◇小学生の対教師暴力のありさま
23日、文部科学省発表の「小学生暴力増加」ニュースが伝えられました。小学生の対教師暴力のありさまを朝日新聞が伝えています。9月23日朝日大阪版から、以下にそのまま転載します。
小学生たちが先生に向ける暴力から見えるのは家庭内暴力、感情にブレーキをかけられない子たちの多さ……。ひとくくりにdけいない背景に、教師たちは立ちすくむ。全体の暴力行為件数では大阪府をはじめ、関西での多さが目立っている。子どもたちに、どう向き合ったらいいのだろうか。
小粒の医師が、くぎが、次々と投げつけられる。トラブルを起こして運動場を逃げ回る子を追いかけていた時のことだ。くぎは、トラックのラインを地面に留めていたものを引き抜いて投げてきた。
関西の小学校の先生がいま、格闘しているのは担任の3年の男子だ。黒板に向かって説明している時や、机の間を回って指導する時、後ろから突然、足をけられたこともある。
昨年も3年を担任した。やはり教師に暴力で向かってくる子がいた。「もう家に帰る」と教室を飛び出すその子を同僚と追い、校門でつかまえて、話を聞こうと相談室まで連れていった。その途中、殴る、けるの大暴れ。話を聞こうと近寄ると、茶わんを投げられた。「この子たちの共通点は、親から暴行を受けていることなんです」と、先生は話す。
「てめえがやったら体罰教師やで」。別の関西の小学校で。50代の男性教師のすねを思い切りけった6年男子の言葉だ。「教師の暴力が問題になるということを、逆手に取る子がいる」と、栃木県の若手教師は言う。けんかを止めようと6年男子を羽交い締めにしたら「訴えてやる」と言われた経験がある。
文部科学省は対教師暴力の実例として「運動会の練習中、整列の指示に反発して教師をけった」(6年男子)などを挙げる。しかし、小学生ではこうした悪意の明らかなケースより、興奮を抑制できずに暴力をふるう「はずみ型」が多くなっていると教師らは感じているようだ。
関西の50代の女性教師は昨年1年間、ズボンで出勤した。「少しでも足のあざを減らしたかった」。担任したのは3年生。「いったんスイッチが入ると手加減できない」男の子がいた。ほかの子の盾になっては、けられた。
放課後、毎日午後3時までおしゃべりにつきあった。親に構ってもらえない寂しさを知った。その後もけられはしたが、「私と人間関係ができたら、その子、手加減できるようになったんです」……以上、朝日新聞記事の転載でした。
◇原因は…「家庭が悪すぎる」
3年前の秋に、国立教育研究所の生徒指導に関する全国会議に出席しました。その折りに県教委の指導主事先生と同宿して、荒れた子どもの指導についてよもやま話を聞きました。他に中学校の校長先生と県下の市教委の指導主事先生が同席していました。
その折りは中学生のことが話題でした。生徒指導の国の会議に出るのですから、当然、荒れた学校や荒れた生徒のことが話題でした。しかし、その時先生方が話題にしたのは、荒れた生徒のその家庭のことでした。
先生方は生徒のことを悪く言いませんでした。「親が悪い、家庭が悪い」と言います。県教委の先生は、やりきれないという様子で「家庭がどうにもならんのが多いんですよ。生徒がかわいそうでなりません」と言いました。
私の家内は幼稚園の先生を長年していました。家内の母は昔、小学校の先生でした。家内の妹も今、小学校の先生です。その夫は小学校の校長先生をしています。家内も、現役の教師である家内の妹も一様に、問題児の多くは親や家庭に原因があると言います。
◇「家庭教育力の強化」は教育行政の責任放棄
文部科学省や中教審などは、「家庭教育力の強化」を一つの課題に挙げています。家庭教育力の強化とは何を意味するのでしょうか。私のような素人が思うには、親に対する啓蒙や教育をするということになるでしょう。子の教育についての親や家庭の役割を学ぼうとする意欲のあるところなら、もともと、その子にも問題は少ないだろうと思います。
先の指導主事先生が「子どもがかわいそうでならない」と嘆くほどの親や家庭に、家庭教育力を訴えても無駄でしょう。そういう親や家庭の子を、制度としてどうまっすぐに育てていくかという観点こそ必要だと思います。たまたま担当した教師の個人的努力に頼るのも、問題の解決には限界があるでしょう。
中教審、あるいは文部科学省の言う「家庭教育力の強化」とは、教育行政の責任放棄としか考えられません。また、問題の解決を個々の教師の努力に転嫁するのも、同様に教育行政の責任放棄と言えます。家庭教育力を当てにできない、そういうかわいそうな児童・生徒の教育を、制度的にどう保障していくのか。これこそ、国や自治体に対策を望むテーマであります。