川本ちょっとメモ

★所感は、「手ざわり生活実感的」に目線を低く心がけています。
★自分用メモは、新聞・Webなどのノート書きです。

<安倍政治> 安倍首相は運の強い人だ 恵まれた政権スタート 民主党政権は三重苦でした

2020-08-29 08:52:34 | Weblog
 
  (注) 8月30日付ブログ記事を削除して、その前半部を改題改稿して掲載します


安倍首相が難病辞任を表明しました。
私は病気辞任できる安倍首相は最後まで運の強い人だと思います。

なぜなら、歴史上最長在任の宰相という栄誉に加えて、任期途中の難病辞任という悲運の宰相として退任できるからです。

長期強権総理の経歴では引き際が難しい。政策スローガンを毎年変えてきましたが、毎年の政策スローガンの検証評価が安倍首相から発表されたことはありません。口先目先だけの気分転換で泳ぐ長期政権なので、成果と言えるほどのものがありません。健康体で退任なら、酷評が相次ぐでしょう。

安倍首相を評価しようと思うと、トランプ大統領と親密な仲で日米関係が良かったという一つしか思い浮かびません。


安倍首相強運の始まりは政権スタートの政治環境

小泉純一郎安定内閣以後、自民党は総理大臣たらい回し状態に陥りました。
安倍晋三・福田康夫・麻生太郎(2006年9月~2009年9月)の総理三代。

私たちの多くが民主党政権(2009年7月~2012年12月)を選びました。
鳩山由紀夫・菅直人・野田佳彦の総理三代は期待の大きさに応えられない。

リーマンショック経済、日本史上最大ともいえる東北大津波、日本初の原発メルトダウン。民主党政権は悲運でありました。政権担当が自民党であっても、また誰であっても苦闘したことでしょう。

アベノマスク支給、持続化給付金、一世帯30万円給付案の中止など緊急対策がすべてごたごた続きで遅れに遅れました。安倍政権の実力とはこんなものなんです。コロナ対応を見れば、安倍首相はいつも強がりを見せるけれど平凡な能力の政治家です。本来、総理の器ではありません。

2012年12月、安倍晋三首相が政権に再登場しました。政権スタートの環境自体が、安倍首相強運の第一です。

リーマンショック経済・東北大津波・原発メルトダウンという悪い政治環境をすべて民主党政権が背負った後に、安倍政権が誕生しました。普通にやっているだけで、民主党政権よりは良いという結果になる環境です。

そのうえ圧倒的な与党議員数にも恵まれました。これだけの議員数があれば、誰が首相になっても「実行力豊か」になれるでしょう。

安倍晋三首相はその後の国会で、野党の批判に対して「民主党の時代はどうだったのか」と切り捨てるのが常でした。返り咲き1年ほどはそれも良かったが、国会答弁でいつまでも同様のことばをくり返しました。

民主党政権に期待できないと思ったから、自民党政権を再び選んだのです。野党からの批判に対して、安倍首相は「あんたよりましだ」といつまでもくり返します。聞いているこちらは、だから自民党を選びなおしたんじゃないかという気持ちになります。

安倍首相のもう一つの定番は「悪夢のような民主党政権時代」ということばです。これも飽きもせず使ってきました。


民主党政権時代は三重苦
リーマンショック・東北大津波・原発メルトダウン

2008年9月、米リーマンブラザースが倒産しました。世界的なリーマンショックの始まりです。日本では麻生太郎内閣(2008年9月~2009年9月)がまともに波をかぶりました。かわいそうと言えばかわいそう。

しかし民主党政権の時代も、経済的にリーマンショックの深刻さをまともに受けた時代です。

安倍首相は自らの株価政策を自慢するときも「あの悪夢ような」という表現をしばしば使いますが、悪夢のようなというのは不当です。実際には少しづつ立ち直りつつあったのです。もっとも民主党政権の政治によってというよりも自律的なものといった方がよいかもしれません。このあたりの経済状況の詳細について、私はまだ勉強できておりません。

けれども安倍首相の偏頗なところは、自らの副総理である麻生太郎総理のことには触れないことです。民主党内閣の経済が悪夢と言うならば、リーマンショックの大波をまともにかぶった麻生内閣の経済も悪夢と言わなければならない。

2011年3月11日、東日本大震災。未曾有の大津波災害。福島第一原発メルトダウン。政府は菅直人内閣(2010年9月~2011年9月)の時期です。

あの大津波の恐ろしさはいまだに目に焼きついています。ユーチューブ動画でいつでも追体験して戒めにできるのは、インターネット時代のありがたさです。

原発事故直後の菅直人首相(当時)の行動が東電利害筋や自民党筋から批判されていますが、私は評価しています。


福島第一原発メルトダウンと安倍首相の関係

福島第一原発メルトダウンの直接の原因は「冷却用電源喪失」ですが、安倍首相にはこれに関して責任があります。下の参照記事をクリックして、安倍首相第一次内閣2006年12月の質問主意書と答弁書をしっかり読んでくだされば、そのことがよくわかります。


アメリカのスリーマイル島原発事故、ソ連時代ベラルーシのチェルノブイリ原発事故につづく歴史上3番目の福島第一原発事故は、三つの中でも最大級と言われています。

日本は、広島・長崎の全世界唯一の核爆弾被害に続いて、歴史上最大級と言われる核発電(=原発)メルトダウン被害を受けたのです。安倍首相に良心があるならば、2006年12月の答弁書について深く悔いるべきでしょう。

これによって、福島の汚染地域は、実質的に「領土喪失」という状態になりました。尖閣や北方領土について熱くなる多くの人たちは、原発事故による実質的領土喪失については素知らぬ顔をしています。



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コロナワクチンを誕生させるために行われる「治験」とは――厚生労働省サイトから丸写し

2020-08-25 04:19:59 | Weblog

今年7月7日午後、吉村大阪府知事と松井大阪市長が記者会見を開いて、大阪はびきの医療センターで新型コロナ感染者にうがい薬を投薬したところ、コロナウイルスの有意な減少効果があったと発表し、新型コロナ感染症の重症化予防に役立つと見られるとして、大阪府民にうがい薬によるうがい励行を呼びかけました。

なんとも言いようのないアホな内容の会見でした。なぜアホなのか、については別の日にまとめようと思っています。

その日夕刻の大阪キー局のテレビニュースでは、記者会見が終わらないうちに大阪市中の店頭からうがい薬が消えたと伝え、商品棚の「再入荷未定」張り紙と、店員や消費者のインタビュー映像を放送しました。

私は反射的に思いました。手洗いや手の消毒除菌に加えて毎日何回かうがい薬で口の中を除菌しなはれと言うことや。要は消毒効果。治療効果とは無関係。

――であれば、鼻の奥をつつくPCR検査よりスピーディーで容易だとして普及しつつある唾液検査は、大阪市長と大阪府知事の勧めに応じてうがい薬除菌を励行している人が増えれば増えるほど、感染者でありながら陽性ではなくて、「陰性」になるケース続出となります。コロナ唾液検査が役立たずになる。これはまずい。

治験結果というほどでもなく、医療常識として発表に値しない段階のものを
「コロナ対策は大阪維新」会見をした松井大阪市長は日本維新の会・大阪維新の会の代表で、橋下徹氏と共に「維新の会」創業者です。吉村大阪府知事は日本維新の会副代表・大阪維新の会代表代行です。

ついでに言えば、橋下 徹氏は今でも維新の会に絶大な発言力を持っています。橋下氏が元大阪府知事・元大阪市長で弁護士であるタレント評論家の立場で、テレビ放送やネットテレビに出て日常的に政治的見解や持論をしゃべりまくっている図は、維新麹菌を空中散布している図と言えます。発酵してやがて維新酒に酔わせます。実質的には年中、「維新の会」の選挙運動をしているようなものです。

愚痴が長くなってしまいました。コロナワクチンに関連して、「治験とは」についてまことにわかりやすい説明があるのを厚生労働省のサイトで見つけました。そっくり丸写しで転載します。ブログ名の通り私の「ちょっとメモ」です。


      ------------ ◇ ----------- ◇ ----------- ◇ -----------

 (厚生労働省サイトから)

     治験について(一般の方へ)
      https://www.mhlw.go.jp/stf/seisakunitsuite/bunya/fukyu.html 

新しい薬を誕生させるために行われる「治験」についてご説明します。


   1.「治験」とは
   2.治験のルール「GCP」
   3.インフォームド・コンセント
   4.治験に参加されるときに患者さんに守っていただくこと
   5.治験における副作用への注意
   6.治験に参加いただく患者さんのために



1.「治験」とは

 化学合成や、植物、土壌中の菌、海洋生物などから発見された物質の中から、試験管の中での実験や動物実験により、病気に 効果があり、人に使用しても安全と予測されるものが「くすりの候補」として選ばれます。

 この「くすりの候補」の開発の最終段階では、健康な人や患者さんの協力によって、人での効果と安全性を調べることが必要です。

 こうして得られた成績を国が審査して、病気の治療に必要で、かつ安全に使っていけると承認されたものが「くすり」となります。

 人における試験を一般に「臨床試験」といいますが、「くすりの候補」を用いて国の承認を得るための成績を集める臨床試験は、特に「治験」と呼ばれています。

 治験は病院で行われます。

 治験を行う病院は、「医薬品の臨床試験の実施の基準に関する省令」という規則に定められた要件を満足する病院だけが選ばれます。

 治験を行う病院の要件とは

・医療設備が充分に整っていること
・責任を持って治験を実施する医師、看護師、薬剤師等がそろっていること
・治験の内容を審査する委員会を利用できること
・緊急の場合には直ちに必要な治療、処置が行えること



2.治験のルール「GCP」

「くすりの候補」の人における効果(有効性)と安全性を調べる治験は、科学的な方法で、参加される方の人権を最優先にして行われます。


 治験を実施するためのルール

 治験を行う製薬会社、病院、医師は「薬事法」というくすり全般に関する法律と、これに基づいて国が定めた「医薬品の臨床試験の実施の基準に関する省令」(=GCP[Good Clinical Practice の略])という規則を守らなければなりません。この規則は欧米諸国をはじめ国際的に認められています。

 法律・GCPで定められているルール

● 治験の内容を国に届け出ること
  製薬会社は、治験を担当する医師が合意した「治験実施計画書」(「くす
 りの候補」の服薬量、回数、検査内容・時期などが記載された文書)を厚生
 労働省に届け出ます。厚生労働省は、この内容を調査し、問題があれば変更
 等の指示を出します。

● 治験審査委員会で治験の内容をあらかじめ審査すること
  治験審査委員会では「治験実施計画書」が、治験に参加される患者さんの
 人権と福祉を守って「くすりの候補」のもつ効果を科学的に調べられる計画
 になっているか、治験を行う医師は適切か、参加される患者さんに治験の内
 容を正しく説明するようになっているかなどを審査します。

  治験審査委員会には、医療を専門としない者と病院と利害関係がない者が
 必ず参加します。

  製薬会社から治験を依頼された病院は、この委員会の審査を受けて、その
 指示に従わなければなりません。

● 同意が得られた患者さんのみを治験に参加させること
  治験の目的、方法、期待される効果、予測される副作用などの不利益、治
 験に参加されない場合の治療法などを文書で説明し、文書による患者さんの
 同意を得なければなりません。

● 重大な副作用は国に報告すること
  治験中に発生したこれまでに知られていない重大な副作用は治験を依頼し
 た製薬会社から国に報告され、参加されている患者さんの安全を確保するた
 め必要に応じて治験計画の見なおしなどが行われます。

● 製薬会社は、治験が適正に行われていることを確認すること
  治験を依頼した製薬会社の担当者(モニター)は、治験の進行を調査し
 て、「治験実施計画書」やGCPの規則を守って適正に行われていることを
 確認します。    


3.インフォームド・コンセント

 医師は「くすりの候補」を使えば病気に効果があると期待される患者さんに、治験への参加をお尋ねします。患者さんの自由な意思にもとづく文書での同意があってからでないと治験は始められません。

 この「説明と同意」のことを「インフォームド・コンセント」といいます。


インフォームド・コンセントの手続き

 医師から、治験の目的、方法、治験に参加しない場合の治療法、「くすりの候補」の特徴(予測される効果と副作用)などが書かれた「説明文書」を手渡され、その内容がくわしく説明されます。

 患者さんは、わからないこと、確認したいことなど、納得するまでどんなことでも質問することができます。

 そして、治験に参加するかしないかは、だれからも強制されることなく、自分の意思で決めてください。説明を受けたその場で決めず、説明文書を持ち帰って家族に相談してから決めることもできます。

 参加することに同意いただきましたら、「同意文書」に患者さんと治験を担当する医師が自筆で署名します。

 同意文書の控えと説明文書は患者さんに渡されます。


説明文書に書かれていること

・治験の目的、治験薬の使用方法、検査内容、参加する期間
・期待される効果と予想される副作用
・治験への参加はいつでもやめることができ、不参加の場合でも不利益は受け
 ないこと
・副作用が起きて被害を受けた場合、補償を請求できること
・カルテ、検査結果などの医療記録を治験を依頼した製薬会社、厚生労働省、
 治験審査委員会の担当者が見ること
・担当する医師の氏名、連絡先
・治験に関する質問、相談のための問い合わせ先
 (説明文書に記載すべき内容は、「GCP」で定められています。)  等


プライバシーは厳重に守られます

 カルテ、検査結果には、患者さんの名前や住所、電話番号などが記載されていますが、プライバシーは厳重に保護されます。



4.治験に参加されるときに患者さんに守っていただくこと

 治験に参加される患者さんの安全の確保と信頼できるデータを集めるために、患者さんには治験中に守っていただかなければならないことがあります。その内容は、インフォームド・コンセントの際に手渡される説明文書の中に記載されています。

一般的な注意事項

●治験薬の服薬方法、検査など
  治験薬の服薬方法、服薬期間、回数を正確に守ってください。
  使わなかった治験薬は、まだ国から承認された薬ではないので、必ず返却
 してください。

● 生活上の注意
  治験の内容や病気の種類によっては食事や運動に関する注意や、飲酒、喫
 煙などの制限があります。

● 他の病院を受診される場合、他の薬を服用する場合の注意
  他の病院を受診したり、新たな薬を服用する場合には前もって治験を担当
 する医師に相談してください。

  他のくすりと治験薬を組合せて使用すると、それぞれの作用を弱めたり、
 または強めたりするなど予期しないことが起こることがあります。
  他の病院を受診される場合は、必ず治験を担当する医師にご相談くださ
 い。そして、他の病院の医師にも、患者さんご自身が治験に参加されている
 ことをお伝えください。

  また、市販の風邪薬や漢方薬などを服用する場合も、前もって治験を担当
 する医師にご相談ください。

● 体調に変化が見られた場合の注意
  治験薬を使い始めて、いつもとちがう症状が見られたときは、すぐに担当
 医師に連絡してください。



5.治験における副作用への注意

 くすりには、病気の症状に応じたさまざまな効果がある反面、好ましくない作用(副作用)もあります。治験に参加される患者さんにとって、不安に思われることの一つである安全性に対して、治験では最も注意が払われます。


治験中に払われている注意
 治験の途中で何度も、製薬会社の担当者が病院へ出向き、予定どおり診察や検査が行われているかを確認します(このことを「モニタリング」といいます。)

 治験を開始前に、この治験の内容を審査した治験審査委員会も、1年に1回以上、治験が適切に行われているかどうかを審査します。

 治験の途中で、死亡や未知の重大な副作用が起きた場合は、速やかに治験審査委員会と製薬会社に連絡されます。連絡を受けた治験審査委員会は、治験の継続の可否について審査します。

 また、連絡を受けた製薬会社は、重大な副作用である場合等には、定められた期限内に国に報告し、必要な場合には治験の見なおしをします。

 治験に参加されている途中には、他の患者さんで見られた副作用などについて説明され、患者さんの治験への継続参加の意思が確認されます。

 インフォームド・コンセントの際にお渡しする説明文書には、治験薬のこれまでに見られた副作用や予想される副作用について説明があり、注意事項が書かれています。説明文書は、よくお読みください。



6.治験に参加いただく患者さんのために

 治験に参加される患者さんでは、通常の治療に比べて通院や検査の回数が増えることもあります。

 このような場合、患者さんの負担を少なくするために、治験を行っている病院では、さまざまな配慮がなされています。

 これらの内容は、病院によって異なりますので、実際に治験に参加される前に病院にお尋ねください。


患者さんの負担を少なくするための配慮の例

・診察待ち時間を短くするように、治験専門の外来診察の設置
・服薬指導や患者さんの相談を受ける専任の看護師・薬剤師の配置
・治験や健康などに関する質問や相談に応じる治験相談窓口の設置
・治験を依頼している製薬会社による治験薬を使用している期間中の検査費用
 と一部のくすり費用負担
・一定の範囲での通院の交通費補助


以上、終わり


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明治以後の日本の歴史は戦争オンパレードでした

2020-08-15 06:23:46 | Weblog
2007-08-11
2013-08-04
2013-08-13




<明治以後の日本の歴史は戦争オンパレード>

徳川時代は平和がつづきました、しかし、明治以後の日本には戦争がつづきました。すなわち明治維新~昭和20年(1945年)8月敗戦までの日本は、戦争オンパレードでした。

  元和堰武     1615年(元和 1年) 3月 大坂夏の陣、豊臣氏滅亡
  王政復古     1867年(慶応 3年)11月 大政奉還、徳川府滅亡
  戊辰戦争     1868年(明治 1年) 1月~1869年(明治 2年) 6月

  台湾出兵     1874年(明治 7年) 5月~10月
   (沖縄県設置) 1879年(明治12年) 4月 琉球併合
  日清戦争     1894年(明治27年) 7月~1895年(明治28年) 4月
   (台湾民主国独立)1895年(明治28年) 5月23日独立宣言
  台湾出兵     1895年(明治28年) 6月~10月 台湾独立軍平定
   (台湾割譲)  1895年(明治28年) 6月 日清 下関条約
  義和団の乱=北清事変 1900年(明治33年) 6月 8ヵ国連合軍の主力 
  日露戦争     1904年(明治37年) 2月~1905年(明治38年) 9月
   (韓国併合)  1910年(明治43年) 8月 韓国併合条約
  韓国義兵討伐戦  1907年(明治40年)~ 1910年(明治43年)
  第1次世界大戦  1914年(大正 3年) 8月~1919年(大正 8年) 6月
   (ロシア革命) 1917年(大正 2年) 3月 2月革命
  シベリア出兵   1918年(大正 7年) 8月~1922年(大正11年)10月
  中国山東省出兵  1927年(昭和 2年) 5月~8月
  満州事変・満州占領1931年(昭和 6年) 9月~1933年(昭和 8年) 5月
   (満州建国宣言)1932年(昭和 7年) 3月
  日中戦争     1937年(昭和12年) 7月~1945年(昭和20年) 8月
  ノモンハン事件  1939年(昭和14年) 5月~9月 ソ連満州国境戦争
  北部仏印進駐   1940年(昭和15年) 9月
  南部仏印進駐   1941年(昭和16年) 7月
  太平洋戦争    1941年(昭和16年)12月~1945年(昭和20年)8月

  
※シベリア出兵はロシア革命干渉戦争です。
  ※仏印とはフランス領インドシナ。現在のベトナム・ラオス・カンボジアの領域にあ
   たる。 


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思いこみ「ヘビににらまれたカエル」 京大研究チーム「ヘビとにらみあうカエル」 こっちは「ヘビが跳んでギョッ」

2020-08-04 04:07:16 | Weblog

◆住宅地の小さい川の遊歩道から鯉を見て蛙を見て
◆サギの低空飛行にうっとりしてヘビが跳んでギョッ

我が家の裏に幅数メートルの川が流れています。丈の長い草が密生していて、夏に橋から写真を撮ると、整備されたグリーンベルトに見えます。きれいな川でもありませんが、50センチ以上あると見える鯉がどっさり生息しています。土色のカエルがのんびり浮いていたり泳いでいたりするのを見ます。腰痛防止にこの川の遊歩道を1000歩、歩くよう心がけています。そうではありますが、歩かない日も多々あって。

電線の上でカラスが見渡していたり、高度制限で3階しかないビルの上にハトが群がっているのが見えます。出色なのは、毎朝、体が白く羽根が灰色をした大きなサギが一羽だけ来ることです。きれいな白鷺は琵琶湖の湖西でよく見たけれど、サギをこんなに目近に見るのはこの川が初めてです。目近にすると、大きい鳥ですね。

サギは川の中に立って動きません。ほんとうに身じろぎもしません。そんなときは、こっちもそうっと立って見惚れています。来るときの姿も見たことがあります。川沿いの遊歩道より低い高さを数十メートル、水平飛行でやってきて音もなく降り立ちました。

半月ほど前のことでした。この川の遊歩道を歩いていて、右肩すぐ後方からこっちへ何か跳んだのが、川と反対側になる右目の端に微かに見えました。反射的に身を避けながら右後方を振り向きました。その瞬間、ギョッ。

見えた瞬間、それは細い若草色のきれいなヘビでまだ宙に浮いていました。そして川と反対側の遊歩道側溝に落ちて、向こうは向こうで焦っている。側溝の底を必死になってくねくね走り、それから上に向かって這いあがって、側溝の上の低い植え込み擁壁の水抜きパイプに逃げこみました。

のんびりと植え込み擁壁の上の繁みから下りかかっている目の前を思いがけず人間の大きな男が通りがかった。そのヘビはよほどびっくりしたのでしょう。這って下りかかっているところでびっくりしてビクンとして、宙に浮いてしまって側溝に落ちたのだと思います。私はその宙に浮いて落ちるところを見たのです。ヘビが跳ぶのを見たのは初めてです。向こうは焦りに焦り、こっちはこっちで、ああびっくりしたあ。


   ◇   ◇   ◇   ◇   ◇


◆「ヘビににらまれたカエル」は怖がっていなかった?  
◆危機脱出の隙を狙うカエル‥‥京大チームが新解釈 
            (毎日新聞 2020.7.7.記事から)

 恐ろしさで身がすくむ状態の例えとして知られる「ヘビににらまれたカエル」。この慣用句の意味が塗り替えられるかもしれない新事実を、京都大の研究チームが突き止めた。カエルが天敵のヘビを前に動かないのは尻込みではなく、駆け引きの結果だった。にらみ合う両者の間には生き残りや捕食をかけた高度な戦略が隠されていた。

 捕食者と被食者(獲物)の攻防は先手を打って動き始めた方が有利になる――。生物学の世界ではこの考え方が一般的だが、カエルの多くはヘビと向き合うと、至近距離に近づかれるまで静止する。対するヘビも急襲せず、両者が1時間近くにらみ合うこともある。こうした行動は従来の「先手有利」の見解では説明できず、カエルの「尻込み」が俗説として広まった。


 研究チームはこの謎を解き明かそうと、トノサマガエルとシマヘビを屋内で対峙(たいじ)させ、両者の動き方を何度もビデオ撮影。野外での観察結果も踏まえて分析した。(上右写真)

 実験の結果、カエルはいったん跳躍すると空中で進路を変えられず、ヘビに動きを読まれて捕まる恐れがあることが分かった。一方、ヘビもかみつく際に折り曲げた体を一気に伸ばすため、先に動くと方向転換できずカエルによけられやすい。かみつきに失敗すると体が0・4秒前後硬直し、カエルを追走できないことも判明した。

5~10センチの距離 先手後手を使い分ける両者

 さらに、カエルがヘビの先制攻撃をかわせない距離(5〜10センチ)では、両者ともに先に仕掛ける動きを見せた。両者は相手との距離に応じ、戦術的に先手か後手かを巧みに使い分けることで、状況によって我慢比べのような足踏み状態になっていることが推察されたという。

 研究チーム代表だった基礎生物学研究所の西海望さん(当時は京大理学研究科博士課程)は、「『ヘビににらまれたカエル』は恐怖で動けない例えではなく、危機を切り抜ける瞬間を虎視眈々(たんたん)と狙う状態の比喩として使う方が、生物学的には正しいかもしれない」と話した。

 研究論文は今春、カナダの国際学術誌「カナディアン・ジャーナル・オブ・ズーロジー」の電子版(https://doi.org/10.1139/cjz-2019-0164)で紹介された。同誌は6月、優れた論文に選出した。【田畠広景】




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