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別荘よりもリゾートホテルよりも田舎の家

2020-08-10 | 断想

軽井沢高原文学館。2006年。有島武郎の別荘を移築。テラスでお茶します。


夏になると、涼しいところに長期滞在してのんびりしたいなあと、昔から思っていました。

30年くらい前、たまたま、県北、吾妻山の貸別荘に一泊したことがありますが、理想と現実は大違い、全然くつろげませんでした。

借りたのは高床式のログハウス、リビングや台所、部屋は二つ、家族5人で宿泊しましたが、食事作って風呂沸かして、慣れない道具で四苦八苦、家にいるより忙しかった。

何より当てが外れたのは、とても暑かったこと。エアコンはなし。でも窓が少なくて風通しが悪く、昼間の熱気が抜けずに蒸し暑かった。

でもまあ初めての体験だし、高校野球見る長男を残して、みんなで吾妻山登山。三男はパジャマズボンにスリッパで、お父さんにおんぶされて。親も若く、子は幼い。


追分、堀辰雄の別荘。玄関横の折り畳み式テーブル。ちょっと物置くのに便利そう。


10年くらい前、夫の元上司だった人が東京へ移住、その後那須の別荘に招待されたことがあった。

こちらは貸別荘よりずっと広く、備品もきちんとあってよかったのですが、管理がとても大変そうで、好きでないと維持できないなあと感じた。よそのお宅のことはわからないけど、息子たちももう全員成人し、結婚した子もいたので、うちの息子たちに限って、親の遊びに付き合ってくれるとも思えず、結局は見果てぬ夢に。

これからは田舎の辺鄙なところではなく、JR駅に近いところか、または街中の眺めのいいマンションならいいかなと漠然と思っていて、この春先、たまたま近所の中古マンションが売りに出たけれど、先約があり買いそびれた。

友人にはものすごく反対されて、考えてみたらもう要らないものを持つのはやめておいた方がよさそう。

自分は何にくつろぐのかなあ。どこがいいのかなあと考えていたけど、先日泊った各部屋が一戸建てになっている山の中の宿が、まあ別荘よりはいいかなと思っている。

そう、あれは我が家の別荘で、行っても家事全般やってもらえる。無理やりね、そう思おう。お金出して不動産買うよりずっと安上がり。

数年前、友達に誘われて、そのまた知り合いが会員になっている会員制のリゾートホテルにビジターとして宿泊したことがある。

豪華な室内に家具・・・でも私はそのホテルが建つ水田地帯の農家の家に泊まりたいなあと、そちらの方がうんとくつろぐと感じていた。

結局、人は子供のころ、大人に大事にされてのびのびと遊んでいた環境が一番落ち着くのかなと思う。私にすれば、涼しい風が吹き渡る座敷のある家。それから夏休みに行った、母の実家の山の家。

その家は木がいっぱいで、涼しくて、今でも夏は特に木の下にいると生き返った気がする。家畜がいろいろいて、見るのが楽しかった。子供たちだけで、また別の親戚に行って泊り、朝は地元のラジオ体操に参加する。どこまで行っても山、また山。その間に点在する集落いろいろ。

夫は先日の墓掃行ったとき、夏休みに遊んだ親戚の庭が懐かしそうだった。一瞬にして小学生に戻った気分だったかも。

一年一年、幸せな夏の気分を思い出して、しみじみと味わっているのも自分が年取ったから?

お金では買えない大切な思い出、気分、どなたにもあると思う。それを持っていることがありがたいと思う。

追分。油屋旅館。文学者が定宿にし、揮毫もたくさん残っていた。2006年。

今は宿は廃業。

コメント (2)
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昨日は墓掃除

2020-08-10 | 日記

八面山に咲いていたけど、これは自然に生えているもの?

紅い花が鮮やかです。8/3


昨日は、義妹が行かないので私たち夫婦だけで、8時過ぎには出発。墓地まで車で一時間弱。

いつもは墓参りの後、夫の従兄宅へ寄るけれど、その従兄も昨年九月に亡くなり、今年は初盆。まず家を訪ねて仏壇にお参りする。

仏壇は古い家の方に置いてある。築百年くらい、庭があって蔵があって、座敷はとても涼しい。お参りのあと少しだけ話して、庭に廻る。

夫がここにカキの木があった、あの木は大きくなっている、池がまだあると子供時代、遊びに行った頃に戻って喜んでいた。

そのの古い家は、夫の祖母が養子取って分家した時建てたものではないかと思う。庭続きの本家は、祖母の腹違いの弟が受け継ぎ、広い母屋と、横に建てた新しい家、蔵などがある。門も大きくて、全体に時代劇風。

結婚のあいさつに行った時と、あと葬式に一度上がっただけだけど、玄関の間で8畳くらい、奥に座敷が並んでいて、暮らしにくいのが理由と思うけど、今は横の新しい家に住んでいる。

母屋の方は、戦前、軍の演習で皇族が来たとき休憩所として使ったとかで、その時手洗いを新築したのがまだ残っている。その後誰も使わない手洗い。戦争に負けてからだって75年も経ってるのに。泊まらなくて幸い。泊まっていたら風呂場なども作ったはずで、もっと大変なことになっていたと思う。

私は結婚当初、夫本家筋の旧家の人たちの考えや行動、調度品などがすべて珍しく、面白かった。

まだ生きていた大姑は村でただ一人、汽車に乗って広島の山中女学校に通学していたとかで、日露戦争の出征兵士を宇品の港まで見送りに行った・・・って、ほとんど近代史のような話をする人だった。

本家と分家の蔵には戦争中に預かった親戚の疎開荷物、着物などもそのままあるらしいけど、慌てて断捨離しないのが旧家の旧家たるところ。五十年、百年ってついこの間のような悠久の時間が流れているのでした。

分家の故従兄の方も、新しく建てた家、さらに新しい家に納屋などあって、今までずっと裏の方はよそのお宅とばかり思っていた私。五十年近く、あまりに迂闊だった。

家の周りは広々とした水田。風が涼しい。

数センチの境界のはみ出したのさえ、専門家に頼んで調査、特定し、新しく印を打ち直す我が家付近とは全然違う。いいなあと思うけど、田舎には田舎の、旧家には旧家の苦労があるはず。軽々にうらやましがってはいけない。

お墓は、墓地の砂利に混ざった竹の落ち葉の掃除が面倒。藪の陰で、墓石にも苔が付きかかって緑っぽくなっているのでこすり落とす。一時間くらいかかる。毎年のことだし、草抜いたりするのは好きなので苦にはならない私だけど、元気な間はずっと娘優先、私が墓参りするのを嫌っていたのは何だったのかなあと思う。

嫁いだ娘に墓の管理させるわけにはいかないし、結局は長男夫婦がすることになるんだから、初めからウェルカムでいいはずなのに、意味が分からんと、今さらに老嫁がぐちぐち。

まあ、人のすることは理解できないことは多々ある。いちいち目くじら立てなくても、やがて状況が変わって次の場面へと。今は好きにできるのでせいせいしている。

私は田舎の生まれで、墓参りは浴衣着て、よろずやで買ってもらったきれいな提灯に火をともして、帰ってきた親戚みんなでお参りして、好きな行事でした。

墓参りのやり方は変わったけど、昔を振り返るいい機会。そして通りすがりの人がみなさん挨拶してくださる。私たちが何者かあちらはご存じ、こちらは全く知らないという不思議な関係。

昨日はいろいろなことを振り返るいい機会でした。カメラ忘れて、写真はありません。

コメント (2)
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