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織田作之助の夫婦善哉を読んでみた。
一度読んでおこうと・・
しかしながらこの男、とんでもない男 ありえない。
家庭を捨て稼業を捨てて芸者と一緒になるのはよいが
一緒になってもまともに働かない
関東煮屋 果物屋 カフェと商売を転々とするが長続きしない。
こんな男になぜ蝶子は惚れるのか・・不思議なものだ
おまけに体をこわして温泉へ養生にいったと思えば体を養生するどころか
芸者あげてどんちゃんさわぎ。
ひもにしてもとんでもないひもときた・・
落語の噺でも同じような男がでてくる、金は全部ばくちで使い家には金をいれない
酒におぼれて商売をしない魚屋
働くことは西洋では罰 日本では働くことは喜べと教えられてきた。
よく考えると働かないでいられるならそれにこしたことはない。
ただただ食べるために働くのみ
きれいごとをいっても人間食べるために働く・・きれいごとをいって道徳教えて
働くことが美徳 我慢して働く 人のために社会のために働く・・こんな都合のいいことはない
支配するものがつくったものが道徳である。
働きたくないけど食べないといけないから働くしかないとうのが人間の本音だろうね