川本ちょっとメモ

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ドイツも解釈改憲――どうなったか? ドイツ26条、日本9条、イタリア11条

2014-06-24 23:53:44 | Weblog


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2014/06/23 イタリア憲法第11条の姿が日本国憲法第9条の近未来を映す
2015/07/09 「後方支援部隊」は「前方戦闘部隊」と繋がっている、故に攻撃を受ける覚悟が
      必要だ(5止) 124人死傷



朝日新聞デジタル 2014年6月15日は、日本と同じ第2次世界大戦敗戦国のドイツの例を大要次のごとく伝えました。

――ドイツは1990年代に専守防衛の方針を変更し、安倍首相がやろうとしている解釈改憲の手法で北大西洋条約機構(NATO)の域外派兵に乗り出した。アフガンに派遣された02年から今年6月初旬までに、計55人の犠牲者を出した。

このうち35人は自爆テロや銃撃など戦闘による犠牲者だったという。独国際政治安全保障研究所のマルクス・カイム国際安全保障部長は「ドイツ兵の多くは後方支援部隊にいながら死亡した。戦闘現場と後方支援の現場を分けられるという考え方は、幻想だ」と指摘している。

ドイツは戦後制定した基本法(憲法)で侵略戦争を禁じ、長らく専守防衛に徹してきた。だが、91年の湾岸戦争で米国から「カネを出しただけ」などと批判を浴び、当時のコール政権は基本法(=憲法)の解釈を変更してNATO域外にも独軍を派遣する方針に転換。連邦憲法裁判所は94年、原則として議会の事前承認がある場合に限り、独軍のNATO域外活動を合憲と認めた。

以上、朝日記事です。基本法(憲法)によって、専守防衛に徹してきた、1991年の湾岸戦争でアメリカの批判を浴びた――アメリカの圧力要請と国内の迎合勢力に屈して、憲法解釈を変更しました。このこと自体が、憲法違反の行為ではありませんか。日本もまったく同じ構図です。

ドイツ基本法
第26条 [侵略戦争の準備の禁止]
(1) 諸国民の平和的共存を阻害するおそれがあり、かつこのような意図でなされた行為、とくに侵略戦争の遂行を準備する行為は、違憲である。これらの行為は処罰される。
(2) 戦争遂行のための武器は、連邦政府の許可があるときにのみ、製造し、運搬し、および取引することができる。詳細は、連邦法で定める。

日本国憲法
第9条 [戦争の放棄]
 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。

イタリア共和国憲法
第11条 [戦争の制限および国際平和の促進]
 イタリアは、他国民の自由に対する攻撃の手段および国際紛争を解決する手段としての戦争を放棄する。国家間の平和と正義を保障する体制に必要ならば、他国と同等の条件のもとで主権の制限に同意する。この目的を持つ国際組織を促進し、支援する。

イタリアについては、昨日6月23日付の『イタリア憲法第11条の姿が日本国憲法第9条の近未来を映す』をご覧ください。



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イタリア憲法第11条の姿が日本国憲法第9条の近未来を映す/ひめゆり体験記録

2014-06-23 14:04:23 | Weblog


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2015/07/09 「後方支援部隊」は「前方戦闘部隊」と繋がっている、故に攻撃を受ける覚悟が
      必要だ(5止) 124人死傷



朝日新聞2014年6月23日朝刊が次のように伝えました。

――第2次世界大戦の敗戦後、日本と同じく新たな憲法に「戦争放棄」を定めたイタリア。だが、歴代政権は人道的介入や復興支援などを理由に憲法の解釈を広げ、他国への派兵を繰り返してきた。平和主義の理念は変質し、母国を遠く離れた戦地で兵士の命が犠牲になっている。

下にイタリア憲法を朝日新聞から転記して、日本国憲法と並べます。

第2次世界大戦敗戦国のイタリア共和国憲法
第11条 イタリアは、他国民の自由に対する攻撃の手段および国際紛争を解決する手段としての戦争を放棄する。国家間の平和と正義を保障する体制に必要ならば、他国と同等の条件のもとで主権の制限に同意する。この目的を持つ国際組織を促進し、支援する

第2次世界大戦敗戦国の日本国憲法
第9条 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。

朝日記事によれば、5月初旬、小野寺防衛大臣がイタリアを訪れました。その折にイタリアのピノッティ国防大臣が、「同じ戦争放棄憲法を持つ立場として、日本の集団的自衛権論議を深く理解する」という内容のことを話したという。

小野寺防衛大臣は、意を強くしたことでしょう――日本だけではない、と。日本では、安倍内閣総理大臣が強権で、憲法解釈の変更をしゃにむに進めています。

安倍首相の言う「積極的平和」とは、軍事力強化、軍事力で対決すること。機雷掃海とは軍事関与をすること。私はこのように理解しています。このまま閣議決定が強行されて、今もその後も私たちの平和を守る意思表示が弱ければ、行く末はイタリアのようになってしまいます。

小野寺防衛大臣にとっては、勇気を得るイタリアの実例でありましょう。一人の民衆、一人の市民にすぎない私にとっては、もともと危惧していた通りの日本の近未来の姿を、現実の姿として証明しているイタリアの例です。

以下に、朝日新聞6月23日朝刊の記事を転載します。

<朝日新聞 2014.6.23.>

 戦後の1948年に施行されたイタリア共和国憲法は、第11条で戦争放棄を定めた。ただ、日本国憲法と違い、同条の後段には国連加盟と国際社会への復帰を念頭に置いたくだりがあり、歴代政権はこれを「国際平和の促進」などとして柔軟に解釈することで海外派兵につなげてきた。

 ■ユーゴ空爆拠点

 イタリアは49年、北大西洋条約機構(NATO)に加盟。82年、レバノン内戦ではパレスチナ難民の保護を名目に派兵。91年の湾岸戦争では多国籍軍に航空機と艦船を送った。

 「戦争放棄条項が踏みにじられた」として大きな議論となったのが、99年の旧ユーゴスラビア空爆だ。旧ユーゴはNATOの域外にあり、国連安全保障理事会の決議もなかった。空爆は国際法上の根拠が薄いとされたが、政府は支持。イタリア国内の基地は欧州最大の出撃拠点と化した。

 イタリア国会はNATO軍への参加について「後方支援に限定する」などと決議したものの、米軍の護衛についたイタリア機は旧ユーゴの軍事拠点を爆撃した。当時のダレーマ首相は「近隣国に展開するイタリア軍部隊や、人道援助団体を守る責任があった」などと弁明に追われた。

 ■アフガンに3000人

 アフガニスタンには02年から、イラクにも03年から派兵した。イタリア軍によると、今年5月末現在で国連平和維持活動(PKO)を含め、25の国と地域に計5738人を派遣中。最多はアフガンで、5割強の2995人が駐留する。

 アフガンではこれまで、従軍記者1人を含む54人が死亡し、651人が負傷した。犠牲者の1人、イタリア陸軍のマリオ・フラスカ上級伍長(享年32)は11年9月23日、西部ヘラートで死亡した。

 「兄はアフガニスタンで死んだ45人目のイタリア兵だ」。弟ビンチェンツォさん(32)は首都ローマから300キロ近く離れた故郷、プーリア州フォッジャで語った。「海外で兵士が死んでも、もう誰も話題にしない。つらい思いをする遺族が増えるだけだ」

 イタリア政府は当時、アフガン派兵について「平和的な復興支援」と説明していた。だが、母アンジェラさん(56)は「安全な場所とはとても思えなかった」。

 「自動車で基地の近くを走行中、正体不明の障害物を避け、道路から外れた」。軍から遺族に伝えられた死因は「事故死」だった。フラスカ氏を含む3人が死亡、2人が重傷。軍広報官は「戦闘での死亡ではない」とコメントし、事故現場の写真など死因をめぐる詳しい資料は遺族に開示されないままだという。


  ◇     ◇     ◇     ◇

きょうは「沖縄慰霊の日」です。以下に「公式ガイドブックひめゆり平和祈念資料館」から、体験記録を紹介します。


◇糸洲第二外科壕脱出 17才 師範予科3年 第2外科勤務
薄暗い細道でしたが、途中で見た光景が、本当に凄かったですよね。まず驚いたのは、子供をおぶった女の人です。手を伸ばして死んでいましたが、背中には子供がこれも血まみれになって死んでいたんです。

道は死人でいっぱいなんですよ。兵隊もいるし…。でも住民がはるかに多い感じでした。近くに水飲み場があると聞いたので行ってみたら、そこも折り重なるようにたくさんの死体ですよ。ちょっとした水たまりはありましたが、血の水なんです。生血の臭いがするんです。飲むのはやめて、ここも危険だと逃げるように通りすぎました。

しばらく行くと、門のところで大きな男の人が万歳をするかっこうで亡くなっています。兵隊さんでした。またびっくりしてそこを過ぎたら、こんどは石垣の角にうずくまってね。艦砲を避けようと隠れていたのか坐ったまま死んでいました。そこでちょっと行くと、両足ともどこに吹っ飛んだのかわからない死体です。そのような目も当てられない状態でしたね。

◇ドラム缶のようにふくれた死体 17才 師範予科3年 第2外科勤務
衛生兵の合図で一人づつ間隔をおいて、糸洲壕を脱出しました。外に出ると3名で待ち合わせて、伝令で行ったことのある山城の本部壕をめざして夜道を走りました。昨日までの道とはまるっきり変わっていました。それに足を踏み入れる所もないくらいたくさんの死体がころがっていたんですよ。ドラム缶のように大きくふくれあがっているんです。腐ってすごい悪臭のする死体が、ずっとどこまでも続いていました。

とにかく必死に駆けてやっと山城に着きましたが、もうそこも同じように、死体だけがたくさんころがっていたんです。

◇山城本部壕が艦砲でやられた 19才 師範本科1年 本部勤務
山城本部壕に艦砲の直撃弾が落ちたのは、6月14日でした。壕入口に出ていた病院長を始め歩哨兵や衛生兵が瞬時に吹き飛ばされました。

隣の新垣さんの顔を見てまたびっくり。顔に肉片がベタッとくっついています。「貴方、顔をやられている!」といったら、彼女はあわててそれを払いのけたんです。肉片は炊事していた兵隊たちのものでした。

「病院長がやられた。兵隊も学生もやられた」という声で、西平先生の後を追い壕入口に出ました。安座間さんはもう板の上に寝かされていました。手の指も切れ、お腹もやられ、息するたびに、腸がブクッブクッと飛び出すんです。

◇フミさんの顔が無くなった 18才 師範本科1年 第1外科勤務
3人が山城の丘に着いた時には夜が明け、隠れる壕もありません。陸からは迫撃砲、海からは艦砲で、生きた心地もしません。そのときの攻撃で、比嘉さんは即死。宮城さんと私も負傷しました。

それからどのくらいたったでしょうか。耳をつんざく爆発音とともに、凄い爆風に叩きつけられました。ハッとしたとたん、私の膝を枕に眠っていたフミさんがスーッと立ち上がり、バタッと前のめりに倒れたのです。見たら、頭のてっぺんをえぐり取られ、表皮はたれさがり、顔が無くなっているのです。

私はあわてふためき「やられた、誰か来て」と大声で泣き叫びました。そしたら隣にいた衛生兵が「静かにしろ! 騒ぐと叩っ斬るぞ!」と怒鳴ったのです。

◇顔がシャモジになった 16才 一高女4年 第2外科勤務
「待っていてね。私が軍医殿を連れてくるから。」知念さんはそのまま戻ってきませんでした。私の右隣にいた看護婦は、一言もなくスッと立ち上がったわけです。そしてクルクルと回ってバタッと倒れました。見たら、破片で顔を、鼻も目も口も何もかも全部やられていました。しゃもじみたいに平たくなって…。

もう一人、太った看護婦でしたが、その人はバサッとお尻を全部裂かれて、はじめは真っ白くしていたわけです。脂がにじんでいる感じです。しばらくしてその白いところからビューッと血が噴き出し、バタッと倒れてそのまま死んでしまって…。



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安倍首相の違憲なやり方――「憲法96条改正」を止めて「閣議決定」へ

2014-06-21 23:53:17 | Weblog


憲法改正は、安倍首相の宿願です。憲法前文と憲法9条は日本の存立を脅かしているというのが首相の信念です。しかし、憲法9条を変えろと、声高に訴えることはありません。

憲法の改正手続きを定めているのが憲法96条です。

〔憲法改正の発議、国民投票及び公布〕
第96条この憲法の改正は、各議院の総議員の三分の二以上の賛成で、国会が、これを発議し、国民に提案してその承認を経なければならない。この承認には、特別の国民投票又は国会の定める選挙の際行はれる投票において、その過半数の賛成を必要とする。
2 憲法改正について前項の承認を経たときは、天皇は、国民の名で、この憲法と一体を成すものとして、直ちにこれを公布する。

2012年9月、安倍首相が自民党総裁に就任しました。2012年12月、自民党が衆院選で大勝しました。そのころから憲法96条改正問題が大きくクローズアップされてきました。

憲法改正の「3分の2」国会発議要件がきつすぎるので、「2分の1」にするべきだという論議が盛んにニュースになりました。政府筋、自民党筋、安倍首相と意見を同じくする言論人や学者、報道系などが意識的に取り上げて、憲法96条改正への流れを作ろうとしました。

そのときに問題になったのは、「何のために憲法改正要件を低くしなければいけないのか?」ということでした。「憲法9条を変え易くしたいから」ということは、意識的に避けられました。「憲法9条を変え易くするため」ということになれば、96条変更の議論がどこかへ吹っ飛ぶからです。

改憲2段階手法。世論の同意を得やすい改憲目的をあげて、そのために改憲発議の要件を2分の1に低くする(憲法96条を改憲)。しかしながら、2013年7月参院選のころだったか、その後の秋ごろまでには、この憲法96条改正論議が急にしぼみました。夏の参院選でも大勝して、安倍首相側が方針を変更したからです。

本来の「憲法9条改正」目的をぼやかしておいて憲法96条改正を先行しようとしたのですが、それもやはり手間の取ることでした。今言われている日米防衛指針協議にも、間に合うわけがありません。それでとりあえず急いで、憲法9条解釈を安倍政権が変更して、日米共同作戦をやり易いようにしよう、ホルムズ海峡でも自衛隊の作戦展開をできるようにしようと、方針を変えました。閣議決定による憲法9条解釈の拡大変更 → 改憲発議要件の憲法96条改正 →
本丸の憲法9条改正、という改憲3段階手法です。

2014年1月から、その方針がどんどん打ち出されてきました。内閣の憲法解釈相談役である内閣法制局の長官は、すでに前年のうちに、安倍首相の意のままになる人に交代させました。そして今は、憲法改正手続きが話題になることはありません。そんなことを政府はとっくに行き過ぎたこととして、意識的に無視しています。今は触れたくないのでしょう。

安倍政権はこのように、始めは憲法96条の改正を企てて、その後に参院選大勝を背景にした閣議決定という解釈改憲という手法を強行しています。これは安倍首相が、集団的自衛権というものが本来、改憲手続きの対象になるということをよく知ったうえで、今の与党協議を進めていることを示しています。

首相自ら、憲法の利用の仕方を、自分の都合のいいようにしているわけです。
閣議決定が為されたらどうなるでしょうか。自衛隊法を始めにいくつもの法律改正が行われます。軍備拡張のための予算も執行されるでしょう。軍備費やホルムズ海峡の機雷掃海作戦の戦費はたいへん高くつきます。

このような独裁者的憲法無視、違憲行為は必ず、その反動としての違憲訴訟を呼び起こすに違いありません。各地で違憲訴訟が起きてどこかの地裁で違憲判決が出れば、判決確定を待たずとも、閣議決定を受けて変更された法令の「改正条項は無効」ということが俎上に上るでしょう。合憲を装う閣議決定が「法の不安定」という大問題につながります。
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安倍首相の「集団的自衛権」問題 法治の乱れは世の乱れの元

2014-06-13 02:33:44 | Weblog


安倍首相は5月15日の記者会見で、憲法9条の改憲をしないで「集団的自衛権」を容認する意思を公表しました。6月22日までに閣議決定をしたいそうです。1ヵ月や2ヵ月で、戦争できる権限を一気に広げようとしています。やれるうちに早いことやっちまえという感じです。

あらゆる行政は、法律・政令・省令・通達などに事細かく準拠して行われています。法令から逸脱して行政を行うことは許されていません。公務員の方なら身に染みて御存じのことでしょう。安倍首相は日本の行政のトップです。道理の通らない身勝手な憲法解釈で行政を行うことは許されません。法治の乱れ、行政の乱れ、世の乱れの元になります。閣議決定が強行されるなら、閣議決定そのものや、その後に制定される関連法の改定などについて、違憲の観点からさまざまな訴訟が起きるでしょう。いま与党協議でふんばっている公明党には、妥協をして歴史に汚点を残さぬよう、主張を貫き通してほしい。

海外で突然紛争が起こり、そこから日本人を救助して日本に向かう米国軍艦が、日本近海で攻撃を受けるかもしれない。今の憲法解釈では、日本人避難民を乗せた米艦が攻撃をされても、自衛隊が守ることは許されない。だから、この米艦を自衛隊が守れるよう、憲法解釈を変えなければいけない。安倍首相は「邦人輸送中の米輸送艦の防護」と題され、赤子を抱いた母親の絵をクローズアップしたパネルを示して話しました。「日本近海で」と首相は話しました。

しかし、平成8年6月24日の第1次安倍内閣の安保懇報告書には母親のお話はありません。「公海における米艦防護」があります。広大な公海上で、米艦が我が国に対するミサイル攻撃を警戒・監視する活動に従事しているとき(=日米共同作戦中)に、海自・空自で米艦を防護する、としています。同報告書には、「米国に向かうかもしれない弾道ミサイルの迎撃」も上げています。こちらはごまかしがありません。「広大な公海上」と書かれています!

ついでながら、今年5月15日の安保法制懇メンバー14人中13人まで、第1次安倍内閣の安保懇メンバーと同一です。要するに、かつての安保懇メンバーに細谷氏を加えたのが第2次安倍内閣の安保法制懇です。

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安倍首相の『集団的自衛権』憲法身勝手解釈――四つの観点から賛成できません

2014-06-07 22:51:32 | Weblog


安倍首相の『集団的自衛権』憲法身勝手解釈について、四つの観点から賛成できません。

第一点に、日本の行政は法律に準拠して執行されています。日本の行政府のトップには、法律に準拠して行政を執行するべき責務があります。

しかし、安倍首相は日本の行政府のトップでありながら、法律の上位にあって法律を律するものである憲法に準拠しない行動を取っています。

安倍首相の「集団的自衛権」に関する憲法新解釈にはそういう性質があります。憲法9条変更の壁に穴をあける代替策略として、「新解釈」を強弁しています。あくまで策略の結果としての「9条新解釈」です。

日本の行政機構のトップが憲法や法律を自分の都合のいいように使うならば、大げさに言うなら、日本の行政機構が崩壊します。

 日本の行政機構のトップが身勝手な憲法解釈で憲法を運用するならば、日本の中央・地方の行政機構の各段階の行政執行者の身勝手な法令解釈による身勝手な運用が広がっていくでしょう。


第二点に、自衛隊のPKO派遣のこれまでの経緯を顧みると、一度足がかりを得るならば、政府はその足がかりをじりじりと広げていきます。「集団的自衛権」のことも、突破口を切り開いた後には、そうなるでしょう。政府を信頼できません。

第三点に、「安全保障政策」というものは、軍事力(=自衛隊の武力)とともに、外交力がそれ以上に大切だということは常識です。

外交力の裏付けは国力です。国力とは、経済力であり文化力です。安倍首相にはこれまでのところ、大転換期に苦しんでいる日本の将来を見渡す国力のあり方について、明らかなメッセージがありません。

今のところ、『円安』で株式相場高、輸出産業の好況、円安起因で波及しつつある物価騰貴、国民負担増を生みだしただけです。

第四点に、「平和」という考えを尊重する様子が見えません。「平和」であることは、しあわせな国民生活を守るための基盤です。

安倍首相の「積極的平和」とは、単純に軍事力を前面に押し出すことにすぎません。日本の軍事力だけでは中国に勝てる見込みがないので、アメリカ軍に助けてもらおうというのが、「集団的自衛権」の本質でしょう。

また、北海道から沖縄まで、わが国の地理的位置は大陸の出口を塞ぐ形になっていて、中・露・朝・韓・台の5カ国に干渉できる位置にあります。アメリカはアメリカで、日本の自衛隊(軍事力)をもっと使い回しよく利用できるようにしたいでしょう。

安倍首相の強がりな姿には、アメリカに勝てそうなことを言ってボロ負けに負けた太平洋戦争を思い起こします。

安倍首相が中国にかっこ良く張り合っても、戦争の実績では、白村江でも、豊臣秀吉の朝鮮戦争でも、昭和の中国本土での戦争でも、最後は負けています。日清戦争には勝っていますが、それは清国内戦(太平天国の乱)の後の事であり、すでに列強の干渉や侵略が始まって清国が弱体化していた、特別な時期でした。




 
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Q&A 集団的自衛権(下) 政府解釈の考え方 (公明新聞から)

2014-06-04 11:00:18 | Weblog


 公明新聞6月3日付記事を転載いたします。

  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇


 安倍首相は先月、有識者による安保法制懇が集団的自衛権の行使を認めるべきと提言したことに対し「採用できない」と言明。その理由として「憲法上、行使できない」とするこれまでの政府解釈と論理的に整合しないと強調した。<下>では、その政府解釈の考え方を紹介する。


<平和憲法の理念> 専守防衛に徹し信頼築く

  政府は集団的自衛権をどう解釈するのか。

  その前に、憲法には自衛権を明文で定めた条文がない。政府はまず、自衛権が認められる理由から解釈論を展開する。

  憲法第9条に自衛権の根拠があるのか。

  憲法第9条だけでなく、憲法前文、憲法第13条を読み合わせて自衛権が認められる根拠とした。

 政府は「第9条の文言は国際関係において実力の行使を行うことを一切禁じているように見える」と言う。「実力の行使」は武力行使と同義である。

 その一方で、憲法前文は国民に「平和的生存権」があることを確認し、さらに第13条は「生命、自由および幸福追求に対する国民の権利」について、「国政の上で、最大の尊重を必要とする」とも定めている。

 政府は、憲法前文と第13条の趣旨を踏まえ「第9条は、外部からの武力攻撃によって、国民の生命や身体が危険にさらされるような場合に、これを排除するために必要最小限度の範囲で実力を行使することまでは禁じていない」と解釈した。

 そして、この考え方を基礎にして「わが国がみずからの存立を全うし国民が平和のうちに生存することまでも放棄していないことは明らか。自国の平和と安全を維持し、その存立を全うするために必要な自衛の措置をとることを禁じているとはとうてい解されない」とし、自衛権を認めた。

 こうした政府見解は、1972年に政府が参院決算委員会に提出した資料の中で明確に表明されている。

  裁判で自衛権が論じられたことはあるか。

  1959年の砂川事件判決がある。最高裁は「主権国として持つ固有の自衛権は何ら否定されない」 「自国の平和と安全を維持しその存立を全うするために必要な自衛のための措置はとりうる」と明確に示した。

  自衛権を認めながら、集団的自衛権の行使はできないとする理由は。

  政府は集団的自衛権を「自国と密接な関係にある外国に対する武力攻撃を、自国が直接攻撃されていないにもかかわらず実力を持って阻止することが正当化される権利」と定義。

 その上で、他国への攻撃を日本が実力で排除することは「国民の生命等が危険に直面している状況下で実力を行使する場合と異なる」と判断。「憲法の中に(『他国を守る』ための)実力を行使することが許される根拠を見いだし難い」として集団的自衛権の行使はできないと結論づけた。

 「自国を守る」個別的自衛権行使による「専守防衛」が平和憲法の理念であり、この解釈の下で日本は国際的信用を築いてきた。



自衛権をめぐる政府の解釈

憲法第9条
 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。
     
憲法前文の一部
 われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。
     
憲法第13条
 すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。
     
 自衛権はあるが、わが国を防衛するための必要最小限度の範囲で認める。


<首相の示した方向性> 

  安倍首相は就任前から集団的自衛権に関する政府解釈の変更に言及し、首相の私的諮問機関「安保法制懇」に報告書をまとめさせた。今後の展望は。

  首相は先月15日、報告書を受け取り会見を開いた。報告書には、集団的自衛権の行使容認のため、政府に解釈変更を求める内容の提言があった。

 しかし首相は、その提言を「これまでの政府の憲法解釈とは論理的に整合しない。私は憲法がこうした活動のすべてを許しているとは考えない。したがって、この考え方、いわゆる芦田修正論は政府として採用できない」と明言した。

  集団的自衛権の議論はしないのか。

 首相は一方で、報告書にある「わが国の安全に重大な影響を及ぼす可能性があるとき、限定的に集団的自衛権を行使することが許される」とのもう一つの提言について、自国の存立を全うするための必要最小限度の武力行使は許されると解釈してきた「政府の基本的立場を踏まえた考え方」であると表明した。

 その上で、首相は限定行使論について「研究を進める」との基本的方向性を示し、与党にも議論を求めた。限定行使論が政府解釈と論理的に整合するかどうかは、与党協議会の中で検討される予定である。

 また、首相の問題提起には、自衛権行使に至らないグレーゾーン事態や、国連平和維持活動(PKO)に関わる問題も含まれているため、与党協議では安全保障全般が議論される。


集団的自衛権をめぐる司法判断や政府見解

①1959年の砂川事件判決
 個別、集団的を明示せず「自衛のための措置を取り得ることは国家固有の権能の行使として当然」と指摘。

②砂川事件判決での田中耕太郎最高裁長官補足意見
 他国の防衛に協力することは自国を守るゆえんでもある。

③1972年の政府見解
 自衛の措置は、武力攻撃によって国民の生命や自由が根底から覆される急迫、不正の事態に際し、国民の権利を守るための措置として容認される。

④1981年の政府答弁書
 自衛権行使は必要最小限度の範囲にとどまるべきで、集団的自衛権行使はその範囲を超えるもので憲法上許されない。


<芦田修正論とは> 集団的自衛権の行使も、多国籍軍参加も可能に

 芦田修正論は、憲法第9条の下でも集団的自衛権の行使ができるだけでなく、国連の国連平和維持活動(PKO)や国連安保理決議に基づく多国籍軍にも自衛隊は参加できるとする憲法解釈の基になった理論である。

 現行憲法を審議した帝国議会衆議院・帝国憲法改正案委員会(芦田均委員長)の小委員会(芦田均小委員長)で、第9条の第2項冒頭に「前項の目的を達するため」との文言が加えられた。これを芦田修正と言う。


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Q&A 集団的自衛権(上) 誰が誰を守るのか (公明新聞から)

2014-06-03 21:01:36 | Weblog


 公明新聞6月2日付記事を転載いたします。

  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇


 安全保障政策に閲し、安倍首相の要請によって「安全保障法制整備に関する与党協議会」が先月からスタートし、国会も集中審議を行った。その中で特に国民の関心を集めている集団的自衛権について解説する。<上>は国際社会における集団的自衛権の考え方を紹介する。


<武力行使の禁止> 自衛権は例外的措置

  集団的自衛権は誰が誰を守るために必要な権利なのか。

  自衛権は国家の権利で、国家が「自国を守る」ための権利を個別的自衛権、「他国を守る」ための権利を集団的自衛権という。

  日本国憲法のどこに書かれているのか。

  憲法には自衛権という言葉すらない。しかし、自衛権は国際社会の中で「国家固有の権利」として認められてきた経緯がある。憲法の条文になくても日本は国家として自衛権をもっている。

  憲法は「国権の発動たる戦争」と「武力による威嚇または武力の行使」を放棄している。なぜ、自衛権が認められるのか。

  憲法だけでなく、日本が加盟する国連も国連憲章で武力行使を禁じでいる。国連の武力行使禁止は85年前の不戦条約に源流があり、武力行使禁止の歴史は長い。そのため現在では、国際紛争における武力行使の禁止は国際法上の原則になっている。

  それなのに、なぜ自衛権を認めるのか。

  国家が他国から一方的に武力攻撃や武力侵略を受けた場合、それを阻止する手段はやはり武力しかないからだ。自衛権は自衛という条件の下で例外的に行使が認められている。

  国連憲章も例外的に認めているのか。

  そう。国連は集団安全保障【別掲記事参照】という制度によって加盟国の安全を守っている。この制度では侵略があった場合、国連軍が侵略国を武力制裁する。

 しかし「国連軍が動き出すまで時間がかかるため、それまでの間に限って加盟国に個別的・集団的自衛権の行使を認めた。日本も憲法上、国連憲章上、武力侵略に対する例外的措置として個別的自衛権は行使できる。しかし、集団的自衛権については憲法上、行使できない。


<他国防衛の権利> 厳格な発動要件は不在

  集団的自衛権の行使ができない理由は。

  憲法の「戦争の放棄」「戦力の不保持」「交戦権の否認」の規定を総合的に考えると、一方的で不正な武力侵略を受けた場合に発動できる「自国を守る」個別的自衛権の行使が限界であり、「他国を守る」集団的自衛権の行使まではとてもできない。

  集団的自衛権の行使で何ができるか。

  集団的自衛権行使の主な例【下の表参照】を見ると、「武力侵略を受けた国を助けるための武力行使」という単純な図式だけで行使されたわけではないことが明らかだ。

 「プラハの春」はチェコスロバキア(当時)の民主化運動という国内問題を鎮圧するため、ソ連(当時)が同国を守るためだとして集団的自衛権を行使した。

 1980年の「アフガニスタン侵攻」の場合もアフガニスタンは他国の侵略を受けていなかったため、ソ連による集団的自衛権の拡大解釈に批判も起こった。

 2001年の「アフガニスタン攻撃」も特異だ。同時多発テロを受けた米国が、テロリストを支援したとの理由でアフガニスタンを攻撃。そのアフガニスタン攻撃を英国などが集団的自衛権で応援した。


  集団的自衛権行使の明確な基準はあるのか。

  国際的に一致した解釈論がないため、現実政治の中でさまざまな理由を付けて行使されてきた。そのため、集団的自衛権の行使が、自国と密接な関係にある「他国を守る」ためだけでなく、「他国への軍事介入」にも使われる可
能性もあり、集団的自衛権の行使によって「他国の戦争に巻き込まれる」との懸念も生じている。

 集団的自衛権は「攻撃を受けた他国の安全と独立が、自国にとって死活的に重要な場合」に行使できるという解釈が国際法上の通説になっている。しかし「死活的に重要」だけでは曖昧で、厳格な要件とは言えないとの批判もある。


<主な集団的自衛権行使の事例> ※西暦年は国連に報告された年

   (事 例)     (行使国)     (支援された国・地域)
 ① ベトナム戦争   米国、オーストラリア、 南ベトナム
   (1965年)    ニュージーランド

 ② プラハの春    ソ連          チェコスロバキア
   (1968年)

 ③ アフガニスタン  ソ連          アフガニスタン
   侵攻(1980年)
 
 ④ 湾 岸 戦 争    米国、英国       ペルシャ湾地域     
  (1990年)

 ⑤ アフガニスタン  英国、フランス、    米国
   攻撃(2001年)  オーストラリアなど


<紛らわしい用語――集団的自衛権と集団安全保障の違い>

 「集団的自衛権」と「集団安全保障」は、全く別物である。

 現在、一般的に言われているのは「国連の集団安全保障」であり、国連が加盟国の安全を守るためにつくった制度である。

 一方、集団的自衛権は国連が加盟国に緊急時の例外的措置として認めた、自衛のための権利のことである。

 まず、国連の集団安全保睡を説明する。国連は全ての加盟国に武力行使を禁じる。その上で、A国(加盟国でも非加盟国でも可)が加盟国のB国を侵略した場合、国連が加盟国の軍隊で構成する国連軍を組織し、A国に対して「国連による制裁(武力制裁)」をし、侵略を排除する制度である。

 国連軍が動くまでの間、B国は武力行使禁止の例外的措置である個別的自衛権を行使して単独で反撃するか、または、関係の深い国に集団的自衛権の行使を要請し、共同で反撃することができる。

 このように集団的自衛権は国連の集団安全保障の中で認められた権利である。しかし、同盟関係を支える権利としても理解されている。

 A国と同盟関係にあるB国がC国の攻撃を受けた場合、A国は集団的自衛権の行使でB国を守ることができる。


<紛らわしい用語――自衛権と警察権の違い>

 自衛権と警察権の違いは明確である。自衛権は他国からの武力攻撃を排除するための「国家固有の権利」であり、警察権は公共の安全と秩序を維持するための「公権力」である。自衛権は自衛隊が担い、警察権は警察組織や海上保安庁などが担っている。


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