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「母ふたり」 窪島誠一郎

2015-08-16 | 読書

2014年8月 京都で


信濃デッサン館、無言館館主、窪島誠一郎氏の自伝である。

水上勉と恋人との間に、結婚しないままに産まれた窪島氏は生母に水上凌として育てられるが、2歳になったばかりのころ、窪島夫妻に引き取られる。

窪島家は明治大学の門前で靴の修繕を生業とし、貧しい生活だった。長ずるに従い、自分の出生に疑念を抱き、親に聞いても言ってくれないので執念のように関係者を訪ね歩き、ついに仲立ちをしてくれた人の未亡人に本当のお父さんのことを知らされる。

この時のことは当時マスコミで話題になり、さすが親子、よく似ていると私も思った記憶がある。40年近く前のことだった。

この本では、実父母と養父母、その周りの人達との関係、自分の複雑な思いを余さず書いている。

昔は戦争や病気で人は今より簡単に死に、親子の生き別れもずっと多かったと思う。また子供の数も多かったので、相続に関係ない子はよその家の後継ぎとしてもらわれることもあった。

私は子供には小さい時から本当のことを話した方がいいと思うが、昔は自分たちが捨てられるのではないか、本当の親のことを知ってそちらへ行ってしまうのではないかと、言わないのが普通だったのではないか。

でも近所の子供と遊ぶうち、また周りの大人のふとした言動から子供は何かを感じ取ってしまうものでもある。

小さい時から「貰ってきたんだよ。あなたが大好きなので、私たちは育てているんだよ」とずっと言い続ければいいらしい。その年齢なりに自分の中で消化していると、他人に言われてもショックが最小限で済むと思う。

作者は養父母を相当追い詰めたらしい。どうしても話さないのでその仲が険悪になったらしい。でも仕事上の保証人になってくれたのは養父の弟、子供のころは親戚の家に行き来したりして可愛がってもらっている。よかったじゃないのと、私は思った。

養父母とは最後まで一緒に住み、妻任せとは言え、最期の世話もしている。小さな食べ物屋を明治大学の前に開き、繁盛して支店を広げ、成城に一軒家を構えて養父母と同居している。えらい!!

そして美術館も立ち上げ、無言館は全国で唯一、戦没画学生の美術館として、広く知られるようになった。自分で生きていかなければという思いが子供の時から強かった人なのだろう。

窪島氏は水上勉と親子付き合いをするが、一方、生母には冷たいなと思った。複雑な思いがあるのだろう。窪島氏の奥様は成城の自宅で子育てと介護に追われ、また生母ともたまにデパートへ付きあったりとなかなかできた人だと思う。奥様のサポートなしには今の仕事はなしえなかった。奥様も偉いなと思った。 

コメント (4)
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