古い話を持ち出します。
1973年(昭和48年)10月、第四次中東戦争勃発。それにともなう石油危機をきっかけにして、極端な物不足が起きました。当時、私は東京の会社に勤める若いサラリーマンでした。時は今太閤と呼ばれて大人気の田中角栄首相の時代です。
勤務先の会社の独身寮が地下鉄「中野新橋」駅裏にありました。会社にはここにマンションを建築する計画がありましたけれど、生コンの価格高騰が激しいために、着工をいつにするか悩んでいました。そして、悩んでいるという話を聞いてからそんなに月日が経たたないうちに、建築計画が中止になりました。その理由は、「生コンが手に入らない」というものでした。
同じころ、1973年(昭和48年)の歳末だったと思いますが、京都で小さい小さい喫茶店をやっている母から電話が入りました。生活必需品は店頭に並びしだい、すぐに売り切れるという狂乱状態がつづいていました。
「店で使う砂糖がどないしても手に入らへん。店を閉めんならん。東京で手に入らへんか」
喫茶店を営業できなければ生活できません。非常事態。私が勤める会社は新宿2丁目にありました。夕方でしたが、すぐに会社を抜け出してスーパーに行きました。その店がどこにあったかなど細かいことはもう記憶にありません。店に行きましたらなんと幸運なことか、ちょうどダンボール箱から砂糖を出して棚に積み上げ始めたところでした。私はダンボール1箱分をそのまま買って、その日のうちに京都に送り出しました。
中東戦争による石油ショックで、日本経済は混乱状態にありました。そのころ、全国どこでもいろんな物資・品物が不足して、生活や生産に障害が起きていました。全国どこでも、生活必需品が入荷すると同時に売り切れになりました。そのありさまを、私はテレビニュースで見ていました。モノがなくなるという不安が人々の間に蔓延していました。
「誰かが買い占めているからモノがなくなる」とは、すぐに思いつくところです。また子どものいる家庭で、おかあさんがモノ不足に備えて買いだめに走るのは当然です。誰しもが生活防衛のための買いだめを経験していました。誰かが買い占めているにちがいないと思いつくのは当然のなりゆきです。
大商社がいけにえになりました。モノ不足は大商社が買占めをして出し惜しみをしているからだ。そいういう非難の大波が大商社に押し寄せました。三井でも三菱でも伊藤忠でも商社ですから、もうけるためにそういう部分がきっとあったでしょう。でも、ほかの企業もたくさん商いレースに参加しています。政府・地方自治体の対応遅れもあったでしょう。誰よりも、列島改造ブームという当時のバブル経済そのものが主犯でした。しかし、大商社だけが極悪人のように言われていました。
それは大きな経験でした。仕立てられたいけにえに、不満の矛先をつき向ける。正義の装いをまとって。私たちの心にはそういう気持ちが潜んでいます。
古いアメリカ映画の西部劇でリンチで絞首刑にするシーンを思い起こしました。学生自分に読書で学んだ、西洋中世の魔女狩りを思い起こしました。東京で、私の生活の場所で、生コンがなくてマンション建設が中止になりました。私自身が砂糖の買いだめに走って、京都の母に送りました。人々の気持ちが一つの方向に熱狂的に走るときは、何かがある。