■森友学園のウルトラ保守教育方針
昨年春ごろまでは森友学園の「瑞穂の國記念小學院」ホームページがありました。いつごろ削除されたのか、今はありません。
ホームページには「教育の要」という表題の教育方針が11項目掲載されていました。そのうちの1~5を下に再掲します。
① 天皇国日本を再認識。皇室を尊ぶ。伊勢神宮・天照大御神外八百万神を通
して日本人の原心 (神ながらの心)、日本の国柄(神ながらの道)を感
じる。
② 愛国心の醸成。国家観を確立。
③ 教育勅語素読・解釈による日本人精神の育成(全教科の要)。
④ 「大學」素読による人間学の習得。
⑤ 大祓詞(おおはらえのことば)・般若心経朗唱 宗教的情操の育成。
※大祓式は6月30日と12月31日、宮中や伊勢神宮をはじめ、全国の神社でおこなわれる。
森友学園の塚本幼稚園のホームページ「教育内容」の項には、戦前の「教育勅語」の原文と口語訳文を掲載していました。そして園児には、「教育勅語」と「五箇条の御誓文」を朗誦する教育をしていました
天皇・皇后ほか皇族来阪の折には、園児こぞって日の丸手旗を振って奉迎していました。大阪の海軍慰霊式に毎年参加して、海上自衛隊の礼式・ラッパ吹奏のあと、園児鼓笛隊が演奏していました。今では塚本幼稚園のホームページの内容にも変化がありますが、皇室奉迎や海上自衛隊の関係行事の写真は変わらずに見ることができます。
■安倍昭恵夫人始めウルトラ保守共同体が森友学園の小学校実現を期待した
森友学園のこういう教育方針を歓迎して、籠池理事長(当時)の小学校建設の夢を後押ししていた政治家や有名人士がたくさんいました。籠池氏は大阪維新の府会議員とはつながっていましたし、その延長線上で橋下徹氏や松井府知事とも人脈がつながっていました。
自民党参院議員鴻池祥肇(よしただ)氏はその一人で、維新の地方議員の紹介で頼ってきた籠池氏の陳情に応えて、豊中市国有地の取得が円滑に進むよう世話をしていました。鴻池議員は2017.3.1.記者会見で、森友学園の教育方針に感じたと話していました。
塚本幼稚園のホームページの「教育講演会」の項では、講演者として多くの有名人士が紹介されています。ほとんどが、名だたる保守系の人たちです。大阪の一隅、JR塚本駅近くの一幼稚園にこれだけの有名人が講演に訪れるということは珍しいことでしょうが、この人たちは園児たちの教育勅語暗誦に感激する思想傾向の人ばかりです。
この人たちが塚本幼稚園を訪れてスピーチをするには、籠池氏の強い要請だけでなく、毎朝大きな声で教育勅語を暗誦するような小学校建設に期待して応援する気持ちが強かったものと推測します。上掲の5項目の教育方針を塚本幼稚園で実行していたのですから、講演者たちは塚本幼稚園と同じ教育方針の、全国でも珍しい小学校の実現にを期待をかけたたことでしょう。
安倍昭恵夫人がこの塚本幼稚園に感激していたありさま、姿がユーチューブの動画に残されています。動画を見ますと、昭恵夫人が塚本幼稚園のありかたに感激し応援していたことがよくわかります。動画からは、昭恵夫人の話を聞いて安倍首相も森友学園の小学校実現に期待していたであろうことも見てとれます。
(参照クリック・安倍昭恵夫人 塚本幼稚園訪問)
2017(H26)年4月塚本幼稚園 昭恵夫人が涙「森友学園」で感動した その1
→ 後にユーチューブ削除されました
2017(H26)年4月塚本幼稚園 昭恵夫人が涙「森友学園」で感動した その2
2017(H26)年4月塚本幼稚園 昭恵夫人が涙「森友学園」で感動した その2
→ 後にユーチューブ削除されました
2015(H27)年9月5日塚本幼稚園 安倍昭恵講演会1 → 後にユーチューブ削除されました
2015(H27)年9月5日塚本幼稚園 安倍昭恵講演会2 → 後にユーチューブ削除されました
2015(H27)年9月5日塚本幼稚園 安倍昭恵講演会3 → 後にユーチューブ削除されました
塚本幼稚園で講演した有名人士、関わりのあった地方政治家、国会議員、安倍首相夫妻らはいずれも、70年前の敗戦とアメリカ占領政策によって日本の良さが失われたので、戦前回帰型の天皇中心戸主制日本、強い軍事力を持つ日本を取り戻さなければならないと考えている人たちです。
彼らは塚本幼稚園の教育方針に深く共感し、その路線で教育を行う現代日本に稀有な小学校の実現を期待していました。
こうした人たちと籠池理事長(当時)は、この点で「同志」と言ってよい関係でした。しかし籠池氏の強引な進め方によって事態は暗転します。国有地破格値売買が国民の知るところになりました。
同志的立場で声援してきた有名人士も政治家も、それまでの籠池氏との関係を一様に断ち切りました。まさに、沈む船から逃げることネズミの如し。
手のひらを返して逃げ出した人たちの筆頭が安倍首相夫妻です。安倍首相は今、奥さんを森友問題から守るために、ひいては自分の権勢を守るために、「森友問題で自分たちが批判されるのは、朝日新聞のデマ報道のおかげだ」という趣旨の、国会答弁をくり返しています。
安倍首相夫妻に反旗を翻した森友問題の人間関係の構図は、収監されて孤立している籠池夫妻とウルトラ保守共同体との「仲間割れ」、あるいはその共同体社会からの「籠池追放」というのが事の本質です。
国有地破格値処分に関係した官僚たちは主犯の責任を負うべきですが、こういうウルトラ保守共同体人間関係、安倍政治権力関係の犠牲者でもあります。
森友問題が大阪の橋下前知事・松井現知事の下での規制緩和行政に発しているように、加計学園獣医学部新設問題は国家戦略特区という安倍首相直率の規制緩和政治によって合法性が与えられました。
昨今の国会で露顕した裁量労働制の審議データを政府が作為していた問題は、森友・加計と同じように、たとえ無理難題の要請であっても、事実を隠したり事実を曲げたりして政権に迎合する体質が今の官僚機構、行政組織にまん延していることの証左でしょう。安倍政権の悪です。
安倍政権は憲法9条解釈を変更する前の準備段階で、抵抗する可能性のある内閣法制局を抑えるため、その法制局長を取り換えました。政府の機構、組織が安倍政権によって蝕まれています。傷んでいます。
■森友学園の塚本幼稚園で講演した人たち
塚本幼稚園の教育講演会で講演した人たちを下に書いておきます。この人たちは森友学園の小学校実現に声援を送っていた人たちです。
2008(H20).01.26. 昴地三郎
06.22. 米長邦雄
11.15. 中山成彬(政治家)
2009(H21). 05.09. 田母神俊雄(元航空自衛隊幕僚長)
05.26. 松浦光修(みつのぶ)(皇学館大学国士学科教授)
06.14. 村上和雄(遺伝学者・筑波大学名誉教授)
2010(H22). 06.26. 藤尾秀昭(致知出版社社長)
2011(H23). 05.07. 竹田恒泰
06.19. 古庄幸一(元海上自衛隊幕僚長)
11.03. 櫻井よしこ
2012(H24). 05.12. 中西輝政(京都大学名誉教授)
10.27. 渡部昇一
2013(H25). 05.25. 竹田恒泰
06.22. 青山繁晴(政治家)
09.21. 平沼赳夫(政治家)
2014(H26). 04.26. 曽野綾子
09.20. 土屋秀宇(NPO漢字教育振興協会理事長)
10.04. 桜井 進(数学の先生)
2016(H28). 06.11. 藤波源信
2015(H27)年9月5日塚本幼稚園 安倍昭恵講演会1 → 後にユーチューブ削除されました
2015(H27)年9月5日塚本幼稚園 安倍昭恵講演会2 → 後にユーチューブ削除されました
2015(H27)年9月5日塚本幼稚園 安倍昭恵講演会3 → 後にユーチューブ削除されました
塚本幼稚園で講演した有名人士、関わりのあった地方政治家、国会議員、安倍首相夫妻らはいずれも、70年前の敗戦とアメリカ占領政策によって日本の良さが失われたので、戦前回帰型の天皇中心戸主制日本、強い軍事力を持つ日本を取り戻さなければならないと考えている人たちです。
彼らは塚本幼稚園の教育方針に深く共感し、その路線で教育を行う現代日本に稀有な小学校の実現を期待していました。
こうした人たちと籠池理事長(当時)は、この点で「同志」と言ってよい関係でした。しかし籠池氏の強引な進め方によって事態は暗転します。国有地破格値売買が国民の知るところになりました。
同志的立場で声援してきた有名人士も政治家も、それまでの籠池氏との関係を一様に断ち切りました。まさに、沈む船から逃げることネズミの如し。
手のひらを返して逃げ出した人たちの筆頭が安倍首相夫妻です。安倍首相は今、奥さんを森友問題から守るために、ひいては自分の権勢を守るために、「森友問題で自分たちが批判されるのは、朝日新聞のデマ報道のおかげだ」という趣旨の、国会答弁をくり返しています。
安倍首相夫妻に反旗を翻した森友問題の人間関係の構図は、収監されて孤立している籠池夫妻とウルトラ保守共同体との「仲間割れ」、あるいはその共同体社会からの「籠池追放」というのが事の本質です。
国有地破格値処分に関係した官僚たちは主犯の責任を負うべきですが、こういうウルトラ保守共同体人間関係、安倍政治権力関係の犠牲者でもあります。
森友問題が大阪の橋下前知事・松井現知事の下での規制緩和行政に発しているように、加計学園獣医学部新設問題は国家戦略特区という安倍首相直率の規制緩和政治によって合法性が与えられました。
昨今の国会で露顕した裁量労働制の審議データを政府が作為していた問題は、森友・加計と同じように、たとえ無理難題の要請であっても、事実を隠したり事実を曲げたりして政権に迎合する体質が今の官僚機構、行政組織にまん延していることの証左でしょう。安倍政権の悪です。
安倍政権は憲法9条解釈を変更する前の準備段階で、抵抗する可能性のある内閣法制局を抑えるため、その法制局長を取り換えました。政府の機構、組織が安倍政権によって蝕まれています。傷んでいます。
■森友学園の塚本幼稚園で講演した人たち
塚本幼稚園の教育講演会で講演した人たちを下に書いておきます。この人たちは森友学園の小学校実現に声援を送っていた人たちです。
2008(H20).01.26. 昴地三郎
06.22. 米長邦雄
11.15. 中山成彬(政治家)
2009(H21). 05.09. 田母神俊雄(元航空自衛隊幕僚長)
05.26. 松浦光修(みつのぶ)(皇学館大学国士学科教授)
06.14. 村上和雄(遺伝学者・筑波大学名誉教授)
2010(H22). 06.26. 藤尾秀昭(致知出版社社長)
2011(H23). 05.07. 竹田恒泰
06.19. 古庄幸一(元海上自衛隊幕僚長)
11.03. 櫻井よしこ
2012(H24). 05.12. 中西輝政(京都大学名誉教授)
10.27. 渡部昇一
2013(H25). 05.25. 竹田恒泰
06.22. 青山繁晴(政治家)
09.21. 平沼赳夫(政治家)
2014(H26). 04.26. 曽野綾子
09.20. 土屋秀宇(NPO漢字教育振興協会理事長)
10.04. 桜井 進(数学の先生)
2016(H28). 06.11. 藤波源信
(延暦寺大阿闍梨 千日回峰行達成者)
09.20. 百田尚樹
■安倍昭恵夫人の森友学園への共感ぶりを示している証拠動画と講演
次に、たいへん長い文章になりますが、安倍昭恵夫人の2015(H27).09.05.塚本幼稚園(森友学園)講演を記載します。上に記載しているユーチューブリンク動画と共に、安倍昭恵夫人と森友学園の親密な関係を証するものです。
昭恵夫人の第一部講演、第二部講演の冒頭で、「安倍晋三記念小学校」という校名を断った後に「瑞穂の國記念小學院」という校名になったと経緯を話しています。第二部講演では、「瑞穂の國記念小學院の発展を主人も私も望んでいます」と話しています。
昨年12月ごろから、朝日新聞が校名を「安倍晋三記念小学校」と報道したことで、安倍首相がそのために大変被害を受けたとして、安倍首相本人と安倍応援群の議員、雑誌などが朝日新聞の責任を追求しています。
しかし、校名が「瑞穂の國記念小學院」ということを安倍首相夫妻が当事者として確実に知っているということが、上の動画と下に記す昭恵夫人講演でよくわかります。
さらに、安倍首相や麻生財務相が指示すればいつでも開示できるはずの「開成小学校」文書を昨年11月まで不開示のままにしていたことそのものが疑惑を呼びます。「安倍晋三記念小学校ではないのか」と疑われたと朝日新聞や民進党議員を攻撃する前に、「開成小学校」文書を開示すれば、即、問題は解決する。なぜ開示を急がなかったのか?
そして一般によく知られている報道は、籠池理事長(当時)が一時、「安倍晋三記念小学校」名を使って寄附金を募っていたという事実です。これは籠池氏の評判を下げるもので、むしろ安倍首相は被害者であり、安倍首相が何か悪いことをしたという事実ではありません。
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2015(H27).09.05.塚本幼稚園
安倍昭恵夫人講演
<第一部講演 安倍昭恵夫人(瑞穂の國記念小學院名誉校長)>
■主人もここの教育方針は素晴らしいと思っている
■『安倍晋三記念小学校』の名前は総理を辞めてからにしてほしい
ご紹介を頂きました、安倍晋三の家内の安倍昭恵でございます。今日は、お招きを頂きまして有難うございました。籠池園長、副園長の本当に、熱い熱い思いを何度も聞かせて頂いて、この「瑞穂の國記念小學院」に何か私もお役に立てればいいなぁと言うふうに思っておりました。
実は昨日、あのぉ主人は「ミヤネ屋」という番組と「そこまで言って委員会」というのを、そちらは収録ですけれども、そのために大阪に来ておりました。
まぁ時間があればですね、ぜひこちらにも寄らせて頂きたいというふうに言っていたんですけれど、残念ながらトンボ返りですぐ東京に戻りましたけれども、こちらの教育方針が大変、主人も素晴らしいというふうに思っていて、(籠池)先生からは『安倍晋三記念小学校』に、という名前にしたいというふうに当初は言って頂いていたんですけれども、主人が『総理大臣というのは、いつもいつも良いわけではなくて、時には批判に晒されることもある』と、『その時に、自分の学校の名前が「安倍晋三」という名前が付いていると、もしかすると、色んなところからその名前によっていじめにあったりすることがあるかもしれないし、色んなことで学校側も「なんで今この名前を付けたのか?」というふうに責められるかもしれないので、もしお名前を付けて頂けるのであれば、総理大臣を辞めてからにして頂きたい』ということで、そして、それをご理解頂いて籠池園長が「瑞穂の國記念小學院」という本当に素晴らしいお名前を付けられました。
――中略――
■幼稚園で培った「芯」が公立学校で揺らぐのは残念。小学院で太くしていくことが大事
こんなに小さな子たちが、あんな暗唱を出来るというのは、私はここに来て初めて見ました。
いつも、私たちがやっているのは、ちゃんとその、論語の本があって、それを大きい声で、まぁ大人であっても読むんですね。子供たちと一緒にやることもありますけど、皆で読むんですけども、こんなふうに子供たちが、それも先程のご説明で、強制されるのではなくて、自ら「覚えたい」と思って覚える。一体、何なんだろうなぁと。
やればきっと、どんな子供でも出来るんだろう。これを全国に本当に広めて行くと、日本人としてこう、芯の整った子供たちというのが沢山育つんじゃないかな、と思いました。
この幼稚園でやっていることが、本当に素晴らしいんですけれども、それが、この幼稚園で終わってしまう。
ここから普通の公立の学校に行くと、普通の公立の学校の教育を受ける。せっかく、ここで芯が出来たものが、また、その学校に入った途端にこう、揺らいでしまうということが先生(※籠池氏の方を指し示し)は凄く残念がっておられたので、ここで培ったものを、瑞穂の國記念小學院に入って、またさらにその芯を、こう、出来たものを太く太くして行くということが、きっと大事なんだろうというふうに思います。
■主人も私も、天命・使命をいただいている
私は、今、ここでこうして話させて頂いていますけれども、自分自身はもう本当に一生懸命に勉強してきたタイプでもなくてですね、偉そうに教育を語れるとは全く思っていませんが、まぁたまたまですね、安倍晋三と出会って結婚して、主人が一度総理をし、そしてまた、二度目も、あり得ないと言われていた二度目の総理大臣もした、ということで主人自身も大きな天命を頂き、そして私もなにか使命を頂いているんだろうなというふうに思っているので、こうして「話をして下さい」と言われて頼まれた時にはですね、何かひとつでも自分の経験からでも皆様方に、お伝えすることが出来ればいいなというふうに思ってお受けしているところです。
――中略――
■主人が二回目の総理になったのは神様から大きな使命をいただいたから
でも、人間は、私は、無駄な経験はひとつもないんだろうなというふうに思っていて、その時の経験も今になれば私にとって必要な経験で、そのことがあるからこそ、人に優しくなれたりとか、まぁそういう人の笑顔を見ても、涙が出るような、そういう状況の人たちの気持ちが分かったりとか、なんとなく自分の人間が少し幅広くなったのかな、というような気はしています。
主人自身もですね、その時の経験があって、悔しい思いがあって、その後、なんとしてももう一度たぶん、総理大臣に戻って自分がやりたいと思った憲法改正等々を、もう一度自らの手でやりたいというふうに思って、努力を重ねて来たんだろうな、というふうに思っています。その5年間というのは、主人も本当にあの、毎日のように色々と努力をしていました。座禅に行ったりとか、ランニングをしたりとかですね、また、色んな人に会ったりとか、自分だったらどういうことをしたいかとか書き綴っていたりとか。
でも私は、もう今、主人が二回目の総理であるのは、先程も申しましたけれども、まさしくこれは「天命」である、というふうに思っています。
先程、籠池園長とお話をしておりましたら、園長もご病気をされて入院をされておられたと。ちょっとでも発見が遅れたら大変なことになっていたかもしれない中で、私は「生かされたんですね。」とお話を申し上げましたけれども、まさしく主人も病気でありながらも、そうやって生かされて来ている、ということは何か神様から大きな使命を頂いて、「これをやりなさい」ということなんだろうなというふうに思っていますし、私自身もそのような何かかしらのお役を頂いているんだろうなぁというふうに思っています。
■安保法案に反対してデモをしても決して平和にならない
今、安保法案等々でですね、本当に大変な時を、まぁここを乗り切らなくてはいけないという時なんだと思います。私は非常に幅広くですね、思想的に言えばものすごい右の人からものすごく左の人まで、どんな人とでもお付き合いをしたいと思っているので、デモに参加をするようなタイプの人たちとも、実は、普通の生活の中ではお友達だったりとか、親しくお付き合いをしたりとかすることもあるんですね。まぁそういうことがまた何か、あの、週刊誌は書きたいとまた思っているみたいなんですけれども。
でも、今の、私の考えは、こう何が平和にならないのか?というと、色んなものが対立していってしまうことが問題なんだろう、というふうに思っていて。あの、『戦争反対』というのはみんな反対、だと思うんですけれども、それをデモをして、「ハンタイ!ハンタイ!」って言ったからと言って決して平和にはならない、というふうに思っているので、平和にしたいんだったらじゃあ、「どうして、どうやって平和を作っていったら良いのか?」ということをやっぱり、みんなで考えて行かなくてはいけないんだろうと思います。
■安保法案は独立した本当の日本を取り戻すためのもの。「戦争法案」ではない
もちろん、主人は戦争をしようと思ってあの法案を通そうと思っているわけでは絶対ないことは、もちろん皆さんがよく分かって下さっているんじゃないかなというふうに思っているんですけれども、まぁマスコミも、今日はテレビも入っておられますが(笑)、マスコミや一部の方たちはもう「戦争法案」である、というふうに言われて、それを煽り立てて行くことによって若いお母さん達は、「うちの子供を絶対に戦争にやるわけには行かないから、この法案を通してはいけないんだ!」っていうふうに思われます。
その、戦争、本当に戦争法案だったらもちろん反対して頂きたい、というふうに思うんですけれども、これは本当にそんなことではなくて。
私はあの、日本という国がですね、やはり戦争に負けて、その後、それまでの日本とはやはり精神性が変わって来てしまっているところがあるのではないかというふうに思っていて。本当の独立した日本を、主人は取り戻したい、「ニッポンを取り戻す」と言っているのは、まぁそういうことなんだろうというふうに思います。
(注) 何よりも先に「日米地位協定」の改定に着手してほしいですね。
その中で、いかにこの、独立をきちんと、独立国家としてきちんとこう、立ち位置をこう、置いていくかという時にですね、やはりあの、順番にあの色んな段取りがあるんじゃないかな、と。私は難しいことはよく分からないので、ですし、私は選ばれた者ではないので、政治をそんなに語る資格もないと思うんですけれども、主人は、選挙で選ばれていて、そして総理に選ばれていて…。で、国がこういう方向に向かって行く、べきであるという、そういう強いビジョンや信念を持って今政治をしていると思うので、どうか皆様方にはご理解を頂きたいと思います。
■世界のどの国に行っても「日本は素晴らしい」と言われる
主人と一緒に、世界中色んな所に私は行かせてもらっています。どんな国に行ってもですね、日本語を学び、日本の文化を学び、本当に日本を愛している人達が、たっくさん(沢山)います。
日本は世界の嫌われ者なのではないかというふうに思っている方たちもいるみたいなんですけど、決してそんなことはなくて、特に途上国の人たちはですね、なんとか日本みたいになりたいと、お手本にしています。
(注) 世界のきらわれ者ではないかと劣等感を持つ日本人が多くいるとは思えません。わたし
は高校の育友会長をした経験がありますが、保護者の皆さまやそのお子さまからそんな様
子を感じたことがありません。450世帯の自治会長経験ほかの人づきあいの経験でもそ
んな様子を見聞したことがありません。安倍首相夫妻はなにかにつけて、「嫌われている
のではないか」という被害者意識とか猜疑心が強いのではありませんか。
勤勉で、そして本当にあの、美しく、美しい国でありますし、何もかもこう整っていて、時間は全て正確だし。こんないい国は、治安はいいし、こんないい国はないと。「え、なんで日本はそんなふうに発展出来たんですか?」と。「日本のようになりたい」、「日本に学びたい」、私は世界中で多くの人達に言われました。
で、「日本の素晴らしさって何なんだろう?」と、その度に思っていますし、一回も日本に来たことがない方たちにですね、「本当に日本って素晴らしい国なんですね、私も行ってみたいです。」と言われると、今、ものすごい大きな憧れをもってこの日本にやってきた人たち、「あ、やっぱり自分が思っていたとおり、いい国だった」って、私たちは胸を張って言えるんだろうか、ちょっと不安にもなります。堂々とですね、日本は、「素晴らしい国なんですよ!」って、ひとりひとりが日本に誇りを持てるような、そんな国づくりをしていかなくてはいけないんだろうなというふうに思います。
(注) わたし達が日本に誇りを持っていないと、なぜ、勝手に決めつけるのでしょうか。そん
な情緒的なことよりも、安倍政権がやるべき優先課題は、派遣社員、契約社員、正社員な
どの階級身分化。所得格差増大、金融資本主義下で拡大する超富裕層への富の集中――
これらの是正と富の社会的再配分のやり直しなど、国民生活の安定への道筋をつけること
でしょう。今、国民のどの世代においても将来生活への不安がつきまとっています。
――中略――
■今までの教育はよかったが、最近は自分のことばかり考える人が増えている
その日本の今まであった教育というのはですね、確かに素晴らしい物であったし、そういうところに活かされているんだろうなあというふうに思いますけれども、でも、残念なのはやはり、自分のことばっかり考えている人がだんだん増えているのかな、という気もします。
――中略――
■瑞穂の国記念小学院で、日本の国を誇りに思える子供たちに育ってほしい
え~、ちょっとそろそろ時間だと思います。まぁ、なにか取り留めもなく、え~、話しをして来ましたけれども、あの、この瑞穂の国記念小学院が、無事に開校することによってですね、そうした、あの、感謝の気持ちをもって、人の気持ちの分かる、そして、え~、日本人として、日本に生まれた者として、この日本の国を誇りに思えるような、そんな子供たちが沢山育って行って欲しいと思います。
■平和とは、自分の心の中の平和から。信念と誇りを持つことが大事
あの、平和、また平和の話しに戻ります(笑)。平和はですね、まずは、やはり私は、外にあるんではなく、まずは自分自身の心の中の平和なんだろう、というふうに思っています。そして、自分の家族であったり、地域であったり、学校であったり、自分の属する組織、そして、まずは自分の国の、この国の中、が平和になって、それから、こう、外に向いて行く。平和になることはやはり、信念を持って誇りを持つことが一つ大事なのではないかなというふうに思っています。
――中略――
え~、本日はあの、お招きいただきまして有難うございました。本当にあの、なんかダラダラと、あの、皆さんの心に届いたかどうか分かりませんけれども、あの、一時間お話をさせて頂きまして有難うございました。今後ともどうぞよろしくお願い致します。(終)
※深くお辞儀をして、昭恵夫人は舞台向かって右袖のパイプ椅子に着席する
替わって籠池泰典園長がスピーチを始める。
<第一部 籠池園長スピーチ>
はい、皆さんこんにちは。ええ今、ええ、内閣総理大臣夫人の安倍昭恵先生にですね、ええ、瑞穂の國記念小學院の名誉校長に成っていただいたということをご報告申し上げました。拍手してください。
(昭恵夫人が席を立って頭を下げて着席する)ありがとうございます。ありがとうございます。今、いろいろとお話をうかがいましたけれども、これだけの博識なですね、識見の高い、またねらいをまとめてらっしゃるご婦人がですね、やっぱりもっともっと外に出て行っていたあきたいという風に思っております。
(注) この講演で籠池園長は、―小学校と呼んだり、―小學院と呼んだりしている)
あのう、先ほどお話うかがいましたけども、瑞穂の國記念小學院は本来は瑞穂の國安倍晋三記念小學院という名前を銘打たせていただく予定でありましたけれども、ご夫人、ええ名誉校長の方からおっしゃっていただいた趣旨で、瑞穂の國記念小學院という名前でおさまっています。
やはり瑞穂の國、日本の国を支えていく人材作りということをめざして参りました。そして幼稚園だけではもったいない。小学校につづく、そして中学校につづく子どもさん方を大いに育成しないとわが国はもたないということであります。
――中略――
瑞穂の國記念小学校はわたくしが建てるのではなくて、天命によって建てる。吉田松陰先生がよくおっしゃってます。死生にして終わらざれば未だ非ざるなり。死生観を持たないと日本の国は良くならないんだ。その死生観と言えば、子供さん方から続けていかないと。大人になって死生観、死生観と言っても遅いんです。小ちゃな子どもさんのうちに死生観を持つ。そして誠心を持ち、志を尊び志を貫徹するということなんです。誰のために? 人さまのために、ということです。
人さまのために、国家のために、人さまのために。天皇陛下から申しますと、悪い人もいい人も赤子(せきし)です。みな、みな、子どもなんです。悪いことやってる人も日本の国民だよと、天皇皇后陛下はおっしゃいます。みな、いっしょなんです。でもその中で至誠を持って動かしていく。その中には選ばれた人たちになります。その選ばれた人たちがこの国を動かしていくことになります。
皆さん方の子どもさんは選ばれた子どもさんです。ですから瑞穂の國記念小学校にお越しいただいて、そしてしっかりとしたわれわれの教育を受けていただいて、まさに立派な子どもさんにさしていただく。それがわたしが天から受けた天命であります。
――以下、略――
<第二部 籠池園長スピーチ>
皆さんこんにちは。もう出にくいなか、ようおいでくださいました。まことに恐縮であります。きょうはほんとに秋というような感じですけども、まだまだ夏の根、ああ、光が残ってるような今日でございますけども、もうわたくし共、瑞穂の國記念小學院の方ではですね、わたくしが、この瑞穂の國記念小學院の総裁、籠池泰典ということになっています。そして今、ええ、お控えいただいております安倍内閣総理大臣夫人、安倍昭恵さまには名誉校長ということでご就任をいただいております。
拍手をひとつ、よろしくお願いいたします。(拍手。昭恵夫人は舞台向かって右袖パイプ椅子に着席している)
ええ、われわれの学校の方向性というのは、やはり日本国というものを再確認するんだということが子どもさんの実証だと認識しているんです。そしてそれはわが国を発達興隆さしていく、ええ隆昌に向かわしていくということであらねばなりません。ええ、子どもさんにはいろんな知識、当然必要でありますけれども、国家観、当然当たり前のことであります。
――中略――
わが国は、ええ、皇紀で行きますと2675年。世界で一番長い歴史の国であります。この神武天皇以下、神武天皇から培われた心。それが聖徳太子の十七条の憲法になり、そして神皇正統記(*じんのうしょうとうき。籠池氏はこれを「じんぐうしょうとうき」と言った)の北畠親房公の言葉になり、そして明治天皇陛下の五か条の御誓文になり、そして教育勅語に発祥(?)されてきております。それが曳いては昭和天皇陛下の終戦の詔勅の方まで入っております。
この心を心として、わが国を活性化させる。そしてわが国民というよりもわが日本民族のですねえ、気持ちを固めていくというのがわが瑞穂の國記念小学校ということであります。
――中略――
はい、ありがとうございます。わたくしのあいさつは冒頭これでいいですか(司会の方を見て)? はい、では、ええ、われわれの瑞穂の國記念小學院名誉校長、ええ、内閣総理大臣夫人、安倍昭恵先生にただ今からご講演をお願いします。拍手でお迎えください。よろしくお願いします。(拍手)
<第二部講演 安倍昭恵夫人(瑞穂の國記念小學院名誉校長)>
■名誉校長として素晴らしい小学校をお手伝いしたい
■『安倍晋三記念小学校』の名前は総理大臣を辞めてからにしてほしい
(※保護者一同の拍手の中、降壇した籠池園長と、互いに深いお辞儀を交わし、昭恵夫人が登壇。)
皆さんこんにちは。ご紹介頂きました安倍晋三の家内の、安倍昭恵でございます。本日はお招きを頂きまして有難うございました。
瑞穂の国記念小学院、え~、来年開校予定だったのが再来年に延びたということでございますけれども、素晴らしい小学校が出来るということで、私もあの、名誉校長で私はいいのかしら?(笑)と、思いますけれども。あの、何か籠池園長、そして副園長のもう本当に熱い熱い、この国に対する、教育に対する思い。お手伝いできればなぁというふうに思っているところです。
ご存知かもしれませんけれども、最初この、あの、名前をですね、『安倍晋三記念小学校』、『瑞穂の国安倍晋三記念小学校』ということにしたいというふうに、籠池園長からお話をいただきました。本当に、名誉なことだと思いましたけれども。まぁ主人に申しましたところ、まぁ大変有り難いお話ではあるけれども、もし、あの、え~、安倍晋三総理の名前がですね、こう、もしかしたら子供たちにとって、負担になる時があるのかもしれない。いつもいつもその、安倍政権が、良い時ばかりではなくて、時には大きな批判に晒されることがあるかもしれない。ま、そんな時に、子供たちが、その、自分の学校の名前を、どういう風に思うだろうかと。できれば、この、総理大臣という立場が終わってから、その名前を付けて頂いた方が、みんなにとって良いのではないか、ということだったので、今回はご辞退をさせていただきました。
■主人も私も、「瑞穂の国小学院」の発展を望んでいる
でもあの、『瑞穂の国』というのは本当に素晴らしい、名前の小学校だなというふうに思って、この小学校が沢山の生徒さんたちが集まられて、ま、発展していったらいいなぁというのを、主人も私も望んでいるところでございます。今日はあの、朝から来させていただきました、あの、10時の会(*一部講演)の前にはですね、あの、園児さんたちが、ここに並んで大きい声で、「大学」を暗唱してくれました。
――略――
■塚本幼稚園の子供たちは凄い。その教育が幼稚園だけで終わってしまうのはもったいない
――略――
で、それをですね、でも、あんなにちっちゃい、もう本当にあの、普通の会話もちゃんと、普通だったら出来るのかしらというような子供たちが、あの難しいダイガクをですね、すらすらと朗々と、暗唱しているのを見てですね、あの、ほんっとうに、あの、すごいなぁと今日、改めてこの、塚本幼稚園の凄さを感じました。
そして、きっとあの子たちが毎日のようにその、言っているその言葉は、えー、細胞の隅々まで行き渡って、きっと、その、人間性を作っていくのに大きな役割を果たすと思うんですけれども、ここの幼稚園だけで終わってしまってはやはり、勿体無い。せっかくその、え~、まぁ子供の線が通ったのをですね、小学校へ行っても続けて行くことによって、太い、立派な芯、にしていってもらいたいなぁっていうふうに思って。え、この、えー、幼稚園から小学校に、こう、繋がって行くこの教育に大いに期待をしたいな、というふうに思っているところです。
■幼稚園には何度か来ているが、こんなにお行儀の良い子供たちには会ったことがない
私は、以前にも何回かここの、えー、幼稚園に来させていただきました。あの、私は、あの、いろんな幼稚園や小学校に行くこともありますけれども、これ程ですね、お行儀の良い子供たちにあったことがほんっとう(本当)に無いんですね。で、パッとこう帽子をとって、ものすごくきちんとご挨拶をして下さる。
まず、最近はですね、挨拶が大人でもきちんと出来ない、というのはね、本当に大きな問題であると思います。挨拶ってね、本当に、人間の基本で、えー、まぁ夫婦であっても、うちもその、毎日「おはようございます。」と言い合っているかなと思うと、あやふやなところもあるんですけれども(笑)。
でも、その、家族であっても夫婦であっても、まず、朝起きたら「おはようございます。」、えー、ご挨拶がきちんと出来るっていうのは基本なんだろうなと。この小さい子供たちから私は、あのー、ここで教わっているような気がいたします。
――中略――
■総理大臣が靖国神社を参拝してもいいのでは、と思っている
あの、沢山の人は本当は分かっていて、えー、主人にも、主人にもというか「日本の総理大臣には靖国を参拝をしてもらいたい」と、「靖国で会おうね」と言って、お国のために亡くなって行った方たちがそこで、その御霊が集まっているんだとすれば、まぁ総理大臣としては、私は、あの、(参拝しても本当は良いのかなぁ)というふうには思っています。
まぁいろいろあの、まぁ隣国との関係等々、ありますけれども、でも、本当は日本人としてはですね、うーん、(そこは、他の国を気にすることではないんじゃないかなぁ~?)と、私は個人的にはあの、思っている、ところです。
■外遊に同行してパプアニューギニアに 戦争中、日本兵はいいこともしているのに、メディアは報じない
パプアニューギニアという国に、あの、主人の外遊について行きました。えー、(※聴取不能ウエガクチー?)地方というところに行ったんですけれども、そこはですね、あの、そこの州知事さんというのは、パプアニューギニアの父と言われて、パプアニューギニアを作った元首相です。で、すごく日本に感謝をしていて、主人が行くということで、日本の総理が来られるってことでですね、その日、その地域をお休みにして下さいました。休日にしたんですね。
――中略――
で、なんでそんなに、えー、日本が好きなのか?パプアニューギニアでも、あの、十何万人の日本兵が亡くなっていて、その慰霊碑をお参りするというのが一番の、主人の目的だったんですけれども、えー、おそらく、まぁそこで戦闘が繰り広げられていたりすると、そこの地域の方々にはご迷惑もきっとお掛けしていたはず、なんですけれども、えー、大歓迎。私はその、元首相、州知事に、「なんでこんなにご迷惑をおかけしたかもしれないのに、歓迎して下さって日本のことが好きなんですか?」っていうふうに伺いました。
戦争と、その、人間は違うんだと。戦争は恨むけれども、決して日本人は、えー、恨むような人たちではなかったと。
で、そこに、えぇと…、ちょっと名前、忘れちゃったんですけど、ある日本の中将が来られて、で、子供たちのために学校を作ったそうです。えー、「当時そこの地域は、学校が一つもなくて、子供たちは全く読み書きも出来なかった。それが日本の兵隊さんが来て学校を作ってくれた。」と。
で、そこにその首相は通っていたそうです。で、そこで、えー、まぁ簡単な読み書きを習うようになって、少し英語も勉強したのかもしれません。少しの日本語も勉強したのかもしれません。で、学ぶということの素晴らしさを、えー、そこで学ぶことが出来たと。
で、「日本兵が撤退してしまうと、またその学校はなくなってしまったので、残念ながら僕たちは、また学校がない生活になってしまって、でも、学ぶことの素晴らしさを教えてくれた日本人には本当に感謝をしている。」という話を聞かせてもらいました。
で、そういう話っていうのはですね、そこのパプアニューギニアに行っている、取材をしている報道陣は聞いているはずですし、取材もしているはずなんですけれども、まぁほとんどのメディアは取り上げてくださらないんですね。
日本人が戦争中に悪いことをしたっていうことはいくらでも出すんですけれども、戦争中にもいろいろないい話も沢山あるんですね。それは「戦争を美化しているんだ。」ということで、えー、なかなかメディアに出て来ることはない。
でも、みんなが戦争に行きたかったわけではもちろんないけれども、でもそこで、えー、一生懸命、そこのためにも頑張っていた人たちもいるんだということは、事実として私は広くこの先も、伝えていくべきなんだろうなぁというふうに、そのパプアニューギニアに行った時に思いました。
――略――
■皆さんの要望を主人に伝えるのが私の仕事――被災地の防潮堤問題
私自身の、ちょっと戦争の話はもう終わりにして。えー、私自身の今の、活動を少しだけご紹介をさせていただきます。あの、いつもいろんなところで話をさせていただいているのが、あの、被災地の防潮堤の問題なんですね。
私は何度も被災地に入っていって、いろんな方とお話を伺って、そして、皆さんのご要望を主人に伝えるのが私の仕事だっていうふうに思っているんですけれども。
その中で、なかなかその、皆さんからの声があがらなかったんですが、私がふと(防潮堤ってどうなんだろうな…?)っていうふうに思って、で、ずうっと、その防潮堤問題を未だにこう、追いかけています。
えー、津波で沢山の方が亡くなりました。沢山の家屋も流されました。で、国はその、えー、防災として新しく高い防潮堤を国のお金で建ててもいいですよー、ということを決めたんですね。各県や、地方自治体、市は、それならじゃあ(高さの)高いものを建ててもらいましょうということを決めました。その、震災直後っていうのは、多くの方たちが怖い思いをしているので「高い防潮堤を建ててもらいたい」、それで「私たちの命を守ってもらいたい」と思ったのは当然だと思いますし、それを国が、全部作ってくれるなら、じゃあ作ってもらいましょうと決めた、県や市を責めるつもりも全然ないです。
もし、私がその場で市長だったらば、「あぁ、じゃあ、ぜひお願いします。」ときっと言っていたと思うんですけれども、でも今はもう、震災から4年以上経って、えー、高いところで14.7メートルもある、ビルで言ったら4、5階もあるような高いコンクリートで、海が覆われて見えなくなってしまって本当にいいんだろうか?もしかしたら、海の生態系がそれで変わってしまって、魚が捕れなくなってしまうかもしれない。次に津波が来た時は、津波が見えなくて、むしろ逃げ遅れるかもしれない。海の近く住んでいるという意識が失われて、危険なのかもしれない。
いろいろなことを考えるとですね、えー、そんなに高いもの、まぁ全てがそんな高いわけではないんですけれども、7メートルのところもあれば10メートルのところもあれば、まぁ低いところは5メートルのところもありますけれども。(※深く呼吸してから)もう一回、見直しても良いんじゃないかなと。全部を造ると、最初は8000億円と言われていたのが、まぁ今はどんどんあがって言って、1兆超えると言われています。
そのコンクリートの壁に、1兆円かけるんだったらば、まだまだ仮設住宅に住んでいる人たちも沢山いるんですから、そっちを先にするべきなのではないかと私は単純に思ってしまうんですけれども。その、予算が、えー、この防潮堤に付いた予算を、仮設住宅に回すわけにはどうやらいかないらしくて、えー、なかなかその、動かない問題なんですね。
■復興庁の政務官に、防潮堤に反対する人たちの話をぜひ聞いてほしいと頼んだ
で、先日、山本朋宏先生という、衆議院議員の若い先生が、まぁ違うことで私のところを訪ねて来て下さいました。で、その時に、彼は今、復興庁の政務官なので、「防潮堤を見に行こうと思うんですよ。」と。
で、私がずっと防潮堤の問題をやっているのをご存知なので、「防潮堤をみたい。」と復興庁に言ったら「見ないで下さい。」と言われましたと。で、本当に良い物を造っているんだったら、「政務官、ぜひ見て来て下さい!」というのが私は本当だと思うんですけど、「どうして見ないで下さいって言うのかしらね?」って言ってたんですね。で、えー、じゃ、「どうしても見に行きたい。」って言ったら、「普通の、えー、もの(既存の防潮堤?)を見て下さい。」と。で、『「(※聴取不能エルワン?)という高い防潮堤は見ないで下さい。」って言われました。』と。
で 、(どういうことなんだろう…?)って、それはやっぱり復興庁も、「高い防潮堤はおかしい、見てもらいたくない。」っていうふうに思っていることなのかなぁっていうふうに思いまして、えー今度、木曜日、金曜日で山本政務官は、えー、気仙沼、えー、陸前高田等々を、防潮堤を見て回るんですけれども。その時に、もちろん「復興庁からこの人に会って下さい、この人の説明を受けて下さい。県や市から出て来るご説明も十分に聞いて下さい」と、でも、私が普段お付き合いしているような『「防潮堤を造ってもらいたくない。」という普通の、一般の人たちの話もぜひ聞いて下さい。たぶん、復興庁は嫌がると思うけれども、政治家はやっぱり、私はそれが仕事だと思うので、そういう人たちの話も聞いて下さい。』と。
■総理の妻には、多少の発信力や影響力があっても、何の権限もない
私には、総理の妻で、多少の発信力や影響力があるにしても、私には何の権限もないので、今どうしていいか分からない。その、政務官の先生が、少し関わって下さることによって、きっと何か動いてくるんじゃないかなぁと思って、えー、私はとても期待をしています。
――中略――
■関わっている「高校生未来会議」で防潮堤問題を提案したら、高校生がアクションを起こしてくれた
で、そういう中でですね、高校生たち。今、『高校生未来会議』っていうのをやっていて、で、そこに私も関わらせていただいているんですけれども、全国の高校生たちが集まって、自分たちがあの、「こういうことが課題だと思う」ということを、えー、グループごとに別れて、話し合って、それを発表することをしています。もう今頃の高校生って、ほんっとうに(本当に)優秀でですね、すっばらしい(素晴らしい)、パワーポイントを使ったプレゼンをしてくれます。
で、その子たちが、防潮堤のことを私がまぁ、考えてもらいたいといって課題にあげた時に、えー、そして、何人かの子たちは、一緒に東北まで行って、現地を視察をしてくれました。で、やっぱり彼らも「これはおかしい!なんとかしたい!」。
大人の人たちはなかなかアクションに繋がらなかったんですけれども、高校生たちは、自分たちでその、防潮堤が出来て行く様子を写真に撮って、それをアーカイブ化して行きたいということを言ってくれました。そして、自分たちにしか、えー、出来ない、例えば、えー、その推進側の人たちへのインタビューみたいなものも撮りたいと。で、反対してる人たちの意見も撮ってきたいと。で、それを、みんなで共有して、えー、次、もし他の所で震災がまたあって、津波が起こってしまって流されるということがあるかもしれない。その時に、どういう復興をしていくか、と言う時に考える材料にしたい、ということを言ってくれています。
そして、住民、まぁあの、行政側は「説明会をしました。」というふうに言っているんですけれども「住民の合意形成は100パーセント取れています。」という所も実はあったんですけれども、全くあの、事実上はそうではなくて、あの、一部の人たちが合意をまぁ、上手くまとめたというだけの、だったので、住民の合意形成というのは一体何なのか?、あるいは民主主義って何なのか?、根本的に何なんだろうか?ということを考える、自分たちの教材にして行きたいというふうに言ってくれています(※コップの水を飲む)。
――中略――
■この国を誇りに思える子供たちを育てるために、瑞穂の国記念小学院を応援したい
そろそろ時間が来ましたけれども、この瑞穂の国記念小学校、来年、再来年、開校されるということで、本当にこの、あの、「国に生まれて良かった」というふうに思えるようなですね、あの、国にしていくために、主人も政治家として総理大臣としてこれからも頑張って行くと思いますし、えーまた、この学校においてもやはり、国に、この日本の国を誇りに思えるような、「いい国に生まれて良かったな」と。この国の良さをどんどん、この、ずうっと繋げて行かなくてはいけないというふうに思えるような子供たち、そしてそれをまた、この国だけのことにとどまらずに、世界中の人たちが平和になるために、えー、自分たちの力を使いたいと思えるような子供たちに育って行ってもらうために、私も応援をして行きたいと思いますので、どうか籠池園長ご夫妻にはお元気でですね(笑)、頑張っていただきたいなぁと思います(※満面の笑み)。今日はお招きを頂きまして、有難うございました。
(深く一礼後、コップの水を飲み、再び一礼。)
(保護者一同、拍手。)
(注) 昭恵夫人の講演記録はアキエリークスから採集しました。籠池氏スピー
チはユーチューブの講演動画から文字起こしをしました。
09.20. 百田尚樹
■安倍昭恵夫人の森友学園への共感ぶりを示している証拠動画と講演
次に、たいへん長い文章になりますが、安倍昭恵夫人の2015(H27).09.05.塚本幼稚園(森友学園)講演を記載します。上に記載しているユーチューブリンク動画と共に、安倍昭恵夫人と森友学園の親密な関係を証するものです。
昭恵夫人の第一部講演、第二部講演の冒頭で、「安倍晋三記念小学校」という校名を断った後に「瑞穂の國記念小學院」という校名になったと経緯を話しています。第二部講演では、「瑞穂の國記念小學院の発展を主人も私も望んでいます」と話しています。
昨年12月ごろから、朝日新聞が校名を「安倍晋三記念小学校」と報道したことで、安倍首相がそのために大変被害を受けたとして、安倍首相本人と安倍応援群の議員、雑誌などが朝日新聞の責任を追求しています。
しかし、校名が「瑞穂の國記念小學院」ということを安倍首相夫妻が当事者として確実に知っているということが、上の動画と下に記す昭恵夫人講演でよくわかります。
さらに、安倍首相や麻生財務相が指示すればいつでも開示できるはずの「開成小学校」文書を昨年11月まで不開示のままにしていたことそのものが疑惑を呼びます。「安倍晋三記念小学校ではないのか」と疑われたと朝日新聞や民進党議員を攻撃する前に、「開成小学校」文書を開示すれば、即、問題は解決する。なぜ開示を急がなかったのか?
そして一般によく知られている報道は、籠池理事長(当時)が一時、「安倍晋三記念小学校」名を使って寄附金を募っていたという事実です。これは籠池氏の評判を下げるもので、むしろ安倍首相は被害者であり、安倍首相が何か悪いことをしたという事実ではありません。
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2015(H27).09.05.塚本幼稚園
安倍昭恵夫人講演
<第一部講演 安倍昭恵夫人(瑞穂の國記念小學院名誉校長)>
■主人もここの教育方針は素晴らしいと思っている
■『安倍晋三記念小学校』の名前は総理を辞めてからにしてほしい
ご紹介を頂きました、安倍晋三の家内の安倍昭恵でございます。今日は、お招きを頂きまして有難うございました。籠池園長、副園長の本当に、熱い熱い思いを何度も聞かせて頂いて、この「瑞穂の國記念小學院」に何か私もお役に立てればいいなぁと言うふうに思っておりました。
実は昨日、あのぉ主人は「ミヤネ屋」という番組と「そこまで言って委員会」というのを、そちらは収録ですけれども、そのために大阪に来ておりました。
まぁ時間があればですね、ぜひこちらにも寄らせて頂きたいというふうに言っていたんですけれど、残念ながらトンボ返りですぐ東京に戻りましたけれども、こちらの教育方針が大変、主人も素晴らしいというふうに思っていて、(籠池)先生からは『安倍晋三記念小学校』に、という名前にしたいというふうに当初は言って頂いていたんですけれども、主人が『総理大臣というのは、いつもいつも良いわけではなくて、時には批判に晒されることもある』と、『その時に、自分の学校の名前が「安倍晋三」という名前が付いていると、もしかすると、色んなところからその名前によっていじめにあったりすることがあるかもしれないし、色んなことで学校側も「なんで今この名前を付けたのか?」というふうに責められるかもしれないので、もしお名前を付けて頂けるのであれば、総理大臣を辞めてからにして頂きたい』ということで、そして、それをご理解頂いて籠池園長が「瑞穂の國記念小學院」という本当に素晴らしいお名前を付けられました。
――中略――
■幼稚園で培った「芯」が公立学校で揺らぐのは残念。小学院で太くしていくことが大事
こんなに小さな子たちが、あんな暗唱を出来るというのは、私はここに来て初めて見ました。
いつも、私たちがやっているのは、ちゃんとその、論語の本があって、それを大きい声で、まぁ大人であっても読むんですね。子供たちと一緒にやることもありますけど、皆で読むんですけども、こんなふうに子供たちが、それも先程のご説明で、強制されるのではなくて、自ら「覚えたい」と思って覚える。一体、何なんだろうなぁと。
やればきっと、どんな子供でも出来るんだろう。これを全国に本当に広めて行くと、日本人としてこう、芯の整った子供たちというのが沢山育つんじゃないかな、と思いました。
この幼稚園でやっていることが、本当に素晴らしいんですけれども、それが、この幼稚園で終わってしまう。
ここから普通の公立の学校に行くと、普通の公立の学校の教育を受ける。せっかく、ここで芯が出来たものが、また、その学校に入った途端にこう、揺らいでしまうということが先生(※籠池氏の方を指し示し)は凄く残念がっておられたので、ここで培ったものを、瑞穂の國記念小學院に入って、またさらにその芯を、こう、出来たものを太く太くして行くということが、きっと大事なんだろうというふうに思います。
■主人も私も、天命・使命をいただいている
私は、今、ここでこうして話させて頂いていますけれども、自分自身はもう本当に一生懸命に勉強してきたタイプでもなくてですね、偉そうに教育を語れるとは全く思っていませんが、まぁたまたまですね、安倍晋三と出会って結婚して、主人が一度総理をし、そしてまた、二度目も、あり得ないと言われていた二度目の総理大臣もした、ということで主人自身も大きな天命を頂き、そして私もなにか使命を頂いているんだろうなというふうに思っているので、こうして「話をして下さい」と言われて頼まれた時にはですね、何かひとつでも自分の経験からでも皆様方に、お伝えすることが出来ればいいなというふうに思ってお受けしているところです。
――中略――
■主人が二回目の総理になったのは神様から大きな使命をいただいたから
でも、人間は、私は、無駄な経験はひとつもないんだろうなというふうに思っていて、その時の経験も今になれば私にとって必要な経験で、そのことがあるからこそ、人に優しくなれたりとか、まぁそういう人の笑顔を見ても、涙が出るような、そういう状況の人たちの気持ちが分かったりとか、なんとなく自分の人間が少し幅広くなったのかな、というような気はしています。
主人自身もですね、その時の経験があって、悔しい思いがあって、その後、なんとしてももう一度たぶん、総理大臣に戻って自分がやりたいと思った憲法改正等々を、もう一度自らの手でやりたいというふうに思って、努力を重ねて来たんだろうな、というふうに思っています。その5年間というのは、主人も本当にあの、毎日のように色々と努力をしていました。座禅に行ったりとか、ランニングをしたりとかですね、また、色んな人に会ったりとか、自分だったらどういうことをしたいかとか書き綴っていたりとか。
でも私は、もう今、主人が二回目の総理であるのは、先程も申しましたけれども、まさしくこれは「天命」である、というふうに思っています。
先程、籠池園長とお話をしておりましたら、園長もご病気をされて入院をされておられたと。ちょっとでも発見が遅れたら大変なことになっていたかもしれない中で、私は「生かされたんですね。」とお話を申し上げましたけれども、まさしく主人も病気でありながらも、そうやって生かされて来ている、ということは何か神様から大きな使命を頂いて、「これをやりなさい」ということなんだろうなというふうに思っていますし、私自身もそのような何かかしらのお役を頂いているんだろうなぁというふうに思っています。
■安保法案に反対してデモをしても決して平和にならない
今、安保法案等々でですね、本当に大変な時を、まぁここを乗り切らなくてはいけないという時なんだと思います。私は非常に幅広くですね、思想的に言えばものすごい右の人からものすごく左の人まで、どんな人とでもお付き合いをしたいと思っているので、デモに参加をするようなタイプの人たちとも、実は、普通の生活の中ではお友達だったりとか、親しくお付き合いをしたりとかすることもあるんですね。まぁそういうことがまた何か、あの、週刊誌は書きたいとまた思っているみたいなんですけれども。
でも、今の、私の考えは、こう何が平和にならないのか?というと、色んなものが対立していってしまうことが問題なんだろう、というふうに思っていて。あの、『戦争反対』というのはみんな反対、だと思うんですけれども、それをデモをして、「ハンタイ!ハンタイ!」って言ったからと言って決して平和にはならない、というふうに思っているので、平和にしたいんだったらじゃあ、「どうして、どうやって平和を作っていったら良いのか?」ということをやっぱり、みんなで考えて行かなくてはいけないんだろうと思います。
■安保法案は独立した本当の日本を取り戻すためのもの。「戦争法案」ではない
もちろん、主人は戦争をしようと思ってあの法案を通そうと思っているわけでは絶対ないことは、もちろん皆さんがよく分かって下さっているんじゃないかなというふうに思っているんですけれども、まぁマスコミも、今日はテレビも入っておられますが(笑)、マスコミや一部の方たちはもう「戦争法案」である、というふうに言われて、それを煽り立てて行くことによって若いお母さん達は、「うちの子供を絶対に戦争にやるわけには行かないから、この法案を通してはいけないんだ!」っていうふうに思われます。
その、戦争、本当に戦争法案だったらもちろん反対して頂きたい、というふうに思うんですけれども、これは本当にそんなことではなくて。
私はあの、日本という国がですね、やはり戦争に負けて、その後、それまでの日本とはやはり精神性が変わって来てしまっているところがあるのではないかというふうに思っていて。本当の独立した日本を、主人は取り戻したい、「ニッポンを取り戻す」と言っているのは、まぁそういうことなんだろうというふうに思います。
(注) 何よりも先に「日米地位協定」の改定に着手してほしいですね。
その中で、いかにこの、独立をきちんと、独立国家としてきちんとこう、立ち位置をこう、置いていくかという時にですね、やはりあの、順番にあの色んな段取りがあるんじゃないかな、と。私は難しいことはよく分からないので、ですし、私は選ばれた者ではないので、政治をそんなに語る資格もないと思うんですけれども、主人は、選挙で選ばれていて、そして総理に選ばれていて…。で、国がこういう方向に向かって行く、べきであるという、そういう強いビジョンや信念を持って今政治をしていると思うので、どうか皆様方にはご理解を頂きたいと思います。
■世界のどの国に行っても「日本は素晴らしい」と言われる
主人と一緒に、世界中色んな所に私は行かせてもらっています。どんな国に行ってもですね、日本語を学び、日本の文化を学び、本当に日本を愛している人達が、たっくさん(沢山)います。
日本は世界の嫌われ者なのではないかというふうに思っている方たちもいるみたいなんですけど、決してそんなことはなくて、特に途上国の人たちはですね、なんとか日本みたいになりたいと、お手本にしています。
(注) 世界のきらわれ者ではないかと劣等感を持つ日本人が多くいるとは思えません。わたし
は高校の育友会長をした経験がありますが、保護者の皆さまやそのお子さまからそんな様
子を感じたことがありません。450世帯の自治会長経験ほかの人づきあいの経験でもそ
んな様子を見聞したことがありません。安倍首相夫妻はなにかにつけて、「嫌われている
のではないか」という被害者意識とか猜疑心が強いのではありませんか。
勤勉で、そして本当にあの、美しく、美しい国でありますし、何もかもこう整っていて、時間は全て正確だし。こんないい国は、治安はいいし、こんないい国はないと。「え、なんで日本はそんなふうに発展出来たんですか?」と。「日本のようになりたい」、「日本に学びたい」、私は世界中で多くの人達に言われました。
で、「日本の素晴らしさって何なんだろう?」と、その度に思っていますし、一回も日本に来たことがない方たちにですね、「本当に日本って素晴らしい国なんですね、私も行ってみたいです。」と言われると、今、ものすごい大きな憧れをもってこの日本にやってきた人たち、「あ、やっぱり自分が思っていたとおり、いい国だった」って、私たちは胸を張って言えるんだろうか、ちょっと不安にもなります。堂々とですね、日本は、「素晴らしい国なんですよ!」って、ひとりひとりが日本に誇りを持てるような、そんな国づくりをしていかなくてはいけないんだろうなというふうに思います。
(注) わたし達が日本に誇りを持っていないと、なぜ、勝手に決めつけるのでしょうか。そん
な情緒的なことよりも、安倍政権がやるべき優先課題は、派遣社員、契約社員、正社員な
どの階級身分化。所得格差増大、金融資本主義下で拡大する超富裕層への富の集中――
これらの是正と富の社会的再配分のやり直しなど、国民生活の安定への道筋をつけること
でしょう。今、国民のどの世代においても将来生活への不安がつきまとっています。
――中略――
■今までの教育はよかったが、最近は自分のことばかり考える人が増えている
その日本の今まであった教育というのはですね、確かに素晴らしい物であったし、そういうところに活かされているんだろうなあというふうに思いますけれども、でも、残念なのはやはり、自分のことばっかり考えている人がだんだん増えているのかな、という気もします。
――中略――
■瑞穂の国記念小学院で、日本の国を誇りに思える子供たちに育ってほしい
え~、ちょっとそろそろ時間だと思います。まぁ、なにか取り留めもなく、え~、話しをして来ましたけれども、あの、この瑞穂の国記念小学院が、無事に開校することによってですね、そうした、あの、感謝の気持ちをもって、人の気持ちの分かる、そして、え~、日本人として、日本に生まれた者として、この日本の国を誇りに思えるような、そんな子供たちが沢山育って行って欲しいと思います。
■平和とは、自分の心の中の平和から。信念と誇りを持つことが大事
あの、平和、また平和の話しに戻ります(笑)。平和はですね、まずは、やはり私は、外にあるんではなく、まずは自分自身の心の中の平和なんだろう、というふうに思っています。そして、自分の家族であったり、地域であったり、学校であったり、自分の属する組織、そして、まずは自分の国の、この国の中、が平和になって、それから、こう、外に向いて行く。平和になることはやはり、信念を持って誇りを持つことが一つ大事なのではないかなというふうに思っています。
――中略――
え~、本日はあの、お招きいただきまして有難うございました。本当にあの、なんかダラダラと、あの、皆さんの心に届いたかどうか分かりませんけれども、あの、一時間お話をさせて頂きまして有難うございました。今後ともどうぞよろしくお願い致します。(終)
※深くお辞儀をして、昭恵夫人は舞台向かって右袖のパイプ椅子に着席する
替わって籠池泰典園長がスピーチを始める。
<第一部 籠池園長スピーチ>
はい、皆さんこんにちは。ええ今、ええ、内閣総理大臣夫人の安倍昭恵先生にですね、ええ、瑞穂の國記念小學院の名誉校長に成っていただいたということをご報告申し上げました。拍手してください。
(昭恵夫人が席を立って頭を下げて着席する)ありがとうございます。ありがとうございます。今、いろいろとお話をうかがいましたけれども、これだけの博識なですね、識見の高い、またねらいをまとめてらっしゃるご婦人がですね、やっぱりもっともっと外に出て行っていたあきたいという風に思っております。
(注) この講演で籠池園長は、―小学校と呼んだり、―小學院と呼んだりしている)
あのう、先ほどお話うかがいましたけども、瑞穂の國記念小學院は本来は瑞穂の國安倍晋三記念小學院という名前を銘打たせていただく予定でありましたけれども、ご夫人、ええ名誉校長の方からおっしゃっていただいた趣旨で、瑞穂の國記念小學院という名前でおさまっています。
やはり瑞穂の國、日本の国を支えていく人材作りということをめざして参りました。そして幼稚園だけではもったいない。小学校につづく、そして中学校につづく子どもさん方を大いに育成しないとわが国はもたないということであります。
――中略――
瑞穂の國記念小学校はわたくしが建てるのではなくて、天命によって建てる。吉田松陰先生がよくおっしゃってます。死生にして終わらざれば未だ非ざるなり。死生観を持たないと日本の国は良くならないんだ。その死生観と言えば、子供さん方から続けていかないと。大人になって死生観、死生観と言っても遅いんです。小ちゃな子どもさんのうちに死生観を持つ。そして誠心を持ち、志を尊び志を貫徹するということなんです。誰のために? 人さまのために、ということです。
人さまのために、国家のために、人さまのために。天皇陛下から申しますと、悪い人もいい人も赤子(せきし)です。みな、みな、子どもなんです。悪いことやってる人も日本の国民だよと、天皇皇后陛下はおっしゃいます。みな、いっしょなんです。でもその中で至誠を持って動かしていく。その中には選ばれた人たちになります。その選ばれた人たちがこの国を動かしていくことになります。
皆さん方の子どもさんは選ばれた子どもさんです。ですから瑞穂の國記念小学校にお越しいただいて、そしてしっかりとしたわれわれの教育を受けていただいて、まさに立派な子どもさんにさしていただく。それがわたしが天から受けた天命であります。
――以下、略――
<第二部 籠池園長スピーチ>
皆さんこんにちは。もう出にくいなか、ようおいでくださいました。まことに恐縮であります。きょうはほんとに秋というような感じですけども、まだまだ夏の根、ああ、光が残ってるような今日でございますけども、もうわたくし共、瑞穂の國記念小學院の方ではですね、わたくしが、この瑞穂の國記念小學院の総裁、籠池泰典ということになっています。そして今、ええ、お控えいただいております安倍内閣総理大臣夫人、安倍昭恵さまには名誉校長ということでご就任をいただいております。
拍手をひとつ、よろしくお願いいたします。(拍手。昭恵夫人は舞台向かって右袖パイプ椅子に着席している)
ええ、われわれの学校の方向性というのは、やはり日本国というものを再確認するんだということが子どもさんの実証だと認識しているんです。そしてそれはわが国を発達興隆さしていく、ええ隆昌に向かわしていくということであらねばなりません。ええ、子どもさんにはいろんな知識、当然必要でありますけれども、国家観、当然当たり前のことであります。
――中略――
わが国は、ええ、皇紀で行きますと2675年。世界で一番長い歴史の国であります。この神武天皇以下、神武天皇から培われた心。それが聖徳太子の十七条の憲法になり、そして神皇正統記(*じんのうしょうとうき。籠池氏はこれを「じんぐうしょうとうき」と言った)の北畠親房公の言葉になり、そして明治天皇陛下の五か条の御誓文になり、そして教育勅語に発祥(?)されてきております。それが曳いては昭和天皇陛下の終戦の詔勅の方まで入っております。
この心を心として、わが国を活性化させる。そしてわが国民というよりもわが日本民族のですねえ、気持ちを固めていくというのがわが瑞穂の國記念小学校ということであります。
――中略――
はい、ありがとうございます。わたくしのあいさつは冒頭これでいいですか(司会の方を見て)? はい、では、ええ、われわれの瑞穂の國記念小學院名誉校長、ええ、内閣総理大臣夫人、安倍昭恵先生にただ今からご講演をお願いします。拍手でお迎えください。よろしくお願いします。(拍手)
<第二部講演 安倍昭恵夫人(瑞穂の國記念小學院名誉校長)>
■名誉校長として素晴らしい小学校をお手伝いしたい
■『安倍晋三記念小学校』の名前は総理大臣を辞めてからにしてほしい
(※保護者一同の拍手の中、降壇した籠池園長と、互いに深いお辞儀を交わし、昭恵夫人が登壇。)
皆さんこんにちは。ご紹介頂きました安倍晋三の家内の、安倍昭恵でございます。本日はお招きを頂きまして有難うございました。
瑞穂の国記念小学院、え~、来年開校予定だったのが再来年に延びたということでございますけれども、素晴らしい小学校が出来るということで、私もあの、名誉校長で私はいいのかしら?(笑)と、思いますけれども。あの、何か籠池園長、そして副園長のもう本当に熱い熱い、この国に対する、教育に対する思い。お手伝いできればなぁというふうに思っているところです。
ご存知かもしれませんけれども、最初この、あの、名前をですね、『安倍晋三記念小学校』、『瑞穂の国安倍晋三記念小学校』ということにしたいというふうに、籠池園長からお話をいただきました。本当に、名誉なことだと思いましたけれども。まぁ主人に申しましたところ、まぁ大変有り難いお話ではあるけれども、もし、あの、え~、安倍晋三総理の名前がですね、こう、もしかしたら子供たちにとって、負担になる時があるのかもしれない。いつもいつもその、安倍政権が、良い時ばかりではなくて、時には大きな批判に晒されることがあるかもしれない。ま、そんな時に、子供たちが、その、自分の学校の名前を、どういう風に思うだろうかと。できれば、この、総理大臣という立場が終わってから、その名前を付けて頂いた方が、みんなにとって良いのではないか、ということだったので、今回はご辞退をさせていただきました。
■主人も私も、「瑞穂の国小学院」の発展を望んでいる
でもあの、『瑞穂の国』というのは本当に素晴らしい、名前の小学校だなというふうに思って、この小学校が沢山の生徒さんたちが集まられて、ま、発展していったらいいなぁというのを、主人も私も望んでいるところでございます。今日はあの、朝から来させていただきました、あの、10時の会(*一部講演)の前にはですね、あの、園児さんたちが、ここに並んで大きい声で、「大学」を暗唱してくれました。
――略――
■塚本幼稚園の子供たちは凄い。その教育が幼稚園だけで終わってしまうのはもったいない
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で、それをですね、でも、あんなにちっちゃい、もう本当にあの、普通の会話もちゃんと、普通だったら出来るのかしらというような子供たちが、あの難しいダイガクをですね、すらすらと朗々と、暗唱しているのを見てですね、あの、ほんっとうに、あの、すごいなぁと今日、改めてこの、塚本幼稚園の凄さを感じました。
そして、きっとあの子たちが毎日のようにその、言っているその言葉は、えー、細胞の隅々まで行き渡って、きっと、その、人間性を作っていくのに大きな役割を果たすと思うんですけれども、ここの幼稚園だけで終わってしまってはやはり、勿体無い。せっかくその、え~、まぁ子供の線が通ったのをですね、小学校へ行っても続けて行くことによって、太い、立派な芯、にしていってもらいたいなぁっていうふうに思って。え、この、えー、幼稚園から小学校に、こう、繋がって行くこの教育に大いに期待をしたいな、というふうに思っているところです。
■幼稚園には何度か来ているが、こんなにお行儀の良い子供たちには会ったことがない
私は、以前にも何回かここの、えー、幼稚園に来させていただきました。あの、私は、あの、いろんな幼稚園や小学校に行くこともありますけれども、これ程ですね、お行儀の良い子供たちにあったことがほんっとう(本当)に無いんですね。で、パッとこう帽子をとって、ものすごくきちんとご挨拶をして下さる。
まず、最近はですね、挨拶が大人でもきちんと出来ない、というのはね、本当に大きな問題であると思います。挨拶ってね、本当に、人間の基本で、えー、まぁ夫婦であっても、うちもその、毎日「おはようございます。」と言い合っているかなと思うと、あやふやなところもあるんですけれども(笑)。
でも、その、家族であっても夫婦であっても、まず、朝起きたら「おはようございます。」、えー、ご挨拶がきちんと出来るっていうのは基本なんだろうなと。この小さい子供たちから私は、あのー、ここで教わっているような気がいたします。
――中略――
■総理大臣が靖国神社を参拝してもいいのでは、と思っている
あの、沢山の人は本当は分かっていて、えー、主人にも、主人にもというか「日本の総理大臣には靖国を参拝をしてもらいたい」と、「靖国で会おうね」と言って、お国のために亡くなって行った方たちがそこで、その御霊が集まっているんだとすれば、まぁ総理大臣としては、私は、あの、(参拝しても本当は良いのかなぁ)というふうには思っています。
まぁいろいろあの、まぁ隣国との関係等々、ありますけれども、でも、本当は日本人としてはですね、うーん、(そこは、他の国を気にすることではないんじゃないかなぁ~?)と、私は個人的にはあの、思っている、ところです。
■外遊に同行してパプアニューギニアに 戦争中、日本兵はいいこともしているのに、メディアは報じない
パプアニューギニアという国に、あの、主人の外遊について行きました。えー、(※聴取不能ウエガクチー?)地方というところに行ったんですけれども、そこはですね、あの、そこの州知事さんというのは、パプアニューギニアの父と言われて、パプアニューギニアを作った元首相です。で、すごく日本に感謝をしていて、主人が行くということで、日本の総理が来られるってことでですね、その日、その地域をお休みにして下さいました。休日にしたんですね。
――中略――
で、なんでそんなに、えー、日本が好きなのか?パプアニューギニアでも、あの、十何万人の日本兵が亡くなっていて、その慰霊碑をお参りするというのが一番の、主人の目的だったんですけれども、えー、おそらく、まぁそこで戦闘が繰り広げられていたりすると、そこの地域の方々にはご迷惑もきっとお掛けしていたはず、なんですけれども、えー、大歓迎。私はその、元首相、州知事に、「なんでこんなにご迷惑をおかけしたかもしれないのに、歓迎して下さって日本のことが好きなんですか?」っていうふうに伺いました。
戦争と、その、人間は違うんだと。戦争は恨むけれども、決して日本人は、えー、恨むような人たちではなかったと。
で、そこに、えぇと…、ちょっと名前、忘れちゃったんですけど、ある日本の中将が来られて、で、子供たちのために学校を作ったそうです。えー、「当時そこの地域は、学校が一つもなくて、子供たちは全く読み書きも出来なかった。それが日本の兵隊さんが来て学校を作ってくれた。」と。
で、そこにその首相は通っていたそうです。で、そこで、えー、まぁ簡単な読み書きを習うようになって、少し英語も勉強したのかもしれません。少しの日本語も勉強したのかもしれません。で、学ぶということの素晴らしさを、えー、そこで学ぶことが出来たと。
で、「日本兵が撤退してしまうと、またその学校はなくなってしまったので、残念ながら僕たちは、また学校がない生活になってしまって、でも、学ぶことの素晴らしさを教えてくれた日本人には本当に感謝をしている。」という話を聞かせてもらいました。
で、そういう話っていうのはですね、そこのパプアニューギニアに行っている、取材をしている報道陣は聞いているはずですし、取材もしているはずなんですけれども、まぁほとんどのメディアは取り上げてくださらないんですね。
日本人が戦争中に悪いことをしたっていうことはいくらでも出すんですけれども、戦争中にもいろいろないい話も沢山あるんですね。それは「戦争を美化しているんだ。」ということで、えー、なかなかメディアに出て来ることはない。
でも、みんなが戦争に行きたかったわけではもちろんないけれども、でもそこで、えー、一生懸命、そこのためにも頑張っていた人たちもいるんだということは、事実として私は広くこの先も、伝えていくべきなんだろうなぁというふうに、そのパプアニューギニアに行った時に思いました。
――略――
■皆さんの要望を主人に伝えるのが私の仕事――被災地の防潮堤問題
私自身の、ちょっと戦争の話はもう終わりにして。えー、私自身の今の、活動を少しだけご紹介をさせていただきます。あの、いつもいろんなところで話をさせていただいているのが、あの、被災地の防潮堤の問題なんですね。
私は何度も被災地に入っていって、いろんな方とお話を伺って、そして、皆さんのご要望を主人に伝えるのが私の仕事だっていうふうに思っているんですけれども。
その中で、なかなかその、皆さんからの声があがらなかったんですが、私がふと(防潮堤ってどうなんだろうな…?)っていうふうに思って、で、ずうっと、その防潮堤問題を未だにこう、追いかけています。
えー、津波で沢山の方が亡くなりました。沢山の家屋も流されました。で、国はその、えー、防災として新しく高い防潮堤を国のお金で建ててもいいですよー、ということを決めたんですね。各県や、地方自治体、市は、それならじゃあ(高さの)高いものを建ててもらいましょうということを決めました。その、震災直後っていうのは、多くの方たちが怖い思いをしているので「高い防潮堤を建ててもらいたい」、それで「私たちの命を守ってもらいたい」と思ったのは当然だと思いますし、それを国が、全部作ってくれるなら、じゃあ作ってもらいましょうと決めた、県や市を責めるつもりも全然ないです。
もし、私がその場で市長だったらば、「あぁ、じゃあ、ぜひお願いします。」ときっと言っていたと思うんですけれども、でも今はもう、震災から4年以上経って、えー、高いところで14.7メートルもある、ビルで言ったら4、5階もあるような高いコンクリートで、海が覆われて見えなくなってしまって本当にいいんだろうか?もしかしたら、海の生態系がそれで変わってしまって、魚が捕れなくなってしまうかもしれない。次に津波が来た時は、津波が見えなくて、むしろ逃げ遅れるかもしれない。海の近く住んでいるという意識が失われて、危険なのかもしれない。
いろいろなことを考えるとですね、えー、そんなに高いもの、まぁ全てがそんな高いわけではないんですけれども、7メートルのところもあれば10メートルのところもあれば、まぁ低いところは5メートルのところもありますけれども。(※深く呼吸してから)もう一回、見直しても良いんじゃないかなと。全部を造ると、最初は8000億円と言われていたのが、まぁ今はどんどんあがって言って、1兆超えると言われています。
そのコンクリートの壁に、1兆円かけるんだったらば、まだまだ仮設住宅に住んでいる人たちも沢山いるんですから、そっちを先にするべきなのではないかと私は単純に思ってしまうんですけれども。その、予算が、えー、この防潮堤に付いた予算を、仮設住宅に回すわけにはどうやらいかないらしくて、えー、なかなかその、動かない問題なんですね。
■復興庁の政務官に、防潮堤に反対する人たちの話をぜひ聞いてほしいと頼んだ
で、先日、山本朋宏先生という、衆議院議員の若い先生が、まぁ違うことで私のところを訪ねて来て下さいました。で、その時に、彼は今、復興庁の政務官なので、「防潮堤を見に行こうと思うんですよ。」と。
で、私がずっと防潮堤の問題をやっているのをご存知なので、「防潮堤をみたい。」と復興庁に言ったら「見ないで下さい。」と言われましたと。で、本当に良い物を造っているんだったら、「政務官、ぜひ見て来て下さい!」というのが私は本当だと思うんですけど、「どうして見ないで下さいって言うのかしらね?」って言ってたんですね。で、えー、じゃ、「どうしても見に行きたい。」って言ったら、「普通の、えー、もの(既存の防潮堤?)を見て下さい。」と。で、『「(※聴取不能エルワン?)という高い防潮堤は見ないで下さい。」って言われました。』と。
で 、(どういうことなんだろう…?)って、それはやっぱり復興庁も、「高い防潮堤はおかしい、見てもらいたくない。」っていうふうに思っていることなのかなぁっていうふうに思いまして、えー今度、木曜日、金曜日で山本政務官は、えー、気仙沼、えー、陸前高田等々を、防潮堤を見て回るんですけれども。その時に、もちろん「復興庁からこの人に会って下さい、この人の説明を受けて下さい。県や市から出て来るご説明も十分に聞いて下さい」と、でも、私が普段お付き合いしているような『「防潮堤を造ってもらいたくない。」という普通の、一般の人たちの話もぜひ聞いて下さい。たぶん、復興庁は嫌がると思うけれども、政治家はやっぱり、私はそれが仕事だと思うので、そういう人たちの話も聞いて下さい。』と。
■総理の妻には、多少の発信力や影響力があっても、何の権限もない
私には、総理の妻で、多少の発信力や影響力があるにしても、私には何の権限もないので、今どうしていいか分からない。その、政務官の先生が、少し関わって下さることによって、きっと何か動いてくるんじゃないかなぁと思って、えー、私はとても期待をしています。
――中略――
■関わっている「高校生未来会議」で防潮堤問題を提案したら、高校生がアクションを起こしてくれた
で、そういう中でですね、高校生たち。今、『高校生未来会議』っていうのをやっていて、で、そこに私も関わらせていただいているんですけれども、全国の高校生たちが集まって、自分たちがあの、「こういうことが課題だと思う」ということを、えー、グループごとに別れて、話し合って、それを発表することをしています。もう今頃の高校生って、ほんっとうに(本当に)優秀でですね、すっばらしい(素晴らしい)、パワーポイントを使ったプレゼンをしてくれます。
で、その子たちが、防潮堤のことを私がまぁ、考えてもらいたいといって課題にあげた時に、えー、そして、何人かの子たちは、一緒に東北まで行って、現地を視察をしてくれました。で、やっぱり彼らも「これはおかしい!なんとかしたい!」。
大人の人たちはなかなかアクションに繋がらなかったんですけれども、高校生たちは、自分たちでその、防潮堤が出来て行く様子を写真に撮って、それをアーカイブ化して行きたいということを言ってくれました。そして、自分たちにしか、えー、出来ない、例えば、えー、その推進側の人たちへのインタビューみたいなものも撮りたいと。で、反対してる人たちの意見も撮ってきたいと。で、それを、みんなで共有して、えー、次、もし他の所で震災がまたあって、津波が起こってしまって流されるということがあるかもしれない。その時に、どういう復興をしていくか、と言う時に考える材料にしたい、ということを言ってくれています。
そして、住民、まぁあの、行政側は「説明会をしました。」というふうに言っているんですけれども「住民の合意形成は100パーセント取れています。」という所も実はあったんですけれども、全くあの、事実上はそうではなくて、あの、一部の人たちが合意をまぁ、上手くまとめたというだけの、だったので、住民の合意形成というのは一体何なのか?、あるいは民主主義って何なのか?、根本的に何なんだろうか?ということを考える、自分たちの教材にして行きたいというふうに言ってくれています(※コップの水を飲む)。
――中略――
■この国を誇りに思える子供たちを育てるために、瑞穂の国記念小学院を応援したい
そろそろ時間が来ましたけれども、この瑞穂の国記念小学校、来年、再来年、開校されるということで、本当にこの、あの、「国に生まれて良かった」というふうに思えるようなですね、あの、国にしていくために、主人も政治家として総理大臣としてこれからも頑張って行くと思いますし、えーまた、この学校においてもやはり、国に、この日本の国を誇りに思えるような、「いい国に生まれて良かったな」と。この国の良さをどんどん、この、ずうっと繋げて行かなくてはいけないというふうに思えるような子供たち、そしてそれをまた、この国だけのことにとどまらずに、世界中の人たちが平和になるために、えー、自分たちの力を使いたいと思えるような子供たちに育って行ってもらうために、私も応援をして行きたいと思いますので、どうか籠池園長ご夫妻にはお元気でですね(笑)、頑張っていただきたいなぁと思います(※満面の笑み)。今日はお招きを頂きまして、有難うございました。
(深く一礼後、コップの水を飲み、再び一礼。)
(保護者一同、拍手。)
(注) 昭恵夫人の講演記録はアキエリークスから採集しました。籠池氏スピー
チはユーチューブの講演動画から文字起こしをしました。