川本ちょっとメモ

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検察に白旗シグナル――2020年8月安倍首相(当時)辞任表明の真の理由を元法相河井克行被告の最終陳述に見た

2021-07-24 23:06:21 | Weblog






■2020年8月、安倍首相(当時)辞意表明の理由は真の理由ではない 

〇 2020年8月17日と24日
安倍首相(当時)は2020年8月17日と24日、慶応大学病院行きを予告したうえで車列を組んで病院に入り、その日のうちにまた戻って行った。

〇 2020年8月28日
安倍首相(当時)は記者会見を開いて、総理大臣辞任表明をした。

〇 2020年9月16日
安倍内閣総辞職。

あるはずのない安倍首相(当時)の早期辞職が突如降ってわいたのはなぜか? 公式に理由とされている「潰瘍性大腸炎」再発は「嘘」と見る。

2007年、安倍晋三氏は総理大臣辞任理由「潰瘍性大腸炎」という病気だとした。しかし当時、この病名を認定した医療機関はなく、医師もいない。

2007年に入院した慶応大学病院は記者会見をして、入院した安倍晋三氏の病名を「機能性胃腸障害」と発表した。「潰瘍性大腸炎」ではない。したがって、安倍首相(当時)自身による2020年8月「再発」という理由説明も成り立たない。

2020年8月、慶応大学病院は記者会見をしていない。安倍晋三首相(当時)の病名・症状に関して一切の説明をしていない。総理大臣の急な辞任発表にもかかわらず、医療機関または医師の解説がないのは、異常なことだ。



■安倍首相(当時)が2021年夏オリンピックをめざしていたという 
  森喜朗元首相の証言 (2020.9.12.毎日新聞インタビュー記事から抄録)

 (※安倍首相辞意表明で)にわかに永田町は風雲急を告げるが、森さんがしばしぼうぜんとしたのは東京五輪の顔を失うことだった。

 招致の立役者であり、コロナ禍で開催の1年延期を国際オリンピック委員会(IOC)のバッハ会長に申し入れたのも安倍首相である。

 「私は2年延期でなくて大丈夫ですかと申し上げたんですが、押し切られた。安倍さんが1年延期にこだわったのは、2年延期にすれば、総裁の任期満了にぶつかり‥‥」 (記事引用ここまで)

上の森喜朗元首相証言を見れば、安倍首相(当時)が現職総理大臣として東京オリンピックに臨むたいという強い意欲をもって、「2021夏開催」でIOCバッハ会長と合意した(2020年3月24日)ことがわかる。その合意の5か月後、2020年8月28日の唐突な総理大臣辞意表明は不可解なことだ。



■元法相河井克行被告 公判初期は強気に無罪主張
■2021.3.23.公判で君子豹変 同5.18.公判:低姿勢で執行猶予を願う

〇 2020年3月3日広島地検
河井克行氏政策秘書高谷真介容疑者、河井案里氏公設秘書立道浩容疑者、選対幹部の脇雄吾容疑者を車上運動員に対する法定上限を超える報酬支払い(運動員買収)容疑で逮捕。

〇 2020年6月18日東京地検
河井克行元法相と河井案里参院議員を逮捕。

〇 2020年8月25日東京地裁
元法相河井克行被告と参院議員河井案里被告の公選法買収違反初公判が開かれた。二人とも無罪を主張した。

〇 2020年9月15日
元法相河井克行被告が弁護人を解任し、公判は中断した。これは、河井夫妻の裁判を切り離して、裁判における河井克行氏の「買収」認定を「選挙地盤培養行為」という弁明で切り抜けようと考えたものと思われる。

〇 2020年10月20日
元法相河井克行被告が新たに弁護人を選任した。うち4人は前任と同じで再任である。

〇 2021年1月21日東京地裁
参院議員河井案里被告に懲役1年4カ月、執行猶予5年の有罪判決。 

〇 2021年2月16日広島地裁
元法相河井克行被告の元秘書高谷真介被告に懲役1年6カ月、執行猶予5年の有罪判決。車上運動員に対する法定上限を超える報酬支払い(運動員買収)で。

〇 2021年3月23日東京地裁
これまで強い姿勢で一貫して「無罪」を主張してきた元法相河井克行被告が変身、選挙買収容疑を認めた。「全般的に選挙買収であることを争うことはいたしません」(以上、2021.3.23.毎日新聞から採録)

〇 2021年5月18日東京地裁
 「河井克行被告は最終意見陳述で『一昨年に行ったことは決して許されない。政界を混乱に陥れたことを深く心からおわびします』と謝罪。『たった一つの希望を述べさせていただくなら、一日も早く地元に帰り、おわび行脚をさせていただきたい。十字架を背負って広島の地を歩く覚悟だ』と述べた。(以上、2021.5.18.中國新聞から採録) ――これは実刑回避、執行猶予のお願いである。


河井克行被告は2020年8月25日初公判から、強気に「無罪」を主張していた。

2020年9月25日に河井克行被告自身の弁護団を解任してウォッチャーを驚かせた。1カ月後の同年10月20日、弁護団を再選任して公判を再開を待った。これは河井克行被告の法廷戦術があったものと思われる。

公判に臨んでそれほど強気であったが、河井克行被告の強気「無罪」主張戦術はまったく通用しなかった。

河井克行元法相・河井案里前参院議員の2019広島参院選公選法違反買収事件は稲田伸夫前検事総長から林眞琴現検事総長に受け継がれた検察主流復活の案件だった。

強気から君子豹変低姿勢へ。公選法違反事件裁判の終盤は、元法相河井克行被告が急な君子豹変を経て、検察や裁判所へ「執行猶予」をお願いするという「白旗」スタイルに陥った。


〇 2021年6月18日東京地裁判決
元法相河井克行被告に懲役3年、追徴金130万円の実刑判決を言い渡した。



■安倍前首相2020年8月の退陣騒ぎは検察への「白旗シグナル」だった
 
安倍前首相は一貫して強気の政権運営をしてきた。安倍前首相は検察に対しても強かった。森友学園への土地特価譲渡や公文書変造問題は安倍前首相の圧勝だった。

しかし、黒川東京高検検事長の自滅によって一気に強弱の立場が転換していた。安倍前首相は、自らに関わりのある「桜を見る会」や河井克行・案里夫妻「1億5000万円選挙資金」の問題について、弱気になっていた。

このことについて私は見誤っていた。安倍前首相が政権運営に弱気になるなどと、考えたことがなかった。検察に「白旗上げて」、穏便に見逃してほしいとシグナルを出すとは、思いもよらないことだった。

しかし、河井克行被告の最終公判での本人陳述の弁を報道で知った今年5月、安倍前首相もこれと同じだと気がついた。

週刊文春2020年5月28日号(5月21日発売)が、安倍首相(当時)の守護神であった黒川弘務東京高検検事長(当時)の「常習賭け麻雀」を報じた。官邸は発売前に察知した。黒川弘務東京高検検事長は2020年5月21日、電撃辞任し退職した。安倍首相(当時)はその3か月後、驚きの退陣表明に至った。

黒川弘務氏を最高検察庁検事総長に登用して、数々の疑惑を棚上げにする。安倍首相(当時)の企てが検察庁法改正という仕上げ段階で崩壊した。

安倍晋三前首相の2020年8月28日退陣表明、同9月16日内閣総辞職は、検察への「白旗」退陣だった。 ――これが本当の退陣理由だ、というのが今の私の考えです。

(次回につづく)



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リオの安倍マリオが「東京オリンピック」総理を諦めたワケ、2020年夏の総理辞職騒動を再考

2021-07-13 16:20:32 | Weblog







■2020年8月、安倍首相(当時)、持病再発のニュース

昨年2020年8月は、安倍首相(当時)の持病である難病の潰瘍性大腸炎(実際は、機能性胃腸症)再発のことで、政界が大騒ぎになりました。彼は2007年9月、第一次安倍政権当時、この持病がもとで総理辞任をしています。難病再発、総理辞任再来――が頭をよぎります。

2020年8月17日、24日と、たいそうな車列が2週つづけて慶応大学医学部付属病院に入って、まだ出ていきました。8月17日は7時間半も病院内に滞在しておりました。

新聞でもテレビでも、またネット上でも、「安倍首相が潰瘍性大腸炎という難病の再発」だというニュースや「総理辞任」「衆院選挙」の観測解説であふれかえり、政界はその方向へ走り始めたように見えました。

2020年8月17日午前10:34、日テレニュースが慶応病院に近づく車列を映して、「安倍首相はさきほど検査のため都内の病院に入りました。 複数の官邸関係者は『心配するような話ではない』と説明していますが体調不良が囁かれる中での検査となり憶測を呼びそうです」と伝えました。

同8月8月17日夜のBS日テレ番組で自民党の岸田文雄政調会長は、安倍晋三首相が同日、東京・信濃町の慶応大病院で検査を受けたことに関し、「コロナ対策の激務がつづいて疲れがたまっているのだろう」と述べ、8月4日に官邸で安倍総理と会談したけれども「少なくとも私と話をしたときに普段と変わったところはなかった」とも語った 。

同8月16日のフジテレビ番組で、自民党の甘利明税制調査会長は安倍晋三首相の疲労蓄積を心配した。

「ちょっと休んでもらいたい。責任感が強く、自分が休むことは罪だとの意識まで持っている」と述べ、「数日でもいいから強制的に休ませなければならない」と強調した。甘利氏は首相側近。安倍首相(当時)の13日慶応病院行きの前日、8月12日に1時間近く2人で会談している。

甘利明氏は安倍晋三氏の最側近の一人。この発言は重要です。「数日でもいいから強制的に休ませる」ということは、総理大臣職継続前提のことばと受け取れます。



■安倍晋三前首相、歴史に残る総理在職最長記録 

その一方、安倍晋三前首相は明治以後総理大臣の最長通算在職及び最長連続在職記録保持者として歴史に残る輝かしい人になりました。

安倍晋三前首相は、2019年11月20日に「総理通算在職日数2887日」に達し、桂太郎氏の「2886日」を追い越しました。つづいて2020年8月24日、「総理連続在職日数2799日」という新記録も達成して、佐藤栄作氏の「2798日」も追い越しました。



■東京オリンピック――〝安倍首相〟が迎えたかった輝かしい舞台 

安倍晋三前首相には、総理大臣としてもう一つ迎えたい輝かしい舞台が待っていました。それは、東京オリンピックです。ところが東京オリンピックは2020年7月開幕の予定でしたが、コロナCovid-19大流行のために丸1年延期することになりました。

2年延期論もあったそうですが、1年延期を主張したのは安倍首相(当時)です。安倍氏の自民党総裁任期は2021年9月までです。2年延期では自民党総裁4選をめざすことになるので、さざまな障壁があります。1年延期だと、安倍氏が総理大臣でありつづける2021年7月8月のうちに東京オリンピックが始まり、終わります。

そして東京オリンピックの勢いを光背にして衆院選になだれこみ勝利を手中にするのが、安倍晋三氏自身が描く栄光の形なのです。

安倍首相(当時)は2013年9月7日、アルゼンチン・ブエノスアイレスIOC総会で、東京オリンピック招致プレゼンテーションを行いました。

さらに、2016年8月21日、ブラジル・リオデジャネイロオリンピック閉会式にマリオ姿で登場し、その安倍マリオの大きな見せ場に会場全体が沸きたち、諸外国のメディアもそのもようを伝えました。

安倍首相(当時)にとっては、このように思い入れ深い東京オリンピックです。当然、東京オリンピックは現職総理として自分が迎えると思っていたでしょう。



■安倍首相(当時)、慶応大学病院へ 

2020年8月17日、24日、と二週つづけて安倍首相の車列が慶応大学病院に入り、また出て行きました。それはわざわざ目立つように行動しているように、私には見えました。テレビカメラが車列を追って、テレビ各局が速報しました。多くの報道記者や報道カメラも病院建物の外側に詰めかけました。

「安倍首相、持病悪化か」「総理辞任か」「後継総理は誰がやるのか」。コロナ禍ではありますが、政界と政界報道が一気にわき返りました。



■持病悪化は本当なのか? 仮病ではないのか?

慶応大学病院に入る車列がわざわざ目立つように行動している、と私には見えました。

安倍首相(当時)の持病である潰瘍性大腸炎が悪化しているというのは本当なのか? 持病悪化を理由に何をしようと考えているのか?

一気に駆け巡り、わき返る「総理辞任説」。私は東京オリンピック前の総理辞任はあり得ないと思っていました。
 
昨年2020年8月の段階で、大手メディアは別にして、数々のネットメディアや個人メディアが「これは仮病ではないか」という疑念を指摘していました。

私も同感で、安倍首相(2020年当時)の言う持病・潰瘍性大腸炎の悪化は「仮病」だと思っていました。
 
これまで、安倍晋三氏の無数のスピーチや答弁の中にウソが数多まぎれこんでいることがわかっています。彼には、そういうことに対する罪の意識がありません。彼にとってはまさに、嘘も方便、なのですから。 



■仮病説傍証 2007年慶応大学病院入院時の病院側記者会見病状説明

安倍晋三氏は第一次安倍内閣当時の2007年9月13日に慶応大学病院に入院しています。

入院当日9月13日午後2時、慶応大学病院側が病状説明の記者会見を開きました。病院側は主治医2人に相川直樹病院長(当時)の3人。病状説明をしたのは、日比紀文医学部消化器内科教授(当時)でした。

慶応大学病院が記者会見で発表した病名は「機能性胃腸障害」。  
機能性胃腸障害は、「機能性胃腸症」のことで、潰瘍性大腸炎とは別物です。  

日比教授によると、安倍晋三氏は1カ月ほど前から食欲不振や胃もたれなどを訴えていたが、症状は軽いものだった。その後腸炎を起こして悪化。シドニーAPECから帰国した9月10日ごろから疲労感も強く、3、4日の入院が必要と判断した。9月12日、13日も診察した。数日前まで執務にはまったく支障ない状態だった
(以上、2007.9.13. 14:00 慶応大学病院記者会見に於ける日比教授による説明)

「機能性胃腸症」はたいそうな病気ではありません。この病気については簡単にネット検索できます。安倍晋三氏に関係ありそうなことでは「ストレス」が挙げられています。2007年・2020年ともに、総理辞任のしかたや辞任までの政治的環境を考慮すると、安倍晋三氏のメンタルが弱いであろうことは推測できます。



■「自称潰瘍性大腸炎」は辞任せざるを得ないほどのものではない
■ 2020.8.17、8.24.慶応大学病院側から検査結果説明がない
■ 2020年8月28日安倍首相(当時)辞任記者会見以後も慶応側説明なし

2020年の安倍晋三氏「総理辞任」理由を私が「仮病だ」というのは、総理を続けられないほどたいそうなものではないという意味で、私は〝当たり〟だと思っています。
    
2007年慶応大学病院の病状説明では、安倍首相(2007年当時)の病名は「機能性胃腸障害」です。潰瘍性大腸炎ではありません。安倍晋三氏が知らぬわけがない。  
 
2020年8月17日、24日の慶応大学病院診察検査では、病院側としての記者会見もなく、病状説明や質疑応答の席も設定されずじまいで、今に至るまで完全黙秘です。この完全黙秘が、安倍晋三氏の病気が潰瘍性大腸炎ではないことを表わしています。

2020年8月28日、安倍首相(当時)辞任表明記者会見があり、安倍氏当人が「8月上旬には潰瘍性大腸炎の再発が確認されました」と辞任理由を述べています。

2007年に「潰瘍性大腸炎」という診断をした医者はどこにいるのか? 病院はどこにあるのか? 同様に、2020.8.28.総理辞意表明記者会見で、安倍晋三氏に「潰瘍性大腸炎」と言わしめた源の診断をした医者はどこにいる? 病院はどこにある?  2007年も2020年も、安倍晋三氏が明らかにしたことはありません。それだから、仮病説が流れます。


 
■2020年8月28日、安倍首相(当時)辞意表明
■記者会見における本人病気説明の部分を採録

 13年前、私の持病である 潰瘍性大腸炎が悪化をし、僅か1年で突然、総理の職を辞することとなり、国民の皆様には大変な御迷惑をおかけいたしました。

 その後幸い新しい薬が効いて、体調は万全となり、そして国民の皆様から御支持を頂き、再び総理大臣の重責を担うこととなりました。この8年近くの間、しっかりと持病をコントロールしながら、何ら支障なく総理大臣の仕事に毎日、日々、全力投球することができました。

 しかし、本年6月の定期検診で再発の兆候が見られると指摘を受けました。その後も薬を使いながら全力で職務に当たってまいりましたが、先月(※7月)中頃から体調に異変が生じ、体力をかなり消耗する状況となりました。そして、 8月上旬には潰瘍性大腸炎の再発が確認されました。

 今後の治療として、現在の薬に加えまして更に新しい薬の投与を行うことといたしました。 今週初め( ※2020.8.24 月曜日)の再検診においては、投薬の効果があるということは確認されたものの、 この投薬はある程度継続的な処方が必要であり 予断は許しません
(辞意表明スピーチ採録、了)
  

上記は、総理辞意表明記者会見の病気に関する部分をそのまま採録転記しました。①~⑤の番号は私が振りました。


① 2007年9月13日、安倍首相(当時)入院初日の午後、慶応大学病院の院長と  
  主治医、計3名同席の記者会見に於ける日比教授の病状説明では、病名を
    「機能性胃腸障害」と公表しています。
      
  潰瘍性大腸炎、ではありません。要注目、です。
  機能性胃腸障害は機能性胃腸症と同義であり、
  「機能性胃腸症」の病気としての一般的な説明は
  ネット検索で簡単に知ることができます。
   
② 2020年8月17日、24日の慶応大学病院診断については、病院側は無反応で  
 す。安倍首相(当時)側もマスコミも盛んに、潰瘍性大腸炎再発と言っていま
    すが、慶応病院側は一言も発信していません。ということは、病名は潰瘍
    性大腸炎ではないということでしょう。
  
③ 「投薬の効果がある」ということは、安倍首相(当時)の2020.8.28.辞意表
 明記者会見発言の文脈に沿うならば、「潰瘍性大腸炎に対して効果がある」
 ということになります。
    
  しかし、慶応大学病院は2020年8月17日、24日の診断について、病名・
 病状・投薬など一切説明していません。

  8月28日の総理大臣記者会見で、潰瘍性大腸炎再発を辞任理由にしていま
 すが、今に至るまで、病院側の発信は一切ありません。「潰瘍性大腸炎再
 発」は仮病だろうと疑われる所以です。
       
④ 「この投薬はある程度継続的な処方が必要であり」という病状が、総理辞
 任理由になるほどの病気であることの証明にはなりません。
     
  糖尿病ならば、10年20年と薬服用やインシュリン注射を継続的に毎日欠か
   さず行い、毎月健康診断に通院して、生活していらっしゃる方々や、仕事を
    毎日こなしている職業人男女の方々が、そこにもここにもおいでになりま
    す。
   
⑤ 「予断を許しません」という言葉は重病を表現するものです。  
  
     2020年9月26日安倍内閣総辞職の後、2020年10月中にはすでに、安倍晋三
   氏がいくつかの会合に出席していることが報じられています。
  ――重病ではなかったのです。
    
  「予断を許しません」という言葉は、安倍晋三流儀の「嘘も方便」であり
 ますが、安倍晋三氏の心中では、「嘘も方便」はすぐに「嘘も真実」に化
 学変化する――と私はまじめに考えるようになっています。安倍晋三氏は
 普通の健常人でありますが、こういう種類での精神障害傾向があるのでは
 ないか。



 ■ 安倍晋三氏は「東京五輪を迎えずに」、なぜ総理辞任をしたのか?
 ■ なぜ、2007年と全く同じ「潰瘍性大腸炎」辞任をくり返したのか?
    
安倍晋三前首相は、総理大臣在職最長記録達成という歴史に残る記録保持者という栄誉目標を達成できるまで、総理在職に耐えました。
    
しかし、アルゼンチンのブエノスアイレスIOC総会に出向いてプレゼンテーションをし、ブラジルのリオデジャネイロ五輪閉会式でマリオを演じてまで熱意を入れた「東京五輪を迎えずに」、なぜ総理辞任をしたのか?
  
安倍晋三氏の2007年総理辞任では、袋叩きといっていいほど「政権投げ出し」批判を浴びました。同じことをくり返すとは思えなかった。
     
私は、東京オリンピック前の安倍辞任はないと、頑なに考えていました。
    
8/14、8/17の慶応病院通いを見ても、入院逃亡のための舞台づくりだと考えました。政治上の風当たりを避けて1カ月ほど休養する目的で、あるいは1カ月ほどの政治的空白に何かの政治上の効果を見込んで、近々入院逃亡するだろう。
    
私はこのように予測していました。
ところが現実は‥‥
    
2020年8月28日、安倍首相(当時)記者会見。「潰瘍性大腸炎の再発が確認された」として、安倍首相(当時)が辞意を表明しました。
    
同年9月16日内閣総辞職。
    
私は、8・28総理辞意表明という事実を前にして、事実に合わせて考えを変えざるを得ませんでした。
    
安倍晋三氏の最も得意な政治の分野は安全保障関係であり、2012年安倍内閣発足当時から変わっていません。彼は経済分野で成績を上げることが国民の信頼を上げることにつながり、そうしてはじめて安全保障関係で自分の政治ができると考えてきました。憲法問題や緊急事態法ほかの法整備、マスコミ統制は、彼が考える安全保障体制と一体になる国家体制作りの一環です。

しかし、コロナ大流行に対処する政治は、彼の得意とする政治とはまったく異質なものでした。彼の言う国民のための安全保障は、軍事強化と軍事強化に奉仕する経済強化でしたから、すべてがコロナに収れんしてくる危機対応は不得意でした。アベノマスクのとんちんかんで、決定的に人気を落としました。

こういうことで、安倍晋三氏は慶応病院に入院はしなかったけれど、政権を投げ出しました。オリンピック問題を含む、困難なコロナ政治を投げ出して逃げました。
    
2007年の安倍内閣総辞職では、政治の難事つづきで政権を投げ出し、慶応大学病院に入院逃亡しました。入院逃亡=総理辞職、でした。政権投げ出し批判で袋叩き状態でした。
    
安倍晋三氏が2007年と同じ、「潰瘍性大腸炎内閣総辞職を」くり返すとはあきれ果てもするし、私自身なにかしら釈然としないものがありますが、とりあえず「また、政権投げ出しか」と、考えました。 (次回につづく)
    


‥‥余談になって、話題が飛びますが、この安倍氏が、東京五輪開会式に姿を現すかどうか、見ものですね。安倍さんは森さんと良い仲。菅さんはいわば身内。IOCにもJOCにも組織委員会にも、安倍さんを懐かしがる役員がいるでしょうから、開会式に招待されると思います。安倍氏に「恥じる」という節度が薄ければ、招待を喜んで受けるでしょう。
    
彼には「恥じる」という節度はないと思うのですが、「東京オリンピック開会式に現職総理大臣として出る」「潰瘍性大腸炎で投げ出し逃亡辞職はない」という予測が二重に当たらず、的外れだったので、自信が持てません。
    


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中国共産党100年記念祝賀と香港接収 習近平氏は中国共産党の世界支配現実化を夢見る狂気の指導者

2021-07-02 07:46:01 | Weblog


7月1日、中国全土が、中国共産党100年の記念祝賀行事に包まれました。そしてこの晴れやかなテレビニュースを私も見ました。世界の覇権を争って米国に軍事的挑戦をしかけている中国を世界中が注目していますから、このニュース映像の電波が地球の表面を駆け巡ったことでしょう。


この2021.7.1.中国共産党100年記念を目標期限にして、習近平中国は香港接収を完了しました。

香港は1997.7.1.に英国から中国に返還されていますから、接収ということばは適切ではありませんが、私は敢えてこのことばを使ってきました。下にイギリスから中国への返還の経緯を復習してみます。



<香港・九竜 割譲租借から 返還へ>
1842.8.29.  南京条約締結(英/清朝)……香港島を英国に永久割譲(英国領)

1860.10.24.  北京条約締結(英仏/清朝)…九竜南部を英国に割譲(英国領) 

1898年    九竜半島の大部分「新界」が99年間の英国租借地に(英/清朝) 
         ※出典 https://www.y-history.net/appendix/wh1303-032.html 

1984.12.19. 香港問題に関する英中共同声明
       九竜半島の1997年租借期限が見えてくると英中間で返還交渉が始ま
       り、英中共同声明で返還過程及び返還後の香港の形が確定しまし
       た。   

1997.7.1.  中国に香港返還
       1984年の英中共同声明という国際公約に基づいて、香港・九竜半島
       の国家主権が中国に帰属しました。


この共同声明で確認されたことの主柱は、誰もが知っている「一国二制度」です。国家主権は中国に属するけれども、英国支配下であったときと同じく、資本主義経済と、自由で民主的な法支配制度を50年間継続することを保障する――そういう共同声明でした。

50年間継続ですから、2047.6.30.まで香港は英国支配当時と同じように繁栄すると思われていました。


2019.2.13.  香港政府が逃亡犯条例および刑事相互法的援助条例の改正案提出

香港人は逃亡犯条例を契機にして、香港の街を埋め尽くす大規模なデモをくり返しくり返して、一国二制度を守れと叫びました。

2020.6.30.  香港国家安全維持法、全人代常務委員会が制定、即日公布

これ以後、香港政府は「国家安全維持法に基づく合法な国民生活」を香港人に強制し、多くの人々を逮捕し、「違法な」新聞・出版を差し止め、香港人の息の根を止める行為をくり返して、7月1日の中国共産党100年記念を祝賀しました。

中国共産党総書記・中国国家主席である習近平氏は、中国共産党100年記念に自分個人の威信を中国国民の前で誇るために、香港を接収しました。

香港人は、共産党100年記念の祝膳に差し出されたのです。偉大なる習近平。偉大なる植民国家中華人民共和国。

    ※アジアにおける中国の歴史は、版図を広げると漢人がその地に移住して、
     無視できない多数民族を構成してきました。人口超大国のこの歴史上の
     図式を、植民地国家とは異なる意味で「植民国家」と表現しました。

習近平氏は、香港返還に関する英中国際公約を破り、南シナ海の岩礁を埋め立てて軍事基地を作り領土宣言をするという国際法破りをしても意に介さず、中国共産党の世界支配という正夢の現実化に突き進む常軌を逸した野心家指導者です。

こういう常軌を逸した野心家指導者には、スターリン、ヒトラーという先達がいます。ナポレオンもそうであったかもしれません。


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