講談社百周年の記念企画として、二か月アフリカのセネガルで暮らし、それを紀行文としてまとめたもの。
面白かった。現在、海外旅行は容易だけど、まだまだアフリカはエジプトくらいで、セネガルは日本人にはなじみが薄い。
行く理由は二つ、昔習ったフランス語を母国語でないところで話したい、セネガル人で世界的に有名な太鼓の奏者に会いたい。
2007年、成田からミラノ乗継で首都ダカールまで行く。初めの一週間は担当編集者が付き添うが、この人が「使えない人」でイライラさせられる。読者はそれはないだろう、と可笑しい。迷彩服で空港に現れ、トランジットのミラノのホテルを予約してないと、早くも珍道中の予感。
セネガルは外務省の現地情報だと、できれば行くべきでない危険な国。そこでホテル暮らしをしつつ、ガードマンと運転手を雇う。現地の日本人コーデネーターに行く先などを組んでもらう。初めは食べ物や水のためか体を壊し、ホームシックにもなるけれど、旺盛な好奇心で誰とでも分け隔てなく付き合ううち、現地の人も心を開き友情が芽生える。
セネガルの人はあけっぴろげで、だれとでも友達になり、友達の友達はみな友達、一人友達ができると十人の友達ができるという社会。友達の家にはアポイントなしで尋ねてもよく、来た友達には食事を出したり、泊めたりするのが当たり前、作者も慣れるとボディガードの故郷へ一緒に帰省したり、JICAで来ている人を訪ねたり、最後は日本人コーデネーターの家で生活する。そこには昔の恋人(同性愛者)、今の同居人とその弟などいろいろな人がいてにぎやか。コメを主体とした現地料理は、どれもおいしい。と、二か月の間にすっかり馴染んでいくのである。その楽しさが伝わってくる。
その対極にあるのが、日本大使館を中心とした日本人社会。現地になじもうとせず、せっかく遠い所へ来ているのに言葉の一つも覚えようとしない大使夫人などはきっちり観察されている。外務省系の人は振る舞いが「現地の人なんて」という感じ。パーティに呼ばれて、いやいや出かけ、その場でも現地人と仲良くするので、日本人からは奇異な目で見られる。
でも旅人はいつかは帰らないといけない。みんなにお別れパーティをしてもらい、出国のとき「素晴らしい友達がたくさんいるんです。ここには」と泣くと係官から「地球は狭いよ」と慰められる。
悲しいとことというのは、失われた習慣だ。トッカリさんの家で、いつも私が座っていた席が空席になっていること。みんな集まっているのに私がいつまでたつても来ないこと。
出会ったひとりひとりがよく書き分けられ、冗談を言い合う仲になっていくところが読みどころ。既成概念にとらわれず、相手の懐に入って、現地と日本の違いを考えたり、この体験は作者にとってとても大きな財産になったことと思う。などとえらそげですみません。凡百の紀行文よりうんと面白いです。