5/5 東尋坊を見た後立ち寄る。
三国湊は九頭竜川の河口に開けた、港町。北前船が立ち寄る天然の良港でした。交通体系が大きく変わった現在、往時の繁栄のあとを留めた落ち着いた街並みが残っています。
まず丘の上のみくに龍翔館へ。明治時代の小学校を別の場所に復元し、内部は資料館になっています。
立派な洋建物に、昔の繁栄ぶりがしのばれます。連休なのに、というか連休だから?人少な目。女の子二人と出会っただけ。ほぼ貸切で見学しました。学校の遠足などで活用される施設のようです。
北前船の縮尺復元模型。江戸時代の繊維工業の発達は、丈夫な綿布の織物を生み出し、それを帆に使って、遠距離の航海が可能になりました。川上交通と海上交通の結節点、三国湊は物流の一大拠点でした。
毎年5/20は夏を呼ぶ三国港。武者人形を乗せた山車が街を練り歩きます。往時の繁栄がしのばれます。
町並みは狭い範囲に集中、みくに文化未来館に車を停めて徒歩で観光。一時間もあれば見どころは全部廻れます。
山車を納めている蔵。各所にあります。
廃業した骨董店。
旧森田銀行本店。大正時代建築。福井県で最も古い鉄筋コンクリート造りの建物。内部も立派で、この日は地元グループのパッチワークの作品展をしていました。
続いて丸岡城へ。
国宝丸岡城。現存する最古の天守閣と言われている。1948年の福井地震で壊れたものの、部材を再利用して再建。今も国宝です。小さな天守閣ですが、どっしりとして風格があります。
1576年柴田勝家の甥、勝豊築城、以後、安井、青山、今村、本多、有馬各氏が城主となって明治維新を迎える。
70度くらいの急な階段、ロープがついています。
城内には一筆啓上の書簡碑、麓には一筆啓上茶屋があります。
日本一簡潔な手紙「一筆啓上・・・」というのは六代目城主、本多成重の父で、徳川家康の家臣、本多作左衛門が陣中から妻にあてた書簡。
正しくは「一筆申す、火の用心、おせんやさすな、馬肥やせ、かしく」というもの(磯田道史著、殿様の通信簿より)。おせんと書かれた仙千代が後の本多成重である。作左衛門は勇猛果敢な戦国武将で、エピソードもいろいろあるが、晩年は不遇だった。
はるか歴史に思いをはせ、古風な天守閣を見上げると、時代と立場の制約の中で懸命に生きた戦国武将が身近な人のように思えたりする。
一筆啓上茶屋でそばを食べる同行人。大だと三杯。そば大好き。私はそば嫌い。旅行中はそれでよく揉める。いろいろなものがある店でよかった。
広島県の豊平の山奥で有名な蕎麦屋がありますが、ミシュランには漏れてた。やっぱり。客を一時間も炎天下で待たせるところでもうアウトでしょう。ホスピタリティ大切。
芦原温泉駅前で車を返し、再びJRで福井まで。特急に乗り換え京都まで。京都からはのぞみに乗り換えて帰宅。
福井駅
歩道にサトイモ。友人でお父さんの実家が福井市という人が、たまにサトイモをくれた。ほっこり甘くておいしいサトイモでした。
列車の中から息子に「今、私達って湖西線を通ってる?」とメールしたら、「北陸本線特急は原則湖西線、災害時などは大津周り」と鉄ちゃんらしい懇切丁寧な返メールがきた。
水を張った水田は田植え間近、むこうは琵琶湖。
京都駅では舞妓奉公に出した娘と再会し、、、しつこい\(・・)ペシッ