脳梗塞で退院してきたときから、母はすっかり変わりました。神様、仏様、天使のようになったのです。
若いときから強い母でした。私が大学生だったころ、こういうことがありました。当時は京都・中京に住んでおりました。
ある夏の宵、家の前の歩道で、私は飼い犬(コリー)のブラッシングをしておりました。私と同じ年ごろの若者が通りすがりに、犬を蹴って行きました。無言でなにごともないような風情でポンと蹴って、通りすぎました。
私は反射的に「何すんねん!」と叫び、ふりむいた男と口論になりました。するとちょっと先を歩いていたグループがもどってきました。仲間がいたのです。私は、同じ年ごろの数人に囲まれて、言い争いになりました。そして南の夷川通りの暗がりの方へ連れていかれそうになりました。
そのときです。母が家から飛び出してきました。「うちの子になにするんや、あんたらどこのもんや」。その剣幕に気おされて、彼らは立ち去っていきました。私の身長は176cm、母は私より20cm以上低い。小さな母が数人の男を相手に、大きな息子を救ったのです。
母はまた、話好きで話し上手でした。にぎやかで陽気で華やかな性格でした。要所は少し誇張ぎみに脚色して、おもしろおかしく話します。私と私の弟の二十歳代、小さな喫茶店をやっていました。母のまわりに集まる若い常連客がいました。彼らの中心は弟の友だちでした。母は彼らを集めてボーリングチームを作っていた時期があったほどです。
そんなわけで、いつも人の話の中心にいました。自分中心があたりまえでしたので、人にゆずるという心がけは不得意でした。そこのあたりで、家内とはよく衝突しました。結婚十年くらいまでは、母が一方的に攻め、家内は悲哀を蒙っておりました。十年を過ぎたころからは家内も少しづつ強くなり、母が1回目の脳梗塞を起こした2004年ごろには、逆に母がくやしい思いをすることもありました。嫁姑がいさかいをするときは、甲乙つけ難しという状況でした。
とはいいましても、世間並みの嫁姑よりも仲が良かったと私は思っております。母は情が厚かった。家内も情が厚いのです。ま、どちらにしても、毎日の生活の中で家内との間に気持ちのゆきちがいが起きるときはありました。
母の口癖は「頭にきた」です。日常的に「頭に来てなあ」とか「頭に来たわ」と話します。そんな母の口癖がぴたりと消えました。怒ることもなくなりました。ほんとうにゼロ! そう強調しなければいけないほど、様がわりなんです。
朝から晩まで、冗談を言っては人を笑わせます。「大変でしたねえ」と自宅に来た見舞い客にも、おもしろおかしく話しては大きな声で笑っています。家内には「ありがとう」とか「ありがたい」とか、感謝のことばばかりです。
私は家内とともに喜びました。「不幸中の幸いだ。世の中にはこんなことてあるんやなあ。ええとこばっかり残って、悪いとこは全く無くなってしもうた」。
家内は喜んで、「おかあさんがこんなんやったら、なんぼでも世話できるわ。おかあさんが『いやや、もうええ』ゆうても、世話したげるわ」と言います。
ほんとうに、神様、仏様、天使のように、純真で感謝の人になったのです。