2014年4月 バリ。セーヌ川の河口近くにルーアンはあるとのこと。
遠藤周作は、1950年、フランスへ留学し、途中で結核になり、サナトリウムで療養した後、二年半後の1953年2月に日本に帰ってくる。
前半は日本を出て、各地に寄港しながらマルセイユ上陸。パリを経由してルーアンのロビンヌ家に滞在、大家族の中で、家族同様に親切にされる様子、また異文化と触れるときの気負い、すべてを吸収しようとする決意などが読みごたえがあった。
9月からはリヨン大学に入学して、現代キリスト教文学を研究するが1951年年末には血痰が出て、翌年は三か月療養所で過ごし、1953年帰国。
後半は大学での友人、療養所で知り合った友達、そして女性との交流がみずみずしく語られ、小説よりも小説らしい切ない話に、とても引き込まれた。
結婚したい女性がいたけれど、自分は日本人で結核で帰国する身。思いあった二人はパリからマルセイユまで、船に乗る前の短い旅をする。将来の見通しの立たない自分は男女の仲になって、この人の将来を縛ってはいけないと固く誓い、誓いは守られた。
他の人なら、今の人ならどうするだろう。ここまで自制心はないのでは。
後半部分は死後発見され、夫人の了解を得て公けにされた。遠藤文学を読むとき、この本もまた大いに参考になると思った。貴重な内容だった。
一週間くらい前、BS3で再放送していて、ロビンヌ家の人達も出演していたので、読んでみた。録画している番組をまた見るつもりです。
今ならフランスは直行便で11時間くらい。その前はアラスカ周りで24時間くらいかかっていたのかしら?そのまた前は船で一月。洋行はごく限られた人だけのもの。その見聞録が原稿料の貰える時代。
今はフランス行ったくらいでは誰も驚かない。月へ行ったと言えば少しは驚いてもらえるだろうけど。しみじみと、世界は狭くなったものです。