参議院選挙の渦中にある7月8日奈良市で午前11時過ぎ、安倍元首相が自民党候補の応援演説を始めてまもなく銃撃されて、午後5時3分にお亡くなりになりました。
岸田首相は、7月14日に安倍元首相を国葬にすると発表しました。
悲劇への衝撃から国葬の驚きへ。‥‥なぜ国葬なの?
岸田首相は、その「なぜ?」を簡潔に説明しました。
国民を説得するための「国葬アピールポイント」です。
国葬アピールの一については、前回8月8日付記事に所感を書きました。
国葬アピールポイントの二は、安倍元首相の総理在職期間が憲政史上最長である、ということです。
安倍元首相の死は参議院選挙のさ中、自民党候補の応援演説中のできごとです。犯行動機は統一教会(旧称)と安倍元首相との関係を見据えた信者家族による私怨。まさしく自民党に捧げた死でありました。
〈岸田首相発言 2022-07-14記者会見〉
「 安倍元総理におかれては、憲政史上最長の8年8か月にわたり、卓越した
リーダーシップと実行力をもって、厳しい内外情勢に直面する我が国のため
に内閣総理大臣の重責を担った」
総理在職日数が憲政史上最長とは、オリンピックなら金メダル。総理在職日数で、安倍晋三氏は内閣制度初代総理大臣伊藤博文の上に立つ。「国葬」ならば伊藤博文に並び立つ。昭和天皇崩御の折の大喪の礼は、事実上の国葬と言ってよい。然らば1945年敗戦以後の日本では、安倍晋三氏国葬は、昭和天皇に並び立つではありませんか。日本の政治は正常な判断力を失っている。
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殺害された6人の総理経験者、吉田茂氏、佐藤榮作氏、安倍晋三氏‥‥9人の総理在職日数と大臣在職日数を調べてみましょう。 ※官邸「歴代内閣」HPから集計した
〘初代:伊藤博文〙 1841(天文12).09.02.生 - 1909(明治42).10.26.没
総理在職通算2720日 卿・大臣在職通算3076日 計5796日
枢密院議長在職通算1606日 韓国統監在職通算1272日 計2878日
1873(明治06).10.25. - 1878(明治11).05.15. 初代 工部卿 1663日
1884(明治17).03.21. - 1885(明治18).12.22. 第3代 宮内卿 642日
1885(明治18).12.22. - 1887(明治20).09.16. 初代 宮内大臣 633日
1887(明治20).09.17. - 1888(明治21).02.01. 外務大臣 臨時兼任 138日
1885(明治18).12.22. - 1888(明治21).04.30. 第1次伊藤内閣
初代 内閣総理大臣 861日
*1889(明治22).02.11. 大日本帝国憲法発布(黒田内閣)
1888(明治21).04.30. - 1889(明治22).10.30. 初代 枢密院議長 578日
1892(明治25).08.08. - 1896(明治29).08.31. 第2次伊藤内閣
第5代 内閣総理大臣 1485日
1898(明治31).01.12. - 1898(明治31).06.30. 第3次伊藤内閣
第7代 内閣総理大臣 170日
*1900(明治33). 立憲政友会結党 初代総裁
1900(明治33).10.19. - 1901(明治34).05.10. 第4次伊藤内閣
第10代 内閣総理大臣 204日
*1903(明治36). 立憲政友党 総裁辞職
1903(明治36).07.13. - 1905(明治38).12.21. 第8代 枢密院議長 893日
1905(明治38).12.21. - 1909(明治42).06.14. 韓国統監府
初代韓国統監 1272日
*1909(明治42). 韓国統監 辞職
1909(明治42).06.14. - 1909(明治42).10.26. 第10代 枢密院議長 135日
*1909(明治42).10.26. 中国黒竜江省省都ハルビン駅構内で韓国人
安重根の拳銃テロにより10.26.死去
*1910(明治43) 日韓併合
〘第19代:原 敬〙 1856(安政03).02.09.生 - 1921(大正10).11.04.没
総理在職通算1133日 大臣在職通算1821日 計2954日
1906(明治39).01.07. - 1908(明治41).07.14. 内務大臣 920日
(第1次西園寺公望内閣)
1911(明治44).08.30. - 1912(明治45=大正01).12.21. 内務大臣 480日
(第2次西園寺公望内閣)
1913(大正02).02.20. - 1914(大正03).04.16. 内務大臣 421日
(第1次山本権兵衛内閣)
1918(大正07).09.29. - 1921(大正10).11.04. 第19代 内閣総理大臣 1133日
*1921.11.04.東京駅構内で心臓を刺され、ほぼ即死
〘第27代:濱口雄幸〙 1870(明治03).05.01.生 - 1931(昭和06).08.26.没
総理在職通算652日 大臣在職通算468日 計1120日
1924(大正13).06.11. - 1926(昭和01).01.29. 大蔵大臣
(第24代 加藤高明内閣)123日
1926(昭和01).01.30. - 1926(昭和01).06.02. 大蔵大臣 123日
(第25代 第1次若槻禮次郎内閣)
1926(昭和01).06.03. - 1927(昭和02).04.20. 大蔵大臣 222日
(第25代 第1次若槻禮次郎内閣)
1929(昭和04).07.02. - 1931(昭和06).04.14. 第27代 内閣総理大臣 652日
*1930(昭和05).11.14. 東京駅ホームで統帥権干犯批判という動機で濱口を銃撃。
濱口重傷で翌年1931.4.14.総理辞職、同8.26.死去。
〘第29代:犬養 毅〙 1855(安政02).06.04.生 - 1932(昭和07).05.15.没
総理在職通算156日 大臣在職通算340日 計496日
1923(大正12).09.02. - 1924(大正13).01.07. 逓信大臣 121日
(第2次山本權兵衛内閣)
1924(大正13).06.11. - 1926(大正15).01.28. 逓信大臣 229日
(加藤高明内閣)
1931(昭和06).12.13. - 1932(昭和07).05.16. 内閣総理大臣
*1932.05.15.夕刻、公邸にて海軍将校ほかの襲撃を受けた。至近距離から
頭部左右各1発拳銃で撃たれ、午後11時半ごろ絶命。(五・一五テロ事件)
〘第30代:齋藤 實〙 1858(安政05).12.02.生 - 1936(昭和11).02.26.没
総理在職通算774日 大臣在職通算1403日 計2177日
宮中内大臣府内大臣 63日 *軍人(海軍大将)政治家
1906(明治39).01.07. - 1908(明治41).07.14. 海軍大臣 920日
(第1次西園寺公望内閣)
1912(大正01).12.21. - 1913(大正02).02.20. 海軍大臣(桂太郎内閣)62日
1913(大正02).02.20. - 1914(大正03).04.16. 海軍大臣 421日
(第1次山本権兵衛内閣)
1932(昭和07).05.26. - 1934(昭和09).07.08. 内閣総理大臣 774日
1935(昭和10).12.26. - 1936(昭和11).02.26. 宮中内大臣府 内大臣 63日
<1936.02.26.午前5時ごろ出動、二・二六陸軍反乱事件>
中隊長クラスの青年陸軍将校が近衛歩兵連隊・第1師団歩兵連隊から1400名
ほどの下士官・兵を指揮動員して反乱。
元総理・高橋是清大蔵大臣‥‥反乱部隊100名が私邸を襲撃。
拳銃で撃たれ、軍刀で止めを刺されて即死。
元総理・斎藤實内大臣‥‥反乱部隊150名で私邸を襲撃。
即死遺体には機関銃弾多数が撃ちこまれていた。
渡辺錠太郎 教育総監・陸軍大将‥‥私邸で襲撃を受け即死。
総理秘書官松尾伝蔵陸軍大佐‥‥首相官邸にて即死。岡田総理と誤認された。
応戦した警官4名即死。官邸襲撃部隊300。
岡田啓介総理大臣‥‥無事だった。反乱軍は松尾陸軍大佐を岡田首相と誤認。
渡辺錠太郎 教育総監・陸軍大将‥‥私邸襲撃を受け即死。
鈴木貫太郎侍従長海軍大将‥‥反乱軍150で官邸襲撃。鈴木侍従長負傷。
〘第20代:高橋是清〙 1854(安政1).09.19.生 - 1936(昭和11).02.26.没
総理在職通算212日 大臣在職通算3886日 計4098日
1913(大正02).02.20. - 1914(大正03).04.16. 大蔵大臣 421日
(第1次山本権兵衛内閣)
1918(大正07).09.29. - 1921(大正10).11.04. 大蔵大臣(原 敬内閣)1133日
1924(大正13).06.11. - 1925(大正14).04.01. 農商務大臣 294日
(加藤高明内閣)
1925(大正14).04.01. - 1926(大正15).01.28. 農林大臣兼商工大臣 303日
(加藤高明内閣)
1921(大正10).11.13. - 1922(大正11).06.02. 第20代 内閣総理大臣 212日
1927(昭和02).04.20. - 1922(昭和04).07.02. 大蔵大臣 805日
(田中義一内閣)
1931(昭和06).12.13. - 1932(昭和07).05.16. 大蔵大臣(犬養毅内閣)156日
1932(昭和07).05.26. - 1934(昭和09).07.08. 大蔵大臣(齋藤實内閣)774日
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〘第45代:吉田 茂〙 1878(明治11).09.22. - 1967(昭和42).10.20.
総理在職通算2615日 大臣在職通算249日 計2864日
1945(昭和20).09.15. - 1945(昭和20).10.08. 外務大臣(東久邇内閣)24日
1945(昭和20).10.09. - 1946(昭和21).05.21. 外務大臣 225日
(幣原喜重郎内閣)
1946(昭和21).05.22. - 1947(昭和22).05.21. 第45代 内閣総理大臣 365日
(第1次吉田内閣)
1948(昭和23).10.15. - 1949(昭和24).02.15. 第48代 内閣総理大臣 124日
(第2次吉田内閣)
1949(昭和24).02.16. - 1952(昭和27).10.29. 第49代 内閣総理大臣1354日
( 第3次吉田内閣)
*対日講和条約‥‥1951.09.08.サンフランシスコで署名
1952.04.28.発効
1952(昭和27).10.30. - 1953(昭和28).05.20. 第50代 内閣総理大臣 203日
(第4次吉田内閣)
1953(昭和28).05.21. - 1954(昭和29).12.10. 第51代 内閣総理大臣 569日
(第5次吉田内閣)
〘第45代:佐藤栄作〙 1901(明治34).03.27.生 - 1975(昭和50).06.03.没
総理在職通算2798日 大臣在職通算1515日 計4313日
1948(昭和23).10.17. - 1949(昭和24).02.16. 内閣官房長官 123日
(第2次吉田茂内閣)
1951(昭和26).07.04. - 1951(昭和26).12.26. 郵政大臣兼電気通信大臣
176日
(第3次吉田茂内閣第2次改造内閣)
1951(昭和26).12.26. - 1952(昭和27).10.30. 郵政大臣兼電気通信大臣
309日
(第3次吉田茂内閣第3次改造内閣)
1952(昭和27).10.30. - 1953(昭和28).05.21. 建設大臣兼北海道開発庁長官
143日
(第4次吉田茂内閣)
1959(昭和34).06.18. - 1960(昭和35).07.19. 大蔵大臣 398日
(第2次岸内閣改造内閣)
1963(昭和38).12.09. - 1964(昭和39).12.08. 科学技術庁長官兼任
北海道開発庁長官 366日
(第2次池田内閣)
1964(昭和39).11.09. - 1967(昭和42).02.17. 第61代 内閣総理大臣 831日
(第1次佐藤榮作内閣)
1967(昭和42).02.17. - 1970(昭和45).01.14. 第62代 内閣総理大臣1063日
(第2次佐藤榮作内閣)
*1967(昭和42).12.11.衆院予算委答弁で非核三原則「核兵器を持たず、作ら
ず、持ち込ませず」を表明。1974年ノーベル平和賞受賞につながった。
1970(昭和45).01.14. - 1972(昭和47).07.07. 第63代 内閣総理大臣 906日
(第3次佐藤榮作内閣)
*1972(昭和47).05.15. 沖縄返還協定発効 沖縄復帰
**1974(昭和49)秋 佐藤首相(当時)の「非核三原則」政策に対してノーベル
平和賞授賞。 後年「非核三原則」日米密約が明らかになり、ノルウェイ国
内から「ノーベル委員会の最大の誤り」と批判が出た。
〘第90代:安倍晋三〙 1954(昭和29).09.21.生 - 2022(令和04).07.08.没
総理在職通算3188日 大臣在職通算371日 計3559日
*2000(平成12).07.04. - 2001(平成13).04.26. 内閣官房副長官 297日
(第2次森喜朗内閣)
*2001(平成13).04.26. - 2002(平成14).09.29. 内閣官房副長官 522日
(第1次小泉純一郎内閣)
*2002(平成14).09.30. - 2003(平成15).09.21. 内閣官房副長官 357日
(第1次小泉内閣第1次改造内閣)
*2003(平成15)年9月 - 2004(平成16)年9月 自民党幹事長
(注)参考に、党役職経歴と官房副長官職を記載しました。
ただし、官房副長官は大臣ではなく、閣僚ではありません。
2005(平成17).09.21. - 2005(平成17).10.30. 内閣官房長官 39日
(第3次小泉内閣)
2005(平成17).10.31. - 2006(平成18).09.26. 内閣官房長官 332日
(第3次小泉内閣改造内閣)
2006(平成18).01.14. - 2007(平成19).09.26. 第90代 内閣総理大臣 366日
(第1次安倍晋三内閣)
2012(平成24).12.26. - 2014(平成26).12.24. 第96代 内閣総理大臣 729日
(第2 安倍晋三内閣)
2014(平成26).12.24. - 2017(平成29).11.01. 第97代 内閣総理大臣1044日
(第3次安倍晋三内閣)
2017(平成29).11.01. - 2020(令和02).09.16. 第98代 内閣総理大臣1051日
(第4次安倍晋三内閣 )
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〇 安倍晋三氏は伊藤博文に比肩するかと問えば、義務教育で歴史を勉強したのか
と非難されるでしょう。
〇 安倍晋三氏には、吉田茂氏の「対日講和条約」、佐藤榮作氏の「沖縄返還」と
いう現代日本のエポックになる業績がありません。吉田茂氏、佐藤榮作氏にも
劣ります。