うーーむ、今月も終わりなのに、感想が間に合わない。来月はまたまた忙しくなりそうで、ブログもなるだけ頑張るけど。
「ニート」のなかの「愛なんていらねえ」はあまりにハードで、人間って何でもやってしまうんだなあとびっくりした。小説だから読めるけど、実体験として書かれたならとてもとても。小説といういれものには何でも盛り込めるのだと改めて思った次第。
「海の仙人」は人との距離の取り方が絶妙。深入りせず、でもずっと見守り続け、思いは続いているという関係を書いている。短い小説の間に時間はけっこう流れるし、癌になって恋人が死んだりして、小説としての山場も各所にあり読みやすい。
「ラジ&ピース」は人との付き合いは苦手だけどアナウンサーになった女性が、高崎の放送局に再就職し、昼のローカル番組を持ち、リスナーの一人と少しずつ心を開く話。脇役の女医さんも立ち入らず、かっこいい。自立した女性。
美人の妹は、姉が有名人になったことが気に入らない。生まれた赤ん坊に「りら」という浮ついた名前を付ける。姉はフン、という感じ。読む方も、あるあるこういうことってと思っている。
名前は親の趣味がもろ出ますよね。できるなら静観したいところだけど、息子は変わり者なので、三年前には孫娘に「剛」なんていう字を入れそうになって、さすがに反対した。その心は剛い子になってほしいとかで。いやはや。
先日、間接的ではあるけれど(息子の知り合い)ある女性のブログを拝見したら、小説を頑張っていて、編集者と打ち合わせをしながらデビューを目指しているとか。30代は一番書ける時代、頑張っていただきたいと思う。出版の暁にはぜひ拝読したいと思う。
人間はみな何かをするためにこの世に生まれてきたもの。私の場合、それがなんだったのだろうと、この歳になって思う。周りの人たちのおかげで、今まで無事これたことを感謝しないとね。
http://www.47news.jp/CN/200806/CN2008061901000625.html
またまたハシモトネタ。従軍慰安婦(軍属)⇒敗戦時に看護婦(補助的な業務)に雇いなおした文書発見。これは連合国の目を憚ってのこと。
どこかの掲示板で、慰安婦体験を証言している韓国人女性に対して、「慰安婦の記録はない。終戦時に看護婦をしていたという記録ならある」と、証言の信ぴょう性を疑う指摘を見かけたので、その人の記録ではないけれど、そういう例もあったということで、その答えになっているのではないかと思う。
軍としても、敗戦時に、慰安婦は連合国に知れるとまずいと認識していたということですよね。
漫画家、水木しげる氏の著書にラバウルでの従軍慰安婦の体験談があるそうで、今度リンク貼っておきます。私も読んでみようかな。叔父がニューギニアで餓死したそうなので、読むのはちょっとつらいんだけど。
戦争を肯定するような発言につい反応してしまうのは、子供の頃、祖母からその叔父の話をよく聞かされていたからかも。癒されることのない母の嘆きですよ。戦争のできる国にしようとたくらむイシハラやハシモト、アベも不倶戴天の敵と、私は単純化しています。