川本ちょっとメモ

★所感は、「手ざわり生活実感的」に目線を低く心がけています。
★自分用メモは、新聞・Webなどのノート書きです。

安倍政権・自民・公明の「集団的自衛権合憲論」トリック(2) なぜこの文書を選んだのか?

2015-08-24 15:47:37 | Weblog
<関連記事クリック>
2015/08/19 安倍政権・自民・公明の「集団的自衛権合憲論」トリック(1)論拠文書の由来を知らせない
2015/08/24 安倍政権・自民・公明の「集団的自衛権合憲論」トリック(2)なぜこの文書を選んだのか?
2015/09/12 安倍政権・自民・公明の「集団的自衛権合憲論」トリック(3)文章をいじって含意を逆転させる
2015/10/02 安倍政権・自民・公明の「集団的自衛権合憲論」トリック(4終)ごまかし手法に怒りおさまらず



安倍政権・自民・公明が昭和47年10月14日政府提出資料「集団的自衛権と憲法との関係」から「集団的自衛権合憲論」を作り出したことにはトリックがある。国民をだます手口を見ていこうと思います。トリック2は…、なぜこの文書を選んだのか?

わが国の憲法9条は不戦の誓いをしています。このゆえにわが国は、「集団的自衛権は国際法上認められているが、憲法9条によって集団的自衛権の行使はできない」としてきました。集団的自衛権を行使できないとする国会質疑における政府側答弁、国会議員提出「質問主意書」に対する総理大臣「質問に対する答弁書」が数々重ねられてきました。国会答弁は口頭でありますが、衆参両議院で公式記録として会議録が作成されて文書化されています。

安倍政権・自民・公明が改憲手続きなしに、この「集団的自衛権の行使不可」
という制限を解除しようとするとき、累積されたこれら口頭・文書による政府答弁が足かせになります。

ふつうなら、年月日のいちばん新しいものを選んで議論の基礎にするでしょう。議論の正当性を補強するために、基礎にしたものより古い政府答弁や見解を資料として付与するでしょう。しかし、それをしたくてもできない。政府が積み重ねてきたすべての議論で、「集団的自衛権は国際法上認められているが、憲法9条によって集団的自衛権の行使はできない」と答弁しているからです。

そうした事情の中から選び出されたのが、昭和47年10月14日政府提出資料「集団的自衛権と憲法との関係」です。

次に、<資料> 昭56・4・22 「憲法、国際法と集団的自衛権」に関する質問主意書/5・29 質問に対する答弁書をクリックして、<資料> 「憲法、国際法と集団的自衛権」に関する質問に対する答弁書、特に青字の部分をご覧ください。

この答弁書は昭和56年5月29日付、文書署名は「内閣総理大臣・鈴木善幸」。
議員提出の質問主意書に対する政府回答としての答弁書は、内閣総理大臣名で出されるのです。先の昭和47年10月14日政府提出資料の文書署名は「内閣法制局長官」ですから、この答弁書の方が文書の格としては上であり、発行年月日も新しいということになります。それでも安倍政権・自民・公明は昨年の早い時期から、「集団的自衛権論議」では「昭和47年10月14日政府提出資料『集団的自衛権と憲法との関係』」一本に絞っています。その熱意と集中ぶりは大したものです。

<資料> 昭56・4・22 「憲法、国際法と集団的自衛権」に関する質問主意書/5・29 質問に対する答弁書 をクリックして、青字の部分を見てみましょう。

まず一段目の文段。
「国際法上、国家は集団的自衛権の権利を有している」と述べています。政府答弁でも国際法学界でも定説になっているものを確認しています。

これは質問主意書の「独立主権国家たる日本は当然自衛権を持ち、その中に集団的自衛権も含まれるのか」という質問に対応する回答です。

二段目の文段。
しかし、「集団的自衛権の行使は憲法上許されない」と確認しています。これも国会で政府が積年にわたってくり返し答弁してきた安定した政府見解です。

これは質問主意書の「集団的自衛権は憲法上『禁止』されているのか、とすれば憲法何条のどこにどのように規定されているか」という質問に対応する回答です。

三段目の文段。
「集団的自衛権の行使が憲法上許されないことによつて不利益が生じることはない」と答弁しています。ここは特に注目しておく点でしょう。

これは質問主意書の「集団的自衛権が『ない』ということで我が国の防衛上、
実質的に不利を蒙むることはあるか」という質問に対応する回答です。

平成26年7月1日閣議決定以前には、上のような集団的自衛権に関する質疑答弁が長年にわたって積み重ねられています。それらの政府見解はすべて、「集団的自衛権の行使は憲法上できない」としています。

安倍政権・自民・公明が憲法改正手続きをしないで「集団的自衛権行使の解禁」をしようとしても、なかなかつけ入る隙はなかったでしょう。そして反対野党や国民を強引にねじ伏せてでも、「合憲論」を押しつけようとして穴を開けたのが、昭和47年10月14日政府提出資料「集団的自衛権と憲法との関係」という文書でした。

<資料> 昭56・4・22 「憲法、国際法と集団的自衛権」に関する質問主意書/5・29 質問に対する答弁書の青字の部分をもう一度ご覧ください。

なぜ、この答弁書を典型とする従来の政府見解を無視して、安倍政権・自民・
公明は昭和47年10月14日政府提出資料「集団的自衛権と憲法との関係」を合憲論の根拠にしたのか? これが二つ目の合憲論トリックです。「これしかなかった」のです。

※参照 安倍政権・自民・公明の「集団的自衛権合憲論」トリック(1) 論拠
    文書の由来を知らせない



--------------------------------------------------------------------------------

<私のアピール>
2012年末の安倍政権成立以後の短年月、武器輸出3原則を廃し、特定秘密保護法の新設、憲法9条解釈変更の7・1閣議決定(※憲法違反です)と、先行き不安な政策ばかり急激に推進されています。安倍内閣はデモクラシー日本を食い破りつつある危険な内閣です。その政治手法は民主主義下の独裁と見えて、危険です。安倍総理退陣まで、来年7月参院選で自民党に“No”を!


コメント

<資料> 昭56・4・22 「憲法、国際法と集団的自衛権」に関する質問主意書/5・29 質問に対する答弁書

2015-08-23 01:09:51 | Weblog


<資料> 「憲法、国際法と集団的自衛権」に関する
      質問主意書



昭和五十六年四月二十二日提出
質問第三二号

 「憲法、国際法と集団的自衛権」に関する
  質問主意書
右の質問主意書を提出する。

  昭和五十六年四月二十二日
提出者 稲葉誠一
          衆議院議長 福田 一 殿


 集団的自衛権と憲法第九条、国際法との関係については必ずしも明瞭でないので、これを明らかにすることがこの際必要と考えるので、ここに質問主意書を提出する。

 集団的自衛権について次のとおり質問する。

一 内閣としての統一した定義

二 独立主権国家たる日本は当然自衛権を持ち、その中に集団的自衛権も含まれるのか。

三 集団的自衛権は憲法上「禁止」されているのか。
  とすれば憲法何条のどこにどのように規定されているか。

四 「禁止」されていず政策上の問題として「やらない」としているのか。

五 集団的自衛権が「ない」ということで我が国の防衛上、実質的に不利を蒙
 むることはあるか。

六 尾崎行雄記念財団発行「世界と議会」一九八一年四月号に、元外務次官法
 眼晋作氏の「日本の外交」と題する講演が記載され、その七頁上段に「たと
 えば、日本が集団的自衛権がないということをいうでしよう。法制局がそう
 解釈しているのですが、しかし、安保条約を見てごらんなさい。日ソ共同宣
 言を見てごらんなさい。国際連合憲章をみてごらんなさい。どの国も個別的
 に、集団的に自衛をする固有の権利を持つているということが書いてありま
 す。それを日本の解釈は、集団的自衛権がないということをいうものですか
 ら、安保条約の解釈も、日本が自分だけを守ることをやっておっていいけれ
 ども、それ以外はアメリカと協力しない、という建前で議論するわけです。
 そんな独断的解釈が通るでしようか。云々」とある。

 1 日米安保条約は、集団的自衛権を否定しているものか。
   とすればその条文上の根拠
   認めているとすればその条文上の根拠

 2 日ソ共同宣言は、日本の集団的自衛権を認め、その上に成立しているの
  か。

 3 国連憲章を承認して加盟している以上、その第五十一条により集団的自
  衛権をなくしているのではないか。

 4 平和条約第五条C項との関係

七 昭和四十七年五月十二日参議院内閣委員会会議録第十一号二十頁二段目、
 法制局第一部長答弁の中に、「韓国に対する脅威が、危害がありましても、
 これは直ちにわが国の自衛権が発動することになるとは毛頭考えておりませ
 ん。」とある。

  「直ちに」とあるのはいかなる意味か。

  それがひいては日本の自衛権発動 ― 個別的か集団的かを問わず ― を招
 来することを予期しての答弁ではないか。

八 また、同十九頁三段四段には、「かりにわが国が集団的自衛権の行使とい
 うことを行なつても、外国はわが国を目して国際法違反であると、国際法的
 に見て違法な行為をしたのだというべき立場にはないということだろうと思
 います。云々」とある。

  これはいかなる意味か。

 右質問する。

--------------------------------------------------------------------------------


衆議院議員稲葉誠一君提出
<資料> 「憲法、国際法と集団的自衛権」に関する
      質問に対する答弁書



昭和五十六年五月二十九日受領
答弁第三二号
(質問の 三二)

内閣衆質九四第三二号
昭和五十六年五月二十九日
内閣総理大臣 鈴木善幸

         衆議院議長 福田 一 殿


<一から五までについて>

 国際法上、国家は、集団的自衛権、すなわち、自国と密接な関係にある外国に対する武力攻撃を、自国が直接攻撃されていないにもかかわらず、実力をもつて阻止する権利を有しているものとされている。

 我が国が、国際法上、このような集団的自衛権を有していることは、主権国家である以上、当然であるが、憲法第九条の下において許容されている自衛権の行使は、我が国を防衛するため必要最小限度の範囲にとどまるべきものであると解しており、集団的自衛権を行使することは、その範囲を超えるものであつて、憲法上許されないと考えている。

 なお、我が国は、自衛権の行使に当たつては我が国を防衛するため必要最小限度の実力を行使することを旨としているのであるから、集団的自衛権の行使が憲法上許されないことによつて不利益が生じるというようなものではない。


<六について>

 我が国は、国際法上、国際連合憲章第五十一条に規定する集団的自衛権を有しており、このことについて、日本国との平和条約第五条(C)は、「連合国としては、日本国が主権国として国際連合憲章第五十一条に掲げる個別的又は集団的自衛の固有の権利を有すること……を承認する。」と、日本国とソヴィエト社会主義共和国連邦との共同宣言第三項第二段は、「日本国及びソヴィエト社会主義共和国連邦は、それぞれ他方の国が国際連合憲章第五十一条に掲げる個別的又は集団的自衛の固有の権利を有することを確認する。」と、日本国とアメリカ合衆国との間の相互協力及び安全保障条約前文は、「両国が国際連合憲章に定める個別的又は集団的自衛の固有の権利を有していることを確認し」と、それぞれ規定している。

 なお、我が国が集団的自衛権を行使することが憲法上許されないことについては、一から五までについてにおいて述べたとおりである。

<七について>

 御指摘の答弁は、その答弁に係る事態について、我が国の自衛権の行使が認められる余地があるという趣旨のものではない。このことは、同答弁の直前において、「わが国に対する武力攻撃があつた場合に日本の個別的自衛権は限定された態様で発動できるというだけのことでございますから」と述べていることからも明らかである。

<八について>

 御指摘の答弁は、我が国が、国際法上、主権国家として、集団的自衛権を有していることを説明したものである。

 右答弁する。


コメント

<資料> 昭47・9・14 参議院決算委員会、憲法と個別的自衛権と集団的自衛権に関する質疑/下

2015-08-21 17:15:58 | Weblog


第069回国会 参議院決算委員会 第5号
昭和四十七年九月十四日(木曜日)
   午後一時一分開会


<資料>「憲法と個別的自衛権と集団的自衛権」
  水口宏三参議院議員による質疑 会議録・下


      
      ※注 これは昭和47年10月14日政府提出資料「集団的自衛
         権と憲法との関係」
を出す前提になった国会質疑の会議録
         です。前記事の安倍政権・自民・公明の「集団的自衛権合
         憲論」トリック(1) 論拠文書の由来を知らせない
と併せ
         てご覧ください。

      ※注 水口宏三参議院議員の「質疑会議録」全文のうち、「憲法
         と個別的自衛権と集団的自衛権」に関わる部分を下に転記
         した。【 】は川本が付した。
 
      ※注 (答弁)国務大臣(増原恵吉君) → 防衛庁長官
             説明員(久保卓也君)  → 防衛庁防衛局長
             説明員(吉國一郎君)  → 内閣法制局長官
             説明員(高島益郎君)  → 外務省条約局長


○水口宏三君 一週間でこの重大なことが決定できれば非常にわれわれ好都合でございますから、次の機会に御質問させていただきます。

 それでは次に、国連憲章五十一条の個別的並びに集団的自衛権のことでございますけれども、このうちの集団的自衛権というのはどういう意味合いのものか、これを法制局長官にぜひ御見解を伺っておきたいと思います。

○説明員(吉國一郎君) 御承知のように、この国連憲章第五十一条の個別的及び集団的の固有の自衛の権利と申しますことばは、第二次大戦前には、集団的自衛権という概念は、国際法上あまり明確にとらえられておりませんで、いわば戦後の、戦後と申しますか、戦時中、戦争中からの集団安全保障体制というような形を頭に入れまして、国際連合憲章で集団的ということばが、言わばつけ加えられて、従来の自衛権の観念に付加されたということが学者の通説になっております。

 自衛権と申しますのは、もちろん国際法上、昔から唱えられておる一つの観念でございまして、自国なり自国民に対する急迫不正の侵害があった場合、これを防衛するという、端的に申せば、そういうことであろうと思いますが、いまでは個別的自衛の権利ということで説明されておりますが、旧来の自衛権は、まさに自国が攻められた場合、これに対応して武力を行使するということに限られておったわけでございます。その後づけ加えられた集団的という形容詞によって、含まれることになりましたいわば集団的自衛権というものは、Aという国とBという国が非常に緊密な関係がある。どの程度、緊密な関係かはいろいろ国際法上、議論があると思いますが、Bという国にとって、Aという国の存立が危うくなるということは、自分の国の存立が危うくなるにひとしいと申しますか、非常に利害関係として強い関心を持っておるという場合に、Aという国が攻められた場合に、Bという国がこれを援助して、兵力を行使するということを集団的自衛ということで説明しております。この集団的自衛という観念は、ことばとしては戦後できたものでございますけれども、一九二〇年代から集団的安全保障という観念は、ある程度地域的に認められた観念であると思います。

○水口宏三君 どうも専門家に対してこういうことを申し上げるのは失礼かもわかりませんけれども、私は、集団的自衛権と集団的安全保障体制というものとは、これは異なると思うんです。むしろ本来の集団的安全保障体制こそ国連憲章であり国連である、たまたま五十一条が特別に異物的に入れられたから論議が紛糾するのであって、むしろこの五十一条の集団的自衛権については、憲法調査会の中でも相当論議しておることは、私から申し上げるまでもないと思いますけれども、この中でも、いま長官のおっしゃったような見解もあれば、あるいは特定国が侵略を侵した場合に、むしろ懲罰的な意味でやるのだということもございますが、むしろおおかたの意見としては、むしろこれは、正当防衛の自然権のうちの一つとしてこれを認めるという立場をとっておるのが一般的だと思うんです。そうなりますと、いまのお話のように、Aという国とBという国が非常に密接な関係にある、C国からA国が攻撃をされた、その場合に3国がA国を援助するというのは、私は非常に危険だと思う。むしろA国に対する攻撃は即自国に対する攻撃である、自国の安全を脅かされることであるといって、ここでA国と一緒に軍事行動をとる。このことがむしろ集団的自衛権の基本的概念だと思うんです。それを援助するということになってくると、これはもうすでに自然権的なものではなしに、援助には当然相手方の意思もあるだろうし、取りきめもあるだろうし、あるいは地球を半回りしても援助は援助ですからね。それで実はこれがむしろ拡大解釈をされて、アメリカが地球の裏側にあるベトナムを攻撃しておるのか――これはまあ余談になりますけれども、いずれにしても、法的概念としての五十一条の集団的自衛権というのは、正当防衛権的な自然権である。したがって、Aが攻撃された場合にBが軍事行動を起こすのは、まさにB自国の安全を守るためであるというふうに解釈するのが、むしろ集団的自衛権の本来の概念ではないかと思いますけれども、その点法制局長官は、半分そのような御答弁をなされておると同時に、半分は何か旧集団共同防衛――何といいますか、条約のような御答弁をなさっておるんですが、どちらでございますか。

○説明員(吉國一郎君) 外務省から……。

○水口宏三君 いや、憲法概念としてひとつ法制局長官に念を押しておきたいと思う、安保条約を言っているわけではないですから。

○説明員(吉國一郎君) これは国際法上の概念でございますから、外務省条約局長から御説明申し上げたほうがいいと思いまして、いま条約局長を指定したわけでございますが、いまの水口委員のおっしゃるように、集団的自衛権の説明のしかたにはいろいろあると思います。先ほど私も、AとBが一定の関係にあって、A国に対して攻撃があった場合に、B国がこの攻撃に対して兵力を行使するということを申しまして――武力を行使すると申しましたが、そういうことで自国に対する攻撃と同じように、その国を防衛するということであろうと思います。

 それからもう一つ、国際法上の固有の権利だということについては、まさに国連憲章に書いてございますように、固有の権利であると思います。その説明のしかたは、まあ刑事法の説明の場合の正当防衛で、これは、自己やまたは他人に対する危害を予防するため、やむを得ざるに出たる行為というようなことで説明をしておりますが、そのような観念を国際法学に取り入れまして、正当防衛権の説明をしておると思いますので、いま仰せられましたような説明でよろしいんじゃないかと思います。

○水口宏三君 それでは、五十一条の集団的自衛権ということを、これをそのとおりに再確認いたしたいと思います。

 そこで、この集団的自衛権とわが国とのかかわり合いにつきましては、まず最初に出てまいりますのは、いろいろございますけれども、サンフランシスコ講和条約の中に、この集団的自衛権に触れた部分があるわけなんですね。これは私から申し上げるまでもなく、平和条約のこれは五条のC項ですね、五条のC項に「連合国としては、日本国が主権国として国際連合憲章第五十一条に掲げる個別的又は集団的自衛の固有の権利を有すること及び日本国が集団的安全保障取極を自発的に締結することができることを承認する。」と、これが一つございますね。それから日ソ共同宣言の中にも、相互にこれを持っていることを相互に確認をいたしましたね。それから私は、一番これが明確になったのは、現在の日米安保条約だと思うんです。日米安保条約の中では、私からこれも申し上げるまでもないんでございますけれども、その前文に「両国が国際連合憲章に定める個別的又は集団的自衛の固有の権利を有していることを確認し」、そして「よって、次のとおり協定する。」、つまり、集団的自衛権をわが国が持っているということをお互いに確認し合って、そして安保条約をつくったんだということを明確にしておるわけですね。少なくとも国連憲章でいう集団的自衛権というものは、サンフランシスコ講和条約、日ソ共同宣言、特に日米安保条約の基礎をなしていると、こう考えてよろしゅうございますか。

○説明員(高島益郎君) ただいま先生が御指摘のとおり、集団的自衛権というのは、国連憲章で初めて各主権国に認められた権利というふうになっておりますが、この点につきまして、先ほど先生御指摘のとおり、平和条約第五条C項に、日本が初めて独立を認められたときに、主権国としてこのような権利を持つということを確認をされております。安保条約も、したがいまして、日本が主権国として、当然そのような権利を持つということを前提にしまして結ばれたということでございます。

 ただ、一つだけ指摘しておきたいと思いまするのは、日本には集団的自衛権はもちろん主権国としてございまするけれども、これは憲法第九条の解釈からいたしまして、そのような権利を行使することはできない、これははっきりいたしております。したがって、この日米安保条約そのものも、第五条をごらんになればおわかりのとおり、つまり相互防衛条約ではなくて、日本が米国の力によって安全を守る、日本は米国の領土防衛をしないというたてまえになっております。この点はつまり、日本が集団的自衛権を行使できないということの実は裏側の証明になろうかと思います。

○水口宏三君 その点は、私は納得できないんです。
 それじゃ防衛庁長官にお伺いしますけれども、防衛庁長官は、憲法上の問題として海外派兵はできないとおっしゃいましたね。しかし現在の憲法のどこにそういうことが書いてあるんですか。

○国務大臣(増原恵吉君) この問題はひとつ法制局長官からお答えいたしたいと思います。

○説明員(吉國一郎君) これは、憲法九条でなぜ日本が自衛権を認められているか、また、その自衛権を行使して自衛のために必要最小限度の行動をとることを許されているかということの説明として、これは前々から、私の三代前の佐藤長官時代から、佐藤、林、高辻と三代の長官時代ずうっと同じような説明をいたしておりますが、わが国の憲法第九条で、まさに国際紛争解決の手段として武力を行使することを放棄をいたしております。しかし、その規定があるということは、国家の固有の権利としての自衛権を否定したものでないということは、これは先般五月十日なり五月十八日の本院の委員会においても、水口委員もお認めいただいた概念だと思います。その自衛権があるということから、さらに進んで自衛のため必要な行動をとれるかどうかということになりますが、憲法の前文においてもそうでございますし、また、憲法の第十三条の規定を見ましても、日本国が、この国土が他国に侵略をせられまして国民が非常な苦しみにおちいるということを放置するというところまで憲法が命じておるものではない。第十二条からいたしましても、生命、自由及び幸福追求に関する国民の権利は立法、行政、司法その他の国政の上で最大の尊重を必要とすると書いてございますので、いよいよぎりぎりの最後のところでは、この国土がじゅうりんをせられて国民が苦しむ状態を容認するものではない。したがって、この国土が他国の武力によって侵されて国民が塗炭の苦しみにあえがなければならない。その直前の段階においては、自衛のため必要な行動はとれるんだというのが私どもの前々からの考え方でございます。その考え方から申しまして、憲法が容認するものは、その国土を守るための最小限度の行為だ。したがって、国土を守るというためには、集団的自衛の行動というふうなものは当然許しておるところではない。また、非常に緊密な関係にありましても、その他国が侵されている状態は、わが国の国民が苦しんでいるというところまではいかない。その非常に緊密な関係に、かりにある国があるといたしましても、その国の侵略が行なわれて、さらにわが国が侵されようという段階になって、侵略が発生いたしましたならば、やむを得ず自衛の行動をとるということが、憲法の容認するぎりぎりのところだという説明をいたしておるわけでございます。そういう意味で、集団的自衛の固有の権利はございましても、これは憲法上行使することは許されないということに相なると思います。

○水口宏三君 いまの法制局長官の答弁、私最初に申し上げた憲法論と政策論がどうもごっちゃになっていると思うんですね。と申しますことは、憲法では何らその点については触れていないわけですよ。憲法第九条は戦争放棄、戦力の不保持、交戦権の否認ですね。しかしこれに対して、従来の自民党だけでなしに、前の自由党もそうですけれども、自衛権を否定しているものではない。これは私たちもそう思います。自衛権の行使の形態としての武力の行使は、これを禁止しているというのが、われわれの解釈であり、それから政府なり、これまでの政府の解釈は、いや自衛権の行使の形態としての武力の行使は認めているんだと。ところがいまの外務省の条約局長の話を聞くと、集団的自衛権の行使は認めていないとおっしゃるけれども、いまの法制局長官の御説明の中で、憲法のどこにそれがあるか全然明確になっていませんよ。自衛権そのものすら不明確なんですね。自衛権そのものすら憲法では規定をしていない。自然権として認めているというあなた方の解釈です。また、われわれもそう解釈しております。むしろ自然権である自衛権そのものの行使の形態を否定したのが九条だと、そう解釈する以外に、法制局長官のおっしゃるように、集団的自衛権は行使できないんだというようなことは憲法上どこから出てくるんですか。

○説明員(吉國一郎君) お答え申し上げる前に申し上げなきゃいけませんことは、自衛権というものは、確かに国際法上固有の権利として国連憲章第五十一条においても認めておるところでございます。自衛権というのはいわば一つの権利でございまして、その自衛権に、国連憲章で認められる前は個別的――インディビデュアルというような形容詞をつけないでザ・ライト・オブ・セルフディフェンス――自衛権ということで、いわば個別的自衛権と申しますか、最近、学者の用いますことばでは個別的自衛権というものを表現していたんだと思いますが、国連憲章になりまして、このインディビデュアルのあとにオアだったと思いますが、インディビデュアル・オア・コレクティブという形容詞がつきまして、個別的及び集団的の固有の自衛の権利というふうなことばづかいになったわけでございます。したがって――したがってと申しますか、自衛権というものはいわば一つの権利、所有権というような権利がございまして、その自衛権の発動の形態としてインディビデュアルに発動する場合とコレクティブに発動する場合とあるという観念じゃないかと思います。憲法第九条の説明のしかたとして自衛権、自衛権と言っておりましたのは、いわば狭い意味のインディビルデュアル・セルフディフェンス・ライトというようなものを頭に置いて説明をしてきたわけでございまして、広い意味の自衛権という形になりましても、自衛権というものは一つで、その発動の形態がインディビデュアルかコレクティブだという説明をいたしますと、先ほど申し上げましたように、日本の憲法第九条では、先ほどおっしゃいましたように、国際紛争解決の手段としては武力の行使を放棄しております、自衛権があるかどうかということも問題だと仰せられましたが、その件につきましては、少なくとも最高裁の砂川判決において自衛権が承認をされております。その自衛権を持っているというところまでは最高裁の判決において支持をされておりますが、これから先が政府の見解と水口委員やなんかの仰せられますような考え方との分かれ道になると思います。

 先ほど私が申し上げましたのは、憲法前文なり、憲法第十二条の規定から考えまして、日本は自衛のため必要な最小限度の措置をとることは許されている。その最小限度の措置と申しますのは、説明のしかたとしては、わが国が他国の武力に侵されて、国民がその武力に圧倒されて苦しまなければならないというところまで命じておるものではない。国が、国土が侵略された場合には国土を守るため、国土、国民を防衛するために必要な措置をとることまでは認められるのだという説明のしかたをしております。その意味で、いわばインディビデュアル・セルフディフェンスの作用しか認められてないという説明のしかたでございます。

 仰せのとおり、憲法第九条に自衛権があるとも、あるいは集団的自衛権がないとも書いてございませんけれども、憲法第九条のよって来たるゆえんのところを考えまして、そういう説明をいたしますと、おのずからこの論理の帰結として、いわゆる集団的自衛の権利は行使できないということになるというのが私どもの考え方でございます。

○水口宏三君 いまの長官のお答え、何かちょっと……、十二条、十三条とおっしゃいますが、十二条、十三条というのは関係ないんじゃないですか。――それはまあいいです。憲法をごらんになっていただくと十二条は自由及び権利の保持、濫用禁止、利用責任の問題である。十三条は個人の尊重の問題ですね。別に九条とは直接関係がないと思います。

 それはさておきまして、私はいままで、だからそういうことがあろうかと思ってずっと詰めてまいったのであって、まず第一に海外派兵の問題から入り、海外派兵はできないんだということは、これはまあ早急に具体的な態様を御検討願う、五十一条の集団的自衛権というものがまさに正当防衛の自然権であるということについて、これは法制局長官はお認めになったわけですね。正当防衛のこれは特殊な、つまり自衛権というものを個別的自衛権と集団的自衛権に分けたのは行使の形態を分けたにすぎないのであって、本質は自衛権というものにあると思うんです。それは当然自然権として持っているものである、だからこそサンフランシスコ条約にも日ソ共同宣言にも、また日米安保条約の基本としてこれは据えられておるわけですね。

 その行使しないというのは、これは憲法論ではなくて政策論なんです。憲法にそんなことは全然書いてない。それはむしろ前文の思想をもし強調なさるならば、これはまさに、第九条というものは自衛権の行使の形態としての武力の行使を禁止したと見るのが常識ですよ。憲法前文に引っかけて、個別的自衛権は武力でもって行使できるが、集団的自衛権は武力で行使できない、自然権を制約するような、そういう規定がどこにあるのですか、前文に……。まして十二条、十三条は全然関係ないです。

○説明員(吉國一郎君) 先ほど憲法第十三条と申し上げましたが、その前に、前文の中に一つ、その前文の第二文と申しますか、第二段目でございますが、「日本国民は、恒久の平和を念願し、」云々ということがございます。それからその第一段に、「政府の行為によって再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意し、」ということで、この憲法を制定いたしまして、さらに憲法第九条の規定を設けたわけでございます。その平和主義の精神というものが憲法の第一原理だということは、これはもうあらゆる学者のみんな一致して主張することでございます。

 そして「日本国民は、恒久の平和を念願し、」のあとのほうに、「われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。」ということで、平和主義をうたっておりますけれども、平和主義をうたいまして、武力による侵略のおそれのないような平和社会、平和的な国際社会ということを念願しておりますけれども、現実の姿においては、残念ながら全くの平和が実現しているということは言えないわけでございます。

 で、その場合に、外国による侵略に対して、日本は全く国を守る権利を憲法が放棄したものであるかどうかということが問題になると思います。そこで国を守る権利と申しますか、自衛権は、砂川事件に関する最高裁判決でも、自衛権のあることについては承認をされた。さらに進んで憲法は――十三条を引用いたしましたのは、「すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。」ということで、個人の生命、自由及び幸福追求の権利を非常に重大な価値のあるものとして、第十三条は保障しようとしているわけでございます。

 そういうことから申しますと、外国の侵略に対して平和的手段、と申せば外交の手段によると思いますが、外交の手段で外国の侵略を防ぐということについて万全の努力をいたすべきことは当然でございます。しかし、それによっても外国の侵略が防げないこともあるかもしれない。これは現実の国際社会の姿ではないかということになるかと思いますが、その防げなかった侵略が現実に起こった場合に、これは平和的手段では防げない、その場合に「生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利」が根底からくつがえされるおそれがある。その場合に、自衛のため必要な措置をとることを憲法が禁じているものではない、というのが憲法第九条に対する私どものいままでの解釈の論理の根底でございます。

 その論理から申しまして、集団的自衛の権利ということばを用いるまでもなく、他国が――日本とは別なほかの国が侵略されているということは、まだわが国民が、わが国民のその幸福追求の権利なり生命なり自由なりが侵されている状態ではないということで、まだ日本が自衛の措置をとる段階ではない。日本が侵略をされて、侵略行為が発生して、そこで初めてその自衛の措置が発動するのだ、という説明からそうなったわけでございます。


○水口宏三君 それは後半は政策論ではないですか。憲法上ですね、そういうことを明確に規定している条文はどこかということを私は伺っているのです。むしろこれには二つの根拠があって、国連憲章五十一条から出てくる自然権、正当防衛の自然権としての集団的自衛権という概念と、それから日本国憲法第九条から出てくる、あなた方のおっしゃる自衛権という概念と、その概念があいまいだから、常に政策論でもってそこをつながなければならなくなるわけですね。

 たとえば先ほどのお話の、明らかに日本に向かって艦隊が攻めてくる場合には当然これを迎撃する。だからこれはもう集団的自衛権というものとまさに密接な関係――その国が侵されることは日本の安全が脅かされるという、つまり日本の安全が脅かされるというのは、まさに日本国民の生命、財産が脅かされるということですよ。そうでしょう、長官、日本の安全が脅かされるということは。そういう場合にのみ正当防衛権的な自然権として集団的自衛権を認めているのであって、それを何か個別的自衛権と集団的自衛権とは全く別な概念であって、それを何か政策的につないで十三条を間に入れるなんというのはこっけいですよ、それは。法律論じゃないですよ、それは。明確にしてください、そこのところ。

○説明員(吉國一郎君) 政策論として申し上げているわけではなくて、第九条の解釈として自衛のため必要な措置をとり得るという説明のしかた――先ほど何回も申し上げましたが、その論理では、わが国の国土が侵されて、その結果国民の生命、自由及び幸福追求に関する権利が侵されるということがないようにする、そのないようにするというのは非常に手前の段階で、昔の自衛権なり生命線なんていう説明は、そういう説明でございましたけれども、いまの憲法で考えられておりますような自衛というのは最小限度の問題でございまして、いよいよ日本が侵されるという段階になって初めて自衛のための自衛権が発動できるという、自衛のための措置がとり得るということでございますので、かりにわが国と緊密な関係にある国があったとして、その国が侵略をされたとしても、まだわが国に対する侵略は生じていない、わが国に対する侵略が発生して初めて自衛のための措置をとり得るのだということからいたしまして、集団的自衛のための行動はとれないと、これは私ども政治論として申し上げているわけでなくて、憲法第九条の法律的な憲法的な解釈として考えておるわけでございます。

○水口宏三君 納得できませんね。わが国と密接な関係にあるということは、たとえばアメリカと非常に密接な関係がありますね。じゃアメリカがどこかの国から攻撃されたからといって、直ちにわが国の安全は脅かされません。そうでしょう。だから最初に、私はむしろ集団的自衛権というのは正当防衛権的な自然権であるということを長官お認めになっているわけですよ。だから密接であるということは、単なる政治的な密接さとか、あるいは経済的な密接さではなしに、まさにその国が脅かされるということが、わが国の安全、すなわちわが国民の生命、財産を脅かされるということであって、そのときに初めて集団的自衛権というものが発動できるからこそ、正当防衛権的な自然権ということが言えるんじゃないですか。そこを何かあいまいに密接な密接なとおっしゃるけれども、わが国の国民の生命、財産が脅かされるまではと言うけれども、一方、久保防衛局長に聞けば、明らかにわが国を攻撃するという艦隊に対しては、その艦隊に向かって攻撃することは当然の防衛行動であると、こういうお話があるから、どうしてそこが結びつくのですか。だから法制局長官は密接なということばでごまかしている。密接なというのは政治的に密接である、経済的に密接であるという意味じゃないですよ。まさにわが国民の生命、財産に影響を与えるか与えないかということは、これは正当防衛権的な自然権として成立するかしないかのけじめじゃないですか。

○説明員(吉國一郎君) 私が密接と申し上げました、密接ということばを使って申し上げたつもりでございますのは、たとえわが国と非常に密接な関係がある国があったとしても、その国に対する攻撃があったからといって、日本の自衛権を発動することはできないという意味で、密接のことばを使ったわけでございまして、いま水口委員の仰せられますように、わが国と安全保障上と申しますか、国家の防衛上緊密な関係にあるその国が攻められることは、日本の国が攻められると同じだというような意味の考え方はしておりません。

○水口宏三君 そうすると、集団的自衛権というのは拡大されるわけですか。私はむしろ、先ほど申し上げた憲法調査会の論議を見ても、正当防衛の自然権として、これを一応国際的にも、また憲法調査会の中での論議でもそれを大体認めているわけですね。正当防衛の自然権というものは集団的自衛権に該当し得るということは、これは明らかにわが国民の生命、財産、こういうものが脅かされるという前提でなければ、これは私は発動できないだろうと思うのです。ただ密接さということばにはいろいろな密接さがあると思う。そうでなくて、この場合は、まさにAという国が攻撃されることがわが国の国民の生命、財産を脅かされるというところにあるのじゃないですか。それを、あなたさらに拡大して、そういう意味で言ったのじゃないのだというふうになってきたら、どことでも軍事同盟を結んで戦争できるじゃないですか。

○説明員(吉國一郎君) 国際法上の観念としての集団的自衛権、集団的自衛のための行動というようなものの説明として、A国とB国との関係が一定の緊密な関係にあって、そのA国とB国が共同防衛のための取りきめをして、そうしてA国なりB国なりが攻められた場合に、今度は逆にB国なりA国なりが自国が攻撃されたと同様として武力を行使する、その侵略に対して。そういう説明は、国際法上の問題としてはいま水口委員の仰せられましたとおりだろうと思います。ただ日本は、わが国は憲法第九条の戦争放棄の規定によって、他国の防衛までをやるということは、どうしても憲法九条をいかに読んでも読み切れないということ、平たく申せばそういうことだろうと思います。憲法九条は戦争放棄の規定ではございますけれども、その規定から言って、先ほど来何回も同じような答弁を繰り返して恐縮でございますけれども、わが国が侵略をされてわが国民の生命、自由及び幸福追求の権利が侵されるというときに、この自国を防衛するために必要な措置をとるというのは、憲法九条でかろうじて認められる自衛のための行動だということでございまして、他国の侵略を自国に対する侵略と同じように考えて、それに対して、その他国が侵略されたのに対して、その侵略を排除するための措置をとるというところは、憲法第九条では容認してはおらないという考え方でございます。

○水口宏三君 どうも法制局長官の御答弁はときどき変わるのですけれども、他国の防衛なんかと私いつ言いました。他国の防衛なんということは、これはもう集団的自衛権に絶対入らないのです、初めから。何回も私申し上げているでしょう。これは憲法調査会でも言っているように、自国にとっての正当防衛の自然権なのです。どういう場合が成立するのですか、自国の国民の生命、財産が脅かされる場合に、これに対して行動起こす、これがまさに正当防衛の自然権じゃないですか、それを他国の防衛のために集団的自衛権を発動するのはおかしい。これは初めから集団的自衛権から逸脱しているのです。私が申し上げているのは、そういう状況において集団的自衛権が発動できないという憲法上の規定がないではないか。あなた方は第九条の解釈、ことに前文についてさっきあなたるるおっしゃいましたけれども、前文は宣言的なものであって、残念ながらこのとおりいっていない、このとおりいっていないから第九条で自衛権の発動もやむを得ないのだ、そういうことをおっしゃっている。自衛権の発動、武力行使の形態もやむを得ないのだということをおっしゃっている。しかも集団的自衛権というのはまさにそれに該当するではないか。何も初めから二つ自衛権があるのではない、自衛権というのは一つです。しかもそれはあくまで自国の国民の生命、財産が脅かされた場合、これを守るための自然権である。これを私はむしろ憲法上の、あるいは国連憲章上の基本的解釈だということは、だからこそ前に念を押した上でこの論議を進めているのです。ときどきお変えになる。わが国は他国の防衛のために出ていかない――そんなことはあたりまえのことですよ、一言もそんなことは言っていない。いかがですか。

○説明員(吉國一郎君) 先ほどの、他国を防衛するということばづかいはけしからぬというお話ですが、集団的自衛権と申しますのは、さっき申しましたように、A国とB国がいわば防衛上の関係として緊密な関係にあって、相互に防衛をするということを取りきめをするという関係にあった場合、A国に対する侵略があった場合にB国がそのA国に対する侵略は自国に対する攻撃と同視して、その侵略に対して武力を行使するということでございますので、まあ簡単に比喩的に、他国を防衛するということばを申したわけでありまして、刑事法上の正当防衛の観念を、正当防衛権申しますか、正当防衛の観念を国際法学上取り入れて、国際法上固有の権利として自衛の権利を説明するのに用いたという説明を、先ほど私申し上げました。その観念を変えたつもりは全くございません。

○水口宏三君 それは法制局長官、非常に大きなミスを犯していらっしゃるのじゃないですか。大体、集団的自衛権の場合に、あらかじめA国とB国が取りきめを行なう、このことはむしろ一般的には五十一条の集団的自衛権の拡大解釈であるといわれているのですね。これは五十一条は、私が言うまでもなく、急迫不正の侵略が行なわれた場合ですね、その場合に自然権として発動されるものであって、前提として取りきめがあるかないかなんということは、全然関係ないですよ。それを拡張して現在不必要に取りきめを行なっているところに問題があるのじゃないですか。どこに取りきめなんという規定がありますか、五十一条に。だからこそ自然権といわれているのじゃないですか。

○説明員(吉國一郎君) 私が取りきめと申しましたのは、取りきめが絶対なければいけないということではもちろんないと思います。ただ、その取りきめも何もなしに、そのA国とB国がそういう関係にあった場合に、A国が侵略されたというのでB国が当然にそれを助けるというものではなくて、その場合には事前の段階でA国の要請なり、あるいはA国の承認が要るのだろうと思います。そういうものを、一般的には取りきめという形で事前に合法化するといいますか、合理化するということを一般普通の場合にはこうだということで申し上げたつもりです。

 もう一つは、取りきめさえあればいいということではございませんで、A国とB国とが防衛上緊密な関係になければならぬ――先ほどおあげになりました、非常に地球の反対側にあるような遠隔の地との間にも、取りきめさえあればいいというようなことになっては困るというようなお話がございましたけれども、そういうものが容認されるということは私は考えておりません。

○水口宏三君 それでもなおかつこの五十一条の解釈として、取りきめがあるときはもちろん論外です。明示の要請があった場合に限るかどうかということすら、これはいままで確定しておりませんね。むしろこれは自然権である以上、明示の要請を必要としないという解釈のほうが一般解釈だと思うのです。これはなぜかといえば、A国にとってはB国に対する攻撃が自国の国民の生命、財産を脅かすものとみた場合に、これはA国が出ていくということは、まさに自衛権の発動だから、B国からの明示の要請がなくてもいいのだという解釈のほうが、むしろ私は一般的自然権としての解釈だと思います。それをあなたは、明示の要請がなければいかぬとおっしゃるけれども、それはそういう解釈にお立ちになっているのですか。

○説明員(吉國一郎君) これは国際法の問題で、私それほど専攻したわけではございませんので、あるいは条約局長から補足してもらったほうがいいかと思いますが、大体の大かたの学説では、そういうことであったと、私いまの記憶では考えております。

 それから、ついでと申しては恐縮でございますけれども、たとえばケルゼンのような学者は、コレクティブ・セルフディフェンス・ライトというものについて、自衛権の観念に入れることは、もともと無理だというような説明をしている学者さえあることをつけ加えておきます。

○水口宏三君 いまいいことをおっしゃった。そこで私は、まさに集団的自衛権が乱用されているところに問題がある。大体、集団的自衛権という観念が、本来の国連憲章のサンフランシスコの原案にはございませんですからね。これはダンバートン・オークス会議ですか、あそこで初めてアメリカ側から入れられ、五十三条の旧敵国の文言がソ連側から入れられたというのは、私が申し上げるまでもないことだと思います。そういう意味で、集団的自衛権というものは、初めから非常にあいまいなものであるが、少なくとも法的解釈としては、正当防衛に関する自然権であるというのがいま確立をしている。それを前提にして、日米安保条約が締結されているにもかかわらず、あえて日本は集団的自衛権を行使しないというのは、これはまさに政策論じゃないですか。法律論じゃないですよ。この点、条約局長いかがですか。

○説明員(吉國一郎君) 私の、これはお答えと申し上げるより釈明みたいなものでございますが、平和条約の五条のC項でございますか、と安保条約の前文、日ソ共同宣言で、わが国が自衛権を持っているということは確認をしております。その自衛権には、形容詞がついておりまして、個別的及び集団的自衛の固有の権利があるということで、条約上うたわれておりますが、これは国際法上の問題として、日本が自衛権を持っている、その自衛権というのは個別的及び集団的なものであるということを国際法上うたったわけでございまして、憲法上こういう権利の行使については、また別途措置をしなければならない。憲法ではわが国はいわば集団的自衛の権利の行使について、自己抑制をしていると申しますか、日本国の国内法として憲法第九条の規定が容認しているのは、個別的自衛権の発動としての自衛行動だけだということが私どもの考え方で、これは政策論として申し上げているわけではなくて、法律論として、その法律論の由来は先ほど同じような答弁を何回も申し上げましたが、あのような説明で、わが国が侵略された場合に、わが国の国民の生命、自由及び幸福追求の権利を守るためにその侵略を排除するための措置をとるというのが自衛行動だという考え方で、その結果として、集団的自衛のための行動は憲法の認めるところではないという法律論として説明をしているつもりでございます。

○水口宏三君 それじゃ、まあこの問題はまだ何回か機会がありますから、これ以上論争してもしかたがないと思います。ただ、私が申し上げたいのは、集団的自衛権に対する解釈について法制局長官がしばしばこれをお変えになってきている。さっき申し上げた正当防衛の自然権であるという立場に立って、この場合の解釈は、まさに日本国民の生命、財産が脅かされるような状況というものは、これが正当防衛のための自然権であるとすれば、どこかの国がある艦隊を率いて日本を攻撃する場合と、当然Bという国を通って日本を攻撃する場合とあるでしょう。そういう場合、Bが攻撃されることは即わが国の国民の生命、財産を脅かされると思って、これに対して防衛するのだ、これが集団的自衛権だというふうに解釈するのなら、これは私はどうも妥当なような気がいたしますが、これ以上論争いたしません。

 ただし、ここで、もしいま法制局長官がおっしゃるように、憲法上集団的自衛権というものの行使が禁止されているという解釈にお立ちになるなら、何で日米安保条約の前文に、権利を有することを確認し、次のとおり協定するというような条項が入ってくるのですか。これは明らかに放棄しているものなら、日本が集団的自衛権を持っていないということを前文に明記すべきではないですか。

○説明員(高島益郎君) これはサンフランシスコ平和条約をはじめ、ほかの文書にもございますけれども、日本が主権国としてこういう権利を持っているということを確認しただけのことでございまして、安保条約そのものの中では、そのような意味での集団的自衛権は日本は行使できないということを前提に全体が起草されております。と申しますのは、先ほどもちょっと申しましたけれども、日米安保条約というものは、いわゆる安保条約の中では非常に特殊な条約でございまして、相互防衛条約になっておらない。それはまさに日本に集団的自衛権を行使することができない憲法上の制約があるからそうなっているということでございます。前文は、何回も申しますけれども、他の平和条約その他の文書と同じように、日本が主権国家として当然持っていることをここに確認したということだけの意味でございます。

○水口宏三君 それは条約局長、サンフランシスコ条約をお読みになってごらんなさい。これは日本がみずからの意思でもってやったのじゃないのですよ。つまり講和する相手国が日本にそういうものを認めるという、許容するということにすぎない。日本から何ら積極的にそれについて意思表示をしていないのです。日ソ共同宣言の場合もソ連は日本に、日本はソ連に認めているのですね。ところが安保条約だけは、相互に持っていることを、両国が固有に持っている、これを確認しているんですね。相互に両国が持っていることを確認しているんですよ。だから、サンフランシスコ条約、日ソ共同宣言から見ると、これは明らかに日本が集団的自衛権を持っている、しかもその行使について何ら前文には制限をうたっていないんですね。とすれば、これはまあ当然いままでの自然権としての集団的自衛権の行使というものを安保条約では禁止しているんだということには全然ならないと思います。結局、いままでの条約をずっと羅列してきて安保条約へきて、ついにこれはもう、相互にお互いが持っていることを確認し合ったんですね。それでどうして日本だけが集団的自衛権を放棄するなんということが出てくるんですか。

○説明員(高島益郎君) それは、先ほどから吉國長官が御答弁しておられますとおり、憲法の自己抑制というのがございまして、日本には集団的自衛権はあるけれどもこれを行使できない、そういうたてまえで安保条約ができておるということを申しておるわけでございます。

○水口宏三君 それでは、私もう一回。あとで統一見解を伺いたいんでございますけれども、どうもいままでの御答弁を伺っていると、少なくとも国連憲章五十一条の集団的自衛権に対する一般的な概念、日本国憲法第九条に対する解釈、これを法制局長官は十三条までお加えになった、あるいは憲法の前文まで引用なさった、それらを含めて、何で憲法第九条というものが集団的自衛権の行使を――を自己抑制とおっしゃっているが、禁止でしょう、禁止していると見ていいんでしょう――禁止しているのか、その点をもう少し文書で明確にしていただきたい。いままでの論議では納得できないんです。いま申し上げたような五十一条における集団的自衛権というものの概念、それから憲法前文、九条、十三条、それから日米安保条約、これらを含めて、日本が集団的自衛権の行使を憲法上禁止されているということをもう少し国民にわかりやすく言っていただきたいんですね。おそらくきょうの論議を聞いて国民は何が何だかわからないわけです、このままでは。自己抑制だなんて――自己抑制というのは、私非常に主観的なものであって、だから当然憲法論議である以上、それは解釈の相違もございましょうが、これは単なる解釈の問題ではないと思うんですね。その点明確にひとつ文書でもって御回答いただきたいんでございますけれども、増原防衛庁長官いかがでしょうか。

○国務大臣(増原恵吉君) なお、御趣旨をよく承りましたので、検討いたしましてお答えをいたします。この際申して恐縮ですが、先ほど海外派兵の統一解釈と申しますか、一週間ぐらいと申しましたが、いまもお話を聞いておって、これは両者まことに一体のものでございまして、約一カ月ぐらいの御猶予をいただきたいということで、解釈を申し上げる……。文書をもってやることはよろしゅうございます。文書でお答えをさせることにいたします。

○水口宏三君 そうすれば、これを伺うのはちょっとあまり意味がなくなるのでございますけれども、日米共同声明の例の韓国条項と台湾条項でございますね、これはまさに日本の自衛とは全く無関係である、自衛権の行使とは無関係であると解釈してよろしいんでございますか。増原防衛庁長官。

○説明員(高島益郎君) 先ほどから申しておりますとおり、日本は集団的自衛権を行使することができないというたてまえでございますので、韓国であろうとどこであろうと、外国との関係におきまして、日本の持ついわゆる個別的な自衛権との関係では何ら関係はございません。

○水口宏三君 いやいや、個別的な自衛権とは関係がないかもわかりませんけれども、私が申し上げるのは、少なくとも日米共同声明の中では、韓国の安全は日本の安全と非常に緊密な関係にあるということが書いてありますね。韓国に――日本を攻撃する意図を明らかに持ったと思われるどこかの国の軍隊が、韓国を軍事攻撃し、韓国を占領する。それは日本にとっての非常な脅威でございますね。そういう場合であっても、集団的自衛権の行使は行なわない、そう解釈してよろしいんですか。

○説明員(高島益郎君) 確かに先生の御指摘のような事態は、非常に日本にとっても脅威であろうかと思います。しかし、これに対処する日本の行為としましては、集団的自衛権は行使できないということは、確固たる立場でございます。

○水口宏三君 それでは、一応海外派兵の問題につきましてはその程度にいたしたいと思います。

コメント

<資料> 昭47・9・14 参議院決算委員会、憲法と個別的自衛権と集団的自衛権に関する質疑/上

2015-08-20 08:53:31 | Weblog


第069回国会 参議院決算委員会 第5号
昭和四十七年九月十四日(木曜日)
   午後一時一分開会


<資料>「憲法と個別的自衛権と集団的自衛権」
  水口宏三参議院議員による質疑 会議録・上


      
      ※注 これは昭和47年10月14日政府提出資料「集団的自衛
         権と憲法との関係」
を出す前提になった国会質疑の会議録
         です。前記事の安倍政権・自民・公明の「集団的自衛権合
         憲論」トリック(1) 論拠文書の由来を知らせない
と併せ
         てご覧ください。

      ※注 水口宏三参議院議員の「質疑会議録」全文のうち、「憲法
         と個別的自衛権と集団的自衛権」に関わる部分を下に転記
         した。【 】は川本が付した。
 
      ※注 (答弁)国務大臣(増原恵吉君) → 防衛庁長官
             説明員(吉國一郎君)  → 内閣法制局長官
             説明員(久保卓也君)  → 防衛庁防衛局長


【海外派兵】

○水口宏三君 そこで、いま長官は絶対に外征などをすることはないという言明をなさったわけなんでございますけれども、これまで国会論議を通じて、海外派兵の問題がしばしば非常に問題になっております。最近、私が直接質問した中でも、これは江崎防衛庁長官のときに、日本は憲法上海外派兵はできませんということを明言なさっておるわけでございますけれども、これは増原防衛庁長官も海外派兵ができないということは、憲法上できないのだというふうにお考えになっていると考えてよろしゅうございましょうか。

○国務大臣(増原恵吉君) 自衛隊というものは憲法に基づいてできておりまして、自衛、防衛に徹しなければならぬということが憲法上出てくるわけでございます。そういう意味で、憲法上海外派兵はできないというふうに解釈をいたします。

○水口宏三君 それでは、憲法上海外派兵ができないということは、増原防衛庁長官もそう考えているというふうに理解いたします。

 ただし、こまかく言いますと、海外派兵というのは、いろいろな形態があるわけでございますね。たとえば陸上自衛隊が敵前上陸をして、どこかの国へのぼっていって、そこで戦闘行為をした。これは非常にはっきりした海外派兵だと思うんですけれども、それ以外にこれは海上自衛隊、航空自衛隊になってくると、どこまでが、どういう形態が海外派兵であるのか、あるいは防衛庁はどういう形態を海外派兵と考えておいでになるのか、この点もこの前いろいろ論議がありましたけれども、どうも私のいままでずっと国会論議を調べた上では明確でないものがございますね。この点、ひとつ陸海空に分けて、どういう状況、行動を海外派兵というのか、この点ひとつお示しいただきたいと思います。

○国務大臣(増原恵吉君) 一応、私からお答えをして、この点の基本的なあれは法制局長官に答えていただきたいと思います。

 海外派兵というのは、いままで私どもが申し上げておりますのは、客観的に確立された定義というふうにはなかなかなっておらぬかと思いまするけれども、武力行使の目的をもって武装した部隊を海外領域に派遣するということであると思いまするので――これは陸海空とも武装した部隊を海外領域に派遣する、武力行使の目的をもって武装した部隊を海外領域に派遣するということであると解釈をしております。

【公海からミサイル発射は?】

○水口宏三君 そこで、ちょっと問題があるのは、海外領域というのはどういうことなんですか。他国の領海、領空、領土ということでございますか、それとも公海、公空も含むのですか。

○国務大臣(増原恵吉君) 仰せのとおり、他国の領空、領海、領域ということでございます。

○水口宏三君 それでは、公海上で海上自衛隊が武力行動をとること、あるいは公海上から航空自衛隊がミサイルを発射すること、これは含まないわけなんですか。

○国務大臣(増原恵吉君) 何といいますか、公海の上の領空にあらざるところから外国に向かって、たとえばミサイルを発射する、そういうことは、そういう意味でこの公海、その上空に行くということは、ちょっとそういうことは、海外派兵という、いま申したことばでは入りませんが、そういうことをも私どもはやってはならない、やらないというたてまえの中に入っておるというふうに考えます。

○水口宏三君 これからの論議は、もうぜひこれをひとつ前提にしていただきたいのでありますけれども、防衛庁長官は、海外派兵は憲法上できないのだという前提に立って御答弁いただきたいのであります。政策論としてこれが入ってくると、政策論と憲法論がまじりますと非常に――これまでの国会論議が非常に紛糾するのはいつでも憲法論と政策論が混同するところにあると思うんですね。憲法上できない海外派兵というものは、どういうものであるのかということをここではっきりしたい。

○国務大臣(増原恵吉君) その点はひとつ法制局長官にお答えをしてもらいたいと思います。

○説明員(吉國一郎君) 先ほどの水口委員の御質問の中で、公海からミサイルを発射することはどうかと、海外派兵になるかという御趣旨の御質問だったと思いますが、公海から発射いたしまするにしても、あるいはこれを日本の領域から発射するにいたしましても、その行為自体が、憲法第九条が許容しております自衛行動の範囲内になるかどうかということで検討しなければならないと思います。したがいまして、この点は前々から申しておると思いますけれども、そのミサイルの性能いかんでございますとか、そのミサイルが発射されますときの状況とかというものによって判断しなければならないと思います。いずれにいたしましても、ミサイルを発射する行為自体が、自衛行動の範囲内として観念せられるかどうかということによって判断すべきものだと思います。

【日本海海戦・バルチック艦隊迎撃の事例で、自衛権の範囲は?】

○水口宏三君 いや、そこで自衛行動というものをある程度明確にしたいので伺っているわけなんですけれども、それじゃ事例を出しますと、これは明治の例の日露戦争による日本海海戦、これは私ども子供のときには非常によく聞かされたものですね。これはまさにバルチック艦隊がずっと曳行してウラジオストックに入ろうとした途中に、これを日本の連合艦隊が迎撃をして全滅をさせた。これはまさに公海上における戦闘行為でございますね。こういう場合はどうなんですか。これは海外派兵と言えるんでございますか。

○説明員(吉國一郎君) 戦前の、たとえば日露戦争のころにおきまする日本の国権の作用として説明をいたしましたような状況と、最近の憲法第九条の説明として自衛という観念を用いております現在の観念、特に国民一般にございます法意識に基づいて自衛行動を説明いたします場合とは、全く状況が違いますので、一がいには申せませんが、あの当時の状況を考えてみまするに、ロジェストヴェンスキー中将の率いるバルチック艦隊は、いわばリバウの軍港から回航いたしまして、ウラジオに入るという目的で来たものだと思います。ウラジオから先にまたどういう行動に出るか、その当時いろいろ憶測があったと思いますけれども、少なくともああいう状況を考えてみまするに、これをわが国に対する急迫不正の侵害が現に発生したといって自衛行動に移るというには、まだその段階に達していなかったと言うべきではないかと思います。また、その当時の軍事的な状況を私も知悉いたしておりません。まさに子供のころ聞いたような話をもとにして判断いたしますので、その状況判断は的確を欠くかとは思いますけれども、まだ日本に現実に侵略があったという状況では少なくともなかった。したがって、現在の憲法において考えられるような自衛行動に移れるような状況ではなかったということであろうと思います。

○水口宏三君 それは非常に微妙な問題であって、そのときの状況判断をする、これは最高の状況判断はむしろ指揮官である――指揮官と申しますか、総理大臣が行なうべきでございましょうね。だけれども、一々総理大臣に相談していたんじゃ間に合わないような状況もあり得るし、当然これは幕僚監部が判断する場合もございましょう。そういうようなものを含めて公海上の、私は特にこれは海上自衛隊の問題になると思うんでございますよ。公海上における行動というものに、自衛のための行動、つまり憲法の許容する行動というものの限界というものは何らか基準がないんですか。防衛庁はお考えになっていないんですか。

  〔理事世耕政隆君退席、鶴園哲夫君着席〕

○説明員(久保卓也君) 自衛の中でも必要最小限度の自衛が、憲法で許された自衛行動であるというふうに言われておりますけれども、具体的な基準というのはなかなかむずかしいのでありまして、私ども十分に持っておりませんが、おそらくその時点その時点においてデリケートな問題については、政府部内で協議されるであろう。と申しますのは、突発的なことは格別といたしまして、全般的な部隊の行動というものはわれわれの情報あるいは予告、日米安保体制のもとにおいてはそういった行動というものが予見できると思います。

○水口宏三君 だから陸上自衛隊の場合ならこれははっきりしておりますね。海上自衛隊の場合も、お話のように何か状況が起きたら、それを国会の中で審議してもらって内閣総理大臣が判断してなんと言っているうちには、これはもうとっくにそういう状況は変わっちゃうわけなんです、実際の戦闘状況のもとにあっては。そうすれば、あらかじめ、もし憲法上禁止されている海外派兵ということの限界を、何らかの形でつくっておかなければ、現地の司令官こそがいい迷惑――迷惑どころじゃなくて行動がとれないですね。そういうことが何でいままで防衛庁内部で論議されなかったのか。

○説明員(久保卓也君) 戦争というものが起こり得る態様というのは千変万化であります。しかもどういう事態が起こるかということは――具体的な事実ということはなかなか予想しにくいわけであります。たとえば通常の刑法犯において、それが過剰防衛であるかどうかでも、どういった基準があるかということはなかなかむずかしいので、そういったものは判例の積み重ねということで、国内法の場合には一応のめどというものが立ちまするけれども、国際関係で、しかも他国と違いましてわが国独自の憲法というものを持っています以上は、なかなかそういった基準というものはむずかしかろう。したがいまして、おおよそのことはわれわれも見当がつきまするけれども、ボーダーラインになりまするとなかなかわからない。こういった問題は、あるいは具体例を想定しまして政府部内で研究すべき問題であるかと思います。

○水口宏三君 どうも、もう自衛隊ができて十数年になるのに、これから研究するというのでは、私どうも非常に危険だと思うんでありますけれども、たとえば航空自衛隊の場合ですね。これは、かつて高辻法制局長官ですか、座して死を待つような状況の場合には、相手のミサイル基地をたたくことも、これは自衛行動の範囲である。航空自衛隊の場合には、まさにその限界までは憲法上許容される行動として国会ではっきり答弁したわけですね。そういう意味で、どうしても私は、憲法上の問題としてどこまでが許容できるかということは、いまだに研究課題であって、片方でどんどん自衛隊が強化されていくということは、これはもう本末転倒ではないか、これは当然、法制局としても、憲法上の問題である以上、憲法上の限界というものは明確になさる必要があるんじゃないか。

  〔委員長代理鶴園哲夫君退席、委員長着席〕

○説明員(吉國一郎君) 憲法第九条が許容しております自衛行動の範囲というものは、抽象的にはもう十数年来、国会で何べんもお答えをいたしておりますが、その具体的適用が個別の場合にどうであるかということを、あらかじめ確定しておけという御趣旨かと思いますが、事はいろいろ広範にわたりますので、この抽象的な範囲をもって憲法論としてはやむを得ないとしなければならないと思います。特に自衛隊の行動につきましては、自衛隊がいきなり自衛行動をとるわけではございませんで、必ず自衛隊法の定めるところによりまして一定の要件のもとに防衛出動待機命令なり、あるいは防衛出動命令が出るわけでございます。その出るにつきましては、国会においても御審議を願うという手段が用意されておるわけでございまして、その場合に、さらにそういう出動がなされました後において、具体的な自衛のための処置をとるわけでございまして、その場合につきましてはおのずからそのときの状況が――特定の武力集団がどの辺に近づいてどうこうという状況が判定されると思います。それに応じて部隊としては行動が十分にとれるものと思いますので、いまの段階におきましては、やはり憲法論としては抽象的な原理、基準をもって十分足りるものではないかと私どもは考えております。

○水口宏三君 いや私は、憲法論としても、いままで出てきていることばというのは、専守防衛であるとか、不正な侵略が起きた場合、これに対応するのだという程度のことですね。ところが、憲法というのは、もっとそういう意味では、この問題に関しては第九条はかなり厳密な規定をしているわけです。それでさっき伺うと、防衛庁長官は憲法上の問題である。したがって、武力行使を目的にした武装した部隊を海外領域に派遣することを海外派兵と言うと、ただし公海上の行動についてはあいまいなわけですね。特に公海上の行動であいまいなのは海上自衛隊と航空自衛隊。さっき私はバルチック艦隊の例を申し上げたんですが、その艦隊なりその航空部隊がはたして直接日本を攻撃目的として来たのかどうかわからなくても、公海上でそれを迎撃するのか、あるいは日本の領海へ入ったときに、日本の領空へ入ったときに、これを迎撃するのか。これは、つまり私は原則的な問題だと思う。そういう点についてはいかがですか。

○説明員(久保卓也君) バルチック艦隊の場合に、ある地点から他の地点に移動する、その後の行動が明確でないという場合に自衛の範囲にはならない。そういう前提のもとには、そう言い得ようと思いますが、われわれのほうの防衛構想上前提といたしておりますのは、公海上でありましても、その艦隊なら艦隊が日本を目ざして、日本の侵略のために行動を起こしているということが、四囲の状況で明白であるという場合には、領海に入らなくても、公海におきましても攻撃を加えるであろう。それは自衛の範囲に入る、こういう考え方であります。

○水口宏三君 どうもバルチック艦隊ばかり例に出して恐縮でございますけれども、バルチック艦隊が単なる移動であるなんというのは、久保さんらしくない御答弁だと思うんです。あのときには、アジア地域において当時の帝政ロシアは全く艦隊を失ってしまった。同時に、もう使えなくなった。日本を攻撃するためにバルチック艦隊が来たのは、これは明らかなわけです。長途の航路であったから、一応ウラジオストックへ行って補給しようというだけのことであって、これは日本攻撃のために来たということは明瞭でございますね。じゃ、バルチック艦隊を迎撃することも、いまのお話からいえば、当然、自衛行動に入るんじゃないですか。

○説明員(久保卓也君) ウラジオに入った後、日本を攻撃するであろうということが明白な場合に、それが自衛の範囲に入るか入らないか、まさにデリケートな問題でありまして、法制局にお伺いしなければいけないわけでありますが、私どもが想定をしております事態は、公海の上であっても、日本を目ざして進んできておる、そういう事態から防衛構想が実は始まっておる。したがって、バルチック艦隊のような事例はわれわれの防衛構想の中では出ておりません。しかし、現実にそういった事態があった場合に、つまりウラジオに入る――まあウラジオと申してはよくないわけでありますが、特定の港に入ってそれからわが国を攻撃するであろうということが予想されるときに、途中を要して攻撃するのが自衛の範囲であるかどうか非常にむずかしい問題であろうと思います。

○水口宏三君 要するに、この点については、今後、研究課題であるということですか。これはしかし私は、憲法上の問題である以上、これがいつまでも研究の課題として国民に不明のまま自衛隊が強化されるということは、非常に大きな矛盾だと思うんです。早急にこれは研究して、研究結果を法制局とも御相談になり、国会で明確に御答弁いただきたいと思うのでございますが、長官いかがでございましょうか、どのくらいの時日を要しますか。

○国務大臣(増原恵吉君) 一週間ぐらいで協議をしてお答えできるようにいたします。

                  ――この項(下)につづきます――



コメント

安倍政権・自民・公明の「集団的自衛権合憲論」トリック(1) 論拠文書の由来を知らせない

2015-08-19 22:06:33 | Weblog
<関連記事クリック>
2015/08/19 安倍政権・自民・公明の「集団的自衛権合憲論」トリック(1)論拠文書の由来を知らせない
2015/08/24 安倍政権・自民・公明の「集団的自衛権合憲論」トリック(2)なぜこの文書を選んだのか?
2015/09/12 安倍政権・自民・公明の「集団的自衛権合憲論」トリック(3)文章をいじって含意を逆転させる
2015/10/02 安倍政権・自民・公明の「集団的自衛権合憲論」トリック(4終)ごまかし手法に怒りおさまらず



安倍政権・自民・公明が昭和47年10月14日政府提出資料「集団的自衛権と憲法との関係」から「集団的自衛権合憲論」を作り出したことにはトリックがある。国民をだます手口を見ていこうと思います。トリック1は…、知らせないことです。説明しないことです。すなわち、不都合なことは隠しておく。

この政府提出資料は政府の統一見解として、昭和47年10月14日付で参議院決算委員会に提出されました。なぜこの提出資料が発付されたのか。どういう経緯でこの提出資料が発付されたのか。安倍政権・自民・公明は国民に対してまったく説明していません。

この政府提出資料を仕掛けなしにふつうに読むならば、「集団的自衛権の行使は、憲法上許されない」のです。そのうえに、提出資料発付の理由・経緯の説明を加えるならば、政府提出資料が憲法9条の下で集団的自衛権は行使できないと言っていることがより鮮明になります。この文書を根拠にする限り「集団的自衛権合憲論」が成り立たないことがより明らかになります。

昭和47年10月14日政府提出資料「集団的自衛権と憲法との関係」は、国会第69回参議院決算委員会(昭和47年9月14日)の水口宏三議員の質疑の中で、増原恵吉防衛庁長官(国務大臣)が政府統一見解として提出することを約束したものです。これが集団的自衛権容認の論拠に使われる時代が来るとは…
…。

この質疑に関係した増原恵吉防衛庁長官、久保卓也防衛庁防衛局長、高島益郎外務省条約局長、吉國一郎内閣法制局長官は鬼籍に在って、どう思うことでしょうか。

水口宏三議員の質疑は、自衛隊の海外派兵・個別的自衛権・集団的自衛権と憲法9条との関わりについてのもので、国会会議録のこの部分は2万4000字になっています。400字詰原稿用紙換算で60枚を超えています。
※参照:国会会議録 第69回国会 参議院決算委員会第5号 昭和47年9月14日

この質疑は、始めに「海外派兵」の問題を取り上げ、「公海上のミサイル発射」が憲法9条の許容する自衛行動かを問い、日露戦争におけるロシア・バルチック艦隊撃破の事例を挙げて自衛行動の限界を問い、それから本題の集団的自衛権に関する質疑を詳細に重ねています。

昭和47年9月14日の質疑で水口宏三議員は、憲法上での集団的自衛権の確認を執拗に追っています。そして政府側は、憲法9条の下で集団的自衛権を行使できないと答弁しています。このことを政府見解として整理するよう水口議員が増原恵吉防衛庁長官に求め、増原防衛庁長官が参議院決算委員会への提出を約束し、その結果の提出文書が昭和47年10月14日政府提出資料「集団的自衛権と憲法との関係」です。これは、憲法9条の下で集団的自衛権の行使はできないという文書です。

昭和47年9月14日参議院決算委員会・水口宏三議員質疑の終わりの部分を下に転記します。一読、おわかりいただけることと思います。さらに……、<資料> 昭47・9・14 参議院決算委員会、憲法と個別的自衛権と集団的自衛権に関する質疑/上<資料> 昭47・9・14 参議院決算委員会、憲法と個別的自衛権と集団的自衛権に関する質疑/下、をクリックして質疑の詳細を閲覧をしていただくならば、昭和47年10月14日政府提出資料「集団的自衛権と憲法との関係」の簡潔な文章の意味をより深くご理解いただけることでしょう。この文書はなぜ出されたのか? 参議院決算委員会で、防衛庁長官、外務省条約局長、内閣法制局長官が重ねて、集団的自衛権の行使を全面的に否定し、そのことの確認を文書化したのです。

--------------------------------------------------------------------------------

<資料>
第069回国会 参議院決算委員会 第5号
昭和四十七年九月十四日(木曜日)
   午後一時一分開会



○高島益郎外務省条約局長 それは、先ほどから吉國長官が御答弁しておられますとおり、憲法の自己抑制というのがございまして、日本には集団的自衛権はあるけれどもこれを行使できない、そういうたてまえで安保条約ができておるということを申しておるわけでございます。

○水口宏三議員 それでは、私もう一回。あとで統一見解を伺いたいんでございますけれども、どうもいままでの御答弁を伺っていると、少なくとも国連憲章五十一条の集団的自衛権に対する一般的な概念、日本国憲法第九条に対する解釈、これを法制局長官は十三条までお加えになった、あるいは憲法の前文まで引用なさった、それらを含めて、何で憲法第九条というものが集団的自衛権の行使を――を自己抑制とおっしゃっているが、禁止でしょう、禁止していると見ていいんでしょう――禁止しているのか、その点をもう少し文書で明確にしていただきたい。

 いままでの論議では納得できないんです。いま申し上げたような五十一条における集団的自衛権というものの概念、それから憲法前文、九条、十三条、それから日米安保条約、これらを含めて、日本が集団的自衛権の行使を憲法上禁止されているということをもう少し国民にわかりやすく言っていただきたいんですね。

 おそらくきょうの論議を聞いて国民は何が何だかわからないわけです、このままでは。自己抑制だなんて――自己抑制というのは、私非常に主観的なものであって、だから当然憲法論議である以上、それは解釈の相違もございましょうが、これは単なる解釈の問題ではないと思うんですね。その点明確にひとつ文書でもって御回答いただきたいんでございますけれども、増原防衛庁長官いかがでしょうか。

○増原恵吉防衛庁長官 なお、御趣旨をよく承りましたので、検討いたしましてお答えをいたします。この際申して恐縮ですが、先ほど海外派兵の統一解釈と申しますか、一週間ぐらいと申しましたが、いまもお話を聞いておって、これは両者まことに一体のものでございまして、約一カ月ぐらいの御猶予をいただきたいということで、解釈を申し上げる……。文書をもってやることはよろしゅうございます。文書でお答えをさせることにいたします。

○水口宏三議員 そうすれば、これを伺うのはちょっとあまり意味がなくなるのでございますけれども、日米共同声明の例の韓国条項と台湾条項でございますね、これはまさに日本の自衛とは全く無関係である、自衛権の行使とは無関係であると解釈してよろしいんでございますか。増原防衛庁長官。

○高島益郎外務省条約局長 先ほどから申しておりますとおり、日本は集団的自衛権を行使することができないというたてまえでございますので、韓国であろうとどこであろうと、外国との関係におきまして、日本の持ついわゆる個別的な自衛権との関係では何ら関係はございません。

○水口宏三議員 いやいや、個別的な自衛権とは関係がないかもわかりませんけれども、私が申し上げるのは、少なくとも日米共同声明の中では、韓国の安全は日本の安全と非常に緊密な関係にあるということが書いてありますね。韓国に――日本を攻撃する意図を明らかに持ったと思われるどこかの国の軍隊が、韓国を軍事攻撃し、韓国を占領する。それは日本にとっての非常な脅威でございますね。そういう場合であっても、集団的自衛権の行使は行なわない、
そう解釈してよろしいんですか。

○高島益郎外務省条約局長 確かに先生の御指摘のような事態は、非常に日本にとっても脅威であろうかと思います。しかし、これに対処する日本の行為としましては、集団的自衛権は行使できないということは、確固たる立場でございます。

○水口宏三議員 それでは、一応海外派兵の問題につきましてはその程度にいたしたいと思います。

--------------------------------------------------------------------------------

<私のアピール>
2012年末の安倍政権成立以後の短年月、武器輸出3原則を廃し、特定秘密保護法の新設、憲法9条解釈変更の7・1閣議決定(※憲法違反です)と、先行き不安な政策ばかり急激に推進されています。安倍内閣はデモクラシー日本を食い破りつつある危険な内閣です。その政治手法は民主主義下の独裁と見えて、危険です。安倍総理退陣まで、来年7月参院選で自民党に“No”を!







コメント

<資料> 『集団的自衛権と憲法との関係について』 ――内閣法制局1972(昭47)・10・14 参議院提出――

2015-08-17 16:41:28 | Weblog


                                
集団的自衛権は憲法9条の許容する範囲から逸脱している。これが長い間に積み重ねられてきた政府の統一見解でありました。下に掲載する1972年(昭和47年)政府提出文書もそういう政府の見解を示す文書の一つで、結語はこうなっています。

 ――「いわゆる集団的自衛権の行使は、憲法上許されないといわざるを得ない。」

然るに安倍内閣・自民党・公明党は、従来通りの憲法解釈を表明している同じ1972年(昭和47年)政府提出文書を根拠に、真逆の結論を作りました。2014
・7・1閣議決定以後。安倍内閣は、憲法解釈を「集団的自衛権は憲法の許容範囲内」に変更しました。彼らが合憲論の根拠にしているのが、下に掲載する文書です。今後長きにわたって重要な資料になるものと思われる文書です。

■集団的自衛権「憲法9条違反」関係記事(2016/06/06追記)
   ◎日本国憲法は国民に歓迎された
   ◎憲法につきまとう復古(ナショナリズム)勢力
   ◎憲法9条についてどう考えるか-自衛力整備も考慮に入れて
   ◎「平和」は絶対的命題、安全保障効果は国際交流力>軍事力
   ◎転載記事 集団的自衛権―憲法解釈変更の問題点 早稲田大学法学学術院教授・長谷部     恭男
   ◎集団的自衛権を容認する閣議決定に反対する意見書 (元防衛官僚・新潟県加茂市長)
   ◎全国47弁護士会が「集団的自衛権行使容認の閣議決定は憲法違反」と声明、決議
   ◎<資料掲載> 集団的自衛権行使容認の「7・1閣議決定」全文
   ◎<資料> 『集団的自衛権と憲法との関係について』 ―内閣法制局1972(昭47)・10・14          参議院提出―
   ◎<資料> 昭47・9・14 参議院決算委員会、憲法と個別的自衛権と集団的自衛権に関          する質疑/上
   ◎<資料> 昭47・9・14 参議院決算委員会、憲法と個別的自衛権と集団的自衛権に関          する質疑/下
   ◎<資料> 昭56・4・22 「憲法、国際法と集団的自衛権」に関する質問主意書 / 5・29          質問に対する答弁書
   ◎<資料> 衆議院憲法審査会参考人違憲発言に対する政府見解等への質問に対する答弁書         (新三要件について)
   ◎<資料> 自衛権発動の三要件 昭60・9・27 憲法第九条の解釈に関する答弁書 /          6・25 質問主意書
   ◎安倍政権・自民・公明の「集団的自衛権合憲論」トリック(1)論拠文書の由来を知ら      せない
   ◎安倍政権・自民・公明の「集団的自衛権合憲論」トリック(2)なぜこの文書を選んだ      のか?
   ◎安倍政権・自民・公明の「集団的自衛権合憲論」トリック(3)文章をいじって含意を      逆転させる
   ◎安倍政権・自民・公明の「集団的自衛権合憲論」トリック(4終)ごまかし手法に怒り      おさまらず


--------------------------------------------------------------------------------


                     内閣法制局 昭和47年10月14日

<資料> 「集団的自衛権と憲法との関係について」 
       (参・決委 昭47・9・14 における水口議員要求の資料)

      ※注 1972年(昭和47年)10月14日参議院決算委員会提出資料


【1】 国際法上、国家は、いわゆる集団的自衛権、すなわち、自国と密接な関係にある外国に対する武力攻撃を、自国が直接攻撃されていないにかかわらず、実力をもって阻止することが正当化されるという地位を有しているものとされており、国際連合憲章第51条、日本国との平和条約第 5条(C)、日本国とアメリカ合衆国との間の相互協力及び安全保障条約前文並びに日本国とソヴィエト社会主義共和国連邦との共同宣言 3 第2段の規定は、この国際法の原則を宣明したものと思われる。
 そして、わが国が、国際法上右の集団的自衛権を有していることは、主権国家である以上、当然といわなければならない。

【2】 ところで、政府は、従来から一貰して、わが国は国際法上いわゆる集団的自衛権を有しているとしても、国権の発動としてこれを行使することは、憲法の容認する自衛の措置の限界をこえるものであって許されないとの立場に立っているが、これは次のような考え方に基づくものである。

【3】 憲法は、第9条において、同条にいわゆる戦争を放棄し、いわゆる戦力の保持を禁止しているが、前文において「全世界の国民が……平和のうちに生存する権利を有する」ことを確認し、また、第13条において「生命・自由及び幸福追求に対する国民の権利については、……国政の上で、最大の尊重を必要とする」旨を定めていることから、わが国がみずからの存立を全うし国民が平和のうちに生存することまでも放棄していないことは明らかであって、自国の平和と安全を維持しその存立を全うするために必要な自衛の措置をとることを禁じているとはとうてい解されない。

【4】 しかしながら、だからといって、平和主義をその基本原則とする憲法が、右にいう自衛のための措置を無制限に認めているとは解されないのであって、それは、あくまでも外国の武力攻撃によって国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底からくつがえされるという急迫、不正の事態に対処し、国民のこれらの擁利を守るための止むを得ない措置としてはじめて容認されるものであるから、その措置は、右の事態を排除するためとられるべき必要最小限度の範囲にとどまるべきものである。

【5】 そうだとすれば、わが憲法の下で武カ行使を行うことが許されるのは、わが国に対する急迫、不正の侵害に対処する場合に限られるのであって、したがって、他国に加えられた武力攻撃を阻止することをその内容とするいわゆる集団的自衛権の行使は、憲法上許されないといわざるを得ない。

                              ==了==


※注1 以上、原資料写真PDFを、句読点に至るまで点検して忠実に再現し
    ました。上記本文の「右にいう」は、原本タテ書きのゆえです。原本
    に、上記【1】【2】【3】【4】【5】の番号はありません。

※注2 政府の「限定的集団的自衛権」合憲論に関わる文段に、【1】【2】
    【3】【4】【5】の番号を振りました。原本にこの番号はありません。

※注3 国際連合憲章
    第7章 平和に対する脅威、平和の破壊及び侵略行為に関する行動
    第51条

     この憲章のいかなる規定も、国際連合加盟国に対して武力攻撃が発
    生した場合には、安全保障理事会が国際の平和及び安全の維持に必要
    な措置をとるまでの間、個別的又は集団的自衛の固有の権利を害する
    ものではない。この自衛権の行使に当って加盟国がとった措置は、直
    ちに安全保障理事会に報告しなければならない。また、この措置は、
    安全保障理事会が国際の平和及び安全の維持または回復のために必要
    と認める行動をいつでもとるこの憲章に基く権能及び責任に対して
    は、いかなる影響も及ぼすものではない。

※注4 日本国との平和条約
    第5条 c項

     連合国としては、日本国が主権国として国際連合憲章第51条に掲
    げる個別的又は集団的自衛の固有の権利を有すること及び日本国が集
    団的安全保障取極を自発的に締結することができることを承認する。

※注5 日本国とアメリカ合衆国との間の相互協力及び安全保障条約
    前文

     日本国及びアメリカ合衆国は、両国の間に伝統的に存在する平和及
    び友好の関係を強化し、並びに民主主義の諸原則、個人の自由及び法
    の支配を擁護することを希望し、また、両国の間の一層緊密な経済的
    協力を促進し、並びにそれぞれの国における経済的安定及び福祉の条
    件を助長することを希望し、国際連合憲章の目的及び原則に対する信
    念並びにすべての国民及びすべての政府とともに平和のうちに生きよ
    うとする願望を再確認し、両国が国際連合憲章に定める個別的又は集
    団的自衛の固有の権利を有していることを確認し、両国が極東におけ
    る国際の平和及び安全の維持に共通の関心を有することを考慮し、
    相互協力及び安全保障条約を締結することを決意し、よって、次のと
    おり協定する。

※注6 日本国とソヴィエト社会主義共和国連邦との共同宣言 3
     日本国及びソヴィエト社会主義共和国連邦は、相互の関係におい
    て、国際連合憲章の諸原則、なかんずく同憲章第二条に掲げる次の原
    則を指針とすべきことを確認する。
    (a) その国際紛争を、平和的手段によって、国際の平和及び安全並
      びに正義を危くしないように、解決すること。
    (b) その国際関係において、武力による威嚇又は武力の行使は、い
      かなる国の領土保全又は政治的独立に対するものも、また、国際
      連合の目的と両立しない他のいかなる方法によるものも慎むこ
      と。
     日本国及びソヴィエト社会主義共和国連邦は、それぞれ他方の国が
    国際連合憲章第五十一条に掲げる個別的又は集団的自衛の固有の権利
    を有することを確認する。
     日本国及びソヴィエト社会主義共和国連邦は、経済的、政治的又は
    思想的のいかなる理由であるとを問わず、直接間接に一方の国が他方
    の国の国内事項に干渉しないことを、相互に、約束する。

--------------------------------------------------------------------------------

<私のアピール>
2012年末の安倍政権成立以後の短年月、武器輸出3原則を廃し、特定秘密保護法の新設、憲法9条解釈変更の7・1閣議決定(※憲法違反です)と、先行き不安な政策ばかり急激に推進されています。安倍内閣はデモクラシー日本を食い破りつつある危険な内閣です。その政治手法は民主主義下の独裁と見えて、危険です。安倍総理退陣まで、来年7月参院選で自民党に“No”を!




コメント

安倍首相「戦後70年談話」全文掲載――戦争への反省は偽物

2015-08-15 16:28:14 | Weblog


官邸ホームページから「戦後70年談話」全文を採録しました。談話本文に【1】のように付けた文段に、私の感想を付しました。以下この要領で、談話全文を記載します。私の感想を一言でまとめると、「戦争への反省は偽物」です。


    ◇   ◇   ◇   ◇   ◇


 8月は、私たち日本人にしばし立ち止まることを求めます。今は遠い過去なのだとしても、過ぎ去った歴史に思いを致すことを求めます。

 政治は歴史から未来への知恵を学ばなければなりません。戦後70年という大きな節目に当たって、先の大戦への道のり、戦後の歩み。20世紀という時代を振り返り、その教訓の中から未来に向けて、世界の中で日本がどういう道を進むべきか。深く思索し、構想すべきである。私はそう考えました。

 同時に、政治は歴史に謙虚でなければなりません。政治的、外交的な意図によって歴史がゆがめられるようなことは決してあってはならない。このことも私の強い信念であります。

 ですから、談話の作成に当たっては、21世紀構想懇談会を開いて、有識者の皆様に率直かつ徹底的な御議論をいただきました。それぞれの視座や考え方は当然ながら異なります。しかし、そうした有識者の皆さんが熱のこもった議論を積み重ねた結果、一定の認識を共有できた。私はこの提言を歴史の声として受けとめたいと思います。そして、この提言の上に立って、歴史から教訓を酌み取り、今後の目指すべき道を展望したいと思います。

【1】 100年以上前の世界には、西洋諸国を中心とした国々の広大な植民地が、広がっていました。圧倒的な技術優位を背景に、植民地支配の波は、19世紀、アジアにも押し寄せました。その危機感が、日本にとって、近代化の原動力となったことは、間違いありません。アジアで最初に立憲政治を打ち立て、独立を守り抜きました。日露戦争は、植民地支配のもとにあった、多くのアジアやアフリカの人々を勇気づけました。

<感想> 明治維新を誇っています。日露戦争に日本は勝ちました。しかしながら日本とロシアが戦争をした場所は、今の中国の領土や韓国・北朝鮮の領土でした。

 日本とロシアは外国領土の権益を巡って、めざす権益が存在している外国の領土内で戦争していたのです。その結果、日本が大国ロシアに勝って多くのアジアやアフリカの人々を勇気づけた、と安倍晋三首相が自慢しています。

 日露戦争後に、日本はロシアの中国・遼東半島の租借地(当時の日本では関東州と呼ぶ)を受け継いで、港湾や鉄道などの権益を手に入れました。

 日露戦争勝利を自慢することは、その勝利で中国領土に租借地を得て植民地経営をしていたという歴史を自慢することです。

 他国領土を租借することは「植民地化」です。他国領土で権益争いの戦争をしたことは「侵略」です。

 ですから、今の時代に日露戦争の勝利を自慢する安倍首相の脳構造が、いかようになっているのか不思議に思います。


【2】 世界を巻き込んだ第一次世界大戦を経て、民族自決の動きが広がり、それまでの植民地化にブレーキがかかりました。この戦争は、1,000万人もの戦死者を出す、悲惨な戦争でありました。人々は「平和」を強く願い、国際連盟を創設し、不戦条約を生み出しました。戦争自体を違法化する、新たな国際社会の潮流が生まれました。

<感想> 第一次世界大戦後植民地化にブレーキがかかったと言いますが、第一次世界大戦に参戦した日本は、ドイツの中国・山東省権益を獲得し、ドイツ領南洋諸島を委任統治領として獲得しました。これは、日本による「植民地化」です。

 また、日本は1918年にシベリアに出兵し、1922年まで7万人規模の陸軍を送り、3千人以上の戦死者を出しています。シベリア出兵はロシア革命に対する干渉戦争です。

 連合国とドイツは1919年6月28日、第1次世界大戦の講和条約であるヴェルサイユ条約が調印され、戦争が終わりました。

 戦争自体を違法化する新たな国際社会の流れが生まれたと安倍首相は言いますが、我が日本は第一次世界大戦が終わってもシベリアに居座りつづけました。日本軍がシベリアから撤兵したのは1922年です。


【3】 当初は、日本も足並みを揃えました。しかし、世界恐慌が発生し、欧米諸国が、植民地経済を巻き込んだ、経済のブロック化を進めると、日本経済は大きな打撃を受けました。その中で日本は、孤立感を深め、外交的、経済的な行き詰まりを、力の行使によって解決しようと試みました。国内の政治システムは、その歯止めたりえなかった。こうして、日本は、世界の大勢を見失っていきました。

<感想> 世界恐慌に端を発し、欧米諸国が経済のブロック化を進めた結果、日本経済が大きな打撃を受けた。これが戦争の道へ走る遠因になった。
日本は欧米諸国から経済的に追いつめられて止むを得なかった、と受け取れる文章です。

 日本が戦争にのめりこんでいったことについてはアジアを植民地化してきた欧米諸国にも責任がある。そう言っているようにも受け取れます。居直り、自己正当化。こういう視点では、人間らしい未来を拓くことは無理でしょう。


【4】 満州事変、そして国際連盟からの脱退。日本は、次第に、国際社会が壮絶な犠牲の上に築こうとした「新しい国際秩序」への「挑戦者」となっていった。進むべき針路を誤り、戦争への道を進んで行きました。
 そして70年前。日本は、敗戦しました。

<感想> 第一次世界大戦後から1945年敗戦まで、日本の植民地支配と侵略戦争の歴史事実に対してこれだけの表現で済ますことは驚きです。下の年表を見てください。特に朝鮮、台湾、南洋諸島、中国の一部を植民地としてきた長い年月。中国大陸、東南アジア、南洋諸島など、日本が戦場にしたために、数えきれないほど多くの人々を殺し、苦しめてきたことでしょうか。

安倍首相は300万同胞の命が失われた言っています。それならば、中国ほかアジア全域で1000万の命が失われているのではないかと想像できます。

 1894(明治27)―1895(明治28) 日清戦争 戦勝で台湾領有
 1904(明治37)―1905(明治38) 日露戦争 戦勝で清国・旅順、大連
                 租借権、鉄道権益、樺太領有など獲得
 1910(明治43) 日本が韓国併合
 1912(明治45) 中華民国成立
 1914(大正03)―1918(大正7) 第一次世界大戦に参戦
                 ドイツの中国・山東省権益を継承
                 ドイツ領南洋諸島を日本の委任統治領に
 1918(大正07)―1922(大11) シベリヤ出兵(ロシア革命干渉戦争)
 1920(大正09) 国際連盟に加入
 1927(昭和02) 第一次中国・山東省出兵
 1928(昭和03) 第二次山東省出兵、第三次増派出兵、日中両軍衝突
          関東軍の工作 → 中国・瀋陽駅近くで張作霖・列車爆殺
 1931(昭和06) 関東軍の謀略(鉄道爆破)で満州事変(=戦争)始まる
 1932(昭和07) 満州国建国、 第一次上海事変 ※事変=戦争
 1933(昭和08) 日中両軍が山海関で衝突
           国際連盟脱退
 1937(昭和12) 盧溝橋事件を機に日中戦争始まる、 第二次上海事変
          12月、日本軍が南京占領
 1938(昭和13) 張鼓峰事件―満州ソ連国境で日ソ両軍戦闘
 1939(昭和14) ノモンハン―満州ソ連国境で日ソ大規模戦闘、日本完敗
 1940(昭和15) 日中戦争を因として戦争を一気に拡大 北部仏印進駐
          ※仏印=仏領植民地=ベトナム、カンボジア、ラオス
 1941(昭和16) 日中戦争を因として戦争拡大の一途 南部仏印進駐
           太平洋戦争始まる(ハワイ・真珠湾攻撃))
 1942(昭和17) シンガポール占領、フィリピン・マニラ占領
           ミッドウェー海戦敗北、以後戦勢悪化の一途
 1943(昭和18) ガダルカナル島大敗、アッツ島全滅
 1944(昭和19) サイパン島全滅、南洋島嶼戦で全滅つづく
          日本本土爆撃始まる
          日本軍50万を投入して中国大陸打通作戦
          食料補給がないため、進軍途次で徴発略奪をくり返す
          東南アジアでも補給途絶のため徴発略奪をくり返す
 1945(昭和20) 日本全国都市で敗戦まで無差別爆撃つづく、 原爆投下
          沖縄戦で県民悲惨なめに遭う


【5】 戦後70年にあたり、国内外に斃れたすべての人々の命の前に、深く頭を垂れ、痛惜の念を表すとともに、永劫の、哀悼の誠を捧げます。

【6】 先の大戦では、300万余の同胞の命が失われました。祖国の行く末を案じ、家族の幸せを願いながら、戦陣に散った方々。終戦後、酷寒の、あるいは灼熱の、遠い異郷の地にあって、飢えや病に苦しみ、亡くなられた方々。広島や長崎での原爆投下、東京をはじめ各都市での爆撃、沖縄における地上戦などによって、たくさんの市井の人々が、無残にも犠牲となりました。

 戦火を交えた国々でも、将来ある若者たちの命が、数知れず失われました。
中国、東南アジア、太平洋の島々など、戦場となった地域では、戦闘のみならず、食糧難などにより、多くの無辜の民が苦しみ、犠牲となりました。戦場の陰には、深く名誉と尊厳を傷つけられた女性たちがいたことも、忘れてはなりません。

 何の罪もない人々に、計り知れない損害と苦痛を、我が国が与えた事実。歴史とは実に取り返しのつかない、苛烈なものです。一人ひとりに、それぞれの人生があり、夢があり、愛する家族があった。この当然の事実をかみしめる時、今なお、言葉を失い、ただただ、断腸の念を禁じ得ません。
 これほどまでの尊い犠牲の上に、現在の平和がある。これが、戦後日本の原点であります。

<感想>【6】の3つの文段のうち、第一の文段は日本国民が遭遇した苦しみ。第二の文段は他国の領域に出かけて戦争をして、日本軍と日本国民が現地国の住民に対して「戦争加害」という最悪の苦しみを与えたという事実。第三の文段は戦争加害の事実を認めています。

 第一と第二を同列に並べられては、戦場にされた戦争被害国民にとっては不満が残るでしょう。安倍首相の本気度に疑いが生じるでしょう。そして、「これほどまでの尊い犠牲の上に、現在の平和がある」という言葉は、日本国民にとっては意味のある言葉です。しかし、戦場にされた被害国民にとっては、「尊い犠牲」と称されると、怒りがこみあげるでしょう。

 【6】の文段は、戦争加害国の日本国民と戦場にされた被害国民を同列に並べています。安倍首相の言葉に誠意を感じることができません。【5】の文段で安倍首相は、「深く頭を垂れ、痛惜の念を表す」と言っています。その気持ちに嘘はないでしょう。しかし、安倍首相は本当のところは、人々の苦しみがどんなものか、平和がつづいたありがたさとはどんなものかについて、平凡のささやかさの中で生き抜いている人々の心を理解できていないのだと思います。安倍首相の根本的な欠陥です。


【7】 二度と戦争の惨禍を繰り返してはならない。
 事変、侵略、戦争。いかなる武力の威嚇や行使も、国際紛争を解決する手段としては、もう二度と用いてはならない。植民地支配から永遠に訣別し、すべての民族の自決の権利が尊重される世界にしなければならない。

 先の大戦への深い悔悟の念と共に、我が国は、そう誓いました。自由で民主的な国を創り上げ、法の支配を重んじ、ひたすら不戦の誓いを堅持してまいりました。70年間に及ぶ平和国家としての歩みに、私たちは、静かな誇りを抱きながら、この不動の方針を、これからも貫いてまいります。

 我が国は、先の大戦における行いについて、繰り返し、痛切な反省と心からのお詫びの気持ちを表明してきました。その思いを実際の行動で示すため、インドネシア、フィリピンはじめ東南アジアの国々、台湾、韓国、中国など、隣人であるアジアの人々が歩んできた苦難の歴史を胸に刻み、戦後一貫して、その平和と繁栄のために力を尽くしてきました。

 こうした歴代内閣の立場は、今後も、揺るぎないものであります。

不戦の誓いを堅持する。これは不動の方針だ。歴代内閣のこの立場はこれからも揺るぎない。この言葉にもかかわらず、本当にそういう政治をしてくれるのか信じることができません。安倍内閣の限定的集団的自衛権に関する憲法9条解釈は、明らかに憲法違反です。このことは過去記事で詳述していますし、本稿の後にも書き継ぐつもりでいます。

 総理大臣の権力は、日本最強の政治権力です。この強権で「憲法違反」を定着させることは、法律への信頼性を失わせるもので、総理大臣によるこれ以上の「大罪」はありません。比肩できるものがあるとすれば、「戦争を始める」ことくらいでしょう。

 この総理の犯罪「憲法違反」一件によってだけでも、安倍首相の言葉を信用できないのです。安倍首相がこれほど明快に決意を述べているのに、流れ過ぎる美辞麗句としか聞こえないのです。これは私の偏見というよりも、指導者としての安倍首相の人徳に問題があるからです。


【8】 ただ、私たちがいかなる努力を尽くそうとも、家族を失った方々の悲しみ、戦禍によって塗炭の苦しみを味わった人々の辛い記憶は、これからも、決して癒えることはないでしょう。

 ですから、私たちは、心に留めなければなりません。

 戦後、600万人を超える引揚者が、アジア太平洋の各地から無事帰還でき、日本再建の原動力となった事実を。中国に置き去りにされた3,000人近い日本人の子供たちが、無事成長し、再び祖国の土を踏むことができた事実を。米国や英国、オランダ、豪州などの元捕虜の皆さんが、長年にわたり、日本を訪れ、互いの戦死者のために慰霊を続けてくれている事実を。
 戦争の苦痛を嘗め尽くした中国人の皆さんや、日本軍によって耐え難い苦痛を受けた元捕虜の皆さんが、それほど寛容であるためには、どれほどの心の葛藤があり、いかほどの努力が必要であったか。

 そのことに、私たちは、思いを致さなければなりません。

 寛容の心によって、日本は、戦後、国際社会に復帰することができました。戦後70年のこの機にあたり、我が国は、和解のために力を尽くしてくださったすべての国々、すべての方々に、心からの感謝の気持ちを表したいと思います。

<感想>【8】の文段の、他国民へのこの感謝の気持ちそのままに、諸国との外交を実践してくれるでしょうか。


【9】 日本では、戦後生まれの世代が、今や、人口の8割を超えています。あの戦争には何ら関わりのない、私たちの子や孫、そしてその先の世代の子供たちに、謝罪を続ける宿命を背負わせてはなりません。

 しかし、それでもなお、私たち日本人は、世代を超えて、過去の歴史に真正面から向き合わなければなりません。謙虚な気持ちで、過去を受け継ぎ、未来へと引き渡す責任があります。

<感想> 第一の文段の「子孫に謝罪を続ける宿命を背負わせてはならない」ということは、謝罪はこれで最後だという宣言でしょうか。第二の文段の「謙虚な気持ちで、過去を受け継ぎ」という誠実さと、どうつながるのか。接続関係の意味の理解に苦しみます。


【10】 私たちの親、そのまた親の世代が、戦後の焼け野原、貧しさのどん底の中で、命をつなぐことができた。そして、現在の私たちの世代、さらに次の世代へと、未来をつないでいくことができる。それは、先人たちのたゆまぬ努力と共に、敵として熾烈に戦った米国、豪州、欧州諸国をはじめ、本当にたくさんの国々から、恩讐を越えて、善意と支援の手が差しのべられたおかげであります。

 そのことを、私たちは、未来へと語り継いでいかなければならない。歴史の教訓を深く胸に刻み、より良い未来を切り拓いていく、アジア、そして世界の平和と繁栄に力を尽くす。その大きな責任があります。

<感想> ここ【10】は、他国民への感謝を確認し、感謝をバネにして、「世界の平和と繁栄に力を尽くす」という決意表明です。安倍首相のこういう気持ちが、内外の政策の上で実現されるよう願っています。政治家とは別に、奈良県の片隅の一私人は、「身の回りの小さな世界で触れ合う人たちに感謝をバネにして、その人たちと力を合わせて小さな世界の平和と繁栄に力を尽くすことを誓い、それが世界につながっていくよう祈りたい」と思いました。

次の【11】以下は、選挙公約の羅列のようなものですね。


【11】  私たちは、自らの行き詰まりを力によって打開しようとした過去を、この胸に刻み続けます。だからこそ、我が国は、いかなる紛争も、法の支配を尊重し、力の行使ではなく、平和的・外交的に解決すべきである。この原則を、これからも堅く守り、世界の国々にも働きかけてまいります。唯一の戦争被爆国として、核兵器の不拡散と究極の廃絶を目指し、国際社会でその責任を果たしてまいります。

 私たちは、20世紀において、戦時下、多くの女性たちの尊厳や名誉が深く傷つけられた過去を、この胸に刻み続けます。だからこそ、我が国は、そうした女性たちの心に、常に寄り添う国でありたい。21世紀こそ、女性の人権が傷つけられることのない世紀とするため、世界をリードしてまいります。

 私たちは、経済のブロック化が紛争の芽を育てた過去を、この胸に刻み続けます。だからこそ、我が国は、いかなる国の恣意にも左右されない、自由で、公正で、開かれた国際経済システムを発展させ、途上国支援を強化し、世界の更なる繁栄を牽引してまいります。繁栄こそ、平和の礎です。暴力の温床ともなる貧困に立ち向かい、世界のあらゆる人々に、医療と教育、自立の機会を提供するため、一層、力を尽くしてまいります。

 私たちは、国際秩序への挑戦者となってしまった過去を、この胸に刻み続けます。だからこそ、我が国は、自由、民主主義、人権といった基本的価値を揺るぎないものとして堅持し、その価値を共有する国々と手を携えて、「積極的平和主義」の旗を高く掲げ、世界の平和と繁栄にこれまで以上に貢献してまいります。

 終戦80年、90年、さらには100年に向けて、そのような日本を、国民の皆様と共に創り上げていく。その決意であります。

 以上が、私たちが歴史から学ぶべき未来への知恵であろうと考えております。

 冒頭、私は、21世紀構想懇談会の提言を歴史の声として受けとめたいと申し上げました。同時に、私たちは歴史に対して謙虚でなければなりません。謙虚な姿勢とは、果たして聞き漏らした声がほかにもあるのではないかと、常に歴史を見つめ続ける態度であると考えます。

 私は、これからも謙虚に、歴史の声に耳を傾けながら未来への知恵を学んでいく、そうした姿勢を持ち続けていきたいと考えています。

 私からは以上であります。

<感想> 全体として見ますと、【1】【2】【3】【4】【6】の文段では、日本の1945年(昭和20年)以前の戦争の歴史を軽視しています。ここにある安倍首相の本心と、【7】~【10】の文段での安倍首相の語らいや決意と、どうつながっているのか。安倍首相の心が分裂しているのではないか。国会答弁で椅子に座っている首相のアップシーンを見ていると、眼が左右にきょろきょろ忙しげに動いていることがよくあります。その表情を思い出しました。

しかしながら談話の前置き部分で、「歴史から教訓を酌み取り、今後の目指すべき道を展望したい」と安倍首相は言っています。歴史から安倍首相が受け取っている教訓が【1】【2】【3】【4】【6】です。ここからスタートしているのですから、「今後の目指すべき道」を安倍首相が誤ることは確実です。



※「戦後70年談話」の関連で、安倍首相の本性について述べている過去記事「安倍研究(5)
 ~(13止)」(2015年4月~6月)を参照願えればありがたいです。




コメント

安保法案衆議院本会議採決時の公明党・遠山清彦議員賛成討論 発言全文

2015-08-07 19:08:12 | Weblog




<関連記事>
<資料> 『集団的自衛権と憲法との関係について』 ――内閣法制局1972(昭47)・10・14 参      議院提出――
集団的自衛権を否定している2014/6/2公明新聞
集団的自衛権を否定している2014/6/3公明新聞
安倍政権・自民・公明の「集団的自衛権合憲論」トリック(1)論拠文書の由来を知らせない
安倍政権・自民・公明の「集団的自衛権合憲論」トリック(2)なぜこの文書を選んだのか?
安倍政権・自民・公明の「集団的自衛権合憲論」トリック(3)文章をいじって含意を逆転させる
安倍政権・自民・公明の「集団的自衛権合憲論」トリック(4終)ごまかし手法に怒りおさまらず
全国47弁護士会が「集団的自衛権行使容認の閣議決定は憲法違反」と声明、決議



政府提出の安全保障関連法案が、2015年(平成27年)7月16日、第189国会衆議院本会議を通過しました。本会議採決に際して、公明党の遠山清彦議員が賛成討論を行いました。熱弁でありました。この賛成討論が政府の立場を簡潔に示しています。

まずは概観の意味で、「安全保障関連法案」と一般に呼ばれている、下記の新設法案・既存法改正案の一覧とともに、衆議院会議録から公明党・遠山清彦議員の賛成討論全文を採録して掲載します。
 

<一括審議で済まされる安全保障関連11法案>
  1.国際平和支援法案(新規制定)
  2.自衛隊法改正案
  3.国連平和維持活動(PKO)協力法改正案
  4.重要影響事態法案 (※「周辺事態法」から衣替え)
  5.船舶検査活動法改正案
  6.武力攻撃・存立危機事態法案(「武力攻撃事態対処法」から衣替え)
  7.米軍等行動円滑化法案(「米軍行動円滑化法」から衣替え)
  8.特定公共施設利用法改正案
  9.外国軍用品等海上輸送規制法改正案
  10.捕虜取り扱い法改正案
  11.国家安全保障会議(NSC)設置法改正案

 


平成27年7月16日 第189国会衆議院本会議
 公明党・遠山清彦議員 賛成討論
  ※小見出しは川本がつけました

 公明党の遠山清彦でございます。

 私は、公明党を代表し、ただいま議題となりました政府提出の平和安全法制関連二法案に対し賛成、維新の党提出の二法案に対し反対の立場から討論いたします。(拍手)

 日本は、戦後七十年間、多くの犠牲を内外で出したさきの大戦への痛切な反省を踏まえ、憲法の平和主義のもと、自国防衛のための専守防衛を貫き、他国に脅威を与える軍事国家とはならず、非核三原則を守るとの基本方針を堅持してまいりました。この平和国家路線は、今回の平和安全法制で何ら変わるわけではありません。

 ■国連PKO
 また、国際社会の平和あってこその日本の平和であるとの立場から、二十三年前より国連平和維持活動に自衛隊を派遣するとともに、海外での大規模災害発生時の国際緊急援助活動、ソマリア沖・アデン湾における海賊対処行動等にも自衛隊を派遣し、日本にふさわしい形での国際貢献を行ってまいりました。

 特筆すべきは、この間、任務中の自衛官の死亡者はゼロであります。また、自衛官により殺傷された者の数もまたゼロであります。これを偶然だなどと言う人がおりますが、見当違いも甚だしい、浅はかな見方であります。これは、日本の歴代政権がPKO参加五原則の適用など法制面と運用面においてリスク極小化に努めてきた証左であり、またそれ以上に、派遣された自衛官の高い練度とリスク管理に対する強い責任感のたまものであります。

 今回の平和安全法制において自衛隊の任務が一部拡大されている背景には、この国際社会から高い評価を得ている自衛隊の国際貢献のこれまでの実績があることを、ぜひ国民の皆様に御理解をいただきたいと思います。

 ■新三要件
 昨年七月一日の閣議決定は、公明党も参加した与党協議において、一層厳しさを増す現在の日本の国際安全保障環境を踏まえ、憲法九条のもとに許容される自衛の措置の限界を整理し、新三要件としてこれを明示いたしました。いかなる事態であっても、新三要件全てに合致しなければ、自衛の措置は発動されません。

 ■合憲――存立危機事態と限定的集団的自衛権
 新三要件に合致する事態の一部は存立危機事態であり、これは、我が国と密接な関係にある他国に対する武力攻撃が発生していることを契機としているため、国際法上、集団的自衛権を根拠とする場合があります。しかし、それに続く部分、すなわち、これにより我が国の存立が脅かされ、国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険がある場合とは、自国の防衛に目的を限定したものであり、昭和四十七年見解で示された従来の憲法解釈の基本的論理の枠の中にあることは明らかであります。

 政府が再三再四答弁されているように、本法案成立後も、国連憲章において国連加盟各国に行使が認められているのと同様のいわゆるフルサイズの集団的自衛権の行使が憲法上許されるわけではありません。

 ■存立危機事態の判断基準
 また、事態の認定等において、政府が恣意的な判断、運用ができないような歯どめも存在いたします。

 存立危機事態の明白な危険の判断基準としては、攻撃国の意思、能力、事態の発生場所、事態の規模、態様、推移、日本に戦禍が及ぶ蓋然性、国民がこうむる犠牲の深刻性と重大性、この五要素が国会質疑で明示され、政府はこれらを総合的に考慮して判断を示さなければなりません。存立危機事態とは、安倍総理大臣並びに横畠法制局長官の答弁にあるように、日本が直接武力攻撃を受けたときと同様な深刻かつ重大な被害が及ぶことが明らかな場合に認定されることになります。

 ■国会による事前承認
 こうした政府が武力攻撃事態等や存立危機事態を認定する前提となる事実は、原則的に国会の事前承認にかけられる対処基本方針に記載され、万一武力行使をする場合も、国民を守るためにほかに適当な手段がないことを明記することが義務づけられました。

 重要影響事態や国際共同対処事態における後方支援活動についても、認定事実が基本計画に明確に記載され、国会が判断できる仕組みになっております。

 すなわち、公明党が三原則の一つとして強調してまいりました民主的統制としての国会の事前承認の原則は確保されており、かつ、政府は、国会の判断の基礎となる十分な情報開示、情報提供をすることが義務づけられているのであります。

 ■終りに
 最後に、一言申し上げます。

 憲法のもとに、国民の生命、自由及び幸福追求の権利を守る責任は、政府だけにあるわけではありません。議会制民主主義の日本においては、国会もその責任を共有しているのであります。野党の皆様の中には、この自覚と基本的認識すら欠如している方がおられると思えて、残念でなりません。

 日本の安全保障を確保し、そして国際平和のための外交的努力においては、与党、野党を超えて、私たち国会議員全員が自覚と責任を持つべきであると申し上げ、私の討論を終わります。
 ありがとうございました。(拍手)


--------------------------------------------------------------------------------

<私のアピール>
2012年末の安倍政権成立以後の短年月、武器輸出3原則を廃し、特定秘密保護法の新設、憲法9条解釈変更の7・1閣議決定(※憲法違反です)と、先行き不安な政策ばかり急激に推進されています。安倍内閣はデモクラシー日本を食い破りつつある危険な内閣です。その政治手法は民主主義下の独裁と見えて、危険です。安倍総理退陣まで、来年7月参院選で自民党に“No”を!






コメント

憲法違反は「権力悪」伝染病 思いと思いの交換が民主主義の醍醐味です

2015-08-01 13:29:19 | Weblog



いま国会で審議している安全保障関連法案は、憲法9条の枠内である、合憲であるという前提に立っています。安倍政権、自民党、公明党が合憲であるとしている根拠理論は、理屈として成り立つものではありません。これほど強引なことをできる人がいるとは思いもしませんでした。甘かった。安倍首相は、今回はむりやりに押さえつけておいて、あとで憲法9条を変えてしまえば、このたびの合憲・違憲論争はお蔵入りだと高をくくっているのでしょう。

昨年6月ごろ、自公両党の安保法制協議のなかで、集団的自衛権を容認することと、これは従来から積み上げられてきた政府憲法判断の枠内に合致するものである、とする理論的根拠が明らかになりました。この根拠文書が、『昭和47年(1972年)10月14日参議院決算委員会提出資料』です。

この根拠文書を一読するなり、政府、自民党、公明党が推進する合憲論拠のひどさがわかる代物です。合憲とする根拠が、これしかないのか……。安倍政権、自民党・公明党など政府側にだけ都合のいい身勝手な憲法解釈が実行に移されるなら、それは国が亡びるもとになります。

私はいてもたってもいられない気持ちで、身近な人に、憲法違反がいかに重大なことであるかを話してきました。そんなことを話せる機会は少ないうえに、
考えをじっくり交換できる機会は皆無に近い。それで、憲法違反のことを訴えても「ふーん、違憲なん?」というていどで、相手の人は思考停止です。立ち話くらいのことでは、こんな結果で終わることが多い。嗚呼、これが民主主義の醍醐味なんだ。

ところが、誰かの家とか喫茶店で座り込んで、じっくりと意見を交換すると、
皆さん理解をしてくれます。私は一人の人と意見交換をすることを、いろいろな人とくり返していくことが民主主義だと思っています。一生、この姿勢を貫いていこうと思います。私がじっくり話している内容は次のようなことです。

総理大臣は一国の最高指導者です。一国の運営はすべて法律の裏付けのもとに為されています。市町村の窓口業務をしていて人々の身近にいる公務員も、憲法に基づいた法律・政令・省令・通達・規準など、網の目以上に細かく張り巡らされた法規の裏付けを得て業務を行っています。私の日常生活も同様です。
道路交通法にもとづいて、郊外生活必需品である車を運転しています。住んでいる家は建築基準法とその技術規制をクリアして建てられています。

一国の最高指導者が政治権力をバックにして身勝手な法解釈をし、それによって自分の好きな政治を行えば、それはすぐに下位の者に伝染します。人間というものは弱いですから、政治や行政を行う立場にある人や、その人たちに影響力を行使できる人は、仕事の遂行上ちょっとした難しいことにぶつかると、その仕事の裏付けとなる法律の解釈を自分に都合のいいようにします。私たちの毎日の生活にあちこちで不都合なことがあたりまえのように起きてきます。

そんな一つ一つのことがいつのまにか大きなうねりなって、誰もが、これはまずいと思うようになってからでは手遅れです。総理大臣から普通の大臣へ、そして国家公務員へ。都道府県知事から市町村長へ。都道府県公務員から市町村公務員へ。こういうことは早く伝染します。

今も、磯崎陽輔首相補佐官が、憲法違反論議に関連して「法的安定性は関係ない」と言って問題になっています。これが、安倍首相が、憲法9条解釈を強引に身勝手に変更した明らかな効果です。首相の身辺にいるものだから、「権力悪病」が体質になるのですね。

また、7月27日の毎日新聞によれば、公明党の若松謙維参院議員は「政府の努力を覆すような報道はフェアではない」とマスコミ批判を口にしたそうです。報道圧力を口に出すなど、公明党議員も堕落したものです。これも、憲法解釈私物化の明らかな効果です。「権力悪病」という伝染病です。

悪い伝染病は伝染力が強く、伝染スピードも速い。憲法違反は権力悪病であり国を根元から腐らせる病なんです。国を滅ぼす凶悪な伝染病です。

--------------------------------------------------------------------------------

<私のアピール>
2012年末の安倍政権成立以後の短年月、武器輸出3原則を廃し、特定秘密保護法の新設、憲法9条解釈変更の7・1閣議決定(※憲法違反です)と、先行き不安な政策ばかり急激に推進されています。安倍内閣はデモクラシー日本を食い破りつつある危険な内閣です。その政治手法は民主主義下の独裁と見えて、危険です。安倍総理退陣まで、来年7月参院選で自民党に“No”を!



コメント