線が鳴りました。少し前かがみでゆっくりゆっくり歩いていく、老夫婦の後ろ姿が目に残りました。

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東京都知事選出口調査 自民・公明・民進・共産・無党派の投票傾向について

2016-08-01 21:24:44 | Weblog


きょう2016年8月1日の朝日新聞と毎日新聞に、東京都知事選挙の出口調査結果が載っていました。下の通りです。


  出口調査
          [小池][増田][鳥越][他]
  ① 自民  朝日 49%   40%  4%  7%
        毎日 52%   40%  4%  4%

  ② 公明  朝日 24%   69%  4%  3%
        毎日 23%   71%  5%  0%

  ③ 民進  朝日 28%   11%  56%  5%
        毎日 39%    8%  49%  3%

  ④ 共産  朝日 19%    6%  67%  8%
        毎日 17%    6%  69%  9%

  ⑤ 無党派 朝日 51%   17%  19%  13%
        毎日 51%   19%  20%  10%
  <※1> この表で①~④までは、各政党支持層の意味です。
   <※2> 毎日には、「小数点以下四捨五入、合計が100にならない場合がある」と注釈が         あります。
   <※3> 毎日には、出口調査の方法として次の記載があります。――無作為に抽出した東        京都内60カ所の投票所で、投票を終えた有権者に回答してもらった。回答者は        計2623人。毎日新聞、共同通信、産経新聞、東京新聞、TBS、フジテレビ、       テレビ東京、テレビ朝日、東京メトロポリタンテレビの9報道機関が共同で実施        した。



出口調査でわかること

1、自民支持層
自民支持層は大まかなところ、5割小池、4割増田、1割鳥越・その他の比率です。小池氏は新党設立の噂があるそうですが、自民党の常としては「勝てば官軍」で、党中央の執行部が反乱者を取りこんでいくことが多い。小池氏側から言えば、あくまで自民党員ですから、党中央の応対しだいで手打ちをするでしょう。

小池陣営には自民党の国会議員や区会議員が参集しているのですから、自民支持層にとっては「小池も自民の内」という感覚で、そんなに違和感がないものと思います。反旗を翻した小池も自民の内と考えれば、自民党支持層の9割が忠実に、自民党に投票したと考えられます。

2、公明支持層
公明支持層は大まかなところ、小池2割強、増田7割、5%前後が鳥越他、に投票しています。党員ではないが自民党そのものである増田氏に、公明支持層が、7割も投票しています。自民支持層の4割増田と比較すると、自民支持層以上に自党の要請に忠実に、自民へ投票しているという結果です。

このことは、伊勢神宮を背景に持つ神道政治連盟、靖国思想を背景に持つ日本会議を自民党内での力の源泉としている安倍晋三政権を、公明支持層が国政選挙にあっても選挙の力になって支えていることを示唆しています。

3、民進支持層
民進支持層は大まかなところ、小池3割、増田1割、鳥越5割、です。小池氏は叛乱自民で、民進のライバルであることに変わりありません。そこに3割が流れていることに注目です。

鳥越5割は、自民支持層の増田4割と状況が似ているように見えますが、そうではありません。自民支持層が流れている小池5割は、自民から自民へ流れているだけのことです。しかし、鳥越5割というのは、民進党推薦であるにもかかわらず、支持層の半分がライバルに流れていることなので、民進党の弱体を示しています。

民進党内には、前原誠司氏、細野豪志ほかの自民党の方がお似合いだろうという議員がいて、自民党の対立軸としての民進党を確立するについて障害になっています。

4、共産支持層
共産支持層は大まかなところ、小池2割弱、鳥越7割弱、です。共産支持層の鳥越7割弱は、公明支持層の増田7割と好対照をなしています。

共産支持層の鳥越7割弱は、民進支持層の鳥越5割を超えています。公明支持層の増田7割は、自民支持層の増田4割を超えています。公明・共産ともに、自党への忠誠度の高さで共通する性向があります。

5、無党派層
無党派層は大まかなところ、小池5割、増田2割弱、鳥越2割、です。小池氏が孤軍でスタートし、政党包囲網の中で渾身の力強さを見せつつ選挙を戦いぬく姿を見て、無党派層の改革決行力期待を集めたものです。

さらに、小池氏への女性の期待がおおきかった。投票権がなく他人事である関西の地にあってさえ、活動的な女性が何人も「小池」と指名していました。このことから、増田・鳥越の計4割の中に、女性の割合が非常に低いのではないかと、数字根拠のない想像をしてしまいました。

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