胸に陽を抱き、背に陰を負い、声を合わせて生きる(老子40章)
老子の中でもこの言葉が好きです。
万物は、日陰を背中に追い、日向を胸に抱いて立ち、重荷を負い暖かさを胸に抱いて
活発に動く気配によって声を合わせている。
だから、人は孤であり、寡であり、僕であることを憎むのだ
徳川家康の人は重荷を背負って生きるという言葉はきらいです、人生はつらすぎる、つらい疲れる
のは人間の本望ではない。
陰を背中に胸に前には暖かい日を抱きながら生きる。
太陽を背に向けず、たとえ一人であろうとも胸に抱いて生きる。
すべては胸に陽を抱くのだ・・しかし残念なことに人間は残酷なもものもいる、抵抗できない弱いものを
陽を抱くのさえ自由にさせない、おそろしいことを それが現代だろうか・・・
こどもの虐待 虐待死 心愛ちゃん事件 どれほど恐ろしかっただろうか 生きるのがなぜ苦しみばかり
なんだろうかと
放射能の被害で仕事も家も健康も失った、強制的に国と東電に棄民にされたその気持ちがいくばかりのもの
だろう、どれだけの日本人が理解しようとしてるのだろうか?答えは関心がない でないと あんな嘘を
ついて復興五輪なんてインチキな商業イベントを誘致できるのだおるか・・それも震災 原発事故を利用した
五輪、人間がやるべきことでない 餓鬼界としか思えない。
人として生きる権利、平和にいきる権利 憲法に保障されてる基本的人権 最低のこともできない日本で
くだらない復興五輪が人々の気持ちを踏みにじり行われる。
その前に人々に胸に陽を抱くことのできる最低限のことをすべきだろう。