川本ちょっとメモ

★所感は、「手ざわり生活実感的」に目線を低く心がけています。
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母のこと――脳梗塞を発症したときのもよう(5)

2008-11-04 22:44:45 | Weblog


脳梗塞で退院してきたときから、母はすっかり変わりました。神様、仏様、天使のようになったのです。

若いときから強い母でした。私が大学生だったころ、こういうことがありました。当時は京都・中京に住んでおりました。

ある夏の宵、家の前の歩道で、私は飼い犬(コリー)のブラッシングをしておりました。私と同じ年ごろの若者が通りすがりに、犬を蹴って行きました。無言でなにごともないような風情でポンと蹴って、通りすぎました。

私は反射的に「何すんねん!」と叫び、ふりむいた男と口論になりました。するとちょっと先を歩いていたグループがもどってきました。仲間がいたのです。私は、同じ年ごろの数人に囲まれて、言い争いになりました。そして南の夷川通りの暗がりの方へ連れていかれそうになりました。

そのときです。母が家から飛び出してきました。「うちの子になにするんや、あんたらどこのもんや」。その剣幕に気おされて、彼らは立ち去っていきました。私の身長は176cm、母は私より20cm以上低い。小さな母が数人の男を相手に、大きな息子を救ったのです。

母はまた、話好きで話し上手でした。にぎやかで陽気で華やかな性格でした。要所は少し誇張ぎみに脚色して、おもしろおかしく話します。私と私の弟の二十歳代、小さな喫茶店をやっていました。母のまわりに集まる若い常連客がいました。彼らの中心は弟の友だちでした。母は彼らを集めてボーリングチームを作っていた時期があったほどです。

そんなわけで、いつも人の話の中心にいました。自分中心があたりまえでしたので、人にゆずるという心がけは不得意でした。そこのあたりで、家内とはよく衝突しました。結婚十年くらいまでは、母が一方的に攻め、家内は悲哀を蒙っておりました。十年を過ぎたころからは家内も少しづつ強くなり、母が1回目の脳梗塞を起こした2004年ごろには、逆に母がくやしい思いをすることもありました。嫁姑がいさかいをするときは、甲乙つけ難しという状況でした。

とはいいましても、世間並みの嫁姑よりも仲が良かったと私は思っております。母は情が厚かった。家内も情が厚いのです。ま、どちらにしても、毎日の生活の中で家内との間に気持ちのゆきちがいが起きるときはありました。

母の口癖は「頭にきた」です。日常的に「頭に来てなあ」とか「頭に来たわ」と話します。そんな母の口癖がぴたりと消えました。怒ることもなくなりました。ほんとうにゼロ! そう強調しなければいけないほど、様がわりなんです。

朝から晩まで、冗談を言っては人を笑わせます。「大変でしたねえ」と自宅に来た見舞い客にも、おもしろおかしく話しては大きな声で笑っています。家内には「ありがとう」とか「ありがたい」とか、感謝のことばばかりです。

私は家内とともに喜びました。「不幸中の幸いだ。世の中にはこんなことてあるんやなあ。ええとこばっかり残って、悪いとこは全く無くなってしもうた」。

家内は喜んで、「おかあさんがこんなんやったら、なんぼでも世話できるわ。おかあさんが『いやや、もうええ』ゆうても、世話したげるわ」と言います。

ほんとうに、神様、仏様、天使のように、純真で感謝の人になったのです。




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母のこと――脳梗塞を発症したときのもよう(4)

2008-11-03 21:38:46 | Weblog


2005年(平成17年)1月5日、一応、脳梗塞の病状が安定したということで、母が退院しました。元気でした。活気があり、脳梗塞患者には見えません。生活を共にしている家族以外には、脳梗塞の後遺症として痴呆の気が出ていることもわかりません。

母は退院当初、自宅の自室8畳間を左に出てすぐ左にあるトイレがわかりません。その向かい側、すなわち洗面所と風呂場の方に行こうとします。しかし、それは1週間ほどで分かるように、記憶が戻りました。

発病の前は、朝1時間、夕30分の散歩を欠かしませんでした。同じ時間帯に散歩で出会う人とは何人か親しくなっていたようで、それは犬を連れていた人でした。毎日会う犬たちも母になついていたといいます。

母は犬好きでした。まだ洋犬がめずらしかったころに、白いスピッツを飼いました。次にポメラニアンをつがいで飼いました。その次に、コリーを飼いました。当時、京都の中京に住んでいましたが、「ラッシーや、ラッシーや」といって近所の人気者でした。テレビで「名犬ラッシー」が人気を得ていた時代のことです。このコリーはけっこう長生きをしました。次に母は、ヨークシャーテリヤを飼いました。

このヨークはずいぶん長生きをして、足腰も弱りおしっこももれ放題という老衰で亡くなりました。ぼくは無精者で動物の世話はほとんどしません。家内は行動派で、生き物を飼うと外出に制限されるので、やはり動物の世話は必要な分だけしかしません。

母は年とともに犬の世話をするのが負担になっていて、そのうえ息子夫婦の助けを得る見こみがないので、ヨークが亡くなったあとは猫を飼いました。猫なら、犬にくらべて手間がぐんと省けるからでした。

発病前の習慣通り、母は散歩に出かけようとします。一度家を出ると、まちがわずに帰ってこれそうにありません。それでも1週間ほどして、100mほど離れたファミリーマートまでは行って帰ってこれるようになりました。

しかし、健脚だったのに足元がおぼつきません。少しふらふらするような感じでゆっくり歩きます。散歩のときは、直線的に早足で歩いていたのに、すっかり変わりました。これは2回目の脳梗塞(その翌年7月)を起こしたあとにわかったのですが、「視野狭窄」という後遺症のせいで見える範囲が限定されて、そのためにうまく平衡感覚を取ることができなかったのです。



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