さて、長湯温泉の翡翠之庄を出て、竹田市内に戻り、滝廉太郎記念館へ。
車の中にマスク置いてきたーーーと言うので、記念館前で待っていました。
おや、トンネルがあります。
街中にこんな感じで。
くぐらなかったけど、通ると滝廉太郎作曲の音楽のメロディーが流れるそうです。
通学路で使っていたのでしょうか。
資料館入口。12歳から14歳まで住んだ家。
邸内。
玄関。当時の家を解体修理したそうです。
滝家は竹田藩大分県の日出(ひじ)藩家老の家柄で、明治維新後は東京に移住、廉太郎も東京で生まれます。父親は中央政府の地方官吏として、富山、大分、竹田などを転任。
この付近は武家屋敷街で、官舎だったそうです。
1894年、15歳の時、東京高等師範学校附属音楽学校(のちの東京音楽学校、今の東京芸術大学の前身)予科に入学。
1898年、本科を首席で卒業し、研究科に進学。
1899年、嘱託として音楽学校の授業補助をする。(伴奏など?)
1900年、文部省より音楽研究のためドイツ留学を命じられるが、延期願いを出し、このころから楽曲を発表。
1901年、ドイツ留学に向けて横浜出港。(船で行ってたんだあ。何日かかったのやら。今なら飛行機でその日のうちに到着)。結核を発病し、入院。
1902年、帰国。大分町(今の大分市?)で病気療養。(親がいたのかもしれません)
1903年、23歳で死去。
今でも歌われる主な歌。「荒城の月」、「春」、「箱根八里」、「お正月」など。
日本的抒情を残しつつ、耳に馴染み、歌いやすい西洋音階の曲の数々は、明治という時代が、西洋の文化を取り入れて発展していく頃の空気をよく反映していると思います。
楽曲がどれも明るく若々しいのは、滝廉太郎の若さ、正直さ、純真さ。
どれだけ生きたかったことでしょう。生きて、思いっきり曲を作りたかったことでしょう。
若い人がなくなるのはいつもいたましいけど、特に才能ある人は。合掌。
人の命はいつかはなくなるけど、音楽は永遠。今でも中学三年生は、新学期の一番初めに音楽の授業で「春」を歌うのでしょうか。
女子は高音パート、男子は低音パートの二部合唱。
春のうららの隅田川~♪
滝廉太郎の部屋だった土蔵の二階。
窓から岡城跡が見えます。
ニュースキャスターの故筑紫哲也は滝廉太郎の妹の孫になるそうで、生前は記念館の名誉館長だったと聞きました。
知らなかった。自慢しないところが人柄かと。
岡城跡により、昨日帰りには閉まっていた竹細工の店に寄りますが、まだ開いていません。つくづく、縁がない。
悔しいので、イワタバコ、写します。
湿気の多い岩場に咲く花。葉がたばこに似ているのでこの名前があります。
閉まっていたのは、要らんもの買わないようにとのことでしょうか。あきらめて道の駅竹田経由で再び竹田温泉へ。
行ったり来たりしています。
目的はラムネ温泉館。日本一の炭酸泉だそうです。
着きました。長湯温泉の老舗「大丸旅館」の外湯。ちなみに宿泊した「翡翠之庄」はその旅館の次男の方が始めたとのこと。
炭酸が多くてラムネ湯というそうです。個性的な建物は建築家藤森照信氏の設計らしい。滋賀県のたねやの施設、「ラ コリーナ近江八幡」に似ている。焼き杉の外壁と屋根の松が面白い。
入ります。
ピカソか?ミロか?オレか?とあります。
内湯は暖かく、露天は低温。低温の方は肌に小さな泡がいっぱいくっつきます。まるでラムネの中にいるよう。面白い体験でした。
以前、ネット友達の熊本の方がよくここへ来ると話していました。熊本からは東へ一時間余りでしょうか。平日の昼間ですが、人が多かったです。
8/4 12時過ぎ、すべての予定をこなしてあとは広島へ帰るだけ。3日間、雨も降らず、山中で道迷いというアクシデントもありながらなんとか18時過ぎには自宅につきました。
今回のお土産。道の駅でスイカや野菜。
フランスパンみたいなこちらは沖縄きゅうり。税込み120円。
甘くないマクワウリ、ウリとキュウリの中間のような味でした。
みずみずしくて、皮は硬いので彩に少し残す程度で、サラダ、なますなどに。
調理法もついています。
あとは定番。
誰にも言ってないので、お土産はほんの少し。
Go Toキャンペーンも批判が多くて、肩身が狭いのですが、何とかアップしました。
ここまでの宿泊はまだキャンペーンが決まっていなかった時点での予約。宿泊証明書と領収書とあれやこれやで申請して、まだしていないけど、いつ還付受けるか不明。
今は各旅行サイト、旅行会社では割引後の価格で販売しています。
しかし、世の中、旅行したくてもできない人、元々旅行に行かない人など様々。一部の業界と一部の人だけに向けた政策より、もっと他の方法あると思います。
私たちのように旅行好きは助かりますが。
旅行行かないと損するではなく、行かないのが一番の節約。しかし、海外旅行は当分無理のようなので、静かなところへ車でしんみりと、これからも出かけます。
お付き合い、ありがとうございました。
/