川本ちょっとメモ

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大震災・原発事故で浮き出た(3) 驚いた! 風力発電に原発40基分の可能性

2011-04-27 21:34:10 | Weblog

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2011/04/27 大震災・原発事故で浮き出た(3)驚いた! 風力発電に原発40基分の可能性




環境省が4月21日に「平成22年度 再生可能エネルギー導入ポテンシャル調査報告書」を発表し、風力発電に大きく期待できることを示しました。報告書の『概要版』が見やすいので、ぜひご覧ください。

下記の朝日新聞新聞記事によれば、低い稼働率を考慮しても、最大で原発40基分の発電量が見込める結果ということです。日本の原発は現在55基(Wikipediaによる)です。

温室効果ガス削減には原子力発電の推進が必須というキャンペーンがまやかしだったことがはっきりしました。水力発電、揚水発電、風力発電、太陽光発電などをミックスして開発利用すれば、原発完全廃炉は実現可能ですね。

経済産業省「エネルギー白書2010」の中に、『原子力立国計画』という言葉が見えます。古く自民党政権時代から現在の民主党連立政権にいたるまで、原子力発電は一貫して国策として推進されてきました。下にエネルギー白書の抜粋を記載します。

民主党連立政権の鳩山由紀夫前首相は、2009年9月22日午前(日本時間同日夜)ニューヨークの国連総会で演説をしました。2020年までに1990年比で25%の温室効果ガスを削減するという日本の中期目標を明言しました。そして、この目標が衆院選のマニフェストで掲げた政権公約であるとしました。

この25%削減目標を推進する原動力は「原発推進」だという認識が、民主・自民・公明の主要3政党で容認されてきました。電力会社は原子力発電を「クリーンエネルギー」と呼んでキャンペーンを張りました。

 ◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇

エネルギー白書2010 第3部第3章 「第1節 原子力の開発、導入及び利用」から抜粋
原子力発電については、燃料のエネルギー密度が高く備蓄が容易であることや燃料を一度装填すると一年程度は交換する必要がないこと、使用済燃料を再処理することで資源燃料として再利用できることから供給安定性に優れており、また、発電過程で二酸化炭素を排出することがなく地球温暖化対策に資するという特性を持っていることから、基幹電源と位置付け推進しています。

―中略―。

「原子力立国計画」は、2006年5月に経済産業省が取りまとめた「新・国家エネルギー戦略」の一つの柱として位置付けられているとともに、2007年3月に閣議決定されたエネルギー基本計画の主要部分の一つです。

―中略―。

2008年7月には、「低炭素社会づくり行動計画」が閣議決定されました。この中において、発電過程で二酸化炭素を排出しない原子力発電は、低炭素エネルギーの中核として、地球温暖化対策を進める上で極めて重要な位置を占める、とされ、改めて環境対策としての原子力発電の重要性が認識されました。そこで、新規建設の着実な実現とともに、既設炉の有効利用にも取り組んでいくと示されています。こうした取組みにより、2020年をめどに発電電力量に占める「ゼロ・エミッション電源」の割合を50%以上とする中で、原子力発電の比率を相当程度増加させることが目標として定められております。また、核燃料サイクルを確立するとともに高速増殖炉サイクルの早期実用化を目指しています。

2008年における原子力発電所の稼働率は58%にとどまっていますが、原子力発電は我が国の総発電電力量の約3割を担っていて、エネルギー安全保障の確保や地球温暖化対策の観点からその重要性がますます増しています。このことから、我が国では引き続き、原子力発電を基幹電源として位置付け、安全の確保を大前提として、国民との相互理解を図りつつ、その推進を図っています。

 ◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇

風力発電で原発40基分の発電可能 環境省試算(朝日新聞 2011年4月22日5時0分)
環境省は21日、国内で自然エネルギーを導入した場合にどの程度の発電量が見込めるか、試算した結果を発表した。風力発電を普及できる余地が最も大きく、低い稼働率を考慮しても、最大で原発40基分の発電量が見込める結果となった。風の強い東北地方では、原発3~11基分が風力でまかなえる計算だ。

同省は震災復興にあたり、風力発電を含めた自然エネルギーの導入を提案していく方針だ。

今回の試算は、理論上可能な最大導入量から、土地利用や技術上の制約を差し引き、さらに事業として採算性を確保できることを条件に加えた。

試算によると、固定価格買い取り制度など震災前に政府が決めていた普及策だけでも、風力なら日本全体で約2400万~1億4千万キロワット分を導入できる。風が吹いているときだけ発電するため、稼働率を24%と仮定。それでも出力100万キロワットで稼働率85%と仮定した場合の原発約7~40基分に相当する。

ただし東北など電力需要を上回る発電量が期待できる地域がある一方で、電力会社間の送電能力には現状では限界がある。試算どおりに導入するのは短期的には難しいとみられている。

家庭以外の公共施設や耕作放棄地などを利用する太陽光発電や、用水路などを活用する小規模の水力発電についても検討したが、多くの導入量は見込めなかった。これらを普及させるには、さらに技術開発を促すなど追加的な政策が必要だという。



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大震災・原発事故で浮き出た(2) 大津波――事実を受け入れ、事実に学び、事実を子孫に刻む

2011-04-23 02:58:01 | Weblog

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2011/04/27 大震災・原発事故で浮き出た(3)驚いた! 風力発電に原発40基分の可能性



三陸沿岸では、過去のある時代に津波によって滅ぶという事実がありました。大方がそのことに学ばず、あるいはそのことを忘れ去り、あるいはそのことを知らずに、あるいは知っていてもたかをくくり、近代・現代の工学の力に安住し、過去の事実が警告している地域に幸福な生活を営み、このたびの滅びに出会いました。地球生物の王者「ヒト」の、そうした私たちの尊大さがクローズアップされました。

あらためて、「事実を受け入れ、事実に学び、事実を子孫に刻んで伝える」ということを私たちの肝に銘じようではありませんか。

過去の津波被害に学んでこのたびの津波からまぬかれた例があります。高台に作られた街道と宿場町、高台に移転した集落の実例を下の新聞記事で伝えられています。

 ◇  ◇  ◇  ◇  ◇

「歴史街道」浸水せず(毎日新聞 2011年4月19日 15時00分)
東日本大震災に伴う津波で大きな被害を受けた仙台平野で、浸水域の先端が、江戸時代の街道と宿場町の手前に沿って止まっていることが、東北大の平川新教授(江戸時代史)の調査で確認された。仙台平野は400~500年おきに大津波に見舞われており、街道は過去の浸水域を避けて整備された可能性が高いという。平川教授は「先人は災害の歴史に極めて謙虚だった」と話し、今後の復旧計画にも教訓を生かすべきだと提言する。

 国土地理院が作製した東日本大震災の浸水図に、平野を縦断する奥州街道と浜街道を重ねたところ、道筋の大部分と宿場町が浸水域の先端部からわずかに外れていたことが分かった。宿場町の整備後に仙台平野を襲った慶長津波(1611年)では、伊達領で1783人が死亡したとの記録が残る。平川教授は「慶長津波を受けて宿場町を今の位置に移したとも推察できるが、今回の浸水域と比べると見事なほどに被害を免れる場所を選んでいる。津波を想定して道を敷いた可能性は高い」と指摘する。


祖先の教訓、集落救った 高台移転で無傷(毎日新聞 2011年4月5日 12時24分)
東日本大震災の大津波により壊滅的な被害を受けた岩手県沿岸部で、過去の津波被害の教訓から高地に移転し、今回は難を逃れた集落がある。釜石市唐丹(とうに)町本郷と、大船渡市三陸町吉浜の2集落。本郷地区は道路を挟んだ上下で「明暗」がはっきり分かれた。防災の専門家は「被災地の復興策として高地移転を進めるべきだ」と指摘する。

本郷地区は明治三陸地震津波(1896年)と昭和三陸地震津波(1933年)で海岸部の家屋がほぼ全滅した。住民たちは裏山を切り崩して海抜約25メートル以上の高台に団地を造成、約100戸を移転させた。今回の津波は唐丹湾の防潮堤(高さ約10メートル)を乗り越え、高さ20メートル以上に達したとみられるが、移転した家屋はほぼ無傷だった。一方、転入者らが近ごろ建てた低地の約50戸はのみ込まれた。

住民らによると、住民たちは高台に避難し、犠牲者は漁船を沖に出そうとして津波に襲われた1人だけだった。漁業の千葉賢治さん(79)は「堤防を越える津波が来るなんて思わなかったが、親たちの知恵が生きた」と話す。

吉浜地区も明治三陸地震津波の後に約50戸が海抜20メートル以上の場所に移転。今回、元々集落があった水田地帯は水没したが、家屋は全壊が1戸だけで、死者も1人だった。


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大震災・原発事故で浮き出た(1) 東電天下りとなれあい癒着

2011-04-21 14:10:37 | Weblog

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       事実を子孫に刻む

2011/04/27 大震災・原発事故で浮き出た(3)驚いた! 風力発電に原発40基分の可能性



毎日新聞2011年4月19日朝刊で、資源エネルギー庁長官や次長などがこれまで約50年近くの間、東京電力に天下ってきた、と伝えました。6人いる副社長のうち1人は経済産業省OBの指定席なのだそうです。「電力大手10社に取締役として天下った同省OBは累計で45人に上る」。

かつてゼネコン汚職が話題になったころ、個人的には電力・ガス・鉄道・保険などの超大企業の方がはるかに悪質だと主張してきました。なぜなら、彼らは法律を作るときに影響力を行使して、法律そのもの、行政権力そのものを自分たちの利害の後ろ盾にするからです。これは一貫して私の持論です。次の毎日新聞記事はその事実を浮き立たせました。


<毎日4月19日朝刊記事――天下り受け入れでエネルギー政策に影響力>
電力会社が天下りを受け入れるのは、エネルギー政策への影響力を期待するためだ。電力会社は官庁の規制を強く受け、原発の安全規制や電気料金改定まで、エネ庁や原子力安全・保安院の政策に経営が左右される。90年代後半以降は電力自由化の制度設計が焦点となり、電力会社は政府の審議会などを通じて政策への関与を強めた。今回の事故でも「官民のなれ合いが安全規制の緩みにつながった」(野党幹部)との見方が強い。

ただ、電力会社への天下り規制を強化するだけでは、なれ合いの構図は消えない。

同省は09年12月現在、計785の公益法人(財団、社団法人)を所管するが、原子力安全・保安院とエネ庁の所管法人の中には、経産省OBや東電出身者らが理事や監事などで在籍し、業界から会費などの名目で資金を集めて天下りの受け皿になっているケースも少なくない。

政府内には「公益法人が癒着の温床となっている実態にも切り込む必要がある」との指摘もある。


<毎日4月19日朝刊記事――「天下り根絶」のはずの民主政権下で「天下り野放し」>
参院予算委後、菅直人首相(左)に一礼する東京電力の清水正孝社長=国会内で2011年4月18日、藤井太郎撮影 民主党政権が踏み切った経産省幹部による電力会社各社への再就職自粛は、自公政権下での「退職前5年間の職務と関係の深い業界への再就職は2年間禁止する」措置の復活といえる。「天下り根絶」をうたった民主党政権は、実効性のある対策を全くとれていないのが現状。批判を受けて対策を急ぐ泥縄的対応に追われている。

枝野氏は官僚の再就職に関し「省庁のあっせんがなければ天下りに該当しない」との立場だった。しかし、18日の記者会見では「原子力という関心の深い問題で強い疑義が持たれた。(再就職が)法律上問題ないとしても、法に反しない範囲でやれる対応をする」と方針転換した。

官僚OBの天下りは野放し状態となっている。自公政権の再就職禁止措置は、07年成立の改正国家公務員法で「再就職等監視委員会」の設置に伴い廃止。しかし、民主党が委員人事に同意せず、監視委が休眠し、機能していないからだ。




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「あいつはアホな奴や」、原発に関するマイブック16冊

2011-04-10 10:57:10 | Weblog


<國井先生は原子力発電を「アホ」と言った>

40年も50年も昔のことです。

母の知り合いに國井という京大工学部の教授がいました。学力の劣った私に、「数学だけはしっかりやるんやで、京大へおいで」と言ってくれました。京大の先生からそう声をかけてもらえるだけで、少年の私にとってはうれしいことでした。その國井先生も亡くなられてずいぶん年数が過ぎました。私の母もすでに故人となりました。

先生は後輩のS教授のことを「あいつはアホな奴や」とつぶやいていたと母から聞きました。母も同感で、思い出話をするときに何回かそのエピソードを私に聞かせました。その教授は原子力発電に賛成で、産業界と懇意にしていました。メーカーや電力会社に協力して、原子力発電の普及を進めていたのだろうと思います。

原子力発電の放射性廃棄物を無害化する技術がない。その放射能がどれほどひどいものか、ヒロシマ・ナガサキで被害者となって経験したではないか。それなのに……。人間の欲望とは無残なものだ。

それを國井先生は「アホ」と言い、アホなことをする後輩教授を「アホな奴」と言いました。


<原爆も原発も同じ>

私の母は、原爆投下の翌日、1945年8月7日に広島駅に着き、私の父をさがして広島市街地を歩きました。東北大津波と同じようにすべてを原爆に吹き飛ばされた街の跡を、やけどをした人たちがふらふら歩いていたと言います。

大火傷をした人たちは、体と腕が触れないよう一様に両脇を浮かしていました。そうして両腕をだらりと下げて、どこへともなく歩いていました。火傷した腕の皮膚が肩からずる向けに垂れ下がり、それは腕の形を残したままで手首で留まり、腕・手の形を残したままの皮膚を手首から下にぶらさげて、ふらふらと歩いていたと言います。

当時の母と同年輩の父方の親類の娘さんが原爆投下の3か月後に死んだありさまも、母から聞きました。電話交換手で建物の中にいて、さいわいに怪我らしいものはなかった。ところがしばらくして歯茎から血が出るようになり、髪がどんどん抜けて死んだと聞きました。

原爆も原子力発電も同じや――というのが國井先生の考えだったのでしょう。母は被爆ヒロシマ8月7日の目撃者です。強烈な体験でした。放射能を作ることに怒りを持っていました。私は幼児のころから、くり返しくり返し「8月7日」のヒロシマを母から聞いてきました。自分が見てきたようにその情景を思い浮かべることができます。そして私も、理屈ぬきで放射能を作ることに反対です。


<チェルノブイリ原発事故 1986年4月26日>

①『東京に原発を!』
 集英社文庫 1986年8月25日 第1刷発行
       著 広瀬 隆

②『われらチェルノブイリの虜囚』
 三一新書 1987年4月15日 第1版第1刷発行
      著 高木仁三郎、水戸 巌、反原発記者会

③『チェルノブィリクライシス――史上最悪の原発事故PHOTO全記録』
 竹書房刊 1988年5月26日 初版発行
      1988年5月30日 第2刷発行
      撮影 ウラジミール・シェフチェンコ(1987年3月被曝障害にて
         死亡)
      本文 奥原希行

④『原発事故から身を守る』
 第一書林刊 1988年9月1日 初版第1刷発行
       編 自治労原発問題研究会

⑤『北陸が日本地図から消える日――能登原発恐怖の疑惑』
 別冊「宝島」 1988年9月25日 発行
        編著 広瀬 隆

⑥『原発大論争――電力会社 VS 反原発派』
 別冊「宝島」 1988年9月25日 発行
        1988年10月5日 第2刷

⑦『新版 危険な話』
 新潮文庫 1989年4月5日発行
      1987年4月 八月書館より刊行された『危険な話』に大幅加筆した
      著 広瀬 隆

⑧『チェルノブイリ報告』
 岩波新書 1991年4月19日 第1刷発行
  著 広河隆一

⑨『新版 眠れない話――刻々と迫りくる日本の大事故――』
 新潮文庫 1991年6月25日発行
      1988年10月 八月書館より刊行された『眠れない話』に大幅加筆
      著 広瀬 隆

⑩『原発の経済学』
 朝日文庫 1993年9月1日 第1刷発行
      著 室田 武

⑪『原発をよむ』
 アテネ書房 1993年10月29日 第1刷発行
  著 高木仁三郎

⑫『原発事故…その時、あなたは!』
 風媒社刊 1995年6月10日 第1刷発行
      1995年8月15日 第2刷発行
      著者 瀬尾 健

⑬『脱原発のエネルギー計画』
 高文研刊 1996年2月15日 第1刷発行

⑭『原子炉を眠らせ、太陽を呼び覚ませ』
 草思社刊 1997年8月18日 第1刷発行
      著 森永晴彦

⑮『市民の科学をめざして』
 朝日選書 1999年1月25日 第1刷発行
      著 高木仁三郎

⑯『恐怖の放射性廃棄物――プルトニウム時代の終り――』
 集英社文庫 1999年8月25日 第1刷


上の16冊はチェルノブイリ原発事故以後・福島第一原発事故以前に買って、今私の手元にある本です。自慢をするのではありません。

これだけたくさんの原発警鐘本が出ています。人類にはまだ、放射能を解決できる能力がない。誰もが知っていることです。それにもかかわらず、国と電力会社・プラントメーカー大企業連合は原子力発電を促進し、立地自治体はお金をもらいつづけてきました。それを世論は阻まなかった。世論とは、私たち自身のことです。15冊のマイブックを記すことによって、私たち「民」自身の愚かさを確認したいのです。

チェルノブイリはロシア、スリーマイルはアメリカ、福島は日本。世界の三つの大国で多くの人々が、民が、原発災害のために苦しんでいます。それでも原発をやめないのでしょうか。

私たち日本人はヒロシマ・ナガサキで放射能体験をし、チェルノブイリでも放射能の恐ろしさを知りました。今は、わが国土で放射能体験が進行中です。それでも原発をやめないのでしょうか。

何十年も昔に國井先生が言っていた「アホ」なことを止める方向へ、民の力で、政界や経済界に圧力を強めようではありませんか。



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