川本ちょっとメモ

★所感は、「手ざわり生活実感的」に目線を低く心がけています。
★自分用メモは、新聞・Webなどのノート書きです。

お月さんがついてくるよ (新聞投稿転載)

2006-09-03 08:50:24 | Weblog


朝日新聞(大阪本社)9月3日朝刊「声」から、兵庫県・賀屋さん(高校女子17)の投稿を転載します。

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私は先日夕方に1人で外を歩いていて、ある親子の会話が耳に入って。4歳ぐらいの女の子が空を見上げながら、こう言っていた。

「ねえ、見て。お月さんがついてくるよ」。
お母さんは「そうだねえ」。
女の子は少し興奮気味だ。

私も幼い頃に同じようなことを思った記憶がある。女の子の言葉を聞いて懐かしかったのと同時に、幼い子どもはさまざまなものを見ているんだと思った。

大人が気づかなかったり見過ごしたりしているものを、子どもはちゃんと見ている。この女の子は、何げないところで面白い発見をしたのだ。

「気づく」ということはとても大切だし、すごいことだと思う。学校で勉強して得られるものではない。

私は今、受験勉強で日々何かに追われるような生活。周りが見えなくなっている。外を歩いていても、ただぼうっとして何も気づかないだろう。親子の会話を聞いて、自分を見つめ直すことができたように思う。



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戦争責任を問われなかった昭和天皇、財界人、言論人、教育者、官僚

2006-09-01 07:54:22 | Weblog


2006年8月28日付朝日新聞(大阪本社)夕刊記事「戦争 未完の裁き⑮」のノートです。

◇◇◇◇◇


東京裁判では25人が有罪。ほかのA級戦犯容疑者は釈放された。米ソ冷戦の時代が始まり、戦争を支えた財界人、国民の戦意をあおった言論人や教育者、官僚の責任問題はうやむやとなった。

  (参照クリック)戦争体験 「特攻志願」を執拗に迫られて(朝日新聞「声」欄から)

昭和天皇の責任も問われなかった。木戸内大臣は巣鴨拘置所に入る前に天皇と食事し、「日本が平和国家として世界の一員に復帰するとき」、つまり講和のとき、退位することを勧めた。のちに木戸は「陛下は大元帥なんですから。憲法上(*明治憲法上)、戦争の最後の責任者ですから」と語っていた。

  (参照クリック)昭和天皇が平和の担い手であったと言うのか

日本の戦没者300万人、アジアの犠牲者2000万人。粟屋立教大教授は言う。

「戦死といっても3分の1は餓死でした。日本軍は部隊に食糧を現地調達させた。中国では略奪し、南方では飢え、どんどん死んでいった。兵士の命をあれだけ粗末にしておいて、靖国神社に祀って、それが戦後の繁栄の礎になったなどという美辞麗句は歴史の事実を隠すものですよ」

いま、開戦の首相・東條は靖国の神になっている。すべての責任を負って国のために死んだというならば、飢えて死なせた兵士たちと並んで神にしていいのか。そこに、時の首相が参拝し続けていいのだろうか。

人々が殺し、殺された戦争。神ではなく人間として追悼し、歴史を省みて、不戦を誓いたい。


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