川本ちょっとメモ

★所感は、「手ざわり生活実感的」に目線を低く心がけています。
★自分用メモは、新聞・Webなどのノート書きです。

2月26日(金)日経平均、3万円台から転落 調整相場でほっとしました (参考)日経平均 下げ率トップ10

2021-02-27 17:08:09 | Weblog


2月26日、日経平均株価が急落しました。前日比1,202円26銭下げ。下げ率-3.99%。3万円台から転落、ニュースが派手に伝えました。

    <日経平均株価>
    2021.2.25.(木) 終値 30,168.27円
    2021.2.26.(金) 終値 28,966.01円
            前日比 -1,202.26円
            下げ率    -3.99%


先週か先々週だったかに、平均株価がぱっぱっと上がって、ついに日経平均株価が3万円台の大台乗せとなり、えらく囃されました。

若い世代のアマチュア的スマホ投資参入が相場上げの力になっていると、テレビニュースが言っておりました。スマホでかんたんに売買できる少額投資アプリができて、相場参入への垣根が低くなったらしい。

私は単純に、株式相場も競馬も相場予想の科学性の度合いは似たようなものだと思ってきました。乱暴な考えというのは承知のうえで、株もバクチのうちと思っています。このあたりのことについて、2016-01-10 「手ざわり生活実感的」に目線を低くして見る――年金運用(1) 株式投資もつまり、バクチの類 ←クリック、を読んでいただければ幸いに思います。

3万円台乗せのときの私の思いは「止めてくれよ」でした。世界がコロナに苦しむこの時期に、実体経済の裏付け乏しい株価の棒上げは暴落を招きます。

私のように投資にまったく縁のない衆生は、上げ相場のときになんの利益も得ておりません。けれども暴落で実体経済が深い傷に苦しめば、その影響は私も含めて多くの人々の生活に影響が及びます。

ですから、2月26日の日経平均株価3万円台から転落で、私の思いは「いいぞ」でありました。金余りゲームの欲ボケ過熱が押さえられる調整相場は歓迎です。


【 日経平均 下げ率トップ10 】

1位 1987.10.20. 米国ブラックマンデーの翌日の日本市場
   下げ率 -14.90% 25,746.56 → 21,910 下げ幅 3,836.48

2位 2008.10.16. リーマンショック 2008.9.15.米国証券会社
           リーマン・ブラザースが破綻 世界的に影響続く
   下げ率 -11.41%  9,547.47 → 8,458.45 下げ幅 1089.02

3位 2011. 03.15.  福島第1原発 水素爆発
  1号機原子炉建屋水素爆発、5階(最上階)激しく損傷  3/12 15:36
  3号機原子炉建屋水素爆発、5階(最上階)激しく損傷  3/14 11:01
  4号機原子炉建屋水素爆発、4階・5階激しく損傷    3/15 06:12
  2号機原子炉建屋爆発音あり 第1原発全機格納容器損傷 3/15 07:55
   下げ率 -10.55%  9,620.49 → 8,605.15 下げ幅 1015.34

4位 1953. 03.05. ソ連「スターリン首相重体」報道で東証暴落
   下げ率 -10.00%  378.22 → 340.41 下げ幅 37.81

5位 2008.10.10. リーマン・ショックつづく 前日、米国株急落
           大和生命保険破綻
    下げ率 -9.62%  9,157.49 → 8,276.43 下げ幅 881.06

6位 2008.10.24. リーマン・ショックつづく 外為全面円高の展開
    下げ率 -9.60%  8,460.98 → 7,649.08 下げ幅 811.90

7位 2008.10.08. リーマン・ショックつづく 金融危機が欧州に拡大
          アイスランド全銀行国有化 金融危機が世界同時進行
    下げ率 -9.38% 10,155.90 → 9,203.32 下げ幅 952.58

8位 1970.04.30.  スイスの投資信託会社の国際投資信託IOS倒産
   下げ率 -8.69%  2,315.43 → 2,114.32 下げ幅 201.11

9位 2016.06.24. 英国国民投票「EU離脱」確定
    下げ率 -7.92%  16,238.35 → 14,952.02 下げ幅 1,286.33

10位 1971.08.16. 米国ニクソン政権がドル・金交換一時停止を発表
   下げ率 -7.68%  2,740.98 → 2,530.48 下げ幅 210.50





 
MORNING STAR 2021.02.27. 08:04配信
  https://finance.yahoo.co.jp/news/detail/20210227-00930829-mosf-market

 米国債の急落が株式市場を直撃した今週(2月22日-26日)末、日経平均株価は前日比で1202円安となり、2万9000円を3週間ぶりに割り込んだ。低金利に支えられてきたグロース(成長)株からの資金流出が一段と加速するなど、マーケットに戸惑いが広がっている。もっとも、企業の収益回復期待は揺るがず、いわゆる「バブルの崩壊」という考えとは距離を置く必要がある。足元の変調は、金融相場から業績相場への移行で生じたひずみととらえたい。

 本格的なコロナ禍が始まっておよそ1年が過ぎ、マーケットはその間激変した。大量の緩和マネーが市場をゆがめた感は否めず、その一端である超低金利に風穴が空いたことは確かに局面転換をうかがわせる。ただ、景気回復を意識した金利上昇であれば、むしろ正常化を歓迎するべきだ。コロナ禍で形成した金融相場の調整は、コロナ後の業績相場への過渡期とみられる。




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「はやぶさ2」の成功――年齢・性格の異同、能力の格差にとらわれず 600人のメンバーが相互に問答する場を心がけた

2021-02-20 19:49:21 | Weblog


毎日・世論フォーラムのニュース記事を掲載します。講演の詳細記事は近日のうちに毎日新聞に掲載されると思いますが、「600人のメンバーが相互に問答する場を作ることを心がけた」という点に感銘深く注目しました。

600人のメンバーの間には年齢・性格の異同、能力の格差、担当職務・任務の軽重など、人間が集まっているどのような場所でも見られる差異があることと思います。これは世間にあるあたりまえのことがらです。

毎日の暮らし生活におけるなにげない人間関係にはじまって、人間社会のどのような場面にあってもこうありたいと願うありようの一端が、「600人のメンバーが相互に問答する場作り」に具現していると、感銘深くしました。以下は、この小記事全文です。




 ■相互問答心がけ  はやぶさ2成功(毎日新聞2021.2.19.朝刊)


 宇宙航空研究開発機構(JAXA)の探査機「はやぶさ2」のプロジェクトマネジャー、津田雄一氏が18日、毎日・世論フォーラム(毎日新聞社主催)で「人類未踏の小惑星からの帰還~はやぶさ2の成果とマネジメント」と題し、オンライン講演した。


 はやぶさ2は2020年12月、小惑星リュウグウのかけらを地球に届けた。津田氏ははやぶさ2の使命を、

    ▽惑星間往復飛行を実現する技術的意義
    ▽採取した石や砂から太陽系の起源を探る科学的意義
    ▽フロンティアに挑戦する探査としての意義  ――と説明。

 
 岩だらけのリュウグウへの着陸など多くの難題を解決できた背景を誰も知らない答えにどうたどり着くかが求められる。600人のメンバーが相互に問答する場を作ることを心がけたと語った。


 リュウグウに2回目の着地をするか議論になり、周到な準備をし成功したエピソードに触れ「挑戦がない仕事は面白くない。一方で、事業全体が失敗するようなギャンブルはしない。大きな挑戦を積極的に提案できる環境作りが重要だ」と述べた。







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たいへんです ゴキブリです 5cmもあるゴキブリです 千葉県のみなさま、今のうちに駆除をお願いします

2021-02-04 05:57:38 | Weblog



たいへんです。ゴキブリです。体長が5cm~6cmまで大きくなるという南米原産「アルゼンチンモリゴキブリ」が千葉県の野外に生息していると、毎日新聞が伝えました。

わが家ではゴキブリがあまり出ない方だと思っていますが、それでも夏の真夜中に2cmぐらいのがたまに出てきます。見つけると、わたしはあわてて殺虫剤を持って身構えます。家の中でむやみに殺虫剤を吹きつけるのはよくないので、殺虫剤を床にくっつけるようにして狙いを定めます。こんなぐずぐずしたことなので、逃げられることが多い。わたしはゴキブリを見るだけでもかないません。

それなのに、なんと体長5,6cmまで大きくなるという。生息域が全国に広がったらたいへんです。毎日新聞の記事だけでは生態がわかりませんが、ゴキブリには違いないのだから、日本全国で広がったら家の中にも入りこんでくるに違いありません。

体長が大きいので、見慣れてきたゴキブリよりスピードも早いだろうし迫力も比較にならないでしょう。そんなのが家の中に入りこんで足元を走ったり‥‥、いやいや、寝転がってテレビを見ている顔の近くをすり抜けでもしたら、卒倒ものですよ。


■今のうちに、住民・役所一体になって大型ゴキブリ絶滅運動を!
これがわたしの地元のことなら一大事です。自治会やシルバー、議員、役所などに報告して提案するなど、住民・役所が一体になって駆除運動を始める方策にとりかかるところです。5、6cmになる大型ゴキブリと聞けば、ほとんどの人が駆除に賛成でしょうから、住民の皆さまも駆除運動を歓迎されることと思います。

今のように公共下水道や水洗トイレが普及していない昔の時代には、ハエも蚊もわんさか居りました。東京や大阪の都市部でも、それは同じです。そんな時代には、家庭で殺したハエをマッチ箱に入れて、児童が登校して小学校に提出する運動があったと聞きます。

それにならって新しいアイデアを募って、たとえば、自治会を通じて役所の担当窓口へというようなルート作りをして、これも仮に死体1匹100円買取り運動のようなことをするならば、1万匹でも100万円ですから実行可能な予算で済みます。

こういうものは今のコロナと同じで、広がる時には一気に広がるもので、絶滅運動をするなら今のうちです。5、6cmものゴキブリとの共生はなんとしても逃れたい。勘弁してほしい。

千葉県のみなさま、なにとぞ今のうちに絶滅駆除に力を入れてくださるようお願い申し上げます。


(参考)
◎南米ゴキブリ、千葉の野外で確認 繁殖容易 害虫となる恐れ
  ※有料記事なので一部しか読めません

◎南米ゴキブリを野外で確認、千葉県船橋市 繁殖容易、害虫となる恐れ
 https://this.kiji.is/728859780416192512?c=110564226228225532

◎南米ゴキブリを野外で確認、千葉 繁殖容易、害虫となる恐れ 
 https://www.the-miyanichi.co.jp/news/Main/2021020101001897.php






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ダニエル・デフォー『ロンドン・ペストの恐怖』をご紹介 コロナを甘く見ないために(下の5終)

2021-02-02 07:27:07 | Weblog

 オリンピックを中止して、コロナ禍脱出に専念する政治を期待します。
 〇事業補償を中止して、コロナ理由生活難に貸付金でなく給付金支給を。


 2020-12-10 <コロナ> 北海道旭川市は「医療崩壊」状態、大阪府は医療危機、北海道医療センター院内クラスターの経緯、オリンピック中止を
 2020-12-11 <コロナ> 基幹病院「旭川厚生病院」 covid-19 院内感染対応状況の記録 2020.11.22.~2020.12.31. 日報追記12月31日まで
 2020-12-28 <コロナ急死> 羽田雄一郎参院議員 24日深夜発熱、25・26日自宅静養、27日PCR検査に向かう車中で死去
 2021-01-11 今はスペイン風邪パンデミック(1918年~1919年)以後で最大のウイルス・ストームに見舞われている
 2021-01-16 自宅コロナ死は他人事でない 私は自然の猛威に臆病です 台風・地下水・雨、『ロンドン・ペストの恐怖』
 2021-01-19 ダニエル・デフォー『ロンドン・ペストの恐怖』をご紹介 コロナを甘く見ないために(上)
 2021-01-20 ダニエル・デフォー『ロンドン・ペストの恐怖』をご紹介 コロナを甘く見ないために(中)
 2021-01-22 ダニエル・デフォー『ロンドン・ペストの恐怖』をご紹介 コロナを甘く見ないために(下の1)
 2021-01-24 ダニエル・デフォー『ロンドン・ペストの恐怖』をご紹介 コロナを甘く見ないために(下の2)
 2021-01-29 ダニエル・デフォー『ロンドン・ペストの恐怖』をご紹介 コロナを甘く見ないために(下の3)
 2021-01-30 ダニエル・デフォー『ロンドン・ペストの恐怖』をご紹介 コロナを甘く見ないために(下の4)  



ロンドンっ子ダニエル・デフォーは『ロンドン・ペストの恐怖』を1722年に発表しました。1665年は、1年間で当時のロンドン人口のほぼ2割がペストで亡くなったと見積もられているほどの大災害になりました。デフォーは当時5歳。幼児期の強烈な記憶が、1722年にロンドン・ペストの記録文学(小説)に結実しました。データとリアリティに富んでいて、わかりやすい読み物になっています。中公文庫「ペスト」のタイトルで新本をよむことができるので、おすすめの1冊です。


1665年9月終わりになると、ペストの勢いに衰える兆しが出てきます。デフォーはその様子を死亡数の減少という形で説明していますが、なぜそうなったのかという理由についてはまったく語っておりません。参考の一つとして、厚生労働省サイトから「集団免疫」の用語説明を下に採取しました。




【集団免疫とは何ですか】 
厚生労働省 ワクチン総論1 Q1-3]

  感染症は、病原体(ウイルスや細菌など)が、その病原体に対する免疫を持たない人に感染することで、流行します。ある病原体に対して、人口の一定割合以上の人が免疫を持つと、感染患者が出ても、他の人に感染しにくくなることで、感染症が流行しなくなり、間接的に免疫を持たない人も感染から守られます。

 この状態を集団免疫と言い、社会全体が感染症から守られることになります。

 なお、感染症の種類によって、集団免疫を得るために必要な免疫を持つ人の割合は異なります。

 また、ワクチンによっては、接種で重症化を防ぐ効果があっても感染を防ぐ効果が乏しく、どれだけ多くの人に接種しても集団免疫の効果が得られないこともあります。

 新型コロナワクチンによって、集団免疫の効果があるかどうかは分かっておらず、分かるまでには、時間を要すると考えられています。

  (注) この説明を読む限り、わが国にどういう条件が整えば、いつ、集団免疫が
    形成されるのか、事前に予測することは不可能です。集団免疫という社会
    現象が実際に現われてきたのを捕捉分析して初めて、集団免疫ができつつ
    あることの状況判断ができます。ということは、東京オリンピックは実施
    不可能です。




下の項目では、ペストの収束について書かれています。しかし、収束が始まった理由については何も書かれていません。

これまでのコロナ流行で知り得た知識を援用してみると、①ペスト菌の弱毒化、②集団免疫、③寒冷季節入り、の3点が考えられます。

③の季節について、コロナウイルスの場合は、ペスト菌とは逆に寒冷季節が流行季節になります。




【朗報:死亡者数が減り始め、ペスト衰える兆し】
『ロンドペストの恐怖』P224

 (※1665年)9月も最後の週になると、疫病の猛威も峠をこえ、徐々に勢いがおとろえはじめた。その前の週、友人のヒース医師がわが家に寄った際、この疫病の大流行も、あと数日で下火になるはずだ、といった。だが、実際にその週の死亡週報を見ると、病死者全体の数は8297名にのぼり、その年最悪の記録になっていた。

 わたしは、そらみろといわんばかりにその数字を示し、彼に判断の根拠をたずねた。だが、ヒース医師の説明は意外なほど簡単明瞭だった。彼はこういった。

「いいかね、現時点での患者の数からすると、先週は8000どころじやなく、2万人ほど 死んでいたはずなんだ。これはつまり、さすがの疫病も、2週間前と同じだけ汀の力は持ってないということだ。

 これまで患者は、病気にかかってから2、3日で死んでいた。それがいまでは、8日から10日はもちこたえる。以前は5人にひとり助かるかどうかだったのに、現在では、わたしの見たところ、5人中最低3人は助かっている。

 私のいうことを頭の隅におくといい。次の週報では、死亡者数は減るだろうし、助かる患者の数もこれまでよりずっと多くなるはずだ。

 確かにいまでもあちこちで大勢が感染して、これまでのように発病している。しかし、死ぬ者の数は以前ほどではなくなるはずだ。病気の勢いが弱まってきてるからね」

 そして、その言葉につけくわえて、この伝染病の流行も峠をこして、鎮静に向かいはじ めたという、そんな希望がわいてきた、いや、希望というより確信がわいてきた、と語った。

 ヒース医師の予想どおり、その次の週、つまり9月の最後の過になると、死亡週報で報告された死亡者の数は、約2000名も減少した。

 とはいうものの、疫病の勢いはまだまだ強く、翌週の報告では死亡者数は6460名、そ の翌週も5720名だった。だが、それでもヒース医師の見方は正しかった。病人の回復は 早まり、回復する者の数も前より多くなった。

 ―― 略 ――  さらに数週間が過ぎると、ヒース医師の言葉はいよいよ信憑性を増してきた。死亡者の数は減りつづけ、10月のある週には1849名も減った。したがって、その週の疫病による死亡者数は、2665名になり、翌週はさらに1413名少なくなった。

 実際には、依然として多数の人々が、いや、そんなありきたりの言葉では表わせないほど多くの人々が病気に苦しんでいたし、毎日、おびただしい数の人々が発病していた。だがそれでも、病魔は弱まりつつあった。



病気の伝染力が以前より弱くなった、感染しても死ぬ率が低くなったという話が広まります。多くの人々が発病してもまた回復していくさまが毎日のように見られるようになりました。

きのうまでペストにおびえて潜んでいた人々が変身しました。感染する人も死亡者もまだまだ多いのに、自分たちの安全のことにも伝染病のことにも無頓着になり、ペストで熱のある人がいても普通の発熱なみにしか考えない




【なにを言われても馬耳東風】
『ロンドペストの恐怖』P228

 向こう見ずな人々は、最初の朗報にわきかえり、週報の死亡者数が大幅に減ったのを見て大いに喜んだ。彼らは怖いものなしになって人の意見に耳を貸さなくなり、もうむやみに死ぬことはないのだと、思いこんでしまったのだ。

 なにをいわれても馬耳東風で、店は開ける、街には出かける、来る者はこばまず話し相手 になるというありさまだった。話が商談であろうとなかろうとおかまいなしで、相手が健康 でないとわかっていても、からだの調子はどうか、感染の危険はないかと、一言たずねることもしなかった。

 こうした無茶な行動のため多くの者が命を落とした。用心に用心を重ねて家にこもって人をさけ、自衛と神のご加護によって疫病が猛威をふるうなかを生きのびた者たちが、いともあっさりと命を落とした。






【地方疎開者が一斉にロンドン帰り】
『ロンドペストの恐怖』P229

 ロンドンが疫病の危機を脱したという噂が市内だけでなく地方にまで広まったとたん、地方もロンドンと同じような状態になった。

 疎開中の人々は、ロンドンを離れていることにうんざりし、帰りたくてたまらなかったので、なんの不安も抱かず、あとさきも考えずに一斉にロンドンに戻ってきた。

 そして、もう大丈夫とばかりに街のあちこちに繰りだした。それはまったく異様な光景だった。いまだ週に1000名から1800名の死者がでているなかを、人々はまるで天下泰平といった様子で街を闊歩していたのだ。

 その結果、11月第1週の死亡者数は400名ほど増加した。医師たちの報告によると、 その週の発病者は3000名をこえ、その大半が地方から戻ってきたものたちだった。

 セント・マーティンズ・ル・グランド通りで理髪店を営んでいた、ジョン・コックという男などはその格好の例だろう。つまり、疫病が下火になったとたんにはやばやとロンドンに 戻ってきた者がどうなったかという、典型的な例だといえよう。

 このジョン・コックは、ほかの者同様、家を閉めて一箇そろってロンドンを離れ田舎に避難した。そして、11月になって疫病による死亡者が減り、それ以外の病死者もあわせて週 に905名になったことを知ると、喜びいさんで家に戻った。

 一家は10人家族で、ジョンとその妻、5人の子ども、それに使用人が2人、メイド1人という構成だった。ジョンがロンドンに戻って店を開け、商売をはじめて1週間とたたないうちに、家族に発病者がでた。

 そして、5日のあいだに、1人をのぞいて全員が死亡した。つまり、本人と妻、5人の子ども、2人の使用人がつぎつぎと病死し、生き残ったのはメイド1人だった。



1665年12月に、1週間で死亡者数が100名近くも増えることがありましたが、それも治まりました。そしてしばらくするとすべてが通常のロンドンにもどりました。気候が寒くなるにつれて発病者の大半が健康を回復するようになりました。


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