川本ちょっとメモ

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<安倍国葬> 総理経験者9人在職日数ランキング / 安倍晋三元首相の政治経歴

2022-08-19 09:48:15 | Weblog






総理大臣経験者で国葬になったのは「伊藤博文と安倍晋三」と後世歴史に残ることになりました。 

昭和敗戦後の民主主義日本国で国葬になったのは「貞明皇后・昭和天皇(正確には皇室典範に基づく大喪の礼)と安倍晋三」と後世の歴史に残ることになりました。 

(2022.08.20.訂正)
 申し訳ございません。訂正です。国葬に貞明皇后を追加しました。貞明皇后は昭和天皇の
 母后で、1951(昭和26).06.22.に大喪の儀が執り行われています。




<総理経験者9人の総理在職通算日数と大臣在職通算日数を比較する>

〇初代 伊藤博文  総理在職通算2720日 卿・大臣在職通算3076日 計5796日
        (枢密院議長在職通算1606日 韓国統監在職通算1272日 計2878日)

〇19代 原 敬     総理在職通算1133日   大臣在職通算1821日 計2954日

〇27代 濱口雄幸  総理在職通算  652日  大臣在職通算  468日 計1120日   

〇29代 犬養 毅     総理在職通算   156日 大臣在職通算  340日 計  496日

〇30代 齋藤 實     総理在職通算   774日 大臣在職通算 1403日 計2177日 

〇20代 高橋是清   総理在職通算   212日 大臣在職通算 3886日 計4098日 

〇45代 吉田 茂     総理在職通算  2615日 大臣在職通算   249日 計2864日 

〇20代 佐藤榮作   総理在職通算  2798日 大臣在職通算 1515日 計4313日 
 
〇90代 安倍晋三   総理在職通算  3188日 大臣在職通算   371日 計3559日  


        ―・―・―・―・―・―・― 


<総理経験者9人――在職日数順位>

    (総理在職通算日数)  (大臣在職通算日数)  (総理日数+大臣日数  計)   
 1位 安倍晋三 3188日  1位 高橋是清 3886日  1位 伊藤博文 5796日   
 2位 佐藤榮作 2798日  2位 伊藤博文 3076日  2位 佐藤榮作 4313日
 3位 伊藤博文 2720日  3位 原 敬  1821日  3位 高橋是清 4098日
 4位 吉田 茂 2615日  4位 佐藤榮作 1515日  4位 安倍晋三 3559日
 5位 原 敬  1133日  5位 齋藤 實  1403日    5位 原 敬  2954日
 6位 齋藤 實   774日  6位 濱口雄幸 468日  6位 吉田 茂 2864日 
 7位 濱口雄幸   652日  位 安倍晋三 371日  7位 齋藤 實 2177日
 8位 高橋是清   212日  8位 犬養 毅 340日  8位 濱口雄幸 1120日
 9位 犬養 毅   156日  9位 吉田 茂 249日  9位 犬養 毅   496日

  ※1.伊藤博文は、総理・卿・大臣・枢密院議長・韓国統監在職は通算計8674日。
     飛びぬけている。
  ※2.安倍晋三の大臣就任は官房長官のみ。


<安倍晋三元首相異例の経歴>

安倍元首相の大臣経験は、第3次小泉内閣・改造内閣の371日だけです。そのまま小泉純一郎の後を引き継いで2006年、第90代内閣総理大臣に上りました。

異例の経歴というのは、内閣官房長官のみという大臣経歴371日の前に、内閣官房副長官1176日という経歴を踏んでいることです。

内閣官房副長官は副大臣級で内閣の閣僚ではありません。それにもかかわらず閣僚名簿に掲載されていることでほかの副大臣以上の要職であることがわかります。

政務担当の内閣副官房長官は、官房長官や総理大臣を助け、時にはその代理を務め、内政外交の国務全般に関わります。官房長官が閣僚を統制するように、官房副長官は副大臣を統制します。

安倍元首相は2000年7月から2003年9月まで、第2次森喜朗内閣から第1次小泉純一郎内閣まで引き続いて官房副長官を務めました。森喜朗が安倍晋三を登用し、引き続き登用するよう小泉純一郎にすすめたと言われています。

このあたりの事情を知ると、安倍晋三首相(当時)が東京オリンピック・パラリンピック大会組織委員会会長に森喜朗を招請した人間関係が理解できます。世話になった恩に報いるという麗しい人情噺なんですが、利権が群がるフィールドのお話でもあります。政治権力と利権の継承がこのように進むという実例です。

森・小泉の下で連続1176日という長い官房副長官修行が終わりました。これは政府全般にわたる動かし方の下見習いです。

つづいて安倍元首相は自民党の党務の要職、自民党幹事長を2年ばかり務めます。
自民党統制のメカニズム実習です。

誰が引き立てたのか? 
当時の自民党総裁は小泉純一郎首相(当時)です。
後ろ盾である森喜朗前首相(当時)の力も大きい。

森も小泉も安倍も、自民党の清話会系です。

小泉純一郎は総理大臣の終わりに、第3次小泉内閣で安倍晋三を官房長官(在職371日)に取り立てました。小泉内閣の次の内閣は、第1次安倍晋三内閣で2006(平成18)年に成立しました。

要するに、森―小泉―安倍の清話会政治が長年つついてきました。

安倍元首相は、官房副長官1176日、官房長官371日、計1547日という政権中枢養育を森・小泉から受けて、第一次安倍内閣という花と開きました。

もう一つ、教育歴も世間の風に触れない純粋育ちです。成蹊学園の小中高大エレベーターで卒業しています。成蹊学園は東京都武蔵野市吉祥寺にあって、小中高大ワンキャンパスだそうです。東京生まれ、東京育ち、成蹊一貫育ち、それでいて衆議院は山口県選出です。


<安倍政治>

そして経済の分野では、小泉純一郎の規制緩和信奉が始まり、「グローバル」と鳴いて飛びまわる竹中平蔵に実務を任せました。

安倍晋三は竹中平蔵という人材をそのまま受け継ぎ、グローバル経済・規制緩和という経済政策の骨格を小泉内閣から継承し、より拡大してきました。

グローバル化というのを荒っぽくひとことで言えば、ニューヨーク・マンハッタン、ウォールストリート金融筋の野心に応じるもの――と、私は思っています。

規制緩和というのは、これも荒っぽくひとことで言えば、国内では経済界の要請、外国からは外資系筋の要請を歓迎するもの――と、私は思っています。

生活の点では、一般大衆の収入低迷または低下、規制緩和に伴う労働強化に相応しない収入という点で、金融所得・不動産所得と労働所得との格差拡大が広がる一方の安倍時代でした。もっともこの点も小泉内閣から継承拡大したと言ってよいと思います。

安倍政治はこのように、中・低所得層の国民生活にとって何のメリットも見られません。そして国内社会最大の課題である少子化政策についても、見るべき進展がないままに終わっています。

安倍治世下で庶民大衆の生活は一般に苦しくなって良いところがなかった。

 しかし安倍政治で評価できることが一つ、あります。外交戦略の「自由で開かれたインド太平洋構想」です。これは今後の日本の外交指針の基本になっていくものと考えられます。

「自由で開かれたインド太平洋構想」は私も歓迎しております。しかし米国の虎の威を借りる狐のごとき軍事に偏るのではないかという心配があります。中国・韓国を始めアジア人一般に対する日本優越意識の強い日本人も多いように思われます。アジアの国を十分に尊重して、中国に対しても軍事に偏らない外交を期待します。なんとしても戦争は避けたい。



〘第90代:安倍晋三〙 1954(昭和29).09.21.生 - 2022(令和04).07.08.没
           総理在職通算3188日 大臣在職通算371日 計3559日
 
 
  *2000(平成12).07.04. - 2001(平成13).04.26. 内閣官房副長官 297日
                          (第2次森喜朗内閣)
   *2001(平成13).04.26. - 2002(平成14).09.29. 内閣官房副長官 522日
                         (第1次小泉純一郎内閣)
   *2002(平成14).09.30. - 2003(平成15).09.21. 内閣官房副長官 357日
                        (第1次小泉内閣第1次改造内閣)
   *2003(平成15)年9月 - 2004(平成16)年9月 自民党幹事長
 
 
   (注)参考に、党役職経歴と官房副長官職を記載しました。
      ただし、官房副長官は大臣ではなく、閣僚ではありません。 

  2005(平成17).09.21. - 2005(平成17).10.30. 内閣官房長官 39日
                        (第3次小泉内閣)
  2005(平成17).10.31. - 2006(平成18).09.26. 内閣官房長官 332日
                        (第3次小泉内閣改造内閣)
  2006(平成18).01.14. - 2007(平成19).09.26. 第90代 内閣総理大臣 366日
                          (第1次安倍晋三内閣)
  2012(平成24).12.26. - 2014(平成26).12.24. 第96代 内閣総理大臣 729日
                          (第2 安倍晋三内閣)
  2014(平成26).12.24. - 2017(平成29).11.01. 第97代 内閣総理大臣1044日
                          (第3次安倍晋三内閣)
  2017(平成29).11.01. - 2020(令和02).09.16. 第98代 内閣総理大臣1051日
                          (第4次安倍晋三内閣 )


コメント

<安倍晋三元首相国葬の件> 比較資料として総理経験者9人の総理歴・大臣歴を見る

2022-08-12 09:19:44 | Weblog






 参議院選挙の渦中にある7月8日奈良市で午前11時過ぎ、安倍元首相が自民党候補の応援演説を始めてまもなく銃撃されて、午後5時3分にお亡くなりになりました。

 岸田首相は、7月14日に安倍元首相を国葬にすると発表しました。
 悲劇への衝撃から国葬の驚きへ。‥‥なぜ国葬なの?
 岸田首相は、その「なぜ?」を簡潔に説明しました。
 国民を説得するための「国葬アピールポイント」です。
 国葬アピールの一については、前回8月8日付記事に所感を書きました。



 国葬アピールポイントの二は、安倍元首相の総理在職期間が憲政史上最長である、ということです。


 安倍元首相の死は参議院選挙のさ中、自民党候補の応援演説中のできごとです。犯行動機は統一教会(旧称)と安倍元首相との関係を見据えた信者家族による私怨。まさしく自民党に捧げた死でありました。  


 〈岸田首相発言 2022-07-14記者会見〉

  「 安倍元総理におかれては、憲政史上最長の8年8か月にわたり、卓越した
  リーダーシップと実行力をもって、厳しい内外情勢に直面する我が国のため
  に内閣総理大臣の重責を担った」




 総理在職日数が憲政史上最長とは、オリンピックなら金メダル。総理在職日数で、安倍晋三氏は内閣制度初代総理大臣伊藤博文の上に立つ。「国葬」ならば伊藤博文に並び立つ。昭和天皇崩御の折の大喪の礼は、事実上の国葬と言ってよい。然らば1945年敗戦以後の日本では、安倍晋三氏国葬は、昭和天皇に並び立つではありませんか。日本の政治は正常な判断力を失っている。



        ―・―・―・―・―・―・



 殺害された6人の総理経験者、吉田茂氏、佐藤榮作氏、安倍晋三氏‥‥9人の総理在職日数と大臣在職日数を調べてみましょう。  ※官邸「歴代内閣」HPから集計した


〘初代:伊藤博文〙 
1841(天文12).09.02.生 - 1909(明治42).10.26.没
          総理在職通算2720日 卿・大臣在職通算3076日 計5796日
       枢密院議長在職通算1606日 韓国統監在職通算1272日 計2878日
 
  1873(明治06).10.25. - 1878(明治11).05.15. 初代 工部卿 1663日
  1884(明治17).03.21. - 1885(明治18).12.22. 第3代 宮内卿 642日
  1885(明治18).12.22. - 1887(明治20).09.16. 初代 宮内大臣 633日
  1887(明治20).09.17. - 1888(明治21).02.01. 外務大臣 臨時兼任 138日
  1885(明治18).12.22. - 1888(明治21).04.30. 第1次伊藤内閣
                         初代 内閣総理大臣 861日
 
          *1889(明治22).02.11. 大日本帝国憲法発布(黒田内閣)
  1888(明治21).04.30. - 1889(明治22).10.30. 初代 枢密院議長 578日
  1892(明治25).08.08. - 1896(明治29).08.31. 第2次伊藤内閣
                     第5代 内閣総理大臣 1485日
  1898(明治31).01.12. - 1898(明治31).06.30. 第3次伊藤内閣
                     第7代 内閣総理大臣 170日
                
*1900(明治33). 立憲政友会結党 初代総裁
  1900(明治33).10.19. - 1901(明治34).05.10. 第4次伊藤内閣
                     第10代 内閣総理大臣 204日
                   
*1903(明治36). 立憲政友党 総裁辞職
  1903(明治36).07.13. - 1905(明治38).12.21. 第8代 枢密院議長 893日
  1905(明治38).12.21. - 1909(明治42).06.14. 韓国統監府
                         初代韓国統監 1272日
                     
*1909(明治42). 韓国統監 辞職
  1909(明治42).06.14. - 1909(明治42).10.26. 第10代 枢密院議長 135日
 
       *1909(明治42).10.26. 中国黒竜江省省都ハルビン駅構内で韓国人
                    安重根の拳銃テロにより10.26.死去
                          *1910(明治43) 日韓併合



〘第19代:原 敬〙
 1856(安政03).02.09.生 - 1921(大正10).11.04.没
          総理在職通算1133日 大臣在職通算1821日 計2954日
 
  1906(明治39).01.07. - 1908(明治41).07.14. 内務大臣 920日
                      (第1次西園寺公望内閣)
  1911(明治44).08.30. - 1912(明治45=大正01).12.21. 内務大臣 480日
                         (第2次西園寺公望内閣)
  1913(大正02).02.20. - 1914(大正03).04.16. 内務大臣 421日
                      (第1次山本権兵衛内閣)
  1918(大正07).09.29. - 1921(大正10).11.04. 第19代 内閣総理大臣 1133日
               *1921.11.04.東京駅構内で心臓を刺され、ほぼ即死


〘第27代:濱口雄幸〙 1870(明治03).05.01.生 - 1931(昭和06).08.26.
            総理在職通算652日 大臣在職通算468日 計1120日

  1924(大正13).06.11. - 1926(昭和01).01.29. 大蔵大臣
                      (第24代 加藤高明内閣)123日
  1926(昭和01).01.30. - 1926(昭和01).06.02. 大蔵大臣 123日
                      (第25代 第1次若槻禮次郎内閣)
  1926(昭和01).06.03. - 1927(昭和02).04.20. 大蔵大臣 222日
                      (第25代 第1次若槻禮次郎内閣)
  1929(昭和04).07.02. - 1931(昭和06).04.14. 第27代 内閣総理大臣 652日
  *1930(昭和05).11.14. 東京駅ホームで統帥権干犯批判という動機で濱口を銃撃。
                 濱口重傷で翌年1931.4.14.総理辞職、同8.26.死去。

 

〘第29代:犬養 毅〙
 1855(安政02).06.04.生 - 1932(昭和07).05.15.没
           総理在職通算156日 大臣在職通算340日 計496日

  1923(大正12).09.02. - 1924(大正13).01.07. 逓信大臣 121日
                      (第2次山本權兵衛内閣)
  1924(大正13).06.11. - 1926(大正15).01.28. 逓信大臣 229日
                      (加藤高明内閣)
  1931(昭和06).12.13. - 1932(昭和07).05.16. 内閣総理大臣
      *1932.05.15.夕刻、公邸にて海軍将校ほかの襲撃を受けた。至近距離から
       頭部左右各1発拳銃で撃たれ、午後11時半ごろ絶命。(五・一五テロ事件)


〘第30代:齋藤 實〙
 1858(安政05).12.02.生 - 1936(昭和11).02.26.没
           総理在職通算774日 大臣在職通算1403日 計2177日
           宮中内大臣府内大臣 63日  *軍人(海軍大将)政治家

  1906(明治39).01.07. - 1908(明治41).07.14. 海軍大臣 920日
                      (第1次西園寺公望内閣)
  1912(大正01).12.21. - 1913(大正02).02.20. 海軍大臣(桂太郎内閣)62日
  1913(大正02).02.20. - 1914(大正03).04.16. 海軍大臣 421日
                      (第1次山本権兵衛内閣)
  1932(昭和07).05.26. - 1934(昭和09).07.08. 内閣総理大臣 774日
  1935(昭和10).12.26. - 1936(昭和11).02.26. 宮中内大臣府 内大臣 63日
 

 <1936.02.26.午前5時ごろ出動、二・二六陸軍反乱事件>
  
 中隊長クラスの青年陸軍将校が近衛歩兵連隊・第1師団歩兵連隊から1400名
   ほどの下士官・兵を指揮動員して反乱。

    元総理・高橋是清大蔵大臣‥‥反乱部隊100名が私邸を襲撃。
                  拳銃で撃たれ、軍刀で止めを刺されて即死。
    元総理・斎藤實内大臣‥‥反乱部隊150名で私邸を襲撃。
                即死遺体には機関銃弾多数が撃ちこまれていた。
    渡辺錠太郎 教育総監・陸軍大将‥‥私邸で襲撃を受け即死。
    総理秘書官松尾伝蔵陸軍大佐‥‥首相官邸にて即死。岡田総理と誤認された。
                   応戦した警官4名即死。官邸襲撃部隊300。
    岡田啓介総理大臣‥‥無事だった。反乱軍は松尾陸軍大佐を岡田首相と誤認。
    渡辺錠太郎 教育総監・陸軍大将‥‥私邸襲撃を受け即死。
    鈴木貫太郎侍従長海軍大将‥‥反乱軍150で官邸襲撃。鈴木侍従長負傷。


〘第20代:高橋是清〙 1854(安政1).09.19.生 - 1936(昭和11).02.26.没
           総理在職通算212日 大臣在職通算3886日 計4098日

 1913(大正02).02.20. - 1914(大正03).04.16. 大蔵大臣 421日
                       (第1次山本権兵衛内閣)
 1918(大正07).09.29. - 1921(大正10).11.04. 大蔵大臣(原 敬内閣)1133日
 1924(大正13).06.11. - 1925(大正14).04.01. 農商務大臣 294日
                       (加藤高明内閣)
 1925(大正14).04.01. - 1926(大正15).01.28. 農林大臣兼商工大臣 303日
                       (加藤高明内閣)
 1921(大正10).11.13. - 1922(大正11).06.02. 第20代 内閣総理大臣 212日
 1927(昭和02).04.20. - 1922(昭和04).07.02. 大蔵大臣 805日
                       (田中義一内閣)
 1931(昭和06).12.13. - 1932(昭和07).05.16. 大蔵大臣(犬養毅内閣)156日
 1932(昭和07).05.26. - 1934(昭和09).07.08. 大蔵大臣(齋藤實内閣)774日

       --------------------------------------------------------
    
〘第45代:吉田 茂〙
 1878(明治11).09.22. - 1967(昭和42).10.20.
           総理在職通算2615日 大臣在職通算249日 計2864日

  1945(昭和20).09.15. - 1945(昭和20).10.08. 外務大臣(東久邇内閣)24日
  1945(昭和20).10.09. - 1946(昭和21).05.21. 外務大臣 225日
                        (幣原喜重郎内閣)
  1946(昭和21).05.22. - 1947(昭和22).05.21. 第45代 内閣総理大臣 365日
                        (第1次吉田内閣)
  1948(昭和23).10.15. - 1949(昭和24).02.15. 第48代 内閣総理大臣 124日
                        (第2次吉田内閣)
  1949(昭和24).02.16. - 1952(昭和27).10.29. 第49代 内閣総理大臣1354日
                        ( 第3次吉田内閣)
  
           *対日講和条約‥‥1951.09.08.サンフランシスコで署名
                      1952.04.28.発効

  1952(昭和27).10.30. - 1953(昭和28).05.20. 第50代 内閣総理大臣 203日
                        (第4次吉田内閣)
  1953(昭和28).05.21. - 1954(昭和29).12.10. 第51代 内閣総理大臣 569日
                        (第5次吉田内閣)


〘第45代:佐藤栄作〙  1901(明治34).03.27.生 - 1975(昭和50).06.03.没
             総理在職通算2798日 大臣在職通算1515日 計4313日

  1948(昭和23).10.17. - 1949(昭和24).02.16. 内閣官房長官 123日
                        (第2次吉田茂内閣)
  1951(昭和26).07.04. - 1951(昭和26).12.26. 郵政大臣兼電気通信大臣
                              176日
                   (第3次吉田茂内閣第2次改造内閣)
  1951(昭和26).12.26. - 1952(昭和27).10.30. 郵政大臣兼電気通信大臣
                               309日
                   (第3次吉田茂内閣第3次改造内閣)
  1952(昭和27).10.30. - 1953(昭和28).05.21. 建設大臣兼北海道開発庁長官
                                143日
                        (第4次吉田茂内閣)
  1959(昭和34).06.18. - 1960(昭和35).07.19. 大蔵大臣 398日
                      (第2次岸内閣改造内閣)
  1963(昭和38).12.09. - 1964(昭和39).12.08. 科学技術庁長官兼任
                         北海道開発庁長官 366日
                          (第2次池田内閣)
  1964(昭和39).11.09. - 1967(昭和42).02.17. 第61代 内閣総理大臣 831日
                        (第1次佐藤榮作内閣)
  1967(昭和42).02.17. - 1970(昭和45).01.14. 第62代 内閣総理大臣1063日
                        (第2次佐藤榮作内閣)
    *1967(昭和42).12.11.衆院予算委答弁で非核三原則「核兵器を持たず、作ら
     ず、持ち込ませず」を表明。1974年ノーベル平和賞受賞につながった。
  1970(昭和45).01.14. - 1972(昭和47).07.07. 第63代 内閣総理大臣 906日
                          (第3次佐藤榮作内閣)
    
1972(昭和47).05.15. 沖縄返還協定発効 沖縄復帰 
   **
1974(昭和49)秋 佐藤首相(当時)の「非核三原則」政策に対してノーベル 
      平和賞授賞。 後年「非核三原則」日米密約が明らかになり、ノルウェイ国 
      内から「ノーベル委員会の最大の誤り」と批判が出た。


〘第90代:安倍晋三〙 1954(昭和29).09.21.生 - 2022(令和04).07.08.没
           総理在職通算3188日 大臣在職通算371日 計3559日
 
 
  *2000(平成12).07.04. - 2001(平成13).04.26. 内閣官房副長官 297日
                          (第2次森喜朗内閣)
   *2001(平成13).04.26. - 2002(平成14).09.29. 内閣官房副長官 522日
                         (第1次小泉純一郎内閣)
   *2002(平成14).09.30. - 2003(平成15).09.21. 内閣官房副長官 357日
                        (第1次小泉内閣第1次改造内閣)
   *2003(平成15)年9月 - 2004(平成16)年9月 自民党幹事長
 
 
   (注)参考に、党役職経歴と官房副長官職を記載しました。
      ただし、官房副長官は大臣ではなく、閣僚ではありません。 

  2005(平成17).09.21. - 2005(平成17).10.30. 内閣官房長官 39日
                        (第3次小泉内閣)
  2005(平成17).10.31. - 2006(平成18).09.26. 内閣官房長官 332日
                        (第3次小泉内閣改造内閣)
  2006(平成18).01.14. - 2007(平成19).09.26. 第90代 内閣総理大臣 366日
                          (第1次安倍晋三内閣)
  2012(平成24).12.26. - 2014(平成26).12.24. 第96代 内閣総理大臣 729日
                          (第2 安倍晋三内閣)
  2014(平成26).12.24. - 2017(平成29).11.01. 第97代 内閣総理大臣1044日
                          (第3次安倍晋三内閣)
  2017(平成29).11.01. - 2020(令和02).09.16. 第98代 内閣総理大臣1051日
                          (第4次安倍晋三内閣 )

    ―・―・―・―・―・―・

 〇 安倍晋三氏は伊藤博文に比肩するかと問えば、義務教育で歴史を勉強したのか
  と非難されるでしょう。

 〇 安倍晋三氏には、吉田茂氏の「対日講和条約」、佐藤榮作氏の「沖縄返還」と
  いう現代日本のエポックになる業績がありません。吉田茂氏、佐藤榮作氏にも
  劣ります。


コメント

安倍元首相遊説中の不慮の死は「国葬」に値するのか? 襲撃殺害された総理経験者6人の遭難状況を見てみよう

2022-08-08 19:46:07 | Weblog






 参議院選挙の渦中にある7月8日奈良市で、安倍元首相が自民党候補の応援演説中
に銃撃されて夕刻にお亡くなりになりました。


 岸田首相は、7月14日に安倍元首相を国葬にすると発表しました。
 なぜ国葬なの?
 岸田首相は、その「なぜ?」を簡潔に説明しました。
 国民を説得するための「国葬アピールポイント」です。


 国葬アピールポイントの一つは、選挙応援演説中の不慮の死ヘの哀悼の意です。哀悼の意を「国葬」で表すという。しかし哀悼の意=「国葬」直結論理は、非論理的情緒的であります。


 さらに言えば、安倍元首相の死は参議院選挙のさ中、自民党候補の応援演説中のできごとです。犯行動機は統一教会(旧称)と安倍元首相の関係を問う私怨。まさに自民党に捧げた死でありました。


 憲政史上、国葬になった総理大臣経験者は初代伊藤博文と吉田茂のみ。安倍晋三元首相の事蹟は、明治建国の功労者伊藤博文、連合軍占領軍政から独立回復の功労者吉田茂と並び立って歴史に残るにふさわしいのでしょうか。



  〈岸田首相発言 2022-07-14記者会見〉

  「 今回の選挙では、遊説中の安倍元総理が卑劣な暴力により命を落とされる
  という衝撃的な事件が起こりました。」

   「民主主義の根幹たる選挙が行われている中、突然の蛮行により逝去された
  ものであり、国の内外から幅広い哀悼、追悼の意が寄せられています。」



 殺害された総理経験者は、安倍晋三元首相のほかに、6人いらっしゃいます。
 どんな方々か見てみましょう。



<襲撃殺害された首相経験者6人>

〇初代 伊藤博文 1909(明治42).10.26.

  ロシア蔵相ウラジーミル・ココツェフ(ココフツォフ)と満州、朝鮮問題
 について非公式に話し合うため訪れたハルビン駅で、大韓帝国の民族運動家
 安重根によって狙撃された。狙撃後、意識はあったが、ほぼ即死。


〇第19代 原 敬 1921(大正12).11.04.

  立憲政友会京都支部大会を赴く東京駅構内で、山手線大塚駅勤務の中岡良
 一18歳に短刀で心臓を刺され、ほぼ即死。


〇第27代 濱口雄幸 1930(昭和05).11.14.

  岡山県陸軍大演習視察のため特急「燕」に向かう東京駅ホームで、至近距
 離から右翼団体愛国者活動家の銃撃を受けて腸に被弾重傷。手術後も快癒な
 らぬまま1931.4.13.総理辞職。同08.26.死去


〇第29代 犬養 毅 1932(昭和07).05.15.

  五・一五事件。海軍青年将校ら9人が午後5時半ごろ官邸襲撃。犬養はど
 こだと迫られて教えなかった巡査は射殺された。犬養首相は左頭部に一発、
 右頭部に一発と、止め撃ちされて午後11時半ごろ死亡した。


〇第20代 高橋是清 1936(昭和11).02.26. 

  二・二六事件。午前5時ごろ、近衛師団歩兵第3連隊の反乱部隊100名で私邸を
 包囲のうえで襲撃。拳銃で撃たれ、軍刀で止めを刺されて即死。


〇第30代 齋藤 實 1936(昭和11).02.26. 

  二・二六事件。午前5時ごろ、第1師団歩兵第3連隊の反乱部隊150名で私邸包
 囲。軽機関銃を連射して建物内に侵入。内大臣本人を見つけるなり機関銃連射で
 射殺。昏倒即死遺体を確認のうえ、その近接位置から機関銃の止め撃ち連射。後
 に銃弾48発を遺体から摘出した。



    ―・―・―・―・―・―・



<襲撃と死の状況>

〇  伊藤博文、原敬、濱口雄幸の3氏は、駅で移動中に単独犯人の襲撃を受けた
 点で安倍晋三氏と似ているところがあります。

〇  さらに、伊藤博文、原敬の2氏は、ほぼ即死状態という点で、安倍晋三氏と似
 ています。

〇  犬養毅、高橋是清、齋藤實の3氏は青年将校の周到な計画のもとに殺害され
 ています。

〇  犬養毅首相(襲撃当時)は官邸内に於いて、午後5時半ごろ海軍青年将校ら9名の
 襲撃を受けました。1人が左頭部、もう1人が右頭部に拳銃発射。最初から止め
 撃ちでしたが、絶命は夜11時を過ぎました。

〇  高橋是清大蔵大臣(襲撃当時)については、二・二六事件反乱軍のうち、近衛師団
 歩兵第3連隊所属歩兵100人ほどで私邸を包囲したうえで、至近距離で射殺、軍刀
 で止め、という凄惨なものでした。悲劇の様相で、安倍晋三氏は比較になりませ
 ん。

〇  齋藤實内大臣(襲撃当時)については、二・二六事件反乱軍のうち、第一師団歩兵
 第3連隊所属歩兵150人ほどで私邸を包囲。首謀将校と引率兵らが軽機関銃連射と
 ともに建物を打ち破って侵入。齋藤内大臣を発見するなり軽機関銃連射。さらに
 昏倒即死体に向けて、止め撃ちのつもりか軽機関銃をまたも連射した、と拳銃弾
 3発を受けてなお生き延びた内大臣夫人の証言が残っています。後に遺体から取
 り出した銃弾は48発という。


  犬養毅、高橋是清、齋藤實らの方々の悲劇の死の凄まじさを知ると、同じ不慮
 の死であっても、歴史的な重みは安倍晋三氏にではなく、五・一五テロ事件の犠
 牲者犬養毅、二・二六事件反乱軍の犠牲者高橋是清・齋藤實に傾くのではありま
 せんか。
 
  なお、高橋、齋藤は反乱軍の犠牲者であるにもかかわらず、「国葬」になって
 いません。


    ―・―・―・―・―・―・



<襲撃を受けたとき何をしていたか> *職名は襲撃時点の職名です

〇  伊藤博文枢密院議長と濱口雄幸総理大臣は、公務移動中に襲撃されました。

〇  原敬総理大臣は自党である立憲政友会京都支部への移動中でした。

〇  安倍晋三元首相は2022.07.08.参議院選挙のさ中、奈良市で自民党候補応援
 の街頭演説中に銃撃されました。当日17:00過ぎ死亡。犯行動機は政治目的で
 なく、統一教会(旧称)への私怨の延長線上にあるものでした。安倍氏の死は、
 さに自民党に捧げたものであって、「国葬」で報いるべき死因ではありま
 せん。

〇  高橋是清大蔵大臣と齋藤實内大臣は私邸にあって、早朝の寝込みを中隊規模
 の陸軍出動によって襲撃されました。

〇  犬養毅総理大臣は官邸にあって、五・一五テロ事件で日暮れ近く、海軍青年
 将校ら9人の襲撃を受け、頭に左から一発、右から一発と止め撃ちされ、夜11
 時半ごろ絶命しました。



コメント

川本ちょっとメモ 全記事目次ー2021年・2022年

2022-08-04 07:29:34 | Weblog


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<維新の会> 歳末びっくり2連発、①大阪府・読売新聞が包括連携協定締結 ②大阪市長候補予備選を市民人気投票で


 <全記事目次―2022年>

2022-01-08
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2022-01-12
今、世界の人々にとって過剰な発展が必要か? 〈その2〉 アフリカ大陸サバンナから世界へ

2022-02-08
恥ずかしながらひっかかりかけました‥‥危ないサイトは https://bestais.xyz/ 

2022-04-10
<ウクライナ戦争 / 大統領の証言> 2022.4.5.国連安全保障理事会におけるウォロディミル・ゼレンスキー大統領ビデオリンク演説〈全文〉
2022-04-20
エストニアのカラス首相「ウクライナで見られるロシアの残虐行為は、かつてエストニアが経験したものだ」

2022-06-26
四つの不安 ①大地震災害への不安 ②高温化気象への不安 ③戦争災難がふりかかりそうな不安 ④生活収入と老後生活への不安

2022-07-05
わたしは浮動票 国政選挙でわたしの選び方 立派ではありません
2022-07-07
わたしの政治家判別メーター ①即効性のある消費税廃止・累進課税復旧強化 ②将来世代のために原発廃止 ③戦争から距離を置く外交
2022-07-26
安倍晋三元首相の「国葬」決定は岸田首相の国権乱用
2022-07-30
国民主権者の一人の立場で「国葬令」を読んだ 「安倍氏国葬」はやっぱり岸田首相の国権乱用ですよ

2022-08-01
1967年、吉田茂氏「国葬」は佐藤栄作首相(当時)の恩返しという私情ではないのか
2022-08-03
川本ちょっとメモ 全記事目次ー2019年・2020年
2022-08-04
川本ちょっとメモ 全記事目次ー2021年・2022年
2022-08-08
安倍元首相遊説中の不慮の死は「国葬」に値するのか? 襲撃殺害された総理経験者6人の遭難状況を見てみよう
2022-08-12
<安倍晋三元首相国葬の件> 比較資料として総理経験者9人の総理歴・大臣歴を見る
2022-08-19
<安倍国葬> 総理経験者9人在職日数ランキング / 安倍晋三元首相の政治経歴

2022-09-05
安部元首相「国葬演出業務」落札結果に不透明感漂う 落札会社のムラヤマは「桜を見る会」で知名度が高い
2022-09-17
国葬世論調査結果と二階俊博氏発言について
2022-09-27
特別儀仗隊を私的利用、2022.07.12. 家族葬「故安部晋三儀 葬儀」に実弟の岸信夫防衛大臣(当時)が儀仗隊派遣
2022-10-17
宗教年鑑令和3年版記載「宗教団体名」一覧 1/3 あ~し
2022-10-18
宗教年鑑令和3年版記載「宗教団体名」一覧 2/3 す~ほ
2022-10-19
宗教年鑑令和3年版記載「宗教団体名」一覧 3/3終 ま~わ 
2022-10-25
宗教法人とは、宗教団体とは、包括・単立の違いは、 ‥‥ 宗教法人法に基づく用語メモ



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川本ちょっとメモ 全記事目次ー2019年・2020年

2022-08-03 07:29:34 | Weblog


             ※ピンク文字をクリックしていただくと記事が開きます。




2019-02-11
日本軍兵士の中国南京戦場生活を書いて1938年発売禁止 石川達三「生きている兵隊」(伏字復元版) 中公文庫
2019-02-24
<大阪維新> 橋下徹府知事(当時)が大阪府庁の咲洲(湾岸埋立出島)全面移転にこだわったことで「この人はあかんわ」と思いました(3終)
2019-02-27
<大阪維新> 橋下徹氏は経済人・国政政治家の後援を確認してから出馬した/二重行政問題は大阪市を制御したい府目線

2019-03-09
橋下徹大阪府知事時代 二重行政改革、府市水道統合協議、WTC府庁移転に隠されている大阪市支配への意欲
2019-03-31
大阪では維新政治が安定しません / 都構想なしの太田房江府知事時代には府市連携協議が持たれていました

2019-04-02
<大阪維新> 橋下徹大阪府知事は二重行政改革の手始めに、前任太田知事の府市水道協議成果である「府水道予算800億円削減案」を見捨てた
2019-04-05
「大阪維新批判」記事一覧 
2019-04-25
過ぎし時代の輝きを懐かしむ 1987年 コカコーラCM CMソング佐藤竹善「コカコーラさわやかテイスティー I feel Coke」

2019-05-03
「令和」の令に違和感 外国向けには beautiful harmony だって
2019-05-16
100年前 エーゲ海港湾都市「スミルナの大火」で ギリシア難民800人救助 伝説の日本商船「映画化」の動き =毎日記事転載
2019-05-19
奈良県生駒市の小学校卒業式児童1/4~半数が袴姿 東京都泰明小学校でアルマーニ標準服 パパさんママさん一度立ち止まって考えてみませんか
2019-05-27
犠牲者を生んだ森友学園問題 籠池氏、安倍首相夫妻、橋下徹氏、松井一郎大阪市長の倫理感覚の貧しさ

2019-06-05
2017(H29).3.23.参議院予算委員会 籠池泰典氏(森友学園)証人喚問 昭恵夫人のご理解をいただいた
2019-06-09
<森友問題> 松井一郎維新代表 大阪府知事初当選すぐさま森友陳情の小学校参入規制緩和を実行 大阪府HPが事実を語る 
2019-06-17
大阪府の審査基準が改定され、森友学園の小学校設置への道が開かれた――2017(H29).12.1.衆議院財務金融委員会  義家弘介議員(自民党)発言
2019-06-23
沖縄県の「日米地位協定ポータルサイト」のご案内 求められている地位協定改定 政府は全く顧慮せず
2019-06-28
森友学園と松井一郎維新代表の大阪府知事時代 第2ステージ前段 森友学園・近畿財務局・大阪府の三すくみ膠着状態

2019-07-07
<森友> 松井一郎大阪府知事(当時)の森友談合 大阪私学審議事録が語る もの言わぬ私学課打ち合わせ回数が語る
2019-07-15
参院選は、消費税凍結、5%へ戻す、廃止のいずれかの候補に 非正規労働の身分安定、報酬かさ上げを主張する候補に
2019-07-18
2019・7参院選で、山本太郎が風を起こしています
2019-07-20
「日本維新の会」の危険な体質――ニュースサイトハンター 2019.5.15.から転載
2019-07-30
<吉本騒動> お笑い大企業「吉本興業」大崎会長インタビュー(毎日新聞記事2019.7.14.転載)

2019-08-01
安倍首相が吉本新喜劇に出演、官民ファンドが大阪・沖縄で吉本興業に出資、大阪市は吉本興業と包括連携協定締結
2019-08-08
<森友学園> 国有地売却問題 決裁文書改ざん 財務局職員自殺は「労災」 佐川元理財局長は「公文書変造」不起訴済み
2019-08-10
<森友問題> 自殺者一人出て 刑事責任、誰も問われず 一連の捜査終結 元国税庁長官ら計10人、改めて不起訴処分
2019-08-13
東アジア 日本が目ざすべきは――日米韓台友好結束と日中日ロ平和外交、北朝鮮防衛・第一列島線警備態勢充実
2019-08-17
〈実話2題〉満州事変1931年から敗戦1945年まで日本軍による斬首や銃剣刺殺(写真)は日常茶飯事でした
2019-08-20
日本軍、シンガポール占領3年半 (1942.2.~1945.8.)  華僑粛清(1)
2019-08-22
日本軍、シンガポール占領3年半 (1942.2.~1945.8.)  華僑粛清(2)
2019-08-27
日本軍、シンガポール占領3年半 (1942.2.~1945.8.)  華僑粛清(3) 第25軍軍律
2019-08-29
日本軍、シンガポール占領3年半 (1942.2.~1945.8.)  ここでも日本軍慰安所

2019-09-04
対立する日韓 韓国ソウル市の反日集会でフリーハグに立った日本人青年が感動を呼びました
2019-09-20
今の日本国政府はなんでもかんでも営利事業者に売り飛ばす

2019-11-03
徳川時代の日本、『鉄砲を捨てた日本人 日本史に学ぶ軍縮』 ノエル・ペリン 著 中公文庫
2019-11-26
合戦、鉄砲量産、武器輸出国の16世紀日本~『鉄砲を捨てた日本人 日本史に学ぶ軍縮』

2019-12-06
鉄砲伝来32年で量産・大量実戦配備できた16世紀日本四つの理由~『鉄砲を捨てた日本人 日本史に学ぶ軍縮』
2019-12-30
鉄砲量産から製造制限へ 刀狩令~諸国鉄砲改め ノエル・ペリン『鉄砲を捨てた日本人 日本史に学ぶ軍縮』


 <全記事目次―2020年>

2020-01-05
鉄砲を忌避した徳川期日本 そうなるにはどんなことがあったのか 『鉄砲を捨てた日本人 日本史に学ぶ軍縮』
2020-01-15
徳川期日本は兵器の発達を後退させると同時に民生用技術や学問を前進させた 『鉄砲を捨てた日本人 日本史に学ぶ軍縮』・終

2020-02-05
<コロナウィルス> ミクロネシア、中国につづいて日本からも直接入国禁止 =時事通信
2020-02-06
<コロナウィルス> 内閣官房の『新型コロナウィルス感染症対策』サイトをスタートに、厚労省・外務省の公開情報を読もう
2020-02-18
<コロナウィルス> コロナなんか払い落としてしまえ。 ――真夜中の強気、笑うべし。
2020-02-22
<コロナウィルス> 3.2.修正追記あり、新型肺炎の受診相談は各都道府県「帰国者・接触者相談センター」へ

2020-03-04
<コロナウイルス> 政府の厳しいコロナ検査制限のおかげで死んだ人がいるにちがいない
2020-03-07
<コロナウイルス> 二つの報道実例が示す――政府のPCR検査規制が感染拡大の一助になっていないのか
2020-03-21
<森友学園問題> 蘇る赤木の声を聴け(1)2018.3.7. 近畿財務局上席国有財産管理官自殺 2020.3.18.自殺手記公開

2020-04-09
「6月に消費税0%」提言で自民党議員60人が賛同 ――2020.4.2.毎日新聞政治 プレミア 安藤裕衆院議員 から全文転載
2020-04-17
<歓迎 コロナ給付> 一律一人10万円 早くて5月下旬か 公明党山口代表、安倍・麻生の世帯30万円案を押し返す
2020-04-23
<コロナ危機> 事業費466億円 安倍のマスクは「あごを包めない」、政府インターネットテレビ(マスクの正しい着け方)は「あごを包むように」
2020-04-29
<コロナ災害> 生きている一人への生活救援が最第一、事業救援は不要、大家は家賃割引を、パチンコ店に道交法と税務調査を

2020-05-04
<歴史と病気・伝染病 1> 歴史とともに変わる病気 ――『緑の世界史・下』から
2020-05-05
<歴史と病気・伝染病 2> 定住化がもたらした伝染病 ――『緑の世界史・下』から
2020-05-06
<歴史と病気・伝染病 3> 歴史を変えたペスト ――『緑の世界史・下』から
2020-05-07
<歴史と病気・伝染病 4> 新大陸の悲劇、スペイン軍と伝染病上陸 ――『緑の世界史・下』から
2020-05-08
<歴史と病気・伝染病 5> 転戦する軍隊 軍隊の過密が加速した伝染病 ――『緑の世界史・下』から
2020-05-09
<歴史と病気・伝染病 6> 伸びる平均寿命と残された問題(貧富の差そして公衆衛生) ――『緑の世界史・下』から
2020-05-10
<歴史と病気・伝染病 7> 「伝染病」と「感染症」について
2020-05-11
<歴史と病気・伝染病 8終> 病気を呼ぶ食生活の変化と化学製品・原子力発電の副産物 ――『緑の世界史・下』から
2020-05-13
検察潰しのための検察庁法改悪、稲田検事総長ガンバレ、広島地検ガンバレ
2020-05-15
ロッキード事件捜査の元検事総長ら法務省に正義感あふれる意見書提出 「1月31日『黒川弘務氏の定年延長』閣議決定は違法
2020-05-16
日弁連会長声明 2020.4.6.黒川検事長の勤務延長撤回を求める 2020.5.11.検察庁法一部改正に反対する
2020-05-17
黒川弘務検事長定年延長「閣議決定」は違法 仙台弁護士会会長声明から逐条解説 弁護士議員は違法政治に抗議するべし
2020-05-20
2020.1.31.閣議決定は違法 黒川弘務氏の東京高等検察庁退去を求める
2020-05-22
安倍首相による検察私兵化への道は以後の政権にも恩恵をもたらす 恐怖を感じます
2020-05-23
コロナ除菌にオゾンガス 世界初 オゾンによる新型コロナウイルス不活化を確認 奈良県立医大実験成果
2020-05-25
共同通信速報 黒川弘務前東京高検検事長の処分 法務省は「懲戒相当」と判断 報告受けた官邸が「懲戒にしない」と結論 

2020-06-05
最高検が昨秋から広島地検で進めてきた 河井克行前法相・河井案里議員の公職選挙法買収違反捜査の経緯
2020-06-15
持続化給付金の電通受注、デロイトトーマツが落ちたのは官製談合のためではないか 
2020-06-22
6月23日は「沖縄慰霊の日」、――岩波同時代ライブラリー『沖縄・八十四日の戦い』
2020-06-24
(続)6月23日は沖縄慰霊の日、『沖縄・八十四日の戦い』 11章 摩文仁 から
2020-06-26
(続続)6月23日は沖縄慰霊の日、『沖縄・八十四日の戦い』 米上陸軍司令官戦死、戦車に轢かれる、日米兵士による虐殺

2020-07-05
<専制国家中国の姿>「声を上げ続けなくては」 拷問された中国の元弁護士 =BBC NEWS JAPAN 2015.11.24.
2020-07-17
<資料掲載 香港接収関連1> 『香港特別行政区国家安全維持法』 66カ条 中国国営新華社通信 日本語訳
2020-07-23
<資料掲載 香港接収関連2> 『香港特別行政区国家安全維持法第43条実施細則』(資料掲載 香港特別行政区政府新聞公報 2020.7.6.)
2020-07-25
習近平中国共産党政権の実質的香港接収に見る中国対外膨張政策と国内抑圧政策の両輪
2020-07-27
<専制国家中国の姿> 古いニュースを振り返る 香港・銅鑼湾書店関係者5人消息不明、中国指導部のスキャンダルを出版 =BBC NEWS 2016.1.11.
2020-07-30
<専制国家中国の姿> 古いニュースを振り返る 香港銅鑼湾書店店長・林栄基氏釈放記者会見 この事件と国家安全の関係

2020-08-04
思いこみ「ヘビににらまれたカエル」 京大研究チーム「ヘビとにらみあうカエル」 こっちは「ヘビが跳んでギョッ」
2020-08-15
明治以後の日本の歴史は戦争オンパレードでした
2020-08-25
コロナワクチンを誕生させるために行われる「治験」とは――厚生労働省サイトから丸写し
2020-08-29
<安倍政治> 安倍首相は運の強い人だ 恵まれた政権スタート 民主党政権は三重苦でした

2020-09-01
<安倍政治> 人治政治の弊害、身内人脈でNHK監視、人治政治の手法は法の私的立法と私的運用
2020-09-14
<安倍晋三> 倫理無き党首総裁 大阪で自党(大阪自民党)を真っ二つに割って甚大な打撃を与えた大阪維新の会を支援
2020-09-20
安倍首相維新支援の前段階 2010大阪維新登場から2011維新旋風大勝を経て2015維新敗北まで
2020-09-25
安倍晋三は維新ファンなのか 大阪バックアップ連発、(明) 大阪維新復活 → 意気盛ん、(暗) 大阪自民 → 疲弊

2020-10-02
<学術会議 任命拒否> 菅義偉首相の政治スタイルは「圧政型」 しかし任命拒否は日本学術会議法違反
2020-10-22
<学術会議 任命拒否> 菅首相が学術会議の任命を拒否した6人の学者はこんな人です
2020-10-26
<学術会議 任命拒否> 甘利明自民党税制調査会長「国会リポート第410号」の学術会議ガセネタ批判
2020-10-30
<学術会議 任命拒否> 橋下徹氏がガセネタツィート、フジテレビ平井文夫上席解説委員が「バイキングMORE」でガセネタ解説

2020-11-01
日本維新の会の権力無法、報道圧力を松井一郎代表 (大阪市長) と馬場伸幸幹事長 (衆院議員) の行動に見た
2020-11-05
米誌TIME「世界で最も影響力のある100人」に選ばれた大坂なおみさん 7つの試合と7枚のマスクにこめた心
2020-11-15
菅義偉首相も知っている官房副長官2014.02.20.衆院予算委招致の前例――慰安婦問題に関する石原信雄答弁国会会議録
2020-11-26
<桜を見る会> 公選法違反、政治資金規正法違反は確実、検察の手は安倍晋三に届くのか、安倍晋三は慶応病院に逃亡入院するのか

2020-12-10
<コロナ医療危機> 北海道旭川市は「医療崩壊」状態、大阪府は目前の危機、北海道医療センター院内クラスター発生の経緯
2020-12-11
<コロナ医療危機> 基幹病院「旭川厚生病院」 covid-19 院内感染対応状況の記録 2020.11.22.~2020.12.31. 日報追記12月31日まで
2020-12-19
元ニューヨークタイムズ東京支局長ファクラーさんが報道圧力証言、「日本の官邸は中国と同じことを……」
2020-12-22
<コロナ医療危機> 日本医師会・全日本病院協会など9団体が年末年始に向けて12月21日、「医療緊急事態宣言」
2020-12-23
<コロナ医療危機> 医療現場は限界に近づいている 11月26日、日本看護協会会長から国民の皆さま、看護職の皆さまへメッセージ
2020-12-24
<桜を見る会> 安倍晋三前首相不起訴 ――でも、安倍晋三前首相はすべて知っていると見る理由を書いた
2020-12-28
<コロナ急死> 羽田雄一郎立憲民主党参院幹事長 24日深夜発熱、25・26日都内自宅で静養、27日午後都内自宅を出てPCR検査に向かう車中で死去



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1967年、吉田茂氏「国葬」は佐藤栄作首相(当時)の恩返しという私情ではないのか

2022-08-01 04:58:46 | Weblog






 佐藤栄作元首相による吉田茂氏国葬決定の理由を読みたかったのですが、見つけることができなかった。その代わりに追悼の辞を読むことができました。
  



   
1967年10月31日
   
故吉田茂国葬儀における佐藤内閣総理大臣の追悼の辞
        
[出典] 佐藤内閣総理大臣演説集,159 − 162ページ


  吉田茂先生は,明治十一年自由党の領袖竹内綱氏の五男として出生、幼にし
 吉田健三氏の養子となり、同三十九年東京帝国大学を卒業、直ちに外交界に入
 り、中国や欧州等の勤務を経て、あるいは外務次官として、あるいは駐伊、駐
 英大使として活躍された後、昭和十四年退官されました。

  戦時中は権力に屈することなく、あらゆる圧迫を排し、戦争終結のため身命
 を賭して尽力されたことは周知の事実であります。

  昭和二十年終戦となるや東久邇内閣及び幣原内閣の外務大臣として困難を極
 める終戦処理業務に挺身されたのであります。昭和二十一年に第一次吉田内閣
 を組織して以来、二十九年十二月に至るまでの間、五たびにわたり総理大臣の
 重責を担われたのでありますが、この時代は、われわれ日本民族にとつてまこ
 とに忘れることのできない苦難の時代でありました。

  今日ではもはや想像だにつかない国土の疲弊、民心の混乱のなかにあつて祖
 国日本は新しい民主主義を生み出さんとする陣痛の苦しみを味わっていました。

  有史以来はじめての敗戦、占領軍の進駐というきびしい現実に国民の大半が
 民族的誇りと自信を失なわんとしたとき、先生は内閣の首班として、この事態
 を冷静に直視しつつその奮起をうながし、卓越した指導力によつて、すべてを
 国家再建の一点に結集すべく努められたのであります。

  かくて昭和二十一年には新憲法の公布をみ,祖国再建の礎石がうちたてられ
 ました。また先生は、戦後最大の課題である講和問題について、筆舌に尽しが
 たい辛苦を重ねられ、昭和二十六年サンフランシスコ対日講和会議には、自ら
 首席全権委員として出席され、対日平和条約の締結によって、国民待望の独立
 回復を実現されたのであります。

  平和条約の締結とわが国の独立回復は、民主主義国家に生れ変つた新しい日
 本の門出を意味するもので、戦後史上最大の治績であり不滅の功績であります。


  
 昭和の大戦争。大日本帝国の命令によって進軍し、大陸・半島・島嶼の大地に斃れ、西太平洋や南シナ海に沈んだ同朋将兵は150万とも言う。沖縄は本土防衛の盾として軍民ともに壊滅、原爆と空襲による本土の死者は50万とも言う。
  

 国土荒廃、人民疲弊の極みで、治安も悪かったのでしょう。この滅亡帝国日本が占領軍政によって解体され、民主主義国日本への衣替えが始まりました。


 佐藤榮作首相(国葬当時)が追悼の辞で称揚しています。
  新憲法の公布をみ,祖国再建の礎石がうちたてられました。      
 新憲法が日本国の礎石であるという称揚は、まったくその通りです。
 
 そして、「平和条約の締結とわが国の独立回復は、民主主義国家に生れ変つた新しい日本の門出を意味するもので、戦後史上最大の治績であり不滅の功績であります」とたたえている。これもまた、その通りであります。
      

 しかし日本の国葬という儀式は、天皇崩御の大喪の礼のみに限定した方がいい。
        
 皇室典範第25条に、「天皇が崩じたときは、大喪の礼を行う」とあります。昭和天皇崩御の折に、大喪の礼が行われました。事実上の国葬です。日本の国葬はこれ一つで良いと思います。
      
 どのように優れた人であっても毀誉褒貶がつきまといます。毀誉褒貶ある誰かが、毀誉褒貶ある優れた誰かを指定して、その人を国葬という儀式によって権威づけることは好ましくないと考えます。さらに、その故人「優れた人」に国葬という儀式を与えることによって、完全であるはずのない国家そのものの権威を高めることになります。  
    

      
 【吉田茂内閣と佐藤栄作の関係を見る】
        
  第1次吉田内閣 1946(昭和21).5.22. ― 1947 (昭和22).5.24.

      第2次吉田内閣 1948(昭和23).10.15. ― 1949(昭和22).2.16.                                
             *佐藤栄作‥‥官房長官   
       
  第3次吉田内閣 1949(昭和24).2.16. ― 1952(昭和27).10.30.
              *佐藤栄作‥‥改造内閣で郵政大臣兼電気通信大臣        
             **1951(昭和26).9.8.サンフランシスコ平和条約
 

  第4次吉田内閣 19452(昭和27).10.30. ― 1953(昭和28).5.21.
              *佐藤栄作‥‥建設大臣兼国務大臣北海道開発庁長官  

 
  第5次吉田内閣 1953(昭和28).5.21. ― 1954(昭和29).12.10. 
 
              *1953(昭和28).1月 佐藤栄作氏、自由党幹事長就任         
           **1954(昭和29).4.20. 最高検察庁が造船疑獄収賄容疑で佐藤
                        榮作氏の逮捕許諾請求を決めた。
                      4.21.吉田茂総理の指示の下、犬養健法相が
                        指揮権発動をした。
                     4.22. 犬養健法相辞職。
                      12.07. 第5次吉田内閣総辞職。
 
        
 吉田茂内閣は第1次から第5次まであります。
              
 佐藤榮作氏は第2次吉田内閣で、官房長官の要職を務めました。第3次・第4次吉田内閣でも閣僚を務めました。
              
 第5次吉田内閣では内閣に入らずに、自由党幹事長の要職を務めました。自由党総裁は吉田茂氏です。
  


 造船疑獄事件を捜査中の検察庁が、佐藤栄作自由党幹事長を造船疑獄収賄容疑で逮捕するために犬養健法務大臣に逮捕許諾請求をし、犬養法相は検察庁法第14条に基づいて逮捕を阻止しました。これを法務大臣による検事総長に対する指揮権発動と言います。犬養法相は、指揮権発動を行った翌日直ちに大臣を辞職しました。
      

      
 【吉田茂氏国葬の動機は佐藤栄作氏の恩返しではないのか】
            
 1932(昭和7).5.15.三上海軍中尉ら9人が首相官邸を襲い、犬養毅首相を射殺した五・一五テロ事件がありました。この故犬養毅首相の三男が犬養健法相です。
             
 この指揮権発動は、犬養法相の政治家生命を絶ち、吉田内閣をその年1954年(昭和29年)のうちに倒しました。
            
 法務大臣による検察指揮権発動はこれまでにこれ1件だけで、法務大臣の政治家生命を絶ち、内閣の短命化を呼ぶほどに、重大なことです。
          
 犬養法相(当時)は指揮権発動を一度は断り、吉田首相は、それなら法相を更迭すると迫ったと言われています。
              
 一人の法務大臣の政治生命を奪い犠牲にし、内閣の寿命を縮めてまでして佐藤榮作の逮捕を阻止をした吉田首相(当時)。疑獄追及の手が自分に伸びてくる不安に怯えていたのかもしれません。
  


 吉田茂首相(当時)に救われた佐藤栄作自由党幹事長(当時)は、敗戦滅亡日本の再興に導いた吉田茂氏への尊敬の念と、自らの栄光ある総理大臣への道を開いてくれた感謝の気持ちから、「恩返しの国葬」を決めたものと、私は想像しています。

 サンフランシスコ平和条約を迎えるまでの困難な日本のかじ取りをした功績が吉田茂氏にあるにもかかわらず、指揮権発動という一事によって「国葬不当」と言えるでしょう。     
  

  

   
 【造船疑獄事件とは】 コトバンクから引用  
        

   政府の計画造船および造船利子補給法改正案成立をめぐる典型的な構造汚職事件。
              
 1954年(昭和29)1月表面化した。事件は、海運会社が、計画造船に融資された国家資金の一部を造船会社から得た3億円近くのリベートを裏金として浮き貸ししたことから発覚した。

   
 またそのリベートが計画造船の適格船主決定に際し、割り込みの運動資金としても利用され、当時の運輸省・開発銀行関係者へ贈賄したことも明らかになった。
 
   さらに計画造船融資の金利引下げを目的とした利権法案である造船利子補給法改正案の成立(1953年7月)のため、政・官界有力者三十数名に工作資金としてこのリベートを用いていた事実も明らかとなって、事件は第二次世界大戦後最大の疑獄へと発展した。
     
 東京地方検察庁は、1954年(昭和29)の1月以降、山下汽船会社社長横田愛三郎、運輸省官房長壺井玄剛をはじめ、有田二郎(自由党副幹事長)ほか国会議員4名を、4月には日本船主協会・日本造船工業会の幹部、自由党本部会計責任者を、と続々逮捕した。
           
 捜査は政界中枢に及び事件の核心に迫る最終段階に入った。
          
 4月20日、最高検察庁は、収賄容疑で佐藤栄作(自由党幹事長)の逮捕許諾請求を決定した。
              
 しかし、翌4月21日、犬養健(いぬかいたける)法相は検察庁法第14条によって指揮権を発動したため捜査は挫折(ざせつ)し、7月30日、検事総長は終結を宣言した。
              
 指揮権発動によって政治資金の元となる構造汚職の追及が阻止され、以降、疑獄事件摘発も困難となった。捜索を受けた造船会社は11社、海運会社は17社、逮捕者71人のうち起訴された者34人、政・官界に流れた資金は2億7000万円以上であった。
     
  検察庁法
           
   第14条 法務大臣は、第四条及び第六条に規定する検察官の事務に関し、検察官
   を一般に指揮監督することができる。但し、個々の事件の取調又は処分につい
   ては、検事総長のみを指揮することができる。

 第 4条 検察官は、刑事について公訴を行い、裁判所に法の正当な適用を請求
  し、且つ、裁判の執行を監督し、又、裁判所の権限に属するその他の事項に
  ついても職務上必要と認めるときは、裁判所に、通知を求め、又は意見を述
  べ、又、公益の代表者として他の法令がその権限に属させた事務を行う。

  第 6条 検察官は、いかなる犯罪についても捜査をすることができる。
 ② 検察官と他の法令により捜査の職権を有する者との関係は、刑事
    訴訟法の定めるところによる。
   
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