官邸ホームページから「戦後70年談話」全文を採録しました。談話本文に【1】のように付けた文段に、私の感想を付しました。以下この要領で、談話全文を記載します。私の感想を一言でまとめると、「戦争への反省は偽物」です。
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8月は、私たち日本人にしばし立ち止まることを求めます。今は遠い過去なのだとしても、過ぎ去った歴史に思いを致すことを求めます。
政治は歴史から未来への知恵を学ばなければなりません。戦後70年という大きな節目に当たって、先の大戦への道のり、戦後の歩み。20世紀という時代を振り返り、その教訓の中から未来に向けて、世界の中で日本がどういう道を進むべきか。深く思索し、構想すべきである。私はそう考えました。
同時に、政治は歴史に謙虚でなければなりません。政治的、外交的な意図によって歴史がゆがめられるようなことは決してあってはならない。このことも私の強い信念であります。
ですから、談話の作成に当たっては、21世紀構想懇談会を開いて、有識者の皆様に率直かつ徹底的な御議論をいただきました。それぞれの視座や考え方は当然ながら異なります。しかし、そうした有識者の皆さんが熱のこもった議論を積み重ねた結果、一定の認識を共有できた。私はこの提言を歴史の声として受けとめたいと思います。そして、この提言の上に立って、歴史から教訓を酌み取り、今後の目指すべき道を展望したいと思います。
【1】 100年以上前の世界には、西洋諸国を中心とした国々の広大な植民地が、広がっていました。圧倒的な技術優位を背景に、植民地支配の波は、19世紀、アジアにも押し寄せました。その危機感が、日本にとって、近代化の原動力となったことは、間違いありません。アジアで最初に立憲政治を打ち立て、独立を守り抜きました。日露戦争は、植民地支配のもとにあった、多くのアジアやアフリカの人々を勇気づけました。
<感想> 明治維新を誇っています。日露戦争に日本は勝ちました。しかしながら日本とロシアが戦争をした場所は、今の中国の領土や韓国・北朝鮮の領土でした。
日本とロシアは外国領土の権益を巡って、めざす権益が存在している外国の領土内で戦争していたのです。その結果、日本が大国ロシアに勝って多くのアジアやアフリカの人々を勇気づけた、と安倍晋三首相が自慢しています。
日露戦争後に、日本はロシアの中国・遼東半島の租借地(当時の日本では関東州と呼ぶ)を受け継いで、港湾や鉄道などの権益を手に入れました。
日露戦争勝利を自慢することは、その勝利で中国領土に租借地を得て植民地経営をしていたという歴史を自慢することです。
他国領土を租借することは「植民地化」です。他国領土で権益争いの戦争をしたことは「侵略」です。
ですから、今の時代に日露戦争の勝利を自慢する安倍首相の脳構造が、いかようになっているのか不思議に思います。
【2】 世界を巻き込んだ第一次世界大戦を経て、民族自決の動きが広がり、それまでの植民地化にブレーキがかかりました。この戦争は、1,000万人もの戦死者を出す、悲惨な戦争でありました。人々は「平和」を強く願い、国際連盟を創設し、不戦条約を生み出しました。戦争自体を違法化する、新たな国際社会の潮流が生まれました。
<感想> 第一次世界大戦後植民地化にブレーキがかかったと言いますが、第一次世界大戦に参戦した日本は、ドイツの中国・山東省権益を獲得し、ドイツ領南洋諸島を委任統治領として獲得しました。これは、日本による「植民地化」です。
また、日本は1918年にシベリアに出兵し、1922年まで7万人規模の陸軍を送り、3千人以上の戦死者を出しています。シベリア出兵はロシア革命に対する干渉戦争です。
連合国とドイツは1919年6月28日、第1次世界大戦の講和条約であるヴェルサイユ条約が調印され、戦争が終わりました。
戦争自体を違法化する新たな国際社会の流れが生まれたと安倍首相は言いますが、我が日本は第一次世界大戦が終わってもシベリアに居座りつづけました。日本軍がシベリアから撤兵したのは1922年です。
【3】 当初は、日本も足並みを揃えました。しかし、世界恐慌が発生し、欧米諸国が、植民地経済を巻き込んだ、経済のブロック化を進めると、日本経済は大きな打撃を受けました。その中で日本は、孤立感を深め、外交的、経済的な行き詰まりを、力の行使によって解決しようと試みました。国内の政治システムは、その歯止めたりえなかった。こうして、日本は、世界の大勢を見失っていきました。
<感想> 世界恐慌に端を発し、欧米諸国が経済のブロック化を進めた結果、日本経済が大きな打撃を受けた。これが戦争の道へ走る遠因になった。
日本は欧米諸国から経済的に追いつめられて止むを得なかった、と受け取れる文章です。
日本が戦争にのめりこんでいったことについてはアジアを植民地化してきた欧米諸国にも責任がある。そう言っているようにも受け取れます。居直り、自己正当化。こういう視点では、人間らしい未来を拓くことは無理でしょう。
【4】 満州事変、そして国際連盟からの脱退。日本は、次第に、国際社会が壮絶な犠牲の上に築こうとした「新しい国際秩序」への「挑戦者」となっていった。進むべき針路を誤り、戦争への道を進んで行きました。
そして70年前。日本は、敗戦しました。
<感想> 第一次世界大戦後から1945年敗戦まで、日本の植民地支配と侵略戦争の歴史事実に対してこれだけの表現で済ますことは驚きです。下の年表を見てください。特に朝鮮、台湾、南洋諸島、中国の一部を植民地としてきた長い年月。中国大陸、東南アジア、南洋諸島など、日本が戦場にしたために、数えきれないほど多くの人々を殺し、苦しめてきたことでしょうか。
安倍首相は300万同胞の命が失われた言っています。それならば、中国ほかアジア全域で1000万の命が失われているのではないかと想像できます。
1894(明治27)―1895(明治28) 日清戦争 戦勝で台湾領有
1904(明治37)―1905(明治38) 日露戦争 戦勝で清国・旅順、大連
租借権、鉄道権益、樺太領有など獲得
1910(明治43) 日本が韓国併合
1912(明治45) 中華民国成立
1914(大正03)―1918(大正7) 第一次世界大戦に参戦
ドイツの中国・山東省権益を継承
ドイツ領南洋諸島を日本の委任統治領に
1918(大正07)―1922(大11) シベリヤ出兵(ロシア革命干渉戦争)
1920(大正09) 国際連盟に加入
1927(昭和02) 第一次中国・山東省出兵
1928(昭和03) 第二次山東省出兵、第三次増派出兵、日中両軍衝突
関東軍の工作 → 中国・瀋陽駅近くで張作霖・列車爆殺
1931(昭和06) 関東軍の謀略(鉄道爆破)で満州事変(=戦争)始まる
1932(昭和07) 満州国建国、 第一次上海事変 ※事変=戦争
1933(昭和08) 日中両軍が山海関で衝突
国際連盟脱退
1937(昭和12) 盧溝橋事件を機に日中戦争始まる、 第二次上海事変
12月、日本軍が南京占領
1938(昭和13) 張鼓峰事件―満州ソ連国境で日ソ両軍戦闘
1939(昭和14) ノモンハン―満州ソ連国境で日ソ大規模戦闘、日本完敗
1940(昭和15) 日中戦争を因として戦争を一気に拡大 北部仏印進駐
※仏印=仏領植民地=ベトナム、カンボジア、ラオス
1941(昭和16) 日中戦争を因として戦争拡大の一途 南部仏印進駐
太平洋戦争始まる(ハワイ・真珠湾攻撃))
1942(昭和17) シンガポール占領、フィリピン・マニラ占領
ミッドウェー海戦敗北、以後戦勢悪化の一途
1943(昭和18) ガダルカナル島大敗、アッツ島全滅
1944(昭和19) サイパン島全滅、南洋島嶼戦で全滅つづく
日本本土爆撃始まる
日本軍50万を投入して中国大陸打通作戦
食料補給がないため、進軍途次で徴発略奪をくり返す
東南アジアでも補給途絶のため徴発略奪をくり返す
1945(昭和20) 日本全国都市で敗戦まで無差別爆撃つづく、 原爆投下
沖縄戦で県民悲惨なめに遭う
【5】 戦後70年にあたり、国内外に斃れたすべての人々の命の前に、深く頭を垂れ、痛惜の念を表すとともに、永劫の、哀悼の誠を捧げます。
【6】 先の大戦では、300万余の同胞の命が失われました。祖国の行く末を案じ、家族の幸せを願いながら、戦陣に散った方々。終戦後、酷寒の、あるいは灼熱の、遠い異郷の地にあって、飢えや病に苦しみ、亡くなられた方々。広島や長崎での原爆投下、東京をはじめ各都市での爆撃、沖縄における地上戦などによって、たくさんの市井の人々が、無残にも犠牲となりました。
戦火を交えた国々でも、将来ある若者たちの命が、数知れず失われました。
中国、東南アジア、太平洋の島々など、戦場となった地域では、戦闘のみならず、食糧難などにより、多くの無辜の民が苦しみ、犠牲となりました。戦場の陰には、深く名誉と尊厳を傷つけられた女性たちがいたことも、忘れてはなりません。
何の罪もない人々に、計り知れない損害と苦痛を、我が国が与えた事実。歴史とは実に取り返しのつかない、苛烈なものです。一人ひとりに、それぞれの人生があり、夢があり、愛する家族があった。この当然の事実をかみしめる時、今なお、言葉を失い、ただただ、断腸の念を禁じ得ません。
これほどまでの尊い犠牲の上に、現在の平和がある。これが、戦後日本の原点であります。
<感想>【6】の3つの文段のうち、第一の文段は日本国民が遭遇した苦しみ。第二の文段は他国の領域に出かけて戦争をして、日本軍と日本国民が現地国の住民に対して「戦争加害」という最悪の苦しみを与えたという事実。第三の文段は戦争加害の事実を認めています。
第一と第二を同列に並べられては、戦場にされた戦争被害国民にとっては不満が残るでしょう。安倍首相の本気度に疑いが生じるでしょう。そして、「これほどまでの尊い犠牲の上に、現在の平和がある」という言葉は、日本国民にとっては意味のある言葉です。しかし、戦場にされた被害国民にとっては、「尊い犠牲」と称されると、怒りがこみあげるでしょう。
【6】の文段は、戦争加害国の日本国民と戦場にされた被害国民を同列に並べています。安倍首相の言葉に誠意を感じることができません。【5】の文段で安倍首相は、「深く頭を垂れ、痛惜の念を表す」と言っています。その気持ちに嘘はないでしょう。しかし、安倍首相は本当のところは、人々の苦しみがどんなものか、平和がつづいたありがたさとはどんなものかについて、平凡のささやかさの中で生き抜いている人々の心を理解できていないのだと思います。安倍首相の根本的な欠陥です。
【7】 二度と戦争の惨禍を繰り返してはならない。
事変、侵略、戦争。いかなる武力の威嚇や行使も、国際紛争を解決する手段としては、もう二度と用いてはならない。植民地支配から永遠に訣別し、すべての民族の自決の権利が尊重される世界にしなければならない。
先の大戦への深い悔悟の念と共に、我が国は、そう誓いました。自由で民主的な国を創り上げ、法の支配を重んじ、ひたすら不戦の誓いを堅持してまいりました。70年間に及ぶ平和国家としての歩みに、私たちは、静かな誇りを抱きながら、この不動の方針を、これからも貫いてまいります。
我が国は、先の大戦における行いについて、繰り返し、痛切な反省と心からのお詫びの気持ちを表明してきました。その思いを実際の行動で示すため、インドネシア、フィリピンはじめ東南アジアの国々、台湾、韓国、中国など、隣人であるアジアの人々が歩んできた苦難の歴史を胸に刻み、戦後一貫して、その平和と繁栄のために力を尽くしてきました。
こうした歴代内閣の立場は、今後も、揺るぎないものであります。
不戦の誓いを堅持する。これは不動の方針だ。歴代内閣のこの立場はこれからも揺るぎない。この言葉にもかかわらず、本当にそういう政治をしてくれるのか信じることができません。安倍内閣の限定的集団的自衛権に関する憲法9条解釈は、明らかに憲法違反です。このことは過去記事で詳述していますし、本稿の後にも書き継ぐつもりでいます。
総理大臣の権力は、日本最強の政治権力です。この強権で「憲法違反」を定着させることは、法律への信頼性を失わせるもので、総理大臣によるこれ以上の「大罪」はありません。比肩できるものがあるとすれば、「戦争を始める」ことくらいでしょう。
この総理の犯罪「憲法違反」一件によってだけでも、安倍首相の言葉を信用できないのです。安倍首相がこれほど明快に決意を述べているのに、流れ過ぎる美辞麗句としか聞こえないのです。これは私の偏見というよりも、指導者としての安倍首相の人徳に問題があるからです。
【8】 ただ、私たちがいかなる努力を尽くそうとも、家族を失った方々の悲しみ、戦禍によって塗炭の苦しみを味わった人々の辛い記憶は、これからも、決して癒えることはないでしょう。
ですから、私たちは、心に留めなければなりません。
戦後、600万人を超える引揚者が、アジア太平洋の各地から無事帰還でき、日本再建の原動力となった事実を。中国に置き去りにされた3,000人近い日本人の子供たちが、無事成長し、再び祖国の土を踏むことができた事実を。米国や英国、オランダ、豪州などの元捕虜の皆さんが、長年にわたり、日本を訪れ、互いの戦死者のために慰霊を続けてくれている事実を。
戦争の苦痛を嘗め尽くした中国人の皆さんや、日本軍によって耐え難い苦痛を受けた元捕虜の皆さんが、それほど寛容であるためには、どれほどの心の葛藤があり、いかほどの努力が必要であったか。
そのことに、私たちは、思いを致さなければなりません。
寛容の心によって、日本は、戦後、国際社会に復帰することができました。戦後70年のこの機にあたり、我が国は、和解のために力を尽くしてくださったすべての国々、すべての方々に、心からの感謝の気持ちを表したいと思います。
<感想>【8】の文段の、他国民へのこの感謝の気持ちそのままに、諸国との外交を実践してくれるでしょうか。
【9】 日本では、戦後生まれの世代が、今や、人口の8割を超えています。あの戦争には何ら関わりのない、私たちの子や孫、そしてその先の世代の子供たちに、謝罪を続ける宿命を背負わせてはなりません。
しかし、それでもなお、私たち日本人は、世代を超えて、過去の歴史に真正面から向き合わなければなりません。謙虚な気持ちで、過去を受け継ぎ、未来へと引き渡す責任があります。
<感想> 第一の文段の「子孫に謝罪を続ける宿命を背負わせてはならない」ということは、謝罪はこれで最後だという宣言でしょうか。第二の文段の「謙虚な気持ちで、過去を受け継ぎ」という誠実さと、どうつながるのか。接続関係の意味の理解に苦しみます。
【10】 私たちの親、そのまた親の世代が、戦後の焼け野原、貧しさのどん底の中で、命をつなぐことができた。そして、現在の私たちの世代、さらに次の世代へと、未来をつないでいくことができる。それは、先人たちのたゆまぬ努力と共に、敵として熾烈に戦った米国、豪州、欧州諸国をはじめ、本当にたくさんの国々から、恩讐を越えて、善意と支援の手が差しのべられたおかげであります。
そのことを、私たちは、未来へと語り継いでいかなければならない。歴史の教訓を深く胸に刻み、より良い未来を切り拓いていく、アジア、そして世界の平和と繁栄に力を尽くす。その大きな責任があります。
<感想> ここ【10】は、他国民への感謝を確認し、感謝をバネにして、「世界の平和と繁栄に力を尽くす」という決意表明です。安倍首相のこういう気持ちが、内外の政策の上で実現されるよう願っています。政治家とは別に、奈良県の片隅の一私人は、「身の回りの小さな世界で触れ合う人たちに感謝をバネにして、その人たちと力を合わせて小さな世界の平和と繁栄に力を尽くすことを誓い、それが世界につながっていくよう祈りたい」と思いました。
次の【11】以下は、選挙公約の羅列のようなものですね。
【11】 私たちは、自らの行き詰まりを力によって打開しようとした過去を、この胸に刻み続けます。だからこそ、我が国は、いかなる紛争も、法の支配を尊重し、力の行使ではなく、平和的・外交的に解決すべきである。この原則を、これからも堅く守り、世界の国々にも働きかけてまいります。唯一の戦争被爆国として、核兵器の不拡散と究極の廃絶を目指し、国際社会でその責任を果たしてまいります。
私たちは、20世紀において、戦時下、多くの女性たちの尊厳や名誉が深く傷つけられた過去を、この胸に刻み続けます。だからこそ、我が国は、そうした女性たちの心に、常に寄り添う国でありたい。21世紀こそ、女性の人権が傷つけられることのない世紀とするため、世界をリードしてまいります。
私たちは、経済のブロック化が紛争の芽を育てた過去を、この胸に刻み続けます。だからこそ、我が国は、いかなる国の恣意にも左右されない、自由で、公正で、開かれた国際経済システムを発展させ、途上国支援を強化し、世界の更なる繁栄を牽引してまいります。繁栄こそ、平和の礎です。暴力の温床ともなる貧困に立ち向かい、世界のあらゆる人々に、医療と教育、自立の機会を提供するため、一層、力を尽くしてまいります。
私たちは、国際秩序への挑戦者となってしまった過去を、この胸に刻み続けます。だからこそ、我が国は、自由、民主主義、人権といった基本的価値を揺るぎないものとして堅持し、その価値を共有する国々と手を携えて、「積極的平和主義」の旗を高く掲げ、世界の平和と繁栄にこれまで以上に貢献してまいります。
終戦80年、90年、さらには100年に向けて、そのような日本を、国民の皆様と共に創り上げていく。その決意であります。
以上が、私たちが歴史から学ぶべき未来への知恵であろうと考えております。
冒頭、私は、21世紀構想懇談会の提言を歴史の声として受けとめたいと申し上げました。同時に、私たちは歴史に対して謙虚でなければなりません。謙虚な姿勢とは、果たして聞き漏らした声がほかにもあるのではないかと、常に歴史を見つめ続ける態度であると考えます。
私は、これからも謙虚に、歴史の声に耳を傾けながら未来への知恵を学んでいく、そうした姿勢を持ち続けていきたいと考えています。
私からは以上であります。
<感想> 全体として見ますと、【1】【2】【3】【4】【6】の文段では、日本の1945年(昭和20年)以前の戦争の歴史を軽視しています。ここにある安倍首相の本心と、【7】~【10】の文段での安倍首相の語らいや決意と、どうつながっているのか。安倍首相の心が分裂しているのではないか。国会答弁で椅子に座っている首相のアップシーンを見ていると、眼が左右にきょろきょろ忙しげに動いていることがよくあります。その表情を思い出しました。
しかしながら談話の前置き部分で、「歴史から教訓を酌み取り、今後の目指すべき道を展望したい」と安倍首相は言っています。歴史から安倍首相が受け取っている教訓が【1】【2】【3】【4】【6】です。ここからスタートしているのですから、「今後の目指すべき道」を安倍首相が誤ることは確実です。
※「戦後70年談話」の関連で、安倍首相の本性について述べている過去記事「安倍研究(5)
~(13止)」(2015年4月~6月)を参照願えればありがたいです。