川本ちょっとメモ

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「後方支援部隊」は「前方戦闘部隊」と繋がっている、故に攻撃を受ける覚悟が必要だ(5止) 124人死傷

2015-07-09 20:12:12 | Weblog



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今回も前回につづいて、湾岸戦争の後方支援について引用紹介します。引用元は、W・G・パゴニス著『山動く』、1992年11月20日同文書院刊、です。著者パゴニスは湾岸戦争において米軍第22後方支援司令部司令官でした。これは、めったに見ることのない大軍の、後方支援総責任者です。『山動く』執筆当時は現役陸軍中将でした。

1990年8月、イラクがクウェートに侵攻占領しました。これを受けて、湾岸戦争は1991年1月17日に始まりました。猛烈な空爆と巡航ミサイル攻撃を1ヵ月以上続けた後に、地上軍の進攻を始めました。下に上掲書223ページを転記します。

1991年2月25日、サウジアラビア・ダーランの後方支援施設である兵舎にイラク軍ミサイルが着弾しました。死亡28人、負傷96人。上掲書著者のパゴニス中将は、「思いもよらぬ事態」と書いています。死傷者が出ることを考えたこともない、後方基地のできごとでした。

敵軍ミサイル着弾による死傷将兵124人。パゴニス中将は、「これは偶然の事故であり」と書いています。この5回シリーズ記事の表題「『後方支援部隊』は『前方戦闘部隊』と繋がっている、故に攻撃を受ける覚悟が必要だ」を象徴するできごとです。


『山動く』 W・Gパゴニス米陸軍中将(湾岸戦争当時)
敵軍ミサイル着弾
 2月25日の夜、思いもよらぬ事態が起きた。私はキング・カリド軍事都市(KKMC)の宿舎で書類に目を通し、三×五カードに返答を書きつけていた。11時ごろのこと、ダーランの本部から後方支援作戦本部に電話が入った。スカッド・ミサイルがパトリオット・ミサイルの網をかいくぐって、ア
ル・コバールにある兵舎に命中したのだ。到着したばかりの第99陸軍予備軍司令部と第14需品分遣隊の125人を一時的に収容した建物だ。第22後方支援司令部では詳しい状況を把握していなかったが、いくらかの死傷者が出たことが、ダーランではすでに明らかになっていた。

 私は何か手伝えることがあるだろうと思って、すぐに荷物をまとめダーランに急行した。到着した時点で犠牲者は28人に上っており、負傷した96人の兵士は医療施設に収容されていた。私はすぐに病院に向かった。その途中で聞かされたところによると、兵士は到着したばかりだったとはいえ、指示された予防措置はすべて講じていたという。たまたま運悪くその場所に居合わせただけなのである。

 これは偶然の事故であり、戦場の醜い実例だった。スカッドは本来、誘導ミサイルではなく、ただ発射された方向に墜落して爆発する代物だ。とくに兵舎に狙って発射されたわけではなかった。もし10メートル手前か先、あるいは横に落ちていたら、犠牲者は出なかっただろう。 (『山動く』から転記、終わり)


司令部全滅、危険は後方にもある
スカッドミサイルが着弾した兵舎には、第99陸軍予備軍司令部と第14需品分遣隊の125人が居ました。そのうち124人死傷ですから、軍司令部と分遣隊は全滅したわけです。

上の下線部分の表現に従って言えば、「たまたま運悪くその場所に居合わせた」ために、「10メートル手前か先、あるいは横に」砲弾・爆弾・ミサイルが落ちなかったために、多大な人数の兵員・一般人が殺され、傷を負うという「偶然の事故」が、昔も今も世界の各所で、起き続けていることになります。

戦争ではこのように、あるいは小さな戦闘でも、そこに居合わせた人は誰でもが、爆発で肉塊に化した死体となり、負傷して幸いに生き残った場合には、身体障害者として人生を生き抜かねばならない可能性に遭遇します。


海外派遣先は危ない所
自衛隊の海外派遣が「絶対に安全」というわけがありません。これまでに「犠牲者が出なかったから」という理由では、危険な環境の中で必死の努力を続けているであろう派遣中の自衛隊員があまりに可哀そうです。

そもそも絶対に安全なところでの海外協力ならば、これまでから政府の海外協力機構(JICA)から多くの技術者が派遣されてきています。青年海外協力隊員も派遣されてきています。海外援助資金の投入にともなって日本企業も海外に出向いています。……それなのに、たとえPKOであっても、なぜ、自衛隊の海外派遣が必要なのでしょうか? 海外派遣先が、「安全・平和な環境ではない」からです。


「防御戦闘」の覚悟
外国軍への「後方支援」があたりまえのように議論されています。私たちは改めて、「後方支援」が戦争行為そのものの一環であることを、再認識しておかねばなりません。戦闘部隊を支える後方支援作戦に従事することは、相手方にとっては敵対行為なのです。こちらに正義があるかどうかは関係ありません。

したがって、「攻撃戦闘」に関わらない後方支援作戦にあっても、「孫子 火攻篇」にあるように、補給線への攻撃を受けて応戦する「防御戦闘」に巻き込まれる覚悟だけはしておかねばなりません。

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<私のアピール>
2012年末の安倍政権成立以後の短年月、武器輸出3原則を廃し、特定秘密保護法の新設、憲法9条解釈変更の7・1閣議決定(※憲法違反です)と、先行き不安な政策ばかり急激に推進されています。安倍内閣はデモクラシー日本を食い破りつつある危険な内閣です。その政治手法は民主主義下の独裁と見えて、危険です。安倍総理退陣まで、来年7月参院選で自民党に“No”を!


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「後方支援部隊」は「前方戦闘部隊」と繋がっている、故に攻撃を受ける覚悟が必要だ(4) イラク進攻

2015-07-08 20:07:36 | Weblog



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今回と次回は、湾岸戦争の後方支援について引用紹介します。引用元は、 
W・G・パゴニス著『山動く』、1992年11月20日同文書院刊、です。
著者パゴニスは湾岸戦争において米軍第22後方支援司令部司令官でした。これは湾岸戦争後方支援総責任者です。そして、『山動く』執筆当時は現役陸軍中将でした。この本からは、アメリカの戦略を読み取ることができて、安倍政権の安全保障政策を批判的に判断する道具としても有益です。

1990年8月、イラクがクウェートに侵攻占領しました。これを受けて、湾岸戦争は1991年1月17日に始まりました。猛烈な空爆と巡航ミサイル攻撃が1ヵ月以上続けた後に、地上軍の進攻を始めました。

下に上掲書219ページ~222ページを転記しました。これはめったに見られない大軍の、後方支援司令官・陸軍中将の記録です。そのため、戦闘の酷い現場のイメージがわきません。しかし、自衛隊が海外派遣される後方支援任務とは、スケールがこれより遥かに小さいことでしょうが、こういうものと類似のことであると想像できます。後方支援任務は、戦闘任務と密接につながっています。


『山動く』 W・G・パゴニス米陸軍中将(湾岸戦争当時)
武力による駆逐作戦
 国連の撤退期限は過ぎていたが、フセインはクウェートから引き揚げていなかった。サウジアラビア時間の1月17日午前0時を過ぎたばかりのとき、多国籍空軍はイラクとクウェート領内の戦略・軍事目標への攻撃を開始した。イラクの南北を結ぶ補給ラインを攻撃した。レーダー基地と情報能力を破壊した。そして、戦車、スカッド・ミサイル発射台、飛行機、ほかの兵器と軍用車両を組織的に破壊した。攻撃は掛け値なしに恐るべき規模で行われた。最初の24時間だけで2500トンの砲弾を使ったのである。イラク軍は事実上、目を奪われたのだ。

 一方、米国海軍艦艇はペルシャ湾内での活動レベルを上げ、多国籍軍が海から攻撃するつもりだと思わせるための陽動作戦を開始した。イラクは残っている指揮・統制能力を、ペルシャ湾の水平線に見え隠れする脅威に集中せざるをえなくなっていた。

 大空爆が2日過ぎたところで、ブラボー段階、すなわち「部隊の移動」が始まった。

 1月10日未明、人員、戦車と装甲車、武器、弾薬、燃料、そして補給品を搭載したトラックがエンジン音を鳴り響かせて出発していった。それから1ヵ月、輸送ルートでは週7日、1日24時間、交通が途絶えることはなかった。
補給ラインの流れがピークに達したときには、北側ルートのある地点を毎分平均で18台のトラックが通過していた。この状態は優に1ヵ月続いた。あるとき、輸送の移動管制所を視察していてヘリコプターをハイウエーの西側に着陸させた。東側に渡ろうとしたが交通量があまりに激しくてできず、結局ヘリコプターで反対側に渡ることになった。

 2月3日には、2個の軍団とも攻撃開始地点に近づいていた。第7軍団は500キロ以上、第18軍団は800キロ以を、これといった障害もなく進んでいた。これは関係者全員の功績だ。軍団、師団、軍団後方支援司令部、第22後方支援司令部の人員、そして、時計のように正確に米軍の隊列に加わったり離れたりしていた多国籍軍部隊などの協力なしにはありえなかった。生物化学兵器やスカッド・ミサイルによる無作為攻撃の脅威が常にあったにもかかわらず、これが達成されたことは、記憶しておいていい。とりわけ、輸送を請け負って主要補給ルートを往復してくれたサウジアラビア、韓国、パキスタン、エジプト、フィリピン、インド、バングラデシュをはじめとする十数カ国の民間人に感謝したい。この輸送では、チャーリー、エコー両補給基地への補給で敵国領土に入ることも少なくなかった。また、地上戦が始まったころ、多くの運転手は、危険を十分に承知しながらガスマスクなしで働いていたのである。

 2月20日、軍団は攻撃開始地点に到着した。あらゆる補給物資もそろい、
攻撃態勢も整った。第1、第2軍団後方支援司令部は、それぞれザート、マクファーレン両将軍の非常に的確な指揮、そしてゲスト、ウェーリー両将軍の監督の下、いつでも補給・支援を開始できる態勢になっていた。第18軍団と第7軍団のそれぞれに再補給する目的で設置されたチャーリー補給基地とエコー補給基地には、第1種(食料と水)、第3種(燃料)、そして第5種(弾薬)
の補給品が大量だがいつでも移動できるように蓄えられていた。一方、イラクの奥深くにもさらに4カ所の補給基地を設ける計画を立て、場所も特定していた。予定されている基地は90マイル(約144キロ)ルールに基づいて配置されることになっていた。2つの基地をトラックが24時間以内で往復できるように、ある基地から次の基地までの距離を90マイル未満にしなければならなかったのである。紛争が長引いた場合には、オスカー、ロメオの両補給基地から第18軍団へ再補給される。第7軍団への補給は、ホテル、ノベンバー両補給基地を経由することになる。

 軍団は攻撃準備姿勢のまま3日間待機した。その間も、われわれは補給品と食料を補給基地に運び続けた。2月24日の地上戦突入のころには、部隊を29日間維持できるだけの食料と水を運んでしまっていた。燃料も5・2日分あった。また、弾薬は少なくとも45日間もちそうだった。4日後に停戦が発効したときには、29日分の食料、5・6日分の燃料、65日分を超す弾薬をまだ備蓄していた。

 つまり、100時間戦争の間に、後方支援の状況はよくなる一方だった。再補給ラインはほぼ完全だった。食料備蓄は一定水準を保ち、燃料の補給はやや増加、弾薬の備蓄は著しく増加した。2個軍団の1日の燃料消費量が1700万リットル近く、つまりトラック880台分に達していたことを考えると、これは驚異的である。第7軍団の1日分の弾薬は9000トンで、これはトラック450台分に相当する。第18軍団ではそれより少なく、1日5000トンの再補給を必要とした。

 これは、緻密な計画作りと懸命の努力のたまものである。機甲部隊と戦闘部隊が攻撃のために前進している間、トラックは絶え間なく主要補給ルートを走り、燃料、武器をはじめとする必需補給物資を、港と飛行場からエコー、チャーリー両補給基地へ、そこからさらに戦場へと運んでいた。21日分の弾薬が増加するということは、29万4000トンの資材を運ぶことである。わかりやすく言えば、トラックが1万7850往復するだけの荷に相当する。

 もちろん、これは後方支援の立場からの見方である。戦場では、陸軍と海兵隊の師団が地雷原、有刺鉄線、戦闘壕をものともせずに前進し、イラク軍の不意を突いて側面から包囲した。多国籍軍は、敵が立てた防壁を難なく撃破して進んでいった。数時間のうちに、敵の捕虜は5500人以上に上った。その後2日間にわたって、多国籍軍は同じような快挙を打ちたてた。あまりにも見事で、結果的にはわれわれの計画は必要なかったほどである。たとえば、前方のオスカー補給基地とノベンバー補給基地は、比較的小規模の燃料と弾薬を運ぶトレーラーの積み替え地点としてのみ利用された。攻撃の勢いがあまりにも速く、あまりにも急に終わってしまったために、イラク領土内に完全な補給基地を設置する必要はまったく生じなかった。後方支援活動については、第7軍団のいくつかの部隊の燃料が底をつきそうになったという批判があった。しかし、この批判は的外れのように思える。ゲスト准将はわずか40キロの地点まで300個の5000ガロン(約1万9000リットル)入りの燃料タンクを運んできており、戦場のどの重要位置に移動すべきか、後方支援作戦本部の指示を待っていたのである。 (『山動く』から転記、終わり)


海外派遣先は危ない所
自衛隊の海外派遣が「絶対に安全」というわけがありません。これまでに「犠牲者が出なかったから」という理由では、危険な環境の中で必死の努力を続けているであろう派遣中の自衛隊員があまりに可哀そうです。

そもそも絶対に安全なところでの海外協力ならば、これまでから政府の海外協力機構(JICA)から多くの技術者が派遣されてきています。青年海外協力隊員も派遣されてきています。海外援助資金の投入にともなって日本企業も海外に出向いています。……それなのに、たとえPKOであっても、なぜ、自衛隊の海外派遣が必要なのでしょうか? 海外派遣先が、「安全・平和な環境ではない」からです。


「防御戦闘」の覚悟
外国軍への「後方支援」があたりまえのように議論されています。私たちは改めて、「後方支援」が戦争行為そのものの一環であることを、再認識しておかねばなりません。戦闘部隊を支える後方支援作戦に従事することは、相手方にとっては敵対行為なのです。こちらに正義があるかどうかは関係ありません。

したがって、「攻撃戦闘」に関わらない後方支援作戦にあっても、「孫子 火攻篇」にあるように、補給線への攻撃を受けて応戦する「防御戦闘」に巻き込まれる覚悟だけはしておかねばなりません。

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<私のアピール>
2012年末の安倍政権成立以後の短年月、武器輸出3原則を廃し、特定秘密保護法の新設、憲法9条解釈変更の7・1閣議決定(※憲法違反です)と、先行き不安な政策ばかり急激に推進されています。安倍内閣はデモクラシー日本を食い破りつつある危険な内閣です。その政治手法は民主主義下の独裁と見えて、危険です。安倍総理退陣まで、来年7月参院選で自民党に“No”を!

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「後方支援部隊」は「前方戦闘部隊」と繋がっている、故に攻撃を受ける覚悟が必要だ(3) ジョミニ

2015-07-07 22:48:27 | Weblog



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今回は、このジョミニ著「戦争概論」の『第6章 兵站 部隊移動の実技』から、約3ページ分を転記して紹介します。「後方支援」というものが軍事作戦の大切な部分を構成していることがよくわかります。引用元は、中公文庫『戦争概論』、ジョミニ・著、佐藤徳太郎・訳、2001年12月20日発行、です。

ジョミニ「戦争概論」は同時代人のクラウゼヴィッツ「戦争論」と共に、兵書の古典として知られています。ジョミニはフランス革命後のナポレオン軍で実戦経歴を重ねた人です。スイス出身で、1779年生まれ。スイス革命後の共和国軍大尉で大隊長。1805年、ナポレオン軍のネイ将軍のもとで、ウルムの戦いやアウステルリッツの戦いに参加。1806年27歳でナポレオンの幕僚とネー将軍の幕僚長を兼務。1810年、少将に昇進。1814年35歳、フランス軍を去り、ロシア皇帝アレクサンドル1世のもとで侍従武官・陸軍中将の職に就きました。1828年49歳、ロシア皇帝のもとでトルコとのヴィルナ包囲戦に参画。1853年74歳、クリミア戦争でロシア軍顧問。1858年79歳、ナポレオン3世の委嘱でフランス軍の作戦計画を立案しました。


戦争概論 第6章 兵站・部隊移動の実技
軍の移動についての基本事項を考察する

1 軍を行動につかせるため、いいかえれば会戦をはじめるため必要な一切の
 データの準備、すなわち軍を集結し、引続きこれを作戦地に向って進発させ
 るための、命令、指示および行軍計画を起案すること。
2 予期する戦闘における各種の企図並びに攻撃の計画のため、総司令官の命
 令を適当な方式で起案すること。
3 軍の作戦を容易にする見地から、補給処並びに設堡補給処として用いられ
 る駐屯地の安全対策について砲工兵の指揮官と十分打合せること。

4 各種の捜索偵察について命令指示し、これらの手段を通じて、(間諜用法
 を含む)敵の配置行動についてできる限り正確な情報を得ること。
5 司令官から命ぜられた移動の実行を適切ならしめるための一切の措置をと
 り、各縦隊の行進をして斉整に、かつ相互の連絡を失わぬようこれが移動に
 ついて部署し、行軍の容易と安全とが保証されていることを確認し、かつ休
 止の方法と時間とを規整すること。
6 前衛、後衛、側衛その他一切の派遣隊の編組を適切にし、かつ彼等の行動
 の準拠となるべき教令と、その任務完遂に必要な手段との双方を準備してお
 くこと。
7 敵の特性と地形の性質に応じ、敵と衝突時および戦闘間の双方におい
 て、部隊をいかに戦術的に用うべきかについての制式と教令とを部下指揮官
 またはその幕僚に示しておくこと。
8 前衛その他の派遣部隊に対し、彼等が優勢な敵の攻撃を受けた場合の再集
 結点(よく選択された)を示し、そして必要の場合、彼等の希望でどんな支
 援が受けられるかにつき予め知らせておくこと。
9 縦隊間およびその後方を続行する行李、弾薬、糧食および衛生縦列の行進
 を、主動部隊の行動を妨げず、かつ近く手許に掌握できるようなやり方で部
 署監督し、しかも行軍中はもとより、休止および駐軍中にあっても、秩序と
 安全保持の措置に遺憾ないようにすること。
10 補給品常続輸送のための用意を整え、地方および軍の一切の輸送手段を
  かき集め、かつその使用について規整しておくこと。
11 設営を指揮し、その安全保持、秩序の維持、および取り締りについて規
  定しておくこと。
12 作戦線と補給線、並びに派遣部隊のこれらの線への連絡線を設定組織
  し、軍後方地域を組織し統轄し得る将校を任命し、派遣隊と輸送隊の安全
  に留意し、彼等によき指針を与えておくこと。そしてまた軍とその作戦基
  地との適切な連絡手段の維持についても留意しておくこと。
13 恢復期にある者や、戦傷病者の溜り場、移動病院、および修理工場を組
  織し、その安全を図ること。

14 側方か、あるいはまた後方にある派遣部隊全部の正確な記録をもち、彼
  等の移動に注目し、その派遣の用がもはや必要でなくなるや否や、直ちに
  主力縦隊に復帰させるよう準備しておくこと。彼らに行動のためのいくら
  か核心になるものを与えて、そしてこれを戦略予備に形づくること。
15 軍と作戦基地との問で、何れかの方向に移動しつつある落伍兵および小
  部隊を集めるため、落伍者収容線を設けること。
16 要塞攻囲にあっては、塹壕内にある部隊の用法について指導監督し、そ
  の実施すべき工事と、出撃または攻撃のための用法につき、砲工兵の長と
  緊密に調整しておくこと。
17 退却に際しては、秩序維持のための事前策を講じ、後衛を援助救出する
  新鋭部隊をを配置し、情勢を知悉している将校に、後衛が有利に停止し、
  敵と戦いを交え、その追撃を抑えて、よって以て時間の余裕を得ることの
  できる陣地を予め調べ選択させ、前以て段列の移動のための準備を整え、
  (後方に何も残さず斉整と秩序正しく後退できるように)安全確保のため
  のあらゆる適当を処置とること。
18 舎営に際しては、それぞれの部隊に各別の場所を割り当て、軍の主要区
  分毎に警急の場合の集合場を指定し、あらゆる命令指令および諸規定が暗
  黙の中に守られているよう監視する方策を講ずること。
    ※青字は直接に「補給」に言及している部分です。


海外派遣先は危ない所
自衛隊の海外派遣が「絶対に安全」というわけがありません。これまでに「犠牲者が出なかったから」という理由では、危険な環境の中で必死の努力を続けているであろう派遣中の自衛隊員があまりに可哀そうです。

そもそも絶対に安全なところでの海外協力ならば、これまでから政府の海外協力機構(JICA)から多くの技術者が派遣されてきています。青年海外協力隊員も派遣されてきています。海外援助資金の投入にともなって日本企業も海外に出向いています。……それなのに、たとえPKOであっても、なぜ、自衛隊の海外派遣が必要なのでしょうか? 海外派遣先が、「安全・平和な環境ではない」からです。


「防御戦闘」の覚悟
外国軍への「後方支援」があたりまえのように議論されています。私たちは改めて、「後方支援」が戦争行為そのものの一環であることを、再認識しておかねばなりません。戦闘部隊を支える後方支援作戦に従事することは、相手方にとっては敵対行為なのです。こちらに正義があるかどうかは関係ありません。

したがって、「攻撃戦闘」に関わらない後方支援作戦にあっても、「孫子 火攻篇」にあるように、補給線への攻撃を受けて応戦する「防御戦闘」に巻き込まれる覚悟だけはしておかねばなりません。

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<私のアピール>
2012年末の安倍政権成立以後の短年月、武器輸出3原則を廃し、特定秘密保護法の新設、憲法9条解釈変更の7・1閣議決定(集団的自衛権ほか)と、先行き不安な政策ばかり急激に推進されています。安倍内閣はデモクラシー日本を食い破りつつある危険な内閣です。その政治手法は民主主義下の独裁と見えて、危険です。安倍総理退陣まで、来年7月参院選で自民党に“No”を!


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「後方支援部隊」は「前方戦闘部隊」と繋がっている、故に攻撃を受ける覚悟が必要だ(2) 陸上自衛隊

2015-07-06 22:35:20 | Weblog



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2014/06/24 ドイツも解釈改憲――どうなったか? ドイツ26条、日本9条、イタリア11条



今回は、陸上自衛隊のホームページを閲覧して、「後方支援」というものが「戦闘」と無関係にあるのではなく、「戦闘」を支えるために必須のことであると、再認識しましょう。

海外派遣先は危ない所
自衛隊の海外派遣が「絶対に安全」というわけがありません。これまでに「犠牲者が出なかったから」という理由では、危険な環境の中で必死の努力を続けているであろう派遣中の自衛隊員があまりに可哀そうです。

そもそも絶対に安全なところでの海外協力ならば、これまでから政府の海外協力機構(JICA)から多くの技術者が派遣されてきています。青年海外協力隊員も派遣されてきています。海外援助資金の投入にともなって日本企業も海外に出向いています。……それなのに、たとえPKOであっても、なぜ、自衛隊の海外派遣が必要なのでしょうか? 海外派遣先が、「安全・平和な環境ではない」からです。


「防御戦闘」の覚悟
外国軍への「後方支援」があたりまえのように議論されています。私たちは改めて、「後方支援」が戦争行為そのものの一環であることを、再認識しておかねばなりません。戦闘部隊を支える後方支援作戦に従事することは、相手方にとっては敵対行為なのです。こちらに正義があるかどうかは関係ありません。

したがって、「攻撃戦闘」に関わらない後方支援作戦にあっても、「孫子 火攻篇」にあるように、補給線への攻撃を受けて応戦する「防御戦闘」に巻き込まれる覚悟だけはしておかねばなりません。


陸上自衛隊後方支援連隊――「後方支援」とは
まず、第6師団第6後方支援連隊のホームページから。――「第6後方支援連隊は、連隊本部、整備大隊、補給隊、輸送隊、衛生隊が山形県東根市に、各直接支援中隊等が師団内各駐屯地に駐屯し、師団が戦闘を行う為の支援を行う部隊です。」 ここにあるように、後方支援とは、「戦闘を行う為の支援を行う」ことです。

陸上自衛隊第6師団ホームページトップには、「山形・宮城・福島を守る即応近代化師団」とあります。トップページの写真は、国連PKO「南スーダン派遣部隊」です。

第6師団隷下部隊からは福島原発事故に出動するなど、東日本大震災の災害派遣でも大活躍をしました。しかし、第6師団第22普通科連隊の多賀城駐屯地は全車両と共に津波に水没し、航空自衛隊松島基地と共に大被害を受けました。

 第10師団第10後方支援連隊のホームページの紹介は、後方支援連隊の任務を端的に示しています。――「第10後方支援連隊は、東海・北陸6県に所在する第10師団隷下部隊への兵站(整備・補給・輸送)・衛生支援を行う師団唯一の部隊です。

 兵庫県伊丹市千僧駐屯地にある第3師団第3後方支援連隊のホームページには各大隊の紹介があります。ここを見ると後方支援任務がイメージとして私たちにもよくわかります。「特科隊」というのは、「砲兵隊」のことです。


普通科連隊とは――第37普通科連隊ホームページに見る
第3師団第37普通科連隊は大阪府和泉市信太山駐屯地にあります。普通科連隊は陸上自衛隊の中心である歩兵部隊です。第37普通科連隊のホームページでは「第一線戦闘部隊」として、次のように紹介され、私たちにも普通科連隊の任務がよくわかります。

<ホームページから> 第37普通科連隊は大阪府唯一の第一線戦闘部隊として大阪府大和川以南・和歌山県下を防衛警備及び災害派遣担当区域とし、有事の際には地上戦闘の骨幹部隊として機動力、火力、近接戦闘能力を有し、作戦戦闘に重要な役割を果たします。また、大規模な侵略への対処訓練の他、ゲリラや特殊部隊による攻撃への対処訓練、地方自治体と共同し、大規模災害を想定した防災訓練など、様々な訓練を行ない多様な事態への即応態勢の維持・向上に努めています。


第3後方支援連隊ホームページで後方支援任務を理解する

◎連隊本部
連隊本部は、第1科においては連隊の総務、人事、文書、援護及び広報を、第2科は連隊の活動に資する情報や地誌を、第3科は教育訓練や各種支援業務の統制を、第4科は自隊管理等を行っている。

◎本部付隊
本部付隊は、付隊本部、連隊本部班及び通信小隊からなり、連隊本部勤務要員の差し出し及び連隊本部業務の支援、連隊の通信に関する業務並びに連隊指揮所の保営を行う。

◎第1整備大隊
第1整備大隊は、大隊本部及び本部付隊(需品整備班及び化学整備班を含む。)、火器車両整備中隊、通信電子整備隊、施設整備隊並びに、工作回収小隊からなり、師団各部隊に対する各種装備品等(第2整備大隊が支援を担任する装備品等を除く。)の整備及び回収支援を実施するとともに、必要に応じ、第2整備大隊の増援を行っている。 なお、第1整備大隊は千僧駐屯地に加え、大久保駐屯地にも展開している。

◎第2整備大隊
第2整備大隊は、大隊本部及び本部付隊、3個の直接支援中隊並びに4個の直接支援隊からなり、各普通科連隊、特科隊、戦車大隊、高射特科大隊及び偵察隊に対する各種装備品等の整備及び回収支援を実施している。なお、第2整備大隊は千僧駐屯地に加え、福知山駐屯地、伊丹駐屯地、信太山駐屯地、姫路駐屯地、今津駐屯地の計6個駐屯地に展開している。

◎補給隊
 補給隊は、隊本部、本部付隊、需品補給小隊、部品補給小隊、業務小隊からなり、師団各部隊に対する火器・車両・誘導武器・施設器材・通信電子器材・需品器材・化学器材の部品補給、燃料・糧食・水等の補給、回収並びに入浴及び洗濯の需品サービス等を行っている。

◎輸送隊
 輸送隊は、隊本部、第1輸送小隊、第2輸送小隊、トレーラ小隊からなり、師団各部隊に対し、各種輸送支援を実施しているほか、師団久代自動車教習所の管理・運営を行っている。

◎衛生隊
 衛生隊は、隊本部、救急車小隊及び治療隊からなり、師団各部隊に対する治療・後送業務・健康管理・防疫の技術援助、衛生器材・医薬品の補給並びに限定された衛生器材等の整備及び回収を行っている。

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<私のアピール>
2012年末の安倍政権成立以後の短年月、武器輸出3原則を廃し、特定秘密保護法の新設、憲法9条解釈変更の7・1閣議決定(集団的自衛権ほか)と、先行き不安な政策ばかり急激に推進されています。安倍内閣はデモクラシー日本を食い破りつつある危険な内閣です。その政治手法は民主主義下の独裁と見えて、危険です。安倍総理退陣まで、来年7月参院選で自民党に“No”を!


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「後方支援部隊」は「前方戦闘部隊」と繋がっている、故に攻撃を受ける覚悟が必要だ(1) 孫子

2015-07-05 18:35:45 | Weblog



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外国軍への「後方支援」があたりまえのように議論されています。私たちは改めて、「後方支援」が戦争行為そのものの一環であることを、再認識しておかねばなりません。したがって、「攻撃」という戦闘でない後方支援作戦にあっても、「防御」という受け身の戦闘の覚悟だけはしておかねばなりません。戦争行為に鈍感にならぬよう、政府にしてやられぬよう、知覚・感覚を研ぎ澄ませておきましょう。

ここでは誰でもが知っている世界の古典、兵書「孫子」から、「後方支援」に係るところを拾います。引用元は、講談社文庫『孫子』、天野鎮雄・訳注、1975年7月15日発行、です。

軍争篇 二

 ここで「輜重」とは食糧・軍需品の輸送・補給のことであり、それを集積することがなければ、軍が亡ぶ、すなわち敗軍となると述べています。輸送・補給・集積とは、「後方支援」のことです。それがなければ軍が亡ぶというように、「後方支援」が戦争行為の内側にある一連の軍事行動であることを示しています。そして、それら後方支援は司令官の指揮下のもとで実施されます。日本の自衛隊が外国軍の後方支援活動は、作戦準備あるいは戦闘作戦中の外国軍司令官の指揮下で、作戦行動の一翼を担って実施されるわけです。

<本文読み下し>
 故に軍争は利の為(ため)にせば、軍争は危為(きた)り。
 軍を挙(あ)げて利を争へば、則(すなは)ち及ばず、軍を委(す)てて利を争へば、則ち輜重(しちょう)捐(す)てらるればなり。
 是(こ)の故に甲を巻きて趨(はし)り、日夜處(を)らず、道を倍して兼行し、百里にして利を争へば、則ち三将軍を擒(とりこ)にす。勁(つよ)き者は先んじ、疲るる者は後(おく)れ、その法十が一にして至ればなり。
 五十里にして利を争へば、則ち上将軍をたふす。其の法半ば至ればなり。
 三十里にして理を争へば、則ち三分の二至る。
 是の故に軍、輜重無ければ則ち亡び、糧食無ければ則ち亡び、委積(ゐし)無ければ則ち亡ぶ。

<通釈> それ故、軍の争いが、利を得ることにあるとするならば、その争いは危険である。
 全軍が利を得んとして、一斉に争うならば、利を得ることがきないからであり、また送れる兵を見捨てて、利を得んとして争うならば、輜重車を捨ててしまうからである。
 このような訳で、よろいを荷物として、丸めて小走りし、日夜休息することなく、倍の道のりを強行軍し、百里の遠方において、利を得ようと争うならば、上軍・中軍・下軍のそれぞれの大将が、敵の捕虜となってしまう。体の丈夫な者は先になり、疲労した者は遅れて、強行軍の法則上、半数の兵のみが、その目的地に到着するに過ぎないからである。
 もし三十里の遠方において利を得ようと、強行軍して争うならば、三分の二の兵がその目的地に到着する。
 その結果、軍にその物資を補給する輜重車がないならば、軍は持久できずにほろんでしまい、食糧がとだえてしまうならば、軍はほろんでしまい、物資の蓄えがないならば、軍はほろんでしまう。

<語釈> ○委軍 遅れる兵を棄てる。「委」は棄と同じ。すてる。  ○輜重 食料・軍需品を輸送する車  ○委積 食糧などのたくわえ。「委」も「積」もたくわえ。


火攻篇 一

 火攻篇は、要するに火攻によってわが軍の攻撃を側面から援助し、その攻撃の効果を十分にあげることによって、戦争を短期間に終結させることを説く。

 ここで言う「火攻」とは、文字通り、火矢・放火による火攻めのことです。現代では、空爆、ミサイル攻撃、ロケット砲撃なども、孫子の「火攻」の範疇に入ります。

 後方支援作戦では必ず、後方に当たる主基地があり、補給物資の集積主基地があり、戦闘部隊の展開に応じた前進集積拠点があります。それら基地・拠点、走行中の輸送車、飛行中の軍用機、航行中の艦船、休止中の輸送隊列、味方兵など、すべて攻撃対象になることを「火攻篇一」が示しています。

 2千年以上前の『孫子』の時代から、後方支援作戦のすべてが、攻撃対象になっています。現代でも、支援作戦の相手方、すなわち敵国あるいは敵武装勢力の側に攻撃余力があれば、後方支援作戦中の自衛隊への攻撃もあり得ます。攻撃を受ければ応戦せざるをえません。戦闘に巻きこまれて深入りすることになります。そう考えておかねばなりません。

<本文読み下し>
 孫子曰く、
 凡(およ)そ火攻に五有り。一に曰く、人を火(や)く、二に曰く、積(し)を火く、三に曰く、輜を火く、四に曰く、庫(こ)を火く、五に曰く、隊を火く、と。
 火(ひ)を行ふに必ず因(いん)有り。

<通釈> 孫子は次のように言う。
 およそ、火攻めによって敵を攻撃するのに、五種類ある。すなわち、第一は、敵兵を火攻めにすることである。第二は、敵軍の集積物を、火攻めすることである。第三は、敵の輜重車を、火攻めにすることである。第四は、敵の貯蔵庫を、火攻めすることである。第五は、敵の部隊を、火攻めすることである。
 敵への火攻めは、必ず作戦上のいろいろな理由によって行われる。

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<私のアピール>
2012年末の安倍政権成立以後の短年月、武器輸出3原則を廃し、特定秘密保護法の新設、憲法9条解釈変更の7・1閣議決定(集団的自衛権ほか)と、先行き不安な政策ばかり急激に推進されています。安倍内閣はデモクラシー日本を食い破りつつある危険な内閣です。その政治手法は民主主義下の独裁と見えて、危険です。安倍総理退陣まで、来年7月参院選で自民党に“No”を!

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