川本ちょっとメモ

★所感は、「手ざわり生活実感的」に目線を低く心がけています。
★自分用メモは、新聞・Webなどのノート書きです。

過ぎし時代の輝きを懐かしむ 1987年 コカコーラCM CMソング佐藤竹善「コカコーラさわやかテイスティー I feel Coke」

2019-04-25 05:42:45 | Weblog
            ユーチューブから 「コカ・コーラ さわやかテイスティー I fweel Coke」

 

コカ・コーラ 1987コカコーラ CM ~ I feel Coke 87 佐藤竹善 1:43 
       クリックしてご覧ください)


(♪ I feel Coke I feel Coke I feel Coke)

一、初めえてじゃ ないのさあぁ (♪ I feel Coke)
  いつでも いいっしょならあぁ (♪ I feel Coke)
  今なあにかぁ 感じいてる コーカコーラ
  さわやぁか テイスティー I feel Coke

二、もういいちど たぁしかぁめてええぇ (♪ I feel Coke)
  今かぁら 学びぃにいい (♪ I feel Coke)
  毎日が 新しい コーカコーラ
  さわやぁか テイスティー I feel Coke

 (♪ I feel CokeCola, I feel CokeCola, I feel CokeCola, I feel CokeCola)


 

 ■ユーチューブからコメントを紹介します
   「I feel Coke 佐藤竹善・歌」のコカ・コーラCMはほかにも、
   ユーチューブにアップされています。
   それらに付されたコメント(as of 4/24)から、
   アトランダムにピックアップしてここに転載します。
    善き思い出を共有して、明日の糧に……


Sing Like Talking 佐藤竹善さんのデビュー直前の歌声、すばらしい!
 作曲は故 井上大輔氏(元ジャッキー吉川とブルーコメッツ)、
 ドラムはなんとSteve Gadd。
いい時代だったなぁ。ホント。
 でも、その時代を築いてきた方はまだまだ健在でしょう。
 自分が今やれることを真面目に頑張る。
  また、良い時代を作りたいもんですね。
私もこのCM大好きです。
 1分過ぎからのタイトスカートの女性3人の振れるお尻、仲良さそう。
 その後のローラースケートのシーン、
 男と女の友情ってあるんだなーなんて勝手に想像してました。
 そして男性がみんなイケメン。
 今のエグザイルのイケメンとは違ってみんな爽やか。
 さすがコーク!!
竹善さんのsoulfulな歌声で始まり、松本孝美さんの輝く笑顔で終わる…
 当時を思い出しながら改めて思いました。
 なんて素晴らしいCMなんだぁ〜
小学生だったけど、
 大人になったらこんな爽やかな未来が待ってるんだと本気で思ってたなあ。
1987年といえば日本の一人当たりGDPが世界一だった時代。
 この年に大学を卒業して就職した私は会社で「新人類」と呼ばれていた。
なつかし~~~!やっぱりコカ・コーラは竹善の声が一番心に残ってる♪
当時あのお姉さん3人組のセクシーヒップに憧れて、
 大人になったらあんな女性になりたい!
 そう思っていたあの頃を思い出します。
 いい時代だったなぁ
そうそう! このCM曲でSLT竹善さんの存在知って、
 聴き出したんだよね♪ 懐かしい~!
1:07、1:25、1:34に出てくるメガネの人がイケメンすぎて憧れるわ
 仕草も何もかもがイケメン
この短いCMの中に、あの時代の雰囲気が全て詰まっている気がします。
 当時10歳だった私には贅沢な飲み物でした。
懐かしいです
 そして爽やかですね♪
小学生の私…大人になったらこんなに素敵にいつでもコーラが飲めるんだ!
 骨が溶けるから飲んじゃダメって親が言うコーラに、本気で憧れてました
この頃は青春だったねぇ~懐かしいねぇ~!楽しかったねぇ~!
コカ・コーラ大好き❤️50歳
小学生のとき、このCMを見て、大人って素敵だなと思ったものです。
当時の20代っておしゃれでかっこいいな
これ程、完成度が高くて色褪せないCMって、
 このコカ・コーラシリーズしか知らない。
高校生ですが、今の茶髪のかわいい系女性より断然こっちのサッパリとした
 爽やかなキレイ系女性の方が憧れます。
最高に楽しい時代なんだなってこのCMだけで伝わる
瓶でコーラ飲みたくなってきたw
今の若い人たちには分からないかも知れないが
 とても日本が生き生きしていたころだったな
  息をふきかえせJAPAN
バブル…この頃の若い人達は、
 大人っぽくて男も女もカッコ良かった。
 当時、25歳。憧れたなぁ。
 今の同世代、お子ちゃま過ぎる。
両親がほんっとに羨ましい。
 生まれる時代間違えたよ〜!!
懐かしいのに色褪せてないなあ
 当時もセンスいいCMだったけど、今でも胸がときめく
本当に弾ける若さですね。
 日本全体が元気いっぱいだった。
  今もこんなCMがあれば良いのに
曲と言い画と言い 今でも古さを感じないねえ かっこいい
もう一度来ないかな、この時代
バブル時代のファッションやライフスタイルって今見ると普通はダサく感じ
 るんだけど、これはモデル達の着こなしやCMディレクターの演出が抜群だ
 から時代を超えてカッコ良い。
ほんとそうだね。
 普遍的なセンスを感じる
こんな美男美女ばかりじゃなかったけど、街の雰囲気は本当にこんな感じ
 だった。
男も女もよくぞここまで爽やかな人を集めたものだと感心しちゃう。
すっごい清潔感!
 やっぱ日本人はこういう路線でいったほうがよかったな。
 あの頃は早く大人になりたかったし、大人っぽいものに憧れた。
無条件に明日を信じられた笑顔の時代。
40代ホイホイw 自分が大人になったらこういう生活できると思っていた
 のに、出来なかった世代。
ユーチューブのCM全部これにしよう。
品がある。まさしく爽やか。
やっぱり相当、モデルや音楽シチュエーションが洗練されてたのが、今見る
 とわかりますね。  涙出るくらいさわやか 笑
政治に頼っていてもダメ。こういう時代をまた皆で作ろうゼ!
全く同じ意見です。
本当にそれ自分たちが主役だという気持ち(政治家も、政治も無視すべきで
 はないが)で、「こうしたい!こういう社会にしたい!」という意志やビジ
 ョンを個人個人もって、成果や競争ではなく、足りないところを補いなが
 ら、国民のひとりあたりの所得を増やし、国を豊かにしていかないと、この
 ままでは他の途上国に抜かれて、世界にとって日本がとるにたらない国にな
 ってしまう。
将来にさほど不安を感じてなかったなぁ。
 この頃は・・・。
コカ・コーラはやっぱり瓶だわ
とっても懐かしい。私もバブル世代ですがこのCMが大好きでした。
 皆の憧れそのものでしたね。この頃が一番楽しかったな。
女性陣も素敵だけど男性陣もイケメンだわあ
皆の衆!スマホやめてコーラ片手に街くりだそう!!
このCMが流れていた頃、僕は小学生低学年でした。
 CMの内容は良く覚えておりませんが、
 「さわやかTasty I feel Coke」というフレーズとメロディーは
 しっかりとおぼえております。
このCMの世界は全く翳りなく眩しく輝いている。
 2010年代後半の今のような幼稚なタレントもいなくて知的だ。
 当時がバブルとは言え、日本は退化したと思ってしまう。
今日は楽しかったし頑張った!
 明日は、来月はもっと良くなるし頑張ろう!
 そんな時代でした。
 懐かしい思い出ですが、その時代を過ごしたことを誇りに思います。
この時代まだ子供だったけれど、鮮明に覚えてるな。
 タクシーや公衆電話に長蛇の列が出来ていて、
 平日でも街全体に活気があった記憶。
 今よりハイヒールを履いている女性が多くて、
 カツカツ鳴らしながら歩く姿に憧れたなあ。
 この時代を少しでもリアルタイムで生きることができて良かった。
すげー時代だな。同じ国とは思えない。
 国民みんなが明るい今を見て生きていた。
 今と全てが逆。
バブル期日本が一番元気だったころのCMだ いいねぇ
懐かしいコマーシャルですね。こんなお兄さん、お姉さんに憧れてました。
 今は、この映像に出てくるお兄さん、お姉さん達を「若者」と思う歳になっ
 てしまいました。
当時のCokeのCMはマジ破壊力あり過ぎで、日本中のガキが洗脳された。
 誰もが大人になればこの世界に行けると本気で信じていた。
今40歳なのに、この世界に到達出来ねぇ
私も信じていたクチです。
 社会人になればこんな風になれると思ってました。
  松本孝美さん、綺麗やなあ。 ※松本孝美さん……モデル
この頃、まだまだガキでしたが…
 大人になったら絶対こんな日常送るんだって信じて疑ってなかったです。
 希望や願望じゃなくて、大人ってこういうもんだって思ってました。
 オッサンになった今、このCM見ると泣けて来ますね。
 自分と、世の中に対してね。マジで泣けます。
わかるよ。わかる。
大丈夫ですよ。
 あなたは、これからこんな風な高齢者になります。
 年齢は関係ありません。
 こころにさわやかな風が吹く
 それが I feel Coke!
 オレが保証します (笑)
ナウいって言葉を信じて生きていた当時が懐かしいです。
良い時代だった。
 CM曲も雰囲気あったし、今のCMとは違う魅力があった。
イイ時代だった! エネルギッシュだった。みんな。
カップルでいてもいやらしさを感じさせない。
 爽やかですごく楽しそう! 素敵だなぁ。
公衆電話、、、おしゃれ。 スマホより断然サマになってる。
メンズクラブやメンズノンノを買っていた時代を思い出します。
 バブル時代よもう一度!
この歌聞くとなんで泣けてくるんだろ。懐かしいなあ。
昭和63年(1988年)に社会人1年目でしたが、
 天気の良い昼休みにデパ地下でお弁当買って、
 街中の公園で同期の連中と「コカコーラごっこ」しましたっけ。
噴水で水遊びとか?
時間に追われ、そんな小さな楽しみも今の会社では皆無です。
みんなが笑顔! いい時代だったなぁ。
メガネ、肩パット、もみ上げカット、花金…何をしても楽しかったなぁ。
 男も女も輝いてた時代だね。
 みんなみんな、歳を重ねて子育ても終わって…
 さて これからどうしようかなぁ。
 涙が出て困りました。
 でも、アップありがとう。
当時を思い出し涙が出ますよね…
わたせせいぞう の世界ですね。
生まれてこの方ずっと不景気だから、バブルの映像がキラキラして見えるわ
当時もこんなのは幻想で実際にこんな世界はありませんでした。
 でも多くの人が心の中にそれなりの幻想を抱ける時代だった。
 それが今との大きな違いかな。
バブルの時の初任給が、2年目の社員の給料を超えていたもんね。
 すごい良い時代だった!
本当にいい時代でした。夢よもう一度。
 作るのもそうなるのも自分次第と言いたいところですが、
 時代は厳しすぎますよね!!
いい時代だったな! 辛いことも多かったけど
あなたの好きな女性の服装は?
 で「白いシャツにタイトスカート」と答えてたのはこのCMの影響だわ。
 いま、初めて気付いた!
こんなにも素晴らしいクリエーター達が居たはずなのに、
 なぜにこの国はこうなった?
この時代が大好き☆
この人たちの5~6歳下の世代です。
 兄姉なんかはこんな青春を謳歌してましたよ、ほんとに。
 もちろん私も学生時代はあらゆることに恵まれていたと思います。
 が! 就活あたりで超氷河期の荒波に…。
 ロストジェネレーションど真ん中ですね。
最高です、爽やかでたまに見たくなります。
 今の時代にこのCM流して欲しいですね。
 今の若い人達や知らない人に知ってもらいたいCMです。
 この爽やかさったら、もう、ちょっと見てみてって感じです。
当時も「こんなやつらどこにいるんだよ」て言ってたよ(笑)
音楽が最高
皆の給料,地位,生活の質が上昇し続け格差がなく、
 皆が仲良くなり笑顔で充実した日々を過ごしていたバブル期の実生活に、
 違和感なく溶け込んでる爽やかコーラは、
 当時としてはかなり良い宣伝になってただろうね。
 人々の繋がりが疎遠になりつつある現代にとっちゃ、夢のような時代やな。
やっぱり、佐藤竹善さんの歌が良い~。
今年、還暦を迎えましたが、こんなジジイでも若い時がありました。
 何故・・・・見てるだけで涙が溢れそうになりました。
このCMを見て心に沁みるものを感じるのは、
 歳を重ねて来た証でしょうか。
 良い時代でしたね。
私も還暦を迎えました。本当に良い時代でしたね。
 夢、希望をもち純粋な気持ちになれました。
 確かに涙も出そうになりました。
 これからは良い歳のとり方をして生きてゆきたいと思います。
日本が元気だった頃。
ちょうど男女雇用均等法が施行されてバリバリ働いて稼いで、
 ガンガン遊ぶ時代だったわ
何か昭和時代って良いなぁ
素敵な時代。
私も大きくなったらこんなお姉さんになれるもんだと思ってました(涙)
 全然こんな時代じゃなかった。
この時代は何をしてもゆとりを感じる!
いや~懐かしい。瓶のコカ・コーラが飲みたくなりました。
1983年~1989年生まれの世代。
 つまり私と同世代の人間にしてみれば、
 遠いファンタジーのような世界に見えますが、
 それでも幼少期にはまだバブルって感じでしたし、
 小学校時代だった1990年代前半もまだどこか
 「バブル時代の後夜祭」って感じがしてたもんですから、
 こういったCMにも親近感がわきます。
 私もこんな感じのスタイリッシュなビジネスマンになって、
 スポーツカーとか高級セダンとか乗り回したいなーとか思ってました。
 まあでもさすがに、これに感銘を受けるのは私の世代で最後でしょうね。
 阪神大震災以降に生まれた世代の方になると、
 平成不況がピークに達した時代しか知らないでしょうから、
 逆にリアリティがなさすぎると感じるでしょうね。
竹善さんの歌声とコーラ
 清涼感あって今観てもいいCM
 大人になったらこんな風になれる…と夢見れた時代だった
ステキなCM 曲もすごくいい 上出来
I feel Coke ♪ なつかしい
 コーラのビン おしゃれで好きです
仕事してても遊んでても、楽しい時代でしたね。
そのままでいいのさ
 笑顔に会えるから
 今何か 感じてる
 コカ・コーラ 爽やかテイスティ I feel Coke
ホント懐かしい! まんまこの時代の同世代です。
 バブルもあり、なんか浮かれていた日本でしたけど、
 おおらかで、希望に溢れていた時代でしたよね。
この頃は常に財布がパンパンだった
なんだこのアメリカ感は! やっぱバブル憧れるわ。
 俺たち若者も頑張って明るくしていかんといかんばい!
  例えこの先が暗いと分かっていても...

まだ子供だったけど、アフガン撤退とかソ連崩壊とか、
 この先、世界はみんな幸せになるんじゃないかって思ってました。
 希望に満ちてたなぁ。
心踊るような音楽、映像、素晴らしい。
みんな明るかった!
基本的なキャスティングは変わらないけど、
 たしかにバブル時代の良き思い出を彷彿させてくれるなー。
 あーー、戻れるもんなら戻りてー。
ただただ羨ましい。
 就職氷河期派遣社員の低所得者だわ。
今の20~30代の人達には無い明るい時代。
 この頃は仕事が忙しすぎてTVすら観ていなかったが、
 今改めて観ると良い時代を過ごしてきた事が良く分かる。
日本が一番元気だった時代。
 遊びも仕事も心も充実。
 もうそんな時代は来ないだろうな。
今でも古さを感じない。
 逆に、今の時代だからこそこんなCMが見たいな~。
日本全体が活気に満ちあふれた、とても良い時代。
 当時わたしは小学生。バブルとは無縁の身分。
 だが、まわりの大人や町全体がとにかく陽気で明るかった。
 子供でもその、陽気さを知る事ができた。
 あの頃に戻りたい・・・。
なんていうか みんな日本人に見えないんですよね
どいつもこいつもキラキラしてやがる。
 (ToT) 羨ましい…。
CMが懐かしいバブルの時代ですね!
 私もこのCMのころ19~20歳で、本当に日本全体いい時代でした!
なぜだろう、映像見てたら懐かしさとまぶしさで胸が苦しくなる。
何もかもがキラキラしてた。
 この頃ハタチくらいだったけど、2~3歳年上の女性に憧れてたなぁ。
この時代に戻りたいね!
 青春です!
人間が美しい
あの頃は、何をしても上手く行くような安心感と自信があったように思いま
 す。懐かしい。
今の時代、悲観することばかり。
 昔を回想するたびに寂しくて寂しくて涙が流れる。
これは1980年代のCM
同じ人間とは思えないな。
いいCMですね!
日本が輝いていた時代だねえ。
今シリコンバレーに海外赴任中ですが、こういう雰囲気はある気がします。
10年以上前から、自分の携帯の着メロはこれです。
 ”毎日が新しい、コカ・コーラ、爽やかぁテイスティー、
  アイ・フィールコーク アイ・フィール コッカコーラ♪”
この頃のCMはカッコいいのが多かったなぁ。
 今は人気の俳優さんを使うだけ。
 演出のみでカッコいいと思わせるCMを作ってくれたら、
 またテレビを見始めるかも。
この後バブル景気のツケをもろに受けた世代かわいそう。
若くても、みんな大人っぽかったね。
 清潔でエレガントで。素敵です!
この頃って、自分は20代前半で、世代ど真ん中。
 100万円預金すれば、7万円の利子を得られた時代。
 酷暑というワードはまだなくて、
 毎年水着を買い替えて、プールでいくら泳いでも平気だった。
 山下達郎のサウンドがいざなう世界観に憧れた。
 日本中が好景気に浮かれてて、足が地についてない気がしてた。
 そんな時代。
男性も、女性もシャツが高そう!
 今の日本人、こういうとこがショボイんですよね。
 企業が社員に投資しないから。
 5%や6%でなく、若い社員を中心に3年続けて15%くらい
 給与を上げないと経済は拡大しない。
何度も見ちゃいました。懐かし思い出で胸がいっぱいになります。
 ブラウン管のコンピュータは90年初頭から半ばにさしかかる頃でしょうか。
 若く、バリバリ働いて、よく飲み、よく騒いだ。
 私も含めて、この時代に企業で働いてた人は
 今ごろ50歳くらいかもっと上で、今は家庭をもって、
 あの当時とはまったく違う暮らしをしている方が多いはず。
 こう思うと感慨深いですね。
 あの時代はブランド物のスーツは当たり前で、
 タイトスカート、白の開襟シャツは定番でしたね。
 この動画から仕立てのいいスーツの質感まで伝わってきました。
でも、この時代を満喫したから耐えられるよ、どんなことでも。
  ガッツは残ってる!
世がバブルの時代は私はまだまだ子供だったから特に何も感じなかったな‥
 確かに大人達は楽しそうだった。母も。
男女共、今じゃ考えられないくらい素敵なモデルさんだな。
 俺46が学生の時代だったな。
 日本が一番元気で全てが上手くいっていたあの頃。
 これを視ると気持ちがフラッシュバックするぜ。
今日より明日がきっと幸せになれると信じれた時代だった
素晴らしいCM。
 今の冷めた時代と違ってこの頃は良かったなあと,
 自然と思ってしまいますね.
コカ・コーラのCMは昔も今も、
 ちょっとカッコイイ人たちが出てるんだよね。
この時代は、
 給与も上げるからお前らがんばって働けよ! という時代でした。
 今はクビになりたくなかったら・・・
 政治から変えなきゃダメじゃないの。
海岸歩いてる男の人、若いときの父親にそっくり!
 父親かと思ったわ!
 私はハンサムって感じたことなかったけれど、
 小学生のころとか習い事の先生とかに
 「お父さんカッコいいね」ってよく言われてたから、
 昔はイケてたのかも。
この頃は、将来への不安はまったくない明るい時代だった。
私もこのモデルさんたちと同い年くらい。
 飛び抜けてすごいことも無かったけど、何だかいい時代だったな…
今の方が絶対便利なんだが、大らかさは皆無。
またこの頃の日本をみんなで取り戻そうぜ。
復刻してこの歌流してくれないかにゃ
女性だけじゃなく男性も素敵。
 というか何より20代の青春感が出た映像と音楽が素晴らしい。
 良い時代だ。
品があって爽やかで、憧れの社会人ですね!
 こんな素敵なお昼休みが過ごせたら仕事も頑張れる。
スマホがあってすごく便利な時代だけど、
 なんかみんなのコメントはむなしさを感じてしまう。
  今の我々でまた希望の持てる時代にしていきたい。
この時代は、人と人の繋がりとか思いやりとか人の温かみを感じますよね。
 クリスマスも街全体で盛り上げたりイルミネーションで心が踊ったりと、
 豊かな時代だったなー。
当時の新卒サラリーマンて、みんなこんなノリだったんですよねー
これ、現実の日本と似て非なるファンタジー世界だ(笑)
 よくここまで「さわやか」を追及しきったわな。天晴れだわ(笑)
楽しかったなぁ、あの頃。
 ああいうスーツ着てた、あんなにカッコ良くはなかったけどね。
まさに東京ラブストーリーですね。
今の時代の爽やかイケメンの定義って、この頃できたような気がする。
私の青春だわ。キラキラしてたよ。世の中が。
いい時代だったなぁ。
素敵な笑顔まぶし過ぎる!!
 心が躍りだすCMだ!!
大学生だけど、スマホもなくてリアルが素直に感じられそうで、
 輝いて見えるこの時代に生まれたかった
このCM当時、私は田舎の中学生でしたが、
 社会人になったらこんな生活が待っていると思いこんでました。
 大学出て社会人になろうというあたりでバブルは弾けていて、
 長い氷河期となるなんてあの頃夢にも思わなかったよ。
 今見てもこのCMの映像は古さも感じさせず、輝いていて眩しいばかりだ。
バブル期は印刷業界の末端で働いていて、
 雑誌や広告物が巷に溢れ地獄のような忙しさだった。
 TVやってる時間に殆ど帰ったこと無いから、
 こういうCMも見た記憶がない。
 良く見てたのは帰宅するとすぐ終わるCNNぐらいだったな。
バブル…この頃、24歳。
 とにかく毎日が楽しくて仕方がなかった。
 何時も前向きでいられた。夢がいっぱい。
 お陰様で55歳。夢、叶いました。
懐かしのCMです。 あの当時のファツション、私も着てたな。
バブルのファッションというと、
 今の若者には原色のイメージがあると思うけれど、
 実際はこのCMのように、
 ホワイト・ブラック・ベージュ・ブルー・グレーがほとんどだった。
 シックであるとか上品であることが、
 お洒落とかセンスが良いと言われる時代だった。
 経済的には強欲とか成金趣味とか揶揄されたあの頃。
 でも、若者たちの理想は、
 今では考えられないほど清潔感や明るさや美しさだったように思う。
 それは現実には存在しなかったかもしれないけれど、
 そういう夢だけは溢れていたし、
 人の心の中には確かに、そういう憧れが存在していた時代だった。
今の年齢で、この時代に行きたいと思う平成生まれ^_^
 そんな平成も、もうすぐ過去になるのかぁ。
  でも最近は、過去を振り返ってもしょうがないから、
  この頃みたいなイケてる時代にしていきたいなと思うようになった!





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「大阪維新批判」記事一覧 

2019-04-05 05:40:59 | Weblog


「大阪維新批判」に関わる当ブログ記事一覧を掲載します。

森友国有地問題については、学校法人森友学園が小学校設立に新規参入できるよう審査基準を緩めたのは大阪府です。

カリキュラムにたいして疑問点の指摘があったり、会計基盤が弱いことに開校後の存続不安を指摘する委員発言が続出するなか、大阪府私立学校審議会が森友学園の小学校設立申請に認可を与えました。

そもそも小学校設立申請の資格要件において欠格していた森友学園が設立参加できるよう、大阪府が環境整備をしたのです。設立審査の過程では認可見送りが適当だろうと思われるような状況で、認可を出したのは大阪府私学審議会です。

そのうえ、私学審議会の委員長は、審議中の期間に奈良県三郷町で安倍首相夫人と面会しています。

 (注※) 日付の下の記事名の部分をクリックして下されば、記事が開きます。

2017-02-24
<安倍人脈> 国有地格安払下げ疑惑 資料「第123回 国有財産近畿地方審議会(H27.2.10.)

2017-03-12
<安倍―橋下―松井ライン>「森友」学校認可 松井大阪府知事の責任を問う 私学審議会 平成26年12月定例会議事録(1)教育勅語風課程(道徳・特活)、入学者数予測のアンケートに懸念提起

2017-03-14
<安倍―橋下―松井―籠池 疑惑> 大阪私学審会議録シリーズ(2)平成26年12月定例会2 委員は財政基盤に疑問一色

2017-03-16
<安倍―橋下―松井―森友学園 疑惑> 大阪私学審会議録シリーズ(3)平成27年1月臨時会 条件付き認可 新聞沙汰になることを心配する委員

2017-03-16
<安倍―橋下―松井―森友学園 疑惑> 大阪私学審会議録シリーズ(4)平成27年7月定例会 「瑞穂の國小學院」開校への不安つづく

2017-03-21
<安倍―橋下―松井―森友学園 疑惑> 大阪私学審会議録シリーズ(5終)平成27年12月、平成28年3月、7月会議録 大阪府が森友学園事件の引き金を引いた


 超高層ビルWTC(現大阪府咲洲庁舎=コスモタワー)への府庁移転問題で、橋下徹府知事(当時)以下大阪維新のみなさんは、予見される東南海大地震への防災上の問題には見向きもしませんでした。

WTC=現大阪府咲洲庁舎=コスモタワーは、2011年東日本大震災の被害後に大きな予算を支出して追加耐震工事をしました。

 大阪都構想とは言うものの、この特別区制度が採用されても、「大阪都」という名称は法律上使うことができません。「都」という名称は首都だけです。名称一つ取ってみても、東京都に対抗できるものではありません。大阪維新のみなさんは、「夢不足」を補うために「副首都」というイメージを持ち出しました。次々に夢イメージを担ぐのは、実態がなく実現困難な実情を示しています。現下の都構想を単純に言うならば、「政令市大阪市をより小規模な数個の一般市に分解する」ことと同じようなもので、ナントカ構想というような代物ではありません。

 都構想の発端になった府市二重行政解消の看板は、第一のテーマとして設定された水道事業で看板倒れになりました。橋下徹氏は大阪市の提案を受け入れて、府知事と大阪市長とが力を合わせて、大阪市案を受け入れるよう府内の受水市町村長を説得することを約束しました。しかし橋下徹氏が府水道の受水市町村長説得を断念して、大阪市案受け入れ撤回を大阪市に通知して、水道事業の府市統合は頓挫しました。

 そもそも前任の太田房江知事時代に、水道事業体は従来通り府市併立という前提のうえで府市協同案がまとまっていました。大阪府にとっては水道施設工事費800億円を節減できるこの府市協同案のスタートを、橋下徹知事が没にしました。それはなぜか。橋下知事(当時)が目指す水道事業体の統合一本化を前提にしていなかったので、800億円節減案を捨てました。その結果、節減効果としては、太田府知事時代の方が良かったということになります。


(注※) 日付の下の記事名の部分をクリックして下されば、記事が開きます。 

2018-12-29
<大阪都構想> 松井一郎大阪府知事(日本維新の会代表)が2回目住民投票に関する維公合意書を記者会見で公表

2019-01-08
橋下徹氏と大阪維新の動き 安倍首相へのおねだり成果

2019-01-26
<大阪維新> 橋下徹府知事(当時)が大阪府庁の咲洲(湾岸埋立出島)全面移転にこだわったことで「この人はあかんわ」と思いました(1)

2019-01-28
<大阪維新> 橋下徹府知事(当時)が大阪府庁の咲洲(湾岸埋立出島)全面移転にこだわったことで「この人はあかんわ」と思いました(2)

2019-02-24
<大阪維新> 橋下徹府知事(当時)が大阪府庁の咲洲(湾岸埋立出島)全面移転にこだわったことで「この人はあかんわ」と思いました(3終)

2019-02-27
<大阪維新> 橋下徹氏は経済人・国政政治家の後援を確認してから出馬した/二重行政問題は大阪市を制御したい府目線

2019-03-09
橋下徹大阪府知事時代 二重行政改革、府市水道統合協議、WTC府庁移転に隠されている大阪市支配への意欲

2019-03-31
大阪では維新政治が安定しません / 都構想なしの太田房江府知事時代には府市連携協議が持たれていました

2019-04-02
<大阪維新> 橋下徹大阪府知事は二重行政改革の手始めに、前任太田知事の府市水道協議成果である「府水道予算800億円削減案」を見捨てた



 
コメント

<大阪維新> 橋下徹大阪府知事は二重行政改革の手始めに、前任太田知事の府市水道協議成果である「府水道予算800億円削減案」を見捨てた

2019-04-02 07:06:36 | Weblog

2018-12-29
<大阪都構想> 松井一郎大阪府知事(日本維新の会代表)が2回目住民投票に関する維公合意書を記者会見で公表
2019-01-08
橋下徹氏と大阪維新の動き 安倍首相へのおねだり成果
2019-01-26
<大阪維新> 橋下徹府知事(当時)が大阪府庁の咲洲(湾岸埋立出島)全面移転にこだわったことで「この人はあかんわ」と思いました(1)
2019-01-28
<大阪維新> 橋下徹府知事(当時)が大阪府庁の咲洲(湾岸埋立出島)全面移転にこだわったことで「この人はあかんわ」と思いました(2)
2019-02-24
<大阪維新> 橋下徹府知事(当時)が大阪府庁の咲洲(湾岸埋立出島)全面移転にこだわったことで「この人はあかんわ」と思いました(3終)
2019-02-27
<大阪維新> 橋下徹氏は経済人・国政政治家の後援を確認してから出馬した/二重行政問題は大阪市を制御したい府目線
2019-03-09
橋下徹大阪府知事時代 二重行政改革、府市水道統合協議、WTC府庁移転に隠されている大阪市支配への意欲
2019-03-31
大阪では維新政治が安定しません / 都構想なしの太田房江府知事時代には府市連携協議が持たれていました



橋下徹大阪府知事(2008.H20.02.06.~2011.H23.10.31.)の前任である太田房江知事(2000.H12.2.6.~2008.H20.2.5.)と關淳一大阪市長(2003.H15.12.19.~H19.12.18.)の間で、府市水道協議が行われていました。

府市水道実務協議が第1回(2006.H18.4.15.)から第7回(2006.H18.11.15.)まで。引き続いて府市水道連携協議会が第1回(2006.H18.12.27.)から第4回(2008.H20.1.18.)まで持たれました。

府市水道実務協議第1回では、協議の前提条件の確認として、①経営(組織)統合を前提としない、②市域外給水などお互いの事業領域を侵害しない、ということを府市双方で確認していることに注目します。下に大阪市側の記録を転載しているのでご覧ください。

これは、府市それぞれの水道事業体を尊重しつつ、水道事業の効率化のために協力しあっていこうという姿勢で、府市水道事業の連携策です。橋下徹府政は府市水道事業統合策で、水道事業だけでなく水道事業体も一本化することを目標にしています。

太田府政下の府市水道協議では、具体的な実施案も合意できていました。府市連携が進展して実績を上げる段階にこぎつけていました。しかし、太田府政はここまでで終わります。

これが、後任の橋下徹府知事の指示によって、ゼロ戻しになりました。橋下知事は府市水道事業の一本化、事業体の一本化を目標にしているので、太田府政下の府市水道協議の成果には目もくれません。府市水道協議の白紙化、すなわち府市水道協議の成果を廃棄したのです。

2008(平成20)年2月13日、大阪府側から大阪市側に、これまで進めてきた府市連携協議を中断したいとの申し入れがありました。

「新たな起債は認めず、全ての府の事業をゼロベースで見直す」という橋下徹新知事の方針により、府のバイパス送水管計画についても同様にゼロベースで見直す必要に迫られ、連携協議の前提条件が成り立たなくなったことが、中断申し入れの理由でした。

このことについて朝日新聞の記事がありますので、転載します。

(朝日新聞 2008年3月12日13時32分)

水道予算、800億円削減案白紙に 大阪府事業見直しで

 大阪府と大阪市が進めていた水道事業の連携策が、橋下徹知事が府の全事業を見直したため、白紙撤回されていたことが分かった。合意に達すれば府は水道管新設による800億円の支出を節約でき、二重行政解消の一歩になるはずだった。市側の担当者は「知事に振り回され、1年半の協議が無駄になった」と嘆いている。

 大阪市水道局が11日に開かれた市議会交通水道委員会で明らかにした。連携策の対象になったのは、北部で取水した水を南部に送る送水管の老朽化に備え、府が新たに計画していた村野浄水場(枚方市)―泉北浄水池(堺市)間のバイパス送水管(50キロ)。総事業費は1700億円だが、市水道局によると、大阪市の配水場を使えば20キロ分の新設で済み、府は設備費800億円を削減できるはずだった。

 2月中旬、府幹部が市水道局を訪れ「橋下知事が打ち出した全事業のゼロベース見直しで、送水管も対象になった」と協議中断を申し入れた。府は送水管の更新計画自体を白紙に戻した。橋下知事が直後に平松邦夫市長に水道事業の統合を持ちかけており、4月から新たな府市協議が始まる。




<資料掲載> (クリック →)大阪市側の記録です

   府市水道実務協議(計7回)


平成18年4月25日
協議の前提条件の確認 ・経営(組織)統合を前提としない。
           ・市域外給水などお互いの事業領域を侵害しない。

実務協議の進め方の確認
その他

平成18年5月30日
今後の協議スケジュールの確認

府市双方による連携方策の提案と意見交換
  [提案項目] ・経営資源の有効活用
        ・危機管理対策

平成18年6月15日
平成18年7月 5日
平成18年7月21日
平成18年8月21日
府・市からの連携方策に対する検討結果の報告と意見交換

平成18年11月15日
今後の協議について
・大阪市の施設利用方策及び課題について、引き続き検討を行うことを確認
 した。

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<資料掲載> (クリック →)大阪市側の記録です。

   府市水道連携協議会(計4回)


平成18年12月27日
府市水道の連携協議の進め方について
府民・市民にメリットのある連携方策として、協議において次の事項に関し
て、具体的な連携方策等の検討を行う。

 ① 経営資源の有効活用を図るための連携方策(大阪府における大阪市の水道
  施設の利用方策及びその課題)
 ② 危機管理対策・職員研修などの連携方策
 ③ 広報・PRでの連携方策

協議にあたっての確認事項について
 これまでの府市協議の経過を、次回の協議において、双方が確認することとした。そのため、確認する事項として、大阪府が大阪市の施設を利用する場合の課題(時期及び負担のあり方の整理、経済的効果、長期的安定給水の確保など)について協議を行った。

平成19年2月7日
[確認事項]
 ・府市双方提案の「水道事業における大阪府と大阪市の連携協議に関する
  確認書(案)」について協議を進める。
 ・府市連携における課題点について双方の見解を提示する。

平成19年5月8日
[確認事項]
 ・施設連携に関して、大阪市から、府市管理者間の協議を踏まえた具体的な
  方策(市巽配水場から府バイパス送水管長吉地点へ日量最大40万m3の水
  供給)を提示し、今後の府市双方のメリットを検討していく。
 ・市提案に対する府の見解及び具体的な受水計画を確認の上、基本計画骨子
  作成の作業に入る。
 ・危機管理対策・職員研修、広報・PRでの連携方策についても検討を進めて
  いく。

平成20年1月18日
府市水道の施設連携方策に関する基本方針(案)について
 ・本市提案の基本方針資料をもとに、府市水道連携協議会の中間とりまとめ
  資料作成に向けて作業を進めていく。

平成20年2月13日 ※ここから橋下徹知事の時代
府から市に対する連携協議中断の申し入れ
「新たな起債は認めず、全ての府の事業をゼロベースで見直す」という知事の方針により、府のバイパス送水管計画についても同様にゼロベースで見直す必要に迫られ、連携協議の前提条件が成り立たなくなったため





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