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8/2 国東半島を40年ぶりに巡る

2020-08-07 | 旅行

予約したのはだいぶ前、いつの間にか感染者が増えているけど、車で辺鄙なところばかり巡る予定。盛り場へは行かない。ひっそりと地味に行動する。と思いつつ今回も出かけます。


12時半頃、東九州道宇佐インターを出る。宇佐神宮最寄り。宇佐神宮は息子たちが、3年生、2年生、3才の時以来。

あの時は夏休みにバッタの自由研究をしていて、虫採り網持参。虫優先で一の鳥居までも行かずに引き返した記憶がある。

今回も行かない。本殿に行くまでがとても遠い。暑い。

帰ってからお嫁ちゃんにその話したら、首相夫人が3月に行ったところですよねと反応してくれた。そうだよね。あのころに比べて状況はよくなっているとは言えないけど。。。

昔、広島から九州の東側へ行くのは広島~別府のフェリーか、徳山~竹田津のフェリーのどちらか。

最初に出かけた40年前は息子は4歳と2歳、三男はまだ生まれてなくて、そのときは徳山から乗った記憶がある。

竹田津は大分県。そこから国東半島の古寺を連れまわして、子供は退屈だったと思う。

道も悪くて、どんどん行くと工事中で行き止まり。それで喧嘩になって、そのことを実家へ行ったとき、長男が私の親にチクった。

「子供の前で、仲良うしまいよ~」と言われたのだった。思い出した。


豊後高田昭和の町。

行くまで、昔の町並みを再現した施設と思っていたけど、そうではなくて現役の商店街。交通網が変化し、人の流れも変わって、栄えた時代がそのまま封じ込められた街並みでした。

宇佐神宮へ参拝する私鉄の始発駅があったそうで、往時は賑やかだったことでしょう。

昔は各地にそれぞれ中心があり、手近で用事が済んでいたけれど、今は車で遠くへ買い物に行くので地元商店街はどこも衰退気味。それを逆手に取った町起こしのようです。映画、ドラマの撮影もあるそうで、頑張っていただきたいもの。

中ほどにある施設。

涼しそうです。

昭和の器。

水の音。

続いて古い建物を利用した資料館。

駄菓子屋で。ロボットはディスプレイ用。

元銀行。

キャノンのワープロ専用機。

窓のようなところに保存用のメディアを入れていたようですが、どんなメディアだったのかな・・・

観光案内所の裏手。昭和の車。

昭和の道具。

お土産いろいろ。


続いて川中不動へ。

川の中の摩崖仏。

向こうは天念寺。無住のようで、地区で管理しているように見えました。未確認。

立派な仏像。後ろは崖。崖に屋根を付けて前はお寺に見えるように。

雨じまいが難しそうでした。

羅漢像。

羅漢様は仏にまだなっていないので、人間臭い。それがリアルで、ちょっと怖い。

さらに奥の古いお堂。こちらも半分石窟になっています。

古い時代の信仰を感じる施設でした。

続いて富貴寺へ。

小さなお寺ですが、とっても古そう。

国東半島は古いお寺がたくさん、摩崖仏もあちこちに。

国宝。富貴寺阿弥陀堂。

平安時代の建物で、九州最古の建築だそうです。後ろに新しく階段着けてそこから入堂します。40年前には多分正面から。

私たち以外参拝者なし。

お寺の猫は、風が通って涼しくなる場所を知っていて、門の下で敷石にぴたり体と着けて休んでいます。

暑いねぇ~。

続いて真木大堂へ。以前は木造のお堂に仏像が並んでいましたが、今は立派な収蔵庫ができて冷暖房完備、撮影禁止。残念ですが、文化財保護のためにはそれが大切。

昔はこの付近にたくさんの寺院があったそうですが、すたれてしまい、仏像は一つの場所に集めていて、この建物は寺院ではありません。

仏像はとても立派でした。かつての文化の高さがしのばれます。

やれやれ、地味な場所ばかりでしたが、ひなびた感じは昔と変わらず。

ほとんど忘れかけた40年前を少しだけ思い出しました。

あの時は湯布院の国民宿舎に泊まったんだった。まだブームになる前で、地味な街でした。

中津から中津日田道路に乗り損ねて地道で。

それはナビさんが古いから。でもまあ何とかたどり着けそうです。

八面山が見えてきました。あの麓の宿までもう少し。

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八面山、金色温泉こがね山荘

2020-08-06 | 旅行

8/2日曜日 8時半自宅発。途中運転代りながら東九州道宇佐インター下りたのが12時半頃。

九州の東側も高速道が全通して4時間で来てしまった。びっくり。

豊後高田昭和の町、国東半島の川中不動、富貴寺、真木の大堂などを見学して夕方五時半過ぎ、宿に向かいます。

やがて行く手に特徴ある山の形が。どこからでもよく見える八面山、今夜の宿はあの麓にあります。

八面山金色温泉はちめんさんかないろおんせんは立ち寄り湯、レストラン、宿泊施設もある一軒宿。

さてどんな場所でしょう。ワクワク。

ナビに案内されて着きました。車で上へ上へ、宿泊者用Pに入れて、まずはチェックインです。フロントのある棟。

宿泊棟へ案内されます。

部屋は二部屋と内湯付き。

手前は囲炉裏切っています。ピンボケになりました。

奥の部屋は庭に面しています。その先は敷地内を流れる川があります。

まずは風呂で汗を流します。この他に宿泊者用の浴場と、立ち寄り用大浴場があります。

食事に行きます。

敷地内広い。

広いので迷わないように。

3日の宿は山の中、こちらは敷地全体が日本庭園で、その中に宿泊施設が点在しています。

お客さん少なめ、私たち以外には高齢のご夫婦と息子さん二人のグループが。

うらやましい。私も息子たちと孝行旅行したいけど(費用はこちら持ちでおびき寄せる)、もう少し先でいいわと思いなおす。

前菜いろいろ

途中で洋風の料理も。

魚介類にグリーンピースのソース掛け。

窓の外はデッキと庭。

最後はお寿司。おいしかったけど、全部は食べられず。

デザート。

川は八面山から流れてくるらしい。

大雨の時は大変。

下流はおとなしく。この川渡ると大浴場、宿泊者用浴場があります。

木がいっぱい。涼しい。そして誰とも出会いません。

戻ってきました。

庭に取り囲まれた宿泊棟。

これは翌朝、食事に行くとき・・・かな。

緑多し。

あの先にあります。

ホールのほかにお座敷棟もあります。

結納、顔合わせにいかがでしょうか。と、つい営業する私。

モミジたくさん。

秋もいいですね。

ランチも。

立ち寄り湯と組み合わせると、楽しそうです。

朝ごはんいただいて、いよいよ出発。

八面山に登りますが、いろいろ思いがけないこともあり、夫婦仲も怪しい雲行きに。

うまくいくのは自分の手柄、トラブルいろいろは相手の落ち度。と、いつものパターン。そのあれこれはいずれまた。

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いつかまた行きたい翡翠之庄

2020-08-06 | 旅行

写真いろいろ

泊ったのはこちら。露天風呂付和洋室。シャワールームもついていました。

離れお任せプランに旅行サイトのクーポンの値引き、あとは政府のキャンペーンも申請する予定。で、今回は大変安く泊まれました。申請は来月14日まで。


箱入りの朝ごはんおかず。

野菜いろいろ。器さまざま。

冷ややっこだっておしゃれにメイクアップ。

焼き魚は前夜に4つの中からオーダー。

新鮮な野菜のサラダ、大盛り。

この後チェックアウトして、フロントのある母屋の居心地がいいので、しばしのんびり過ごす。

ラウンジ。

ラウンジ。

窓辺の席。

ロフト。

上がって本読んでゆっくりしてくださいと支配人の方に言ってもらう。

宿のロゴ。

下にも本がたくさん。

これよかったです。

サボテンはフェイク。我が家のインテリアの参考になりそう。

外へ出ます。

ずつとお二人のスタッフの方がついて見送ってくれました。

駐車場から門を振り返る。

さようなら、お世話になりました。

またいつかきっと。あまり時間を空けずに。

秋もいいかもしれませんが、日没早くて運転が怖い。九州へ行くと、帰りの山口県がいつも長く感じます。

メエェェー、すぐにヤギが寄ってきました。

夫婦?きょうだい?ともだち?

仲のいいシロとクロ。

ヤギも田舎のアイテム。

田舎の家も今は立派になり、ヤギなど飼ってないので、これもまた郷愁のアイテム。

普段の暮らしから離れて、心を癒し、昔を思い出す空間。

私自身、心がほぐれて少し優しくなれた気がする。

地球に優しく、自分に優しく、そして夫にも優しく。

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九州、癒しの一軒宿つづき

2020-08-05 | 旅行

つい嬉しくなって写真たくさん撮りました。

このブログは画像保存が目的の一つ、ご面倒でしょうがよかったらお付き合いください。

玄関

玄関。土間は我が家より広い。

夕食は別棟で。

前菜。おかずいろいろ。

一枚の陶板に9つの柄をくりぬいたお皿。

洗うのは簡単そうで難しいかも。

野菜がどれも新鮮で、味付けは薄味。野菜本来のおいしさを味わう。

エノハとはこの地方でヤマメのこと。

エノハのお刺身が隠れています。

野菜いろいろの盛り合わせ。お皿も秀逸。

自家菜園があるそうで、高原の野菜はどれも味が濃い。

メインのお皿。

醤油を焦がしたものと、粒の残ったわさびでいただきます。

こちらもたくさんの野菜。紫芋やビーツなども。

皿違い。

この他にエノハのから揚げ、エノハのお茶漬け(だし茶漬け)など、どれもおいしくいただきました。

もうお腹いっぱいで苦しいけど、

最後の一頑張り。

部屋に戻ってきました。

湯上りサービスのビールに、食事の時にもお酒飲んで、もう眠い。。。。


翌朝、まだ眠っている同宿人は起こさず、一人で宿の敷地を散歩します。

とても広くて迷子になりそう。

通路横にお堂。村の中の道を歩いているみたい。

阿弥陀如来に薬師如来。かな?

木彫らしい。

どこかでお札を受けてきたらしい。

何はともあれ、旅の安全と私のこれからの人生の恙なきことを。

6時半、図書室行きます。

広いです。

奥から写す。

反対側。

こんな本がありました。

先月泊りました。兵庫県、湯村温泉。

昨年泊りました。料理はとても凝っていて、おいしかった。高松市内と瀬戸内海の眺めよし。こちらも井づつやと同じように前の天皇夫妻が宿泊したことがあるそうです。

今泊っている宿も掲載されていました。

地方史や

日本史資料も。郡書類従は他にもたくさんありました。

ロッキングチェアーはジョージナカシマでしょうか。

私もこんな書斎欲しいなあ。鍵かけて中にこもって好きなことする。

図書室横の小さなデッキ。

おや、何が見えるでしょうか。上がってみます。

屋根のないテラスです。

昨夜の宿は一番向こうの棟らしい。

宿というよりは一つの村のようです。

朝、誰もいません。

温泉いろいろ。

メダカの鉢。

土の通路を歩いて

戻りました。

寝ていた人はもう起きたでしょうか。

家の周りを歩いてみます。

石垣の段があって、通路があって、遠い昔の親戚の家みたい。

初めてなのに懐かしい。

そろそろ朝ごはん。

夏の朝なら、ナスに揚げまたはそうめんの味噌汁。きゅうりの糠漬け。。。。

いろいろなことをしばし忘れて、夏の朝のまっさらな気持ちになれた私。

いつかまた行きたいなあ。

でもとても遠いです。小倉で在来線に乗り換えて、また乗り換えて、最後はタクシーかな。車だと大分光吉ICから一般道で一時間弱。

ナビが古いので苦労しました。

でも今度は春か秋に行きたいなあ~

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ところでマスクですが

2020-08-05 | 事件、事故

やっとあのマスクやめましたね。

全員に行き渡ったからって、私の単純な理解力ではそれがなぜ理由になるのかわかりません。きっと深遠な事情がおありのことでしょう。

一日目、既製品の顔にぴたりとしたマスク。つけるご本人もとてもきりっとして立派に見えたのです。改めて、マスクでどれだけ印象が変わるかを認識しました。マスク同様、ここで心機一転、コロナにも真面目に取り組むのではと淡い期待を持ったのですが。。。。

しばらく家を留守にしていて、帰宅後、久しぶりにゆっくりテレビ見ていたらあれれれ、今度はまたマスクが大きすぎ。

横から見たら顎とマスクの間に隙間が。どうやら手作りらしく、耳ゴムの結んだ端が長すぎる。

私なら両端は短く切りそろえ、結び目は回して布の中に隠す。手作りマスクはいろんなところで数百円から売ってるけど、あれでは売り物にはならない。どなたかが作ったのでしょうか。としたら、愛情が感じられてほほえましいけど、マスクの不備は政策の不備、マスクが緩いと政策も緩い。

経済的理由で人と違う恰好、服装の人には見て見ぬふりをするのが礼儀。しかし、この場合それはないはず。たかがマスク、されどマスク。マスク一つにその人の性格、物事の処理の仕方、好み、生き方も現れる。人のことではなく、自分のこととして気を付けます。


徹底的な検査、感染者の隔離、治療。封じ込めるのにそれ以外の裏技はあるんでしょうか。正攻法しかないと思います。

なぜ先進国と言われたこの国でそれができないのか。民間の能力を生かしきれない政治の責任ではないのでしょうか。

えらそげで申し訳ありませんが、本当に何とかしていただきたいもの。

 

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九州、癒しの一軒宿

2020-08-04 | 旅行

二泊三日、車で九州を旅行しました。

国東半島の諸寺院、山、宿、どこも人がほとんどいなくて静かな旅になりました。

二泊目、大分県長湯温泉。温泉街から離れた山中の一軒宿。

涼しくて静かでした。

夜が明けたようです。

午前6時、縁側からデッキに出てみます。

少しずつ霧が晴れていきます。

部屋は山の南斜面で木がたくさん。まだ霧が晴れません。寒くて、鳥が少しずつ鳴き始めました。

デッキの椅子に座ってしばらく山の木を眺めています。

トチ、ツクバネガシ?

木がたくさんあります。

庭に出てみます。

蓋をしているのは井戸ではなくて風呂。

向こうは脱衣室。

誰かが見ているわけではないけれど・・・

一人で外へ行きます。

玄関と上がり框。

大きなクヌギの向こうに家族用の露天風呂が並んでいます。

図書室へ行きます。ここへ来るまで、誰にも出会いませんでした。

朝6時半、ここにも人はいません。小さな音で音楽が流れています。

子供のころ、叔母の家の離れで夏休みに本を読んでいたのを思い出します。

何もしなくていい贅沢を久しぶりに。

初版本。初めて見ました。

好きな作家です。投獄され、戦後は議員になり、私がこの作品を読んだ頃はまだご存命でした。

一人でゆっくりあれこれの本を見てから、部屋に戻ります。

通路からは少し下がった玄関。宿の部屋は一軒ずつの小さな家になっています。

在来工法で建てたそうで、木と土と紙でできた日本の家。

豪華な部屋より、子供のころに馴染んだ感じがこの歳になると疲れません。

12畳の座敷の向こうが別の部屋。そこで寝ます。

冷房がきつくて、夜中、しばしの避難。

床の間と書院。軸の字が読めません。

窓の外は山の景色。

玄関ともつながっています。

天井が高い。

こちら座敷の天井。

田舎の家の納屋みたい。

壁は漆喰?


午前9時、そろそろお暇します。

藁ぶき屋根が玄関への門。

支配人の方がお見送りしてくれました。

さよなら、お世話になりました。

とても、とても、とってもくつろぎました。

ありがとうございました。

また来ますと言いたいけれど、九州の奥地、また行くことがあるのかどうか。

宿はこちら

http://www.s-kawasemi.com/


おまけ

駐車場横に山羊がいました。

シロちゃん、クロちゃん。

サヨナラ、元気でね。

昨日は竹田市の滝廉太郎記念館などを見学。

東九州道→九州道→中国道→山陽道→R2バイパスなどを通って帰宅。

九州の東側も高速道がつながって便利になりました。

しかし、いつまでこんなハードな旅行できることやら。。。。

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元宇品、緑陰を歩く

2020-08-03 | お出かけ

先月の近場の散歩、尾根筋をまとめてみました。

灯台近く、日当たりのいいところに。

ヌスビトハギ。

カクレミノ

カクレミノの花。

尾根の道へ。

ヤブツバキ

緑濃い道。

カゴノキ。木肌に特徴。モチノキ科。

ナナミノキ

クヌギ。

葉の裏に毛があればアベマキ。

コシダ。日当たりのいい場所に。

イタドリ。

イズセンリョウ。冬に白い実。モチノキ科。

アラカシ多数。

眺めのいいところに観音寺。アジサイが残っていました。

イタビカズラ。

ヤブカラシ。

ヌルデ。

テイカカズラ。


地下壕の跡は埋められています。

広島港にあった陸軍運輸部のものと言われていますが、詳細は不明のようです。

昔は柵だけ、その気になれば入れたようですが今は完全に封鎖されています。

軍関係の遺跡と知らない人がほとんどでは。

自宅から全行程徒歩だと1時間半くらい。手軽な散歩道。

森は国有林で営林署が管理。原生林と言われています。

古い時代に薪炭など採る木もあったかもしれませんが、今は照葉樹林の森になっています。

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水は大切

2020-08-02 | 随想

元保川/広島 フリー素材集photo AC様より


18歳で広島へ来て、驚いたこともいくつかあるけれど、いちばんはやはり、川に水が流れていたこと。

それまで、被爆体験を読んでも、火に追われて川に逃げるのが何でかなあと、意味が分からなかった私。

故郷の香川県は、いまでもたぶん全国一降水量が少ない県ではないだろうか。子供のころ、そう習った。代わりに昔からため池を築き、農業用水にしてきたと。

川・・・あることはありますが、短くて流域面積も狭く、どの川も流量が少なく、中流では砂利の真ん中に小さな流れがある。私にとっては川はそんなイメージ。

今は気候が変動して、香川県も雨が降るらしいけど、昭和のころは何回も渇水に悩まされてきた。見たわけではないけれど、祖父の話では、水の少ない年は朝洗顔した水を取って置いて夕方足を洗い、それを田に持って行って撒いたとか。

昭和15年だったと思うけど(記憶あいまい)、年間降水量が県内のある観測地点で600ミリ代ということもあり、その年には田植えができずに陸稲おかぼ=畑で作る稲を植えたと、実家にはその時の写真もあった。

田に過不足なく水を入れ、キープするかが一番大切。水は水路のわずかな傾斜で流れるので、上から順番に田に水を入れる。一つが終わればせき止めて、次の田へ入れる。一枚入れるのに何時間かかかるので、夜中でも順番が来たらその作業に祖父は出かけていたのだと、大人になってやっとわかった。

水に関する取り決めは鉄の掟、どこの池の水をどう流してどこへ入れるか、昔からきちんと取り決められていた。地元では**池の掛かりという言い方をしていた。どんなに水が足りなくても、水利権のない水は回してもらえない。それはまあ、全国共通と思いますが。

悲願は徳島県を流れる吉野川を分水すること。1970年代、私がこちらへ来てからその工事は完成し、早明浦ダムに貯めた水が香川用水を通って香川県にも来ることになった。父祖以来の願望がやっとかなったことになる。

その頃私はもうこちらへ来ていたので、昨今の水事情は知らないのだけど、香川県人は今でもよその土地の人よりは水の大切さが身に染みていると思う。以前は蛇口の横によく節水シールを貼っていたし、私の実家近くの家は、洗車と庭の散水用に井戸を持つ家も多かった。


翻って広島ですが、上水道は太田川から取水。太田川は流域面積も広く、上流部は山陰に接して積雪もあり、だいいち、市内をとうとうと流れる6本の川を見ていたら、水不足なんて絶対にないと私は思っている。

広島は埋め立て地で海に近いほど井戸が掘れず、全国で何番目かに上水道が整備された町。日露戦争の直前と記憶しています。軍都として、急速に人口が増えていた時期ではないでしょうか。そして今まで、一日たりとも断水したことがないそうで、ただただ感謝あるのみ。

原爆投下の日だって、水圧下がりながらも配水し続けたそうで、水はなるほど生きる基本手段。焼け跡に戻ってきた人が、水道栓ひねったら水が出たので住めると思い、バラック建てたという話も聞きました。

夏になったので、水に関する父祖の苦労に思いをいたし、一層節水に努めたいと思います。


それにしてもコロナです。太平洋戦争末期、何の方針も立たず、誰も責任取らず、手をこまねいて破滅へと向かっていた時期って、こんな感じだったのでしょうか。

久しぶりに見たら、相変わらずあのマスクして、礼服来て、皇居で何かの儀式やっていた。一人だけ違うマスクして、寂しくないのかな。全国に配って誰もしていないなんて。たぶん。私は一度も見ていません。

検査の徹底と隔離、治療。それしか道はない。素人でもこのくらいのことはわかる。応援団の中国人、韓国人をバカにする人たち、風邪の一種だから大騒ぎしなくていいって言ってるけど、感染症対策では完全に日本の負けって素直に認めたらいかが。

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麻のワンピースを縫う

2020-08-01 | 手芸

麻100%の生地でワンピース縫いました。

先日と同じパターンで、ウェストに切り替えを入れました。

ミックス調の地味な色合い。

こんな感じで。先日の絽のストール。

こんな感じで。昨年織った模紗織りのストール。

これもいいかな。

先日のバッグで。


最近は服もバッグも自作。

既製服は体型との折り合いが悪く、バッグはどれも立派で重く、買い物行くのもおっくうで、しばらくはこれで行きましょう。

本日の小さな工夫。

手縫いをするとき、布を挟んで固定する道具の代わりに、カーテンのタッセル掛けにクリップを付けてみました。

これはこれでよく止まります。

小さな工夫、ちょっと嬉しい。

追記。

麻が好きで、やっと見つけて嬉しかったけど、なんとウールと同じW幅。夏ものだからそんなに要らないの予想通り、横が中途半端に余った。

使ったのは140センチ幅で220センチです。

麻の服、売ってることは売ってるけど、身長は165センチくらいを想定しているのかしら。私が着ると地面摺りそう。それで自分で縫ってしまった。

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