四つの不安 ①大地震災害への不安‥‥生き残れるのか
②高温化気象への不安‥‥快適生活浪費のツケ
③戦争災難が降りかかりそうな不安‥‥じりじり迫り来る
④生活収入と老後生活への不安
一昨日あたりから、当地奈良県も酷暑に入りました。深更のいちばん気温が下がるとき、スマホの外気温表示27°Cが二晩つづきました。今は夕方。今回の暗い話題に合わせるかのように空が暗く、ごろごろと低音の雷鳴が断続的につづいています。雨は大粒なのにそれほどひどくありません。
【大地震災害への不安】
東南海大地震はそう遠くない時期に必ず発生すると言われています。奈良県の想定震度は5であり、海がないので津波の恐れもなく、わたしたち夫婦が生き残ることはできると思っています。その一方、三十代になった二人の子は荒川流域と江戸川流域の東京湾沿岸地帯、すなわちハザードマップを見れば生き残り困難な地域に住んでいます。
わたしの一家が経験したいちばん大きな地震は阪神・淡路大震災(兵庫県南部地震)です。1995年(平成7年)1月17日午前5時46分に発生 。奈良県は震度4。わたしは目が覚めてあわてて洋服ダンスを押さえた。それだけなのですが、その揺れ具合にたいへん恐ろしい思いをしました。
明るくなった神戸の街の空に何条かの煙が上がっている空撮を、朝のテレビが伝えました。それからは次々と、倒壊している阪神高速道路、町ごと燃えている長田、広い道路を横倒しに塞いでしまったビル、脱線している電車、大阪方面から神戸に向かう国道の渋滞車列にはまりこんでいる国内各地からの消防車・救急車・救援物資トラック、その逆に神戸方向から大阪方向に向かって鉄道線路や国道上を歩いている被災者の人人人‥‥を日夜、テレビ報道で見ました。
その後1年ほどの間、奈良県に住むわたしの近所の瓦屋さんが神戸の仕事に通っている話を伝え聞きましたし、奈良県の工務店はみんな神戸に行っているといううわさ話もありました。
震度3は、若かった東京の入院生活時代に経験しています。東京生活時代に通勤満員電車が停車してゆらゆらと揺れたときも震度3でした。でも、震度4の経験は、阪神・淡路大震災のときだけです。のちに家族で、あれは震度5弱ぐらいあったように思うわ、と話し合ったほどに恐ろしい思いをしました。
【高温化気象への不安】
大雨災害が従来より増えています。台風も従来より勢力が強くなりました。わたしの子ども時代にくらべて気象が荒っぽくなっています。
2018年の台風21号。関西国際空港が浸水被害にあい8000人が孤立、同時に台風に流されたタンカーが関空連絡橋に衝突して通行不能、関空島そのものが孤立状態に陥りました。大阪湾岸周辺では屋根が飛ぶ被害も出ました。
夏は、わたしの子ども時代より明らかに暑くなっています。統計を確認したわけではありませんが、盛夏の思い出は気温30度超えであって、35度超えなんて記憶にありません。そして育った京都市中では盛夏といえば祇園祭から五山送り火まで。しかし今では、10月体育の日の催しは半袖になります。気候変動の警鐘を実感する日々です。
そして、広域にわたって雨が降らなくなって生活難民・食料難民に陥ったアフリカの人々に思いをはせて、きのうきょうの日本の高温と重ね合わせる想像力を持つとき、地球全域の気候変動の深刻さに注目せずにいられないのです。
【戦争災難が降りかかりそうな不安】
ロシアによるウクライナ侵略が始まった今年2022年2月24日、世界中に衝撃が走りました。
軍事強国は、欲しいと思えば独立国を勝手気ままに侵略・領土奪取する。
軍事強国の国民はしばしば、狂人指導者を選出する。
‥‥という信じ難い現実を目前に見て、軍拡競争に火がつきました。
今年2022年4月、自民党安全保障調査会がGDPの2%という軍拡予算目標を打ち出し、岸田首相の政策になりました。これはNATO諸国の統一目標に歩調合わせをしたもので、合理的検討もなく経済的検討もない唐突で無謀な目標です。7月10日参議院選挙が終わった後に、泥縄式に予算数字のつじつま合わせをするのでしょう。
「独立国への身勝手な侵略行為を許さず」という岸田政権の対「ウクライナ戦争」姿勢を歓迎します。しかしこれへの反作用は中ロ艦隊の津軽海峡通過や列島周回という示威軍事行動という結果を生みました。
欧米型民主主義諸国と中ロ強権政治中心型諸国の対決が、まさに日に日に強くなっています(月々に、年ごとに、ではありません)。
軍拡抑止力は反対側の軍拡を呼ぶ、というように際限のない相互軍拡につながり、その行末は戦争そのものであったというのが歴史の事実です。
ウクライナ戦争では、プーチン露大統領の「核限定攻撃先制脅迫」(A)が米国やNATO(B)を慎重にさせています。
このパターンでは、敵対する核軍事大国ABのうち、
Aは抑止力を獲得し、Bは自制して抑止力を失う。
Bが自制しなければ、ABの戦争になって、ABともに抑止力を失う。
軍事力強化が戦争を誘発し、どちらかが継戦能力を失ったときに、戦争が終わる。戦争屋が言う「軍事力強化による戦争抑止力」は、当てにできません。
今の日本は北にロシア、朝鮮半島に北朝鮮、大陸に中国という核ミサイル国が近接しています。政府が頼みにしている米国は、米国本土が危険にさらされるような事態では日本を助けることはないとわたしは思っています。
米国ニクソン大統領の時代1971年7月9日、キッシンジャー大統領補佐官がパキスタン大統領専用機で北京を極秘訪問し、到着後すぐに数時間に及んで当時の周恩来中国首相と会談をしました。この日から歴史的な米中接近が始まったのですが、この極秘交渉は7月15日にニクソン大統領がテレビ放送を通じて明らかにしました。
この当時、日米ともに台湾の中国国民党政府と国交を結んでいて、中国共産党政府のことは多くの場合に中共と呼んでいました。日本は米国に忠実であり、常に共同歩調を保っていました。しかるに、キッシンジャー・周恩来極秘対談のことを日本(佐藤首相の時代)はテレビ発表で知りました。アジア情勢を揺るがせる米中接近という大転換がこうして日本抜きで始まったのです。
――こういうことは国と国とのつながりでは当たり前のことだと肝に銘じておく必要があります。侵略されないための軍備は必要になりますが、自国の軍備・米国の武力や核武力を一本調子に頼っているだけなら、つまるところは戦争になってしまいます。
戦争の苦しみはウクライナを見ていれば身に染みてわかります。わたしたちの親世代・祖父母世代は戦争のひどさから生き残った人たちです。
【生活収入と老後生活への不安】
国民の間の収入格差が話題になるようになって久しい。格差を生む経済政策は、何をやっても人気が衰えなかった小泉純一郎首相の時代から顕著になりました。その後の総理大臣で小泉首相と同じように人気を持ちつづけて長期政権を守った安部晋三首相の時代にも格差を生む経済政策が続きました。
小泉首相時代~安部首相時代までの年月、株価が上がっても被雇用者の給料収入平均が上がることはなかった。岸田首相にも期待は持てなさそうだ。なにしろ老後生活のために、給与所得者に投資を呼びかけるのだから呆れ果てます。
小泉純一郎首相以来つづいてきた「自助努力押しつけ」政策は健在なのです。
少額投資を呼びかけるということは、少額投資できるだけの生活余力があることを前提にしています。下記の所得の人たちに小額投資できるゆとりはあるのでしょうか。
2021年9月国税庁発表『民間給与実態統計調査』(第 16 表)
給与階級別給与所得者数・構成比 によれば、
年収300万円までの人が全体の37.7%(働く国民の、3分の1強)
年収400万円までの人が全体の55.1%(働く国民の、半数強)
年収500万円までの人が全体の65.3%(働く国民3分の2弱)
給与階級別給与所得者数・構成比 によれば、
年収300万円までの人が全体の37.7%(働く国民の、3分の1強)
年収400万円までの人が全体の55.1%(働く国民の、半数強)
年収500万円までの人が全体の65.3%(働く国民3分の2弱)
安倍政権の時代、物価が上がらない理由を「消費不足」としてきました。
これに対して、専門家の解説は「貯蓄が増えて消費に回らない」でした。
「消費不足」の主因は、「家計の収入不足」であるにもかかわらず、
政策立案者も経済専門家も、生活者の生活実態を、わざわざ見えなくしてきた。
高株価政策で株が上がっても、それで収入が増えるのはほんのわずかの人だけ。
円安政策で大企業が空前の利益を上げても、中小企業は「空前」ではなかった。
安部首相は政権当初から「トリクルダウン」を国民説得の理論にしてきました。
これは「おこぼれちょうだい政策」のことです。
企業や事業者がもうかれば、あちこちで金を使うし、給料も上がる。
だからいずれ、あなた方にもおこぼれの得がまわってくるから、
楽しみにして待っていてください。
人を馬鹿にしたこんなお話が、国民に伝えられてきました。
それでも、安倍首相を歓迎した多数派の人々に限っては、
トリクルダウンという「おこぼれちょうだい」を待っていたかもしれません。
しかし目の前の生活自体をなんとかしのいでいる、
あるいは今月の生活はやっていけたけれど、という人たちは、
老後のための少額投資どころではありません。
目の前の生活が立ち直れるまで援助する、老齢長寿で自分で自分の体を支えて生活できない人には経済的肉体的生活援助をする。これこそが「国民の生活を守る」ということではないでしょうか。
しかし、政治屋さんが声高に約束する実際の声は、「国民を守るために防衛予算をGDP比2%へ増額」という戦争屋さんの声です。
誰が生活収入への不安をやわらげてくれるのでしょうか。
誰が老後生活への不安をやわらげてくれるのでしょうか。
そんな政治指導者はどこにいるのでしょうか。