川本ちょっとメモ

★所感は、「手ざわり生活実感的」に目線を低く心がけています。
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愛知/リコール運動不正 大阪/維公連携議会で「都構想大阪市民住民投票2回とも否決」の骨抜き条例、戦後民主主義でも前例のない悪事

2021-03-24 17:12:42 | Weblog




【維新の会と大阪府市の関係に関連する記事一覧】

2018-12-29
<大阪都構想> 松井一郎大阪府知事(日本維新の会代表)が2回目住民投票に関する維公合意書を記者会見で公表
2019-01-08
橋下徹氏と大阪維新の動き 安倍首相へのおねだり成果
2019-01-26
<大阪維新> 橋下徹府知事(当時)が大阪府庁の咲洲(湾岸埋立出島)全面移転にこだわったことで「この人はあかんわ」と思いました(1)
2019-01-28
<大阪維新> 橋下徹府知事(当時)が大阪府庁の咲洲(湾岸埋立出島)全面移転にこだわったことで「この人はあかんわ」と思いました(2)
2019-02-24
<大阪維新> 橋下徹府知事(当時)が大阪府庁の咲洲(湾岸埋立出島)全面移転にこだわったことで「この人はあかんわ」と思いました(3終)
2019-02-27
<大阪維新> 橋下徹氏は経済人・国政政治家の後援を確認してから出馬した/二重行政問題は大阪市を制御したい府目線
2019-03-09
橋下徹大阪府知事時代 二重行政改革、府市水道統合協議、WTC府庁移転に隠されている大阪市支配への意欲
2019-03-31
大阪では維新政治が安定しません / 都構想なしの太田房江府知事時代には府市連携協議が持たれていました
2019-04-02
<大阪維新> 橋下徹大阪府知事は二重行政改革の手始めに、前任太田知事の府市水道協議成果である「府水道予算800億円削減案」を見捨てた



 
  ※3月25日、「3回目に都構想のホンネが現れた」の項を改稿しました。 
   ※3月25日、(追記2)(追記3)を追加しました。
 

 ■愛知県知事リコール運動不正書名
 
昨年の大村愛知県知事リコール運動の住民署名のうち8割が不正署名だとして、愛知県選管が先月、愛知県警に告発しました。住民意思の直接表明という貴重な機会を利用したとんでもない悪質な事件です。起訴から公判の結果まで、経緯と関与者の明細に今後も注目を要します。
  
リコールは昨年6月2日に美容外科の高須院長が名古屋で記者会見して始まり、当初から河村名古屋市長が運動の中心に加わっていました。また、高須院長の記者会見と同じ2日、吉村大阪府知事が府庁内で「賛同します」と記者質問に答え、明けて3日、松井大阪市長が吉村大阪府知事に愛知県知事リコール運動への介入を控えるよう注意するということなど、話題を呼びました。運動の田中孝博事務局長は元愛知県議で日本維新の会衆議院愛知県5区支部長。告発後に支部長を辞任しました。多分に政治的で悪質なリコール運動だったことがうかがえます。
 

■維新の会の執念「大阪都構想」
ひるがえって、維新の会執念の大阪都構想。
 
都構想とは何か。ひとことで表現すると、「大阪市の廃止解体 → 大阪府の特別区として収容」する構想です。
   
当初は、大阪市に境界を接する市を含む大阪府北部広域を一つにして、これを20の特別区に分割配置する都構想でした。しかし当時、対象になる市がすべて反対を表明したので、大阪市だけを分割して大阪府直轄指導下の特別行政区にするという都構想に変容しました。
 

■都構想大阪市民住民投票を2回くり返す、2回とも否決 
  
2015年5月17日、大阪都構想の採否を問う大阪市民住民投票実施。結果は、否決。同じテーマ「都構想」で2020年11月1日、懲りずに2回目の大阪市民住民投票、否決。
  
昨年2020年の夏ごろから、住民再投票に現実味が帯びてくると、同じテーマ「都構想」で2回目の大阪市民住民投票を行うことに批判が起こりました。
  
住民投票はすでにやったではないか、あれはなんのための住民投票だったのか、住民投票結果が可決になるまでくり返すのか、と。
  
再投票させるということは、2015年の住民投票で「否決票」を入れた大阪市民の意思が「まちがった判断だった」と、大阪府知事や大阪市長、大阪府市議会議員が判定したから、大阪市民住民投票をやり直す(2回目)という理屈になります。   
  
さらに、コロナ禍でみんなが苦しんでいるまっただなかだから、不要不急の大阪市民住民投票などコロナが終わってから考えればよいと、2020年秋の再投票実施に反対の声も多くありました。一度結果は出ているのですから、もっともなことです。
  
しかし政界観測筋は維新の会の気持ちをこう解説していました。――2020年末までに衆院選があるかもしれない。公明党協力を確実にするためには衆院選前に2回目住民投票をしなければ、可決はおぼつかない。
  
こういう維新の会の都合で昨年2020年11月1日、再投票。否決。


■3回目に都構想のホンネが現れた / 大阪府市広域行政一元化条例、可決へ
  
3回目。もう住民投票のやり直しはできません。3回目は、「大阪府市広域行政一元化条例」の制定という手段に出ました。
  
大阪市民住民投票2回の都構想否認によって「都構想」行政改革というタテマエの実現は崩れました。 
  
ここで維新の会は「都構想」行政改革のホンネを現しました。ホンネとは「大阪湾岸開発」です。 
  
湾岸開発は橋下徹氏の大阪府知事時代からひきつづいて、維新の会が意欲をたぎらせている課題です。湾岸のほとんどは大阪市の行政下にあるので、これを大阪府の行政下に収容するのが維新の会の念願です。
  
そして、迫りくる大阪万博2025。大阪万博2025は大阪湾岸カジノタウン化計画の露払いです。大阪万博(夢洲)開催のためのインフラ整備は、カジノタウン化計画にそのまま流用されます。
  
大阪では、大阪都構想は維新の会の一丁目一番地と言われてきました。その一丁目一番地のホンネは大阪湾岸開発。大阪湾岸開発の目玉であるカジノタウン計画地は大阪万博2025会場と同じ湾岸埋立地の「夢洲ゆめしま」です。
  
カジノタウン計画地造成に必要なインフラや特に必要なアクセスインフラの整備を、大阪万博2025のためという目的でインフラ整備したい。これがこのたびの「大阪府市広域行政一元化条例」を急ぐ理由だと考えます。
  
要は、大阪府が必要とする分野の行政権限とそれに必要な財政資金を大阪市から召し上げるというのが、「大阪府市広域行政一元化条例」の本質です。

 現在の吉村洋文大阪府知事(日本維新の会副代表)、松井一郎大阪市長(日本維新の会代表)にとって、議会を通すことはとても簡単なことです。――維新の会は大阪府議会で49議席で単独過半数。大阪市議会では40議席で、公明党18議席を足して過半数。
  
公明党は府市「対等の立場」という文言を挿入するなどの一部修正案を維新の会に提示し、維新の会はこれに応じる予定で、3月中に条例が成立する見込みと、ニュースが流れています。
  
小手先の修正やりとりは公明党の顔を立てるだけの出来レースで、住民投票2回の否決を無視する骨抜き条例という大要に変わりはありません。
  
(3/25.追記1)3月24日日暮れのニュースが大阪府市一体条例が府議会を通過したと
        伝えました。
  

■住民投票2回の結果踏み倒しは前例のない悪事
  
「大阪府市一体条例案」は、民主主義が最も大切にしなければいけない住民直接投票の意思決定結果である「大阪都構想をめぐる大阪市民住民投票2回否決」を、堂々と骨抜きにするものです。
  
最大に尊重しなければいけない住民投票を2回も実施しておいて、2回否決が気に入らなければ、3回目は議会を利用する。維新の会•公明党両党の握手で「大阪都構想大阪市住民投票2回とも否決」の結果を無視、骨抜きにする条例を可決して、都構想の実質利権の差配を大阪府が手中に帰するという策略。これほどの民主主義無視、民主主義踏み倒しは、1945年以来の戦後民主主義でも前例のない悪事です。
  

(3/25.追記2) 


大阪府と大阪市の一元化条例案 修正案が大阪府議会で可決 NHK 3月24日

 大阪府と大阪市の広域行政を一元化するための条例案について府は、知事と市長が対等の立場で議論を行う規定などを新たに加えた修正案を府議会に提出し、大阪維新の会や公明党などの賛成多数で可決されました。修正案は、26日、大阪市議会でも可決される見通しです。

 ――中略――

 吉村知事は、記者団に対し、「府市がバラバラではなくこの10年間、一体で取り組んできたことを続けることが大阪の成長につながる。同じ方向性を持って大きな成長戦略や都市戦略を実行していきたい。その一歩をきょう踏み出すことができた」と述べました。


  
上は、大阪市の開発関連行政権限と開発関連予算を手中にした、そして都構想「大阪市民住民投票2回連続、否決」という結果を足蹴にした、吉村大阪府知事の喜びのコメントです。

  
しかし、大阪の吉村知事と松井市長肝いりの湾岸カジノタウン構想は今、頓挫しています。コロナ不況のため、大阪進出を当てにしていたアメリカ企業が進出を辞退したのです。
  
これは、コロナ後に景気が回復して進出希望の外国カジノ企業が手を挙げたとしても、不景気になれば外国カジノ企業がドライに閉業して撤退することを証明しています。

  
カジノの大阪湾岸進出には反対も多い。しかしそれを別にしても、一業種、一企業に過剰に寄りかかる観光業政策が危険なことは、昨年来のコロナ禍で誰もがよく知っている現在進行形の事実です。


そして、下の追記3のニュースをご覧ください。
  
松井―吉村ラインが推し進めてきた、そしてこれからも同じ方式で進めようとしていることの弊害、短所が、公示地価大幅下落地点「全国トップ10」の8地点が大阪というニュースに表れています。

 
(3/25.追記3)  


「公示地価」繁華街で軒並み下落 大阪・ミナミが全国ワースト
 新型コロナの影響くっきり
 大阪ABCテレビ 3月24日19:02

土地の価格の動きを示す「公示地価」が発表され、京阪神で軒並み下落したことがわかりました。大阪・ミナミの下落率は全国で最大です。

 1月時点の評価を基に発表された「公示地価」では、去年9月に閉店した大阪・道頓堀の「づぼらや」跡地の下落率が全国の商業地で最も大きく、1平方メートルあたり580万円と去年と比べ28%(225万円)下落しました。また、全国の商業地で下落率が大きかった1位から10位までのうち、8地点が大阪・ミナミエリアです。


  

  
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昔のフォークファンにうれしい知らせ 「帰ってきたヨッパライ」が4月1日、白鷗大新学長に就任

2021-03-23 03:59:26 | Weblog


フォークソングの「帰ってきたヨッパライ」が大ヒットした当時、北山修氏は京都府立医大の医学生でした。

京都府立医大は当時と今も変わらずに河原町今出川を南に下ったところにあって、表は河原町通り、裏は鴨川に面しています。母の知人で外科に小林という先生がいらっしゃって、その縁で母が府立医大付属病院に入院していたことがあります。私が高校生のときで、病室から鴨川を見下ろせる良い病院です。母といっしょに小林先生に親しくしていただいて、「解剖実習で貧血をする奴が必ずいて、そういうのは内科行きや」というお話を覚えています。

昔話になりますが、私は高校生のときから大人になるまで二条城の向かい、東堀川通に住んでおりました。立命大の法学部に入学して、自転車か歩きのどちらかで京都御所の下立売御門から清和院御門へ横断して通学しておりました。私が在学していたときの法学部のキャンパスは京都府立医大のはす向かい、すなわち河原町通りの西側にあって、反対側は寺町通をはさんで京都御所という立地にありました。でも今はその地にありません。

という個人的な事情で、「帰ってきたヨッパライ」をとりわけ懐かしく思うしだいです。歌は思い出とともに。


 白鷗大新学長に北山修氏 「ザ・フォーク・クルセダーズ」
                   毎日新聞 2021/03/23 00:08

 白鷗大(栃木県小山市)は22日、奥島孝康学長の任期満了に伴い、北山修名誉教授(74)が4月1日付で新学長に就任すると発表した。

 北山氏は京都府立医科大を卒業し、九州大教授などを歴任。専門は精神分析学と精神医学で、2013年から17年まで、白鷗大副学長を務めた。ミュージシャン、作詞家としても知られ、1960年代には加藤和彦氏らと「ザ・フォーク・クルセダーズ」を結成し、「帰って来たヨッパライ」が大ヒット。「戦争を知らない子供たち」などの作詞も手がけた。




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他民族の同化政策、昭和天皇の教科書「国史」に見える帝国主義と習近平中国の帝国主義

2021-03-18 14:41:10 | Weblog



■東宮御学問所は生徒6人で7年間学ぶ

昭和天皇は1908年(明治41)、学習院初等学科に入学し、1914年(大正3)春から1921年(大正10)春まで東宮御学問所で学ばれた。東京高輪にあった東宮御所は、後の昭和天皇すなわち皇太子裕仁親王の御所です。

当時の中等学校は5年制、高等学校は3年制であったところ、言うなれば7年間の中高一貫特別教育を東宮御学問所で受けたことになります。

御学問所で学ぶのは皇太子裕仁親王のほかに御学友に選ばれた5人だけです。学習院大学白鳥庫吉教授が国史、東洋史、西洋史を御進講する御用掛の任を受けました。そして白鳥庫吉教授は専門とする国史と東洋史について、御進講用に新たな著述をまとめて臨みました。

2015年(平成27)7月、昭和天皇が学ばれたこの国史が、800ページ近くの『昭和天皇の教科書 国史――原本五巻縮写合冊』と題して勉誠出版から刊行されました。旧漢字、旧仮名遣いもそのままで、縮写合冊という名の通りのものです。

私は「昭和天皇の教科書」への好奇心から、刊行時にこの新刊書を買いました。目次をざっと見てみると、歴代天皇紀とでもいうような構成になっています。当然といえば当然ですね。天皇に成ることが決まっている少年に、帝王学としての日本史を授けるのですから、わたしたち誰もが知っているような主要な政治・社会のできごとを叙述し、そういう政治・社会の中で天皇はどういう位置にいたかということをほんとうに簡単に記してあります。細部の歴史の息吹は講義の中で伝えられたことでしょう。

しかし、私が今回話したいことは、「國史 巻一 第一章 総説 二、帝国の民族」というところです。


    國史 巻一
     第一章 総説
      
二、帝国の民族


日本民族は所謂黄色人種の一派なれど、同じく之に属せる幾多の民族中にありて特殊の位置を有す。(※1

此の民族は悠久の太古より我が國土に居住し、而して皇室の之を統一して帝國を肇造し給ふに及びては、啻
ただに國家の元首として之を統治し給ふのみならず、また其の宗家として之と一家の親みを有し給ひ、靄然あいぜんたる至情の其の間に存するを以て、國家の基礎極めて鞏固きょうこなるを得たるなり。

而して皇室が萬世一系なると同じく、國民もまた父子相承け氏族繁衍して今日に至り、未だ曾て民族の變動
へんどうせしことあらず。されば建国の古、皇祖を輔翼し奉りし國民の子孫は祖先の遺志を繼承して永く忠良の民となり、歴代の皇室は祖宗の臣民を愛撫し給ひし宏〇(言+莫)に遵ひて常に其の協力に信頼し給へり。これ實に我が國體こくたいの精華なりとす。

上代には日本民族の東北に隣接して蝦夷と稱する民族ありしが、其の地の我が領土に入ると共に、多くは北方に遁れて今のアイヌとなり、其の一部は服属して漸次日本民族の血族中に融解和合したり。其の他支那人朝鮮人等の我が國に帰化し來れるものも尠
すくなからざりしが、これもまた我が民族に同化せられて其の跡を留めざるに至れり。

されば我が國民は古來同一民族なりきといはんも決して誤謬にあらず。

然れども現代にありては臺灣
たいわんに支那人及び幾多の生蕃あり、樺太千島にはアイヌ、おろっこ、ギリヤーク等の諸族あり、朝鮮人もまた別種の民族なれば、帝國は今や言語容貌風俗の同じからざる數多の民族を包有せりといふべし。

而して古來の日本民族は其の首腦にして且つ優秀の地位を占むるを以て、皇室は其の協力輔翼によりて國政を行ひ給ふと雖も、新附の異民族も齊しく帝國々民の一部なれば、またよく之を愛撫教導して漸次日本民族に同化融合せしめ、以て渾然たる一大民族を形成せんことを期し給ふなり。 (※2)

   
(注) 原文は現代の感覚から見れば改行が実に少ない。読みやすくするために、
    改行と一行空けを施しました。さらに、原文にはふりがなが一切ありません。





■中国の習近平帝国主義と民族 

上の青字文章(※1)と(※2)赤色語句を下のように置き換えてみます。

     ◇

漢民族は所謂黄色人種の一派なれど、同じく之に属せる幾多の民族中にありて特殊の位置を有す。 (※1) 

而して古來の漢民族は其の首腦にして且つ優秀の地位を占むるを以て、中国共産党最高指導部は其の協力輔翼によりて國政を行ひ給ふと雖も、新附の異民族も齊しく帝國々民の一部なれば、またよく之を集団収容強制教導して漸次漢民族に同化融合せしめ、以て渾然たる一大民族を形成せんことを期し給ふなり。 (※2)

中国は今、1000万人規模のウイグル族の同化を集団収容強制教導して、国際的な非難を浴びています。



■軍国日本の中国進軍 

下記は中国満州を植民地にして、さらに中国本土を南下進軍し始めた日本の記録です。当時の中国は、日本の軍事的進出が激しくなることでどれほど苦しんだことでしょうか。中国の軍事大国化と尖閣攻勢。日中間の立場は昭和戦前と逆転して、これからの日本は受け身の立場になります。

〇1928(昭和3).06.04.
 日本関東軍による張作霖爆殺事件 ※関東軍‥‥在満州、植民地常駐日本軍                

〇1931(昭和6).09.18.
 満州事変。関東軍自ら中華民国奉天郊外柳条湖で南満州鉄道線路を爆破。これを中華民国側による爆破として、関東軍と朝鮮軍が政府の命令なしに出動して、満州(中国東北部)全域を占領した。 ※朝鮮軍‥‥在朝鮮、植民地常駐日本軍

〇1932(昭和7).01.18.
 第1次上海事変、日中両軍が武力衝突

〇1932(昭和7).03.01.
 満州国、建国宣言 ※中国の領土内に建国なので申し分のない侵略行為です



■2010年、中国GDPが世界第2位 日本は追い越された

中国のGDPが2010年、日本を追い越して世界第2位になりました。日本は3位、「42年ぶりに転落」と当時の日本経済新聞の見出しが伝えています。

中国の経済力の増大ぶりは目をみはるばかりです。それにつれて、日本の観光関連や物販業界は訪日中国観光団を当てにするようになりました。政府は口を開けばインバウンド、インバウンド。わが奈良県のお隣の大阪の府知事も市長も口を開けばインバウンド、インバウンドでした。

日本の住人から見れば中国人観光団は「お行儀がもひとつ」というところも見えましたが、そのうちにお行儀も落ち着いてくるでしょう。日本人もかつてそうでしたから。

日本人も海外旅行が大衆のものになってからは、外国観光先で顰蹙を買っていた時期がありました。云く、ホテルの廊下を浴衣はだけて歩いたノーキョーさん。云く、買春あさりの男性団体は来ないでほしい。

さて、日本のデパートやホテルや観光地が中国人観光客の来日でうるおって喜んでいる一方で、西太平洋に中国が勝手に線引きした第一列島線という境界と中国大陸に囲まれた海の中国海空軍支配を急速に進めて、今や「中国の海」のようになりました。



2012年11月、習近平が中国の指導者になり軍備強化急拡大

歴史上の王国にとっても近代国家にとっても、軍事力で勃興し世界を支配するという武力の論理は何にもまして魅力があるようです。

中国が南シナ海・東シナ海に勝手に線引きした第一列島線内のいくつかの岩礁を埋め立てて島と成し、島は軍事基地に成りました。今、中国による海洋線引き、第一列島線内の大陸側は、ほぼ中国の海になってしまいました。

習近平中国は、古代・中世中国王朝の朝貢外交の版図を思い描いている可能性があります。朝貢を受け入れ、代わりに官位を授けた独特の外交関係。朝貢してきた中国外縁の諸地域を中国に臣属してきた領域として、中国に支配権があるという思考法が宿っているのではないかという気がします。史実の領国ではない地域に対して領国であったかのような扱いをする見方はとんでもないことです。

1931年、満州(中国東北部)を日本軍が侵略占領しました。それからというもの日本の中国本土侵略を、中国は止めることができなかった。日本軍の侵攻が中国の人々にどれほどの不安と苦しみを与えたことでしょうか。

昭和戦前とは日中の立場が逆転しました。中国の香港接収や東シナ海・南シナ海での中国海空軍の活動に、日本が不安を感じる時代になりました。油断できない時代になりました。


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戦時沈没艦船乗組員・陸軍兵の海上緊急避難と東北大津波の住民緊急避難と刑法の緊急避難と

2021-03-12 11:08:22 | Weblog

中学生か高校生の時代に、雑誌「丸」に載っているような戦記を盛んに読んだ時期がありました。そのころは勇ましい戦記物ばかり読んでいました。山岡荘八の徳川家康、吉川英治の太閤記、三国志を全巻読んだのもそのころでした。

司馬遼太郎の明治維新物を読みふけったのはもっと後の二十歳代後半でした。この明治維新物のうさんくささに目覚めたのちに吉村昭に進みました。もう中年に首をつっこんだころでした。天狗争乱、桜田門外の変、生麦事件、海の史劇、関東大震災、戦艦武蔵ノートほかいろいろと読みました。生麦事件を読んだときには併せて大岡昇平の堺港攘夷始末を読みました。

このように戦記物や戦国・維新の争乱時代のものをずいぶん読んできて、読書傾向も変わっていきましたが、戦記物の読み始めは太平洋戦争初期の勝ち戦のものばかりでした。

■戦時沈没艦船乗組員・陸軍兵の海上緊急避難
その中に旗色が変わり始めた海軍の話がありました。南洋で撃沈された輸送船護送船団の話だったというだけで詳しくは覚えていません。たくさんの陸軍兵や
艦船乗組員が海上で漂流しています。漂流物がいっぱいあります。ごく少数の幸運に恵まれた者だけがカッターに乗っています。皆、生きるために必死です。鮫に引きこまれる者がけっこういて、その恐ろしい描写が記憶に残っています。

もう一つ、鮫の恐怖以上に確かな記憶として残ったものがあります。助かろうとしてカッターに救いを求める者は誰であれ、突き放されました。当然です。誰かを救うことによってカッターは沈むかもしれないのです。

同じように、多くの漂流物が浮いていて、それには必ず先着の人が取りすがっています。漂流物によっては一人や二人でなく数人が取りすがっています。しかし、それ以上一人でも多く取りすがると沈むという状態になると、カッターの者と同じように新来者を突き放します。

取りすがっている者でも力尽きて沈んでいく人がいます。鮫に引きずりこまれる人がいます。漂流物に取りすがることのできなかった人はなおさらです。

これを読んだときに私は、平和な時代の遭難船でこんなことが起きて、自分が生きるために新来者を突き放す人がいて、突き放された人がそれが原因で死んでも誰を責めるわけにはいかないと思いました。

しかし突き放した者は、生涯、罪の意識を逃れられないだろう。生きている間にこういう場面に出会いたくないと、ずっと思ってきました。ただ、私はそうなったときに、その人を自分がつかまっている漂流物に交代でつかまらせるかもしれません。生きるか死ぬかの瀬戸際のことなので、実際にはそのときに際会して自分がどう処するかはわかりません。でも自分では、突発的にそういうことをするかもしれない性質があると思う些細な体験があります。


■東北大津波の住民緊急避難
東北大津波のときに緊急避難した人のつらい体験を見つけました。


「ばっぱの手を放せ!」津波迫る中、妻に叫び、高齢女性‟置き去り”に
  …心の傷さらけ出し教訓伝える 
福島テレビ 2021.02.24. 水曜 06:30
                                                        https://www.fnn.jp/articles/-/145619


東日本大震災では多くの人が犠牲になった一方、助かった人の中に傷を抱えている人もいる。語り部として、“その傷”をあえてさらけ出し、震災の恐ろしさ、そして教訓を伝える男性がいる。


■津波で116人が犠牲に…今も残る心の傷

福島県といわき市の震災伝承施設で、語り部を務める大谷慶一さん。東日本大震災の津波から逃げた時のことが、今も心の傷となって残っている。

○大谷慶一さん:
 私は逃げないどころか、海岸まで見に行ってしまったという、愚かな愚かな行為をしています。

(ナレーション)地震のあと、海に向かった大谷さんは、それまで見たことのなかった光景を目の当たりにした。海底があらわになった様子を目にした大谷さんは、自宅近くの高台にある神社を目指した。その途中、自宅近くで妻の加代さんと、飼っていた2匹のイヌと合流。そこには、近所に住む高齢の女性2人の姿もあった。

○大谷慶一さんの妻・加代さん:
(2人は)足が悪いので、ウチの脇まで連れてくるのにやっとだった。

(ナレーション)目指す神社まで、もうすぐという場所まで来たその時…

○大谷慶一さん:
 後ろを振り返った時に見たホコリのようなもの、これを見た瞬間に「(津波が)来た」と叫んだ。私は1人だけ。3人と2匹を置き去りにしたんです。

○大谷慶一さん:
 私の家内は、おばあちゃんの左腕を右手でつかんでました。私は後ろを振り返った瞬間に「ばっぱの手を放せ!」と叫んでいました。その時のお婆ちゃんの目の色、今に至るまで片時も忘れたことはありません。

(ナレーション)高齢の女性2人は津波にのまれ、1人は助かったが、もう1人は数日後に遺体で発見された。

○大谷慶一さんの妻・加代さん:
 まだウチの主人も、おばあちゃんを助けてあげることができなかったという事で、まだ辛い思いしてるんです。

○大谷慶一さん:
 思い出すと、それを無理やり、封じ込めるようにしています。でも忘れようとしても忘れられないでしょ。あの時、あのおばあちゃんの目、見てるんです。


■誰かの誰かの命救うため経験を教訓に

(ナレーション)心に傷を負い1年が過ぎたころ、大谷さんは語り部の活動を始めた。

○大谷慶一さん:
自分の身を守る為に、どういうふうな行動を取ればいいのか。それぞれ1人1人全部違うはずです。いる場所によっても。

(ナレーション)震災の経験を教訓にしてほしい。自分にとっては「心の傷」でも、誰かの命を救うことにつながればと考え、ありのままを伝えることにした。

○大谷慶一さん:
 気持ちの中に押し込めているだけではダメだと思ったんですね。われわれがね、自分の犯した間違いを例に出して、ここで116人亡くなった人の例を出して、一生懸命言わなきゃいけない。

(ナレーション)あの日から、まもなく10年。

山があった場所は切り崩され、住宅地が造成された。でも、大谷さんが家を新築したのは、津波で被災したかつての自宅があった場所の近く。

○大谷慶一さん:
「何で大谷さんは津波の水が入ったところに家を作るんだい?」
よく言われるんですけどね。これはもう何回も言いますけど、サケと一緒、帰巣本能です。

(ナレーション)ありのままを受け入れて、生きていこうと考えている。

 ○大谷慶一さん: 
 死んでしまった人はもう何も言えません。われわれは、大きな犠牲の中から、学ばなきゃならないこと、学ぶべきことってのはあるんですよ。

(ナレーション)復興が進み、地域の姿が変わっていくからこそ、震災の記憶、そして教訓が伝えられていく必要がある。



■刑法第37条(緊急避難)

緊急避難とは言え、刑法は上記のお話と違って犯罪の規定です。しかし、人が自分の危機を逃れるために行った行為は免罪されるという規定で、この規定を初めて目にした学生時代からというもの未だに忘れられない感動を覚えました。生きている人間としての情を刑法の中に見つけた思いがしたのです。

刑法第37条
1.自己又は他人の生命、身体、自由又は財産に対する現在の危難を避けるため、やむを得ずにした行為は、これによって生じた害が避けようとした害の程度を超えなかった場合に限り、罰しない。ただし、その程度を超えた行為は、情状により、その刑を減軽し、又は免除することができる。
2.前項の規定は、業務上特別の義務がある者には、適用しない。



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眞子さまの結婚についてどう思うか、書きたいと思い立ちました 

2021-03-02 18:46:56 | Weblog

眞子さまの結婚についてのアンケートがありまして、私も日ごろ思っていることを書きたいと思い立ちました。


今のままで眞子さまが結婚するのは人権上自由です。しかし皇族という日本で最も特別な身分には法律上や道義上の制限があります。


「道義上」という点を軽視ないし無視することは、将来に皇族全体の存続に影響を与えるでしょう。皇族全体の存続は盤石ではありません。それは国民全体の天皇不可侵の共同幻想によって成り立っています。


天皇の存在危機は歴史上いくつもありましたが、そのたびに危ういところを逃れてきました。なぜでしょうか? その折々に、中央・地方の支配者たちおよび民衆の間に、それぞれの時代々々に応じた天皇に対する不可侵の共同幻想が抜きがたく存在したものと考えます。


しかし共同幻想は潰える萌芽を常に孕んでいます。歴史上、暗殺された天皇はいます。暗殺説のある天皇もいます。自殺に追いこまれた皇位継承有資格者もいます。室町将軍や徳川将軍は外交上、国王と名乗りました。昭和敗戦は最大の危機でした。国民の支持を背景にした昭和天皇自身が米軍占領統治に恭順協力することで、戦勝国の天皇制廃止論から逃れました。


今の上皇、上皇后、天皇、皇后は「国民のために」という命題に尽くしてこられたと見受けられ、この結果、日本国民は全体として天皇への、そして天皇家への共同幻想という安定感を得てきたものと思います。


自分が生まれてきた使命ないし宿命の役割を真摯に生きてこられた天皇家の平成・令和の積み重ねに、眞子さまは反抗しています。この天皇家の積み重ねの意義について、眞子さまはまったく理解できていないか、理解していてもそういう人生を拒否しているかのどちらかでしょう。


こうして眞子さまが、皇族離脱や元皇族としてさまざまな特権を放棄しないままに問題のある小室圭氏との「結婚の自由」を実行されるならば、「天皇不可侵」の共同幻想とその延長線上にある天皇家や皇族への共同幻想の内容にも変化が起きます。天皇家一族の行いに応じて、共同幻想の内容も変化していきます。


眞子さまがあくまで一般国民と同じ人権上の自由を貫きたいのであれば、小室圭氏との結婚に伴う皇族離脱と同時に、元皇族という身分に与えられるであろう特権もしくは利権を放棄するべきでしょう。すなわち伊勢神道ほかの宗教的地位や公益法人ほか社会的諸団体を含むさまざまな公私の地位や公私の報酬の謝絶宣言をするべきと考えます。


このことの結果しだいでは、皇室一般を見る国民の目に変化が起きる端緒になるでしょう。


沈黙を貫く小室圭氏のこれまでの姿勢は、論外です。結婚しようと心に決めている相手(眞子さま)と相手の両親(秋篠宮)と今上天皇までもが自分のことで気苦労しているにもかかわらず、その気苦労をやわらげるためにいかなる微力も尽くさない人に好感を持てというのは無理なことです。


米国留学中の小室圭氏は優秀な成果を収めていると聞こえてきます。米国でなんらかの成果を出してからというのであれば、それを正直に語ればよい。かたくなに沈黙を守る彼は何を企んでいるのでしょうか。不審です。


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