著者は岡山県生まれ、戦後の勉学が困難な時代に、広島文理大学から東大の院に進み、ドイツに留学して植物の生態学を学ぶ。
帰国してからは研究生活の傍ら、各地、各国の自然再生、植林に携わり、その土地に本来生えていた木で自然を再生する活動に取り組んでおられる。短い本だけど、内容には深く納得し、つねづねぼんやりと思っていたことに一本の筋道が付けられたようで、大変にすっきりした。
先生の主張は、森というのはさまざまな植物がお互いを支え合って一つの環境を形作っている。自然を再生するのは外来種の見栄えのいい木や花を植えることではなく、その土地本来の気候風土に根差した無理のない植物を多数植えること。潜在自然植生というんだとか。
その考えから、工場やショッピングセンターの周りに森を作り、東南アジアや万里の長城周辺の森の再生事業にも協力している。
その土地に本来生えるべき木は何か?先生はそれをまず見極める。簡単なようだが、伐採されて二次林や荒れ地になっているところも多く、万里の長城から100キロも離れた山奥にモウコナラを見つけ、中国人に頼んで80万個のドングリを集めて苗を作り、地植えしたところ100%根付いたという。
その地に合った植物は初めは少し手がかかるが、成長し始めるとあとは放置しておけば立派な森になるという。それに反して芝生に外来の木を植えた公園のようなところは永遠に管理しなければならず、自然の再生ではないとの意見。
古くからある鎮守の森はその土地にどんな木が適応しているか、よく表しているという。連休に行った福井県の雄島の圧倒的な原始林に感動しまくった私。口コミだと「何もないつまらないところ」とあったけど、何もないどころか植物の宝庫。それも人の手が加わってないので、それぞれ頑張って生えつつ、他とも共存して一つのコロニーをつくっている。その姿に感動した。
まあ、こんなことに感動する私は少数派で、きれいに整えられた公園やバラの数々を愛でるのが普通だと思いますが。
私の意見ですが、公園は公園として整備するのはけっこう。でも山の木を切って桜なんか植えたってうまくいきっこないんです。後々水やりや手入れに通うならわかるけど。それだって、なんで元ある木には価値がなくてクローン桜がいいかという話。それはあなたの価値観でしょうが、とハシモト以来の喧嘩腰。
明治神宮を作るとき、当時の植物学者は自然の森を提唱したけれど、神社の近くなどには見栄えのいいスギやマツを植えたそうな。今はスギもマツも自然に淘汰されて、シイ、タブ、クス、カシの林になっているそうです。よかったよかった。
荒れ地が安定した極相林になるには自然の状態で、日本では200年から300年かかるそうです。それを様々な苗を混植し、しばらく管理するだけで、2~30年後には限りなく自然に近い林になるそうで、これならまあ手軽。
ジャスコが取り組んでいるんだとか。そう言えば、近所のジャスコでいろんな木を植えたのが、10年くらいで立派になってますもんね。
なんかこんな本読んだので山に行きたくなった。それが無理なら社叢を見に行くとか。