フランス、ピレネー山脈麓のクリスマスローズ。2015年6月。
約一年、姑様の施設も面会禁止で会えなかったけど、今回、入院し、短時間なら面会できるようになったので会いに来た。
やはり目を閉じて反応がなかったとのこと。昨日、私が行った時と同じ。ただし、生命にかかわる危機ではないので、昨日午後から一般病棟に移った。
義妹は一泊して明日も見舞うつもりだったけど、きょう午後から帰って行った。
姑様のお世話に加えて、隣に住む孫二人のこともあり、大変な様子。今日は昼過ぎからしばらく話して、私はふんふんと聞くことが多かったけど、話すだけで気が晴れることもあるわけで、黙って聞いていた。
しかしまあ、驚くほどの長寿社会。先日、ポツンと一軒家見ていたら、80代のご夫婦が2年前に107歳だかで亡くなったお母さんを在宅介護していたそうで、よくやり切ったものと感心したけど、お二人の表情に爽やかさと疲れが同居しているように思った。ほんとに、ほんとに、ほんとにお疲れさまでした。
介護するもしないも運命。しなくていい人は本当の苦労は分からない。するのも相手によって千差万別。義妹は旦那さんがリタイアしているので、よくしてくれるとはいえ、食事などは作るので大変でしょう。
先日の施設からの緊急入院も、昼間なら私が付いて延々8時間くらい病院に滞在していたと思うけど、日曜日で夫に行ってもらえて幸運でした。
今まで何度も姑様の付き添いで院内で一日を過ごした。救急車でお供したことも二回。いつ何があるか分からないので、隙を見て院内のコンビニで食べ物と飲み物調達、手洗いも走るように。承諾書の類はすべて一存でサイン。
一度でも夫にやってもらえてよかった。姑様と夫のためにです。
私は医療の素人なのでよくわからないけど、これからはたぶん栄養を鼻から胃に流し込みながら、目を開けることもなく横になっているのではないかと思う。
また元のように座って自分で食事できるようになればいいけれど。
以前、夫と義弟の間では延命治療はしないと話していたらしいけど、いざとなったらなるだけ長く生きてもらうの一択。全然迷いはなかったようです。それは肉親の情として当然かと思います。今は医療が発達しているので本人の体力の続く限りは生きていることでしょう。どんな姿になっても、生きているのとそうでないのは大違いです。
で、どの命も掛け替えがなくて尊いのだけど、コロナ禍で困っていて、声も上げられない人たちに政府の支援はしっかり届いているのでしょうか。そのことをふと思いました。
若い人は働いて子供を育てて、これからの日本を背負う人たち。安心して人間らしい暮らしができるような支援をお願いしたいものです。
目を開けて反応するようになればまた知らせると義妹には言ったけれど、はたしてどうなるのでしょうか。
きょうは久しぶりに写経した。一文字ごとに墨を継いだら楽に書けた。なぞろうとせずに筆の勢いで書く。勢いのある線が美しいのは書も絵も同じ。ためらわず、迷わず、おごらず、ってほとんど人生と同じことかもしれない。
字を書きながらばあちゃんもいろいろ考えるんだよ。