里山悠々録

里山の家と暮らし、田んぼや畑、そして水墨画のことなどを記録していきます

4年ぶりに旧交を温める

2023年09月28日 | 暮らし

昨日、かつての勤め人時代のOB達が集まりました。
あいにくの雨降りでしたが、18名ほどの参加がありました。
少数ながら気心の知れた方々ばかりです。
OB会は県レベルで組織されており、その下に支部があります。
その支部の総会でした。前回開催が2019年ですから実に4年ぶりです。
前回開催時まで小生が3年の任期で支部長を仰せつかっていました。
その後新しい支部長にバトンタッチしました。
ところが翌年からコロナ禍で3年間開催されず、ようやく今回開催の運びになったという訳です。
ここは、宮城県大河原町にある「おおがわら天然温泉いい湯」と言うところ。


市街地からはかなり離れたところにあり、送迎バスが利用できます。
小生が支部長時にも一度ここで催したことがあります。
源泉掛け流しの日帰り温泉で食事もでき、メニューも豊富。
「もちぶた館」が併設されています。


ここでは精肉や加工品、農産物が直売されています。


ここ3年の間には会員で鬼籍に入られた方もおられます。
総会の前に、亡くなられた方に黙祷を捧げ哀悼の意を表しました。
総会では現支部長からもう1年延長して引き受けると申し出があり、有り難くお願いすることになりました。
若干の相談事と情報交換をし、記念撮影。
後は、ゆっくりと懇親会。
そもそもここは祖業が養豚業。現在もメインが養豚業の株式会社です。
直営農場で育てたブランド「もち豚」を使ったメニューが特に美味しい。


4000円の飲み放題コースだそうで、サービスでデザートも付きました。十分にいただき満足です。
近況を報告し合いながら和やかに過ごし、散会となりました。


お盆の習わしも変わる

2023年08月14日 | 暮らし

当地方のお盆はいわゆる月遅れ盆で、8月13日から16日までが一般的です。
記憶も定かでなくなっていますが、昔のお盆は手間隙が掛かっていたことは確かです。
我が家でも、昔は盆棚を作り盆提灯を沢山ぶら下げたものでした。
盆棚は精霊馬等の飾りものはしないものの結構大きな棚を作っていました。仏壇自体が古かったこともあります。
早いもので今年は母の二十三回忌。父はその6年前に亡くなっています。
両親健在のうちにすでに盆棚を作ることはなくなっていたはずです。ただ盆提灯は数個下げていました。
今でも盆提灯は飾り、昨夜は灯りを灯しました。


当地方では、昔から、親戚間で初盆に盆提灯を贈る風習があります。
我が家でも両親が亡くなった際にいくつか頂きました。
時代の変遷とともに住宅事情等も変わり、逆の立場では御提灯代として現金を贈っています。
我が家の菩提寺は浄土真宗本願寺派のお寺さんです。
父の後をそのまま引き継ぐ形で世話人を仰せつかって大分経ちます。
しかし、勤め人稼業と野良仕事の二足のわらじを履き続けた身には深く考える余裕はありませんでした。
仏事のことを多少考えるようになったのは勤め人稼業から解放された後です。
親鸞聖人の名言「善人なおもて往生を遂ぐ、いわんや悪人をや」。
浄土真宗は往生即成仏の教えで、故人が霊になるという概念がないのです。
したがって、お盆に先祖の霊が帰ってくるということもないので迎え火は焚きません。
故人が成仏できるようにと行う追善供養と言う形はなく、卒塔婆を立てることもありません。
当集落には共同墓地があり、三つの宗派が混在しています。
浄土真宗の墓地には卒塔婆立てがないので見るとすぐ分かります。
しかるにお盆に盆棚はもちろん提灯を飾ることもないはずなのですが。
地域や親戚でも宗派は様々、宗派を越えて一般的な習わしが自然に出来るのは当然なのかもしれません。
菩提寺のこれまでのご住職は習わしを尊重し、浄土真宗ではどうのと言うようなことは仰らなかったのでしょう。
我が家では昔から迎え火は焚きませんが、盆提灯を灯すのが迎え火の代わりかと思っていました。
しかし、それも勘違いでした。
今は昔のような下げるタイプの盆提灯ではなく立て型の盆提灯を二つ用意します。


また、盆棚は作りませんが、ご飯、お萩、菓子などをお供えします。
墓参りは14日にするのが習わしでしたが、年々拘らないお宅が多くなりました。
我が家も今年は13日にお参りしました。


昔は別に古い墓地があり、そちらにもお参りしました。それを父の一周忌に合わせここに寄せたのです。


古いものでは天明や嘉永年間の墓石が確認できます。
昔は、墓参りの際、沢山の花竹を準備しお参りするのが習わしでした。
これは大変な負担で、そのような環境でもなくなったことから、大分前になくなりました。
また、餅やお菓子などを相互に上げ合うことも習わしの一つでした。
しかし、鳥獣の餌になるので、今は自宅の墓も含め全て片付けることを申し合わせています。
ただ、外部者には分らないと見え、菓子のみならず酒、ビールなどが依然上げられています。
気持ちは分りますが、時代が変われば習わしも変わるものです。


菩提寺で世話人会

2023年07月03日 | 暮らし

我が家の菩提寺は浄土真宗本願寺派のお寺さんです。
世話人会があり、出席しました。
小生が準総代と言う亡父の肩書きをそのまま引き継ぎ、すでに28年の歳月が流れました。
当時、世話人の中では小生が一番の若輩でした。今は中ほどくらいでしょうか。
世話人会は年1回開催される檀徒代表の総会のようなものです。
同様の会は各お寺さんにありますが、会の呼び名は様々あるようです。
ここ3年ほどコロナ禍によって会の設営も以前とは大分違ったものになっていました。
コロナ禍前は、本堂で全員揃いお経を唱和し、その後会堂に移動して協議でした。
今年も、本堂と会堂に分かれマイクを通しての世話人会となりました。
正面が本堂。


こちらが会堂。


こちらは聖徳太子殿。


本堂内。


今年も全員でのお経の唱和はなく、ご住職の読経だけでした。
協議の内容は昨年度と今年度の行事や決算、予算などです。
昨年は地震の被害による改修工事の相談がありましたが、今年は比較的平穏。
今年度から新たに就任したご住職の披露を兼ねた法要の案件がありました。
これが世話人にとってはなかなか大変。
昨年すでに報告があったことで、前住職が85歳と高齢になられたことを機にご長男が継承し、同寺16世住職位となられました。
披露の法要は来春ですが、少々大がかりで、一言で言うと檀家さんに説明しお金集めをしないといけません。
また、協議終了後には檀家さん宛ての年会費徴収用のカップが配布されます。
当寺では維持費と言う名目です。この維持費徴収が世話人の一番の役目。
この世知辛い世の中、喜んでお金を出すような人間はそういません。
且つ世話人は一般檀徒より維持費が高く、準総代、総代とさらに高くなります。
本音は有り難くない役回りですが、これもささやかな地域奉仕と思い続けています。
これは境内にあるザクロの木。


我が家のザクロよりは大分若い。しかし、花は我が家のザクロよりはるかに多く、実も留まっていました。


鎮守の神社春の祭典を挙行するも・・・

2023年05月01日 | 暮らし

昨日、鎮守の神社の春の祭典を挙行しました。
小生が講中の代表を仰せつかっています。
しかしながら、少々想定外のものとなりました。
本来は、春の祭典に合わせ当番に当たっている代参人が本社で祈祷を受け御神符(お札)を頂いてくるのが習わしです。
2019年春に代参して以来、ここ3年間はコロナ禍のため代参を見合わせていました。
また、直会も2019年秋以来控えています。
今年は諸般の状況を鑑み通常通り祭典を挙行しようと考えていたところでした。
ところが、代参人からコロナがまだ収まっていないので代参はしないと申し出があったのです。
世話人で協議した結果、やむなしと判断せざるを得ませんでした。
何と言っても当講中では代参人第一なのです。
結局、昨年秋のようなやり方で執り行うこととなりました。
代参に代わるものとして郵便祈祷という制度があるので、それを利用します。
小生が手続きをして、このような講中お札と講員に配るお札を送って頂きました。


まず当日は早朝に世話人と当番者が集まり、境内を清掃することから始めます。


最も汚れているのが石段。


小雨模様でしたが、これで綺麗になりました。


ご祈祷に備え本殿を開帳。


拝殿も清掃し、ゴザを敷きます。


旗揚げはせず今回もしめ縄だけとなりました。
ご祈祷の前にお供え物などの準備をします。これは小生の役割です。
米、水、塩と御神酒、海の幸、山の幸をお供えします。
自家製の野菜は春キャベツをお供えしました。
9時から宮司にご祈祷いただきます。


小生が代表して玉串を奉奠。全員合わせて二礼二拍手一礼で拝礼。
この後、御神酒の回し飲みをするのが慣例ながら、これは無理。
代参を中止したので直会も自粛。せめてもと、摘まみを配り御神酒をそれぞれ紙コップに注いで頂きました。
その後、御神符(お札)を各自に配り、散会となりました。
今回は本来の姿でと考えていただけに残念ではあります。
講中や代参については、機会を見て詳しく記さねばと思っているところです。




彼岸の入りに雪

2023年03月19日 | 暮らし

彼岸の入りに雪となりました。
暖かい日が続いていただけに少々の驚きです。前日より日中の気温が10度以上も下がりました。
この程度の雪は珍しいことではありませんが、緊張感はあります。
昨日午後、ピーク時頃の庭。


雪の花となりました。
すぐ傍の竹のしのりが凄い。


この時期特有の重い雪です。
我が家のすぐ前の幹線道路はこんな状況。


水分が非常に多いためベジャベジャのシャーベット状態です。
もっと気温が低ければかなりの積雪になっていたでしょう。
畑の寒玉キャベツ。


今年二度目の雪中甘藍と言ったら大袈裟でしょうか。
春キャベツも雪中です。


当地方、気圧配置が西高東低の厳寒期よりそれが崩れた時が怖い。
特に春雪は重さが半端でなくこれまで何度も苦労させられてきました。
古いハウスが数棟あると気が休まらないものです。
3月末から4月になってからも大雪に見舞われたことがあり、まだまだ油断できません。



小正月行事「団子刺し」

2023年01月15日 | 暮らし

当地方では1月14日から15日がいわゆる小正月。
小正月には団子刺しをするのが習わしです。
小正月は女の正月とも言われますが、団子刺しは、その名にふさわしい華やかな行事と言えるでしょう。
団子刺しは、団子の木に団子を刺して飾り付けます。


これが団子の木。見にくいですが、一番手前の木です。


正式名はミズキ(水木)。当地では誰もが団子の木と言います。
当県にはこけし作りで有名な所が数カ所あり、弥治郎系、遠刈田系、作並系、鳴子系などその地名の付いたこけし名で呼ばれます。
そのこけしを作る材料として用いられるのがミズキで、重要な樹種なのです。
それを団子の木と言うくらいですから、小正月の団子刺しは大きな行事だったのです。
ミズキは枝がなめらかですんなりと伸びます。


肌は赤みを帯び美しい。枝先は団子が刺しやすい形状で、木全体がバランスのとれた扱いやすい姿をしています。このような樹種はほかに見当たりません。


一昨日、保育園児達が団子刺しを体験する姿がニュースで流れていました。
当地では昔から続く豊作や家内安全・家内繁栄を祈願する風習なのです。
ミズキの枝先に紅白や緑の団子を刺し、鯛や宝船などの飾り物をぶら下げ、神棚や部屋に飾り付けます。

これは大黒様のようです。


小生が幼少の頃は大きなミズキに沢山の団子を刺し、部屋中一杯になるほど飾ったものでした。
今はほんの形ばかりと言ったところですが、近隣で実際にやるお宅は見かけなくなりました。
実は、我が家も助っ人が我が家の分まで作ってきてくれるので、有り難く御相伴に与っている次第。


ミズキだけは我が家の山に沢山あります。
もっとも、昔、大きな木に団子を数え切れないくらい刺したのから見ればささやかなものです。
昔と言えば、15日の夜明け前に「暁(あかつき)団子」を食べたのを思い出します。
囲炉裏に大きな鍋を掛け、薄い小豆粥の中に団子が入ったようなものでした。未明に起こされた幼少の身には眠いだけ。今となっては朧気にしか憶えていません。小正月の様々な行事も次第に姿を消してきたのが現実です。


小正月行事「鳥追い」やり方を変える

2023年01月14日 | 暮らし

今日は小正月行事「鳥追い」の日です。
当地方では今日までがいわゆる松の内。しめ縄や松飾りを下ろします。
一般的には「どんと祭」でそれを燃やします。「どんと祭」は、神社の境内や広場で古いお札や松飾りを燃やす風習です。
我が家も僅かだけ参加した年がありますが、あまり良いことがなく、すぐ元の「鳥追い」に戻しました。
「鳥追い」とは1月14日に行う正月行事で、正にその名の通り鳥を追い払うものです。
古来、農村では害鳥に荒らされ農作物が被害を被るので、「鳥追い」をすることで豊作祈願をするわけです。
「鳥追い」では、松飾りを下ろした後、それを御神木と定めた杉の木にしめ縄で括り付け納めます。
その納めに行く道すがら、大声で「ヤー、ホイ、ホイ、ホイ」と繰り返し叫び、鳥を追い払います。
これが我が家の御神木で、古い松飾りは朽ち、括り付けたしめ縄が残っています。


実はこの御神木は2代目。元の杉の木が大木になり括り付けるのが困難になったため近くの杉の木に替えたもの。
ところが、この杉の木も括り付けるのが甚だ困難となりました。


側のケヤキも大木になってピッタリとくっつく状態になり縄を通せなくなってしまったのです。


もちろん、何れこうなるだろうとは分っていました。昨年は喪中の年越しだったため松飾りはなく、神社のしめ縄一本をどうにか通したのでした。
さてどうしようか。近くの杉の木に目星を付け、この手前の杉の木を3代目にと一旦は決めました。


しかし、この杉の木もすでにかなりの大木。一人では到底抱きかかえられる太さではありません。
そこで、山の神様に納めるのが良いのではないかと思い至りました。
そもそも、我が家では昔から前年の古いお札や飾りものは、大晦日に山の神様に納めるのが習わしです。ですから、新年の松飾りを納めても何の問題もないはず。
納めるのは輪通しが主で神社のしめ縄を含めてもこの程度、大した量ではありません。


今や相談すべき人もなく、小生が決めるべきことです。
山の神様の祠は大晦日に古いお札などを納めてお参りした際、倒木で倒壊していたため、応急措置で復旧しました。
再度、がたつかないよう祠を念入りに組み直しました。


以後、「鳥追い」には我が家の裏山にある山の神様に納めることにします。


納めるのは全て朽ちて自然に帰るものだけです。我が家の山の神様ですから誰に迷惑をかける訳でもありません。
さて、大声で「ヤー、ホイ、ホイ、ホイ」とは恥ずかしくて出来ないので小声で。豊作祈願、家内安全、世の平穏を念じながら午前中に納めました。
幼少の頃、父に連れられ「もっと大きな声で叫べ」と言われたのが懐かしく思い出されます。



正月元旦と二日の習わし

2023年01月02日 | 暮らし

昨年は、喪中で普通の日常と変わらない正月でしたが、今年はいつもの正月です。
昔は正月三が日には色々な習わしがありました。
父から小生へと2代のうちにかなり簡素化したと思います。
幼少の頃、憶えているのは若水取り。
家の主が元旦の朝一番に清水の湧いている井戸から桶に水を汲み、神前にお供えし、最初のお茶を点てたり料理に用いたりするものです。
しかし、小生が物心ついた頃には手押しのポンプで水を汲んでいたので、湧き水を汲んだのは形式的なものだったのではないでしょうか。
ほどなく手押しポンプは電動モーターポンプに変わり、上水道となって若水取りの習わしを知る人も少なくなりました。
今、元旦の一番の行事は正月祈祷。
宮司がお出でになり、ご祈祷頂きます。
この宮司の神社は昔の村レベルの神社で数集落の住民が氏子になっています。
そして、当集落の鎮守様の宮司もお願いしているのです。
我が家の正月祈祷は元は4、5日頃だったのですが、近隣に元日祈祷(毎月一日に神前で行う祈祷)のお宅があり、宮司と相談し我が家も元旦に正月祈祷をして頂くことになったもの。
両親が亡くなり、勤め人稼業をしていた小生にとっては元旦の方が有り難かった。
ご祈祷前の準備はこうです。
お燈明、お清めの塩と水、そしてお初穂(ご祈祷料)をテーブルに並べておきます。


これがご祈祷後。
お札(正月祭)を置いて行かれます。お札は神棚に奉ります。


食事の習わしはまだ続いています。
元旦にはとろろ。
我が家では元旦には餅を食べません。元旦はとろろ飯です。
三日とろろは多いようですが、元旦は珍しいらしい。
神棚や仏壇にとろろ飯をお供えします。
もっとも、お供え用の皿で少量のご飯の上にとろろをちょんと乗せたもの。


そして、二日が餅です。
切り餅を焼いて同様にお供えします。
昔は、大きな臼で何臼もついたものでしたが、今は少しあれば十分。
助っ人宅で纏めてついてくれるので、御相伴に与ることになりました。
ブロックで貰い、切るのだけは自分で切ります。


皿に焼き餅を少々乗せお供えするだけです。
これを神棚へ。


かまどの神様にもお供え。


元日にとろろで二日に餅の謂われは分りません。
近隣が同様かと言えば、そうでもないようです。
特段に煩わしいと言うほどのことでもないので続けています。
これで、安定した気分になるから不思議なもの。
今日は例年通り馴染みの農機具店と農業資材店の初売りに顔出しします。


新年は鎮守様の元朝参りでスタート

2023年01月01日 | 暮らし

新しい年を迎えました。おめでとうございます。
当地、今年は風は少しあるものの雪もなく穏やかな元旦となりました。
元旦は鎮守様への元朝参りからスタートします。
昨年は喪中の正月で、元朝参りを控えたため2年ぶりとなります。
いつの間にやら7時過ぎに行くのが恒例となりました。
天候に恵まれれば境内から初日の出を拝むことができるからなのですが、今年はどうか。
鳥居の前で一礼。
毎年、気になるのが鳥居に掛けたしめ縄。


講中の代表をしている小生が大晦日に掛けたものです。
今のところ無事です。
しめ縄に付けた紙垂(しで)は小生の手作りで甚だ弱く、遠からず破れてしまいます。
三が日もってくれればまず良しです。
集落内の方は大概元旦にお参りするので、取り敢えず安堵しました。
これまで付け替えたことが何度かありますが、今は破れても何もしないことに決めています。
過日掃除した石段も、その後はあまり汚れていないようです。
石段を登り始めると間もなく、出羽三山の石碑があります。
大晦日にお幣束(へいそく)と御散供(おさご)を捧げお参りしました。
元旦にも御散供を捧げてお参りします。


御散供とは米を包んだおひねりのことで、これは昨日つくったもの。


御散供を捧げる方はもういないかもしれません。小生は止めると何となく落ち着かないため続けていると言ったところ。
ただし、自然に散らばっても支障ないところにだけです。
拝殿ではお賽銭を捧げ、二礼二拍手一礼でお参り。


悪霊退散し、平穏な一年になるようお祈りしました。
公私とも願い事が多い。鎮守様も大変なことでしょう。
最後は思わず、プーチンよ消えてくれと念じてしまいました。
後ろに回り込むと本殿があります。


変則ながら元旦には直接お参り。ここから初日の出が拝めるのですが。
果たして、今年は雲がかかり綺麗には見ることができませんでした。


しかし、雲の隙間からは光が射すのが見えたので良しとしましょう。


元旦には宮司がお出でになり、正月のご祈祷があります。お昼近くになるでしょう。これも喪中の昨年はなかったので、二年ぶり。
その後は来客があります。


年越しにお歳徳神と輪通しの飾り付け

2022年12月31日 | 暮らし

年越しのため大晦日にやらなければならない飾り付けがあります。
昔は準備から飾り付けまで全て大晦日でしたから大変でした。今は輪通しやしめ縄づくりは前日までに終えています。
まずは神棚から。
昨年は喪中でいわゆる年取りをしないため、飾り付けは全て下ろし、がらんとした大晦日でした。
今年は例年どおり神棚の掃除をしてから新しい飾り付けに変えます。
古いものは、一部の替えのきかないお札以外は全て取り外します。


これはお幣束(へいそく、御幣)。


過日、我が家も氏子になっている神社の宮司が来られ、ご祈祷し置いて行かれました。この宮司には鎮守様の宮司もお願いしています。
これは神社庁から出されているいわゆるお歳徳神(としとくじん)さん。


これを神棚に飾り付けますが、我が家の神棚では篠竹を使うなど仕掛けがあり、少々面倒。


神棚中央にはお札を奉ります。
真ん中にお伊勢様のお札とお幣束、右に鎮守様、氏神様のお札、左に崇敬する神様などのお札。


神棚右側に恵比寿様など。ここに鯛の飾り付けをします。


神棚左側に大黒様。両側にお幣束を取り付けます。


台所にある小さな神棚には五穀豊穣の神様とかまどの神様、そして火伏せのお札を重ねて奉ります。


次は輪通しの飾り付け。
神棚の前。松の枝に輪通しを掛けて奉ります。


玄関。昔は玄関には飾りませんでしたが、いつの間にか飾るように。


今や近隣でも市販の綺麗なしめ飾りを飾っており、手作りの輪通しを飾っているのは我が家くらいのものでしょう。
ほかには作業場、トラクター、管理機、車。


次は床の間。


掛け軸は天照皇大神の掛軸。
生け花は、梅と南天のみで生けています。
花器は父が太い孟宗竹の根元で自作したもの。
父が生前生けていたのを、小生が引き継ぎました。全く自信はありません。
鏡餅は数年前に簡素化し、自前のものから市販の小さなパッケージものに変えました。
古いお札やお飾りは、小さな祠の山の神様に納めるのが習わし。
行って見たところ何と倒木で倒壊していました。


応急措置で取りあえず復旧し、お参り。


ここまで午前中に終えました。
この後は、鎮守の神社の鳥居にしめ縄を掛け、お参り。
さらに水の神様など数カ所にもお幣束と御散供を捧げてお参りします。
御散供(おさご)とは米が入っているおひねり。
今、近隣で御散供を捧げる人は多分いないでしょう。止めると精神上良くないので止めるに止められない。


年越しに向け輪通しとしめ縄づくり

2022年12月30日 | 暮らし

年越しに向けて、輪通しとしめ縄を作りました。
昨年は喪中の年越しとなり、年末年始の神事は出来ず、例年とは全く異なる年越しとなりました。
今年は例年と変わらない年越しです。
昔は、年越しの神事は準備から飾り付けまで、すべて大晦日にやるのが習わしでした。
父が亡くなってからはとても一人では無理なので、準備は事前にやるようにしました。簡素化したものもあります。
父健在の頃には朝から遅くまで手分けしてやっていました。その父も昨年が27回忌。正に光陰矢のごとしです。
一つは輪通しづくり。
輪通しは、しめ縄を簡素化したものと言われます。今、近隣で作っているのは我が家だけのようです。
正規に覚えた訳ではありません。
我が家独自のもので、父の作っていたものの見よう見まねです。
3本の藁を1回継ぎ足して綯い、このような輪を作ります。


輪に挟み込むのは、五葉松、昆布と干し柿の3種。


五葉松は御用待つ、昆布は喜こぶからきているのでしょう。
干し柿は分りません。父に尋ねたこともありませんが、我が家独自の豊作祈願の印だったのかと思います。
過日、たまたまテレビを見ていたら、正月に干しかき入れで縁起が良いと報じていました。
五葉松、昆布、干し柿を挟む位置は決めていません。
下げる紙を切ります。しめ縄に付ける紙垂(しで)を簡素化したものなのでしょう。


これで出来あがりです。


これを6つ作ります。


次にしめ縄づくり。
鎮守の神社の鳥居に付けるもので、講中代表をしている小生の役割です。
以前は、すべて自前で作っていましたが、今は縄は購入品です。
祭典時の縄を購入することになった折り、それに合わせて年越しの縄も同じものにしました。
長持ちはしない安い細縄ながら、祭典用の手綯い風左より縄で、お陰で楽になりました。
縄に下げる紙垂(しで)は5枚作ります。
普通のA4版用紙を半分に切ったものを使います。
以前は障子紙を切って使っていました。宮司からA4版用紙を使っていると聞き、これも楽になりました。
これを二つ折りにします。


このように切ります。切り込みの深さや幅で調整できます。


これを織り込み。


出来上り。


5枚作って縄に挟み込めばしめ縄が出来ます。


これを大晦日に神社の鳥居に取り付けます。輪通しの飾り付けも大晦日です。

年末恒例黙々と鎮守様の清掃をする

2022年12月27日 | 暮らし

今年も間もなく年越しを迎えます。
小生の年末恒例となった鎮守の神様の清掃。
集落だけの小さな神社で、小生が講中の代表を仰せつかっています。
コロナ禍で祭典を中止していましたが、今年秋の祭典を2年ぶりに挙行しました。
その際、世話人と当番者で境内の掃除をしています。ですから大して汚れていないかと思いきや、さにあらず。
参道登り口からこの状況。


中段は酷く汚れています。この時期になると参道の石段に杉の枯れ葉が沢山。


強風の日もあって一段と酷くなっています。
世話人だけでも声を掛けようかと思うものの日程の調整が煩わしく、一人コツコツとやることにしています。
数年前、懸案だった境内の樅の大木と杉の木何本かを伐採、大分楽になりました。
それでも石段の掃除は大変です。何度も上り下りしながらやらないといけません。


塵一つもなしにするのは不可能。掃除している先から落ち葉が飛んできます。
参道登り口付近。前に比べれば雲泥の差で綺麗になりました。


最も汚れていた中段も片づきました。

この程度なら勘弁頂けるでしょう。


石段の途中にある出羽三山の石碑の周りも掃除。


境内は大きな汚れはなく、箒で掃く程度で済みました。


本殿周り。


拝殿の中も掃除。


半日みっちり掛かりました。
強風が吹けばまた落ち葉は飛んできます。
以前、12月に2回掃除したこともありましたが、切りがないのでこれで終りです。それでも、当地は雪が降ることもなく幸いでした。
今度来るのは大晦日、鳥居にしめ縄を取り付けます。





2年ぶりに鎮守の神社秋の祭典を挙行

2022年10月24日 | 暮らし

昨日、2年ぶりに鎮守の神社秋の祭典を挙行しました。
コロナ禍の中、一昨年の秋以来で、昨年春秋、今年春と3回の祭典を中止しています。
小さな拝殿なのでどうしても密集は避けられません。
今年の秋の祭典の可否について検討した結果、感染防止対策を徹底した上で執り行うこととなりました。
集落だけの小さな講中ながら、本社から御分霊を受け120年余りになります。
小生が代表を仰せつかっています。
本来は、年に一度、当番に当たっている方々が本社に代参して祈祷を受け御神符(お札)を頂きますが、一昨年から代参を控えています。
ただ、郵便祈祷という制度があり、手続きをして講中のお札と講員に配るお札を送って頂きました。
まず、早朝に世話人と当番者が集まり、境内を清掃します。


清掃で一番大変な石段。


綺麗になりました。


本殿を開帳。
本殿、拝殿も清掃し、ご祈祷に備えます。


その後に旗揚げとなるのですが、密な作業になるので自粛、しめ縄だけとなりました。


ご祈祷の前にお供え物などの準備をします。
米、水、塩と御神酒、海の幸、山の幸をお供えします。
自家製の野菜はキャベツにしました。それに甘柿です。
全員マスク着用で、対面は避け、極力一定の間隔を保つようにしました。
9時からご祈祷です。
宮司にご祈祷いただきます。


小生が代表してサカキを奉納。全員で二礼二拍手一礼で拝礼。
例年なら御神酒の回し飲みをするのが慣例ながら、自粛。
そして、この後は移動し皆で直会となるところですが、これも自粛。
御神符(お札)と、小瓶の清酒など少々の持ち帰りの品を配り、散会となりました。
物足りなさを感じる方もおられるでしょう。
全てが元に戻るのは何時になるか。再び感染者が増加する気配もあり、悩ましいところです。


盆提灯に灯りを灯す

2022年08月14日 | 暮らし

当地方のお盆は8月13日から16日までが一般的。いわゆる月遅れ盆です。
盆の入りの13日の夜には、盆提灯に灯りを灯しました。
多くのお宅で13日は先祖の霊をお迎えする習わしがあることでしょう。
我が家の菩提寺は浄土真宗本願寺派のお寺さんです。世話人を仰せつかって20数年。
両親が亡くなってから20年以上経ちますが、勤め人現役の頃はあまり深く考えたこともありませんでした。多少考えるようになったのはリタイヤ後。
浄土真宗ではお盆に先祖の霊が帰ってくるということはありません。
そもそも浄土真宗では往生即成仏の教えのため故人が霊になるという概念がないのです。
親鸞聖人の「善人なおもて往生を遂ぐ、いわんや悪人をや」の名言は、小生でも昔から知っています。
全ての人は亡くなると同時に成仏し極楽に行けるのですから霊になって迷うことはないのでしょう。
ですから、浄土真宗では故人が成仏できるようにと行う追善供養と言う形もありません。
このようなことからするとお盆に提灯を飾ることもないはずなのです。
しかし、宗派の数は多数あり、地域や親戚でも他宗派の方が多い。
当然多数派の方が一般的な習わしとなるのが自然だと思います。
当地方では、昔から、親戚間で初盆に盆提灯を送る風習があります。
我が家でも両親が亡くなった折り、いくつか頂きました。
菩提寺の歴代のご住職はそれらについては何も仰いません。地域の習わしがより大事と言うことなのでしょう。
昔のように沢山盆提灯を吊すようなことはしませんが、今年も例年のように立て型の盆提灯を二つ準備しました。


夕方に灯りを灯します。


迎え火は昔から焚きません。
昔は、精霊馬等の飾りものはしないものの盆棚も作っていました。
今は盆棚は改めて作らず、ご飯、お萩、菓子などのお供えをします。
墓参りは14日が習わしでしたが、近年はあまり拘らなくなりました。
我が家でも今年は13日にお参りしました。


すでに半数はお参りを終えているようでした。
時代の流れで、集落のお参りの風習も昔とは大分変化しています。
昔、我が家には古い墓地が別にありました。それをここに皆寄せたのです。
ちなみに、この墓石が確認可能なものでは最も古い。天明の文字が明確に分かります。


法名を見ると昔から浄土真宗だったことが明らかです。

菩提寺の世話人会

2022年07月04日 | 暮らし

我が家の菩提寺の世話人会があり、出席しました。
浄土真宗本願寺派のお寺さんです。
世話人会はいわば檀徒代表の総会のようなものです、
宗派やお寺さんによって会の呼び名は様々あるようですが。
準総代と言う仰々しい肩書きを亡父の役割を引き継ぐような形で、もう27年。
当時は40代も半ば、小生が一番若輩の世話人でした。
今では小生より年少の方も多くなりました。
コロナ禍後、今年で3回目の世話人会です。設営が大変のようです。
コロナ禍前は、まず本堂で全員揃いお経を唱和、その後会堂に移動して協議でした。
今年も、本堂と会堂に分かれソーシャルディスタンスを確保しての世話人会となりました。
正面が本堂。

これは入口にあるザクロの木ですが、我が家のザクロの方がずっと古い。


こちらが会堂。
会堂では画面とマイクを通して本堂の様子が分るよう設営されています。


これは聖徳太子殿。


本堂内。


全員でのお経の唱和はなく、念仏を唱えただけでした。
協議の内容は昨年度と今年度の行事や決算、予算などです。
今年は3月の地震による被害があり改修工事の相談もありました。
また、ご住職が85歳と高齢になられたことから、長男の副住職が住職を継ぐことの報告がありました。同寺16世住職位とのことです。
協議終了後には、檀家さんの年会費徴収用のカップが配布されます。
維持費と言う名目。この維持費徴収が世話人の大きな役目。
且つ、それでいて一般檀徒より維持費がぐっと高い。
他にもお金を扱うことがあり、正直負担に感じる嬉しくない役回りです。
当集落にはそっぽを向くような方はいませんが、町場では大変だという話しをよく聞かされます。物価高の昨今は尚更かもしれません。
これも小生のささやかな地域奉仕と思いやっています。