ハトとたんぽぽ

和子の気まま日記

2024-4-24(水)、「課長さんはダウン症」 ☂️

2024年04月26日 06時07分47秒 | 本と雑誌
室温は、19.5度(7:00)
朝からずっと雨が降っていた。

何だか頭が重くて、「ほっとハウス」にパン作りのお手伝いに行く予定をしていたが、お断りして、ベットで娘から借りていた越智智子さんの「課長さんはダウン症」を読み上げる。

越智さんは弥富市生まれで弥富市育ち、中学校時代はソフトボールに明け暮れて、真っ黒に日焼けしていたので、母親が心配して、ピアノをお稽古を進められ、のめりこんでいった。

音楽大学に進学して、本格的にピアノを習うが、大学オーケストラではビオラを弾くとこれにものめり込んでいき、オーケストラの楽しさを味わう。

卒業後、高校の非常勤講師として働きながら、市民オーケストラに参加する中で、お見合いの写真を見せられて、兵庫県相生市の「この人と結構する」と決めて、お見合いをして、1976年(昭和51)5月8日姫路市で結婚。

次の年の1977年(昭和52)3月7日に章仁くん出産。

しかし何だか普通の子どもとは違い、成長が遅く、次男が生まれた病院で見てもらうと「精神薄弱」と言われ、ショックを受け、3歳の時にダウン症の診断を受ける。

夕方1人で出掛けていき、電車を見に行ったり、遊園地では1人で観覧車に乗ったりしたこともあったが、何とか幼稚園を卒園。

小学校では特殊学級に進学して、一人一人の成長に合わせた教育をしてもらう。

そんな中、夫がガンになり、42歳の若さで旅立ってしまった。

二人の子どもを連れて、弥富市の実家に帰り、章仁君は佐織養護学校、次男は地元の小学校に通い、第3の人生が始まる。

章仁君は、家にあるピアこの前に座って「ひく」というので、ドレを教えると、次の日にドレミを弾き、ピアノに興味を持つようになり、親子でピアノレッスンを行う日々が増えてきた。

始めての演奏会は、相生市の幼稚園での演奏会は、とても喜んで頂き、デビューすることとなった。

それから45歳になるまで400回以上のコンサートをやって来た。

養護学校の中学になっていた頃から、自作の曲を演奏するようになっていた。

夫の追悼コンサートでは「海のように」を弾くと、いつも夫のことを思い出します。

出雲市民会館大ホールでのコンサートでは堂々と自作の「春」を弾きました。

1976年に愛西市善太新田町の教会のメンバー中心にハレルヤ生活園を立ち上げ、12年間パンやクッキーを作って資金作りをする。

1998年(平成10)10月4日に隣町の弥富市にパンとクッキーの店「ほっとハウス」を開所。

多くのボランティアの人たちとパンとクッキーを作って、知人や公共施設などに売り歩く。

2001年(平成13)6月1日次男の協力の元、アメリカスタンフォード大学で「夫の30年追悼コンサート」を実現。

日本中から世界中から声がかかり、ピアノ演奏に出掛けて大忙し。

章仁君40歳、ほっとハウス20周年を記念して、2017年(平成29)3月19日に愛西市文化会館でコンサートを開催。

2019年(令和元年)ほっとハウスの2階「ドリームハウス」を防音音楽室、卓球室と自宅を改装する。

2019年(令和元年)11月1日に「NPO法人ほっとハウス」(日中一時支援)を立ち上げる。

相変わらず章仁君は課長、太田くんは係長。

越智さんは最後に「課長はもう45歳になった。部長でもいいかとも思うけれど、社長もいないからまあいいか。(中略)彼は私と音楽人生を共にしてきた。もし健常者であったらこの人生は無かったと思う。彼は彼なりに人生を素敵に楽しんで生きてこられた。それが幸せだったと思う」と綴っています。

苦労も多かったと思うが、ダウン症の章仁君との音楽の人生は多くの人たちとの出会いで、豊かな人生が送れたことは宝物です。

佐藤喜美子さんの詩の一部

おかあさん
元気、根気、のん気に
希望のエッセンスを
一滴、二滴振りかけて
それをモットーとして
生きていきましょう

と綴っています。同じ障がい者を持つ親としての生き方を学びました。

今日の万歩計は、5,573歩でした。
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2024-4-23(火)、和の会 ☁️のち🌂

2024年04月24日 07時30分22秒 | 和の会
室温は、21.1度(6:00)。
曇り空に老人福祉センターまで歩いていくには、長袖にベストを着て、薄いジャンパーを羽織ると、寒くも暑くもなく丁度いい。

図書館でリクエストした「居眠り磐音江戸双紙」シリーズ3冊借りて、49,50,51巻をリクエストすると、全巻借りて読むことになる。

来月には読んでしまうので、これからはどんなシリーズを読もうかな。

ドラセナの花

午後から「和の会」があるので、先日購入した作務衣を着て出掛ける。

老人福祉センターの玄関に紫の花のつぼみが長い茎を伸ばして咲いていた。

何だか珍しいので、職員に聞くと、「ドラセナ」を株分けをしたものが伸びて、花芽がついたとのこと。

調べてみると、ドラセナ(幸福の木ともいう)は、熱帯産の観葉植物で、寒さには弱く、日当たりのよい窓辺など明るい室内での栽培が適しているとのこと。

老人福祉センターの玄関先で育てるのに適しているのかもしれません。

ドラセナの花が咲くことが珍しいようなので、花が咲くのがとても楽しみである。

和の会

今日から和室を借りて、和の会で民踊をしながら、体を動かすことを目的に続けることになりました。

時間になると、4人が集まり、DVDを見ながら郡上踊りの「かわさき」「春駒」等を踊る。

郡上踊りも何曲かあり、あんまり踊ったことのない踊りも見よう見まねで踊りました。

バスでやって来た人達が、余り踊れないというので、椅子に座っていても出来る「きよしのズンドコ」で健康体操を行い、炭鉱節、新佐屋音頭等を踊ると、体が動くようになって来た。喉も乾いたので小休憩。

午前中は何だかお天気も今一のせいか、頭がボンヤリして、あくびばかり出ていたが、やはり民踊を踊って体を動かすと、体がシャキッとして来るもんですね。

これからも毎月第4火曜日の午後は「和の会」に参加するのもいいものですね。

歩いて帰ってくると、南の公園の隅っこに、我が家の庭に咲いていた「オオツルボ(シラー)」の花が随分たくさん咲き出していた。

初めは一株球根を植えただけだったが、もう10年以上になるが、何にも手入れしなくても、ドンドン増えて咲いてくれるのは嬉しいものです。


今日の万歩計は、8,166歩でした。



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2024-4-22(月)、心の居場所 ぽかぽか ☂️のち☁️

2024年04月23日 05時55分26秒 | 障がい者
室温は、18.9度(6:00)。
夜中から朝方まで雨が降り続き、眠れぬ夜を過ごす。

やっと朝方に雨が止んで、ゴミ出しボランティアに出掛け、声をかけると、目を覚まして、ずっと新聞を読んでいたと話してくれました。

やはり毎日新聞をキチンと読んでいる人は、頭が冴えて、認知症にはなりにくいのでしょうか。

ゴミもしっかりと玄関先に出してくれていた。

春の恵み

友人と待ち合わせて、てんしんらんまんに行くと、春の恵みがいっぱい。

コゴミ、タケノコの混ぜご飯、ユキノシタの天ぷら等春の恵みが満載。

こうした山の幸、野の幸の春の恵みは近所では、てんしんらんまんでしか味わうことが出来ません。

やはり春の幸を味わうことが出来ることは嬉しいものです。

心の居場所 ぽかぽか

老人福祉センターからバスに乗って、市役所まで行き、くらしの相談室の2階で、魔法瓶を持っていったので、ヤカンを借りてお湯を沸かし、温かいお茶を入れて友人とお喋りをして待っている。

メンバーがやっと来てくれたので、これからどんな準備をしたらいいのか話し合いました。

やはり椅子がないと、足の不自由な人は座れないので、もう少し椅子と高いテーブルが必要ではないか。

打ち合わせをするだけなら何とか利用できるが、しばらくは準備のために使わせて貰い、必要な物を持ち寄ることになりました。

取りあえず第2,4月曜日に集まって準備することになりました。

久し振りの鯉のぼり

自転車に乗って、永和小学校に行く途中に、今年始めての鯉のぼりが空高く泳いでいました。

思わず珍しく立ち止まって、写真を撮ってきました。

昔はこの季節には、男の子のいる家の庭に鯉のぼりが泳いでいたものですが、子どもが少なくなってきたのか、鯉のぼりをあげるのが大変になってきたのか、何だか寂しくなりました。

長男の家に寄ると、アーチに白いモッコウバラがいつの間にか満開になっていました。

頭を下げないと通れないくらいでした。

今日のボケボケ生活

甘酒を作ろうと引き出しから麹を出して、1時間お湯につけて、ご飯を温めて、混ぜてポットに入れて、8時間経って、コーヒー牛乳に入れて飲もうとしたら、全く甘くなく、ご飯がパサパサ。

おかしいと麹の入った袋を見ると、餅米だった。

アチャーやってしまった。

これじゃ食べられない。残念。

今日の万歩計は、6,810歩でした。
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2024-4-21(日)、すまいるお仕事マーケット ☁️のち☂️

2024年04月22日 05時46分31秒 | 高齢者施設
室温は、18.0度(6:00)。
日曜版を配って、てんしんらんまんに行くと、頼んでいた作務衣を出してくれた。

家に帰って直ぐに着ると、とても着心地が良かったので、そのまま友人が待っている「すまいるお仕事マーケット」を開催している「すまいるケアガーデン」に歩いて出掛ける。

玄関に鳥の素敵な壁画がありました。

10時から「シルバーハウス」の説明会を4人で聞いて、施設見学をしました。

トイレ付きとトイレなしの部屋があり、それぞれ13㎡の広さであるが、意外に広いのに驚きました。

現在14室全部満室であるが、我が家から歩いて行けて、知り合いもいるのがとても魅力的です。

何処の部屋もゆとりがあって、広々としているのが、一番良かった。

駐車場では、「エール・ブランシュ」「えみぱんさんど」「キッチンカーRun」が並んでいました。

さつまいもスティックや串カツ、だし巻き卵の白いハンバーグをリビングルームでゆっくりとランチ。

娘にもお土産にメンチカツハンバーグを買ってきました。

午後から地元のシンガーソングライターの神谷英樹さんのミニライブがあり、「上を向いて歩こう」「春よこい」「糸 」「川の流れのように」等みんなが知っている歌を歌ってくれました。

半崎美子さんの「母へ」は母を思い出して泪が滲んで来ました。

自作の「だいじょうぶ」アンコールに答えて「ユアーハット」は心打つバラードでした。

外に出ると雨が降っていて寒さを感じながら、傘を差して帰ってきました。

夫が車イスになってから、しばらくディケアに通所していましたが、とても親切にして貰っていたので、シルバーホームの見学が出来てとても良かった。

私が入所するには近くに医師がいる施設が一番安心できます。

これからも色んな高齢者施設の見学や体験したいものです。

今日の万歩計は、7,746歩でした。
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2024-4-20(土)、友人との知多四国 🌤️

2024年04月21日 06時14分50秒 | 知多四国
室温は、18.3度(6:00)。
曇り空で何だか心配なお天気でしたが、何とか曇り空の中、友人と知多四国に出掛ける。

9:00に名鉄名古屋駅で待ち合わせて、9:15分の中部国際空港行きの準急で、寺本駅に9:41に到着。

3月の知多四国で残ったお寺を2ヶ所を先月もらった地図を見ながら、駅近くの第81番所龍蔵寺目指す。

155号線を歩きながら、歩いている人に聞くと、狭い道の奥にお寺が見えてきた。


人気がいないので、本堂をお参りして、御朱印の受付のボタンを押すと、住職が出てきてくれた。

達磨の絵がとても可愛かった。

この近くに博物館があるようなので、場所を聞くと、狭い道を通って広い道に出ていくように教えてもらった。

知多市のスポーツ施設の隣に知多市歴史民族博物館の建物が見えてきた。

二階に大正から昭和の時代の五月人形が展示されていた。


常設では、知多市の暮らしを支えてきた農業・漁業・知多木綿の3つをテーマとして展示し、さらに鍛冶・造瓦・船大工や暮らしの道具などが展示されていた。

知多木綿の機織りの体験もあるようですので、機会があれば体験したいものです。

日差しが強くなってきたので、日傘を差して、近所の人に聞きながら、栖光院(せいこういん)まで歩いていく。

第80番所栖光院は手入れが行き届いたお寺で、800年もの歴史を持つ大きな楠の葉を屋根から住職が落としていた。



何処かでランチを食べたいとアチコチで訪ねるが、見つからず朝倉駅の近くの喫茶店にやっとたどり着く。

友人が帯の派手な袋を着物を着る私に渡してくれた。

若い人達で満席だったが、暫く待って、鉄製の小さなフライパンにのったローストビーフ丼は温かくてとても美味しかった。

コーヒーが美味しかったのでブレンドの豆を買ってきた。

来月も予定通り第3土曜日に約束をして、14:02の特急に乗って帰って来た。

今日の万歩計は、12,088歩でした。















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