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呉に行ったんだけど・・・

2016-10-19 | 断想

昨日は好天だったので、呉へ行きました。一人だと高速つかって車で行くより、バスの方が早くて安い。パスピーで610円とかそのくらい。

我近くの県立大学斜め向かいから、蒲刈へ行くとびしまライナーに乗ると28分で呉駅前まで。

これは早い。JRだと・・・最近全然乗らないけど、一時間くらいかな?

で、とりあえず市立美術館まで行くと、なんと火曜日はお休みだった。

ガーン。気を取り直して、以前行ったことのある川沿いのイタリアンの店へ。おしいかったけど、野菜三種盛りパスタというのは本当に野菜しか入ってないのでびっくりした。パン一切れ半と野菜サラダはミニトマトを八等分してそのうち四切れが入っているという繊細な技。

インテリアなどは大変お洒落。

こんなもんだと納得して店を出て歩いていると、古い喫茶店でコーヒー付きピザ740円というのがあった。うわあ、こっちにすればよかった。また食べることもできないので諦めて通り過ぎる。食べもののことでこだわりの強い私でした。

バスは早いのはいいけど、帰りは15時台、本通り商店街で時間をつぶす。呉は駅に隣接して巨大なゆめタウンができて、中通ると大和ミュージアム迄濡れずに行ける。こちらへ人が流れるようで、商店街は寂しそうだった。こちらの気も滅入る。

書店に入ると、奥はずっと古書コーナー、その先はリサイクルブック。でもいくら探しても読みたい本がない。で、またまた気が滅入る。

デパートの小さなショップも欲しいもの何にもなくて、お手洗いだけお借りする。ガックリ。

考えてみたら気合入れて服着る場面とか、最近、ほとんどないですもんね。昔なら、子供の学校行事など。三男の時は高校三年間役員していたので、気合入れて出かけてましたもんね。人間、そう言う場面がたまには必要だということでしょう。


最近、気になること二つ。

それは水彩画の先生が、下手な人の絵は「面白いですね」と流すだけで、私の絵は指導たくさん。いつもいつも、描きすぎないように、塗り過ぎないようにと言われる。色が濃すぎるとも。

納得できません。

デッサンも色付けもきちんとできてから自分の描き方を探すのはいいけれど、初めからそれさえできないのは如何なもんでしょう。ああ、ここに書いて少しはすっきりした。

ピカソは10代には絵はすでに大家の趣。それから自分の描き方を次々と試し、探り、美術史の流れを変えるほどの大芸術家になった。初めからキュービズムじゃなかったのだし。

長年やってもずっと同じ段階にいることこそ、却って難しい。と私は思う。

まあ、ささやかなサークル、筆を握って色塗るのは三歳児にもできる。私も肩の力抜いて、楽しくおしゃべりすればいいのかな。その気楽さが私にはないのかもしれん。

それもあって大昔、美術部止めたんだった。織りや絵付けなら楽しくできるのに、何で絵のことになるとむきになるのか、我がことながら不思議。

もう一つは姑様のこと。ケースワーカーさんとの対応は私の一存では出来ないので、夫担当。でも少しずつ、姑様がいろいろなことができなくなるのは自然の流れ。

夫との間で、この先どうするかなあという話になり、「施設入れるより、うちで見た方がいい。私なら狭い一室に入れられたくないし、じっとしていると呆ける」と私が話すると、夫は安心したのか、「お母さん、来るかなあ」と言っていっている。

おやまあ、急な話で。

「施設入れてよ。私は知らん」とは、一般論としては言えないことで、私もまた遠い先の一般論として言ったつもりだったけど、夫にしたら渡りに船だったのかな。

これまた一般論として、街でお年寄りが(自分もその仲間ですが)困っていたら、手助けできるのに、なぜ一番大切なお姑様のことになると素直に考えられないのかな。

これは多分、長年、嫁はして当たり前、年寄りはしてもらって当然という社会の慣習の為かも。嫁がお世話することなんて、晴れて降って風が吹いての自然現象と同じ。だれも気が付かない。目にも止まらない。

姑様はいい人で、図々しくないけど、ネックは夫ですね。自分の親のことしてもらってるんだから、ちょっとは私に気を遣ってね。礼を言うとか。

これが逆だったら、ものすごくできた旦那さんと称賛されるはず。息するみたいに自然な態度でいると、ちょっとどうかと思う。

夫が遠くのきょうだいたちにも様子を知らせて、たまには連絡するよう言ったら、お姑様は嬉しいはず。なんて言って、私は実母に全然電話しません。理由はいろいろあるのですが、いかんですねえ、ダブルスタンダード。

まあ、出来ることは出来るだけする。出来ないことは無理せず、みんなの助けを借りる。と、そんなことでしょうか

それよりも夫仕事場、一部姑様の名義。切って三等分しないのなら、先でいくらお金がかかるのかと戦々恐々。当事者の夫は何にも考えていないようですが。本人差し置いて私が心配するのも変なので放置しています。夫きょうだいは交流はそう頻繁ではないですが、仲はいいので、この先もずっと仲よくしてもらいたいと思っています。兄弟仲が悪くなるのは、だいたいが親の依怙贔屓とかわがままが原因。その点、うちの姑様はよくできていると思う。

書きながら、私の気持ちも筋道が立ってきた。書くことの効用、ですかね。やれやれ。

コメント (2)
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