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Japan country living Katoh, Amy Sylvester

2020-08-15 | 読書

先日買ったJapan The Art of Livingと同じ著者、カメラマンの、田舎の暮らしの写真集です。

 

著者は女性で、日本人と結婚し、この本の出版当時、東京の麻布で古い藍染や雑貨の店を開いているとのこと。カメラマンは日本人男性。

ということは日本で出版された外国人向けの本でしょうか。

日本各地を訪ねて、伝統的な暮らし、道具などを集めた写真集。

とてもよかった。

私くらいの年で地方出身者なら、故郷に帰ったような懐かしさがあると思う。

写真は著作権があるのであまり出せませんが、少しだけ。

藍染め布をかけているのは「菰こも」を編む道具。

菰は、稲わらで織った薄い・・・なんて言えばいいか、敷物。主にモノを包むのに使う。今でいうプチプチと同じ用途。

横棒に10㎝置きくらいに溝があり、細くてざっくりした縄を木の糸巻きに巻いて、前後に二本ずつ垂らして置く。

織り方は、湿らせた藁を数本、横木の上に載せ、垂らしていた縄を前後に交差させて固定、また藁を、今度は根元の方を先ほどとは逆に置いて、縄を交差・・・ということを繰り返す。

原理としては機織りと全く同じ。

雨の日や農閑期、納屋で母が菰を作っていたのを思い出す。

昭和30年くらいまででしょうか。

弟と二人、外で遊べないので「退屈」と不平言ったら面白い話として「鯛が靴履いとった」と言われ、余計退屈したことも。

菰はざっくりと何でも包むのに便利、やがて古くなると堆肥に混ぜる。

縄も作っていた。足踏みの縄編み機があり、二つの口から藁を入れて足でペダルを踏むと回転して縄になる。

縄は俵を絞めたり、藁ぐろ(取り入れ後の稲わらを田んぼで積んで保管。積み方は地方によっていろいろ。我が家では丸く積むのと家形と二種類あった)を固定したり、用途も様々。

これは肥納屋こいなや(堆肥を作る専用の納屋)の入り口付近にあって、母が編んでいた。少しの時間も無駄にせずに働くのが農家の主婦の美徳。

縄は巻いて保管していると、近所の非農家の人が、引っ越し荷物作るのに買いに来たりしていた。昭和30年代後半にもまだしていたように思う。

ずっと以前、NHKBSの番組で、昔のニュース映画を連日流していて、昭和30年前後と思うけど、国立競技場で全国縄ない競技会みたいなのがあり、我が実家と同じ道具を使っていた。決められた時間でどれだけたくさん、きれいな縄をなえるかの競技です。

国立競技場は前の東京オリンピックのまだ前、学徒出陣のあの会場ですね。

手拭い、布巾を縫い合わせた大風呂敷?

柄のハーモニーが楽しい。私も作ろうかな。これならすぐできそう。もちろん手縫いで。

絹の定紋入り風呂敷より、絶対楽しい。

どこかの地方の鏡餅。

下から杉の葉、昆布たくさん、クマザサ、鏡餅一段、橙。

お餅はあらかじめ食べやすい大きさにカットしているので、鏡開きの苦労がなさそう。

面白いのは小豆で目を、ササの葉で耳をつけてウサギにしていること。

これなら楽しいし、孫受けすること必定。年末には忘れずにやりましょう。クマザサないので、ウラジロか庭の南天で。

人物像もたくさん。私のおじいちゃんみたい。おじいちゃーーーん。

昭和51年、89歳で死去。かわいがってもらった。何してもほめてくれた。私のこと、恥ずかしいくらい自慢していた。

正信偈と御文章各種は祖父に教えてもらった。

といろんなとことを思い出す本でした。

手元に置いて眺めることにします。

右の方は立派なリビングのインテリアが多くて、取り入れるのはいろいろ難しいのですが、見るのは楽しかった。

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浴衣からワンピース、もう一枚

2020-08-14 | 縫物いろいろ

昨日仕上げる予定でしたが、見返し、裾、ポケットのミシン掛けなどが今日に持ち越し。

何とか昼過ぎ完成。

今日は風が強くて、窓開けていたら涼しかった。

二階は暑いので、最近は台所で洋裁。

で、気が付くとこの気温。

仕事場三階で趣味のスピーカーボックス作っていた夫が、暑いとヘロヘロになって帰ってきて、シャワー浴びたり着替えたりして、またどこかへ行った。

夏はものをいうのも暑い。食事の時顔合わせて無事を確認するだけ。

お盆過ぎると日暮れも早くなり、秋が近くなったことを知るけれど、昔に比べて夏がとても長くなった。もう少し頑張りましょう。


墓地の横にタカサゴユリが根付いていたので持ち帰る。

外来種。高温化して各地にみられるけど、数年したら場所を移すそうです。

花びらの付け根に赤い色が見えるのが特徴。

こちら玄関。初盆でお参りしたら、帰りにアナベルをたくさんもらった。

カシワバアジサイより優しい印象。庭に植えるのはこちらでもよかったかな。。。。

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エアコン、つける?つけない?

2020-08-14 | 断想

午前中に、もう30度超した。毎日暑いですね。

皆様は冷房つけておられますか。

冷房を適切につけて、特に高齢者は熱中症に気を付けないといけないらしい。

高齢者は冷房が嫌いで、暑さ、寒さも感じにくく、脱水起こしても気が付かないのだとか。

はい、冷房の嫌いな高齢者とはこの私のことであります。

我が家は途中二度ほどリフォームしたけれど、築40年以上のごく普通の昭和の木造住宅。

我が実家は水田地帯にあり、夏はどこもかしこも開け放して風を通し、涼しい座敷で昼は昼寝、夜はもちろん寝るで、子供のころは暑くて耐えられないということはなかったと思う。

まあ、日常的に暑い、寒いと言う子供はあまりいませんが。

PhotoAC様より。実家はこんな家でした。

で、今の家ですが、第一回目の増改築の時、なるだけ向かい合って窓を付けて風通しを良くすることに気を付けてみました。

これだけで家の涼しさはだいぶ違うように思います。

朝起きて全部の窓開けて掃除する(ほんとは掃除のあと開けるのがいいらしいけど)

私は掃除や片づけは下手ですが好きで、すっきりした部屋にいるのも好きです。

夏は風の通り道にものを置かないようにして、掃除のあとで一休みすると、しみじみと夏の幸せを感じます。

着ているのは木綿の襟なし、袖なしのワンピース一枚。体につかず、服の中にも風が通る。

外の風の気配、陽の移ろい、葉擦れの音、静かに耳を傾けていると、隣のビルの向こうの路面電車の音が聞こえてきて、時間が過ぎていくのをぼんやりと楽しんでいる。

暑いからを理由に、出かけず、人に会わず、ややこしいことは全部先送りして、この夏の一部に自分もなる・・・


同居人は暑がりです。登山シャツに夏用綿のズボンで過ごしているけれど、ワンピースよりは絶対暑いはず。

男物Lサイズのワンピース縫ってあげたいけど、要らんそうです。

アラブの男性の民族衣装、きっと涼しいことでしょう。あんな感じだといいのかな。

暑いので家にいるときはエアコンつけまくる。そこでもめる。風通しのいい実家の話を持ち出すと不機嫌。

夫実家、ビル。窓は開けないのが前提。網戸もない。居住部分だけは舅様が工作して網戸つけていたけど、コンクリートは昼間熱をためて、夜放つそうで、24時間、窓は開けずにエアコンつけ続けていた。

その生活習慣にもなじめなかった。

今の家、エアコンつけるときは、私は寒いので逃げている。扇風機もつける。私は扇風機の風も寒くて咳が出る。それで普段から何かと揉める老夫婦、夏はもめごとの種も一つ増えるわけで。

水曜日、孫が24度に設定して、とても寒く、体調悪かった。

夏はなるだけ人と過ごさず、風の通る部屋でじっとしている。これが理想でしょうか。

八月前半遊んだし、墓参りも済ませたので、お盆は家にいます。

布団と着物の点検など、無理しない程度に頑張ります。

いいなあ、誰も来ないお盆休み。

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「私は夢中で夢をみた」 石村由紀子

2020-08-13 | 読書

アマゾンを徘徊している時、目にした本。

奈良のこちらの店、とても有名だそうで。

雑貨とカフェの店、オーナーの方の奮闘記。

オーナーが同郷とあったので、買いました。子供のころの話も楽しい。

私もこんな店好きです。でも、そんな店、この年で一人で行くのは場違いそうだし、店の雰囲気壊してもいけないので、つい遠慮するけれど、他にお客さんいないときは行ってみたりする。

色数少ない、自然な空間。豪華ではなく、シンプルがコンセプトかな。

身の回りを見直し、必要なものだけで簡単な暮らしをしたいと思った。

30代で始めた店が次第に大きくなり、スタッフもたくさん、ついにはご主人に会社辞めてもらって共同で経営する。

もう60代でしょうか?

人生の時間は誰にでも与えられているけれど、どう使うかは本人次第。夢を形にするしなやかな強さ。

私は残りの時間、どう使えばいいのか、考えさせられました。

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アメリカのインテリア雑誌

2020-08-13 | 読書

先日泊った温泉一軒宿のロビーにあったこの本

ゆっくり見たかったので、アマゾンで中古本買いました。

コンテンツのインパクトある着物。

染めのようですが、よくぞ残っていましたね。

大胆な人物の柄。雛遊び、羽根つき・・・

改めて、平面にどんな柄でも表現できる着物の奥深さを知る。

日本人だと、着る用に縛られて、とても着られないとなるけれど、純粋に柄や布を楽しむなら、インテリアとして飾るのが一番。

そこの辺りは外国人の方が発想が自由。楽しい本です。

テーブルセッティング。

絵絣の布団地をテーブルランナーに。

染付の器と合わせて、色数抑え、すっきりした感じで。

箱階段。

本物は今は貴重品と思う。

養蚕のザルを玄関に。

これは我が家も導入しています。

これ以外にもいろいろ参考になりそうなのがたくさん。ゆっくり見たいと思います。

英語は苦手。わからない単語もたくさん。それで、これ、夫に借りました。

ネットで調べればいいと自分の辞書捨てた。

でも辞書だといちいちスペルを打ち込まなくていいので、却って便利。

気になるところから少しずつ読んでいきましょう。

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お盆第一弾、長男一家が来る

2020-08-13 | 家族

久しぶりのプラレール。

かわいいワンピース、上身頃はレース付き木綿ニット地、スカーとは裏付きシフォン、細かな花柄。白いテープがアクセントになってます。

かわいいねと言うと、お嫁ちゃんの話し、横川の個人商店でわずかに780円だったそうです。

もうばあちゃんが服縫うことも不要ですね。レースだって二、三百円はする。

その店、私も知ってるけど、在庫品や倒産品などを安く仕入れるらしく、いろんな時代のデザインの服が山盛り、宝探しの楽しさもある。

また行こうかな~

旅行会社からもらった白地図。

孫が行った都道府県、色を塗ります。ばあちゃんは赤丸で印。

北関東と東北の5県は未踏の地です。遠いのでなかなか行けません。

あとから来た長男がヨーロッパの国名を書き込む。ロシアの飛び地とか、キプロス、モンテネグロ、コソボとか、私は東南ヨーロッパに特に弱いことが分かった。

これからはこの地図を手元に置き、国際ニュース見るときに参考にしたいと思います。

9時前解散。

先日、山の古民家借り切って友達家族で合宿したのが楽しかったそうで。川遊び、花火・・・子供たちが寝たあと、ママたちはお茶会していた、声が聞こえたとのこと。

来年はおばあちゃんも参加したいと言ったら、ご飯作ってねですって。そりゃ大変だあ。

下の孫は次来たときはビンゴしたいと、要望をカレンダーに書いて帰っていった。

やれやれ、疲れて昨夜は早く寝る。

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日航機事故で亡くなった友をしのぶ

2020-08-12 | 随想

兵庫県豊岡に咲くヤマユリ。先月。


8/12は日航ジャンボ機が墜落し、520名もの方々が犠牲になった日。事故後連日、いたましい報道が続いたのを記憶している。

その時私はどうしていたかと言えば、九州を家族で旅行中で、雲仙の宿に宿泊。夜、息子たちと夜行性の虫を探して宿に帰ると、ロビーのテレビの前に人が集まって、皆さん黙って画面を見ていた。

すぐ隣が、そびえるようなリゾートホテル、私たちの宿泊は庶民御用達の小さな宿。そこらあたりまでは憶えている。

雲仙の地獄で次男が鼻をつまみ、三男は、コアラのぬいぐるみ抱えてお父さんに抱かれている。もう2歳半だったのに。その写真もある。

いえ、私のことはどうでもよろしい。

その事故で、大学で一緒に勉強したSERA君がなくなったと、秋の初めだったか、友達から情報がまわってきた。高校の教師をしていて、夏休み、東北地方への修学旅行の下見に行った帰りだったと言う。

神戸出身、面白い人だった。三年生になると、教育学部と文学部の同じ専攻の学生は一緒の講義を受けることが多かった。あちらは文学部に日本史を学びに来て、私たちは教育学などを習いに行き、総勢20人余りはたちまちに仲良しになって、よく一緒に遊んだ。

研修旅行で、福井、富山、岐阜、長野、最後は東京と大旅行したのも今思い出した。東大文学部の史料編纂所にも行ったんだったかな。これは教官に院生、下の学年も一緒で、いろいろ楽しい体験もした。

最後のコンパの後、記憶もあいまいだけど、誰かの下宿に全員で移動、夜が明けるまで延々話し続けたのを憶えている。女子は1/3くらい、残りは男子。あの時の個性的な面々、今は各地でいい人生を送っていると思いますが、もう一人、病気になったADACHIくんと二人は早々にあちらに行ってしまって、残念です。

生きているのは当たり前のことではない。今日一日、感謝しつつ、真面目にするべきことをこなし、周りに喜んでもらえる私でいたい。今朝は殊勝にそんなこと考えた。涼しいうちに用事は片付けて、孫の来襲に備える。頑張ります。

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ヒオウギでした

2020-08-11 | 日記

大分県八面山の山頂近くに咲く花は、ヒオウギのようです。

http://had0.big.ous.ac.jp/plantsdic/angiospermae/monocotyledoneae/iridaceae/hiougi/hiougi.htm

インド北部、台湾、中国、朝鮮、日本の本州以南に分布するそうで。

花壇で見る花なので、誰かがわざわざ植えたのかと思っていましたが、それは逆で、鮮やかなので、身近で楽しむようになったのでしょう。

こちらのサイトも大変分かりやすく、よく参考にします。なくならないことを願っています。

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浴衣から涼しいワンピース

2020-08-11 | 縫物いろいろ

浴衣からワンピース縫いました。

使うのは前後の身頃に衽。衽二枚はそれぞれ半分の長さにして、身頃の裾の左右に縫い付け、出来上がりの裾幅を広げます。

袖と襟は使いません。

昨日、ほどいて裁断。きょう休み休みながら何とか本日中に仕上げました。

濃い紺に鮮やかな花、はっきりした柄が涼しそうで好きです。

浴衣は昨年、千田わっしょい祭りで買う。

市内にフリマがなくなり、寂しい。いつかまたどこかで復活しますように。

明日は孫が来る。(市内在住)

明日に備えて今日は早めに寝る。

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「植物知識」 牧野富太郎

2020-08-11 | 読書

広島県北広島町八幡原にある牧野富太郎の句碑。

この地が気に入り、戦前二度訪れ、たくさんの植物を観察した。

その時、即興で作った俳句の一つが句碑になっている。

写真は昨年10月。この地のことはp32に触れている。とても喜んだようだ。


日本植物分類学の魁にして、博覧強記、植物学の権威。

牧野の植物図鑑は今も、日本の植物の基本データとして、類書の追随を許さず、燦然と輝いている。

絵も描いているのが素晴らしい。花、実、葉、茎、根を過不足なく一つの枠に収め、写真よりはうんと見やすく、自分の見たものの同定が用意。そして何よりもすっきりとした絵が美しい。

この本はその博士が素人向けに、いくつかの植物についてわかりやすく書き下ろした入門書。

しかしそこは牧野富太郎、豊富な知識を駆使して、知らなかったこともたくさん知ることができた。これは1976年に文庫化されたけど、親本は戦後すぐの発行。

随所に博士の植物愛が感じられる。

この中で私が知ったことのいくつか、ボタンは木、シャクヤクは草だそうで。

またミカンの粒々は元々は毛、バナナの食べるところは肥大した皮だそうで、もうびっくりして楽しい話。イチゴは花托を食べるのは知っていたけど。

本は姑様のもの。1987年ころ買ったらしい。その頃、公民館の植物観察などに行っていた。舅様がなくなるまだ前です。隣でも、元気な間はめったに顔合わすこともなく、何しているのかよく知らなかった。

この本は夫がヤフオクに出すとか、出しているとか言ってたけど、アマゾンの中古本で見るとわずかに2円。売れるのかなあ。送料を安くサービスすれば売れるのかも。

折り目付けたのでアイロンで伸ばす予定。

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別荘よりもリゾートホテルよりも田舎の家

2020-08-10 | 断想

軽井沢高原文学館。2006年。有島武郎の別荘を移築。テラスでお茶します。


夏になると、涼しいところに長期滞在してのんびりしたいなあと、昔から思っていました。

30年くらい前、たまたま、県北、吾妻山の貸別荘に一泊したことがありますが、理想と現実は大違い、全然くつろげませんでした。

借りたのは高床式のログハウス、リビングや台所、部屋は二つ、家族5人で宿泊しましたが、食事作って風呂沸かして、慣れない道具で四苦八苦、家にいるより忙しかった。

何より当てが外れたのは、とても暑かったこと。エアコンはなし。でも窓が少なくて風通しが悪く、昼間の熱気が抜けずに蒸し暑かった。

でもまあ初めての体験だし、高校野球見る長男を残して、みんなで吾妻山登山。三男はパジャマズボンにスリッパで、お父さんにおんぶされて。親も若く、子は幼い。


追分、堀辰雄の別荘。玄関横の折り畳み式テーブル。ちょっと物置くのに便利そう。


10年くらい前、夫の元上司だった人が東京へ移住、その後那須の別荘に招待されたことがあった。

こちらは貸別荘よりずっと広く、備品もきちんとあってよかったのですが、管理がとても大変そうで、好きでないと維持できないなあと感じた。よそのお宅のことはわからないけど、息子たちももう全員成人し、結婚した子もいたので、うちの息子たちに限って、親の遊びに付き合ってくれるとも思えず、結局は見果てぬ夢に。

これからは田舎の辺鄙なところではなく、JR駅に近いところか、または街中の眺めのいいマンションならいいかなと漠然と思っていて、この春先、たまたま近所の中古マンションが売りに出たけれど、先約があり買いそびれた。

友人にはものすごく反対されて、考えてみたらもう要らないものを持つのはやめておいた方がよさそう。

自分は何にくつろぐのかなあ。どこがいいのかなあと考えていたけど、先日泊った各部屋が一戸建てになっている山の中の宿が、まあ別荘よりはいいかなと思っている。

そう、あれは我が家の別荘で、行っても家事全般やってもらえる。無理やりね、そう思おう。お金出して不動産買うよりずっと安上がり。

数年前、友達に誘われて、そのまた知り合いが会員になっている会員制のリゾートホテルにビジターとして宿泊したことがある。

豪華な室内に家具・・・でも私はそのホテルが建つ水田地帯の農家の家に泊まりたいなあと、そちらの方がうんとくつろぐと感じていた。

結局、人は子供のころ、大人に大事にされてのびのびと遊んでいた環境が一番落ち着くのかなと思う。私にすれば、涼しい風が吹き渡る座敷のある家。それから夏休みに行った、母の実家の山の家。

その家は木がいっぱいで、涼しくて、今でも夏は特に木の下にいると生き返った気がする。家畜がいろいろいて、見るのが楽しかった。子供たちだけで、また別の親戚に行って泊り、朝は地元のラジオ体操に参加する。どこまで行っても山、また山。その間に点在する集落いろいろ。

夫は先日の墓掃行ったとき、夏休みに遊んだ親戚の庭が懐かしそうだった。一瞬にして小学生に戻った気分だったかも。

一年一年、幸せな夏の気分を思い出して、しみじみと味わっているのも自分が年取ったから?

お金では買えない大切な思い出、気分、どなたにもあると思う。それを持っていることがありがたいと思う。

追分。油屋旅館。文学者が定宿にし、揮毫もたくさん残っていた。2006年。

今は宿は廃業。

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昨日は墓掃除

2020-08-10 | 日記

八面山に咲いていたけど、これは自然に生えているもの?

紅い花が鮮やかです。8/3


昨日は、義妹が行かないので私たち夫婦だけで、8時過ぎには出発。墓地まで車で一時間弱。

いつもは墓参りの後、夫の従兄宅へ寄るけれど、その従兄も昨年九月に亡くなり、今年は初盆。まず家を訪ねて仏壇にお参りする。

仏壇は古い家の方に置いてある。築百年くらい、庭があって蔵があって、座敷はとても涼しい。お参りのあと少しだけ話して、庭に廻る。

夫がここにカキの木があった、あの木は大きくなっている、池がまだあると子供時代、遊びに行った頃に戻って喜んでいた。

そのの古い家は、夫の祖母が養子取って分家した時建てたものではないかと思う。庭続きの本家は、祖母の腹違いの弟が受け継ぎ、広い母屋と、横に建てた新しい家、蔵などがある。門も大きくて、全体に時代劇風。

結婚のあいさつに行った時と、あと葬式に一度上がっただけだけど、玄関の間で8畳くらい、奥に座敷が並んでいて、暮らしにくいのが理由と思うけど、今は横の新しい家に住んでいる。

母屋の方は、戦前、軍の演習で皇族が来たとき休憩所として使ったとかで、その時手洗いを新築したのがまだ残っている。その後誰も使わない手洗い。戦争に負けてからだって75年も経ってるのに。泊まらなくて幸い。泊まっていたら風呂場なども作ったはずで、もっと大変なことになっていたと思う。

私は結婚当初、夫本家筋の旧家の人たちの考えや行動、調度品などがすべて珍しく、面白かった。

まだ生きていた大姑は村でただ一人、汽車に乗って広島の山中女学校に通学していたとかで、日露戦争の出征兵士を宇品の港まで見送りに行った・・・って、ほとんど近代史のような話をする人だった。

本家と分家の蔵には戦争中に預かった親戚の疎開荷物、着物などもそのままあるらしいけど、慌てて断捨離しないのが旧家の旧家たるところ。五十年、百年ってついこの間のような悠久の時間が流れているのでした。

分家の故従兄の方も、新しく建てた家、さらに新しい家に納屋などあって、今までずっと裏の方はよそのお宅とばかり思っていた私。五十年近く、あまりに迂闊だった。

家の周りは広々とした水田。風が涼しい。

数センチの境界のはみ出したのさえ、専門家に頼んで調査、特定し、新しく印を打ち直す我が家付近とは全然違う。いいなあと思うけど、田舎には田舎の、旧家には旧家の苦労があるはず。軽々にうらやましがってはいけない。

お墓は、墓地の砂利に混ざった竹の落ち葉の掃除が面倒。藪の陰で、墓石にも苔が付きかかって緑っぽくなっているのでこすり落とす。一時間くらいかかる。毎年のことだし、草抜いたりするのは好きなので苦にはならない私だけど、元気な間はずっと娘優先、私が墓参りするのを嫌っていたのは何だったのかなあと思う。

嫁いだ娘に墓の管理させるわけにはいかないし、結局は長男夫婦がすることになるんだから、初めからウェルカムでいいはずなのに、意味が分からんと、今さらに老嫁がぐちぐち。

まあ、人のすることは理解できないことは多々ある。いちいち目くじら立てなくても、やがて状況が変わって次の場面へと。今は好きにできるのでせいせいしている。

私は田舎の生まれで、墓参りは浴衣着て、よろずやで買ってもらったきれいな提灯に火をともして、帰ってきた親戚みんなでお参りして、好きな行事でした。

墓参りのやり方は変わったけど、昔を振り返るいい機会。そして通りすがりの人がみなさん挨拶してくださる。私たちが何者かあちらはご存じ、こちらは全く知らないという不思議な関係。

昨日はいろいろなことを振り返るいい機会でした。カメラ忘れて、写真はありません。

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8/4 大分旅行3日目、滝廉太郎記念館とラムネ温泉

2020-08-09 | 旅行

さて、長湯温泉の翡翠之庄を出て、竹田市内に戻り、滝廉太郎記念館へ。

車の中にマスク置いてきたーーーと言うので、記念館前で待っていました。

おや、トンネルがあります。

街中にこんな感じで。

くぐらなかったけど、通ると滝廉太郎作曲の音楽のメロディーが流れるそうです。

通学路で使っていたのでしょうか。

資料館入口。12歳から14歳まで住んだ家。

邸内。

玄関。当時の家を解体修理したそうです。


滝家は竹田藩大分県の日出(ひじ)藩家老の家柄で、明治維新後は東京に移住、廉太郎も東京で生まれます。父親は中央政府の地方官吏として、富山、大分、竹田などを転任。

この付近は武家屋敷街で、官舎だったそうです。

1894年、15歳の時、東京高等師範学校附属音楽学校(のちの東京音楽学校、今の東京芸術大学の前身)予科に入学。

1898年、本科を首席で卒業し、研究科に進学。

1899年、嘱託として音楽学校の授業補助をする。(伴奏など?)

1900年、文部省より音楽研究のためドイツ留学を命じられるが、延期願いを出し、このころから楽曲を発表。

1901年、ドイツ留学に向けて横浜出港。(船で行ってたんだあ。何日かかったのやら。今なら飛行機でその日のうちに到着)。結核を発病し、入院。

1902年、帰国。大分町(今の大分市?)で病気療養。(親がいたのかもしれません)

1903年、23歳で死去。

今でも歌われる主な歌。「荒城の月」、「春」、「箱根八里」、「お正月」など。

日本的抒情を残しつつ、耳に馴染み、歌いやすい西洋音階の曲の数々は、明治という時代が、西洋の文化を取り入れて発展していく頃の空気をよく反映していると思います。

楽曲がどれも明るく若々しいのは、滝廉太郎の若さ、正直さ、純真さ。

どれだけ生きたかったことでしょう。生きて、思いっきり曲を作りたかったことでしょう。

若い人がなくなるのはいつもいたましいけど、特に才能ある人は。合掌。

人の命はいつかはなくなるけど、音楽は永遠。今でも中学三年生は、新学期の一番初めに音楽の授業で「春」を歌うのでしょうか。

女子は高音パート、男子は低音パートの二部合唱。

春のうららの隅田川~♪

 

滝廉太郎の部屋だった土蔵の二階。

窓から岡城跡が見えます。

ニュースキャスターの故筑紫哲也は滝廉太郎の妹の孫になるそうで、生前は記念館の名誉館長だったと聞きました。

知らなかった。自慢しないところが人柄かと。


岡城跡により、昨日帰りには閉まっていた竹細工の店に寄りますが、まだ開いていません。つくづく、縁がない。

悔しいので、イワタバコ、写します。

湿気の多い岩場に咲く花。葉がたばこに似ているのでこの名前があります。

閉まっていたのは、要らんもの買わないようにとのことでしょうか。あきらめて道の駅竹田経由で再び竹田温泉へ。

行ったり来たりしています。

目的はラムネ温泉館。日本一の炭酸泉だそうです。

着きました。長湯温泉の老舗「大丸旅館」の外湯。ちなみに宿泊した「翡翠之庄」はその旅館の次男の方が始めたとのこと。

炭酸が多くてラムネ湯というそうです。個性的な建物は建築家藤森照信氏の設計らしい。滋賀県のたねやの施設、「ラ コリーナ近江八幡」に似ている。焼き杉の外壁と屋根の松が面白い。

 

入ります。

ピカソか?ミロか?オレか?とあります。

内湯は暖かく、露天は低温。低温の方は肌に小さな泡がいっぱいくっつきます。まるでラムネの中にいるよう。面白い体験でした。

以前、ネット友達の熊本の方がよくここへ来ると話していました。熊本からは東へ一時間余りでしょうか。平日の昼間ですが、人が多かったです。


8/4 12時過ぎ、すべての予定をこなしてあとは広島へ帰るだけ。3日間、雨も降らず、山中で道迷いというアクシデントもありながらなんとか18時過ぎには自宅につきました。

今回のお土産。道の駅でスイカや野菜。

フランスパンみたいなこちらは沖縄きゅうり。税込み120円。

甘くないマクワウリ、ウリとキュウリの中間のような味でした。

みずみずしくて、皮は硬いので彩に少し残す程度で、サラダ、なますなどに。

調理法もついています。

あとは定番。

誰にも言ってないので、お土産はほんの少し。

Go Toキャンペーンも批判が多くて、肩身が狭いのですが、何とかアップしました。

ここまでの宿泊はまだキャンペーンが決まっていなかった時点での予約。宿泊証明書と領収書とあれやこれやで申請して、まだしていないけど、いつ還付受けるか不明。

今は各旅行サイト、旅行会社では割引後の価格で販売しています。

しかし、世の中、旅行したくてもできない人、元々旅行に行かない人など様々。一部の業界と一部の人だけに向けた政策より、もっと他の方法あると思います。

私たちのように旅行好きは助かりますが。

旅行行かないと損するではなく、行かないのが一番の節約。しかし、海外旅行は当分無理のようなので、静かなところへ車でしんみりと、これからも出かけます。

お付き合い、ありがとうございました。

 

 

 

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8/3 午後から滝と原城跡

2020-08-08 | 旅行

午前中、八面山で道に迷いながらもなんとか下山、高速に乗って大分米良インターから西へ。竹田市を目指します。

中九州道、朝地インターで下り、まずは原尻の滝に。

水田地帯に突如現れる立派な滝。

下へ降りてみます。迫力あります。

横から見ます。吸い込まれそう。

近くの商業施設。

滝の周りの遊歩道は暑くてパス。

続いて竹田市内の岡城址へ。

岡城址は知らなくても、滝廉太郎の「荒城の月」の舞台と言えば、日本人なら誰でも知っているはず。そこへ行きます。

滝からは8キロくらい。城の下にPがあり、あとは歩いて見学です。

途中に土産物屋、お休みどころが数軒。

品揃えのいい竹製品の店も。帰りによると閉店、次の日寄るとまだ開いてなくて残念でした。

ヤマブドウのかごもたくさん売っていました。数万円から25万円まで各種。買わないけど。買えないけど。

登ります。城は自然の要害に石垣を築き、難攻不落と言われたそうです。戦国馬代、島津軍も撃退したとか。

1594年、播磨の国から中川氏が来て、そのまま江戸時代はこの地を治め、明治を迎えたそうです。

広いです。

山の上にあることが分かります。

本丸へ。

滝廉太郎の像。

小学校で同級生だった彫刻家、朝倉文夫製作。

廉太郎は東京音楽学校を出て、文部省からの公費留学生として、ドイツ、ライプツィッヒに学びますがすぐに結核が分かり、一年後には帰国。翌年、23歳で亡くなります。

銅像の顔は若いと言うより、まだ幼さの残る純真な少年の面影。

行きていればいい曲をたくさん作ったことでしょう。その若さに胸を突かれます。

銅像の周りを一周。明日は記念館へ行く予定。

城を下りて今夜の長湯温泉を目指します。

途中で夫が思い余ったように「酒、買いたい」・・・「けどこんな山の中ばかり」と漏らすので、「大丈夫、長湯温泉は温泉街。絶対に酒屋の一軒はある」と胸を張る私。

来る前準備したお酒は家に忘れたそうです。忘れるばかりのこの頃。

自分の名前と年は言えるのかな。

結局、お酒は買えました。宿にも無事つきました。

その宿は予想以上に素晴らしい宿で、五感がくつろぎました。

いつになるかわからないけど、友達旅行で私が幹事の時、皆さんを連れて行きたいけど、小倉から在来線で大分まで。大分から豊肥線で竹田まで。そこからバスで40分くらいで長湯温泉。そこから徒歩で宿を目指す。

googleでは路線の検索不能と出ました。辺鄙な場所であればあるほど、嬉しい私ですが、これは好みの分かれるところ。湯布院か黒川が無難かな。どちらも博多からの直通バスあり。

どちらも近年人が増えてにぎやかですが、中心部離れたいい宿もあるようです。

本当にいつになるかわからないけど。寿命との競争ですね。

翡翠之庄は先日、紹介したので、ぜひそちらをご覧ください。

 

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8/3 八面山で道に迷う

2020-08-08 | 山歩き

さて、金色温泉を8時半頃出て、八面山へ車で行きます。

途中、いくつか登山口がありながらも上へ上と。

上から二番目のP

この地図だと①に車を置いて、黒の矢印のコースで歩くことにしました。一時間くらいのハイキング予定です。

楽勝、楽勝とこの時は喜んだのですが。。。。

八面山大池。灌漑用らしい。

いざ出発。

木陰の道。涼しい。

第一展望台。中津市内は霧の中。高速道路が見える。

次の展望台。

南画風。下は切り立った崖。端まで行くのが怖い。

殆ど高低差のない楽な道。

今度は南が見える。阿蘇も見えるはずだけど手前しか見えない。

山の花いろいろ。オニユリ。

オトギリソウ。

山頂は展望コースの途中にあります。

こんな感じで。

さらに歩きます。

池が見えてきました。八面山小池。

小池さん、頑張ってーーと、この時はまだ余裕があります。

キンミズヒキ。

さらに歩いて行くと箭山神社への道案内が・・・ここで道に迷ったことに気が付きます。

さっきの地図は?

登山口で地図貰って夫に渡し、そのあと私だけ手洗いに行って出発したのでした。

地図・・・?持ってきとらん・・・

なんでぇーーー!!!

忘れた・・・

なんで???

もっと言ってもよかったけど、山で喧嘩しても何一ついいことはありません。それに最近、あんたブログしよるんじゃろと言われたばかり。思いのたけを言うのは、また書くのは避けたいところ。

再び分岐まで引き返し、別の道へ。

地図があるからよほど車に置いておこうかと思ったヤマケイの「大分県の山」、その中の小さな地図だけが頼りです。本の地図は詳しくありませんが、何とか見当つけて歩きます。

この地図で言うと、黒いコースを行くつもりが、結局はオレンジの道へ。

Rの近くまで行って引き換えし、赤いP→Qへとおりました。

これは今地図を見ているから言えることで、下りたのが車道の途中、どちらへ行っていいかわからずに、しばらく迷いましたが、上へと。

車道を歩くのはつらい。大回りになりました。黙々と。

途中で昨夜の宿泊先から電話。上着とズボン忘れているって。今、山です。帰りに寄ります。と答える。

やれやれ、年寄の登山隊。ケガしなかっただけでも喜ばないとね。

朝と同じ道引き返し、宿で服、回収。

続いて大分県竹田市を目指します。これもナビに変な道へ誘導されて、中津インターまでだいぶ手間がかかります。

この地図だと③、中津日田道路の田口ICからつながっていたのに、見落としてしまいました。

いゃあ、何かと大変でしたが、うまくいくばかりの旅行より、紆余曲折、いろいろある方が人生は味わい深い。そう思いたい。

午後からは長湯温泉へ行きますが、それはいずれまた。

この日のお昼は、お煎餅やお菓子、家から持ってきたバナナで済ます。登山口付近、コンビニありません。

二度目のお昼は別府SAでサンドイッチやお寿司買って済ませる。中津から大分、結構遠い。大分県は広いです。

温泉と山が多いので好きな県です。

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